ヒフミと会い、そしてムツキと再会した彼は、自分の罪を突きつけられた。過去の罪が、彼を追いかけ、決して離さない。
その夜。私はブラックマーケットのとある屋台で酒を飲んでいた。酒が飲みたかった。酒の力で、全てから逃げ出そうとしていた。
だいぶ缶を開け、頭がふらふらとしてきた頃、ふと、隣に誰か座る気配があった。
「──ずいぶんと酷い顔をしているね」
無言で声のした方を向く。
左右で白黒に分かれた長髪、中華風の衣装、どこか相手を舐めているような目つき。──誰だこれは。
「あぁ、すまない。自己紹介がまだだったね。──私は、
そう言って、彼女──申谷カイは、にっこりと笑った。
「それで、私に何か用か?」
目線を外し、投げやりに答える。申谷カイ、変にオーラを感じるが、知らない名前だ。そして、この時間にブラックマーケットにいる。この時点で、まともな人物ではないのは確定だろう。
正直、関わる気になれなかった。
「いや、君があまりにひどい顔をしていたものでね。それによく見ると——体のほうも、だいぶ酷い」
カイが、顎に手を当てながら、私の体をじろじろと見てくる。はっきり言って、居心地が悪い。
「……異常なレベルの睡眠不足。内臓もだいぶダメージを受けている。右腕も、十全ではない。呼吸の仕方もおかしいね。気管支に障害でもあるのかい? というか、肌年齢が終わってる」
その言葉に目を見開く。なんで分かるんだ。
そんな私の様子が可笑しかったのだろう。彼女は軽く笑いながら言った。
「私はこれでも研究者でね。人の体の状態は、見たらだいたい分かるのさ」
その技能は凄い。素直にそう思った。
「ふっ、そんなに褒めても何もでないよ。後で診断書と処方箋を渡してあげよう。それで多少マシになるはずだ」
無意識のうちに口に出てしまっていたらしい。そして彼女は、見た目よりわかりやすいタイプの人間だった。
「それはとてもありがたいが、私のほうこそ返せるものはないぞ?」
そう言う私の目と、カイの目が重なる。光のない、ドロッとした暗い目の奥に、私はどこか共感するものを見た。
「……先生は、私と同じ目をしている。絶望して、諦めて、もう、進むしかなくなってしまった人間の目だ。そんな仲間を手助けしたいと思うのは、いたって普通の感性ではないかね」
ハハッと、今度はこちらが笑ってしまう。そうか。そういうことか。
「カイ。後で処方箋をくれると言ったね。それを今貰うことはできるかい?」
私の言葉に、カイは不意を突かれたかのような表情をする。そのまま、少し考えてから、彼女はポケットから何種類かの薬を取り出した。
私はそれを、迷わず口に放り込んだ。
「っ!?」
「──カイ。私は君を信じるよ」
驚いた顔で何か言おうとしたカイに、言葉を被せる。
「君はさっき、私のことを先生と呼んだ。……最初から、分かっていたんだろ」
その言葉に、カイは驚愕で目を丸くする。完全に無意識だったのか。
「……それなら、何故その薬を飲んだんだい? ……私を、怪しいと分かっていながら、何故」
真剣な顔でそう問いかけるカイに、私は笑顔で返してあげた。
「言ったじゃないか。──信じてるって」
「──っ!」
カイの顔が怒りに歪む。いまにも殴りかかってきそうだ。どうやら、何かの地雷を踏んだらしい。
「ふざけたことを言うな。──君は今、死んでもいいと思っていただろう」
あっさりとばれてしまったらしい。無言で笑顔を維持する私に、カイは呆れ果てたのか、もはや処置なしといった顔で深いため息をついた。そして、ため息と共に語りだす。
「……私の目的は、仙丹を作ることだ。我々を神仙へと導き、凡夫どもの果てしない欲望を満たしてくれる究極の霊薬を」
そこで一度言葉を切り、カイは私の目を見てきた。
「仙丹は不老不死を実現するものだ。誰も死なず、傷つかない世界。私は、仙丹を作るためならなんでもする。無知な凡夫を騙し、愚かな君主に毒を盛る。それでも、あぁ、それでもだ。──仙丹を作るからこそ、私は誰も殺さない。君は今、私の目的そのものを侮辱した」
