「プランBを発動するぞ!!」
ベンチから響き渡るクリスの声に、ピッチ上のイングランドの選手たちは一斉に彼へと視線を向けた。プランB? その言葉に、選手たちの脳裏には試合前のミーティングでのクリスの説明が蘇っていた。コングもまた、あの時のクリスの言葉を思い出していた。
***
試合前日のミーティングルーム。プランA、すなわちリトリートからのロングカウンター戦術の説明を終えたクリスは、満足げに頷くと、モニターの画面を切り替えた。そこには、先ほどとは打って変わって、選手たちが敵陣深くまで猛然とプレスをかけている戦術図が表示されていた。
「そして…」クリスは芝居がかった口調で続けた。
「プランAで試合を進め、状況が拮抗した場合、あるいは我々がゲームの流れを劇的に変えたいと判断した場合に発動する、我々の奥の手がある」
彼の目が、挑戦的に輝く。
「その名も『ストーミング』! プランAのリトリートとは真逆の戦術だ。フィールド上の選手全員が、ポジションに関係なく連動し、前線の高い位置から、嵐(ストーム)のような激しいプレスを仕掛ける!」
モニターのシミュレーション映像では、イングランドの選手たちが次々と相手選手に襲いかかり、ボールを奪い取っている。
「目的は、敵陣でのボール奪取! そして奪ったら即、最短距離でゴールへ向かう超攻撃的なショートカウンターだ! 相手に息つく暇も与えず、ピッチを支配する!」
しかし、とクリスは付け加える。
「この戦術は諸刃の剣でもある。見ての通り、常にフィールド全体を走り回り、激しいプレスをかけ続けるため、体力の消耗は極めて激しい。フルタイムで実行するのは不可能だ」
彼は選手たちを見渡し、説明を続ける。
「だからこそ、このプランBは、プランAで相手の体力を十分に削り、試合がある程度進んでから発動するのが最も効果的なんだ。理想(Ideal)を言えば…」
クリスは指を鳴らす。
「スコアが同点(イーブン)の状況で発動し、相手の意表を突き、一気に試合を決めるのが、最も美しい形(パーフェクト・シナリオ)だと僕は考えている」
彼は自信たっぷりに続ける。
「相手が個の強いフランスだからこそ、この全身全霊のプレスは大きなギャンブルでもある。彼らの個人技にプレスを剥がされるリスクもあるからね。だが、恐れることはない。我々マンシャイン・シティのフィジカル、組織力、そして何より君たちの最高のエゴがあれば、必ずやフランスの守備を粉砕し、ゴールを奪えるはずだ!」
その時、黙って説明を聞いていたアギが、鋭い視線をクリスに向け、手を挙げた。
「クリス、質問がある。なぜプランAの後なんだ? 相手を消耗させるのが主目的か? あるいは、リードされている今のような状況で使うのは、リスクが高すぎるのか?」
アギの的を射た質問に、他の選手たちもクリスの答えを待つ。クリスは「良い質問だね、アギ」と満足げに頷き、その理由を説明しようと口を開きかけた。
「それには、明確な理由(エビデンス)があるんだ。実は、このストーミングという戦術は…」
―――そこで、コングの回想は途切れた。
***
現在のピッチ。選手たちはクリスの次の言葉を待っている。プランB、ストーミング。その全貌と、この土壇場で発動する真の狙いはまだ明かされていない。しかし、クリスの自信に満ちた表情は、このギャンブルとも言える戦術転換が、勝利への道筋だと確信していることを示していた。イングランドの選手たちの間に、再び緊張と闘志がみなぎり始めていた。
クリスの声がフィールドに響き渡ると同時に、イングランドの選手たちの纏う空気が明らかに変わった。それまでの計算されたリトリートから一転、全員の意識が前へ、ボールへと鋭く向けられる。陣形全体が押し上げられ、ピッチには嵐の前触れのような緊迫感が漂い始めた。
イングランドボールで攻撃が再開される。プランBを意識しながらも、まずはゴールを目指す。ボールは左サイドで待つ千切へ。彼は爆発的なスピードでフランスのサイドバックを振り切り、ゴールライン深くまで抉ると、ゴール前へ向けて鋭く低いクロスを供給した!
