悪役天才道術士の憤怒 破滅確定だった転生悪役、隠された才能で原作を蹂躙する 作:稲荷竜
東から差し込む光が、
その前に転がる少女の死体。異世界勇者
「父上」
梅雪の呼びかけに、
……その時に周囲にわずかな緊張感が漂ったが、その理由は、誰にもわからない。
親子にしか、わからない。
子が、言葉を続ける。
「
親は、着物をはだけたままのもろ肌に、汗の残滓を浮かべたまま、抜身の刀を持ち上げた。
持ち上げて──
──切っ先を、相手に向けるように、構えた。
氷邑一刀流の構え。
己の体の前に円錐があるものと仮定し、その円錐の中に相手の攻撃一切を入れぬようさばき進めば、おのずから刃が相手に突き刺さる。そういう理念によって編まれた、『盾の氷邑』の重代剣術。
見ている者からどよめきが起こる。
それは氷邑銀雪の息子への甘さを噂で知る民衆のどよめきであり、銀雪の静かな、しかし本気の気迫を感じ取った氷邑家武士団のどよめきだった。
ただ、この親子に近しい者たちは、静かだった。
事態を呑み込み切れていない
アシュリーはぐっと息を深く呑み込み、ウメを探した。
ウメはまだ、この場にいなかった。
はるが前に半歩進んだ。後ろからイバラキが、はるの肩に手を置いて首を左右に振った。
はるは唇を尖らせ、進んだ足を戻した。
梅雪は──
神威により長く、青白い刃を伸ばす。
そして、その構えは、氷邑一刀流だった。
父は穏やかに笑っていた。
「……梅雪」
「…………は」
「これよりお前は、氷邑家の当主として、その実務に励むことになるのだろう。……先ほどの宣言、胸を打たれた。『日常』に甘んじることが誰よりも苦手なお前が、ああもはっきりと、『日常』を支える側に回ると宣言した。……親として、これほど誇らしい、我が子の成長はない」
「……」
「だからこそ、お前の最後のわがままに、全身全霊で応えよう」
重大宝刀銀舞志奈津。
代々、氷邑家当主に受け継がれる刀。
それが現当主梅雪の手ではなく、前当主銀雪の手にあり続けたのは、ある約束があったからだ。
曰く──
──いつか実力で降すまで、父上がお持ち下さい。
親子の間には、その約束があった。
子供時代の終わり。
大人になるその前にやっておきたい、最後のわがまま。
父を降して、宝刀を受け継ぐ。
大人ならば、儀礼的に継げばいい。梅雪が戦い抜きで宝刀をもらい受けると述べたならば、銀雪はそれを断らない。
銀雪とて、その父・
だからこれはあくまでも、梅雪のわがままだった。
「俺は、最強になる」
「……」
「それは、父上を避けて叶う目標ではない。……『最強』。ああ、本当に──いかにも、子供っぽい。大人になる前には、手放さなければいけない願いです。だからこそ。……今、この時。父上より、宝刀と、『最強』を、受け継ぎます」
「お前はまだ子供でもいい。父はまだ、元気だからね」
「ええ。ですが、私は、私の意思で、大人になると決めました。……自分の意思も貫けずして、何が己の人生か。──氷邑銀雪。その刀、譲り受ける」
「やってみせろ、氷邑梅雪」
すでに
氷邑梅雪は、ただの道士に戻っている。
──そうでなくては、意味がない。
道士でなくては、意味がない。
他人の力で勝っては、意味がない。
この勝負だけは──
──己の力だけで勝たねば、意味が、ないのだ。
親子は見つめ合った。
周囲にはただの沈黙以上の静けさが広がっていた。
梅雪は
だから、梅雪から動いた。
日を背にする有利が
地形や陽光を利用することもまた戦いの技法の一つ。しかし氷邑梅雪はそれを『己の力』に含めなかった。
そもそも、こちらが挑戦者である。
『待つ』のは強者の立場に許される。挑戦を受ける側に許される。
