人生リセットボタン   作:布団は吹っ飛ぶのか

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人生リセットボタン

全てのものは移ろい、変化する。魂も肉体も、社会も、宗教も、正義も。

であれば何が我々を我々たらしめているのだろうか?

 

私はあの日のことを今でも覚えている。

「このボタンを差し上げましょう。」

 

「このボタンは『人生リセットボタン』です。押され次第速やかにあなたにはあなたの人生で感じる総量の幸福を遥かに超える幸福が齎され、」

 

「速やかにその人生を終えることができるでしょう。」

その男かもしれないし女かもしれない、天使を連想させるような、しかしなぜか服装は違和感を覚えなかった、そんな存在からソレを渡されたことを。

 

一度、いつ渡されたのか気になって思い出そうとしてみたこともある。結果的に中学生から高校生の間という何とも幅の広い事実、あるいは都合のよい思い込みを得られただけだったのだが。

 

そして、ソレは今私の前に堂々と鎮座している。手に取ってみるとやはり軽い。最初はもっと重かった気がするのだが今では軽く感じるーきっと私が成長したからなのだろうが。ー大きさもなんだか小さくなっている気もするがやはり確かに鎮座している。

 

押すか、押さないか。

ずっと迷ってきた。しかし結局のところずっと押す気には慣れなかったのだ。人生をリセットするのである。それに慎重にならない人間のほうが少数派だと確信している。それに、本音としてはこのボタンを押せるという状況を保ち続けたいという心情があるのだ。…まるで英文を直訳した様な表現だ。まあでも、ズバリ逃げ道がずっと欲しかったのだ。苦しまずにこの世から退場出来るならばそれはそれで幸せな事なのかもしれないと思ってしまう。

ああいけない、話がそれてしまっている。ある事を目指していたはずなのに別の物に惹かれ、其れを目指している途中に更に別の物に向かう。まるで円運動の様にベクトルが常に動いてしまった為にあんなに輝かしいと思っていた星には1mmたりとも近づけていないのだ。

思い返してみれば私の人生は後悔の連続だったのかもしれない。

小学校、中学校までは別に人生の目的、即ちなりたい職業や達成したい事、旅行してみたい、探検してみたい場所などなどを、深く考えなくてもよかった。

皆ケーキ屋だったり、Youtuberだったり、プログラマーだったり、勝手に世の中に失望したのかニートという人もいた。

しかし、高校生になってからは皆はどんどん輝かしくなっていった。より具体的な目標を定め、より具体的な学校に行こうとし、より勉強する様になっていったのだ。勿論、私の様にあまり夢が定まっていなかった人もいたが、そういう人たちは皆、学業を取り敢えずやるか、今を全力で謳歌していたのだ。

結局のところ、皆は何か一つの事ーそれが刹那的であるかは関係ない。ーに全力を注いでいたという話である。

それに比べて私は勉強もスポーツも、趣味も、交友関係も、金銭面でもすべてにおいて普通でしかなかったのだ。

天才は無駄こそが発想の根源だという。しかしそれは天才というスペックの高さがあるからこそ当てはまるもので私の様な凡才には当てはまらない事であった。

即ち、一つの目標を定め全力で、文字通り命を賭して何かを目指さなければならなかったのだろう。しかし私は全てにおいて分散させてしまったのだ。

一つの目標を達成するにはベクトルを一本引いてやるのが一番いい。しかしそのベクトルを分解していけば果てしない努力と才能が必要で、両方とも欠けている私にできないことは当時から分かっていたはずなのだ。

 

しかし、失敗してしまったのである。

 

大学生になってからはそれが一層顕著で、遊びにかまけている様に見える人は実は交友関係も広いし、成功とは別の幸福を持っている様に思えた。

勉強を頑張っていそうな人は学内懸賞論文において優秀賞を得ていた。

そして私は何もできていなかった。

 

社会人になってからはYoutubeで消費した時間に見合うかどうかは分からないが交友関係の重要性を意識していたこともあって、交友関係は築けたし、仕事もそれなりに覚えることが出来た。

そう、其れだけだったのだ。

社会人になったら数学なんて忘れてしまうという人が多数だった。-私は全てではないにしろ覚えている。

 

こうして自分の人生を振り返ってみると過去の自分を恥ずかしく思うし、後悔の念を抱かずにはいられない。

 

断片的な記憶も私の過失を責め続けている。偏差値がずっと59くらいでもう少し頑張ったら良いところに行けると言われ続けた事。

特にいじめもいじめられもしなかった事。友達にずっと本音を言えなかったこと。

 

 

 

気づいたら私は人生リセットボタンに手を伸ばしていた。あと1cm押したら私の人生は終わってしまう。

普段であれば決して押すことは無いだろう。しかし、今この時において、私の過去は負担にしかならなかった。

そして結局、私には勇気がなかったのだ。グチグチ過去に対する不満を述べたが、結局私は幸福だったのだろう。

ーそう結論づけて夕ご飯の準備を使用と立ち上がった際に、

 

 

何故か躓いてしまったのである。

それは致命的であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボタンを押した瞬間、私の脳は真っ白になり何も考えられなくなった。心拍数は飛躍的に向上し、過呼吸にも陥った。しかし、

 

何も無かったのである。そう、何も。

気が付いたら自分は笑っていた。頬を触ると確かに顔が歪んでいる事が分かる。何故自分がここまで笑うのか、自分にも良く分からなかった。そして、人生リセットボタンをゴミ箱に放り込んだ。勿論、もう要らない物だからである。もはや、これまでのちっぽけでこの世界にとって何ら意味の無い歴史は何ら重荷にならず、後悔はないと断言できるようであった。

 

晴れ晴れとした気持ちで自分はパンをワインと共に質素ながら夕飯を取るのであった。

自分を祝い、私を弔うために。

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