「……ふう」
この世界に来てもう何ヶ月が経っただろうか。
そんなことを思いながら深緑のロングコートの下に茶色のジャケットと白のロングスカートに身を包んだ彼女はまた、この自身のはじまりの地である殷賑の大都市、タマムシシティの舗装路を歩いていた。来た頃は残暑がまだ残っていたが、季節はめぐって冬を迎え、人々は押し迫る年の瀬に向けてどこかせわしない様子である。
自分の世界には存在しなかった、大量の自動車やバス、鉄道、高度な通信機器を持った大人たち、整然と林立する鉄骨鉄筋コンクリートという素材で造られた高層ビル群。二度目とはいえ、やはり彼女にとっては自分の世界との違いを一番に感じさせる場所である。
ニビで岩ポケモンの洗礼を受け、ハナダではゴールデンブリッジでインチキじみた勝ち抜きをやめさせ、クチバの港町では電気ポケモンたちの俊敏さを知ることとなった。そうして、ウルザは腰のモンスターボールにいるイーブイやロコンをすっかり相棒として使いこなし、3つのバッジを手に入れていた。
しかし、そうはいっても肝心の調査はあまり芳しいとはいえなかった。ニビの考古学資料館でポケモンたちの来歴や化石について知ることはできたものの、やはり帰還にはまだ直接結びつきそうにはない。各町の図書館などにも通い詰め、せっかくだからと政治書や軍事技術関連の書物を手に取り出したらいつのまにかかなりの時間を費やしてしまっていた。
ポケモンと人間の共生をめぐる歴史、人権と民主主義、百数十種類の元素と有機・無機化学、ニトログリセリンやC4などの高度な爆薬、浸透戦術や諸兵科連合などなどこの世界は控えめにいっても自分たちよりも数百年先をいっており、帰ってから役に立つことは大いに確信しているものの、肝心の方法がわからないままでは意味がない。
こんなことをしてる間にも母国のゼス王国はどうなっているのか。マジック王女はしっかりと国務をこなせているか、千鶴子様はまた過労で無理をしすぎてはいないだろうか。チョチョマン様の教育改革は進んでいるのか、考えないようにしようとは思っていてもやはりどうしても離れはしなかった。
「まずは、あそこに行かなくてはね……」
ウルザは一人つぶやきながら、重い足取りであのサロンへ足を進める。
――
騒がしい都心部から少し離れ、いわゆる下町と呼ばれるエリアの通りにその店はあった。
築40年ほどのやや古びた雑居ビルの一階、木で出来たドアの上にある、温かみのある樫の看板が目印である。
「はーいいらっしゃいませぇ。今少々混み合っておりますので、そこのソファで……」
ウルザにとっては聞き慣れた女性の声が耳に入る。ウルザは防寒のため被っていたベレー帽を取って声をかける。
「あの、奥様。先だって手紙で……」
「あら……! ウルザちゃんじゃない! 久しぶりねぇ。元気してた?」
トリミングを終えたニドラン♀を台の上において、奥さんは甲斐甲斐しくウルザのもとへ駆け寄った。
「ええ。お陰様でなんとかやれております。またご厄介をかけてしまいますがどうぞ宜しく」
「いいのいいの! 貴女なら本当に大歓迎なんだから! イーブイちゃんとロコンちゃんもあれからどうかしら?」
「この通り、私の未熟な指示や育成に関わらず、すくすくと育っています」
ウルザはその場で二体のポケモンを繰り出した。イーブイもロコンも胸を張って奥さんの前に出る。
「まぁ! 本当ねっ! 二匹とも本当に見違えるように……。あら、でもほんの少しだけ毛並みが乱れてるわね」
奥さんはすぐにロコンに触れ、背中のかすかな乱れに気づく。
「気をつけてはいるのですけどね……。他の事にどうしても時間をとられてしまいまして」
「いーのよ! その為にうちはおまんま食わせてもらってるんだから! さ、イーブイちゃんもいらっしゃいきれいにしてあげるから」
奥さんの言葉に従い、イーブイもとてとてと続いていく。ウルザはコートを衣裳掛けのフックに掛けて、奥へ進んでいった。
十分ほどが経過し、ドライヤーやハサミをつかいながら、素早く二匹を奥さんは仕上げていく。
「あの、それほど急がれなくても大丈夫ですよ。今日はまだ……」
「あら? でも、エリカさんのところに挑戦に行くって言ってなかったかしら?」
奥さんは小さなポケットからウルザの手紙を取り出しながら尋ねる。
「ええ。そうなのですけれど、今日は少々ここまで来るのに疲れてしまいましたから。ポケモンセンターにも預けないといけませんし」
「そうなのね。でも本当に大したものねぇ。あたしはトレーナーさんについてはよく知らないけど、こんな短い間に3枚も取るなんて、仲間内や知り合いの子どもが何人もトレーナーとしていってるんだけど、そうそうないもの」
