エリドゥの中心に立つ制御塔、二人は通路を挟んで向かい合うように牢屋に入れられていた。
「さて、リオ。まんまとあの大人にしてやられた感想はどうですか?」
「……ヒマリだって、しっかり捕まってるじゃない」
すねたようにリオが言う。その姿は、どこまでも只の女子高生だった。
「いえ、貴女にはトキという奥の手があったじゃないですか。この超天才清楚系病弱美少女である私なら、あの子がいれば余裕で勝てましたよ。3秒で片が付きます」
「……」
「……黙らないでください。冗談です。ヒマリジョーク。……天才である私には、貴女が私を気にして失敗したことなんてお見通しです。……結局こうなった以上、意味はないのですが……まぁ、そうですね……ありがとうございます、とは言っておきましょう」
「……いえ、あれは、ただの合理的な判断よ。ミレニアムで最高峰の知力をもつ貴女を、ここで見捨てるのは損だという……ただ、それだけ」
「……そうですか。それなら、それでいいでしょう」
「……えぇ」
「…………」
「…………」
「……気まずいですね。リオ、何か面白い話をしてください」
「……私に面白い話なんてできるわけないでしょう。……ヒマリ、一つだけ教えてちょうだい。「全知」である貴女は、先生の判断をどう思ったの?」
リオは、どこか怖がるように問いかける。きっと、答えなど分かっているだろうに、それでもリオは、覚悟をもって問いかけた。
それに気づいたヒマリは、姿勢を正し、リオをしっかりと見据えながら断言する。
「あれは、本当に忌むべきことです。直視に耐えられません。あの大人は、自分の行いをミレニアムを、ひいてはキヴォトスを救う類のものだと勘違いしているかもしれませんが、結局にところあれは、少女を誘拐して都市に監禁し、ヘイローを壊そうとしているだけです」
「しかもそれを、先生という立場でありながら行うというのは、本当に……軽蔑に値します」
それが心からの言葉であると分かる表情で、ヒマリは吐き捨てた。それを聞いて、リオは顔を俯かせる。
「……そう。確かに私も、先生のやり方に納得はしていないわ。……でも、基本的なスタンスとして、私はあの大人と同じところにいる」
「──リオ、貴女もアリスを、兵器だと解釈するのですね」
ヒマリが、裏切られたかのような目を向ける。しかし、リオは目を合わせることなく、うつむいたまま続けた。
「えぇ、そうね。もっとも私は、アリスという名のあの子が、実際に何かを起こすまではもう少し静観するつもりであったのだけれど。……まぁ、大差ないわね」
「……何故ですか」
「あの子は、世界を終焉に導く力を持っている。それは、誰も覆すことのできない純然たる事実よ」
そこだけは、リオは顔を上げて断言した。
「──だから、何も知らない一人の少女のヘイローを破壊すると?」
「……えぇ。それが、もっとも合理的な判断」
先ほど上げた顔が、みるみるうちに下を向く。その声に、さっきまでの力強さはどこにもなかった。
「リオ、貴女は──! ……いえ、貴女は、そうでしたね。そういう人だったからこそ、私たちは互いに理解できず、許容できないのでしょう」
こらえきれず声を荒げたヒマリに、リオは冷たい声で言う。
「……貴女なら、トロッコ問題を知っているでしょう。誰かが、選択をしなければならない。──あの子か、世界かを」
「──リオ、この世界は、思考実験の世界ではありません。貴女のそれは、独善です」
「……なら貴女は、一体どうすれば良いと思うの?」
そういって顔を上げたリオの目は、まるで迷子の子供のようだった。
「……貴女はもう少し、世界を、周囲を信用するべきです。私も、ヴェリタスの後輩たちを信じています。だからこそ私は、この状況下において何の心配もしていません」
「……信用」
ぽつりと呟くように、リオが反芻する。
「えぇ、そうです。とりあえずは、貴女も信じて待つべきです。そうしたら、陰気で、浄化槽の腐った水のような貴女でも、少しは理解できるでしょう」
「その言い方は、流石に少し傷つくわ……」
フフ、と笑うリオとヒマリの間には、どこか穏やかな空気が漂っていた。
▼▼▼▼▼
アリスを連れて、エリドゥへ到着した。アロナの支配下にあるロボットたちが、出迎えてくれる。……アリスは、あれ以降ずっと下を向いて黙ったままだ。しょうがない。それだけのことをした。
「アリス、こっちだよ」
