それは、初日のことである。
私が何も分からないままキヴォトスへ連れてこられ、シャーレを奪還した後の話だ。
連邦生徒会長代理すらもいなくなり、私しかいない静かなシャーレの休憩室に、その声は響いていた。
「あああぁぁぁぁ?!!!!!」
現実を受け入れられなかった者の末路である。
夢だと思った。夢だと信じたかった。いくら硝煙の匂いが、発砲音が、ミサイルの衝撃が現実を突きつけようとも、私の心はそれを拒んでいた。
「あああぁぁぁぁ!!!!!」
何度も壁に頭を打ち付ける。頭が狂いそうで、物理的に頭から血を抜いてもなお、私の頭は冷えなかった。
頭を打ち付ける
「誰がっ、誰が、こんなことを頼んだっ?!」
一体誰が、本気でゲームの世界に入りたいと思うだろうか。少なくとも私には、大切な家族も、明るい大学生活も、気の置けない友人だっていた。
「あああぁぁぁ???!!?!?」
絶叫する。頭を掻きむしる度に、耐えきれなくなった私の爪が少しづつ剥げていく。
「どうすればっ、どうすればいいっ?」
──どうすれば、私は帰れるのか。
そう考えた時、一番最初にでたのは自殺という言葉だった。死ねば、夢は覚める。
私は一瞬本気でそれを実行しようとし、そして、死の恐怖に負けて
でも、何もしないでいるのも怖くて。私は物という物に当たり散らす。
壁を殴り、椅子を蹴飛ばし、枕を引き裂き。そして──一切なんら変わらない現状に、私の心が黒く染まる。
体力すら尽きた私は、部屋の隅、冷たい床の上で蹲った。
電気すらついていない、暗い部屋の隅っこで、私は必至に考えていた。
──私がここに呼ばれたのは、キヴォトスを救うためだ。なら、救う対象がいなくなったら?
「……キヴォトスにいる全生徒を、殺す?」
無理だった。
只の大学生でしかない私には、そんな能力も、度胸も、あらゆる全てが足りなかった。
「何か、アイテムを使う……?」
しかし、ゲームにでたどんなアイテムも、オーパーツも、画面から飛び出してきてはくれなかった。
大量の血を流し、冷静になった頭で考えてもなお、私の心に去来するのは絶望しかなかった。
いや、最初からうっすらと分かっていたのだろう。だからこそ、私はあそこまで発狂したのだ。
──
「っ、あああぁぁぁぁあああああ!!!!!!」
その思考が脳裏をよぎる度に、私の気が狂いそうになる。
発狂して、当たり散らして、絶望して。そのサイクルを繰り返す。世界を恨み、生徒を恨み、そして、無能な自分を恨む。
そうして出来上がったのは、ただただ部屋の隅で体育座りをして動かない、人間大の置物だった。
絶叫で喉は枯れ、頭から出た血も冷えて固まる中で、思考だけが空転する。
──孤独だった。
私はこの世界で、天涯孤独になってしまった。正真正銘、一人っきりだ。
無条件で愛してくれた家族や、信頼し合えた友人がどれほど有難い存在だったのかを、私は心から痛感する。……すべてはもう、過去のものになってしまったが。
家族も、身分も、これまで積み上げてきた全てが消え去った私には、もはや何もない。この世界において『私』とは、『シャーレの先生』以外の何物でもなかった。
絶望と、寂しさと、諦観が私の心を支配する中で、私は一つの道の覚悟を持った。
──餓死しよう。
私は結局、この世界に向き合えないほどに弱かった。かといって、舌を噛み切る勇気も、首を吊る度胸もない私には、そんな消極的な自殺手段しかとれなかった。
そして、二日後。
私は、自らの食欲にすら負けた。
部屋を出て、久しぶりの水を涙を流しながら飲んでいた私は、『先生』になることを決めた。どっちにしろ、それしか私には残っていないのだから。
それに私では解決できない問題も、生徒と力を合わせることができれば解決できるかもしれない。
そんなどこまでも後ろ向きで、諦観とともに始まった私が、アビドスで絶望するのはそう遠くない話だ。
▼▼▼▼▼
私は、マエストロの問いかけにかつての自分を思い出し、思わず自嘲する。
私はあの時、全てを諦めた。それを受け入れると言うのなら、きっと私は受け入れたのだろう。
「──じゃあ、どうしろっていうんだよ」
もはや、先生としての口調すら崩れ去り。私の本性が現れる。
「恨んでないのかって言ったよな。──
──でも、どうしようもねぇじゃねぇか。と俺は続ける。
「どうすれば良かったんだよ。学校と仲間のために身売りする
恨まれようとも、世界を救うために全力を尽くした
戦火と悲鳴に包まれるトリニティを、悪意とともに洗脳されたアリウスを、関係ないと放り投げれば良かったのか?」
「──できるわけ、ねぇだろうが」
何もしなければ、多くの人が不幸になる。
私はそれを知っていた。知ってしまっていたからこそ、私の弱い心は、それから目を逸らすことができなかった。
「だから私は生徒を救う。ただの自己満足のために」
私はそう、マエストロに真正面から言い放つ。……それに憎み続けるには、私はこの世界と交流しすぎてしまった。
「……そうか、ありがとう。先生、私は貴方という人物に、心からの敬意を払おう」
そんなマエストロの言葉に、私は苦笑してしまう。こういう奴がいるからこそ、私はこの世界を見捨てることができないのだ。
そして改めて、私とマエストロは向かい合う。
そんな私たちの空気を引き裂いたのは、たった一つの声。
「──先生」
その声は、あまりにも懐かしく。私は思わず体の痛みも忘れて、バッと振り返る。
そこには、いつもの緩い雰囲気を拭い去り、口元を真一文字に引き絞った、小鳥遊ホシノが立っていた。
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あまりに予想外な人物を前に、私の思考が空回る。
何で、何でホシノがここにいる? ここはアリウス自治区だぞ? もしかして私を追ってきたのだろうか、ムツキと同じように。もしくは、ヒフミの応援にでもきたのか……?