奥さんはイーブイとロコンに最後の仕上げとばかりにタオルで優しく細かいゴミを取りながら応える。
「いえ……。ポケモンたちが誠実に応えてくれたおかげですから」
「そうね。イーブイちゃんも、ロコンちゃんも本当に大事に仲間として一緒に時間を過ごしたんだって、こうして触れてるだけで伝わってくるもの。はい、おしまい!」
奥さんが二匹の背中を叩くと、ロコンもイーブイも駆け足でウルザのもとへ戻る。ラベンダーのよい香りを漂わせながら、それぞれの足に二匹とも顔をすりつけている。
「大事にしすぎではないかと……。正直自分では思ってしまうのですけどね」
ウルザは二匹の頭を軽く撫で、モンスターボールに戻しながらぽつりと返した。いずれは別れなければならないかもしれないことを、ウルザは常に頭の片隅においている。
「あら? それはどうして?」
「いえ。こちらのことです。ありがとうございました。本当にここまで整えていただいて……。お代は」
ウェストバッグから財布を取り出そうとすると、奥さんはやや大げさに手のひらをみせる。
「いーのいーの。ウチの人もいってたけどウルザちゃんはいつでもタダでいいんだから」
そう言っていると、玄関でまた鈴のなる音が聞こえた。
「奥さーん。駄目だあの親父。ぜんぜんききゃしない……よ」
「あ……」
ウルザはその男を覚えていた。以前、このサロンに泥棒に入り、贖罪のためにここで雇われたあの男であった。
「はぁ……。全くこの年の瀬の忙しいときに何考えてるのかしらもう」
奥さんは先程の柔和な表情を一変させて一気に苛立つような声をあげる。
「はー。ほんとっすよね。全く、じゃ、俺は奥で洗剤の在庫チェックでも……」
「あーそれはいいから、コズエさんのオオタチやニョロトノの下処理進めといてくれない? 小さいゴミ取るだけでいいから」
そそくさとわざとらしく横の裏口にきえようとした男を、奥さんは呼びとめる。ロコンとイーブイを手入れした台の斜め後ろにそれらのポケモンはいる。
「えーまたっすか。あのオオタチ妙に人懐っこいのはいいけど時々殺されるんじゃねえかって」
「いいから、やるの」
「ちぇ……。はい」
奥さんの圧におされて、男は渋々その台へ向かった。
「あれからずっと雇われているんですね」
「ええ、まあ……、まだあの窓ガラス代の分にも働けてないけど、一度引き受けたからにはね」
奥さんは給湯室から持ってきたペットボトルのお茶を飲みながら、ため息をつく。
「そんなあ酷いっすよ。俺はこれでも真面目に」
オオタチにじゃれつかれながら男はやや弁明めいた声色で返す。
「どーせ、ゲームコーナーにいったときもまた景品で丸め込まれたんでしょ? 全くいくらつぎこんでんだか……」
「ま。まさかそんな事あるわけな……どわーっ」
油断しているあいだに、男はオオタチに押し倒される。倒れた拍子に男のポケットからフィルムに包まれたままのタバコが2,3箱飛び出てくる。ウルザは思わず奥さんのいうことが正しいようだと思わざるを得なかった。
ウルザはすっくと立ち上がり、リュックなど大きめな荷物はソファに置き、出入り口の衣裳掛けからコートを羽織り直す。
「あら、ウルザちゃん。まだもう少しゆっくりしていってもいいのに」
「私が連れ戻しにいきましょう。宿代も、トリミング代も無しで、これでは気が収まりませんから」
ウルザはベレー帽を被りながら、奥さんに返した。
「そんな。いいのよ貴女はそこまでしなくて。それに疲れているんでしょう?」
「いいんです。少しは休まりましたし、じっとしてるよりは動いたほうが性に合ってますから。あと、すみませんが、その荷物だけ以前お借りした部屋に持ち運んでいただけませんか」
ウルザは伸びている男に視線をやる。
「はいはい仕事よ! 全く、少しはウルザちゃん見習ってほしいわ……。宜しくね」
奥さんはかぶさっているオオタチを除けて、男の背中を叩く。
「はーい……。それじゃあ、お気をつけて」
男は以前の恐怖からか、ウルザにはややかしこまったような声をあげて見送る。ウルザは男に一瞥して軽く頭を下げた後、サロンを後にする。
――
そのゲームコーナーは、店からはバスで10分ほどの所にあった。
きらびやかに彩られたネオンと、ドア越しにも聞こえるコインの摩擦音や演出音の奔流がウルザの耳に入る。大都市タマムシのもう一つの側面が、ここに顕現しているかのようである。
目を悪くしそうな明滅に帽子を目深に被りながら、ウルザは店内に入る。
「さてと、どこにいるかしら……」
