悪役天才道術士の憤怒 破滅確定だった転生悪役、隠された才能で原作を蹂躙する 作:稲荷竜
「刀を持ちなさい。真剣でいい」
朝──
そうして、奈津は刀を持たされた。
何をするかは、明らかだ。
氷邑一刀流の指南──
「私に斬りかかりなさい。場合によっては死ぬかもしれない。死ぬ前に、私に一撃入れられたならば、合格としよう」
──では、なかった。
「なんの、試験ですか」
奈津は弱みを見せず、父親をにらみつけていた。
氷邑梅雪。
牛太郎は、奈津の後ろに立ってその男を見ている。
穏やかだった。底知れなかった。息を呑むほど、美しかった。
長く伸ばした銀髪。澄んだ湖面のような碧眼。体は細い。だが、肥大していない筋肉がついている。
神威量。
底がまったく見えない。
だが、道士なのだ。
剣士、道士、騎兵。このクサナギ大陸には『才能の型』がある。
その中で最も優れているのは剣士だ。神威で己の肉体を強化できるその『才能の型』は、ほとんどの武家において当主たるために必須とされている。
奈津は優れた剣士だ。神威量を父から譲り受け、それを肉体強化に回せる。
神威を込めた膂力で言えば、クサナギ大陸の中でもすでに上位少数グループの中に属するだろう。単純な力比べだけであれば、牛太郎の父・七星
その力で振られた剣は、剣の振り方を知らずとも、集団を束で薙ぎ払うことが可能。
剣士と剣士ならば競り合うことも可能だろう。だが、道士が奈津の腕力を前にした場合、その存在の儚さは猫に破られる障子紙となんら変わらない。
しかし目の前に立つ『障子紙』、まったく破れる未来が見えない。
本気だった。
気圧されてしまうほど、殺意がたぎっていた。
持っているのは木剣だ。だが、右手に大刀、左手に小刀という二刀流。やや前傾にも見える立ち姿が武的にあまりにも美しかった。ヒトが本来あるべきはああいう立ち方であると、見ているだけで思い知らされる。極限まで機能的なものに宿る美がそこにある。
口から紡がれる声さえも、静かで、穏やかで、美しい。
「奈津、お前に生きる資格があるかを問う。これは、その試験だ」
「……………………」
「父に勝利せよ」
袴。
牛太郎は、梅雪のはく袴が気になった。
膝の動きが見えない。それがとても嫌だった。……牛太郎の意識が『実戦』に引き上げられ、自分を愛してくれた梅雪という存在が『敵』へと変化しているのを、感じ取る。
「説明をしてください」
奈津は食い下がった。
梅雪は何も答えなかった。
そして、いつの間にか動いていた。
道士は身体強化ができない。
だが、梅雪の動きは見えない。速度ではなかった。ふらりと倒れ込むように進み、するりと氷上でも滑るかのように、砂利の敷かれた中庭を歩む。
ただの一歩にしか見えない動きで、五歩ある距離を潰し、奈津の側面へ回り込む。
そして振られた剣は、奈津の首の後ろを叩き、少女を砂利の上へ叩きつけた。
真剣であれば、死んでいた。
……木剣であっても、奈津が優れた剣士でなければ、死んでいた。
氷邑梅雪は、完全に、娘を殺す気だった。
「奈津、選択を間違えるな」
「………………」
「選び取れる動きは他にもあったはずだ。生き残る道を見据え、選べ。父がどうにか殺さないでいてやれる回数にも限度がある」
牛太郎は、理解した。
『選択肢』だ。
奈津は『選択肢が見える』と言っていた。それを牛太郎は、父・彦一に報告した。
そして、父が梅雪に報告したのだろう。
氷邑梅雪にとって、奈津の『選択肢が見える』という発言は、何かとてつもないものであったのだ。
そのせいで、梅雪は奈津を追い込んでいる。……殺そうとしている。
牛太郎は半歩、前に進んだ。
その足先に、氷の壁がせりあがった。
使った様子さえ見えない。視線さえ、向けられていない。
だが、これは紛れもなく、道士・氷邑梅雪の道術だった。
「牛太郎、そこで見ていろ」
──実力差。
あまりにも圧倒的で、笑いさえ零れてしまう。
氷邑梅雪は、最強だった。
牛太郎は、目の前の氷の壁に触れた。
触れた掌がそのまま凍り付きそうだった。冷たい。硬い。この壁はまさしく、自分や奈津を包む、『氷邑梅雪による支配』そのものだった。
どうやっても破れない壁。『家』『環境』『親』──『伝説』『伝統』。あるいは、『運命』。
奈津の前にも、牛太郎の前にも、ずっとずっとこれがあった。自分たちの暮らす場所はクサナギ大陸という名の場所ではなく、氷邑梅雪により創られた箱庭だった。人生の閉塞に気付いたのは八歳のころだ。そんなにも早くから、自分には届かない、見ているだけしかできない場所があると、思い知らされていた。
