地下。
私は初めて来る場所だった。古びた蛍光灯が淡く点滅する、小さい部屋。そのコンクリート製の床に、血が黒く染みついていた。
中央には拘束具のついた椅子がぽつんと置かれており、私はそこに拘束されていた。両腕、両足には手錠がなされ、僅かに動かしただけで、冷たい鉄が肌に食い込む。
頼みの綱であるシッテムの箱は、アリウス生である彼女の手によって、どこかに持ち去られていた。
「ここは、かつてトリニティの聖徒会が利用していた拷問室の一つだ」
私を拘束した彼女は、ゴン、ゴン、と鈍い音を立て、新しい拷問器具をこれ見よがしに並べながら言った。
「……何故、復唱しなかった。それだけで、お前はこんな目に遭うことはなかった」
分厚いガスマスクに包まれた彼女の顔は見えない。それでも、彼女がこの状況を望んでいなかったことは、その声音から伝わってきた。
その言葉に、私はハッっとさせられる。考えてみれば、当たり前のことだ。──拷問を、喜々として行う人間のほうが少ない。
「……こんな拷問室を造るようなトリニティに、味方をする価値はあるのか?」
こちらを向かないまま、彼女は静かに問いかける。
しかし、私は無言のままだった。口を開けば、どうしようもなく恐怖がこぼれてしまいそうだったからだ。
あれだけかっこつけても、痛いのは嫌だし、怖い。そして、私には断言ができなかったからだ。
トリニティには、補習授業部や、スイーツ部、マリーやセイアなど、確かに尊ぶべき人がいる。その一方で、ミカの私物を燃やし、ハナコを追い詰め、あらゆる責任を他者に追いつけようとする一般生徒がいるのも、確かな事実なのだ。
一つの側面からでは、物事の本質は測れない。そこにおいて、私は彼女の価値観を否定するだけのものを持ち合わせてはいなかった。
「……私は、トリニティの味方ではないよ」
「……じゃあ、何の味方なの?」
──生徒だ。
そう言って、かすかに笑う私を、彼女はじっと見つめていた。
そして一拍おいて、彼女はペンチを持って私の前に立つ。
「……今から、貴方の爪を一枚ずつ剝いでいく。貴方の持っている情報と、その入手手段を吐きたくなったら、いつでも言って」
そう、短く言って、彼女はペンチで私の爪の先をはさんだ。
▼▼▼▼▼
「ぐっ! がぁぁぁぁっっ!!!」
地下に響き渡る絶叫を、私はどこか他人事のように聞いていた。出しているのは、ほかならぬ私の喉だというのに。
「……」
彼女は無言で拷問を続ける。
……一体、何時間経ったのだろうか。彼女の拷問は、丁寧だった。私は他の拷問を受けたことはないが、彼女は痛みを、丁寧に私に味あわせていた。
右手の小指から始まった爪剥ぎは、左手の小指まで来ていた。これで、私の両手の爪は消え去ることだろう。
ペンチが私の爪先にかかり、ゆっくりゆっくり、上に持ち上げられていく。
ミチ、ミチ、と、爪から肉が剥がれる音が、私の骨を通り、鼓膜を震わせていた。
私の体に張り巡らされた神経が、痛みを持って私に苦境を知らせる。
痛みに耐えかね私が体を動かす度に手錠が
彼女は、細心の注意を払って拷問していた。私のような貧弱な人間は、拷問のマニュアルには載っていなかったのだろう。決して死なないように、拷問は四肢に集中していた。
爪を剥ぎ終わった彼女は一息つくと、新しい道具を持ってきた。
それは、彼女の両手ほどもあるハンドプレス機だった。それを見た瞬間、私にはそれがどう使われるのかを察してしまう。
「……ぁ」
やめてくれという気持ちと、それでも耐えようという気持ちの狭間で、水分すら摂らないまま絶叫し続けた私の喉は、かすれた声しか出なかった。
彼女は足で小さいテーブルを引き寄せると、その上にゴンッ、とハンドプレス機を載せた。
……ちょうど、私の手と同じ高さに。
そして、彼女は私の小指を掴む。
抵抗しようと思った。しかし、爪が剥がれたせいか、もはや体力の限界だったのか。私の体はピクリとも動かず、彼女の為すがままだった。
鉄の台座と、先端の平たい巨大なネジに、私の小指が挟まれる。
ネジが私の爪の剥がれた肉と接触した時、全身を貫くような痛みが走った。今日だけで二桁は経験した痛みだが、未だに慣れることはない。