その、あまりにも真っすぐとした瞳に、私は思わず目を逸らす。おそらくこの子は悪の側に立つ人間だ。しかしそれでも、その覚悟の前に、私は一切の反論ができなかった。
「……すまない。出来心だったんだ。今日は少し、嫌なことがあってね」
そんな愚にもつかない言い訳をする私に、なぜかカイの雰囲気は柔らかくなった。
「いいさ。誰にだって失敗はある。それに、申し訳なく思うなら、私の実験を手伝ってほしい」
嫌な予感がする。どう考えてもまともなモノじゃないだろう。
「実験の手伝いといっても、被験者側だよ。いくつか新薬があってね。それを飲んでレポートを書いてほしい。君のような、ヘイローも何もない人間は希少だからね」
拍子抜けした。そんなことなら、別にこんな脅す形でなくても受け入れるのだが。
「……そこでそんな顔をするのが、もはや末期症状だと思うがね」
カイは手遅れな生物を見るような顔で、わざわざ知らないふりをして近づいたのがバカみたいだ、と頭をふった。
一体どんな顔なのだろうか。残念ながら、ここに鏡はない。
そんな私に、カイはまたもやため息をつき、2つの薬を差し出してきた。
「……これは?」
頭に疑問符を浮かべる私に、カイは少し嫌そうな顔をして答える。
「……同族の誼だよ。目を離すと今にも死にそうな貧弱さをしているからね」
なるほど。どうやら一つ栄養剤らしい。もう一つは多分、健康以上に健康になれるお薬だろう。副作用は……まぁ、聞かないほうがいいかもしれない。
というか、同族の誼ってことは、そういうことなのか。
思わず、カイの顔の見てしまう。その顔を見たカイは、更に嫌そうな表情になった。
その後、カイはこれで立ち去ると思ったのだが、逆にその場に居座っていた。なんでだ。
迷惑をかけた手前、私のほうから去りづらく、結局二人で夜が明けるまで飲み、愚痴りあってしまった。……なにか色々話した気がするが、酒の飲みすぎで記憶が残っていない。しかし、店をでる時には二人ともどこかすっきりとした表情になっていたことだけは覚えている。
翌日は、二日酔いで一日中ダウンしていた。
▼▼▼▼▼
今、私の目の前には黒服がいる。
エリドゥから脱出した時に、運転手に頼んでこの場をセッティングしてもらったのだ。
「それで、何か頼みたいことがあるというお話でしたが、どうされましたか」
黒服が口火を切る。私は単刀直入に言った。
「ベアトリーチェの理念に共感した。彼女の元で働かせてほしい」
おやおやおや、というふうに黒服の口角が上がる。
……いや、分かる。ここまであからさまな嘘をつくやつは近年滅多にいないレベルだろう。
「そうですか。では私からベアトリーチェのほうに確認してみましょう。数日、時間をください」
秒速で話が決まった。早い。あまりにも早すぎる。頭おかしいんじゃないかこいつ。
絶対に裏があるのは、簡単に予想がついた。しかし、今の私に選択肢などない。シャーレという立場を捨てた以上、エデン条約に関わるならアリウスからしか道はない。
結局、翌日には了承の返事が伝えられ、そのままゲマトリアの謎技術でアリウス自治区までワープした。
ワープした先には、アリウススクワッドの面々がいた。どうやらベアトリーチェの所まで案内してくれるらしい。案内役兼監視役なのだろう。
私がワープした場所は、アリウス自治区の郊外だったのだろう。ベアトリーチェのいる中心部に近づくにつれ、ポツポツと生徒の姿を見るようになった。
どの子も、4人固まって移動している。日常生活から、小隊単位での行動を意識づけているのか。
更に中心部に近づいたところで、誰かの怒鳴り声と、何かを殴る鈍い音が聞こえてきた。
嫌な予感がする。おそるおそる音のする方へ行ってみると、そこは開けたグラウンドのような場所だった。
──少女が殴られている。まだ10歳くらいの、年端もいかない幼い少女が、殴られ、涙を流している。その奥には、集まって縮こまっている三人の少女がいた。
それを見た瞬間に、私は理解した。
開けたグラウンド。4人の少女と、怒鳴りつける15歳くらいの女の子。ここは……練兵場だ。
