ベアトリーチェに首輪を装着させられた私は、流石に即退院とはならなかった。
2日ほどベッドで安静にさせられた後になってやっと、私の退院が決定し、シッテムの箱も返却されることになった。
ベアトリーチェとの面会もそこそこに、私は久しぶりの新鮮な空気を吸う。
そうして空気の美味しさを堪能した後、私は与えられた、いつもの廃墟の二階へ帰った。硬いベッドに座り込み、そこでやっと一息つく。
一時間もしないうちに、お客様がやってきた。
「……
私の姿を見たサオリが、そう呟く。彼女の瞳には、罪悪感が
彼女に責任なんてないというのに。サオリは、小さい頃から染みつけられた行動方針に従っただけだ。責めるべきはベアトリーチェであり、自分をそんな状況に追いやった私自身の浅はかさだろう。
サオリの背後から続けて入ってきたミサキは、無言で私の隣に座った。こういう時、どうすればいいのか知らないのだろう。無言でただ座り続ける彼女に、私はどこか猫っぽさを感じ、少し笑ってしまった。
そんな私に、無言で抗議の目を向けるミサキに、私は一層、笑ってしまう。
「へ、へへ……。せ、先生。これ……どうぞ」
更に続けて入ってきたヒヨリが、いつもの暗いうすら笑いをしながらポテチを差し出してきた。きっと、お見舞い品のつもりなのだろう。
実際、アリウス自治区ではこういった嗜好品は数少ない。これもきっと、彼女のぷにっとしたお腹を構成する、大切なへそくりの一部だ。
その優しい心遣いに、ありがとう、と笑顔で返答し、小さなテーブルに皆で食べられるようパーティー開けする。
これなら、遠慮せずに食べれるだろうか。味覚のない私より、しっかりと楽しめるヒヨリ達が食べたほうが、ポテチも浮かばれるはずだ。
そして、アツコがどこかから取り出したジュースを片手に、快気祝いのポテチパーティが始まった。アツコのどこか意地悪げな声に私が彼女がアリウス自治区の食料庫からしれっと盗んできたことに勘付く。
……まぁ、サオリが気付いてないなら大丈夫だろう。いや、アツコに激甘なサオリのことだ。気付いていて知らないふりをしている可能性もあるが。
パーティの中、私はサオリから話を聞く。私はどうやら、5日間も居なかったようだ。昏睡していた時間を考えるに、あれほど長く感じた拷問は一日も経っていなかったらしい。
……もう二度と、経験したくないものだったと断言しよう。
そのままちびちびと紙コップに口をつけ、ジュースを飲んでいたサオリは、ふと、息を吐き、私に改めて向き直る。
雰囲気が変わったことを察した私が、紙コップをテーブルに置くと同時に、彼女の口が開かれる。
「……なぁ、先生。私たちは──」
そして語られるは、彼女たちの過去。ベアトリーチェの魔の手に覆われたアリウス自治区と、それでもなお、歯を食いしばって奮闘するサオリとスクワッドの面々。
それは、私にとっては既知だった。画面の向こうで、私は彼女たちの悲しい過去に、ベアトリーチェへの義憤を募らせたことを覚えている。
しかしそれは、結局どこまでも、画面の向こうでしかなかったのだろう。
目の前で、諦観とともに本人から語られるそれは、これ以上ないほどの重みをもって私に彼女たちの絶望を感じさせた。
『vanitas vanitatum. et omnia vanitas』、全ては虚しい。どこまで行こうとも、全てはただ虚しいものだ、というその考えは、確かに悲しいものではあるのだろう。
しかし私は、そうやって世界に期待することを諦めるというのが、追い詰められ、疲れ果ててしまった人の心を、多少なりとも慰めるものであるということを、身をもって理解していた。
vanitas vanitatum. et omnia vanitas.世界に、他人に期待することを諦めると、生きるのはとても簡単になる。少なくとも、誰に失望することも、誰に恨むこともなくなるのだから。
諦観のもと、全てをありのままに受け入れるというその考え方を、私には否定できなかった。
「──そして私たちは、アリウススクワッドになった」
そう、サオリが締めくくる。いつの間にか、外は暗くなっていた。
「……そうか。私には君たちの苦労が、絶望が分かるなんて、口が裂けても言えないけれど」
静かになってしまった部屋の中で、私は言った。
「──よく、頑張ったね。私は君たちを、心から尊敬するよ」
一切の嘘偽りのない、私の本音だった。……絶望の中で足掻き続けることは、私にはできなかったことだから。
「……あぁ。ありがとう、先生」
何か、少しでも肩の荷が下りたかのように息を吐き出したサオリに、どこか部屋がしんみりとした空気になる。
そこでふと、私は疑問を感じた。あまり聞くべきではないのかもしれないが。
「こんな大事な話、私にして良かったの?」
そう聞くと、サオリはふい、と目を逸らした。
