豪徳寺ミケとジャッジ 作:豆腐
雨が降っていて、とてもメランコリーな気分だった。
幻想郷という場所があるらしい。曰く、忘れ去られたものが集う場所。曰く、現代では姿を消した妖怪が集う場所。豪徳寺の白猫達が言っていた。
きっと幻想郷は、私にとってとてもとても、丁度良い場所なのだと思う。
私のように、修行を受けさせてもらえない、紛い物の招き猫には。もしも、もしも存在しているのならば、私は幻想郷に行ってみたかった。雨に打たれながら、私はそう思う。
今日は雨が降っていた。経験からして、一年に一度あるかないかの大雨だと思う。突発的に降ってきたそれは、雷を伴っていた。
豪徳寺で過ごしている白猫達は、みんなお寺の中に入って雨を凌ごうとしていた。
私はそれを遠くから見ていた、白猫達は見てみぬふりをした。私は三毛猫だった。
招き猫は、悲しいことに私を招き入れてはくれないようだった。
雨が強くなっていく、木の下で体を丸めていても、気休めにしかならなかった。周りが見づらくなっていく、まるで深い霧に包まれたようだ。
体に水がまとわりつく、不快感が体を支配していく。気づけば私は涙を流していた。苛立ち、情けなさ、悲しみ、吐き気、色々な言葉はあるが、うまく言い表すことができなかった。
体を伏せたままにしていると、いつのまにか雨は止んでいた。
そして私は知らない場所にいた。先程まで豪徳寺の中にいたのに、今は雑木林の中にいた。先程まであった人工物の面影も気配も、なにもなかった。
まるで神隠しにあったみたいだ、もしかすると私は既に死んでいて、ここはあの世なのかもしれない。あるいは……ここが、幻想郷なのだろうか。
空気がとても澄んでいて、雨上がりのジメジメした雰囲気を吹き飛ばす気持ちのいい空が広がっていた。
そんな風に考えていると、目の前にキョロキョロしている白猫が見えた。
みるからに困惑しているその猫は、歯並びが悪くて、少し気味が悪く感じた。もしかしてあれが妖怪というやつなのだろうか。いや、違うか。
その猫は私に気付く、そしてどんどんこちらに近づく。
猫は、私の目の前にやってきて口を開いた。
「大半のゾーンが浄化された後、大凡の生命はその存在の意義を無くした。ゆえに私の目前に広がる景色と君は我が孤独な精神を癒すために現れた幻覚、あるいは空想なのだろう。君がたとえ意味をなさない虚構だとしても、名を名乗らせてもらおう。私の名はジャッジという。親愛なる君の名に、好奇の念が湧いて仕方がないな、水に濡れた哀れなる対談者どの」
何を言っているのか、少し理解できなかった。ゾーン? 浄化? 白猫の言っている言葉の意味をゆっくりと咀嚼して、ようやく目の前の猫が私に話しかけているのだと理解した。
「えっと……私は豪徳寺ミケっていう名前だけど」
「それは重畳。たとえ君が私のまなこの中の存在しえぬ幻影だったとしても、私もまた……この邂逅を喜ばしく思っているよ。豪徳寺ミケ」
「ど、どうも……あ、ミケでいいよ。あと私は幻覚じゃないよ?」
難しいというか、回りくどい言葉遣いで、会話をするのが大変というか、混乱するけど、敵意は抱いておらず、好意的な反応を見せていたので、少しだけ安心した。あと何やら私のことを幻覚扱いしていたので訂正した。すると、ジャッジと名乗る猫は驚いた顔をした。
「……君は、己の事をまやかしではなく、いまこの場に現存することが己の本質であるというのだな」
「うん、そうだけど……?」
「正直に打ち明けると、君の弁じる言葉が突拍子のないものだと私は思う」
「それは、どうして?」
「私は、ガーディアンが打ち倒され、浄化された空虚な世界を回っていた、しかし──」
「ガーディアンって?」
知らない単語が出てきたので、ジャッジに待ったをかけた。
「ガーディアンというのはゾーンを守護する存在だ、彼等は己のゾーンを守り、その存在を保つ」
「ゾーンっていうのは、街みたいな人々が生活してる場所の事?」
「その認識で概ね相違ない。ただ、些事な間違いを正せば、ゾーンは領域だ。しかし、君はゾーンの事も認識していないのだね? 些か君の育ってきた環境、培ってきた知識に疑問を提唱せざるを得ないね」
「いやあ、さっき来たばかりで、この場所についてよくわからないことばかりでね、面目ない……」
「ふむ」