そこまで分かった瞬間、私は見て見ぬふりをしようと思った。たしかに、目に映る光景は悲惨だ。痛ましいと思うし、どうにかしたいと感じる。
しかし、それは偽善にすぎない。彼女たちが受けているのは教育であり、それはここで生き残る術である。それを奪い、彼女たちの今後の生活に責任をとれるのか。
私がここで庇うことで、私の一時の自己満足と引き換えに、彼女たちはより辛い立場に追い込まれることだろう。そして、このような目にあっているのは彼女たちだけではない。
そこまでわかっていながら、私の体は無意識に動いていた。
「──やめろ」
泣いている少女の前に立ち、怒号を上げていた子にそう言う。その声は、私でも分かるほどに、一切と言っていいほど、温度がなかった。
「なっ──!」
目の前の少女が一瞬怯む。それでも再度怒鳴ろうとした彼女の肩に、そっとサオリの手がかかった。
「やめろ。彼は、マダムの客だ」
その言葉を聞いた瞬間、彼女はサッと顔色を変えた。ベアトリーチェの恐怖は、しっかりと浸透しているようだ。反抗することもなく、彼女は即座に去っていった。
そして私は、膝から崩れ落ちて頭を抱える。
「お、おい! どうした、大丈夫か?」
サオリの慌てた声が耳に入り、そのまま通り過ぎていく。
ドクドクという脈の音が鼓膜に響く。呼吸が荒れる。冷や汗が止まらない。
何故だ。なんで私はこんなことをした。分かっていたのに。偽善だと、愚かな行為だと。それなのに、何故、私は──。
愕然とする。私は、この後に及んで、自己満足を優先したのか?
吐き気がする。思考がぐちゃぐちゃに乱れて、頭を搔きむしる。ふと手を見ると、そこには髪の毛と血が付いていた。
それを見て、少しだけ正気に返る。今は、こんなことをしている場合じゃない。早く、ベアトリーチェのところへ行かなくては。
立ち上がった私には、不信と嫌悪の目が向けられていた。
▼▼▼▼▼
「──マダム。あの大人を……本当に仲間にするんですか」
薄暗い部屋の中。彼とベアトリーチェの顔合わせが済んだ後の部屋で、サオリは問いかける。
「あら、サオリ。私の決定に不満があるの?」
からかうようなその言葉に、それでもサオリは必至に否定した。
「いや、私は……」
「うふふ、冗談よ。あれを仲間だなんて思う必要はないわ」
そう言っていつものように扇子で口元を隠して笑うベアトリーチェに、サオリの瞳が困惑で揺れる。
「では、何故あの大人を……」
「──面白いじゃない。愚かで、哀れで、最高の道化よ」
ベアトリーチェの目には、どうしようもないほどの悪意と愉悦が満ちていた。
「貴方も見たでしょう? あれはもう、とっくに壊れているわ。それなのに、健気に自分を取り繕って、自分から地獄に落ちていく。見世物のとして申し分ないわ」
そのベアトリーチェの言葉に、サオリはここに来るまでのことを思い出す。
練兵場で見せたあの狂気。アリウスの郊外からここに連れてくる。ただそれだけの短い時間でも、あの大人が異常なことは、はっきりと理解できた。
そんなサオリの様子に、ベアトリーチェは笑みを深める。その笑顔は、邪悪そのものだった。
「練兵場でのことでしょう? あれも傑作だったわね」
「マダム、あれは……」
深く、問いかけるようなサオリの言葉に、ベアトリーチェは鼻で笑って返す。
「あんなの、ただのPTSDよ。おおかた、生徒が生徒を傷つけるという行為自体がトラウマなんでしょう。馬鹿らしい」
その言葉を聞いて、サオリは変な顔をする。理解できないのだ。彼女にとって、生徒が生徒を傷つけるというのは当然のことである。彼女にとって教育とは、痛みでもって体に教え込むことだった。勿論、決して気持ちの良いものではないが。
「では、あの大人を私たちと一緒に行動させるのは──」
「──ええ、そうよ。貴方たちは監視役。もしあれが変な動きをしたら、迷わず処分しなさい」
そう、何の躊躇いもなく言い切ったベアトリーチェに、サオリは頷きをもって了承を示す。
ベアトリーチェにとって、彼は音のなる玩具以外のなにものでもなかった。
カイは好きなので出しました。