通された場所は丁寧にガーデニングが施された、草花が周囲に植えられた落ち着きのあるところであった。
白い小さな丸いテーブルに、装飾の施された背もたれ付きの椅子に二人は着座する。そして、ウルザは事件解決を最優先にするため、まずポケモンの売買する組織について質問を行った。
「私がジムリーダーになる以前から、タマムシやヤマブキといった大きな街を中心に、そのような売買が行われているのは事実ですわ。最近は特にロケット団という組織が元締めを行って活発に行なっているそうです」
エリカは静かに怒りを含んだ声で、事情を説明する。
「なるほど……。この世界は私のいた世界に比べて平和だとは思っていましたが、裏ではそのような問題が起こっているのですね」
「表立った犯罪はここ2,30年ほどでは統計を見た限りでは大幅に減少しましたわ。ただ、それでも悪いことをしようとする人は消えるわけではありませんから」
エリカはジムトレーナーに出された緑茶に口をつける。
「なんとも、許しがたい話ですね……」
「ええ。本当に……。しかしウルザさん。お伺いしたいのですが、どうしてこの問題にそこまで関心をもたれているのですか?」
ウルザはまだ、先ごろ同じ町で起こった盗難事件については話していなかった。警察に発覚されたくないという事情を汲んでいた為、あくまで不法なポケモン売買に関心を持っているという体で聞き取り調査を行っている。
「その……できれば内密にお願いしたいのですが」
隠したりごまかしたりしても、彼女にはいずれバレてしまうだろうと考えたウルザは、正直に話そうと考える。エリカの相槌を聞いた後、更にウルザは話を続けた。
「実は、今朝ごろにそのような買い取る組織にポケモンを売り渡そうと目論んだと思われる人物が、サロンを行っている店に侵入し、金品とポケモンを奪い取ったという事件が発生しました。偶然私はそれで困っている被害者の方と居合わせて、なんとかお力になれないかと」
「まあ……。そういうことでしたの」
ウルザの話から、どこの店で起こったか、どういう事情で接触したのかをエリカは全て汲み取ったようである。
「できれば、早急に賊を捕えて、盗んだ品を被害者の方々に返還したいと考えています」
「なるほど。よく分かりましたわ。できれば当ジムが動くべき話なのですが、あいにくリーグや他のタマムシ内部での案件が重なっていて手が空いてなくて……。人は貸せませんが、ウルザさんが解決してくれるのであれば、ジムとして協力は惜しみませんわ」
その言葉にウルザは深い安堵と、心強さを覚えた。エリカは即座に一人の少女を呼び、ウルザを紹介しながら事情を説明する。ウルザにとっては森で見かけたウツドンのトレーナーであることを思い出した。
「あのあたりのエリアはこのナツキさんが担当しているので、彼女に詳しい事情を伺ってください」
エリカはナツキに目配せを行い、託した意思を明確にした。
「分かりました。それでは、お聞きしたいのですが、売買をするということは当然組織と何らかの形で接触しなければなりません。そのような場所、どこかご存知じゃありませんか?」
「事件のたびに場所を変えているので、詳しい場所までは分かりかねるのですが……、だいたいこのあたりの裏路地や、森などで行われた報告が上がっています。目立たない場所かつ、パッと見ただけでは分からないような自然なやり方でやるので現場を押さえるのは至難の業と思いますが」
事件現場付近の地図を机の上に出し、ナツキは本当にできるのかといった疑惑の視線をウルザに投げかける。
「だいたいの場所と手口さえわかれば、後はなんとかなると思います。現場を見た限り相手は素人同然の犯行ですし、足取りがつかめれば」
ウルザはこれまでの捜査経験や、アイスフレーム時代の潜入・捜索から自信を持って答える。
「とりあえず大体の場所はつかめたので後は絞り込みと、現場に残された手がかりから足跡を追いたく思います。あと、これが肝心な点なのですが、売買というのはいつごろに行われるのでしょうか」
ウルザは追って、冷静に説明を続けた。
「決まってはいませんが、生活苦による換金目的であろうことを考えると、下手をすれば今夜中にでも行われる可能性はあります。捕まえるつもりならば急いだほうが良いでしょうね」