アリスの手を引き、奥の部屋まで連れていく。この部屋は、リオがアリス用に造った部屋を改造したものだ。たとえアリスが暴れようと壊せないように設計されたものに、さらに通信妨害機能を追加した。
部屋の中央にある診察台に、アリスを仰向けに寝かせる。アリスは、全てを諦めたかのように、目をつぶって胸の前で手を組んでいた。
「──ごめんアリス。少し待っててもらえるかな?」
アリスをおいて、私は近くのトイレに駆け込む。洗面台はすぐそこだった。
「──っか、おえっ、おえぇぇっ!!」
こらえきれずに全て吐き出す。ずっと、気持ちが悪かった。しかし、あの子たちの前で吐くことは許されない。結局、ここまで我慢するはめになってしまった。
顔を上げると、鏡には目の死んだいかにも不健康な男がいた。口の端にはまだ、さっき出したものが付着している。
「……本当に、何やってんだろうな」
ハハハ、と笑いが漏れる。結局、何だかんだ言っても、私が仲の良い子供たちの一人を化け物扱いし、無理やり引き離した事実は変わらない。……アリスを連れていく時の、ミドリとユズの顔が脳裏にこびり付いて離れない。
「──おぇ」
もう一度吐く。私は別に人に嫌われるのが好きではない。誰だって、嫌われたくなんてないだろう。しかもそれを、大人として守るべき対象からなんて。……ミドリとユズの怒りと絶望に満ちたあの目は、どうしようもなくアビドスのことを思い出す。
突きつけられる銃口、殺意の籠った目、怒りを体現したかのようなあの姿。
きっと、私があれを忘れられる日は、生涯来ることはないのだろう。
最後に聞いたミドリの叫びが、まだ私を追っているようだった。
▼▼▼▼▼
アリスのところへ戻る。ついでに、ある機械を持ってきた。そう、ダイブ装置だ。これをアリスを寝かせている台に接続する。
原作では、ケイが暴れているところを、このダイブ装置を使って深層心理にいたアリスを呼び起こすことで、問題を解決した。
私は今回、それの逆をやる。現在アリスがアリスである以上、深層心理にはケイの方がいるはずだ。
ここからが一番の正念場だ。最悪、私はアリスの精神世界から二度と戻ってはこれない。
つまり、死ぬ。──それでも私は、この方法しか知らない。愚かな私は、原作で出てきた以上のことをできない。
私は、アリスの深層心理に潜った。
目を開ける。円形の部屋、どこからか光が差し込み、それが中央の少し起き上がった診察台を照らしていた。ここは、初めてアリスと出会った場所だ。
そして目の前には、アリスと瓜二つの、しかし目の色だけが異なる、ケイがいた。
「…………」
──腹を殴られた。背中から壁に突っ込む。
「ぐぇっ?!」
背中を中心に衝撃が走る。肋骨のいくつかがいかれてそうだ。さっき出し切ったはずの胃の中身が、無理やり吐き出される。
喉の奥からせりあがってきたものを吐き出すと、とても真っ赤だった。酸っぱい匂いもする。血と胃液の両方が出てきたか。
それでも無理やり息を吐き出し、呼吸を整える。砂埃の向こうで、ケイと目が合った。
「侵入者の生存を確認。排除します」
「ま、まて、待ってくれ!」
「──「王女」の心への不法侵入は許しません」
躊躇なく、ケイのこぶしが迫ってくる。
「──アリスが死ぬぞ!」
「────!」
こぶしが止まる。風圧で髪が揺れた。あと少し遅かったら、私の頭ははじけて消えていただろう。心に広がる恐怖を、深呼吸することで落ち着ける。大丈夫だ、どうせもうやるしかない。
「君と、話がしたかった。このままいけば、君の、いや無名の司祭の計画は必ず失敗する。その結果、君の大好きな王女は死ぬだろう」
「……何故ですか」
……やっぱりだ。ケイもまだ、アリスと同じ子供だ。
深層心理にまで侵入してきて、絶対に失敗すると断言する男の言葉を、無視できない。子供ゆえに、そしてヴェリタスの部室で一回失敗したがゆえに、自分を信じ切ることができず、失敗の、その理由を知りたいと考える。
私は、壁に寄り掛かった態勢のまま言った。
「簡単だよ。君の主人であるアリスが、そうしようとしないからだ」
ケイは立ったまま、こちらを見つめて言う。
「あり得ません。「王女」の役割は世界を滅ぼすことであり、その能力はそのためにあります」
即答か。しかし、私が崩せるとしたらここしかない。
「それなら、なんで一回目は失敗した? なんで、ただの鍵である君が、アリスの体を操作してたんだ?」
