蕭蕭と。雨が降っている。しずくの先を辿れば、雨で濡れている路上が見えた。薄く鏡のようになっている地面は、曇天を映した。しかし、ここではそう珍しくない光景なのか、はたまたここが大通りだからか、傘を差しながら歩く人は絶えることがなかった。
店が並ぶ通りの一つ、緑のパラソルが開いているその席に、少女はいた。簡易的なテラス席。もう少し風が強ければ濡れているような、そんな場所で彼女は眠っていた。背には茶色のカバン。身にまとっているのはゴシックロリータだろうか、フリルが多くあしらわれたものだ。赤と白で構成されたそれは、彼女のボブカットや髪の色、ちらりと見える表情からリスのような印象を抱かせる。
人の喧騒からか、雨風の音からか、彼女はううんと唸る。緩慢と起き上がり伸びをすると、少し身震い。
「んが....うっ、寒い...あれ、私何してたんだっけ?」
うんうんと寝起きの頭を必死に回転させるものの、混乱しているのもあってよくわからない。というかなんか寒いな、と改めて周りを見渡す。
雨が降っている。どうやらカフェのテラス席にいるらしい。通り過ぎる人はみんな外国人みたいな顔してる。なんだか建物も日本のものとは思えない。ここはどこだろう?
昔取った杵柄、もとい大学入試のために磨いた英語力でそのあたりの人に聞くことにした。
「は、はろー。あの、ここはどこですか?」
「ハイ。どこって、ロンドンさ。うっかり戦争前の地図でも持ってきたの?」
「え、いや....あ、ありがとうございました!」
ジョークはよくわからないのでとりあえず頭を下げてお礼を言って立ち去る。無礼ではない、これがジャパニーズなのだ。ともかく、ここはロンドンらしい。
「.....えーっと」
(ロンドン?ロンドンってあのロンドンだよね?イギリスの、ホームズとかの!)
言わずもがな、彼女に海外への渡航歴などない。だから抱くイメージはせいぜいがテレビの特集と創作物くらい。そんな彼女が連想するのがホームズなのは仕方のないことだった。
そして、彼女がホームズで連想するのは、彼のように頭の切れる上司のことだ。
(...こんな時、センター長さんならどうするかな。)
思考を深く巡らせる。以前都市伝説を調査していた時のように、今は何をすべきか。
(うーん。とはいっても、情報が少ないよね。ということは、だね)
【今の状況】を
【把握】するために
【持ち物を整理】してみる
(今の状況を把握するために持ち物を整理してみるといいのかも!)
(よし、早速調べてみよう!)
「えっと、ポケットには念視の眼鏡以外なんにもないから....このバックだけか。なにかあれー...!」
パチッ、とボタンを外すと、バッグの中を探る。出てきたのはノートパソコン、モバイルバッテリー、何かの地図、いくらかのノートとお財布。
「ノートパソコンはセンター長さんから借りたやつで、バッテリーは私のもの。ノートもそう」
(わからないのは地図とお財布。地図はたぶん、ロンドンのかな?右上にでっかく、書いてあるし。お財布も、私のものだけど、こんなに分厚くなかったと思う。お給料、呪いの椅子代でいっぱい取られてたから...)
