異世界で目を覚ましたら、言葉が通じないエルフと2人きりでした。しかもお互い別の世界から来たとか、聞いてない 作:飯テロ大魔神
朝、火はすでに消えていた。
燃え残った灰が地面をうっすらと染め、微かな煙の匂いが鼻腔をかすめる。
風のない森は静かで、夜の名残がまだ薄暗さを引きずっている。
私は、昨日と同じように、彼女の姿を探した。
少し離れた場所に、いた。
背を向けて、森の奥をじっと見つめている。
――あの背中が、逃げるでもなく、こちらに背を向けるでもなく、ただ“そこにいる”だけで、
どこか安心する自分がいた。
昨日は、奇妙な一日だった。
話は通じない。価値観も共有できない。
それでも、同じ水を飲み、同じ実を食べ、同じ焚き火を囲んだ。
ただそれだけのことが、妙に満ち足りていた。
……満ち足りていた、などと言えるほど、
自分は“誰かと何かを共にする”ことに飢えていたのかもしれない。
彼女がこちらに一瞥を向けた。
それはまるで、「来るのか?」とでも言いたげな視線だった。
私は、頷いたつもりで彼女の後を追う。
彼女はまた、迷いなく歩いていた。
地形や方角を見ているようには見えない。
けれど、どこか“感じている”ような歩き方だった。
私は彼女の視線や足取りの微細な変化を追いながら、
なるべく邪魔にならない距離を保つよう心がけた。
しばらくして、小さな流れのある場所に出た。
昨日と同じような湧き水。
それとも、あの源流に繋がっているのかもしれない。
彼女はためらいなく近づき、掌をかざして周囲の気配を確かめる。
それが“何かを探知している”行為であることは、もう見ていれば分かった。
毒性の有無、水の流れ、魔力的な何か。
理屈は分からないが、彼女の反応から“安全だ”ということは察せられる。
私は、彼女の動きを真似るように、水に手を伸ばした。
冷たく、澄んでいて、まるで硬水のようなきらめきが舌の上を滑る。
彼女の行動を“真似ている”という自覚はある。
だが、それは“依存”ではない――と、思いたかった。
自分も、何かを成したい。
彼女に守られているだけの存在ではなく、
彼女にとっての、何かの“役に立つ”存在でありたい。
そう思うのは、果たして傲慢なのだろうか。
それとも、ただの焦燥か。
その後、彼女が斜面に生えた枝を拾い、手に取っているのを見た。
何をするのか分からないが、それが“道具”である可能性に思い至る。
……杖?
もしくは武器としての代用品か。
いや、もしかすると魔力を媒介する何か?
“知っているようで、何も知らない”という実感が、また背筋を冷やす。
私は、森の中の他のものにも注意を払うようにした。
地面に生えたキノコは避けた。
虫がまったく寄っていない実は、どんなに見た目が美しくても触れなかった。
昨日とは違う種類の葉を食べようとしていた彼女に対しては、指を立てて小さく首を振った。
伝わらなかったかもしれない。けれど、少なくとも“何かを伝えようとしている”ことは、届いた気がした。
彼女の赤い瞳が、ほんのわずかだけ丸くなったように見えたのは――気のせい、かもしれない。
そうしてまた、夜が近づいてくる。
夕暮れの色が森を沈め、風が少しずつ冷たくなる。
彼女は、昨日と同じように火を起こした。
小さな声で呟くような、歌うような――
あれは、術式なのだろう。
そして、火が灯る。
私はまた、彼女から少し距離をとった場所に腰を下ろす。
同じ空間にいて、同じ時間を過ごしているのに、会話はない。
意思の疎通もできない。
それなのに――不思議と、寂しさはなかった。
……この距離感。
不思議な居心地の良さが、そこにはあった。
“誰かと一緒にいる”という感覚に、
こんなにも救われるとは思っていなかった。
火が、枝を焦がす音を立てている。
彼女の白銀の髪が、ゆらゆらと赤く染まりながら揺れていた。
ふと、思う。
彼女は、何を考えているのだろう。
この世界に来た理由は?
自分の存在を、どう見ているのだろうか。
……いや、まだそこまで考えるには、早すぎるか。
私は、肩をすくめ、空を見上げた。
夜が来る。
今日もまた、言葉のないまま、一日が終わる。
それでもいい。
少しずつ、少しずつでいい。
この距離を、心地よいものに育てていけるのなら――。
──これは、
沈黙の中で紡がれる、名前も知らないふたりの旅の記録。