流石に、こんなに短い期間で、骨折は治らない。
私はシッテムの箱の裏に、携帯に付けるようなリングホルダーを取り付けた。その輪に伸縮性のある幅の広い紐を通し、簡単に動かなくなるまで何重にも右腕に巻きつけ固定することで、左手によるシッテムの箱の操作を可能とした。
そして、運命の日が訪れる。
「──トリニティが来てる!!!」
始まりを告げたのは、そう全力で叫んだアリウス生徒だった。
「アロナ」
廃墟の二階から、ざわつくアリウス自治区を見ながら、私は小さく呼びかけた。
「はい。……私が送信してから一週間。予想よりもだいぶ早かったですね」
この早さを見るに、きっとミカはセイアを見つけ出したのだろう。
「これで、アリウスとトリニティは戦争になりますね」
何か思うところがあったのか、アロナはそう呟いていた。
「アリウスとトリニティは最初から、どちらかが終わるまで止まれないよ」
そう思ったからこそ、私はこの手段に踏み切った。
私は、アロナにずっとカタコンベの通路について、解析させていた。
私がこのアリウス自治区に来てから数か月。大量のデータをアロナに計算してもらうことで、どういう時に、どのルートがアリウスまで繋がるのかを算出してもらっていたのだ。予想外の事態に多少急かされる部分はあったが、それでもある程度の
そうやって出したデータを、アロナにトリニティの在校生へ無差別に送ってもらった。
私がヒフミと連絡先を交換していればこんなことをする必要はなかったのだが、当然私がヒフミと連絡先交換などしているわけもなく。
結果としてアロナに、調べられる限りのトリニティ生徒へ送ってもらうことになった。
勿論受け取った側は最初、そんな怪しいメールを無視をするだろう。しかしそれが全校生徒の3割ともなれば、必ずナギサまで情報は上がってくるはずだ。
後はナギサが情報の信頼性を確かめ、準備を整えるまでにどれほどかかるのかという話だったが、やはり優秀である。
「じゃあ、行くか」
そう一人ごちて、私は部屋を出る。
「……本当に、先生が行く必要あるんですか?」
アロナが不安げな声でそう言ってくる。私を心配しているのが、その表情から伝わってきた。
「流石に、ベアトリーチェを他人任せにするわけにはいかないからね」
ベアトリーチェ。あれは私と同じ、本来この世界にはいない存在だろう。しかも、色彩をここに呼び寄せる大戦犯だ。そんなことをされる前に、大人のカードを使ってでも確実に消し去りたい。
──そうなれば、セイアも色彩を見て生死の境を彷徨うことにはならないだろう。
それに、生徒達を戦いに
ベアトリーチェの命令のもと迎撃に向かう生徒たちと、反対方向に走る。
そんな私に、酷く焦燥感のある声がかけられた
「先生っ!」
立ち止まり、声の方に体を向けると、そこには今まで見たことがないほど焦りの表情を浮かべたサオリがいた。
「先生っ、こんなところで何してるんだ! もう、他の皆は集合している。ついてきてくれ。先生の指揮能力があったら、トリニティの撃退もできないことはないはずだ!」
「……私は」
そう、気まずそうに返す私に、サオリは何か気付いたかのようにフォローを入れる。
「あぁ、安心してくれ。先生の身の安全は、アリウススクワッドの総力をもって保障しよう。先生は、指揮にさえ集中してくれればいい」
それでもなお目を合わせることすらない私に、サオリの顔は困惑に染まる。
「なぁ、どうした……」
その疑問の声は、徐々に小さくなっていき、最後には消えてなくなる。
その
いつの間にか、周囲にはもう人がいなくなっていた。
シッテムの箱を装備し、戦闘準備を終えたうえでトリニティと反対方向に走る姿。
アリウス自治区に敵が来るという異常な事態。
そして、数か月前にアリウス自治区に突如として現れ、なおかつ、ベアトリーチェから大きな被害を受けた人間。
その全てが、私という犯人へ繋がっていた。
サオリが、いつになく震える声で問いかける。
「……先生が、やったのか……?」
それは、知りたくない、認めたくない事実を知ってしまったかのような表情で。
私はそれに、無言の頷きでもって返答した。
「何でっ……私は、私たちは……っ」
呻くように、絞り出すように吐き出すサオリ。……信用、してくれていたのだろうか。
「…………」
俯き、無言になっていたサオリは、グイッと顔を上げるとともに、キッと目を引き絞り、私に銃を向けた。
「……何で、こんなことをしたんだ」
そう問う顔には悲しみがあり、銃を構える手は、何故か少し震えていた。
「……そうするのが一番良いと、思ったからだ」
サオリと目を合わせて、私はそう返す。それを聞いたサオリは一つ息を吐くと、力なく、自嘲するように笑った。