そんなホシノは、私を守るようにそのショットガンの銃口をマエストロに向けた。
その事実に、私は困惑する。何故だ。私は恨まれていたはずだが。
「──先生。私は、たくさんの人から貴方の話を聞いた」
元ヘルメット団の子、元カイザー理事、そして、何故か向こうから来た黒服、と、ホシノは一つ一つ挙げていく。
「正直、先生のことは今でもよく分からない。……でも、貴方が他人のために動いてたことは分かったから。だから私は、貴方を知りたいと思う」
そう、ホシノは言って。
「後で、セリカちゃんには謝ってもらうけど──私は今、貴方を助ける」
その言葉とともに、ホシノがマエストロに向けて、そのショットガンをぶっ放した。
目の前で、みるみるミメシス達が倒されていく。
ホシノが引き金を引く度に、相手の体が倒れていく。相手の放つ弾丸に、イカれた反応速度で盾を掲げ、僅かな隙に無理やり銃身をねじ込んで相手を押し込む。
一緒に戦うのが初めてなはずの大人のカードの生徒とすら、その場の空気で連携を取り、ただの一度の被弾すらなくミメシス達を処理していく。
数多の銃弾が飛び交う戦場で、彼女はどこまでも安定していた。
「くっ!」
マエストロが後ろに下がりながら、追加で新しいミメシスを出してくる。
──しかしそれすら、彼女の殲滅力の前には意味を為さなかった。
ホシノの動きには、一切の迷いがない。
盾を構え、ショットガンを撃ち、相手の意識がそちらに向いたところで手榴弾が炸裂する。淀みないその動きに、私はいつ彼女がリロードしているのかすら分からない。
「……ここまでか」
その言葉と共に、マエストロが一気にミメシスをばら撒く。
それをホシノが、鬼神のような勢いで処理していく。死角からの狙撃を当然のように避け、突っ込んできた相手をシールドバッシュで弾き飛ばし、体勢の崩れたところにショットガンをぶっぱする。それは正しく、処理という言葉が似合っていた。
結局、マエストロがばら撒いた数十体のミメシス達は、僅か7~8分で全て倒される。そのうえで、彼は既に行方をくらましていた。
曇り空の切れ目から、太陽の光が差し込む。
倒れ伏した多くのミメシスの中心で一人立っているホシノの後ろ姿は、息を呑むほど美しく。それはまるで、完成された一枚の絵画のようだった。
──勝った。勝ったのだ……!
ベアトリーチェを殺してマエストロを退けたという事実を脳が理解し、じわじわと心の中に喜びが広がり、爆発する。
やってやった! という声が、心の中を反響する。
本当に良くやったものだ。体に余裕があれば、ガッツポーズして飛び跳ねているところだった。
勿論、これで全てが終わったわけではない。ホシノのことや、アリウススクワッドのことなど、まだまだ問題は残っている。
それでも、一番の難所が終わったことには違いないっ!
私はその迸る喜びのまま、ホシノに声を掛ける。
「ホシ──
ドンッという軽い音とともに、横から何かがぶつかったような衝撃が私の体に走った。
よろめきながら目を向けたそこには、どこか見覚えのあるアリウススクワッドの少女が、怒りと怯えの入り混じった瞳で私のことを睨みつけている。
よろよろと後ずさりするその少女の両手には、小さい手と反比例するかのように大きなサバイバルナイフが握られていて。
その赤く染まった刀身から、ぽたぽたと真っ赤な何かが滴っていた。
それを見て私はゆっくりと視線を下げ、自分のわき腹を見る。
鋭く切り裂かれていた服の内側からは、暖かい血液が止まることなく溢れていた。
──あぁ、死ぬんだな。
不思議なことに、私は何の感情も抱くことなく。そこにはただ、納得があった。
体が、自分の意思と無関係に崩れ落ちる。その視界の端で、ホシノがこちらに駆け寄ってくるのが見えた。逆光のせいで、その表情までは分からないが。
頭と地面が真正面から衝突し、暖かい液体が頭を濡らす感覚が広がる。そうだ、痛みはもはや感じないのだった。
「──お前のせいで! アリウスがっ、私の故郷がなくなった!」
暗くなっていく視界の中で、泣きながら叫ぶ少女の声が聞こえる。
その声で、私は彼女が誰なのか思い出した。あの時の子だ。私が初めてアリウスに来た時に、練兵場で殴られていた少女。……私が、無意識に庇ってしまった子。
その皮肉に、私は思わず笑ってしまう。
庇った子どもに、殺される。多くの生徒を救った代わりに、一人の少女を殺人犯に仕立て上げる。……あぁ、まったく。この世界は最後まで、思い通りにいきやしない。
駆け寄ってきたであろうホシノの声らしきものが聞こえる。
上手く聞き取れないけど、ただ、ホシノが泣いているのだけは分かって。
──あぁ、と胸を満たす安堵感を最後に、私の体はその機能を停止した。
「まったく。妾にできることも限りがあるんじゃぞ?」
補足説明1
アビドスでアロナが躊躇ったのは、初日の発狂を見ていたからです。
2
セイアは、拷問で9割5分折れていた心が最後ので完全に折れました。最後の一文がない感じです。
3
皆さんがナイフの方が好きだと言うので、少女は人を刺す感触が手から落ちなくなりました。刃物を持つ度に記憶がフラッシュバックして吐くので、一生刃物が持てません。