「……先生だからしたんだ」
よく分からず、不思議そうな顔をすると、サオリが改めて私の目を見て言った。
「……私は、ここで多くの生徒を見てきた。どいつもこいつも同じような、虚ろな目をしていたよ」
そしてサオリは、ゆっくりと部屋を見渡す。彼女の大切な仲間たちを。
「その中には、私がまったく何もできなかった奴も多い。今、どこで何しているのかさえ知らない者もいる。……そんな奴らと、先生はよく似ている」
彼女はそこで一息つくと、何故か急に、凄く言いずらそうに言ってきた。
「それに、ほら……先生が私たちと行動を共にしてから、もう結構な時間が経ったじゃないか……?」
そう、どこかこちらを伺うように、サオリは目を逸らしながら言った。
……あぁ、そういうことか。
サオリの考えに思い至った私は、苦笑してしまう。
つまるところ彼女は、ベアトリーチェの命令で一緒に居ただけの私にすら、情を抱いてしまったのだろう。過去を話したのも、少しでも私と仲良くなるための努力だ。
小さい頃からミサキやヒヨリを助けていた彼女らしいというか、なんというか。この子は多分、私の何倍も器がでかいのだろう。
「そうだね。これからも、よろしく」
私は立ち上がって、サオリに右手を差し出す。
未だ包帯が取れていないそれを、サオリはソッと軽く触れ、私たちは握手を交わした。
解散の段階になって、片付けをしながらふと、サオリが言う。
「なんだかんだ言ったが、私は、アリウスがそこまで嫌いじゃないんだ」
勿論マダムに思うところはあるが、と前置きして、
「……それでも、どこまでいっても私の故郷はここだからな。それに、良い出会いもあった」
そう言いながら、背を向けて帰り支度をしているミサキやヒヨリ、アツコに、彼女は慈愛の籠った目を向ける。
「……そうだね」
彼女は、自分の居場所を持っていた。アリウスであり、彼女のつくりあげたアリウススクワッドという、大切な居場所を。
……私の居場所は、果たして一体どこにあるのか。
私はそれを、まだ見つけれないでいた。
▼▼▼▼▼
「先生。私は怒っています」
アリウススクワッドの皆が居なくなり、いつもよりどこか寂しさを感じる深夜に、その声は響いた。
「……こうして話すのも久しぶりな気がするね、アロナ」
「それは確かに、そうですけど……!」
私、不満があります! という副音声が聞こえてきそうな声で、アロナが返事をする。
「……先生、なんであんな真似をしたんですか。……いえ、あんな真似はもう、やめてください」
予想より静かな、アロナの声。怒られるかと思ったが、怒られるよりも悲しまれるほうが傷つくな。
無言で聞いている私に、アロナは続ける。
「先生があの時、ああ言わざるを得なかったことは分かります。それでも、もうしないでください。……流れてくるバイタル情報に、ずっと怯える日々でした」
なまじ、私よりも正確に体の情報が分かるからこそ、気が気ではなかったのだろう。自分のことのように辛そうなアロナの声に、私も反省する。でも。
「……ごめんね、アロナ。でも私は、また同じ状況になったとしても、同じ答えを返すよ」
私は静かに、そう告げた。
「……なんで貴方は、そんなにも強いんですか」
アロナが、今にも泣きだしそうな声で言う。
「貴方はもうっ! 人生を豊かにする味覚も、危険を察知する痛覚もっ、ただ穏やかな睡眠さえ、全部失ってしまったんですよ!? ……それも、生徒からの拷問を受けて」
そのアロナの叫びには、どうしようもないほどの悲しみと、言い表せないほど多くの感情が、複雑に絡み合っていた。
……でもアロナ。君はひとつだけ間違っている。私は強くなんかない。弱いからこそ、それしか選べないんだよ。
そう、心の中で呟く。
「……もう、こんな状況にならないようにしてください。私も、出来得る限りのサポートはしますから」
そうして、少しの沈黙が広がる。この話はこれで終わりだ。だから、本題に入ろう。
「それで、アロナ。頼んでいたことはどうなった」
若干さっきの涙声が残った声で、アロナが言う。
「一応、トリニティに在籍する生徒の約1/3には送信しました。ですが、予想より早かったために確度の低いものになってしまっています」
「そこに関しては大丈夫だよ。トリニティにも、頭脳明晰な生徒は多い。アズサかハナコが協力すれば、それだけで終わる」
そういう私に、アロナは苦言を呈す。
「先生、やはりこれは、賭けの要素が大きいです。私の予想では、どれだけ早くても十日はかかります。……本来ならその間ずっと、先生は……っ」
「結果良ければ全て良し、だ。実際、もう終わったことだしね」
そんな私に、アロナは言う。
「先生はもっと、自分の身を大事にしてください」
そうだね。できることなら私も、そうしたかったよ。という思いは、音にならないまま、静かな暗い夜の中に消えていった。