一人になって、落ち着いた頃。
私は凄まじい自己嫌悪に襲われていた。
ホシノにあんなこと言う必要はなかった。どう見ても完全な八つ当たりだ。
そもそもホシノは、驚くほどに心が広い。
一体どれほどの人間が、自分にとって大切な存在を傷つけた人間に対して謝罪なぞできるだろうか。それも、実際に被害を与えたわけではない人間に。
……もっと、罵られるかと思っていた。それは、受け入れる覚悟があったのだが。
生徒達に嫌われるのも、罵倒されるのも全部、私の自業自得でしかない。
私の自己満足を『世界を救う』という大義名分で振りかざして、多くの人間に迷惑をかけた。アリスを泣かせ、セリカに大怪我をさせ、アリウスを潰した。
少なくとも、私が余計なことをしなければセリカが大怪我をすることはなかっただろう。それも含めて、ホシノに非はない。
「……くそっ」
本当に、自分が嫌になる。自分より年下の女の子に当たり散らして。別に、ホシノが私を喚びだしたわけでも、その提案をしたわけでもないのに。
ホシノは巻き込んだと言っていたが、あれだって事実とは異なる。生徒の助力を得ようとした私の行いであり、見捨てられなかったという只の自己満足だ。
確かに、私は生徒のことを恨んでいる。ただの八つ当たりでしかないと分かっていても、それでも、心の何処かで彼女たちが居なければ、他の道を選んでいればという思いがこびり付いて離れない。
──しかしそれを、当人たちにぶつけるのは筋違いだろう。
「あぁあ~っ!!」
無性にバタバタする。この年になって、新しい黒歴史をつくった気分だ。
次に会ったら全力で土下座しよう。
私はそう、心に決めた。
▼▼▼▼▼
部屋を出て、私はゆっくりと座り込む。扉越しに
それをずっと聞くのも悪い気がして、私は家から出た。散歩でもしながら、頭を冷やそう。
──じゃあ、帰してくれよ。
先生のあの言葉が、脳内を反復する。
「そりゃそうだよね……」
ため息を吐く。私の考えが浅かった。
確かに、謝ったところで何も変わらない。私では、どうにもできない。それに先生は、一度だって謝罪を求めてはいなかった。
それなのに何故、私は謝ったのか。
「……そうするべきだと、思ったから」
口に出して、自分の考えを整理する。
同情は確かにある。でも一番は、あの眼だ。鏡を見ているかのような、慣れ親しんだ眼。
先生があんな眼になってしまったことに、私は凄く責任を感じている。……あんな眼を、誰かにさせるような人間にはなりたくなかった。
「……はぁ」
陰鬱な気持ちになる。先生の泣き声が、未だに耳から離れない。
──目の前であの
どうにかしてあげたいと思う。でも、どうにもできないのが歯がゆくて。それ以上に、先生がもう諦めてしまっているのが、痛いくらいに悲しかった。
「……どうしよう」
帰った時、どんな顔をして会えばいいのか。
先生も嫌な気持ちになっただろうな。これじゃあ、1年生の時と変わらない。……ユメ先輩なら、そんな思いはさせなかっただろうに。いくら真似ても、私の性根は
「……ん?」
ふと何かを感じて路地裏に目を向けると、チナが居た。
「こんなとこまで来てたんだ」
近寄って抱きかかえる。チナは相変わらず無抵抗だ。ふてぶてしいというかなんというか。野良猫だったくせに、警戒心の薄い奴である。
チナのモフモフした白い毛に、荒んだ心が癒される。アニマルセラピーは素晴らしい。
「……そういや先生も猫好きだったな……」
そろそろ家を出て一時間になる。きりもいいし連れて帰ろう。
帰宅し、部屋のドアを開けると、先生がベッドの上で頭を下げていた。
「──さっきは悪かったっ!」
そのまま、勢いよく謝罪を受ける。
予想外の事態に、私は面食らって何も言えなかった。……え? 何で先生が謝ってるの?
