マルロクマルマル、起床した後二度寝。
マルハチマルマル、吹雪に起こされ布団から這い出る。
パジャマを脱ぎ中学生の制服染みた古風なセーラー服の袖に腕を通す。
部屋の隅に置かれた姿見を見ると眠たげな目つきの素朴な美少女が学生服に身を包み立っている。変な感じだ。つい先日までは画面の向こうに居たはずの女の子に自分がなっている。
私には決して知られてはいけない秘密がある。
それは、
私が特1型駆逐艦初雪であると同時に中身がただの一般ニートだということ。
時は少し遡る。
『おれ』は勤めていた工場が閉鎖され職を失ったことを良いことに自室に引きこもってネトゲ三昧の生活を満喫していたニートだった。幸いそれまでブラック一歩手前の就業時間を過ごしていたことでお金には困らなかった。
ポテチをコーラで流し込みながらゲームに興じる。
そんな中始めたのが艦これだった。元々、この作品が好きで書籍や漫画を買い漁りエアプ提督として雑談掲示板で語り合ったりしていた自分が自由な時間を手に入れたことでゲーム本編に手を出してハマるのにそう時間は掛からなかった。
就寝時間は無くなり長時間同じ姿勢で艦娘の指揮に没頭する。
そんな生活を三日三晩続けたある時、破局は突然やってきた。
「あ…がっ!」
何の前触れも無く胸の奥が痛みだし身体中から脂汗が吹き出す。何も考えられないほどの激痛に身を捩り椅子から転げ落ちる。
「な…にが?……誰…か」
助けを呼ぼうにも一人暮らしの一室には手を差し伸べてくれる人はおらず段々と意識が遠のいていく。
部屋に場違いな電子音が響く。
『"艦娘"が鎮守府に着任しました』
パソコンから聞こえたその言葉を最後に『おれ』の意識は消失した。
潮の香りが鼻腔をくすぐる。強い風が身体を揺らすのがわかった。
「_______きて。____おきてください!」
誰かに頬をぱちぱちと優しく叩かれる。ゆっくりと目を開ける。
セーラー服を着た真面目そうな女の子の顔が見えた。その背後には船の艤装を模した機械類。
「ふ…ぶき?」
自然と名前が口に出る。彼女は「はい!」と気持ち良く答えると『私』の身体を抱き締める。
「自力で航行できますか?」
「むり…」
とにかく今は眠かった。吹雪に自分の身体を預けて目を閉じる。
慌てて吹雪は私を揺すりどうにかこうにか立たせようとする。
「ええ?!起きてくれないと困るよ。て、提督、どうしましょう」
《とりあえず母艦に収容しよう。吹雪、曳航頼めるかい?》
耳元の無線から誰かの声がする。それは若々しくそれでいて優しそうな声だった。
まどろみの中、吹雪の温かさと小波の揺れに身を任せ、私は眠りについた。
「こ、こは?」
どれくらい眠っていただろう。私は清潔なベッドの上で目が覚めた。
知らない天井。壁や天井が鉄製で微かに部屋全体が上下していることを考えるとここは船の中なのだろうか。
「私は一体?……"私"?」
ごく自然に出た一人称に首を傾げ次に随分と高くなった自分の声に驚愕する。
「なに、この声?え?」
目線を下げる。すると微かだが隆起した胸とそれを覆い隠すセーラー服が目に入った。
制服から伸びる手足は白く細い。肉体労働で鍛えられた自分の身体とは似ても似つかない。
「どういう、こと?」
一筋の冷や汗がたらりと頬を伝う。その時、船室のドアが静かに開いた。その隙間から顔を覗かせたのは。
「吹雪?」
「はい!吹雪です。良かった。この姿でも分かるんですね」
「へ?」
艦娘の吹雪が画面を隔てずそこにいた。間の抜けた声が私の口から溢れた。
特1型駆逐艦1番艦吹雪、その魂を身に宿した艦娘吹雪。
現実にはいない筈の存在が目の前にいた。
「お、気がついた?」
彼女の背後から1人の男が新たに現れた。紺色の詰襟に制帽、海軍の第一種軍装を着こなした中背の青年。細身ながら良く鍛えられていることが服の上からでも分かり軍服もコスプレではなく着慣れている仕事着であることが立ち居振る舞いから察せられる。
私は彼が何者なのかが直感で分かった。
「司令官」
「うん。そうなるね。僕は坂井、佐世保鎮守府の提督をしている。君の名前を聞いても良いかな」
「私は…」
自分の名前を名乗ろうとした瞬間、私の頭の中に膨大な知らない記憶が流れ込んできた。
1928年進水
第十一駆逐隊
ガダルカナルの戦い
ブイン空襲
水平に沈没
「わた、私は、『初雪』、です」
自分の言葉に愕然とした。それは船の名前だ。『おれ』は。『おれ』は?
ハッと息を呑む。自分の名前が思い出せない。生前の暮らしは覚えている。キツい仕事もその後も。しかしどうしても名前だけが思い出せない。
「どうしたんですか?どこか痛みます?」
姉である吹雪が心配そうに私の顔を覗き込む。私は彼女から「大丈夫…」と顔を背けた。
私の中の『おれ』が言う。『可愛い艦娘を困らせてはいけない』と。
私は焦りを顔に出さないように気をつけて精一杯ポーカーフェイスを演じる。
「ここは…?」
私の問いに提督が答えた。曰くここは中型艦娘母艦『大隈』の艦内に設けられた居住区画で練習航海の帰り道なのだと言う。
艦娘母艦。小説でそんな設定があった気がする。
演習を兼ねて鎮守府近海を航行していたところ漂流していた私を見つけ収容したとのことだった。
この船の母港は佐世保鎮守府。聖地巡りで行ったことがある。とにかく坂が多くて疲れたことをよく覚えている。
「航海中にいつでも真水のお風呂に入れるんですよ。流石に損傷の修復は出来ませんけど」
吹雪が目をキラキラさせて力説する。それは嬉しいかもしれない。潮風はベタつくし。
「もうすぐ入港だから僕はブリッジに行くね。吹雪、彼女のこと頼める?」
「はい、お任せください!司令官!」
「良い返事だ。お願いね。初雪」
「…なに」
「佐世保鎮守府にようこそ」
私は、艦これの世界に来てしまったようだ。