「分かりました。早急にそこへ向かい、なんとか売り渡される前に実行しようと思います」
既にあたりは暗くなっており、ウルザは時間がさほど残されていない事を悟った。それから追加でいくつかの情報を仕入れる。
去り際に、エリカが一言呼び止める。
「この中に私のジムのポケモンが入っていますわ。イーブイ一匹ではさすがに心もとないですし、捜査の手助けとしてお使いください」
そう言ってエリカは3個ほどモンスターボールをウルザに手渡す。そのついでにそのポケモンの名前や、特徴、覚えさせている技などを簡単に書き記したメモ書きも添えられている。
「お気持ちはありがたいですが、エリカさんもおわかりでしょう。私はポケモンとバトルさせる事はできないです」
「観戦なさっていたのでしょう? あの要領でやればよいのです。この子たちはジムトレーナーの訓練用に従順に従うようなっていますので、そのあたりの心配はいりませんわ」
エリカはにこやかに笑いながら言う。ウルザ自身も捜査の手足になる人員は欲しいと思っていたため、しばし逡巡した後、結論を出す。
「分かりました……。ありがたく、使わせていただきます」
ウルザはモンスターボールを受取り、急ぎ足で売買が行われると思われる場所へイーブイと共に向かう。
――
森でウルザは転移したときの動きやすい戦闘服に着替え、地図を頼りに裏路地へ向かった。
向かう途中でみつけた時計によれば既に時刻は21時を回っており、ウルザの心中は焦燥を募らせている。組織側にもしも渡っていれば、さすがに一人でやるには勝ち目が薄いことを理解しているからである。
整然とした表通りとは異なり、マンションのあいだにある裏路地は一層影を落としていた。
「さてと……。まずは」
人通りがないことを確認し、ウルザはジムでもらった裏路地の地図を地面に広げる。イーブイも歩いてきて興味深そうに覗き込んだ。
取引が行われた場所や、今回行われる可能性がある場所については既にマーカーをつけている。
ウルザはエリカより貸し出された追加のモンスターボールを手に取り、とりあえずポケモンを全て出してみる。
「ナゾノクサ、ポッポ、モンジャラ……か」
ウルザはメモ書きを見ながら慎重に対比を行った。草タイプのジムにも関わらず、ポッポがいるのはジムトレーナーの弱点対策として何体か苦手なタイプも飼育している為であるとメモ書きには書いてあった。
とりあえず概要を把握したウルザは簡単にイーブイを含めた四体に出す指示を考え、答えをだした。
「ポッポ、あなたは空中を偵察して、地上にいる子たちに適宜指示を送って。一通り上空を見たら、私のところへ戻ってきて地図に特に怪しいと思った場所にくちばしでマークをつけてほしいの」
ポッポは静かにうなずき、すぐさま飛び立っていった。
「他の三体はそれぞれ特にこの既にマークがついているところを重点的に探してみて……、着替えてる可能性もあるからあまり当てにはできないけど、もし服が破れていて、怪しい挙動をしている人を見かけたら静かに私に知らせてください。それと、売人らしき黒尽くめの男を見かけたらその場合も」
店内で何箇所か服の切れ端を見つけており、何箇所か、特にポケットがだらりと取れかかっている可能性があることにウルザは気づいていた。イーブイ、ナゾノクサ、モンジャラはそれぞれ地図を見て、記憶しようとしている。
「もし、売却目的なら、この裏路地の範囲に逃げ込んだことは間違いはないはず。必ず捕まえましょう」
ここまでの聞き込みや情報から、比較的犯行現場に近く、広いタマムシシティの中でもとりわけ治安が悪く、関心の低い場所と目されているここで犯人は取引相手を探しているはずとあたりをつけている。そうでない可能性もあるにはあったが、明らかに素人の犯行であるのを鑑みると、得られる情報も限られるはず。と、外れている可能性はとりあえず排除した。
一人と三匹はそれからまもなく裏路地に入り、捜査を開始する。ウルザは捜査時に転写したゲソ痕とを照らし合わせつつ、慎重に足跡をみている。裏路地は少し入ると舗装されてない箇所が多くなっている上に、近くまで雨が降っていて足跡がついていることもウルザに奏功した。
表通りとは違う、陰鬱な雰囲気を肌身で感じながら歩いていると、足元にツルの感触を覚える。