私がそういうと、ジャッジは何か考えるようなそぶりを見せた。
話しかけて邪魔をしたら悪いと思い、私はジャッジが言っていた事を考察する。
ジャッジが言っていた、ゾーン。そしてガーディアン。ここが幻想郷と仮定すると、もしかして幻想郷って結構危うい? 文明が崩壊していたりして……
そう考えていると、ジャッジが考えるそぶりをやめた。
「私の中で荒唐無稽で、戯言のように吐き出され消えゆく疑問が一つ芽生えたが、ここは私が存在していた次元とはかけ離れた次元なのかもしれない」
「そうなの? 私は全くわからないけど……」
「不都合なことに、我々の双方が現状と所在を把握していない。なのでミケよ。この不明瞭な状況を打破するために、同じ志を持つ同じ可憐な猫として、結束するのはどうだろうか?」
「協力するっていうこと? いいよ。私もここがどんなところか知りたいし」
豪徳寺にいた頃は、正直白猫が苦手だった。私のことを白色に染め上げようとしてくるし。
けれど、目の前の、ジャッジと名乗る白猫は信用してもいいと思えた。
「万謝しよう、我が同士よ。さあ、この色鮮やかで奇妙な大地を共に赴こうではないか」
そう言ってジャッジは歩き出した、私もそれについていく。
少し歩いて分かったことだが、どうやらここは山の中らしかった。というのも、傾斜があったり、上の方から川が流れていたり。
そしてジャッジは、どこにでもあるような植物だったり、花だったりを物珍しい目で見たり、あるいはどこか懐かしいものを見る目で眺めたりしていた。
「そんなに気になるものなの? どこにでもある雑草だと思うけど」
「そうか、どこにでもあるか。君の世界に幾許か羨望の念を抱いてしまいそうだ」
「……さっき言ってた、浄化された空虚な世界って、どういう感じの世界だったか教えてもらってもいい?」
「構わない。浄化された世界は、ゾーン0……陳腐でくだらない謎解き以外、とりわけ面白みのない領域よりも、酷くつまらなくて退屈な世界だった。色を失い生命は現世への執着を失う。プラスチックの大地が消えて、生存空間が消える。終焉には平たく何もないゾーンだけが残る」
それを聞いて、私は……何も思い浮かばなかった。想像できなかったのだ。
世界が色を失う? 命が執着を失うって、死ぬということ? 先程まで豪徳寺で雨に濡れていた私には想像もつかないことだった。
「なんだか、とても大変だったんだね、ジャッジがいたところって。私には想像もつかないな」
「その労りの言葉を反芻させてもらおう。ミケ、他者を思慮する事は貴賎の別なく出来るわけではない。君はとても懇篤なのだな」
「いやいや、それほどでも〜!」
口ぶりからして、私の事を褒めているのだと分かった。あまり誰かに褒めてもらったことがなくて、私は少し舞い上がってしまう。
「しかし、私は君が本来起居していた場所がいかほどのものだったのか、微小ながらも興味が沸いてきたな」
「私が過ごしていた場所、か」
「その通り、君に不都合がなければ、是非傾聴したい」
「まあ……いいよ、減るもんじゃないしね」
私は少しずつ、豪徳寺での生活思い出しながら、話す。私は今、どんぐりを食べたような顔をしているのだろう。
「私は、日本っていう国にある豪徳寺っていう場所で生まれて、今まで育ってきたの。豪徳寺は、招き猫っていう名前の通り福を招く猫がいることで有名だったの」
「猫が福を招く? それは奇抜で私の知見では想像の及ばないものだな、ミケも招き猫だったのか?」
「いや、豪徳寺の招き猫はみんな白猫で、私みたいな三毛猫は招き猫にはなれない、というよりもならせてもらえなかったな」
「なるほど、これは私事に干渉する質問だから、君が返答しなくても私は気にも留めないだろうが、ミケは招き猫になりたかったのか?」
そう言われて、少し考える。考えたけど、答えはずっと前から決まっていた。
「なりたかったな、招き猫」
「そうか、恐らく君にとってその豪徳寺での生活は窮屈極まりないものだったのだろう。少しばかり君へ憐れみの念を抱くよ」
「ありがとう。でも、そんなに悪いものじゃなかったよ。帰りたいと思うほどじゃないけどね」
「そうか……私も願わくば帰りたくはない。しかし、どれほど私が元いた場所を受け入れ難く思っていたとしても、戻らないといけない」
「……どうして?」
