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――朝顔
秘密警察潜入任務1日目終了後――
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「"こんにちは、あるいはこんばんは。"」
『朝顔。ご苦労だな。』
「ハンドラー。報告が遅くなってしまい申し訳ございません。」
『問題ない。』
街中の公衆電話から支部のハンドラーへと繋ぐ朝顔。
変装姿のまま、業務報告連絡を行っていた。
『それで?初日はどうだったかな?』
「滞りなく。順調ですよ。」
『それな良かった。』
「……ただ。」
『ん?』
"ただ"と不安気な声を漏らす朝顔にハンドラーは眉を寄せる。何でもミスなくそつなく任務をこなす彼女。そんな彼女の声色に不安が過ぎる。
「想定外の事が起こりまして。」
『どういうことだ?』
朝顔は小さくため息を漏らした。
「"ユーリ・ブライアが新人教育担当として就くこと"に――」
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――同時刻
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バーリントン市内の洋食屋。
仕事帰りの人々でごった返す賑やかな空間にスーツをまとった2人の男の姿があった。
「いっただっきまーーす!」
「…………」
嬉しそうにハンバーグを頬張る青年――レノルド・カーウォーディン。
彼はユーリと同じく元外務省のエリートで歳は1つ下。国家保安局に異動して僅か3ヶ月。上官でもあるユーリを慕う人懐っこい性格で秀才でもある。
ついでに補足すると性格はそこそこに悪い。口も悪い。
「……ブツブツブツブツ」
「ユーリ先輩食べないんですか?お酒も手をつけてないみたいですけど。」
「ブツブツブツブツ」
美味しそうな食材で彩られたプレートを前にしてもユーリは両肘をつき顔の前で手を組んだまま未だにブツブツと独り言を呟く。レノルドは呆れ顔でため息を吐くとユーリに顔を近づける。
「せーんぱい?顔死んでますけど?めちゃくちゃブスです。」
対面側からわざわざ小馬鹿にするように呟く。酷く既視感のあるその光景に(恋人のティファニーにしょっちゅう小馬鹿にされるように)ムッと表情を歪ませた。
「うるさいレノルド!ボクは疲れてるんだ!」
「今日はジャーヴィスの教育だけでしたよね?」
「"だけ"とは何だ!!ボクは…」
「あっ!すみませーん!赤ワイン!ボトル追加で!」
「上司の話を聞け!!遮るな!」
「まーまー先輩。飲んで飲んで。」
容赦なくユーリのワイングラスに酒を注いでいく。たかが数ヶ月の付き合いではあるがレノルドはユーリを信頼していたしユーリも同じくレノルドの事を頼りにしていた。心の内をさらけ出すことは出来ずとも仕事のできる部下の存在は大きい。
"レノルドの不思議と人を惹きつける人柄"。何故か居心地の良さを感じていたのだった。
「でもいいなーユーリ先輩。新人教育だなんて遊びみたいなもんじゃないですか。」
「あのなあレノルド。そんな甘いものじゃないぞ。」
「でも優秀なんですよね?教えるのも楽じゃないですか?」
"ステラ・アン・ジャーヴィス"
2人の脳内に彼女の姿が浮かぶ。
「まあ"お前に似て"飲み込みは早いし、ポテンシャルもスタンスも問題ない。――でも…」
「でも?」
その時、ユーリはワイングラスを口元に運ぶと一気にワインを流し込む。喉に熱い感覚と目眩のような酔いが回るとさらに声を荒あげる。
「なんっっっっっっかムカつく!!」
「えぇ〜!?」
更に注がれていく赤ワイン。
そして空になっていくワイングラスを前にレノルドは冷や汗を額に滑らせた。
「お前の新人時代も相当ストレスを感じていたがそれ以上にムカつく!」
「程よいストレスも大事ですよ?ほらほらーもっと飲んで飲んで〜」
「クッソ〜〜!!明日から容赦なく教育してやる!!」
「先輩ファイトーー!!」
レノルドにのせられ次々と酒を口に運ぶ。
数十分後には見事に潰れ、部下に自宅まで送り届けてもらう羽目になったのは言うまでもない。
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――翌日
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「――ジャーヴィス」