「一応、中身を拝見。....って、わぁ!」
パチン、と留め具を外すと、そこにはぎっしりと詰まった50ポンド紙幣。硬貨もいくらか入っており、正にはち切れそうなほどの内容量だった。数えると100枚。硬貨の分も合わせるとちょうど5200ポンド。日本円でだいたい100万円ほど。
「ひゃ、ひゃひゃ、ひゃひゃひゃ!なんで、こんなに!?しかもポンドで!」
そもそもなぜここにいるのだろう、という疑問もある。この謎はまだ深く考えてもわかる気はしない。雨もそろそろ止みそうな頃合いだし、いつまでもここにいては店にも迷惑だろうと、とりあえず動くことにした。どうやらお金には困らなそうなことだし。
ぷらぷらとロンドンの街を歩く。通りすがる人はみんな外国人といった顔で、たまに観光客らしき人たちも見かけるが、それでも地元の人間の方が多いのはどこも変わらないらしい。観光客が買い食いしているのを見て、思えばお腹がすいてきた。適当に屋台売りしているものを買う。焼き栗?らしい。一つ食べてみると懐かしい味がする。
「あったかい....美味しいです」
「そりゃよかった。客も雨上がりでいないから、買ってくれて助かるよ」
「そういうものなんですね。はふ、美味しい」
「そうだ、嬢ちゃん見たところ日本の人だろ?ここ最近の噂は聞いてるか?」
「噂?ですか?」
首をかしげる。屋台の老店主は寒さのせいではない身震いをしながら、恐ろしいものを語るように話し始めた。
「ロンドンでもっぱらの噂なんだ。奴が蘇ったってな」
「蘇った?」
「ジャックさ。切り裂きジャック、ジャック・ザ・リッパー。ロンドンを昔、恐怖に陥れた神出鬼没の殺人鬼」
「ひぇ、あの、よく未解決事件、とか都市伝説とかで出てくるあのジャック・ザ・リッパーですか!?」
「ああそうだ。今からほんの一、二週間前さ、霧の濃い夜中、女の悲鳴があがる。警官が駆け付けると、女が切り傷から血を流して倒れてるんだ。息も絶え絶えな彼女が霧の中を指さしてこう言った。『あいつが再び霧の中から現れたんだ!切り裂きジャックが!』ってな」
「ひぇぇ!そ、それ、ホントなんですか!?」
「さあな。だがロンドンじゃあ今その噂で持ち切りさ。実際、ホテルだと注意だとかしてるらしい。あんたの泊まるとこでもされるんじゃないか?」
ホントなのかな、だったらこわいな、という思考と共に、あれ、そういえば私泊まるところあるのかな、という別の不安も去来した。むしろ、今の自分にはこちらの方がよほど怖いかもしれない。
「そういえば、もう一つ最近目立つ噂があるな。こっちは、そんな広まってないんだが」
「もう一つ?その噂ってどんなものですか?」
「なんでも、日本から都市伝説.....長いから忘れたな、なんちゃらセンターっていう、怪しい組織がこっちに来たらしいんだ。街中のどこかにも案内のビラがあるとかないとか....って、やっぱ信ぴょう性ねーよな」
「そ、それ!それ本当ですか!」
「俺は見たことないが、このあたりでも見た奴はいるそうだから、その辺歩いてればあるんじゃないか?」
「なるほど!ありがとうございました!」
そういうことなら、動き始めなければ。何故かお金の心配はいらないことだし、あの時のように、センターを探しに行くのだ。この異国の地で、何かをする手掛かりになるのは今のところそれだけだ。
...ちなみに。彼女が急にペラペラ喋れているのは、翻訳アプリを使用しているからだ。このことに気が付いたのは観光客を見てからだった。
☆◆☆◆☆◆☆◆
そう思い、通りを歩くこと数分。ふと視線を向けた路地裏の壁に、とあるビラが貼られているのを見た。
「都市伝説解体センター、怪異のご相談受け付けます....ほんとにあった....」
自分の記憶の中では、日本にしかないはずなのだが、なぜこのイギリスに?そもそも、あのグレートリセットの日から何があったのか?自分はなぜここにいる?あざみは起きてからしばらくして、ようやく把握しなければならない事柄を理解し始めていた。
「そのためにも、まずはセンター長さんに会わなきゃ!」
幸い、センターのある建物は近くにあるようだ。
その建物は外観は至って一般的なものだった。だが、隠されるように設置されたエレベーターからは、影のせいか何やら得体のしれない雰囲気を醸し出していた。そう、まさにここは。
「....都市伝説解体センターだ」
周囲の様子や、建物の違いといった差異はあれど、自分が毎日のように通ったあのセンターとまるっきり同じだった。ただ、エレベーター前にあの同僚が居ないことだけは違ったが。
エレベーターに乗り込み、しばらく揺られる。ごうん、ごうんと音を立てて下ってゆく。上部のメーターが動き、やがて止まると、扉が開く。
「す、すみませーん....あのぉ」
「散歩中にポスターを見てここに来られましたか」
「....!」
「どうやら、すぐにでも話したいことがある様子」
「....どうして」
「あなたの視線は相も変わらず、私の僅か後方に注がれている。まだ、視えているんですね?」
「フクライ アザミさん」
(センター長だ!まるっきり、初めて会った時のように!)