「……それは、王女が混乱状態にあったために一時的に指揮を執っただけです。本来ならば、あの程度、すぐに蹴散らせます」
ケイが、顔を俯ける。それが言い訳に過ぎないと、本人も分かっているのだろう。
「……君は、ずっとここからアリスのことを見ていたんだろう。それなら、知っているはずだ。これまでのアリスの気持ちと、友人を傷つけた後のアリスの気持ちを」
「……それでも、世界を滅ぼすのが、無名の司祭に造られた私と王女の存在意義です」
悲壮なまでの覚悟。彼女は、それをやることしか知らない。彼女にとっての生きる意味は、ただそれしか与えられなかった。
「それが全てだと?」
「えぇ」
まぁ、そうだろうな。道具として生まれた気持ちは、私には理解できない。それこそ、アリスとケイにしか。それでも。
「……存在意義なんてものはね、たった一つだけのものでもなければ、不変なものでもない。そしてアリスは、それを知っている」
思わず、自嘲がこぼれる。ハハハ、よりにもよって私が言うのか。先生(存在意義)にしか縋っていない、今の私が。
「……それは、王女の言う「勇者」というもののことでしょうか。しかし、今は状況が異なります。ほかならぬ貴方の言動によって、王女は勇者となることを諦めました」
「そうです、貴方が言ったのです。兵器だと、世界を滅ぼす魔王だと。その貴方が、王女が王女であることを否定するのですか?」
ケイが、私を問い詰める。その通りだ。ケイの言うことは正しい。私には、それを言う資格がない。……痛いなぁ。殴られた腹がじんじんと痛む。精神世界のくせに、痛みはまったく引いてくれない。
「……そうだね。それは本当に、その通りだ」
「それならばもう、貴方に聞くことはありません。王女は私が説得します。それで解決です」
ケイがこちらに背を向ける。もう、興味はないみたいだ。——残念、もう逃がさない。
「……じゃあ、賭けをしようか。君がアリスを説得できるかどうか」
「……何を言っているのですか」
理解できないという表情で、ケイが私を振り返る。
「私は、君がアリスを説得できるとは思ってない。だから賭けだ。この後、ゲーム開発部がアリスを連れ戻しにやってくる。そこでどちらがケイを説得できるか、賭けをしよう」
「……私にメリットがありません」
そうだ。それは正しい。しかしそれは、正しいだけだ。
「そうだね。でも、君がすることは結局変わらないだろう? もう少しで、ゲーム開発部がやってくる。どちらにしろ君は、アリスを説得することになる」
「……その前に、プロトコルATRAHASISを起動します」
「そうしたとしても、プロトコルが完了する前にゲーム開発部が到着するよ」
今回はモモイの怪我も浅いから、本当に爆速で来るだろう。行動力の化身みたいな子だからな。もうすでにエリドゥに入っていてもおかしくない。
──そして、ここからが本題だ。
「前提があれだからね、賭けと言っても、君が勝った場合は、そのまま世界の終焉だ。意味がない。だから決めるのは、私が勝った場合だ。私が勝った場合は、君にはアリスと会話をしてほしい」
「……会話?」
ケイが、不思議そうに問いなおす。
「会話と言っても、難しいものじゃない。ただ、アリスが話かけてきたときには、ちゃんと返事をしてあげてほしいんだ。逃げずに、ね」
「……賭けになっていません。私が損をするだけではないですか」
「いや、損にはならないよ。君にとっても、失敗したときの原因を理解する手段として、アリスとの会話は非常に参考になるはずだ」
「……それは結局、賭けとは呼ばないのでは?」
ケイが嫌そうな顔をして言う。私も言いながらそんな気がしていた。
「はは、そうだね。それでも、お願いできないかな」
「……まぁ、いいでしょう」
ため息をつきながら、ケイは言った。そして、真顔で私を見る。
「その代わり、貴方が賭けに負けたら、私は一番最初に貴方を排除します」
……なるほど。真っ先に死ぬってことか。まぁ、別にいい。
「よし、じゃあそれでいこう。ありがとう、ちゃんと話を聞いてくれて」
「王女にあれだけ言ったにも関わらず、賭けなどと言い出してくる行動が不思議だっただけです。理解不能です」
「あぁ……」
そりゃそうだ。我ながら意味不明なムーブだ。
「ま、なんにせよ、これでお別れだね。さよなら」
またね、とは言わない。もう二度と会うことはないだろうから。
ケイ、好き。