剣法を磨いた者同士は後手有利。特に氷邑一刀流において、動きの起点は相手の攻撃を捌くこと。待った方が有利。だが、梅雪は進んだ。
腰あたりの高さに置き、切っ先を相手へ向けたまま、滑るように三歩の距離を一瞬で詰める。
突き。
銀雪の剣が回る。氷邑一刀流基本の受けの技術。外回し受け。
剣士の膂力──それも最強の剣士の膂力で行われた受けは、剣を合わせられた瞬間に体ごと持っていかれる。梅雪の足が浮き、風に揉まれる木の葉も同然の頼りなさでふわりと体が宙を滑った。
だが、空中は梅雪の戦場。
シナツの加護。
これは梅雪が最初に得た、氷邑梅雪の力。
今まで力も速度もない道士・梅雪の戦いを支え続けたそのスキルが、空中に足場を生み出し、銀雪の受けで崩れ、飛ばされる
空を踏み、体ごとぶつかるように横薙ぎ。
梅雪の刀が、銀雪の刀の鎬を滑るようにして、その肉体を狙う。
体を左右に両断するような特殊な横薙ぎに銀雪は冷静に対応した。
内回し受け。
刀と刀が接した部分から伝わる力により、梅雪がぐるんと体ごと吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。
どうにか両足で着地したが、
──そこに、銀雪が押しつぶすような斬撃を加える。
剣士の膂力で放たれた斬撃を、梅雪では耐えきることができない。
だが、耐える必要などそもそもない。
その力を受け止めず、回し、己の力とする。
それは弱者が圧倒的強者に勝つために編み出された剣術。
膂力などない、そもそも神威がほぼない女が、大陸中で『剣聖』ともてはやされる理由たる術理が、梅雪の死んだ
銀雪の防御は厚く、攻撃は隙がなく苛烈だった。
梅雪は持てる全てを出して、銀雪に剣を届かせんとする。
速度はあった。だが、時間はなぜだか、ゆったりと流れているようだった。
誰もが、親子の斬り合いを見ていた。この上なく苛烈なのに、どこか睦み合うような殺し合いだった。
目で捉えきれぬ者もいた。けれど、感じられるものは、見える者も、見えない者も、みな同じだった。
当事者の親子は──
──子は、何かを思う余裕は、なかった。
すべてを出している。この人生で得たすべてを。
だのに、父の突き出した剣の長さ、その先に行けない。せいぜい長く見積もっても腕と合わせて二メートルほどしかない、父の『円錐』。これがまったく抜ける気配がない。まるで、巨大な断崖絶壁を上るかのようだった。
しかもその断崖絶壁は凍り付いており、ところどころから身を貫くような冷気が噴きだす。
あまりにも、あまりにも、あまりにも……
……楽しかった。
すべてを出し尽くせる。それでもなお及ばない。
それは梅雪が好んだものだった。もちろん、その果ての勝利こそが至上の喜びであるのは間違いない。だが、壁を前に試行錯誤をするこの時間もまた、梅雪にとって幸福なものだった。
何より。
あの父が。
放任していた、あの父が。関わろうとしなかった、あの父が。優しかっただけの、あの父が。梅雪を傷つけることを絶対に許さない、あの父が──
──全力で、相対してくれている。
報われた。まだ倒してもいないのに、満たされている。
努力は無駄ではなかった。人生は無駄ではなかった。生きていてよかった。……たとえ負けても、この時の喜びが胸にあれば、きっと一生、それを宝物にして生きていける。そう思えた。
父は──
──穏やかに微笑んでいる。
だが、目に涙が溜まりかけている。
嬉しいのだろう。誇らしいのだろう。その目は雄弁だった。かつての何も読み取れない父ではなかった。ずいぶん、感情的になった。……安心して、我が子に感情を見せるようになった。