外観もそうだが、中の様子もほぼ同じ。毎度センター長に会うこの空間は、不可思議なものも、そうでないものも含め、都市伝説解体センターそのものだ。
そんな自分をよそに、センター長は静かにこちらを見つめている。まるで、こちらの考えをすべて読んでいるかのように。
「センター長さん、どうして、なぜ、ここに?」
「質問は一度にたくさんするものではありません。一つずつお答えしましょう」
「ぁ....はい」
センター長は.....廻屋渉は、車いすの上で語り始める。まず一つ、と人差し指を立てて。
「ここは紛れもなく、都市伝説解体センターです。“ロンドン支部”ですが」
「支部?」
「はい。日本ではイルミナカード....それらに関する事件を主に解決していきました。グレートリセットを終えた今、次は世界です。あざみさんには私がSAMEZIMA管理人だったことは見抜かれ、サイバーテロは日本の警察に“非解決事件”としてクローゼットへと封印されてしまいましたから」
「なるほど?」
「それに、日本だけでは留まらないのです。都市伝説というものは。知っていますか、アメリカのジャージー州にジャージーデビルと呼ばれる悪魔が居ること。ロンドンでは最近切り裂きジャックの再来と呼ばれる事件が多発していますし、そう、それこそ私が去った日本でも新しい都市伝説が囁かれているそうですし」
「な、なる、ほど?」
久しぶりにセンター長の都市伝説トークを浴びた。相変わらず、集中しなければ聞き取れないほどのマシンガン。脳内のセンター長がもう一人増えてしまうかとも思う。
「....そうでした、聞きたいことは他にもあるんです。私のことは、気になりますけど」
「なるほど。道中であの噂を耳にしたのですね。私も先ほど口にした『切り裂きジャックの再来』の噂を」
「はい。すでに被害が出ているとか...!」
「そうですね、『切り裂きジャック』は主に娼婦を狙った連続殺人の犯人。一般には五名の殺害の容疑が掛けられています。また彼、あるいは彼女は三通の手紙を残しており、中でも「地獄より」の手紙はグロテスクだったとか。現在の被害は未だ不明ですが....彼が都市伝説の『彼』なのか、とても興味があります」
「興味...って、センター長さん、殺人鬼も守備範囲なんですか!?」
とかく、この人は都市伝説となると、どうも倫理観や常識というものを無視しがちなのだ。それに、もし調査までしたとしても、『特定』と『解体』で終わらせてしまう。自分の友人が依頼者の時でも、あやうく人が死ぬ都市伝説だと判明しても、私が独断で向かわなければ『解決』には至らなかったかもしれない。
「....いや...ええ、そうですね。なので、あざみさんには旅先の疲れもあるところ悪いのですが...また、調査員として働いていただけないかと。まだ、『呪いの椅子』の借金は残っていますしね」
「あぅ....そうでした.....あれ、でも私のお財布にはお金がたんまり....」
「なにか?」
「い、いえ!えっと、調査するのはその『切り裂きジャック』ですよね?」
「もちろん。ターゲットは娼婦、女性を狙うとされていますが...まあ、あざみさんは大丈夫でしょう」
「...ソウデスネ」
なにかセンター長の視線がいつもに比べてふんわりしている気がする。たまにあることだが、そのタイミングがいまいち掴めない。だから、こういうときはすぐに調査に向かって走るのがいい。
「で、では、調査に向かいます!また後で!」
「ええ、ぜひ私の目となってください」
☆◆☆◆☆◆☆◆
あざみがセンターを出て、センター内には再び静寂が訪れる。しかし、そこには相変わらず一つ分の影がある。その影は、あざみの駆けた方向を見つめながら、独り言ちる。
「....やはり、フクライアザミには影響はなし、か」
「メグリヤアユムは少し勘づいている可能性がある...アレも視野に入れるとしようかな」
女性の影は、歪んだように笑った。
都市伝説に会えるまで次はありません