夜明け前の空はまだ深い藍色に沈み、特務隊宿舎の戦術会議室には、息が詰まるような張り詰めた空気が漂っていた。
壁一面のホロスクリーンに映し出されているのは、今回の任務地――多次元世界第73層、管理外エリア。
通称「エンフォース・ゾーン」。
薄暗いホロ画面に浮かぶ地形データの網目が、どこか冷たく見えた。
この場所に、犯罪者グループが複数の拠点を築いているらしい。
(ついに――任務か。)
胸の奥が、妙に静かにざわついていた。
昨日まではただの「予定」だった任務が、いま確実に現実へと形を持ちはじめている。
今回の作戦は、管理局武装隊を複数展開し、すべての拠点を同時制圧するという大規模なもの。
一夜にして組織を壊滅させ、残党を一人も逃さない――そんな苛烈さが、息苦しいほど空気に漂っていた。
問題は、俺たち特務行動隊が任される拠点。
「こちらが、我ら特務行動隊に割り振られた制圧対象だ」
シグナムの指先がホロスクリーンに触れると、複数あった拠点のうち、一つだけが鮮明に強調された。
中心部に構える、要塞型の複合施設。
監視塔、魔導障壁、迎撃用の魔道兵の多さ…
映像を見ただけで、厄介さが伝わってくる。
外観からも、守りに特化した構造なのは一目瞭然だった。
「……めちゃくちゃ厄介な場所っすね、これ」
ヴァイスがぼそりと呟く。
その声にティーダさんも眉をひそめ、息を潜めるように言葉を続けた。
「見た感じ、警戒網もすごい。他の部隊と共同作戦とはいえ、大勢でむかっても正面突破は不可能に近いんじゃ……」
俺も無言で頷いた。
訓練で磨いた連携や技術も、真正面からぶつかれば数の暴力に砕かれそうな、そんな圧力があった。
「そうだ。だから我らは、少数での隠密行動による奇襲作戦を取ることにした」
シグナムの声は落ち着いていたが、その瞳には鋭い光が宿っていた。
「この拠点は、確認された中でもっとも抵抗が激しくなると予想されている。
理由は、見ての通り拠点周辺に配置された迎撃設備の数々だ。
だが、組織の資金力を読む限り、逆に拠点内部の守りは少ないはずだ。」
シグナムが指を動かすと、別のホロ画面が開き、内部構造の簡易図が浮かび上がった。
「作戦開始は、現地の夜明けと同時。武装隊による一斉制圧作戦が全域で展開される。
特務隊の動きとしては、シャマルが拠点全体を囲うようにして広域遮断結界を展開、限界まで接近した後、一点突破で少数が拠点に侵入。内部から迎撃兵器群を停止させる。それが、お前たちの役割だ」
「なるべく交戦は避けて、電撃戦で内部へってことっすね」
ヴァイスが確認するように言うと、シャマルが頷いた。
「はい。外郭の戦力は最小限。防衛の主力は内部に集中しているはずです。こちらが気づかれる前に、主戦力が動く前に、可能な限り中枢へ到達して制圧してしまうのが理想です」
「……じゃあ、万が一、予想外の動きがあった場合は?」
「その時は、隊長陣で対応するさ」
少しだけ笑みを浮かべて、シグナムが言った。
「だが問題は――」
シグナムが再び手を動かすと、2人のデータがホロ画面に現れた。
【警戒対象:元管理局 空戦A+ランク魔導師 “ガイル・セイヴァン”】
元管理局航空隊所属。除隊後、消息不明。戦闘スタイルは高機動型・高速魔力収束砲撃。
【警戒対象:拠点リーダー格 “リベル・クロイツ”】
詳細不明。情報収集と指揮統率に長けるとの情報あり。局内でも「知能犯」として要警戒対象。
ホロスクリーンに浮かぶ顔写真を見つめる。
ガイルの鋭い眼光が、画面越しでも突き刺すようで息を呑んだ。
「ガイルは正面戦闘と空間掌握において極めて高い能力を持つ。
リベルは情報が少ないが、策を弄する頭脳派だ。どちらも放置すれば甚大な被害が出る可能性がある」
「……つまり、その2人を捕まえるのが、俺たちの任務ってわけか?」
気づいたら、俺が声を出していた。
声が少しだけ震えていたのを、自分で悟って息を整える。
シグナムは俺の目をまっすぐに見返して、静かに首を横に振った。
「いや、特務行動隊は、少数精鋭として動き、拠点制圧と要救助者の確保を最優先とする。
