悪役天才道術士の憤怒 破滅確定だった転生悪役、隠された才能で原作を蹂躙する   作:稲荷竜

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第325話 曙光

 東から差し込む光が、梅雪(ばいせつ)を背から照らした。

 

 氷邑(ひむら)家中の者が、氾濫(スタンピード)から避難してきた民たちが、みな、氷邑家中庭の梅雪を見ている。

 その前に転がる少女の死体。異世界勇者(さくら)。これが氾濫の主人その人であることを多くの者は知らない。けれど、自分たちを苛んでいた氾濫が終わったことと、氷邑家の梅雪があの少女を斬ったことに関連性を感じる人は、多いようだった。

 

「父上」

 

 梅雪の呼びかけに、銀雪(ぎんせつ)は無言で視線を向けることで応えた。

 

 ……その時に周囲にわずかな緊張感が漂ったが、その理由は、誰にもわからない。

 親子にしか、わからない。

 

 子が、言葉を続ける。

 

重代(じゅうだい)宝刀銀舞志奈津(ぎんまいのしなつ)、譲り受けたく存じます」

 

 親は、着物をはだけたままのもろ肌に、汗の残滓を浮かべたまま、抜身の刀を持ち上げた。

 持ち上げて──

 

 ──切っ先を、相手に向けるように、構えた。

 

 氷邑一刀流の構え。

 己の体の前に円錐があるものと仮定し、その円錐の中に相手の攻撃一切を入れぬようさばき進めば、おのずから刃が相手に突き刺さる。そういう理念によって編まれた、『盾の氷邑』の重代剣術。

 

 見ている者からどよめきが起こる。

 それは氷邑銀雪の息子への甘さを噂で知る民衆のどよめきであり、銀雪の静かな、しかし本気の気迫を感じ取った氷邑家武士団のどよめきだった。

 

 ただ、この親子に近しい者たちは、静かだった。

 

 事態を呑み込み切れていない北条(ほうじょう)の者たちも、雰囲気を察して、固唾を呑んだ。

 

 アシュリーはぐっと息を深く呑み込み、ウメを探した。

 ウメはまだ、この場にいなかった。

 

 はるが前に半歩進んだ。後ろからイバラキが、はるの肩に手を置いて首を左右に振った。

 はるは唇を尖らせ、進んだ足を戻した。

 

 梅雪は──

 

 世界呑(せかいのみ)凍蛇(いてはば)を構えた。

 

 神威により長く、青白い刃を伸ばす。

 そして、その構えは、氷邑一刀流だった。

 

 父は穏やかに笑っていた。

 

「……梅雪」

「…………は」

「これよりお前は、氷邑家の当主として、その実務に励むことになるのだろう。……先ほどの宣言、胸を打たれた。『日常』に甘んじることが誰よりも苦手なお前が、ああもはっきりと、『日常』を支える側に回ると宣言した。……親として、これほど誇らしい、我が子の成長はない」

「……」

「だからこそ、お前の最後のわがままに、全身全霊で応えよう」

 

 重大宝刀銀舞志奈津。

 代々、氷邑家当主に受け継がれる刀。

 

 それが現当主梅雪の手ではなく、前当主銀雪の手にあり続けたのは、ある約束があったからだ。

 

 曰く──

 

 ──いつか実力で降すまで、父上がお持ち下さい。

 

 親子の間には、その約束があった。

 

 子供時代の終わり。

 大人になるその前にやっておきたい、最後のわがまま。

 

 父を降して、宝刀を受け継ぐ。

 

 大人ならば、儀礼的に継げばいい。梅雪が戦い抜きで宝刀をもらい受けると述べたならば、銀雪はそれを断らない。

 銀雪とて、その父・桜雪(おうせつ)を倒して宝刀を受け継いだわけではないのだ。普通の武家は、そうだ。儀式ぐらいはあるが、その家の財産は親から子へ受け継がれる。そこに『倒さねばならない』なんて条件は、通常、存在しない。氷邑家にも、当然、存在しない。

 

 だからこれはあくまでも、梅雪のわがままだった。

 

「俺は、最強になる」

「……」

「それは、父上を避けて叶う目標ではない。……『最強』。ああ、本当に──いかにも、子供っぽい。大人になる前には、手放さなければいけない願いです。だからこそ。……今、この時。父上より、宝刀と、『最強』を、受け継ぎます」

「お前はまだ子供でもいい。父はまだ、元気だからね」

「ええ。ですが、私は、私の意思で、大人になると決めました。……自分の意思も貫けずして、何が己の人生か。──氷邑銀雪。その刀、譲り受ける」

「やってみせろ、氷邑梅雪」

 

 すでに神喰(かっくらい)の神威は抜けている。

 