ニアサイドへ飛び込んだのは凪!得意のトラップからシュートに繋げようとする!しかし、ゴール前を固めるフランスのセンターバックが、体を張って凪よりも一瞬早くボールに触れ、ゴールラインの外へとクリアした。惜しくもコーナーキックとはならず、ボールはフィールド内に残る。
クリアボールを拾ったのは、フランスの中盤の選手だった。彼はすぐさま顔を上げ、がら空きになったイングランドのサイドのスペースへカウンターを仕掛けようとドリブルを開始する。
その瞬間だった。
先ほどクロスを上げたばかりの千切が、まるでボールを失ったことなど忘れたかのように、驚異的なスピードで反転し、ボールホルダーへと猛然と襲いかかったのだ!それは、クリスが指示したプランBの鉄則――「ボールを失ったら、最も近くにいるアタッカーが即座にプレスをかける」――を体現する動きだった。鬼気迫る表情、限界を超えたスプリント。まさに嵐(ストーム)の始まりを告げるプレッシング!
千切の猛烈なプレスに、ボールを持ったフランス選手は明らかに動揺した。時間をかけずにボールを捌かなければ奪われる、と判断し、プレッシャーから逃れるように、近くの安全なスペース、つまり元々千切がいたタッチライン際のエリアへとパスを出した。
プレスを回避したかに見えた。しかし、それはイングランドの仕掛けた罠だったのかもしれない。
そのパスコースには、イングランドの司令塔、玲王が待ち構えていたのだ。彼は千切のプレスに完璧に連動し、相手がボールを逃がすであろうコースを正確に予測してポジションを取っていた。逃げてきたボールを、玲王は冷静に、そして確実にインターセプトする!
「よしっ!」玲王が小さく叫ぶ。
イングランド、敵陣の高い位置でボール奪取に成功! クリスが授けたプランB、ストーミング戦術が、発動直後から早速効果を発揮した。
玲王が敵陣高い位置でボールをインターセプト! イングランドにとって、プランB(ストーミング)が生み出した絶好のショートカウンターのチャンスが訪れた。玲王が顔を上げると、フランスのDFラインは慌てて自陣のペナルティエリア内へと後退し、ゴール前を固めようとしていた。PA内は密集しており、パスを通すのは難しい。
しかし、玲王の視野は広く、判断は冷静だった。彼は密集したPA内ではなく、その手前、中央やや右寄りのスペースへと走り込んでくる巨大な影――コングへ向けて、グラウンダーのパスを選択した。
「コング!」
コングは走り込みながら完璧なタイミングでパスを受ける。ゴールまで約25メートル。十分、彼のパワーなら狙える距離だ。周囲の喧騒も、迫りくるDFのプレッシャーも、今の彼には些末なことだった。脳裏に焼き付いたあの『皇帝』のフォームを再現すべく、右足が大きく振りかぶられる!強烈な一撃がゴールを襲うかに見えた!
だが、そのシュートが放たれる、まさに寸前。
横から黒い影が、まるで瞬間移動したかのように飛び込んできた。糸師 凛!彼は信じられないスピードで守備に戻り、コングがシュートを撃つまさにその瞬間を狙い澄まし、ボールに対して完璧なタイミングで鋭いスライディングタックルを敢行した!
ザシュッ!ボールだけをクリーンに捉える、ワールドクラスのディフェンス。コングのシュートは幻と消え、ボールは凛の足元へこぼれた。
「くそっ!」
コングはシュートを阻まれたことに一瞬顔を歪めたが、落胆している暇はなかった。クリスの指示が脳内でリフレインする――「奪われたら即プレス!」。彼はまだスライディングの体勢から起き上がれていない凛に対し、即座に、そして猛然とプレスをかけた!