そう一人つぶやきながら、並び立つ遊技台に座る人相や容貌をそれとなく確かめる。年齢層はバラバラだが、時間帯のせいか、やや年を食った人が多いようだ。
「あら……。もしかして」
覚えている顔とよく似ており、男の持っていたタバコと同じ銘柄のものをステンレスの下皿に置き、血走った目で目押しをしている中年男性が目に入る。
「サダヤスさん。お久しぶりです」
「へっ!? ああ、ウルザちゃんかい!? な、なんで」
男は寝耳に水といった様子でスロット台のリールからウルザの顔へ視線を移す。
「奥様がお困りでしたから。それに、そのおタバコが」
「へ……。あ、あのヤロー。口止めの意味ねえだろが」
合点のいった店主は、しまったとばかりに寂しくなった頭を掻きながら悪態をついた。
「はぁ。わかったわかった。とりあえずこれ押したら帰っから。先に外に出といてくれ」
店主はタバコの煙を台に吹かせながら、とりあえずといった声色でいう。
「本当ですか?」
「さすがにお巡りさんの前で嘘つけるほど、肝据わってないんでね」
そう言いながらも、店主はまたもコインを入れて目押しを再開していた。
「……」
ウルザは黙ったままいささかの疑惑をもった眼で、店主を見る。
「あーもうわかったわかった。じゃあこうしよう。ウルザちゃんも少しやってみたらどうだ?」
「は……はい?」
なにが『こうしよう』なのか分からないといった様子で、ウルザは目を見開かせる。
「毎日毎日根を詰めてばかりじゃ身が持たんよ。たまには息抜きでもしないとさ。おじさんがコイン分けてあげるから」
「な、何を言っているのですか。いけません。そのようなことは」
「いいからいいから」
そう言って店主はウルザを空いていた隣の席に座らせ、5枚ばかりコインを渡す。
「……。分けてあげると言ってる割には、随分と」
「い、いやいや。初心者にはこれくらいの枚数でいいんだよ」
負けがこんでいることを悟られたくないのか、店主は適当なことを言いながらおおげさに笑って見せる。
「ふう……。わかりました。少しだけですからね」
店主を哀れに思ったのか、ウルザは根負けしてスロット台に向かう。
「このポケモンの絵や数字をすべて揃えればいいんですね?」
ウルザはコインを投入口に入れながら、リールの左上にある凡例に視線を向ける。
「そーそー。まあ、そんな簡単に揃えられるモンじゃあ、ないけど」
横にあるバーを下ろすと、リールが回転をはじめる。10秒もしないうちにウルザは素早く3つのボタンを叩き、777の絵柄を揃えた。コインがジャラジャラと排出される。
「へ?」
「なにか、おかしいですか?」
ボウガンの名手であるウルザにとっては、秒速で1.25回転するリールに対して、狙った図柄を揃えることなどわけもない話であった。
「い、いやなにも……」
「それでは、続けますね」
ウルザはしばらくゲームを続け、ドル箱がいくつも重なりホールの注目を集め始めていた。
「い、いやあ。凄いなあ! ウルザちゃん大したもんだ」
「いえ、そんな、褒められるようなことでは」
「あんた、天性の才能があるよ。どうだい、ポケモントレーナーなんてやめてこっちの道に」
店主が軽口を叩いていると、青い顔をしたホールスタッフがやってきた。
「お客様。大変恐れ入りますが、もうこの台はコインをだしつくしてしまっているので、どうか」
「ああ。そうなのですか。ちょうどいいですね。引き上げましょうか」
ウルザは特に疑いもせずに返す。
「いやそんなねえだろ! 裏から自動で流し込んでんだからよ」
「いえ、そ、その、この台についてはレガシーな手動充填方式のままでしてその」
スタッフのしどろもどろな説明に、ウルザは何かを感じ取り、店主に耳打ちする。
「あまりここで粘っていると、せっかくのコインも取り上げられてしまうかもしれませんよ」
「えっ」
スタッフの表情と、その背後で腕を組んでいる何人かのスタッフと主任らしき人、ゴーリキーやエビワラーといったガードポケモンまで出てきたのを店主は確認し、ようやく察したようだ。
「ちっ。わかった。これで打ち止めにしよう」
「ほっ……。では景品交換所でお好きなものと引き換えてください」
そういってスタッフはすたすたと引いていった。
「いやしかし驚いたなぁねーちゃん。初めてなんだろう?」
「ビギナーズラックですよ。そう深く考えないでください」
ウルザはふっと笑いかけて、出口のほうへむかう。スタッフの用意した台車に、店主は嬉々としてドル箱を積み上げ、その背後に続いた。
ゲームコーナーの隣にある交換所では、食品や雑貨からわざマシンや傷薬、高価なモンスターボールまで多種多様なものが対象となって陳列されていた。