「結局……ミサキの言うとおりだったか。……そうなってしまった一因には、私たちもあるんだろう」
その言葉とともに、サオリは銃を下ろす。
「行ってくれ。もう、先生を撃ったところで何も変わらない。……私たちも、アリウスから出ていくよ」
そう言って、サオリは私に背を向けて去っていく。その背中にかける言葉を、私は持っていなかった。……彼女の故郷を破壊した私が、一体何を言えるというのか。
私も背を向け、走りだす。──ベアトリーチェを、殺さなくては。
▼▼▼▼▼
途中で何人かの生徒に聞き、私はベアトリーチェの居場所をつかんだ。
「──逃げなかったのね。良い心がけだわ」
アリウスにある、最も大きな聖堂。バシリカとも呼ばれるそこで、ベアトリーチェは悠然と佇んでいた。
「……私が犯人だと分かっていたのに、ずいぶんと余裕だな」
そう、ベアトリーチェを挑発する私に、彼女は笑って返す。
「私が逃げる時間程度、私の可愛い手駒たちが身をもって稼いでくれるわ。それに、貴方は相手にならないもの」
ベアトリーチェが手に持っている扇子で私の首元を指す。その異形の顔は、嗜虐心に満ちていた。
「どうせなら、目の前で死ぬ姿が見たいじゃない?」
その言葉とともに、ベアトリーチェが扇子を持っていないほうの手で指を鳴らした瞬間、私の首輪が──。
「──っ?!」
爆発し破片が飛び散る中、
「っ、何なのよ、それは!」
自分の思い通りにならない現実に、ベアトリーチェは怒り狂った。そんな中、私の耳にアロナの声が届く。
「先生、すみません……」
そう、酷く眠そうな声を最後にアロナがダウンした。今日、トリニティが来ると分かってからアロナはずっとバリアを張ってくれていたのだ。
これで少なくとも今日は、シッテムの箱は使えないだろう。
──そして私は、大人のカードを取り出す。
ベアトリーチェが、怒りとともに変形していく。
「ここで死ね、ベアトリーチェ」
「貴方が死になさい、先生──っ!」
大人の戦いが、幕を開けた。
▼▼▼▼▼
大人のカードを使用した数秒後に、私の心臓に激痛が走った。痛覚が消え去ったはずなのに、大人のカードはそれを貫通してくる。握りつぶされるかのような痛みに、私の視界は真っ赤に染まり、平行感覚が消えてなくなる。
私はふらふらと、近くにあった崩れかけの柱にもたれかかった。
──大人のカードの支払い請求が、使うごとに早くなっている。使えるのはもう、1~2回が限度だろう。
そう、回らない頭で考えながら、私はベアトリーチェと大人のカードの戦いを見守った。
もはや誰なのかもはっきりしないぼやけた生徒に向けて、ベアトリーチェの花のような頭部から、赤黒いレーザービームが繰り出される。石でできた床を抉りながら迫るそれに、タンクの生徒が盾を構え、どっしりと腰を下ろすことで弾く。
その隙に、他の生徒達がそれぞれの銃や装備でダメージを与えていた。
変形したベアトリーチェは、確かに出力が上がったのだろうが、満足に動けず、的としてもでかくなっている。
その体を、数多の銃弾が削り、穿っていく。
『ふざけるなぁぁぁ!!! 私は、こんなところで終わる器じゃないぃぃっ!!』
口がないはずのベアトリーチェの叫び声が、脳内に直接叩きつけられる。一体何個能力があるのか、ふざけた化物だ。
『お前らっ! あの男を殺せぇぇぇぇぇえ!!!!』
その彼女の叫びに反応したのか、今まで隠れていたアリウスの生徒達が、銃を構えてこちらへ向ってくる。
「くっ!」
仕方なく、ベアトリーチェを攻撃していた6人から、前衛と後衛を一人ずつ生徒の鎮圧に回す。
幸い、私に直接向かってきた生徒はすぐに気絶させれたが、ベアトリーチェのほうにも加勢されてしまっている。
「っ頼む!」
『お前たち。全力で敵の動きを止めなさい』
私の護衛に来た二人を、急いで戦闘に戻す。彼女たちは実際の生徒じゃないとはいえ、見ていることしかできない自分が歯がゆくて仕方なかった。
急いで戻した甲斐もあり、戦闘は徐々に相手を押し込んでいく。
これはいけるかと少し油断したのが、いけなかったのだろう。
「なっ?!」
ベアトリーチェが
大人のカードで呼び出した生徒が、パリンッとガラスが割れるような音とともに消える。そんな攻撃を背後から食らったアリウス生は、受け身もとれないままその場に崩れ落ちた。
「くそっ! ふざけやがって!」
──最悪の手口だ。こちらが生徒を傷つけまいとするのを、最大限利用している。
しかし、それはアリウス生にとっても驚きだったのだろう。背後からの攻撃で倒れた味方に、彼女たちは確かに気を取られていた。
「今だっ! 生徒を優先して気絶させろ! 戦いに巻き込ませるな!」
全力で指示を飛ばす。