「どうしました?」
つるを出した十字交差点に立っているモンジャラに視線を合わせると、水色のツルを左側の路地に指し示した。
静かにウルザはモンジャラのところへ行き、その方向に視線を合わせると黒尽くめの男が二人立っている。モンジャラを小声で褒めて、ウルザは気づかれないように物陰で話を聞く。
「―――ったく。まだこねえのかよ。久々の大物物件なんだろ?」
「道に迷ってるのかねえ。まあ見るからに初めてのやつの仕事だったしな……」
ウルザはその会話で、犯人がここに来ている可能性が高いと判断した。
『さて……どうしようかしら。ロケット団を追うのは今私がすべき事ではないし。できれば接触する前におさえたいけど』
次の行動を悩んでいると、上空よりポッポが降りてきた。物陰を上手く使って降りた為、ロケット団側には気づかれていない。
ウルザは慎重に地図を取り出し、ポッポにマーカーを咥えさせて、より疑わしい地点をマークさせた。謝意をこめて肩に乗っているポッポの頭を撫でて、マークしてる地点へ向かう。
「はっ……クソ、こんなわけのわかんねー道指定しやがって」
一人の男が慣れない道をただ走っていた。ポケモンの受け渡し場所として指定されたが、男は未だにみつけられずに居た。
「待ちなさいっ!」
ウルザは地図からマークした地点と、ロケット団のいる場所まで通るルートを推測し、そこを先回りして立ちはだかっていた。イーブイを除いてポケモンは全て回収し、モンスターボールに入れ、イーブイはウルザの指示に従い、彼の背後を押さえていた。
「なんだてめぇ……。どけっ」
「あなた……、今朝サダヤス氏のポケモンサロンに侵入した窃盗犯ですね。手荒な真似はしたくありません、大人しく投降してください」
ウルザは眼の前に立つ男を強い視線で睨みつける。腰につけている妙に真新しいモンスターボールや、だらりと下がった後ろポケットなど、犯人と断定するには十分であった。
「なっ。なんのことだ。俺には関係ない」
男の方は薄く照らされた照明でも、はっきりわかる程度に大きく動揺している。
「ほう……。ならば今ここで靴を脱いでいただけますか。照合したい試料がありますので」
「な、なんでそんな事しなきゃいけねーんだよ」
ウルザの予想通り、男は事件発生から靴を変えてはいなかった。
『こうも手応えのない相手だと、拍子抜けするわね……』
ウルザはため息をつきながら、さっさとケリをつけてしまおうと、ホルスターからボウガンを取り出し、男の前に構えた。
「最後の警告です。大人しく投降してください」
ウルザは底冷えするような冷徹な声で、犯人に改めて投降を促した。
「なんだそりゃ。ガキのオモチャか? 今どきそんなもんぶらさげてる奴いねーよ」
犯人はあくまで虚勢を張っている。この世界ではいわゆる殺傷兵器が浸透してないことを思い出したウルザは、威嚇射撃で一発足元に見舞う。刃引きされているのが発覚しない程度に、薄暗い場所に打ち込んだ。
「ひっ」
土を抉った鈍い音に、男はこれ以上ないほどに動揺した。背後のイーブイも少しずつ男の背後に迫っていた。
「玩具ではありませんよ。さあ、どうなさるのですか」
「ちっ……しょうがねえ! いけ、コラッタ!」
男は古い方のモンスターボール――恐らく奪ったのではなく自前のポケモンを繰り出した。
ウルザはボウガンを取り下げ、モンスターボールを手にする。ポケモンをこのような武器で傷つけるのはこの世界の道理に反すると、直感で理解していた。
ウルザは一度深呼吸して、モンスターボールを一つ手に取った。メモから使う技は叩き込んでおり、簡単なやり方は先程の観戦で理解していた。相手に侮られない為にそれらしく振る舞うほかない。ウルザは覚悟を固め、モンスターボールを繰り出す。
「行きなさい、ポッポ!」
ポッポは悠然と地面に降り立った。相手のコラッタに比べても、専門に訓練されているであろうことはそのたたずまいの差から伺いしれる。
「コラッタ、体当たりだ!」
コラッタはまっすぐにポッポの目掛けて駆け出した。ポッポは難なく飛び上がって、それを避けてみせる。
「ポッポ、そのままつばめ返しです!」
ポッポは飛び上がったところからそのまま鋭く、コラッタの胴体をえぐるように突いた。コラッタはひとたまりもなく倒れる。