時間帯が夕飯時に差し掛かっていたせいか、出入りはややまばらであり、10人程度が所在なさげにケースを眺めたり、鳥打ち帽を被った焦げ茶のジャケットに白いシャツを着た老人がカウンターにもたれかかってスタッフと談笑しているのが目につく程度である。
「随分と色々あるんですね」
「そうだねぇ……。俺は普段もっぱらタバコか、ガキにやる玩具とばっか引き換えてるけど」
店主は浮足立った様子で、高級そうな家具や家電のあるほうへ視線を向けている。
「あら、ピーピーマックスやこだわりメガネまで……。なるほど、トレーナーらしき方もたくさん来られるわけですね」
トレーナー用品のコーナーから、横に視線をずらすと、奥に水槽があった。
一匹だけ置かれているそれは、他の200や300枚とかかれたプライスカードとは1つ桁が違っている。記憶が正しければ、あれはミニリュウというポケモンである。
「ポケモンもああして……」
「ああ。ペットとかトレーナー向け景品として設置されてるとこな。そいつァ、なんでも珍しいポケモンらしくて、べらぼうな値段だから、もう何ヶ月もああしているよ」
「そうですか……」
ウルザはしばらくミニリュウが泳いでいる様を眺める。
「え、もしかして……」
店主が言いかけたその時、ウルザはスタッフを呼んだ。
「このミニリュウ。引き換えていただけないかしら。お代はそこの箱からお支払いしますので」
「えっ!? あ……。ま、毎度どうも。すぐにご用意いたします」
スタッフは大仰に声をうわずらせて、慌ただしくバックヤードに引き上げていった。
「そ、そんないいのかい? ドラゴンなんて育てんのすごい大変らしいよ? サンドとか、ピッピあたりにしといたほうが」
「そちらも宜しければ引き換えますよ? どちらも店先のマスコットにうってつけですし、奥様も喜ばれると思います」
何の悪意もなく言うウルザに、店主は引きつった笑いを見せる。
「いや、あの。そういう事じゃなくて……」
「ほう……。このミニリュウを選ぶのかね」
そんなやり取りに二人に割って入るように、カウンターの老人が、興味深げな声でウルザに声をかける。
「ええ。こんな狭い水槽に、何ヶ月も好奇の目線に晒されながら閉じ込められて……不憫ですから」
「見た所、君もそれなりのトレーナーじゃろう。ミニリュウの扱いの難しさ、知らないわけではなかろう」
コツコツとゆっくり近づいた老人は、ウルザの眼を見据えながら、冷静に尋ねる。
「それでも、引き取ると決めたからには、大事に育てるつもりです」
その言葉に老人は一度だけ頷き、
「ミニリュウはのう。清い水を好む。月に二度ほどで良いから、澄んだ池や湖で泳がしてやると良いぞ」
そう言って老人はウルザに背を向け、わざマシンのコーナーに戻ってぶらぶらと物色を再開した。
「なんだあの爺さん……。時々みるけどあんなこというの初めて見たぞ」
「不思議なおじ様ですね。あ、サダヤスさん、すみません勝手に引き換えてしまいまして……」
「いやいいよ。ウルザちゃんが稼いだんだから、まずはそっちで替えたいものを交換すればいいよ」
こうして、ウルザはミニリュウを引き取り、店主は残ったコインで家電や玩具を引き換えて、交換所を後にした。
――
「こんな遅くまで店をほっぽって何してんのこの宿六!!」
店に帰るなり、奥さんの雷が店主に直撃した。
「い、いやそれがさ、ウルザちゃんが思いの外ものすごく稼いでくれて、こーんなに景品を」
「餅つき機にパン焼き機なんて、どうせ一週間もすればタンスの肥やしになるだけでしょーが!! 62型のテレビも、いったいこの家のどこにそんなもん置く場所あるっていうのよ!!」
景品を見せても、奥さんの舌鋒は止まりそうになかった。
「ま、まあまあ奥様。こうして無事に帰ってこられたわけですし」
「いーのよそんなに庇わなくたって。もうこれで十回は店の売上勝手に抜いてるんだから! あ、晩ごはん二階に用意してるから、おなかすいてるでしょ?」
「い、いいなあ。俺も腹減って」
「ダメ! あと1時間は正座してもらいますからね!!」
事情を察してふうとため息をつき、ウルザは奥さんに礼を言い、フェードアウトするように二階の住宅スペースへ上がっていった。
「普段はちゃんとした職人さんなのに……、ああいうところはちょっと誰かさんを思い出すわ」
そう小さく呟いて、ウルザは一人ふっと笑ってみせた。
「わ。お姉ちゃんだ。久しぶり」
二階にあがると、イーブイの元の主でもある少年が夕食を終えて一人でゲームをしていた。
「ミズキ君。少し見ない間に大きくなったわね」
「へへ……。それでその……。元気? あいつは」
見せたほうが早いかと思い、ウルザはイーブイを繰り出す。