警戒対象との交戦は避けろ。今のお前たちには、荷が重すぎる。
我らは他部隊と違い、後方支援をあてにできぬ前提で動かねばならん。外の敵が多すぎて、拠点内部までは援軍はすぐに来られない」
言葉の重さが、胃の底にずっしりと沈む。
俺たちは“初陣”なのに、その初陣がいきなり孤立無援での潜入任務だという現実に、手のひらがじわりと汗ばんだ。
「じゃあ、警戒対象の二人はどうすんだよ?」
ヴァイスが低く問う。
その声には、若干苛立ちすら滲んでいた。
「私が相手するさ」
「ひとりで行けるのか?」
「私を誰だと思ってる…心配するな」
シグナムの笑顔は、いつも通りの自信に満ちたものだった。
でも――わかる。あいつは、俺たちを無理に巻き込みたくないから抱え込もうとしている。
その優しさが、逆に胸に痛い。
「作戦開始とともに、破壊力のあるヴィータが正面から陽動を行い、相手の主力を牽制・引き付ける。その間に、私とお前たちは側面から進入し、中枢部を制圧する」
「了解っす」
「はい」
それぞれが、小さくしかし決意を込めて返事をした。
俺は声に、不安が混じらないように、なんとか押し殺した。
そして――もうひとつ、気になる情報があった。
ゲンヤさんが一歩前に出て、低く静かな声で言う。
「それと、前知識として頭に入れておいてほしいんだが。数日前、犯罪組織が裏ルートを通じて“大型貨物”を拠点に運び込んだって情報が入ってる。
内容は不明だが、魔力探知に引っかからない処理が施されていたそうだ。ま、俺らにとって都合のいいもんである可能性は低い。用心しとけよ」
(大型貨物……? 一体、何を運び込んだんだ?)
想像するだけで背筋が冷たくなる。
この任務が、ただの拠点制圧で終わるはずがない――そんな予感が、強く胸を締め付けた。
「了解です」
俺の声が、わずかに硬く響いた。
「それでは、簡単に流れをまとめるぞ。」
シグナムがホログラムを閉じるとそれぞれのデバイスにメッセージが表示された。
送られたのは簡単な任務のまとめだった。
【任務目的】
拠点の制圧および構成員の拘束
警戒対象2名に関しては、交戦を避け拠点内部に監禁されている可能性のある要救助者の速やかな確保と保護を優先
大型貨物の所在確認、および安全の確保または破壊
最後に、シグナムが全員に視線を走らせる。
その瞳には、炎のような力強さと、ときおりはやてが見せる優しさが同居していた。
「敵は命を奪うことにためらわない。だが、我々は違う。
必要以上の戦闘は避け、可能であれば捕獲を最優先とする。魔法はなるべく非殺傷設定にしておいてほしい」
言葉を切ったあと、一瞬だけシグナムの瞳が揺れた。
そして、絞り出すように言った。
「だが――」
思わず、俺は無意識に口を開いていた。
「やむを得ない状況ならどうする?」
その問いに、シグナムは俺をしっかり見据えて答えた。
「その時は、お前達の判断を信じるさ。私から言えることは一つ――」
ほんの一瞬、シグナムの声がやわらかくなる。
「帰ってこい。誰ひとり、欠けることなくな。以上、作戦概要はこれで終わりだ。残り時間で各自、装備チェックを行い次第、各員搭乗機へ移動。準備を整えろ」
一斉に立ち上がる隊員たちの中で、俺は小さく深呼吸をした。
震える手に、ゆっくりと力を込める。
俺は、戦う。
誰かのために。知らない誰かであっても。
それが――俺にとって「当たり前」だから。
会議が終わり、自室に戻る仲間たちの背を見送りながら、俺はしばらく戦術会議室に立ち尽くしていた。
ホロスクリーンは既に消えているのに、頭の中にはさっきまで映っていた拠点の立体地図が、まだしぶとく残像のように張り付いている。
(大丈夫だって言い聞かせても……やっぱり、怖いもんは怖いよな)
深く息を吐くと、少しだけ胸が軽くなった気がした。
でも、まだ不安は消えない。
だからこそ、やらなきゃいけないことがある。
俺は踵を返すと、まっすぐ技術部の一室へ向かった。
目当ては、あいつだ。
技術棟の廊下を早足で進むうち、空気の匂いが変わっていく。
機械油の匂いと、どこか甘い香水のような匂いが微かに混ざり合う独特な空気。