「ちっ……。役立たずめ!」
犯人はコラッタを戻し、そのままウルザの居るところとは反対方向に逃げていく。そこを待ち構えていたイーブイがとびかかって、顎目掛けて頭突きをする。男はたまらず、そのまま倒れ込んだ。
ウルザは二匹に軽くねぎらいの言葉をかけ、普段から持ち歩いている捕縛用のロープを取り出し、慣れた手つきで男の両手を縛る。
「くそっ……。俺をどうする気だ。サツに突き出すのか」
男の問いかけを無視して、ウルザは腰にあるキレイな方のモンスターボールを4つ手に取り、一体ずつ繰り出して、それぞれ店主からもらったリストと照合した。
「あれがブルーちゃんね……。名前とちがってピンク色の容姿しているのが気になるけど」
ウルザはブルーという、ピンクの体毛を持った、鋭い牙をもつポケモンを確認する。その他3体もリストと相違なかったので、自らの意思を軽く説明した後に、速やかにボールに戻した。
「おい、どうすんだよ」
「さあ。どうなさるかは被害者の方次第です。今からそこに向かいますよ」
ウルザはロープを取り、ポケモンサロンへ向かおうとしたが、背後で声がする。
「おい! 約束の時間とっくに過ぎてんぞウスノロ! いつまでほっつきあるい」
黒尽くめの男が一人、毒づきながら現れると、捕縛されているのを目にする。
「ゲッ!? サツか? なんでこんなところまで……」
もう一人、待ち合わせ場所で待機していた同じような容姿の男が二人を見て目を丸くした。
「ふう……。一件落着と思えば、これですか」
仕方がないと思いつつ、ウルザは別のモンスターボールに手をかけると、ポッポが懸命に羽を羽ばたかせ、砂埃を大きく舞わせた。雨で少々重くなっているとは言え、飛行ポケモンの手にかかれば問題はないようだった。
視界を潰された下っ端が狼狽している隙をついてウルザは走り出し、その場を後にした。イーブイは犯人が逃げ出さないようつかず離れずの距離を取る。
――
路地裏から出た段階でポッポはウルザのもとに戻り、感謝の言葉をかけてモンスターボールに戻す。
そして、犯人を縄につなげたまま被害者宅へ向かい、店の主人と妻を呼び出した。あいさつもそこそこに、ウルザは取り返したモンスターボールを主人に手渡した。
「一応確認はしましたが、これで間違いありませんでしょうか?」
「は、はい! 間違いありません。いやあ本当に取り戻していただけるとは。感謝してもしたりません」
主人はモンスターボールを受け取ると、間違いがないことを確信した表情をする。食べ物は食べきられてしまっていたが、アクセサリー類は全て無事に返還されている。
妻の方は一つのモンスターボールを手に取り、ブルーを繰り出す。
「ああよかった……。怖かったねー、おーよしよし」
妻はブルーを座りながら抱きかかえて、頭をとにかく撫でまくる。ブルーの方も喜んでおり、尻尾をぶんぶんと振っていた。
「喜んで頂けて何よりです。それで、犯人を連れてきたのですが、どう致しますか。まだ警察には連絡しておりませんが……」
「え? ああ……そうだな」
主人は犯人の男に視線を向ける。男の方は押し黙っていた。
「私はあくまで取り戻すのが仕事ですので、処分はそちらに任せます」
「そうですか。だったら……」
主人が表情を緩んだのを見て、ウルザは一言付け加える。
「一つだけ……、あくまで国は違えど、警察に身を置くものとして言っておきます。今はしおらしくしていますが、捕まるまでの彼の態度は極めて反抗的で、引く様子は見せませんでした。お子さんの将来を慮るのは分かりますが、ここで簡単に許してしまうのは考えものです」
「そ、そうだったんですか。うーん……」
主人は腕を組んで再度考え直している。
「た、頼む、警察だけは勘弁してくれ! この不景気で職を失って、どうしても金と食い物が欲しくて……」
犯人の男は突っ伏して主人に許しを請うた。そのあまりの強さにロープを持っていたウルザは少しバランスを崩しそうになったが、すぐに戻した。
『見え透いた真似を……』