「へー……。なんだ、少しはマシな顔してんじゃん」
イーブイは少年の前でも少しも怖がる様子を見せず、堂々としている。
「大事に育てさせてもらってるわ。ここまで旅を続けられたのも、キミのおかげよ」
「ふーん……。でもまだ進化させてないじゃん。もう3つもバッジ取ったんでしょ?」
「……。大人にはね。色々考えることがあるの」
多くを語らず、ウルザはイーブイをモンスターボールに戻した。
「そういえば。ぽつりといってた誰かさんって誰? もしかして、お姉ちゃんのカ――」
「女性の独り言をいちいち詮索していたら、ろくな男性になれませんよ」
鋭い口調でピシャリといった後、ウルザは手を洗い、夕食の席についた。
――
夕食を終え、入浴も済ませた後、ウルザは三階の自室でポケモンたちを出し、簡単な世話をしつつ明日のエリカ戦に向けて思索をめぐらせていた。
この世界について教えてくれた、最大の恩人であり、気品と可憐さに満ちたジムリーダー。トレーナー情報誌などでも草タイプという弱点の多いタイプとはいえ、決して侮れない実力者として位置づけられている。
「……と、これでいいかしら。本当なら天然の湖や池にすべきなのでしょうが」
ウルザは先ごろ、店主が景品で交換してきた浄水器を通した、きれいな水を桶に溜め、ミニリュウをその中にいれた。とりあえずは安定しているようで、ミニリュウは澄んだ瞳で新たに連れてこられた場所をキョロキョロと見回している。
「それほど緊張しないでいいのですよ。あなたはもう私たちのパーティなんですから」
イーブイとロコンも、それぞれ鳴き声をあげて、ミニリュウに話しかけている。新入りに興味津々なのだろう。
しばらく様子を見た後、ウルザは窓に近い机に向かって、情報誌やこれまで集めたバトルと育成に関する情報をまとめたノートを読みつつ、戦略をたてている。
ふと、道中で拾ったり貰ったりした、炎の石、水の石、雷の石を机上に置き、室内灯に照らされて眩い光を返すそれをみながらこれまでのことを考えていた。
「ロコンはもう少しバッジを取った後に、キュウコンにするとして、やはり残るはこの2つ……か」
炎の石は少し脇にやって、水の石と雷の石を視界に入れる。他の進化方法もあるようだが、カントー地方での方法は見つかっておらず、遠くの地方にいかねばならないということなので、事実上石の進化としてこれらのみを考えていた。シャワーズは体力が高く、優秀な水ポケモンとして候補に上がりやすい一方で、水ポケモン自体はどこにでも手に入るのでシャワーズに限らなくても良いような気もしていた。
その一方で、ウルザの印象に残ったのはサンダースであった。
「あのマチスさんのサンダースはなかなか……苦労させられたわね」
マチスはイーブイを出してきたのを見て、進化系のストロングさを教えてやるヨなどと言いながら、サンダースを出してきたのである。
最終的にイーブイの電光石火で粘り勝ちしたものの、あの素早さと攻撃を活かした、速攻型のスタイルは中々に魅力的で戦術に組みやすそうだと考えていた。しかし、そのような一時のことで決めてよいのかという自制がウルザには働いていた。
それからも色々と思索をめぐらせたものの、どれも甲乙つけ難く、袋小路に陥っていた。
「ブイ……?」
そんなウルザにイーブイが足元に寄ってきて、心配そうに見上げている。
「ああ……ごめんなさい。あなたのことを第一に考えるべきなのに……。今日はとりあえずこのへんにしておきましょうか」
ウルザはノートと情報誌をカバンにしまい、日記をつける。しかし、もはや4つ目のバッジであり、そろそろ進化せずに突破できるほど甘い所ではなくなりつつある事を理解しており、明日には結論をだそうと心に決めていた。
それから少し世話や健康チェックなどをした後、ウルザは床についた。
翌朝。
窓からの冬の澄んだ曙光がウルザの顔にあたり、眼を覚ました。
「さて……準備を、って、あら?」
イーブイの居た場所には、いつの間にか紫色の美しいポケモンが横たわっていた。眠気の吹き飛んだウルザは驚きのあまり眼を白黒させる。
「イー……ブイ?」
ウルザの声で目が覚めたその生物は、小さく「フィー……」と挨拶をした。
これはどういうことだろうと即座にノートや情報誌を取り出して調べたところ、ジョウト地方などで少数だけ確認されている、なつき進化と呼ばれるものがあり、イーブイの場合は一定の信頼を得た段階で、朝の晴れた時間帯に日差しを浴びて進化する事があるというものであった。
その名はエーフィ。フーディンにも引けを取らない強力なエスパーポケモンであり、真に信頼した主にしかその姿にはならないという種族である。