トリニティの奇襲に合わせたのが功を奏した。周囲に生徒が少なかったのだ。私は更に一人の戦線離脱を引き換えに、アリウス生を戦闘から取り除くことに成功する。
『ああああああっっっっ!!!』
ベアトリーチェが、聞くに堪えない異音を発する。しかし、その叫びには意味があったのだろう。彼女の頭上に、赤黒い光のエネルギーが球体状に収束していく。
戦闘に疎い私でも分かった。──あれには、とてつもないエネルギーが込められている。
私の呼び出した生徒たちもそれを撃たせまいと、私の所に硝煙の匂いが漂ってくるほど一層、攻撃を激しくする。
『があぁぁぁぁぁ!!!』
それだけの攻撃を真正面から食らっているはずなのに、それでもなお彼女は全力で叫び、そしてそのエネルギーの塊を丸ごとそのまま、落とすように放った。
それはまるで、小さな隕石のようで。
真正面から食らったタンクの生徒は、構えた盾ごと一瞬で消え去り。その余波に巻き込まれた生徒も大きく弾き飛ばされる。
──そのうえで、大量の弾丸が彼女を襲った。
『ぎゃああぁぁぁぁ!!!!』
脳内に、ベアトリーチェの絶叫が響き渡る。
……勝敗を付けたのは、明らかに、単なる地力の差だった。
ベアトリーチェはどうみても、自らが表に立って戦闘するタイプではない。それに対し大人のカードは、戦闘に適していた。
そして原作と違い、今回のベアトリーチェには十分な備えをするだけの時間が足りなかった。もし奇襲に失敗していたら、ここまで上手くはいかなかっただろう。
自分がもつエネルギーの大半を放出したベアトリーチェに、何度も、何度も、弾丸が撃ち込まれる。
必死に抵抗するように出したレーザーも、誰もいない空間を薙ぐばかり。
そうして、大人の戦いが終わる。
倒れ伏したベアトリーチェは、もはや第二形態を維持するだけの力はなく。普段と同じ姿に戻った彼女の頭に、淀みなく銃が突きつけられる。
「ま、待っ────」
──パン。
その命乞いの言葉は最後まで出ることなく。無慈悲に、無感情に、銃の引き金は引かれた。
頭部から血を流し、ピクリとも動かなくなったベアトリーチェに、念をいれて追加で数発撃ち込む。それでもなお微動だにしない彼女の姿に、私はようやく一息ついた。
誰もいなかったはずの建物の陰から、人影がにゅっと現れる。
「──これは一体、どういう状況だ?」
私の目の前にいたのは、タキシードを着た双頭のマネキン人形、マエストロだった。
▼▼▼▼▼
「初めまして、先生。私はマエストロ。芸術をもって、この世界を定義するものだ」
そう、マエストロは両手を大きく広げた大仰な仕草で自己紹介をする。
そして周囲を見渡し、血を流して動かないベアトリーチェを見つめた。
「……そうか、逝ってしまったか、ベアトリーチェ。私は貴女のことが嫌いだったが、それでもその合理性には敬意を払っていたよ」
そう言って数秒間目を瞑り、改めて私たちのほうを向く。
「さて、先生。私は貴方に何の恨みもないが、ベアトリーチェへの義理くらいは通させていただこう」
その言葉とともに、どこからともなくガスマスクをつけたシスターたちが現れた。
「彼女たちはかつて「戒律の守護者」とも呼ばれた、ユスティナ聖徒会を
そして、マエストロの合図のもと、ミメシス達が襲い掛かってくる。
──私は結局、一つの武器を振りかざすしかない。
私の目の前に、いつもよりどこか透き通った生徒たちが現れる。
「──大人のカードか。それを使ったところで、苦しむのは変わらないだろうに」
私には、その言葉に返答するだけの余裕もなかった。体の奥から何か熱いものが上がってくる。こらえきれず喉から吐き出したそれは、美しいほど赤い血液の塊だった。
大人のカードも、もう限界を迎えていた。私が血反吐を吐くと同時に塵になり、私の手からサラサラとこぼれ落ちていく。
……限度額に達してしまったのか。これで私は、唯一の武器すら失ってしまった。
そんな私に、マエストロは問いかける。
「……先生。私は、黒服から貴方のことをよく語られた。そのうえで問おう。──何故、貴方は生徒を救う?」
私とマエストロの間で、激しい戦闘が巻き起こる。私でも分かるほどに、戦況は押されていた。飛んできた礫が、私の頬を薄く切り裂く。そこから零れ落ちた血が、頬を伝って地面に吸い込まれていった。
「貴方には、恨む権利があるはずだ! 理不尽にこの世界へ連れてこられ、不条理な責務を背負わされた貴方は何故っ、それを受け入れられる?!」
その木製の体をギシギシと軋ませながら、マエストロは私に語る。何故、お前はそうなのだと。
「──じゃあ、どうしろっていうんだよ」
その声は、深く、深く、地の底から響くような、あまりに暗い感情に満ちていた。
ナイフと銃はどちらが好きですか?
-
ナイフ
-
銃