 氷邑梅雪は、ただの道士に戻っている。

 

 ──そうでなくては、意味がない。

 道士でなくては、意味がない。

 他人の力で勝っては、意味がない。

 

 この勝負だけは──

 

 ──己の力だけで勝たねば、意味が、ないのだ。

 

 親子は見つめ合った。

 周囲にはただの沈黙以上の静けさが広がっていた。

 

 梅雪は曙光(しょこう)を背に立っている。

 

 だから、梅雪から動いた。

 

 日を背にする有利が兵法(ひょうほう)にはある。そうすることで相手の目を眩ませるのだ。

 地形や陽光を利用することもまた戦いの技法の一つ。しかし氷邑梅雪はそれを『己の力』に含めなかった。

 

 そもそも、こちらが挑戦者である。

『待つ』のは強者の立場に許される。挑戦を受ける側に許される。

 剣法を磨いた者同士は後手有利。特に氷邑一刀流において、動きの起点は相手の攻撃を捌くこと。待った方が有利。だが、梅雪は進んだ。

 

 腰あたりの高さに置き、切っ先を相手へ向けたまま、滑るように三歩の距離を一瞬で詰める。

 

 突き。

 

 銀雪の剣が回る。氷邑一刀流基本の受けの技術。外回し受け。

 剣士の膂力──それも最強の剣士の膂力で行われた受けは、剣を合わせられた瞬間に体ごと持っていかれる。梅雪の足が浮き、風に揉まれる木の葉も同然の頼りなさでふわりと体が宙を滑った。

 

 だが、空中は梅雪の戦場。

 

 シナツの加護。

 

 これは梅雪が最初に得た、氷邑梅雪の力。

 今まで力も速度もない道士・梅雪の戦いを支え続けたそのスキルが、空中に足場を生み出し、銀雪の受けで崩れ、飛ばされる(たい)を活かす。

 

 空を踏み、体ごとぶつかるように横薙ぎ。

 梅雪の刀が、銀雪の刀の鎬を滑るようにして、その肉体を狙う。

 

 体を左右に両断するような特殊な横薙ぎに銀雪は冷静に対応した。

 内回し受け。

 

 刀と刀が接した部分から伝わる力により、梅雪がぐるんと体ごと吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。

 どうにか両足で着地したが、(たい)は崩れ切ってしまっている──

 

 ──そこに、銀雪が押しつぶすような斬撃を加える。

 

 剣士の膂力で放たれた斬撃を、梅雪では耐えきることができない。

 

 だが、耐える必要などそもそもない。

 その力を受け止めず、回し、己の力とする。

 

 愛神光(あいしんひかり)流。

 

 それは弱者が圧倒的強者に勝つために編み出された剣術。

 膂力などない、そもそも神威がほぼない女が、大陸中で『剣聖』ともてはやされる理由たる術理が、梅雪の死んだ(たい)を流れ、にゅるりと蛇のように銀雪の振り下ろしから逃れさせた。

 

 銀雪の防御は厚く、攻撃は隙がなく苛烈だった。

 

 梅雪は持てる全てを出して、銀雪に剣を届かせんとする。

 

 速度はあった。だが、時間はなぜだか、ゆったりと流れているようだった。

 誰もが、親子の斬り合いを見ていた。この上なく苛烈なのに、どこか睦み合うような殺し合いだった。

 目で捉えきれぬ者もいた。けれど、感じられるものは、見える者も、見えない者も、みな同じだった。

 

 当事者の親子は──

 

 ──子は、何かを思う余裕は、なかった。

 すべてを出している。この人生で得たすべてを。

 だのに、父の突き出した剣の長さ、その先に行けない。せいぜい長く見積もっても腕と合わせて二メートルほどしかない、父の『円錐』。これがまったく抜ける気配がない。まるで、巨大な断崖絶壁を上るかのようだった。

 しかもその断崖絶壁は凍り付いており、ところどころから身を貫くような冷気が噴きだす。

 あまりにも、あまりにも、あまりにも……

 

 ……楽しかった。

 

 すべてを出し尽くせる。それでもなお及ばない。

 それは梅雪が好んだものだった。もちろん、その果ての勝利こそが至上の喜びであるのは間違いない。だが、壁を前に試行錯誤をするこの時間もまた、梅雪にとって幸福なものだった。

 

 何より。

 

 あの父が。

 放任していた、あの父が。関わろうとしなかった、あの父が。優しかっただけの、あの父が。梅雪を傷つけることを絶対に許さない、あの父が──

 

 ──全力で、相対してくれている。

 

 報われた。まだ倒してもいないのに、満たされている。

 努力は無駄ではなかった。人生は無駄ではなかった。生きていてよかった。……たとえ負けても、この時の喜びが胸にあれば、きっと一生、それを宝物にして生きていける。そう思えた。