(……ああ、終わるのか)
梅雪は斬り合いの中で、ようやくそんなことを思った。
幾度もトライし、幾度もさばかれ、幾度も一歩間違えば死ぬような反撃を喰らっている。
父の突き出した剣。それが形成する『円錐』を抜けない。氷邑一刀流、愛神光流、シナツの加護。そしてこれまでに得たすべて。それを尽くしてもまったく抜けない。あまりにも高すぎる壁。
だが、梅雪は終わりを予感した。
(終わってしまうのか)
これまで見ていても見切れなかったものが見える。
至上の喜びと幸福が、梅雪を一種のゾーンへと導いていた。
最後と誓った『子供のわがまま』を精一杯楽しむべく、梅雪の集中力が限界を超えていた。
父の動きを、優れた梅雪の目が読み始める。
読みは修正され、少しずつ少しずつ、梅雪と父との間合いが近付く。
互いに、剣の切っ先が相手の体に引っかかる間合いで斬り合う。
互いに『円錐』の中に相手を入れないように剣を回し、打ち、突く。
(……終わってしまう)
子供時代の終わりが近付く。
本当に心の底から惜しいと思った。
このまま負けて、また子供の冒険を続けたいと、思った。
けれど自分自身で口に出した言葉がある。
氷邑梅雪は、嘘をつかない。
殺すと言えば、殺す。
許さないと言えば、許さない。
ずっと、嘘をつかないようにしてきた。自分の言葉が嘘にならないようにしてきた。それが誇りだった。発言を翻すことを嫌った。そして、翻さないために努力を重ねた。
(それもまた、子供の潔癖なこだわりなのだろう)
大人ではない。特に、政治を司る氷邑家当主の持っていいこだわりではない。
だから、梅雪は迷いを振り切ることができた。
とびきり子供らしく、潔癖にこだわって、神経質に口に出したことを守って……
最強になる。
梅雪は、半歩踏み込んだ。
父は受けが間に合わないと踏み、剣を突き出した。
梅雪の剣もまた、父の喉に向けて突き出された。
父の剣の方が、速かった。
梅雪の喉に剣が触れる。
だから、梅雪は笑った。
喉に触れた切っ先の力を受けず、流し、体ごと横に回る。
そうして派手に回る勢いを乗せた剣を、父の喉へと突きで返した。
愛神光流、
それは奥義にして基本である。
その基本が、父を捉え、決着をつけた。
梅雪の剣は、父の喉に触れたところで止まっている。
父の動きもまた、止まっていた。
父の切っ先は、梅雪の左肩の向こうで止まっている。
決着がついていた。
「強くなったね、梅雪」
賞賛には誇らしさがあった。それ以上に、安堵があった。
だから、父が加減していないことを、梅雪は信じることができた。
父が懺悔のように言葉を続けた。
「……私は、お前を殺すところだったよ。止まれなかった。最後の突きは、本当に全力だった。止める余裕など、なかった」
「……」
「だが、お前は止めた。これが、私とお前の、力の差だ。……もはや、異議を唱える者もいまい」
銀雪はその場に膝をつき、銀舞志奈津を両手に乗せて、差し出す。
梅雪は、差し出された銀舞志奈津を、受け取った。
……あまりにも、重かった。
かつて持たせてもらったことがある。でも、その時よりも、重いように感じられた。
「重代宝刀銀舞志奈津、確かに受け継いだ。──これより正式に、この俺が、氷邑家の当主である」
手続き上は、すでにそうだった。
だが、今こそが、正式な襲名だということに異を唱える者は、誰もいなかった。
今、確かに受け継がれたと、その場にいるすべての者が、感じた。
日を負う氷邑梅雪にすべての注目が注がれていた。
誰も、騒がなかった。
代わりに目を閉じ、膝を地について、顔を伏せた。
今……
落ちこぼれの道士は、すべての臣民にとって、名家の当主となった。