その匂いを吸い込むと、少しだけ気持ちが落ち着いた。
ここは、俺たちが戦うための「武器」を生み出す場所だ。
薄く開いたドアの向こうから、かすかな機械音が漏れ聞こえた。
そっと覗くと、やっぱりいた。
アリシア・テスタロッサ。
フェイトの姉にして、特務隊きっての技術班エース。
初めて出会ったときのフェイトぐらいの背丈(※それでも今のフェイトには負けてる)を少し丸めて、モニター越しに浮かび上がる魔力制御回路図を睨んでいた。
長い髪が、わずかに揺れている。
その背中を見た瞬間、ふいにフェイトのことが頭をよぎった。
不思議と、少しだけ胸があたたかくなる。
「……アリシア」
声をかけると、アリシアは小さく肩を揺らし、振り返った。
「ユウト? どうしたの?」
声はいつも通りの落ち着いた響きだったけど、瞳の奥にうっすらと緊張が潜んでいる気がした。
たぶん、さっきの会議の内容を、アリシアも知っているんだろう。
「ごめん、忙しいとこ。デバイスの最終調整、見てもらえないかな」
「あ、ああ……うん! もちろん」
アリシアは即答すると、すぐに作業台の前を空けてくれた。
俺は腕に装着していたデバイスを外し、そっと差し出す。
アリシアの細くて白い指が、器用にデバイスを分解していく。
その様子をぼんやり見つめていたら、不意にアリシアがぽつりと呟いた。
「……ユウトは、怖くないの?」
アリシアの手が、ほんの一瞬だけ止まった。
「怖いって、何が?」
「明日さ。初めての実戦任務なんでしょ。ユウト、本当に大丈夫なのかなって」
少し笑いながら話そうとしているのが分かった。
でも、その声はかすかに震えていた。
「ま、闇の書事件とか色々あったし、ユウトに怖い物なんてないかな……あはは、変なこと聞いてごめんね?」
アリシアは再び作業を始めた。
精密ドライバーが金属部品に軽く触れる、乾いた音が静かに響く。
「怖いよ」
自分でも驚くほど、あっさりとした声が出た。
「えっ……」
「怖いに決まってるよ。死ぬかもしれない場所に行くんだ。誰だって、怖くないわけがない」
アリシアは顔を上げて、俺の目をまっすぐに見つめた。
その瞳は、琥珀みたいに澄んでいて、でも奥の方に炎のような強さが宿っていた。
「でも、それを誰かに押し付けて、自分だけ逃げる気にはなれないんだ。
怖いからこそ、やらなきゃいけないって思ってる。
怖いから、少しでも生き残る確率を上げるために訓練してきたし、こうしてデバイスの調整を頼んでるのも、そのためだ」
アリシアは目を瞬かせ、それから少しだけ頬をふくらませた。
「……自慢げに言うことじゃないよ、もう」
言い切る俺に向けた声は、呆れたようで、でも優しかった。
アリシアは工具を置くと、左手をこちらに差し出してきた。
「……え?」
「え、じゃない」
アリシアはむくれたように唇を尖らせた。
「はい、右手出して」
「なんで?」
「ほら、出して!」
言われるままに右手を出すと、アリシアは俺の手の甲をぴしゃりと叩いた。
というか、金具か何かを握っていたのか、わりと痛い。
「いった……!」
「怪我して帰ってきたら、今のよりもっと痛いお仕置きだからね!!」
アリシアが見せた笑顔は、勝気で、それでいてすごく優しかった。
その笑顔を見た瞬間、胸の奥の重さが少しだけ溶けていく気がした。
「ありがとうな、アリシア」
「いいって。ユウトには、ちゃんと無事に帰ってきてもらわないと困るからね。
私、フェイトに怒られちゃうかもしれないし」
アリシアは小さく笑いながら、デバイスの魔力制御回路を閉じた。
淡い光が一瞬、花火のように瞬いて、すぐに静かに消える。
「調整、完了だよ。いつもより魔力効率上げておいたから。絶対に、無理だけはしないでね!!」
「了解」
俺はデバイスを受け取り、自然と笑みがこぼれる。
心の奥に、小さくとも確かな火が灯るのを感じた。
(戦いはいまも、少し怖い。だけど――俺には、仲間がいる)
「アリシア。これからも、頼りにしてる」
「もちろん」
アリシアはにっと笑った。
その笑顔が、ほんの一瞬、戦場のことを忘れさせてくれるくらい眩しかった。