最強の男、氷邑梅雪。
その男が、倒れ、混乱し、恐怖する娘に対し「立て」と迫っている。
立ち上がった奈津は剣を構えた。だが、構えただけだった。
梅雪が滑るように動き、奈津へ向けて剣を振る。
奇妙な剣だった。
途中まで確実に殺すつもりで振られていた。だが、当たる瞬間に、殺さない意思が強く込められているように見えた。
奈津は『選択肢』を今も見ているのだろうか? 牛太郎から、奈津がどのように『選択肢』を見ているかはわからない。だが、命が危ない時に見えたと言っていた。ならば、今も見えているのだろうか。
「奈津、間違えるな。選べ。生き残れる選択肢を選べ。生き残る道を直観的にでも、理知的にでも、選び取れ。生きろ、奈津。生きる道以外はすべて、
奈津は目に力を込めた。
「ああああああ!」
気合一声、梅雪に斬りかかる。
だがそれは虚勢だった。
剣は梅雪の肩に触れる。明らかにわざと、肩で迎え入れた。
道士の肉体で剣士の一撃を喰らえば死ぬ。だが梅雪は剣を受けた瞬間にそれに押されるように体を回し、奈津の腹部を横から叩く。
奈津は信じられない距離を吹き飛ばされて、屋敷の床に横から叩きつけられた。
真剣に確かに触れられた梅雪の肩は、服にさえもなんの損傷もなく、奈津の剣の勢いがそのまま、奈津に返された。
「生き残る選択をできねば、死するのみだ」
氷邑梅雪は道士である。
そして達人である。
あまりにも高すぎる、分厚い壁である。
何かをしようとしているのは、わかった。
それが奈津のためであるのも、牛太郎にはわかった。
自分が介入してはいけないことであるのも、わかった。
わかった上で、牛太郎は、目の前にある氷の壁を殴りつけた。
父譲りの剣士の才覚と、年齢不相応な大きな体。
そして痛めつけられる奈津の姿を見せられた怒りが、天才道士・氷邑梅雪の氷の壁にヒビを入れる。
「牛太郎」
梅雪の言葉は諫めるようだった。
「牛太郎……」
奈津の目はすがるようだった。
牛太郎の顔から、いつものにこにこした笑顔は消えている。
「氷邑梅雪様に申し上げます」
「……許す」
「何かをなさろうとしていること、重々に承知しております。それが恐らく、奈津のためであることも、理解はしております。それでも……それでも、今のあなたの行いは、看過しがたい」
「……」
「奈津をいじめないでください」
「奈津は、『選択』を誤ってはならぬのだ。私以外の者の前で選択を誤れば、すなわち死する。ゆえに、私の前で、生き残る道を選ばねばならん。これはそのための、試験である」
「何かあるのはわかるって言ってるでしょう」
「……」
「その上で、それでも。あなたがどんなに正しくても──奈津をいじめるなって言ってるんだよ」
「であれば」
氷邑梅雪の目が、牛太郎を向いた。
あまりにも、冷たかった。視線だけで、肺が凍り付きそうだった。
「七星牛太郎に問う。……私はどうすれば、奈津を生かせる? これから先、この子が……私のいないところでこの子が、死する『選択肢』を選ばないよう、どうしたらいい? 私はどうしたら……お前たち『未来』に、すべてを託す勇気を得られる?」
冷たい。威圧的。肺が凍りそう。怖い。殺される。助けて。
様々な感情が牛太郎の心にのしかかる。
だが、同時に……
氷邑梅雪もまた、救いを求めているのが、わかってしまった。
あの人は奈津に愛情を持っている。
それも、人が窺い知れないほどの深い愛情だ。
その上で、『何か』から奈津を守ろうとしている。
氷邑梅雪は最強だ。
そして恐らく、情が深い。
だから奈津を守ってしまう。……支配に見えない支配。『こう入力したらこう出力される』というのを見切りきった子供たちへの扱い。
それは、氷邑梅雪の恐怖の裏返しなのだ。彼は、我が子が危機に陥ることを許せない。危機に触れさせないだけの力があるがゆえに、許せないのだ。もし、自分が手綱を緩めて、我が子らが死してしまえば、きっと、耐えられない。自分を責める。そのことを知っている。
だから奈津を試している。
牛太郎は言葉にならないものを読み取る力を鍛えすぎていた。
それは奈津と歩んだ人生のせいだった。
「お答えしましょう、氷邑梅雪様。……僕がいる」
「……」
「奈津の命の責任は、僕が負う」
「家の責務ゆえにか」
「違う。僕が奈津を好きだからだ」
「……」