「罪をあがなうためだ」
そう言った後、ジャッジは私に、行こうと声をかけて、歩き出した。
私は色々な疑問が浮かんだけど、聞いたら嫌な事を思い出すかもしれないから、あるいは、聞くのが怖かったから。私は何も聞かないことにした。
それから数分歩いていると、ジャッジは立ち止まった。
急に立ち止まったジャッジを見ると、上を見上げて驚いたような表情を見せていた。気になったので私も上を見ると、空には翼の生えた人間と、色鮮やかな服の人間が光のようなものを放出? したり、それを回避していたり、不思議な事が起こっていた。
「なに、あれ」
「なん……なんだあれは?」
そもそも空を飛ぶのさえ不思議なのに。光を操っているなんて。
もしかして本当にあの世? あれって天使? 背中に翼が生えているし、でも格好的には天使とは到底思えない姿だった。黒い翼だし。いやいや、見た目で判断してはいけないな。
私はその場で呆気に取られていた、光がなくなるまでずっとその光景を目に焼き付けていた。
光がなくなった後、翼の生えた人間ともう一人の人間は何やら話し合って、それから翼が生えた人間はどこかへ飛び去っていった。
そしてカラフルな服の人がこっちへ向かってきていた。逃げたほうがいいのだろうか。いや、敵意は感じないので多分大丈夫だろう。
「さきほどからこちらを見ていたそこのあなた」
猫の私達に話しかけてきた。豪徳寺で見よう見まねで修行をしていたおかげで、私は人の言葉を理解して、話すことができる。
もっとも猫の体では声帯が存在しないので、人間の体に変化しないといけないのだが。なので、私は人間の体に姿を変えて応対する。
ジャッジが驚いた顔を浮かべるが気にせず対応する。
「はい、なんでしょうか」
「突然ですが、商人になってみませんか?」
突然すぎる、商人って物を売る人だよね? いきなり言われても私に出来るとは思えなかった。
「恐縮だが、まずは名を名乗らせてもらおう、私の名はジャッジという。そしてこちらは豪徳寺ミケ。我々は此処がどのような領域なのか、微小も把握していないのだ。ゆえに私達に僅かながらでいい、目に少しばかり刺激を与えそうな衣を纏った貴方の名前と知恵を授けてもらえないだろうか?」
「あら、可愛い猫ちゃんですね。どうしたのかな? お腹が空いたのかしら」
「へ……? もしかして今の聞こえていないんですか」
「何か言っていたのですか? 申し訳ないのですが、私には猫の言葉がさっぱりでして」
「あ、えーと。私の名前は豪徳寺ミケで、こっちの白猫はジャッジです。実は先程此処にきたばかりで、何もわからないんです。良ければ貴方の名前と此処がどのような場所か教えてもらってもいいですか?」
「なるほど、それは大変でしたね」
ふーむ、そう言ったふうに手を顎に当てる。目の前の女性は少しばかり考えた後に、
「よし、そういうことならば敬語はなしで、この私、市場の神であり、プレゼンターでもある天弓千亦が色々な事を教えましょう!」
「あ、ありがとうございますって神!?」
「おお、新鮮なリアクションね。信仰心も伝わってきた、いいじゃない!」
「神か、千亦もガーディアンのようにこの領域を己の手で管理し、物事を滞りなく進めているのだろうか」
「えっと、貴方はこの世界を管理していらっしゃるのですか?」
「いや、神様って言ってもそんな大したものじゃないわ。管理してるのは市場だけ、その市場も今は規模が小さくて、私はか弱い神様なんだけど」
天弓千亦を名乗る神は愉快そうに返答する。思っていたよりも重苦しい雰囲気ではなかったので、私の肩の力が抜ける。
ジャッジも苦笑しているように見えた。
そして神様は私達に説明を始める。
説明するわね。ここは幻想郷。人々に忘れられた物が集う楽園。そして今私たちがいる場所は幻想郷の西北側にある“妖怪の山”。
幻想郷には普通の人間以外に、妖怪だったり妖精だったり、人ならざる物が沢山いるわ。亡霊? もちろん亡霊もいるわよ。
そして、そういった人外は大抵ただの人間よりも強力で、人間を喰らったりするの。
ただ、幻想郷には、人間に恐れられているから存在を保っている妖怪も多くてね。
だから無闇矢鱈に人間を殺さないように幻想郷には色々ルールがあるの。破ったら問答無用で退治されちゃうから気をつけてね?
