ブラックマーケット
違和感に気づいたのは、カイザーの運転手に紹介された宿で一泊し、朝食を摂っている時だった。
最初は、気のせいだと思った。単に、舌に合わなかっただけだと。
「先生……」
「……まぁ、そういうことだろうね」
──味覚がなくなっていた。
味覚障害の原因としては、亜鉛不足や神経疾患、口腔疾患などが挙げられる。しかし……。
「私の体に、そういう異常は見つからなかったんだろう?」
「……はい。これはおそらく、心因性のものです」
「もしくは、大人のカードの副作用か……」
大人のカード。私はあれを使うたびに心臓に激痛が走るが、どうやらそれだけでは済まされなかったらしい。
しかし、どちらにせよ私にはどうにもできない。卑怯で凡俗な私には、切り札となる大人のカードは手放せないし、ストレスの場合は……言うまでもない。
「でも! このままでは、先生の体がもちません! だってすでに先生は……ろくに睡眠をとれてないじゃないですか……」
徐々に萎んでいくアロナの言葉。その内容に目を見張る。いつのまにバレたのか。
……いや、アロナは常に私のバイタルチェックをしているんだった。バレて当然か。というか、そこまで頭が回っていないあたりに、しっかり影響が出ていることを感じる。
そんなことを考えている私に、アロナは泣きそうな目で、必死に訴える。
「……先生。食欲と睡眠欲は、人間の三大欲求の内の二つです。それを失って、なんで平気な顔をしているんですか。何故、そんなに他人事みたいな顔なんですか?」
アロナはずいぶんと大袈裟だ。不眠症の人も、味覚障害の人も、世界にはいっぱいいるだろうに。コロナの時なんか、そこら中の人が味覚障害だったぞ。
「それとは、先生は違うじゃないですか……」
……それはまぁ、違うけども。
「でも、どうせ私はほら、人生自体が短いからさ。そんなに気にすることはないよ」
大人のカードで減った寿命。そして、銃やミサイルが飛び交うこの世界。はたして、一体何年生きられるのか。
そんな私の言葉に、アロナは愕然とした表情をする。
「……先生は、それでいいんですか……?」
「──ハハッ」
泣きそうなアロナの声に、思わず笑ってしまう。
良いも悪いもないだろう──私には、やるという選択肢しかないのだから。
そんな私を、アロナは不気味なものを、痛ましいものを見るような目で見ていた。
──そんな目で私を見るな。殺したくなる。
私は宿を出て、ブラックマーケットをぶらぶらしていた。
ブラックマーケット。私が来るのは初めてだが、予想以上に大きい。そして雑多だ。2mはあるバカでかいペロロ人形を売ってる店の横に、爆弾専門店が並んでいたりする。
なんとなく気になって、私はペロロの元まで行った。
相変わらず頭のおかしい顔をしているが、ずっと見ているとどことなく愛嬌を感じる。このまま中身を取り出して代わりに戦闘用ロボットでも詰め込めば、相手の油断を誘えたりしないだろうか。全自動型殺戮人形”ペロロ”。うん、頭がおかしくなりそうだ。
バカでかいペロロは、勿論胴体が最大の面積を占めている。……綿がいっぱい入ってるんだろうな。見るからにふわふわだ。なんだか無性に顔をうずめたくなる。疲れているのか、私。
「あなたもペロロ様が好きなんですか!」
あまりの声のでかさに、一瞬反応ができなかった。驚いて振り返ると、そこにはいつもの頭のおかしい鳥バッグを持った、普通を名乗る
無言の私に、自分の現状に気づいたであろうヒフミは、わたわたとしながら言葉を続ける。
「あっ、あの、ごめんなさい! 貴方のような大人がペロロ様に興味を持っているのが珍しくて、思わず声を掛けちゃいました……」
どんどん声が小さくなっていくヒフミ。顔が赤くなっている。今になって羞恥心を覚えたようだ。
