悪役天才道術士の憤怒 破滅確定だった転生悪役、隠された才能で原作を蹂躙する 作:稲荷竜
「ちょっと
とはいえ
氷邑奈津と七星牛太郎は、結婚を誓い合った幼馴染だ。
奈津の方は『お父様に強制されるのが気に食わない』と反発を見せているものの、『でも、牛が嫌いなわけじゃない』という切り分けもできている。
多くの人は知らないが、氷邑奈津は世間に言われるほど利かん坊でもないのだ。というより、世間は奈津の気性を利かん坊だと思いたがっているように、牛からは感じられた。
恐らく、『ああ、やはり、梅雪殿の子だ』という言葉が答えなのだろう。
氷邑梅雪。奈津の父親。
牛太郎にとっては将来の義父であり、関係性としては『もう一人の父』と呼んでしまってもいいぐらい親しませていただいているお方である。
牛からしてみると冷静で頭がよく、領土を治めること三国(帝都、七星領、氷邑領を指してこう呼ぶ)に名を馳せ、帝に招かれ国家戦略についても論じることがあるほどの
が、どうにも、牛らが知らない時代、かなり荒れていたらしい。
父・
実直で嘘がつけない父なりの精一杯の嘘だが、それはもうほぼ答えだった。
ようするに氷邑梅雪、過去、かなり荒れていた。
そしてその気性が奈津に受け継がれているものと、大人たちは思いたがっているようだ。
牛は体が同世代と比べても二回りも大きく、無口で、普段から常ににこにこしているので、頭の方が鈍く、人の感情の機微を感じ取れないと思われている。
だが実際には、あの氷邑奈津の手綱を握れるぐらいに、頭脳の方も感情の機微を感じ取る力の方も敏い。
特に奈津とはまさしく兄妹のように──と言うと『私の方が産まれが早い』と奈津は猛烈に怒るのだが──育ったので、奈津の言いたいことならば、だいたい、言葉の裏にあるものを読むことができる。
(要するに、梅雪様に呼び出されて嬉しいのか)
氷邑邸である。
将来、夫婦になるべく育てられた牛太郎と奈津は、かなりの頻度で氷邑邸に泊まったり、七星侍大将屋敷に泊まったりする。
今回もまたそういった『いつものお泊り』で、今は牛太郎が氷邑邸に来ているところだった。
もちろん十歳の男女なので部屋は分けられているのだが、奈津にそのあたりの制限はなんの意味もないどころか、制限をされればされるほど反発したがるのが奈津なので、こうして牛太郎の部屋に夜討ちに来ることはもう、誰にも止められなかった。
布団に寝転がっていた牛太郎の部屋にスパァン! と襖を開けて入ると、奈津は真っ直ぐに牛太郎の布団に駆け寄って、潜り込み、牛太郎の胸を拳でドンと一回叩いた。
遠慮も容赦もあるが奈津は優れた剣士である。牛太郎でなければ胸郭陥没、といった威力であった。
「お父様の野郎」
氷邑奈津は見た目だけなら銀髪碧眼、さらさらと長い髪の、あどけなさの中に神秘性まで宿した、非の打ちどころのない美少女であった。
だが口は悪い。
「普段は仕事だなんだって言って
(これはかなり嬉しくて、当日何着ていこうかとか、そういうことを悩んでるんだな)
牛太郎は奈津の内心を読み取る。完璧な読心だった。
だがこれを口にすると奈津という少女がへそを曲げることもわかっているので、この素直でない幼馴染の話をまずは黙って聞くことにした。
余談だが、奈津は感情を制御しないので、こうして普通に話しているだけでも、父譲りの莫大な神威が漏れ出ている。
それはとてつもない威圧効果となって他者に圧迫感を与えるので、これの前でにこにこしたまま『黙って話を聞く』という選択をとれる平常心の持ち主は、クサナギ大陸に五人といないだろう。
自分が途轍もなく偉大なことをしているのだという自覚はあまりないまま、牛太郎は幼馴染の背中をよしよしと撫でてやりながら話を聞き続ける。
「牛、お前も来なさい。明日の朝よ。いいわね」
牛太郎も十歳の子供なので、たまに『いいわね』と言われた時に『悪いけど』と答えたらどうなるんだろうなとイタズラ心がわくこともあった。
そしてそれに任せてみた今より幼い時分、相当酷い目に(主に牛太郎以外、奈津の弟・正雪を中心に)遭ったことがあるので、今はそう思っても、とりあえず『わかった』と答えることにしている。
(というかたぶん、梅雪様は、僕が一緒に行くことも想定してるんだろうな……)
奈津という少女は癇癪持ちでどこに逆鱗があるか読めないと評判だが、氷邑梅雪はその奈津の行動をほぼ完璧に制御していた。
奈津の癇癪があまり問題にならないのは、そばに牛太郎がいるからだ──なんていうことも言われるが、牛太郎視点だと、梅雪が『こう入力したら、こう出力される』というのを完璧に把握して、奈津の行動を制御しているからだと思えてならなかった。
氷邑梅雪は、理知によって人を読み、行動を操るところがある。
世間では梅雪は放任な父親だと言われているが、彼は恐らく完璧に『子供たち』というものをコントロールしていた。すべての人間に、どう入力すればどう出力されるかというマニュアルを作っており、それに沿うような入力をし続け、統制している。
(梅雪様、ちょっと苦手なんだよな)
感情という変数さえもコントロールし続ける策謀家、というのが、この平和なクサナギ大陸における、牛太郎から氷邑梅雪への評価だった。
とはいえ自分や奈津へ注がれる愛情も偽物というわけではないのがわかるので、『考えが深すぎて何もかも制御している感じが苦手だけれど、嫌いではない』というのが、牛太郎から梅雪への印象になる。
「だいたいお父様は何を考えてるかわかんなくてムカつくのよ。はるおばさまや
「ええと、七星家当主候補であった織様をそんなふうに言われると、僕も何か言わなきゃならないんだけれど」
「家の話!? 私といる時に家の話しないでって言ったでしょ!?」
「君が始めた話だろ」
「私はいいのよ! だいたい、どうして私の両親は二人とも黒幕っぽいの!?