「はい。ブライア少尉――」
運動着姿の2人は鋭い目つきで睨み合う。
まるで地割れの効果音がその場に流れるような雰囲気。向かい合う2人の間に審判を行う男が合図を出した。
「体術訓練、はじめ!」
「「……っ!」」
試合開始の声とともに動き出す2人。
両者ともにまるで獣のように食らいつく。
「((体格も力もボクの方が上だ!))」
相手は女。体格も自分よりも小柄で見る限り力も無さそうだ。ユーリは確信を持っていた。絶対勝てると。上官として新人に負けるわけにもいかない。
――いいや、こんな小娘に負けるわけが無い。
ユーリの手がジャーヴィスの服の襟に伸びる。しかしジャーヴィスは一切怯む様子もなければ表情すら変えることなく相手の行動を見据える。
「((……ユーリさんがいつも左脚から仕掛けてくるのは把握済み。))」
彼女の視線はユーリの足元に。ジャーヴィス――ことティファニーは相手の弱点や癖は何でも把握していた。常日頃から観察し、場合によっては何度もねじ伏せてきた(とくに酔っ払った時など)。
なんら問題などない。
「なっ!」
「はぁっ!!」
ユーリの動きを逆手に取りティファニーの左脚が相手の右脚を引っ掛ける。呆気なく足元を取られたことと予想外の相手の力にユーリは床に崩されたのだった。
「(グググググググ)」
「待て待て待て待て!!折れるッ!!折れるーーっ!!」
隙のないティファニーの動き。
いつの間にかユーリはうつ伏せの状態。言うなればプロレス技"キャメルクラッチ"。
うつ伏せになった相手の背中に乗り、首から顎を掴んで相手の体を海老反り状に引き上げる。背骨や首にダメージを与える危険な技だ。
「…………」
「まっ、負けだ!ボクの負け!!」
両手を必死に床に叩きつけ"ノックアウト"と言わんばかりに叫びに近い声を上げた。
「しょ、勝者!ステラ・アン・ジャーヴィス!」
審判の判定と共に開放される力。
ユーリは床にうつ伏せ、魂が抜き取られたかのように固まっていたのだった。
「少尉!!」
「………」
「少尉!しっかりしてください!」
「ゴフッ…………大したことない……」
半ば死人のように声を出したと思えばなんとか体を起こす。その傍らでは心配そうな部下の姿があった。
「直ぐに医務室にお連れします。」
「やめろ!!ボクに気安く触るな!!」
「でも!」
「いいからやめろ!」
ジャーヴィスの手を振り払うユーリ。明らかに体が拒否反応を示すような動き。その場にいた仲間たちも目をまん丸とさせていた。
「((くっそーー!!気に食わない!ていうかこの女を前にすると体がゾワゾワするんだ!!))」
ぞわぞわっと身体中に蕁麻疹が現れるような奇妙な感覚だ。不思議な瞳に見つめられると妙な既視感とともに異様な寒気さえ感じる。
「――ん?あれれー?ユーリ先輩?」
「うっ!なんでお前まで来るんだ!」
たまたま演習場の前を通りかかったレノルド。
面白がるように近づくとジャーヴィスの隣に並びユーリをじっと見つめるのだった。
「せんぱーい。鼻血でてますよー。」
「ッ……くそっ!!」
「少尉!私のタオルを使って…」
「だ、か、ら!お前は近づくなぁぁぁぁぁあ!!」
たらり――と流れる鮮血。
自分の受け持つ新人2人を前に更なるストレスを溜め込んでいくのであった。
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「ジャーヴィス。」
「はい!少尉!!」
執務室に現れるユーリ。
ジャーヴィスは直ぐに椅子から立ち上がると上官であるユーリに敬礼する。
「先程の捕縛者の報告書について。今日の15時までには仕上げておいて欲しい。」
手渡された書類。
つい先程捕縛した危険人物の尋問内容が簡易的に記されていたものだった。
――しかし、彼女にはそんなもの必要なかった。
「それならもうできてます。」
「何!?」
書類などなくとも彼女の脳内には一言一句尋問者の放った言葉が全て刻まれていた。その時の様子も、虚言も何もかも。聞いただけで脳内に記録されていたのだった。
それを報告書に上げることなど――WISE諜報員の朝顔であれば容易い――
「まだ1時間ほどしか経ってないぞ!?」
「……あっ……でも手直しが必要でした!レノルド准尉がチェックして下さって…添削がいくつか。」
いつもの癖で難なく仕事をこなす。しかしここではそれは御法度であることに今更ながら気づく。