「エーフィ……!」
その記述をみたウルザは思わず眼を潤ませ、片付けるのも忘れて、ただそっと抱き寄せた。
「私に……応えてくれたのですね。ありがとう……本当に」
ウルザは五分ほどそのままの態勢でおり、エーフィはただじっと受け止めていた。
――
奥さんにたっぷり絞られたサダヤスと、奥さんの激励を受け、ウルザはサロンを出る。
ポケモンセンターで手持ちを回復させ、タマムシデパートで必要なわざマシンや薬類を購入して強化した後、衣装を戦闘服に着替えていよいよジムへ向かった。
ジムトレーナーを次々と倒し、エリカに相対した。
「よく……ここに戻ってきてくださいましたわね。ウルザさん」
エリカは旧知の友人を見るような、歓迎の視線でウルザを迎える。
「エリカさん。貴方にはとても感謝しています。ここに迷い込んでからの最初の一ヶ月で色々とご教示をいただけなければ、こうもすんなりとはいかなかったでしょう」
「ご謙遜を……。大したことはしておりませんわ」
エリカはなんのことはないといった風に、袖を口にあてて軽く笑って見せる。
「今日は、そのご恩返しに、この数ヶ月でどれほどになったか、貴女に見ていただきます!」
ウルザはモンスターボールを構え、臨戦態勢になる。
「望むところですわ。私も、ジムリーダーとして、あなたがどれほどのトレーナーになったか、試させていただきます。おいでなさい、モンジャラ!」
「行って、ロコン!」
モンジャラとロコンが相対する。
「ロコン……ですか。相性と進化後の強さのみに頼って、キュウコンにしなかったことは褒めてさしあげますわ」
「進化前でも、それなりの力はあります。ロコン! ニトロチャージ!」
ロコンは炎をまとって、モンジャラの懐へ突進する。それなりのダメージは食らうも、まだ倒れない。
「モンジャラ! 原始の力!」
モンジャラはフィールドの岩を持ち上げ、ロコンにぶつける。ロコンのほうが深手のようである。
「っ……。ロコン! もう一度!」
流石に二度目の炎技は受けきれず、モンジャラは倒れた。
「どこまでもつか見ものですわね。……。本来ならもう少しお手柔らかに行くのですが、ウルザさんですから……、おいでなさい! ロズレイド! ヘドロ爆弾!」
「ロコン、火炎放射!」
ロコンの火炎放射が先制するも、ロズレイドはわずかに耐えきり、かわってヘドロ爆弾の直撃に耐えられず、ロコンはついに倒れた。
「ニトロチャージで素早さをあげて、こういう時の為に先制を取れるようにする……。悪くない戦術ですが、少々見誤りましたわね」
ウルザは労いの言葉をかけながら、ロコンを戻し、今朝進化したばかりのエーフィを繰り出す。
「まあそれは……あのイーブイですの!? もしかして……。なつくと進化するという」
「はい。今朝、応えてくれたんです。私も全身全霊で、それに応じますっ! エーフィ! 瞑想!」
エーフィは静かに目を閉じ、集中力を高める。
「それは……とても心が温まる、良いお話ですわね。しかし。だからといって、こちらも手は緩めませんわ。ロズレイド! 草笛!」
しかし草笛は奏功せず、エーフィを眠らせることはできなかった。
「エーフィ! サイケ光線!!」
エーフィは一段階積んだサイケ光線を浴びせ、ロズレイドはひとたまりもなく倒れた。
それからは素早さの優位と、エスパータイプという毒を併せ持つタイプには、有利が取れるエーフィの独壇場であり、エリカはそれからウツボットとラフレシアが戦闘不能になり、敗れた。
「参りましたわ。とても……、心身ともに強いトレーナーになられたのですね。感嘆の極みです」
エリカは目を閉じ、荘重な声色で言う。本当に心の底からの言葉のようだ。
「ありがとうございます。これもエリカさんと……。このタマムシという街のおかげです」
「左様でございますか。そう言っていただけるとジムリーダー冥利につきます。その意も込めて、このレインボーバッジ、差し上げますわ」
こうしてウルザは4つ目のバッジ、レインボーバッジを手にした。
「あと、これは餞別のわざマシンです、中身はギガドレインが入っていまして、与えたダメージの半分が自分の体力になるという一挙両得の技ですわ。生憎、ウルザさん相手では使う機会を逸してしまいましたが……」
「いえいえ、ありがたくいただきます」
ウルザはわざマシンもカバンに大事そうに仕舞う。
あれからウルザはジムの中庭に通され、近況を話し合った。
「まあ……。それでは肝心の調査はあまりはかばかしくないのですね……」
「ええ。全く。色々な書籍を読んでみましたが、手がかりすら……」