「!」
凛はコングの素早い切り替えとプレッシャーに驚きながらも、倒れたままの体勢で、近くにいた烏へなんとかパスを繋ごうとする。
しかし凛からのやや苦しいパスに対し、烏の足がもつれる。トラップが乱れ、ボールがわずかに足元から離れてしまった!試合序盤から相当回数のイングランドのロングカウンターへの対応、身勝手な前線選手や守備のフォロー、激しいプレス、そして何度もコングの対応を全力で行ったことで、烏の体力は限界に近かった。
その一瞬の隙を、プレッシャーをかけ続けていたコングは見逃さなかった!烏の足元から力強くボールを奪い返し、再びゴールへと正対する!
今度こそ!
コングはゴールを見据え、今度こそ邪魔されるものかと、渾身の力を込めて右足を振り抜いた!ボールは唸りを上げてゴールへと向かう!
「だ、だめですぅ!」
慌ててフランスのMF、時光がそのシュートコースへと身を投げ出すように飛び込んだ。体を張ってブロックしようとする、必死のディフェンス!
しかし、コングのシュートの威力は、彼の想像を絶していた。
ドゴォッ!!!
鈍く、重い衝撃音。時光の体に何かが叩きつけられたような音だった。コングの放ったシュートは、ブロックしようとした時光の体の中心、鳩尾付近に、真正面からまともに直撃した。
「ぐぅっ……!」
時光は息を詰まらせ、声にならない呻き声を上げると、衝撃で体が「く」の字に折れ曲がり、そのままピッチに倒れ込んだ。完全に意識が飛んでいるかのように、微動だにしない。
ボールの行方は…? ゴールに入ったのか、あるいは弾かれたのか? しかし、それよりも先に、選手たちの視線は倒れた時光に集まる。審判の笛が鋭く鳴り響き、プレーは一時中断された。
コングの強烈なシュートが時光の鳩尾に直撃し、彼はそのままピッチに倒れ込んだ。すぐにメディカルスタッフが駆け寄り状態を確認するが、衝撃は深刻だったようで、プレー続行は不可能との判断が下される。
その様子をベンチから冷静に見ていたフランスのマスター、ロキは即座に決断を下した。
「時光、交代だ」
さらに彼は、ピッチ上で明らかに動きが鈍り、消耗しきっている烏 旅人にも視線を送る。
「…烏、君も限界だろう。交代しなさい。ボランチ二人、代える!」
ロキの非情とも思える、しかし合理的な判断。チームの心臓部であるボランチ二枚を同時に代えるという大胆な采配に、フランスベンチは一気に慌ただしくなった。控えの選手たちが急いでユニフォームを着替え、出場準備を始める。緊急事態であることは誰の目にも明らかだった。
その様子を、イングランドベンチで見ていたクリス・プリンスは、満足げに小さく笑みを浮かべていた。彼は隣に座るコーチングスタッフに、あるいは独り言のように呟く。
「フッ…プランAでじっくりと相手の中盤を消耗させた甲斐があったというものだ。フランスのボランチは前に後ろに走り回り、コングを何度もぶつけられて、もう限界だったからね。ストーミングを仕掛けるには、最高のタイミングだったというわけさ」
彼の言葉通り、プランAのリトリート戦術は、単に守備を固めるだけでなく、相手の中盤選手にボールを持たせ、被カウンター時に走らせることで、着実にその体力を奪っていたのだ。そして、相手が疲弊したこの終盤に、プランBのストーミングで一気に畳みかける。クリスの描いたシナリオが、完璧に機能しつつあった。
時光が担架で運ばれ、烏もふらつきながらピッチを後にする。交代選手が投入され、試合はイングランドボールで再開された。
しかし、試合の流れは変わらなかった。いや、むしろイングランドの優勢はより顕著になっていた。プランBの「ストーミング」を継続するイングランドは、フィールド全体で連動し、前線から嵐のような激しいプレスをかけ続ける。