「どうやっても破れない壁。『家』『環境』『親』──『伝説』『伝統』。あるいは、『運命』。最強の男、氷邑梅雪。……僕はあなたよりずっと頼りない。でも、あなたより奈津のことが好きだ。家もあなたも関係ない。あなたは最強らしいけれど、どんなに強くっても、どんなに賢くっても、操れないものはある。僕の奈津に対する気持ちは、あなたとは一切合切無関係に、僕の内側から出たものだ」
「……」
「家が僕と奈津を近付けなくても、僕は奈津を好きになった。好きな相手の命に責任を負う。それだけの話だ」
「だが、お前はまだ、自分以外を守り切れるほど強くはない」
「そうです。でも、僕の誓い信じてくれるなら、奈津だけを試すのは不公平でしょう。──僕も試せよ。僕も混ぜろ。奈津が生きる選択肢を選ばせようとするんなら、僕がその選択肢に奈津を誘導する」
しばし、沈黙があった。
ひび割れた氷の壁が、梅雪と牛太郎の間にはある。
その壁の向こうで、梅雪が笑った──ような、気がした。
あるいは、それは、ひび割れた壁が歪ませた、虚像だったのかもしれない。
「なるほど、七星牛太郎、見事である」
声から静けさが消えた気がした。
まだ穏やかだった。けれど、中にある強い感情が、ほんの少し、言葉に滲んでいる。
「しかし牛太郎。なるほど、お前は奈津を好きだから、奈津の命に責任を負いたい。実力がなくとも、奈津を試すなら、奈津に責任を負う自分も試すべきだと言う」
「ちょっとお父様! 簡便に整理しないでよ!」
奈津が顔を真っ赤にしていた。
梅雪はそちらを見ない。
牛太郎を見ている。……その視線には、息子同然の者を見る以外の感情があった。
「しかし牛太郎、今、お前の宣言を受けたことで、俺の中に別な問題が発生したぞ」
「……それは、一体?」
「お前のことは奈津の婚約者と見込んでいる。その目に間違いはなかった。だが──まだ娘は渡さん」
「………………はい?」
「俺の奈津を娶りたくば、この俺を倒してからにしろ、餓鬼ィ!」
氷邑梅雪が変わっていた。変わり果てていた。成れ果てていた、と言ってしまってもいいかもしれなかった。
これまでの冷静でどこか儚げな様子はどこへやら。『帝にも国政の相談をされる大策謀家』にして『比類なき武功の数々を持つ伝説の武人』、そして『氷邑家のすべてを差配する理知的な政治家』──氷邑梅雪を語る言葉は数多い。
だが、今の梅雪の様子は、牛太郎の知るどれにも当てはまらない。
これは──
──これは、まるで。
(……娘かわいさから娘の嫁入りを頑固に認めない父親そのものだこれ!)
そして恐らくこれが、父・彦一が語ることのなかった『昔の梅雪』なのだろうと牛太郎は思った。
氷の壁が砕ける。
氷邑梅雪が突撃してくる。
「牛!」
奈津が刀を牛太郎に投げた。
受け取りざま、梅雪の剣を受ける。
腕力任せの攻撃だ。剣士の才覚を持つ牛太郎ならば、道士の梅雪の『ただの物理攻撃』に対処することは難しくない。
だが相手は氷邑梅雪。鍔迫り合いになりかけたところで不可思議な力を加えられ、牛太郎の体が腰から地面に落とされる。
そもそも木剣を思い切り真剣に叩きつけて斬れないのだから、勢い任せに見えて始めから精緻な技術が使われていたのだろう。
「く、この人、キレながら技を使ってくる……!」
「手は抜いてやる。二人がかりでこの俺に一撃入れてみせろ!」
殺し合いの空気で始まった試験は、いつの間にか指導の空気を漂わせ始めた。
刀をもう一つ持って来た奈津が加わり、二人がかりで氷邑梅雪に打ちかかる。
氷邑一刀流と愛神光流を実戦の中で使い続けた氷邑梅雪は、道術を使わなくとも、依然として高い壁であり続けた。
だが。
閉塞感は、なかった。
この分厚く高い壁は確かにまだまだ、今の奈津と牛太郎では壊せない。
しかしこの壁には温度があることがわかった。それだけで、世界が広がったような気がした。
……結局、牛太郎も奈津も、梅雪に一撃たりとも入れることができなかった。
けれど──
「奈津」
昼頃まで打ち合って、牛太郎も奈津も地面に倒れて動けなくなるまで疲弊させられたころ、氷邑梅雪は息も乱さず立ち去るその背中で語る。
「好きに生きろ。お前はまだ頼りない。牛太郎もまだまだ頼りない。だが──二人なら、半人前と認めてやろう」
去っていく梅雪。
入れ替わりに侍従たちが来て倒れた奈津と牛太郎を抱き起こす。
奈津と牛太郎は自力で立つこともできない状態で見つめ合い、笑った。
「……試験は合格っていうことかな?」
「クソお父様、いつか倒すから」
牛太郎は『わかっているよ』と笑った。
奈津はやっぱり、父親のことが好きらしい。
牛太郎の目標は、あの父親よりも、奈津に好きになってもらうこと、みたいだった。