 

 父は──

 

 ──穏やかに微笑んでいる。

 だが、目に涙が溜まりかけている。

 嬉しいのだろう。誇らしいのだろう。その目は雄弁だった。かつての何も読み取れない父ではなかった。ずいぶん、感情的になった。……安心して、我が子に感情を見せるようになった。

 

(……ああ、終わるのか)

 

 梅雪は斬り合いの中で、ようやくそんなことを思った。

 幾度もトライし、幾度もさばかれ、幾度も一歩間違えば死ぬような反撃を喰らっている。

 

 父の突き出した剣。それが形成する『円錐』を抜けない。氷邑一刀流、愛神光流、シナツの加護。そしてこれまでに得たすべて。それを尽くしてもまったく抜けない。あまりにも高すぎる壁。

 

 だが、梅雪は終わりを予感した。

 

(終わってしまうのか)

 

 これまで見ていても見切れなかったものが見える。

 至上の喜びと幸福が、梅雪を一種のゾーンへと導いていた。

 最後と誓った『子供のわがまま』を精一杯楽しむべく、梅雪の集中力が限界を超えていた。

 

 父の動きを、優れた梅雪の目が読み始める。

 読みは修正され、少しずつ少しずつ、梅雪と父との間合いが近付く。

 

 互いに、剣の切っ先が相手の体に引っかかる間合いで斬り合う。

 

 互いに『円錐』の中に相手を入れないように剣を回し、打ち、突く。

 

(……終わってしまう)

 

 子供時代の終わりが近付く。

 本当に心の底から惜しいと思った。

 

 このまま負けて、また子供の冒険を続けたいと、思った。

 けれど自分自身で口に出した言葉がある。

 

 氷邑梅雪は、嘘をつかない。

 

 殺すと言えば、殺す。

 許さないと言えば、許さない。

 

 ずっと、嘘をつかないようにしてきた。自分の言葉が嘘にならないようにしてきた。それが誇りだった。発言を翻すことを嫌った。そして、翻さないために努力を重ねた。

 

(それもまた、子供の潔癖なこだわりなのだろう)

 

 大人ではない。特に、政治を司る氷邑家当主の持っていいこだわりではない。

 だから、梅雪は迷いを振り切ることができた。

 

 とびきり子供らしく、潔癖にこだわって、神経質に口に出したことを守って……

 

 最強になる。

 

 梅雪は、半歩踏み込んだ。

 

 父は受けが間に合わないと踏み、剣を突き出した。

 

 梅雪の剣もまた、父の喉に向けて突き出された。

 

 父の剣の方が、速かった。

 

 梅雪の喉に剣が触れる。

 だから、梅雪は笑った。

 

 喉に触れた切っ先の力を受けず、流し、体ごと横に回る。

 そうして派手に回る勢いを乗せた剣を、父の喉へと突きで返した。

 

 愛神光流、光断(ひかりだち)

 

 それは奥義にして基本である。

 その基本が、父を捉え、決着をつけた。

 

 梅雪の剣は、父の喉に触れたところで止まっている。

 

 父の動きもまた、止まっていた。

 父の切っ先は、梅雪の左肩の向こうで止まっている。

 

 決着がついていた。

 

「強くなったね、梅雪」

 

 賞賛には誇らしさがあった。それ以上に、安堵があった。

 だから、父が加減していないことを、梅雪は信じることができた。

 

 父が懺悔のように言葉を続けた。

 

「……私は、お前を殺すところだったよ。止まれなかった。最後の突きは、本当に全力だった。止める余裕など、なかった」

「……」

「だが、お前は止めた。これが、私とお前の、力の差だ。……もはや、異議を唱える者もいまい」

 

 銀雪はその場に膝をつき、銀舞志奈津を両手に乗せて、差し出す。

 

 梅雪は、差し出された銀舞志奈津を、受け取った。

 ……あまりにも、重かった。

 かつて持たせてもらったことがある。でも、その時よりも、重いように感じられた。

 

「重代宝刀銀舞志奈津、確かに受け継いだ。──これより正式に、この俺が、氷邑家の当主である」

 

 手続き上は、すでにそうだった。

 だが、今こそが、正式な襲名だということに異を唱える者は、誰もいなかった。

 

 今、確かに受け継がれたと、その場にいるすべての者が、感じた。

 

 日を負う氷邑梅雪にすべての注目が注がれていた。

 誰も、騒がなかった。

 

 代わりに目を閉じ、膝を地について、顔を伏せた。

 

 今……

 

 落ちこぼれの道士は、すべての臣民にとって、名家の当主となった。

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