フランスは自陣からボールを繋ごうとするが、すぐにイングランドの選手たちが複数で襲いかかり、パスコースを限定し、ボールを奪い取ってしまう。交代で入ったばかりのフランスのボランチ二名は、この試合の高いインテンシティと、イングランドの組織的なプレッシングに完全に戸惑っていた。パスミス、トラップミスが頻発し、チームにリズムをもたらすことができない。
ボールを奪っては攻め、奪われても即座にプレスをかけて奪い返すイングランド。試合の主導権は完全にマンシャイン・シティが握っていた。アギが、凪が、千切が、そして中盤からコングも積極的に攻撃参加し、何度もフランスゴールへと迫る。最後のフィニッシュこそ、フランスGKの好守やDF陣の必死のブロックに阻まれているものの、イングランドがゴールを奪うのはもはや時間の問題ではないか、とスタジアムの誰もが感じ始めていた。フランスは、ただ嵐が過ぎ去るのを耐えるしかないような、苦しい時間が続いていた。
イングランドの嵐のようなプレス、プランB「ストーミング」は、疲弊したフランス守備陣を確実に蝕んでいた。敵陣ペナルティエリア付近、フランスのDFが前方へパスを出そうとした瞬間、そのコースを読んでいたコングが猛然と襲いかかった!
相手DFは予期せぬプレッシャーに慌て、ボールコントロールを誤る。その隙をコングは見逃さなかった。巨体をぶつけながら、強引にボールを奪い取る!イングランド、絶好の位置でボール奪取!
「まずい!」
「シュートを撃たせるな!」
フランスの選手たちはパニックに陥った。最も危険な位置で、最も危険な男(コング)にボールが渡ってしまった。シュートを撃たれてはたまらないと、複数人が慌ててコングへプレスをかけ、シュートコースを消そうと殺到する。ペナルティエリア内は一気に混乱状態となった。前線の士道も戻ってきており、コングにプレスをかける。少し離れた位置では、アギが凛をブロックしており、コングへの対応は間に合わない。
フランス守備陣の意識が自分に集中していること、そしてPA内の状況を一瞬で見極めたコング。彼はゴールを狙える位置にいたが、より確実な選択肢を選んだ。彼の目は、PA中央でわずかにスペースを見つけていた凪を捉えていた。
コングは右足で、殺到するDFたちの頭上を越すような、ふわりとしたロブパスを凪へ送った。
そして、パスと同時に、腹の底からフィールドに響き渡る大声で叫んだ。
「チギリーーーッ!!」
その声とパスの意図を、凪は瞬時に理解した。そして、彼のすぐ横。そこには、フランス守備陣の混乱によってマークが完全に外れ、フリーでゴール前へと走り込んできている千切豹馬の姿があった!ストーミングによるプレスが、決定的なスペースを生み出したのだ。
凪は空中でコングからの優しいロブパスを胸で受け止めボールをそっと落とした。最高のラストパスだった。フリーの状態で、最高のタイミングで、最高のパスが来た。千切に残された仕事は、ただ一つ。
彼は走り込んだ勢いをそのままボールに乗せ、利き足である右足を迷いなく振り抜いた!ダイレクトシュート!
ボールはフランスGKが反応する間もなく、鋭い弾道でゴールネットへと突き刺さる!
ゴォォォォォォォォル!!!!
イングランド、ついに同点! スコアは 2 - 2!
千切はゴールを決めた瞬間、雄叫びを上げてコーナーフラッグへと走り出す!すぐに凪が、そしてアシストの起点となったコングが、さらには玲王やアギといったチームメイトたちが次々と駆け寄り、歓喜の輪ができた。ベンチのクリスも満足げに立ち上がり、拍手を送っている。プランBが見事に機能し、試合終盤で大きな、大きな同点弾を奪い取ったのだ。
一方、フランスの選手たちは呆然とピッチに立ち尽くす。必死に耐えていたが、ついにイングランドの猛攻に屈してしまった。
イングランドが、土壇場で追いついた。あと1点。勝利は目前に迫っていた。