ルールは簡単。人里の人間は襲わない。襲うとしても人里の外で、スペルカードルールに従う事。幻想郷の外から来た人間はこれに含まれないけどね。
人里っていうのは幻想郷の真ん中より少しだけ北にある、文字通り人間が暮らしている場所ね。大体の人間はここで暮らしているわ。スペルカードルールは、さっき私ともう一人がやっていたやつね。
簡単に言えば、自分の中にある妖力とかを作って弾幕を作り出して、それをスペルカードっていう紙に結びつけて、使う枚数とかを宣言して、弾幕を当てたほうが勝ちって感じかしら。
あんまり深く考えなくていいわ。
妖力を知らないの? そうね、何もアドバイスはできないけど……Zキーを押す感じ? 何それ……変なことを言うわねその白猫
スペルカードルールは美しさを競う物だから、避けることのできない弾幕を作ってはいけないわよ?
元の世界に帰る方法? そうね、博麗の巫女っていう強い人間に頼んで、博麗大結界っていう幻想郷を囲ってる結界を越えれば、元の場所に戻れると思うけど。でも、人間以外は帰してくれないと思うわ。それに、住めば都だから無理に帰る必要はないと思うの。帰りたかったら相談したほうがいいけど。
そこのジャッジっていう猫は別の世界から来たの?
……申し訳ないけどその場合どうしたらいいのかまったくわからないわ。
「まあ、こんなところかしら」
「ありがとう千亦様、おかげで助かったよ」
「いいわよ! 商人になる事、前向きに考えておいてね!」
「わかったよ。市場を盛り上げるの頑張ってね」
「ええ、あなた達も幻想郷での暮らしに幸があるようにね」
そう言って千亦は去っていった。
後に残るのは静寂だけ。
「それにしても、此処が幻想郷だったなんて。知らなかったな……」
「まるでこの不可思議で脅威的な大自然の存在を以前より知覚していたような口振りじゃないか」
「存在はね、話にしか聞いたことはなかったけど、思っていたよりもファンタジーだったわ」
外の世界ではあり得ないことが立て続けに起こり続けていて、頭が冷静になってきた。
「それで、ミケは今後の道筋をどうするのだ? かの神から掲示された通りに商いを始めるのか」
「そう……しようかな、他にやることないし」
「であれば、私は君と今一度別れを告げねばならないな。あいにくだが、君が商人として大成する道に付き合えるほどのゆとりはないのだ。元の次元に帰還するためにも、私はこの領域を旅して帰る術を探さないといけないのでね」
確かに、元の世界に帰りたいジャッジと、この幻想郷にとどまろうとしている私とでは、目的が違う。お互いのためにはならないだろう。
短い間だったが、楽しい時間を過ごせたと思う。だから私は、ジャッジに何かを贈ってあげたいと思った。この迷子の白猫に何か幸を、と思い。
「待ってよジャッジ、別れる前に一分ぐらい待って」
「構わないが、いったい何をしようというのだね」
ジャッジが訝しむような表情をこちらに向ける。私はそこらにある花を取って、それを編み込んでいく。不格好ながらも花冠が出来上がる。
「これ、ジャッジのこれからに幸があるように、花を珍しがってたからさ」
「……心の底から感謝しよう。親愛なるミケよ。しかし、言葉にし難いが、君に何か返せるほどの価値が付与されている物を私は保持していないのだ」
「いいよ! タダで、ほんの気持ちだから。ただ、次回はお金を払ってね?」
「重ねて君に感謝の念を。そして私からも、心の底から、君のこれからの生涯に在らん限りの祝福を」
そして私とジャッジは別れを済ませた。もしかしたら、もう会えないかもしれないが、惜しむ気持ちはなかった。
あと一話だけ続きます