しかし、そんなものは前座だ。
彼女が、ハンドプレス機の頂上にあるハンドルを回す。ぐるり、ぐるり、と一回転するごとに、私の指にネジが食い込んでいく。
ネジと肉の間が真空になり、一瞬痛みが消えたと思った瞬間、その幻想は打ち砕かれる。
ぐるり、ぐるり。
潰れていく。20年間共に過ごした私の指が、限界を超えて潰れていく。
「あ゛あ゛っ!! がぁぁぁっ!!!」
どこにこれほどの力が残っていたのかというほどの絶叫が、私の喉から飛び出ていく。
脳を穿つような激痛に反し、血はあまり出なかった。肉とネジが密着しているからだ。代わりに、滞留した血液で小指がどんどん青黒くなっていく。
ぐるり、ぐるり。
──骨に達した。
パキリ、という軽い音は私の絶叫に搔き消され、私の頭にだけ響く。
「ぎゃあぁあぁぁぁ!!!!!」
冷たい地下室には、私の絶叫だけが響いていた。
▼▼▼▼▼
小指が終わった時点で疲れ果て、恥も外聞もなくただ静かにすすり泣く私の様子に、アリウス生の彼女はどこかへ去っていった。
窓も何もない、ただ古びた蛍光灯だけのこの部屋で、私にとっては果てしないほど久しぶりの休憩時間だった。
何も考える気力も残されておらず、ただぼうっと天井を眺めているだけの私に、彼女は何かを抱えて戻ってきた。
無骨な鉄のプレートに乗せられたそれは、どうやら私のご飯らしい。色とりどりのペースト状の何かと、自白剤か何かだろう、複数の錠剤。SF映画もビックリのデストピア飯だった。
彼女はそれをスプーンで掬い、無言で私の喉に流し込んでいく。味覚がなくなっていたのは、案外幸せだったのかもしれない。
そして、拷問が再開される。
彼女がハンドルを回し、私が絶叫する。
──気が付いたのは、彼女が先だった。
ふと、目の前の彼女が急に焦ったような雰囲気になり、急いで部屋から出ていく。
その頃の私は、限界を迎えていた。薬のせいか、もはや私には自分が暑いのか、寒いのか、明るいのか暗いのかも分からず。視界はぼやけて乱れ、思考は散り散りになって戻ってこない。
私の意識が戻ったのは、白いベッドの上でだった。複数の管が、私の体に繋がっている。
現状が分からずとりあえず起きると、そばに待機していたアリウスの子が、私の状態を教えてくれた。私はどうやら、3日間も昏睡していたらしい。
「貴方、死にますよ」
私を診察した生徒の、第一声である。
思った以上に、私の体は限界を迎えていたようだ。詳しいことは私には分からなかったが、色々な数値がイカれてるらしい。常態化している吐き気や頭痛も、当然だと一蹴されてしまった。
逆にその程度で済んでいるのがおかしいと、彼女は変な生物を見る目つきで主張してくる。
実際は、味覚障害だったり、その他もろもろ、自分でもちょっとヤバいかなと思う部分はあるのだが、どちらにしても真面に活動出来ている時点でおかしい生物扱いだった。
そのうえで、彼女は一つの事実を告げた。
──
あの後、彼女が医師を連れて拷問室に戻った時には、私は痙攣して泡を吹いていたという。ストレスのせいか、飲まされた薬とカイの新薬が変に反応したのかは知らないが、結果として、私は痛みから解放された。
実際、私の右手には、皮膚が見えなくなるほど分厚く包帯が巻かれていた。あのハンドプレス機は、丹念に私の右手を破壊し尽くしたらしい。それにすら、私は気付いていなかった。
……まぁ、ちょうど良かったというべきなのだろう。
そして、彼女から更なる説明があった。どうやら、拷問は終了するようだ。痛みを感じない人間には、もはや無駄だと判断されたらしい。
代わりに、彼女が鏡を両手で掲げて私を映す。その首には、赤く点滅する無骨な首輪がされていた。
それは、首輪型の爆弾だった。
起爆は、ベアトリーチェの意思一つで行えるらしい。これを付けたまま生活することを条件に、私はアリウススクワッドに戻ることになった。……ベアトリーチェは、まだまだ私で愉しみたいようだ。
ここに、書き溜めが消えたことを宣言します。これから少しづつ、投稿間隔が遅くなっていくかもしれません。ご容赦ください。