「それは普通に梅雪様の顔が好きなだけだと思うよ」
「いくら顔が好きでも一日中見つめてニコニコしてることなんかあり得ないでしょ!?」
あり得ない人なんだと思うよ、と牛太郎は言いかけたが、帝の妹にして氷邑家筆頭奥方に対してそこまで無礼なことを言わないだけの社会性が彼にはあった。
かくのごとく牛太郎の周囲には厄介な女性・男性が多い──特に女性が多い──ので、自然と振る舞いは大人びたものになり、奈津と同い年だが、体が大きいのもあって、年上に思われることが大体だ。
牛太郎としてはたまに氷邑家に来て食事などして特に何かをするわけでもなく帰っていくサトコという女性の方が読めなくて怖いのだが、奈津の視点だと実母と父が恐怖、畏敬、敬愛など、様々な感情を引き起こす対象らしい。
織も織で読めないところがあるとも思う。あの人は確かに感情が顔に出やすいのだが、そこも含めてもっと高い視点から自分を見つめ、コントロールしているように思われるのは、決して牛太郎の考えすぎということでもないだろう。
奈津と牛太郎はやはり、何もかもが違う。
違うから、うまくいっているのだと思う。
奈津は牛太郎の胸の中でぎゃあぎゃあと色々なことをわめいていた。
でも、彼女は言葉の中に本音が入らない人だ。
牛太郎は言葉を聞いていた。でも、その神経は言葉よりむしろ、視線の動きや表情の変化、声の抑揚の方に注がれている。
奈津の話を聞く時に、話を聞いても意味はない。言葉の裏にあるものが奈津の意思であり、そして、その意思は、絶対に言葉には表れない。
だから牛太郎は、奈津が言葉を途切れさせたタイミングで、口を開いた。
「大丈夫。怖がらなくていい。僕もついていく。きっと、大事な話だろうけど、悪いようにはならないよ。お
奈津は唇をとがらせた。
綺麗な女の子だった。同い年だけれど、ずっと幼く見える。
奈津は十歳という実年齢よりも、心が幼い女の子だ。
それは氷邑梅雪が彼女を掌の上で転がしてきたからだと、牛太郎は思っている。
あの人が自由にさせているようで、すべてを差配しているのを、牛太郎は感じている。奈津もまた、感じているだろう。だから、彼女は折れてしまっているのだ。自分がどんなにトンチキなことをやっても、すべては父の制御下で、それはこの先の人生全部そうなのだろうと、自分の人生の『範囲』を感じて、閉塞の中で膝を抱えてしまっている。
牛太郎は良くしてくれる梅雪のことを嫌ってはいないが、あのすべてを差配する底知れない感じは苦手としている。
奈津は呼び出された時の従者の口ぶりからきっと、梅雪が何か大切な話をするものと察して、こうして、自分のところに来たのだと牛太郎は理解している。
彼女を支えることを、牛太郎は使命だと思っていた。
それは親や環境が『そうせよ』と設定されているからではなく、牛太郎自身が、もしも奈津とこのように幼馴染としての交流を許される立場でなくとも選び取ったであろう使命だと、感じている。
奈津が『家の話をしないで』と言うのは、彼女が怖がりだからだ。
牛太郎との関係が『家』の決めたものであり、『家』がある日意見を翻せば、牛太郎が自分のもとから去るのではないかと思っている。
だから家の話はされたくない。……それは、奈津にとってどうしようもないものなのだ。父の掌の上で転がされるだけの奈津にとって、家というのは父・梅雪である。その支配に見えない支配をうっすらと感じ、その支配から抜け出す可能性を人生に見いだせていない奈津は、『家』という言葉に過敏に反応する。そして、牛太郎の言動に、『家』が関係ないことを、何度も何度も確かめようとする。
名家の長男および、長女。
二人が産まれるよりずっとずっと前に帝都の騒乱を収め、
英雄の名は歴史の中に刻まれ、教科書の一文となった。
だが、その近くにいる者には、『どうしようもない、超えられない、掌の上から出られない相手』という、あまりにも巨大な影として感じられる。
夜半、牛太郎と奈津は抱き合うように眠りに就いた。
まだ己を待ち受ける運命を知らず、運命という言葉を『家』とほぼ同義だと思っている少年と少女の、最後の夜だった。