異世界で目を覚ましたら、言葉が通じないエルフと2人きりでした。しかもお互い別の世界から来たとか、聞いてない 作:飯テロ大魔神
彼の声は、よく通る。
低くて柔らかく、けれど芯がある。
私はいつも、それを“音”として聴いていた。
意味のない音。
ただの、空気の震え。
けれど――今日は、違った。
森を歩いていた。
木々の間に、かすかな光が差し込んでいた。
肌を撫でる風は、いつもより少しだけあたたかく感じた。
彼の歩幅は、最近少しずつ私に合ってきている。
その不器用な優しさを、私はまだうまく受け取れていないけれど……
悪い気はしなかった。
不意に、彼が立ち止まった。
その視線の先――ぽつんと生えた木の枝に、赤い実がぶら下がっていた。
見覚えがある。
この世界で、はじめて“知っているもの”を見た。
私の世界にもあった果実。
甘く、少し酸っぱくて、優しい香りのする果実。
そのときだった。
彼が、ぽつりと呟いた。
「……りんご……」
一瞬、鼓動が止まった気がした。
耳に届いた“その音”が、私の中の何かを撃ち抜いた。
音だった。
確かに、ただの音だった。
けれど――それは、私の中に“意味”として、届いた。
あの果実の名前。
“私も知っている音”だった。
意味のある音が、彼の口から出た。
たった一言で、彼が“私の知る世界”のどこかを見ていたのだと感じた。
思わず、口にしていた。
「……リンゴ……?」
息を呑むようにして言葉がこぼれた。
自分でも驚くほど、自然に。
彼が振り返る。
目が合う。
瞳が、私を見ていた。
言葉ではない。けれど、確かに“通じ合った”気がした。
彼がもう一度、同じ音を口にする。
「……りんご?」
私は――頷けなかった。
言葉が詰まって、動けなかった。
けれど、その音に導かれるように、また口にしていた。
「……リンゴ……」
繰り返される、その音。
ふたりのあいだに流れる、同じ旋律。
この世界に来てから、初めて“ひとつの言葉”が通じた。
ただの偶然かもしれない。
でも、私は……その偶然を信じたかった。
彼が、赤い実を一つ、手に取って近づいてくる。
私は、差し出されたそれを――迷いながらも、両手で受け取った。
懐かしい手触り。
やさしい香り。
確かに、“あの世界”のりんごだった。
どうして、ここにあるの?
なぜ、彼がその名を知っていたの?
わからない。
けれど、涙が出そうになる。
ずっと孤独だったこの世界で、たったひとつ、言葉が届いた。
それだけで、十分すぎる奇跡だった。
私は、目を閉じて、その音をもう一度つぶやいた。
「……リンゴ……」
心の奥に刻むように、そっと、静かに。
彼もまた、同じように返す。
「……りんご」
それはまるで、呼吸のように自然で、
この世界の空気が、ふたりを優しく包んでくれたような気がした。
言葉は、交わせない。
それでも、いま――私たちは、たしかに繋がった。
ひとつの果実を通して。
たったひとつの音を通して。
……そして私は、彼の手を見つめた。
名も呼べないその手。
けれど、そのぬくもりだけは、心に残った。
“違う世界”から来たふたりが、
“この世界”で初めて交わした言葉。
それは、どんな魔法よりも、美しかった。
──りんご。
その音が、風のように、ふたりのあいだをすり抜けていった。
でも今はもう、風ではなく、“言葉”として。
確かに、ここにあった。