一般大学生先生   作:メタルウーパ

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クズノハ

 目を開けるとそこは、見知らぬ場所だった。

 

 暗く、暗く、果てまで暗く。空と水だけが無限に広がる世界。遥か遠くに、オレンジ色に染まる水平線が見える。その奥を覗きこもうとして、私は圧倒的な恐怖を感じてとっさに顔を伏せた。

 目が合ったわけではない。何が見えたわけでもない。ただ、見ようと考えただけで、生物としての本能が私の体を動かした。

 

 怖くて顔を上げることもできず。私は気晴らしに自分の体の状態を確認する。

 両手、両足。ちゃんと付いている。下にあるのは、さざ波を立てる水面。不思議なことに、水の上に私は立っていた。

 その水も、暗くて奥が見通せない。……未知という恐怖が、私に襲い掛かってきていた。

 

「──ほれ。こっちじゃ、こっち。こっちを向かんか」

 

 背後から、鈴を転がしたように可愛らしい、それでいて妙に古めかしい声が掛かる。

 バッと振り返ったそこには、巨大な鳥居があった。

 

『黄昏』と書かれたその鳥居は、淡く発光しており、その奥には……その奥には……何だ? 

 

「──それ以上は気が狂うぞ」

 

 その声に、私はハッと我に返る。

 そこで初めて、私は鳥居の上に座っている少女に気づいた。小さな体躯、長い煙管(キセル)とフカフカの尻尾。妖艶な笑みに、ぴょこんと飛び出たキツネ耳。──誰だ? 

 色々疑問に思いながらも、私はとりあえず口を開いた。

 

「忠告してくれてありがとう。おかげで助かったよ。それで、ここは何処で──()()()()?」

 

 その言葉に、余裕のあった少女の笑みが消え去る。

 彼女はスッ、と鳥居から下り、私の前に立った。思わず身構える。こんなところにいる謎の少女、絶対に只者(ただもの)ではない。

 警戒する私の様子に、彼女はボソッと呟いた。

 

「……そんなにもこの世界は、受け入れ難いものじゃったのか」

 

 その声とともに、彼女は手に持つその長い煙管で私の頭をコン、と叩く。

 

「愚か者が。ただの一度も名乗らんから、そんなことになるんじゃ」

 

 耳に残る、酷く悲しそうな声とともに私の頭にこれまでの記憶が一瞬でよみがえった。

 ……あぁ、なるほど。

 

「……クズノハ。私は、死んだのか?」

 

 その静かな問いかけに、目の前の彼女は、私の目を見て断言する。

 

「死んでおらんよ。……お主にとっては、残念ながらと言うべきかもしれんが」

 

「……そうか」

 

 その答えに、私は一つ息を吐く。自分でも驚くほどに、平静なままだった。

 そんな私の様子にクズノハは深くため息を吐き、私の目を見ながら、一つ問う。

 

「──自殺はまだ、続けるのかえ?」

 

 その言葉に、その眼差しに、私は思わず息を呑んだ。

 

「……自殺なんて、していないと思うが」

 

 なんとかそう返した私に、彼女はフンッとその形の良い眉を怒らせる。

 

「死んでもいいと思いながら行動するのは自殺と変わらん。お主はあまりにも、自分の身を軽視しすぎじゃ」

 

 ──幼子が一人、望まぬ罪に手を染めたことを忘れておるまい。

 その言葉に、私はあの少女を思い出す。……そうだ。私のせいで彼女は、その両手を血に濡らしてしまった。

 思い出した事実に酷く気落ちする私に対し、「じゃが、のう……」とクズノハは続け。

 

 そして、いつになく真面目な表情で彼女は言った。

 

「一人のキヴォトス人として、妾はお主に心からの感謝をしよう。──ありがとう」

 

 その言葉とともに彼女はその小さな頭を、私に向かって下げた。

 私はその光景に混乱する。何故私は、今初めて会った人間から急に感謝されているのだろうか。

 困惑している私の様子に、クズノハは言った。

 

「妾は、多くのことを見てきた。過去も、未来も。そして……お主の絶望も、苦難も、諦観も。そのうえでなお世界のために、生徒のために尽力したお主のことを」

 

 ──だから、感謝を。

 重ねられたその言葉に、私は驚愕する。──クズノハは、知っているのか。あり得た未来の、その先を。

 分かりやすい私の動揺は彼女に筒抜けだった。クズノハは頭を上げ、どこか遠くを見ながら告げる。

 