ウルザは出された緑茶に口をつけ、その行き詰まりを表すかのようにため息をつく。
「ニビの資料館にも、ハナダやクチバの図書館やジムリーダーの方々でもご存知ないとなると、予想以上に問題は深刻ですわね」
「調べていく過程で時間に関わるものとして、相対性理論や量子力学というのを知り、それを手がかりにできないかとも思いましたが、さすがに遠回りすぎるように思いますし……」
それを聞いたエリカは少し視線をそらして間を置き、ウルザに意を決したように言う。
「その……。もし、ウルザさんにその気があればですが、それを専門的に学ぶお手伝いも」
「えっ……?」
「そういえば、オーキド教授がここ二週間ばかりタマムシに来てるって話でしたよね。シンポジウムと生態調査で」
その提案を遮るように、近くで植栽の管理をしていたジムトレーナー、ナツキが思い出したかのようにエリカに言う。
エリカは僅かな、一呼吸にも満たない一瞬だけ、伏し目がちになり、続けようと思った言葉を飲み込み、それから、普段通りの穏やかな笑みを浮かべてうなずいた。
「そうでしたわね。あの方ならばもしかしたら……。近道をご存知かもしれません」
「オーキドって……。確かポケモン研究の最高権威とされる方ですよね? マサラタウンに居を構えていると聞きましたが……」
「ええ。博士はマサラタウンを本拠としていますが、タマムシ大学の客員教授でもありますから。時折大学の所用で来られることもあるのですわ」
そういってエリカもお茶を一口、口につける。
「もし宜しければですが、私が紹介状を書いてお話をできるようセッティングしますわ」
「そうしていただけるのならば助かります。さすがにこの身分だけでは博士に直接会うというわけにもいきませんし……」
ウルザは丁重に頭を下げ、エリカに託す。エリカはナツキに封筒を持ってくるよう依頼し、即座に便箋をカバンから取り出し、紹介状をしたためる。
「確か今日が大学の年内の終業日ですから、それを逃すとマサラに帰られてしまうかもしれません。ジムからも大学に一報いれておきますが、急がれたほうが良いですわ」
「ありがとうございます。なにから何まで……」
「それとウルザさん。年末年始はどうされますか? もし宜しければ私の屋敷にご招待したいのですが……」
ウルザは少し悩む仕草を見せた後、
「申し訳ありません。出来うる限り、帰還を急ぎたいので」
ときっぱりと断る。その言葉はただの遠慮以上に、これ以上この街への愛着を強めるわけにはいかないという決意の表れでもあった。
「そうですか……。承知致しました」
しばらくして紹介状を書き終え、ナツキから渡された封筒に便箋を入れる。封筒に宛名書と紹介状という文字を筆ペンで墨書して、エリカはウルザに渡す。
「これでオーキド博士と直接お話ができると思いますわ」
「ありがとうございます。それでは」
と、ウルザは封書を受け取り、ジムを去ろうとするとエリカは呼び止めた。
「お待ちください。屋敷への招待のかわりといってはなんですが、せめてこれをお持ちになって」
そう言いながら、エリカは懐から透明なケースに入った一粒の種を差し出す。
「これは……?」
「私の家に代々伝わる、タマムシと名付けられた種です。どのような土でもたおやかに育ち、大輪の花を咲かせることを至上命題に品種改良を重ねた、私の肝煎りの花の種です。どうかこれを……」
その先の言葉をエリカは言えなかった。ウルザはそれを静かに受け取り、
「ありがたく頂戴いたします。それでは、どうか皆さん、お健やかに……」
そう言ってウルザは立ち去っていった。
「リーダー……」
「ふう……。やはり、ダメ……でしたか。あのような危険な世界に帰るよりも、私はこの世界で過ごしてほしかったのですけれどね……」
そう言ってエリカは一人、寂しくお茶を飲み干す。
――
戦闘服から茶色のジャケットと白のロングスカートに、深緑のロングコートへ着替えたウルザはバスと鉄道を乗り継いでタマムシ大学へ急行した。
大学についた頃には昼を過ぎており、ウルザは少し不安になっていたが、なんとかギリギリのところでオーキドを捕まえることができ、エリカの紹介ならと10分ほど時間を設けてくれることになった。
ウルザはオーキドの研究室へ行き、緊張した面持ちでドアをノックした。許可の返事が返ってきたのでドアを開けると、助手たちの奥に座す、白衣に身を包んだ老人が朗らかに相対した。
「ホッホ……。なるほど、君じゃったか」
「えっ……?」
ウルザはすぐには気づかず、当惑した表情を見せる。
「これ。気を使わんか。私と彼女だけにせい」
そう言って、助手や学生たちはそそくさと、研究室内の別の部屋や、廊下に移動していった。「よいお年をー」などといいながら帰る学生もちらほら。