自分は新人。新人であることを忘れかけていた。
「((危ない危ない、あくまでも新人なのに…なんとか誤魔化さないと…))」
「((くっっっそ!ワザと面倒な案件を担当させたのに!もう手直し程度で終わってるだと!?))」
ワナワナと新人相手に身震いする。とんでもない新人登場に改めて恐れ始めていた。
体術も尋問もすでに新人の領域を超えている。
「……うぷ」
「しょっ、少尉!?」
「だ、大丈夫だ。ちょっと目眩が……」
口元を押えながら執務室を後にしていくユーリ。そんな弱々しい後ろ姿を前にジャーヴィスは呆れ顔で見据えていた。
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「おい。ユーリ。」
退勤時間前。ユーリは上官である中尉に呼び止められた。廊下で向かい合う2人。このタイミングで何事かとユーリは小首を傾げる。
「?中尉、どうかしましたか?」
中尉はユーリに鍵束を手渡した。
ジャラジャラとぶら下がる鍵の数々。南京錠ものらしきには数桁の数字盤も見受けられる。
"ソレ"がどれだけ重要なものなのかパッと見だけでも理解出来るような見た目だ。
「ジャーヴィスに書庫の鍵番をさせる。鍵庫の暗証番号と定期変更……」
「えっ!?えぇぇえ!?」
「ん?何をそんなに驚いてる。」
ユーリはギョッと目を見開き僅かに後退した。対して中尉は表情を変えることなく冗談を口にしている訳でもないらしい。
「まだ入って間もない人間に鍵番を!?」
「優秀な人間には仕事を任せる。かつてお前やレノルドがそうであったように、ジャーヴィスにも責任のある仕事を任せる。違うか?」
たしかに彼女は優秀だ。
新人であったレノルドと同等……もしくはそれ以上に。しかも彼女は女性。未だに女性の立場が弱い今の世の中でも彼女は異彩を放っていた。
――女だからと心のどこかで自分は彼女を下に見ているのか?
「……ッ……」
――悔しいのか?ボクは彼女に妬いているのか?不思議な感覚を感じる彼女から……心のどこかで彼女を怪しんでいるのか?
「……いえ。良いと思います。」
「話が早くて助かった。明日朝一に諸々教えてやってくれ。」
淡々と会話は終了し中尉は踵を返す。
ユーリはポツンと廊下に立ち尽くしていた。
無意識に右手に篭もる拳。グググググッと力が強まっていくと形容できない妙な感情が渦巻く。
「……ぐぬぬぬぬぬぬっ……!」
理由は分からないが頭に、顔に、体全体に熱が駆け巡る。
「((なんなんだこの感覚!悔しいとか、恥ずかしいとか……あぁあああ!!あの新人!あの女!分からない!なんでこんなに――))」
「"ブライア少尉!お疲れ様です!"」
「ッ!」
刹那、背後から"あの女"の声が飛び込んできた。
ユーリは冷静さを装い小さく咳払いを見せると上官らしくたち振る舞う。
「ん?もう帰るのか?」
「はい。今日の職務は終えたので。」
「え?さっき渡した調書のまとめは?残して帰るなんて以ての外…」
「終わりました。」
「…………」
「終わりましたよ?残して帰るなんてそんなことしません。」
ミスなくそつなくなんでもこなす新人。
当たり前のように返ってくる返答にユーリは何も言い返せなくなっていた。
……彼女は凄い。新人教育なんて必要無いのでは――
半ば放心状態のユーリ。そんな彼が手にしていたファイルの隙間から1枚の写真がヒラヒラと落ちる。
「……ん?」
「あっ……待て……」
慌てて取り上げようとする前にジャーヴィスの手によってその写真は拾い上げられた。
「…………」
カメラ目線で微笑むのは彼と瓜二つの女性。
その人物は彼の姉のヨル・ブライアだった。
「……こちらの女性は?」
「ボクの姉さんだ!」
ユーリは恥ずかしそうに写真を奪い取る。別にいつもなら誰に見られても"ボクの可愛い姉さん♪"だなんてむしろ見せびらかしているくらいなのだが今回は見られた相手が違う。隙を見せたくない部下でもあり歳下の女性だ。
「……少尉はお姉様と仲が良いと伺ったのですが。ロッカーにお姉様の写真が複数枚貼られてるとも…」
「なっ!誰から聞いた!」
「レノルド准尉です。」
「あいつ……((ベラベラ勝手に喋りやがって……))」
どうやら時すでに遅かったらしい。
憎き部下の1人、レノルドは彼女にベラベラと口走っていた。
「…………」
ジャーヴィスはじっとユーリを見上げる。