「──あぁ。知っておるとも。暁のホルスが囚われることも、無名の司祭の遺物が世界に仇なすことも、エデン条約が火に包まれることも。妾は全て、知っておる」

 

 クズノハの言葉に、私の思考が止まった。……もしそうなら、この子は──。

 

「……いや、私に感謝する必要なんてないよ。見ていたなら知っているだろう。あれは全て、ただの私の自己満足だ」

 

 別のことに気を取られ、ポロっとこぼれた私の言葉に、クズノハは困ったように笑う。

 

「それを言うなら、妾の感謝も自己満足のものじゃ。胸を張らんか。どんな思いであれ、お主の為した功績は変わらん」

 

 胸を張る、か。そんなこと、できるわけもない。

 私の功績が変わらないなら、私の罪もまた、変わることはない。セリカを囮にしたこと、アリスの誘拐、アリウスの滅亡。どれも、言い訳のしようがないほど明白だ。……それこそ、どんな思いであれ。

 

「そうじゃのう。お主の行動は確かに、強引なものもあった。それを認められない者は多かろう。あり得た未来を知らぬからこそ、なおさらな」

 

 そう言って、クズノハは穏やかに笑った。

 

「──だからこそ、妾が言うのじゃ」

 

 その声が、その眼差しが、あまりにも優しくて。無意識に、私の頬を涙が伝っていた。

 

「ん、あれ……こんなつもりは、なかったのにな……」

 

 そう言いながら袖で涙を拭う。本当に、誰かから感謝されることなんて、望んでいなかったのに。望む資格がないことは、私が一番よく分かっていたのに。

 

 溢れ出る涙は、なかなか止まってくれなかった。

 

 

 ▼▼▼▼▼

 

 

「──それじゃあ、お主の状況を説明しようかの」

 

 私の涙が大分落ち着いた頃、クズノハがそう切り出した。

 確かに、私はここがどこなのかすら知らない。

 

「まず、お主は死んでおらんといったが、別に生きておるわけではない」

 

 正確には、生きておるか分からんというべきかの。というクズノハの言葉に、私の頭は?で埋まる。

 

「そもそもお主は9割9分死んでおった。無茶をし過ぎなんじゃよ。妾が干渉してなければ、もうぽっくり逝っとるぞ」

 

 その言葉に、私は内心うんうんと頷く。大人のカードが(ちり)になるのは流石に予想外だった。だからこそ、何でまだ死んでないんだって話になる。

 

「そこはほら、妾のすーぱーぱわーでちょっとな。しかしの、妾にできるのはお主の魂があっちに行く前にここに連れ込むくらいじゃ。損傷したお主の体はどうにもできん」

 

 現世への直接的な干渉は、妾には不可能じゃからの。というクズノハに、私の疑念が蘇ってくる。やはり、この子は──。

 

「じゃから、最終的には現世次第じゃ。生き返れたなら、諦めずに蘇生し続けた者共に感謝することじゃな」

 

 ……しかし、もしそれで生き返れたとしても大人のカードの件が残っている。カードが塵になるまで支払われた寿命。一回死にかけたからと、踏み倒させてくれるほど甘いものではないだろう。

 

「……そうじゃの。そればっかりは、妾でもどうにもできぬ」

 

 そこでクズノハは私を真正面から見て、真っすぐな目で断言した。

 

「──3か月。それが妾の見立てじゃ。3か月後には、お主の体は碌に動かんくなっておるじゃろう」

 

 クズノハの見立てを、私は何故か凪いだ気持ちで受け止めていた。

 ……3か月。何十年を支払った残り(かす)が、その程度か。残りはあとカルバノグだけだが、どうにかなるだろうか。

 最終編がないから、リンちゃんの求心力もそこまで減らない。カヤ自体は小物だし、クーデターの切っ掛けも掴みづらいだろう。

 

 そこまで考えて、クズノハが無言でこちらを見ていることに気づいた。一体どうしたのだろうか。

 

「……そこまでさせてしまったのは、妾たちの責任じゃろう」

 

 そう言って、クズノハは酷く辛そうに、その顔を歪めた。

 

「すまなかった。なんら関係のないお主をキヴォトスに喚び出したこと。そして、あまりにも重すぎるモノを背負わせたこと。……妾には一切、申し開きできぬ」

 