「えっと……」
現在の私の身分は重犯罪者だ。あまり関わるべきじゃないだろう。そう思い、適当にこの場から逃げようとした私の耳に、激しい声が聞こえてきた。
「おい! あの覆面水着団とかいうふざけた連中はまだ見つからないのか!?」
「す、すみませんっ! 覆面水着団も、そのトップであるファウストについても、未だ目撃情報どころか素性すら……」
「くそっ! あの連中に強盗されてからもう一か月経ってるんだぞ!? このままじゃ俺たちのクビが先に飛んじまう……っ!」
ビクゥウウ!! と、私の目の前にいる少女の体が震えた。
大声で怒鳴りながら走っていくカイザーローンの連中の背中を見ながら、私は状況を理解した。
「……ところでファウスト。このペロロ人形可愛くない?」
「はい! 大きさ、造形、偉大さ、どれも素晴らしいクオリティです! ……あっ」
私とヒフミの間に、冷たい風が流れた。
大量の汗を流し、腕をわたわたさせながら言い訳しようとするヒフミを無視して、私は声を掛ける。
「ところで、名前を聞いてもいいかな?」
「へ? 阿慈谷ヒフミです。トリニティの……」
サッとヒフミの顔が青くなる。どうしてそう警戒心がないのか。私は最初から知っていたとはいえ、
しかし、私としては非常に助かる。これでお茶にだいぶ誘いやすくなった。
というわけで、ヒフミと一緒に近くの喫茶店に来た。目の前のヒフミはがたがたと震えている。
……ごめんって。誘った瞬間に逃げようとしたから、ちょっとカイザーローンの人たちに声かけただけじゃん。恨むなら、流されて銀行強盗に手を貸した自分を恨んでくれ。
「えっと、まず最初に断言しておくけど、私は君をカイザーに売る気はない。私が君を誘ったのは、他に聞きたいことがあるからだ」
訝し気な目を向けてくるヒフミ。流石に会ってすぐの人間の言葉とか信用しないか。とりあえず話を進める。
「私が聞きたいのは、君の仲間、覆面水着団のことだ」
そういった瞬間、ヒフミの雰囲気が変わった。ガタガタと震えていた体はピンと背筋を張って、堂々と私の目を見つめてくる。
その目には、友達のことは絶対に守るという覚悟が乗っていた。まぁ、今回はその覚悟は必要ないが。
「いや、実は私は彼女たちの知り合いでね」
ヒフミに近くに寄ってもらい、小声でこそこそと言う。
「覆面水着団の正体はアビドスだろ? ホシノとかシロコとかがいる」
ヒフミの目が見開かれる。
──そのまま、姿勢を正して問われる。
「あなたは、彼女たちの何ですか」
どっと冷や汗が流れた。危なすぎる。その質問は、私にとってクリーンヒットだ。
「……知り合いだよ。ただのね。……昔、ひどい迷惑をかけてしまった」
ヒフミの動きが止まった。今の私は、一体どんな顔をしているのだろう。
これ以上質問されてぼろが出る前に、私は切り札を使うことにした。
「そんなに私が信用できないかい? 私は君のことを信用しているけどね」
「どうしてですか?」
不思議そうな顔で首をかしげるヒフミに、私は言った。
「君がペロロ様を好きだからさ! ペロロ様を好きな人に悪い奴はいない!」
私は満面の笑みだった。
「……それもそうですね!」
ペロキチも満面の笑みになった。
「それで、彼女たちの様子はどうだった?」
コーヒーを飲みながら、ヒフミに問いかける。こっちが私の本題だ。
「うーん、そうですね。みんな個性的で面白かったです。最近は嫌なことがあったらしいですけど、それを感じさせないくらいに明るい方たちでした」
アハハ、といつものようにどこか困ったような顔でヒフミが笑う。
「……セリカは、どうだった」
心臓が早鐘を打つ。緊張で吐きそうなのを、必死に取り繕った。
「セリカちゃんも元気そうでしたよ。この間なんか、また変なところのマルチ商法に引っかかっていたので皆でその業者さんを襲撃したりしました」