今更ながら自分は彼をよく知る"ティファニー・ラドナー"。騙しあおうと近い、恋人にもなった。
彼の感情は手に取るように分かる。
歳下のいけ好かない女の部下にもやもやとした感情を抱いていることなど初手から分かっていた。寧ろそれを利用してやろうと近づいているし、たまたま教育担当となったブライア少尉を自身の掌で転がさなければならない。
あくまでもこれはWISE 朝顔としての任務。
だが彼のことを好いているティファニー・ラドナーでもある。
「……少尉はとてもお姉様思いなのですね?」
「…………」
「私は一人っ子なので少し羨ましいです。」
「((……こいつ……))」
彼女は優しく笑った。
いつもはクールで冷静なタイプな彼女が笑ったのだ。
またあの"妙な感覚"に陥る。
心がときめくとか、恋心とか、そういうものでは無い。ただ不思議と惹かれるものがあった。
「家族のために、東国のために……大切なものを守るために私たち秘密警察は存在しているんですよね。」
「あ……ああ」
「……って 申し訳ございません!こんなところで少尉と立ち話なんて……」
シンプルなパンツスーツ姿の彼女は深々と頭を下げた。シワひとつない未だ新品に近いシャツやジャケット。新人らしい姿や言動に何故かユーリはホッと胸をなでおろした。
"やれやれ、なんだかんだ普通の小娘を相手にボクは妙な緊張をずっと貼り巡らせるなんて――相手はたかが部下なのに"……と。
「ジャーヴィス。よかったらこの後食事でもどうだ?レノルドも誘って親睦を」
一度腹を割って話せばこの妙な感覚は無くなるだろう、そう考えたユーリ。
こういう時こそ上官らしく、余裕な姿を見せ"さすがです!ブライア少尉!"と彼女に染み込ませればきっと明日から気分よく働ける――
「"あ!ごめんなさい!この後用事があるので!"」
彼女のあっけらかんとした言動を前にニコニコと微笑むユーリ。彼女の返答をりかいするのに数秒。やっと脳内で整理した時に素っ頓狂な声を上げた。
「はっ!?なぁあああ!?」
さっきまでの従順な部下らしい言動は何処へ。呆気なく手のひらを返す部下にユーリは再びフラストレーションを溜め込んでいく。
「失礼いたします!また明日もご指導ご鞭撻の程よろしくお願いいたします!」
「ちょっ!待て!上官であるボクの誘いを!!」
こちらに見向きもせず そそくさとその場を去っていく。
「ぐぬぬぬぬぬぬぬっ!!」
悔しくてたまらない。
普通 上司からの誘いを断るなんて有り得ないだろう!
……となれば。この鬱憤を晴らすにはあの男しかいない。
「おいレノルド!」
ユーリは勢いよくロッカールームの扉を開ける。
目の前にはジャーヴィスと同じく仕事を終わらせ、既に身支度を済ませていたレノルドの姿があった。
「今日も飲みに行くぞ!」
「"あ!ごめんなさい!僕今夜は用事があるので!"」
ジャーヴィスと全くおなじ受け応え。
ニッコリと何の気なしにこちらに微笑む姿さえ既視感を覚える。
「くっそーーー!どいつもこいつも!!」
レノルドのシャツの襟を掴むと強引に揺さぶる。ぶつけきれない怒りの矛先にユーリのフラストレーションはさらに高まっていた。
「イッテテテテテテテ!なんなんですか先輩!」
「先輩じゃなくて少尉だ!!」
「やけくそにならないでくださいよ!!!」
「やけくそになんかなってない!行くぞ!!」
「パワハラ!!パワハラですよそれ!!」
声にならない叫び声を上げるレノルド。
容赦なくつかみかかったままのユーリ。
刹那、そんな大声が廊下に響き渡っていたことに痺れを切らした男が現れる。
「おい。うるさいぞ。」
無表情で暗いオーラを纏う中尉が現れる。
そのオーラに恐れを生した2人は男を見上げ顔色を一気に変えた。
「「スミマセン」」
「お前らより"ジャーヴィス"の方が優秀だな。」
中尉は彼らにとっての毒の言葉を容赦なく吐くとその場を去っていく。
自分の立場がさらに危うくなっていくユーリは血相を変えてさらに声を上げた。
「まっ、待ってください!!中尉!」
「中尉違いますからね!先輩が僕にパワハラをしてきてるんですから!」
「お前!!上官に対してその言い方はないだろう!」
「だから!いい加減に――」
「((……早くジャーヴィスの育成に努めよう))」
より一層、彼女に仕事を与えようと考えた中尉であった。
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