 その謝罪には、悔恨と誠意が溢れていて。

 

「──謝るな」

 

 だからこそ、冷たく硬い私の声が、嫌に耳についた。

 

「もう、過去の話だ。ただ、運が悪かっただけ。そうだった。()()()()()()()()()

 

 連邦生徒会長の苦肉の策だった。あぁしないと、多くの不幸が起こった。それに偶然、私が選ばれただけ。しょうがなかった。誰も悪くなかった。

 

 それで、納得させたのに。

 

「頼むから、謝らないでくれ」

 

 ──今更、謝られたところで何も変わらない。

 ただ私が当時の心境を思い出して、不愉快になるだけだ。

 

「それに君には、その責任がないだろう」

 

「? 何でじゃ?」

 

 不思議そうな顔をして首を傾げるクズノハに、私の怒りが溜まっていく。

 ふざけるな。気付かないとでも思ったのか? 

 

「だって君は、私よりずっと……!」

 

 その先は、声にならなかった。(こら)えていないと、涙が出そうだったから。

 

「……やれやれ。気付いておったのか」

 

 呟くように言われたそれには、悲しいほどに優しさが満ちていた。

 

 

 気付かないわけがない。

 ──彼女は、全てを知っていた。あり得た未来も、私のことも。

 そのうえでなお、彼女は今まで、一切何もしなかった。……出来なかったのだ。

 

 一体、どれほどの地獄だろう。世界が終わると分かっていながら、それでもただ見ることしかできないというのは。

 彼女はずっと、目の前に絶望を見せつけられていた。

 

「まぁ、常人に理解できるものではないの。……してほしいとも、もはや思わん」

 

 何度手を伸ばそうとも、何度声を張り上げようとも、決して相手には届かない。

 手は(くう)を掴み、声は空気に溶けていく。

 この何もない場所でただ、世界の終わりを見届けるしかない。

 

「妾が干渉できるのは、極一部の特殊な者だけじゃったからな」

 

 預言の大天使や百花繚乱の委員長、異邦からの客人とかの。と彼女は指を折って数える。

 ……その、片手で終わる人数に、私の心が締め付けられる。

 

 それほどまでに、彼女はこの世界に囚われていた。

 

「……ずっと、ここに居たのか?」

 

 古めかしい口調に、もはや見ることもない長い煙管。見た目通りの年齢では、決してない。

 

「れでぃーに年齢を聞くのか!」

 

 冗談めかす彼女は、それでもどこか寂しそうで。

 

「……覚えておらんよ。こんな場所では時間なんて概念は(かす)れ、消えていくからの。何百年経ったのか……友人は皆、妾より先に逝ってしもうた」

 

 せめて最期くらいは話したかったんじゃがのう。と言うクズノハの姿が、あまりに哀愁に包まれていて。

 懐かしさと諦観の漂うその声に、私は思わず聞いてしまった。

 

「……クズノハは、それでいいのか?」

 

 私の問いに彼女は意外そうな顔をし、そして、穏やかに笑った。

 

「いいのじゃ。確かに、辛い時はあった。苦しい時も、悲しい時も。それでも、最後に選んだのは妾じゃ」

 

 彼女の美しいその在り方に、私は何も言えなかった。

 

 

 

 

「おっ、どうやら上手くいったようじゃぞ」

 

 ふと、クズノハの長いキツネ耳がピクピクと動き、彼女は言った。

 その言葉に、私は彼女との別れを悟る。

 

「目が覚めたら、周囲にちゃんと感謝するんじゃな。あの状態から息を吹き返させるのは大変じゃったろう」

 

「そうだね。……ありがとう、クズノハ。君もまた、私の命の恩人だ」

 

 そう言う私に、クズノハは笑って。

 

「その言葉が聞けただけで、妾は満足じゃ。……息災でな」

 

 そして、私の意識は遠のいていく。

 

 

 

 

 私は、生き返った。

 




知らないうちに友人に借金の連帯保証人にされていた。
家族や職場に迷惑をかけまくって、絶縁され、仕事も失い、家も何もかも売ってなんとか完済した後で、ひょっこり友人が現れる。

「ごめん、あの時は悪かった」

自分を見る。もはや何も残っていない。
友人を見る。私より良い服を着ていて、別に借金分のお金を払ってくれるわけでもない。


先生に謝罪するのは特大の地雷です。特に生徒からのは。
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