「あの……、以前お会いしましたか?」
「昨日会ったじゃろう。ほれ、あのミニリュウの……」
「えっ……!? あのご老人ですか! それは、失礼致しました」
その老人自体は覚えていたが、まさかあのオーキドとは結びつかず、大きく頭を下げた。
「まさか学生に、抜け出して打ちに行っとるなど言えんからの。内緒じゃぞ」
「は、はい。それはもう」
「さて、君からの話を聞かせてもらおうかのう」
二人はソファに相対し、ウルザはこれまでのことをまとめられる限りで話した。さすがに異世界からきたなどとは言えず、補正しながらあくまでそういう超次元の力を起こせるポケモンについて尋ねている。
「なるほど……。そういうことじゃったか」
「それで博士……、お心あたりは」
ウルザは真摯な眼でオーキドに尋ねる。
「何しろとんでもなく突飛な話だからのう……。次元を超えるような事象をのう」
オーキドはしばらく考えた後、一つ思い当たったかのように眼を大きく開く。
「もしかしたら、あれかもしれぬの。昔、人間たちの手で造られた、人造ポケモンが一体おってのう。次元を超えた力まではわからぬが、それに等しい理外の力を持つ個体といえば……」
「ほ、本当ですか? そういう存在がいると……?」
そう言いかけたところでウルザが乗り出すように訊ねる。
「だが、あくまで可能性の話にすぎんしのぅ……。それに元の研究まで遡ると結構昔のことになるから、この研究室に資料は残っとらんかもしれん」
オーキドは渋い顔をしながらウルザに申し訳なさそうに言う。
「そうですか……。いや、しかし、これまでよりは手がかりらしきものが見えました」
「そうかの。……。ここには残っておらんが、マサラのわしの研究所には残っとるかもしれん。あそこに構えた頃にはもうその研究ははじまってたはずだからの」
「そうですか……! でしたら是非」
「じゃが、すぐにという訳には、すまんがいかん。私にも論文やら講演といった仕事が山積みじゃからの。興味深い事象じゃし、その合間を縫って資料をあたってみるから、しばらく時間をおいて、マサラの研究所に来なさい」
オーキドは白衣の胸ポケットから名刺を出し、ウルザに渡す。
「いえ。探していただけるというだけで十分です。本当にありがとうございました」
ウルザはようやくみえた突破口のようなものに、少しだけ胸のつかえがとれるような気を覚えながら、そのことに礼を述べた。
こうして、ウルザは大学を後にし、ポケモンセンターで回復を済ませて、タマムシを発った。
――――――――
「どう……すればいいのかしらね。エーフィ」
あれからまた数ヶ月。季節はまためぐり春になった頃、ウルザは7つのバッジを揃え、ハナダの洞窟に入るためにポケモンリーグを制覇するしか無いと目標を定め、8つ目のジムがあるトキワシティに向かうべくお月見山を歩いていた。本来ならカイリューの空を飛ぶでトキワまで一気に行けるが、考える時間をウルザは欲していた。
しかし、本当にそれでいいのかと自分の中では大きな葛藤となっていた。調査はあれから、マサラタウンでのオーキド博士からの詳しい聴取と、グレン島のポケモン屋敷に行ったことで驚くほど進み、帰還の糸口になりそうなものは見えていた。
だが、その糸口のために、自分はまた数ヶ月を費やそうとしている。その数ヶ月で、自分はまだ元の世界に戻る意思を保てるだろうか。この平和で、豊かで、素晴らしいものに満ち溢れた世界と、かけがえのない仲間たちを捨てて――。わからなくなったウルザは一番長く連れ添ったエーフィを出し、問いかけていた。エーフィは何も応えずに眼を閉じている。
「この世界は、あまりにも私にとって……」
そういいかけたところで、遠くでかすかに大きな物音が聞こえる。何事かとウルザはその場に急行し、洞窟の開けた所にでる入口にさしかかった。
「あっ……!」
ロケット団の幹部に相対する、いるはずのない、しかしとても懐かしさのこみあげる面々がウルザの眼に映る。赤い装束に紫の束髪をした忍者に、白いローブに綿あめのようなピンクの髪をした魔法使い。そして――、緑の戦闘服に重苦しい甲冑を着た、粗野で、尊大で、しかし誰よりも強い力を持つ男。
「そう……そうですよね。やはり――、ここに逃げ続けるわけにはいきません」
ウルザはしばらく深呼吸をした後、エーフィを前に出るよう促す。エーフィは何かを感じ取り、すこしだけためらいがちに前に出る。そして、洞窟内に響きわたるような声で言い放った。
「エーフィ! サイコキネシス!!」
―【本編補完】ウルザ、再びタマムシへ 完―