笑顔でいう内容じゃないだろと思いながら、私の体から力が抜けていく。ドッと背もたれに体を預けて、深い息を吐いた。
「そうか、元気そうなのか。……良かった」
上を向き、必死に顔に力を入れる。どうしようもなく、泣いてしまいそうだった。
「そういえば、最近便利屋86? っていう方たちとも仲良しになったそうです! ゲヘナの人たちなんですけど、学校を越えて友人ができるのってすごいですよね!」
パチリ、と手を合わせてヒフミが言う。
──便利屋とも仲良くなったのか。……良かった。本当に良かった。
この時、私の心に到来した感情を、言葉で表すことはできないだろう。
「ありがとう。……本当に、ありがとう」
「えっ?! だ、大丈夫ですか……?」
こらえきれず。涙を流しながら頭を下げて、ヒフミに感謝する。若干引きながらも私のことを心配してくれるヒフミは、今の言葉がどれほど私を救ったのか、気付くことはないかもしれない。
それでも、感謝を伝えずにはいられなかった。
そのまま、二人で結局一時間くらい話していた。ここ数か月で、一番楽しい時間だったのはいうまでもないだろう。
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私とヒフミは、またあのペロロ人形の目まで来ていた。感謝の証としてこの人形をあげようと考えたのだ。ヒフミは遠慮していたが、私が無理やり押し切った。最後は嬉しそうな顔をしていたので、これで良かったのだろう。
ちなみに、ヒフミはこの人形はこれで三体目らしい。一体7万円もするのだが、この子は一体どうなっているのだろうか。
ペロロ人形を買って、店から出た時、ちょうど隣の店からのドアも空いた。爆弾専門店。ずいぶんと物騒な奴だ。
無意識に目で追う。銀髪のサイドテール、ゲヘナの制服、バカでかい手提げバッグ、もしかしてムツ——
「──先生っ!」
間一髪で間に合ったアロナバリアが体を覆う。そのうえで、私の体を芯から揺るがすような衝撃が走った。爆風。巻き上げられた砂埃で周囲が見えない。——ノータイムで、爆弾を投げつけられたのか。
砂埃の向こう側から、ムツキの冷たい声が響いた。
「ハルカちゃんは、あのあとずっと泣いてた」
その言葉を理解した時、心臓が止まった。
「アルちゃんもそう。対策委員会の皆に謝って、お見舞いに行って、寝る間も惜しんで仕事して、食事も削って全部セリカちゃんに渡してた。……顔に隈ができても、体調不良でふらふらになっても、アビドスの人たちから止められても、ずっと……っ!」
ムツキの声には、混じり気のない怒りがあった。
「……アビドスも、私たちも、皆うすうす勘付いてる。先生にも、何か事情があったんだろうって」
その声は、地獄の底から響いてくるようで。疑いようのない憎しみと殺意にあふれていた。
「──それでも私は、先生を許さない。どんな事情があったとしても、アルちゃんを、便利屋を泣かせたお前を、絶対に許さない」
行き過ぎた感情に、私の頭と心が冷えていく。数時間前の自分を全力でぶん殴ってやりたい。……何が「良かった」だ。これで、こんな有様で、一体何が良かったというのか。
「……今日は、見逃してあげる。大事な友達の、その友達がいるから」
その言葉でハッと気づく。近くにいたはずのヒフミの気配がない。
「──覚悟しててね。その額が割れるまで、アルちゃんたちに土下座させるから」
そう言って、砂埃が収まった時にはムツキもヒフミも居なくなっていた。
残っていたのは、勘違いして喜んでいた、愚かな屑だけだった。
先生は情緒が壊れてきています。
私事で申し訳ありませんが、学校が再開するので更新は非常に遅くなると思います。ごめんね。