「……え? 何で先生が謝ってるの?」
驚きすぎて、思考がそのまま口に出ていた。そんな私の様子に、先生はちらっと顔を上げて。
「え、いや、なんか、物凄く八つ当たりしちゃったなって」
少し口ごもりながらの言葉に、私は少し考えて、やっと理解する。
──先生は、あれを八つ当たりだと思ったのか。いや、まぁ確かに見方次第では八つ当たりと言えるのかもしれないけども。
ストンッと気が抜ける。どんな顔で会うか真面目に考えていた自分が馬鹿らしくなってしまった。
声と体勢から、先生が誠心誠意謝っているのが伝わってくる。……あぁ、この人は──
「いや~、おじさんも配慮が足りなかったからね~。ここはおあいこってことで、手を打たない?」
意識して雰囲気を変える。ユメ先輩に少しでも近づけるように。
先生はきっと、ユメ先輩と同じ
自分が嫌になるくらい、あまりにも優しすぎる。……あぁ、眩しいなぁ。
場の空気を感じたのか、今になってチナが先生に近寄る。
人見知りな子なのに、やはり先生は動物に好かれやすいらしい。チナは先生の足の上で丸くなる。それを先生が優しく撫でているのを見て、私も優しい気持ちに包まれた。
私は朝と同じ学習椅子に座る。
──そうだ。私は、先生のことを知りたいと思って助けたんだ。
だから、次は私が聞く番だろう。
「──先生。貴方の話を、聞かせてほしい」
対話は、相互理解の第一歩だ。
▼▼▼▼▼
玄関のドアが開く音がした瞬間から体勢を整えていた甲斐があった。心の広いことに、ホシノは許してくれるらしい。
どこかほっとした空気になった所で、ホシノの後ろから白い毛並みの猫が現れた。
ふてぶてしい顔をしているそいつは、
多分、ホシノが飼っている猫だろう。私が覚えている限りでは飼っていなかったので、私がアビドスから出た後に飼い始めたのか。
名前はなんて言うのだろうか。私の足の上で2、3回足をふみふみして場所を査定した後、何の遠慮もなく丸まった。流石お猫様、傍若無人で唯我独尊だ。あまりにも可愛い。
右手で優しくなでる。特に抵抗はない。よほど人慣れしているのだろう。
温かい体と柔らかい毛並みに、撫でているだけで心が癒されていく。やはり猫は良いものだ。
猫を撫でていると、部屋の入口で立ちっぱだったホシノがやっと動き始めた。
そのまま家を出る前と同じ椅子に座る。私は手を止めて、ホシノと向かい合った。
「──先生。貴方の話を、聞かせてほしい」
そう切り出すホシノの顔は、どこまでも真剣だった。
……話、話か。私がキヴォトスに来てから今までの話をすればいいのだろうか。正直、あまり気分の良い話ではないのだが。
しかし、この後に及んで話さないという選択肢はない。ここまで迷惑をかけたのだ。出来得る限り、ホシノの希望に応えたい。
私は、ざっくりと話すことにした。
気付いたらキヴォトスに居たこと。アビドスでカイザー理事と契約したこと。ミレニアムでアリスを誘拐し、戦ったこと。ベアトリーチェの悪意に包まれたアリウスで、トリニティとの決戦の引き金を引いたこと。
そして、その理由を。
「──私はね、未来を知っているんだ」
その言葉に、ホシノの顔が怪訝になる。そりゃそうだ。一体誰がこんな話を信じるというのか。
……それでもこの話をしないのは、彼女に対する不義理だろう。
それに、これがなければ本当に私の行動に説明がつかない。
「その未来が、私は納得いかなくてね。それで、無理やり変えていた」
「……どんな未来だったの?」
ホシノは、とりあえず聞いてくれるようだ。未だ困惑はあるようだが、それでも歩み寄ろうという意思を感じる。
どんな、か。まぁここでアビドスの未来を語るのは、あまりにデリカシーがないだろう。
「例えばミレニアムでは、本来私ではなくセミナーの会長である調月リオがアリスを誘拐するはずだった。その結果として、彼女は学校に来なくなってしまう」
……物凄く気分が悪い。なんだこれは。これでは、リオを貶め、私が自分の手柄を自慢しているようだ。自慢になる部分など、一つたりともないと言うのに。
リオだって、本人なりに考えぬいた結果がそうだったというだけである。最終的な結果だけを見て、上から目線で他人を批評しているようで吐き気がする。
「あとは、エデン条約が調印される時にミサイルが撃ち込まれたり」
まぁ、どれも全て証拠なんてないのだが。これでは、痛々しい妄想を語っているのと何も変わらない。……そうだな。私だって、他人がこんなこと言ったって信じられない。
もう、いいか。
「……ごめんね、変なこと言っちゃっ──」
「──いや、信じるよ」
私の謝罪は、ホシノの力強い言葉に掻き消された。
信じてくれる理由が分からなくて、私はちょっと困った顔でホシノを見る。無理に同意させてしまっただろうか。
そんな私に、ホシノはいつもの
「まぁ、確かに信じがたい内容だったけどね~。でも、それなら先生の今までの意味不明な行動に説明がつくから」
──それに、先生がむやみに誰かを傷つける人間だとは思わないしね。
そう言うホシノに、私の心が痛くなる。……理由があったら、誰かを傷つける行為は許されるのだろうか。
ホシノは私の話を聞いてうんうんと何かを考えていたが、あっ、と小さい声を出す。
そして、おそるおそると言った様子で、私の目を見てきた。
「……先生は、未来を知ってたんだよね。それは……私の未来も?」
そのオッドアイの瞳には、疑念と、不安と、それを上回る熱量が籠っていて。
「……うん」
そう答えた瞬間、目の前の少女から、押しつぶされるほどの圧を感じた。
「──先生。“
その声は、隠しきれない興奮と冷たさに満ちており、その瞳は、
嫉妬、不安、そして圧倒的な熱量の入り混じったホシノの姿に、私は思わず息を呑む。
「“手帳”。ユメ先輩が残したはずの手帳。……私が、ずっと見つけられなかった手帳。こう、『たのしいバナナとり』って書かれた、緑色の手帳があるはずなんだ!」
ホシノは、私に伝わるように念入りに説明する。
「今は多少くたびれちゃってるかもしれないけど、右下にちゃんと『梔子ユメ』って署名が入ってる」
何度も、何度も。
「……ねぇ、先生。絶対どこかにあるはずなんだよ。……未来の私は、見つけているはずなんだ」
喋るたびに、その声からは元気がなくなり。
「……先生」
最期はもう、懇願するような声だった。
「……ごめん。私は、知らない。その“手帳”も、“梔子ユメ”さんについても」
目の前のホシノは、消えかけの蝋燭のように儚く。
救いを求めるその眼が、その姿があまりにも見ていられなくて。私は、耐えきれずに目を逸らした。
「…………そう」
そう答えたホシノの声を、私は絶対に忘れない。
私はまた、失敗したことを悟った。
地雷返し
チナという名前は、梔子(くちなし)からとってます。
申し訳ありませんが、少しお休みします。最長でも一か月程度です。ご容赦ください。