異世界で目を覚ましたら、言葉が通じないエルフと2人きりでした。しかもお互い別の世界から来たとか、聞いてない 作:飯テロ大魔神
あれから何日経ったか、、
今日も空は淡い。
青とは言えない、けれど濁ってもいない。
この世界の空は、まだ“感情”を持っていないような、そんな印象がある。
木々を抜ける風の音。
それを邪魔するように、自分の足音が土を鳴らす。
言葉のない日々にも、少しずつ“リズム”のようなものが生まれてきた気がする。
彼女の歩幅や、視線の向け方。
それに合わせて、自然と自分の身体が動くようになってきていた。
どちらが先を歩くかは、その日によって変わる。
彼女が前に出れば、自分はついていく。
自分が先に動き出せば、彼女は一定の距離を保って後ろを歩く。
それだけで、何かが通じているような気さえしていた。
森を歩いて、どれくらい経っただろうか。
ふと、視界が開けた。
ゆるやかな丘の中腹。
そこに、一本だけぽつんと生えている木があった。
その枝に――赤い実がぶら下がっていた。
「……まさか……」
思わず足が前に出た。
目を凝らす。
サイズはやや小ぶりで、色も淡い。
けれど、その丸み、光沢、枝ぶり。
「……りんご……?」
ぽつりと呟いた。
誰に向けたでもなく、ただ、目の前の実に対して。
懐かしさ。驚き。信じられなさ――それらすべてを含んだ、独り言だった。
だが、返ってきた。
「……リンゴ……?」
自分の背中越しに届いた声。
その一言が、風に混じって耳に触れたとき、世界が一瞬だけ止まった気がした。
振り返る。
彼女が、こちらを見ていた。
驚き、戸惑い、そして……なにかを探すような目。
紅い瞳が揺れている。
心の奥がかすかに震えているのが、伝わってきた。
もう一度、そっと呟く。
「……りんご?」
すると彼女も、ほんの反射のように、静かに口を開いた。
「……リンゴ……」
その響きは、たしかに――自分が発した音と、同じだった。
同じ音。
同じ意味。
それが、彼女の口から“返ってきた”。
この世界で初めて。
ふたりの間に“通じた”言葉が生まれた。
それだけのことが、どうしようもなく嬉しかった。
自分はゆっくりと木に近づき、そっとひとつの実をもぎ取る。
彼女のもとへ戻ると、彼女はほんの一瞬だけ逡巡したあと、両手を差し出した。
指先が少しだけ震えているように見えた。
自分は、その掌にりんごを置く。
彼女は視線を落とし、まるで記憶を辿るように静かにそれを見つめ――そしてまた、ぽつりと。
「……リンゴ……」
それはまるで、大切なものにそっと名前をつけるような声音だった。
思わず、心の奥があたたかくなる。
それに応えるように、再び口にした。
「……りんご」
たった一つの音。
でも、これはただの果実の名前ではない。
彼女にとっても。
自分にとっても。
この“りんご”は、世界のなかで唯一、お互いに意味を共有できる存在だった。
その奇跡が、いま、目の前にある。
彼女がこの果実を見ていた瞳。
それは、驚きでも、戸惑いでも、敵意でもない――もっとずっと柔らかな、温かい色だった。
たった一言で、たったひとつの果実で。
そんな心の距離が、少しだけ、縮まるなんて。
言葉ではない。
けれど、そこには確かに、会話に似た何かがあった。
これが、“奇跡の種”。
誰に届くでもなく、誰に見守られるでもなく。
でも、それでも確かに――ここに、芽吹いた。