ウルザは冷ややかな視線で、犯人の懇願を見ている。生活が苦しい程度で罪が許されるならば、社会の秩序など保てないことを、彼女は身にしみて理解している。金品だけならまだしも、罪のないポケモンたちを違法な組織へ売り渡そうとした事実も、ゼスで横行していた少年少女の人身売買を彷彿とさせており、内心の怒りを増幅させていた。
そんな様子を見て、妻が夫に語りかける。
「あなた、警察は許してあげましょう」
「え? だがねぇ……」
「確かに、この人のしたことは、奪われたお客様の気持ちを考えれば許されないし、私自身許せないわ。ですが、私達のこの店だって開業したばかりの頃は長いこと泣かず飛ばずで、一時は闇金にも手を出そうか考えてたじゃないの。誰だって、いつこの人ほど追い詰められるか、分からないものよ」
「……」
夫は口を出さずに妻の意見を聞いている。開業当時のことを思い起こしているのだろう。
「貴女も、おっしゃっていましたよね、恐らく素人による犯行って」
「え、ええ確かに言いましたが……」
ウルザの言葉を遮るように妻が発言を続ける。
「見た所、それなりの年齢に見えますし、もしかすれば失職したのも本当で、つい道を踏み外してしまったのかも。一度の過ちで警察に突き出して追い込んでしまうのは正直、後味が悪いわ」
「そうだな。確かに……。あまり追い込んで、破れかぶれになられたらもっとタチの悪いこと起こすかもしれんしな」
夫は深く頷いて妻の意見に同調した。
ウルザにとっては信じがたいことであった。このような市井に住む一般人であっても、更生や追い詰められた人間の恐ろしさを知っているというのは、人生経験もあるだろうが、高度な教育が行き届いていることを痛感していた。ゼスの一般市民にそのような事を説いても、理解してくれる人は100人に1人もいないだろう。
「そういうわけでウルザさん。警察だけは勘弁してあげたいと思います。そのかわり、食べた食料や、侵入にあたって破壊した窓ガラスの代金などはウチで働いて弁償してもらおうかと。幸い、顔を見た人もいないようですし、雇ったとしても不審に思う方はおりません」
男は涙を流しながら、妻の寛大な意見に感激していた。
「分かりました。そういうことならば、意見を尊重致します」
そう言ってウルザは縄をほどき、妻に身柄を引き渡した。妻は男に声をかけながら、とりあえず割った窓ガラスの掃除をさせている。
「ふう……。ああ、ウルザさん! これ、少ないですがお礼です。どうか受け取ってください」
主人はレジから何枚か紙幣を取り出して袋に入れ、ウルザに手渡そうとした。
「え? すみません。なんでしょうかそれは……」
ウルザはそのただの紙切れにしか見えないそれに当惑している。彼女のいた世界では紙幣は存在せず、ゴールドのみが通貨として通用していた。
「何って、お金ですよ。お礼として受け取っていただきたく」
「そ、そうなの……ですか。いえ、しかしいただく訳にはまいりません。私はお金欲しさに捜査したわけでは」
捜査の対価に一般市民から金銭をもらうなど、汚職と癒着のもとである。警察の長としてそのことは十分に理解しており、それだけはしてはならないと戒めていた。
「いえいえ、それでは私の気が収まりません。どうか」
対応に困ったウルザは一つの代案を思いつく。
「それではその……。暫くの間、ご厄介になるわけにはいかないでしょうか? 恥ずかしながら、今日泊まる宿も、お金もない状況でして。生活の目処がつくまでで良いですから」
今の今までウルザはそこまで考えていなかったが、渡りに船とばかりに提案した。
「ああ、どうぞどうぞ。二階だけでなく、三階も倉庫や、将来の子ども部屋用に持っているんですが、三階のその部屋でよければ」
「雨風をしのげる場所があるならば、私はどこでも構いません。ありがとうございます」
主人の好意にウルザは深々と頭を下げた。野宿も考えていただけに、その提案は本当にありがたいものである。
「約束通り、そのイーブイも差し上げます。見た所随分と馴染んだようですし」
主人はウルザの足元で安心した表情で座っているイーブイを見て言った。
「本当に宜しいのですか? 元はといえばお子様のポケモンになる予定では」
「いーですって。見た所、彼女も貴方から離れたくないようですし」
ウルザは少々後ろ髪を引かれるような思いを覚えながらも、やはりパートナーとして歩もうと考えていたため、改めてお礼を言う。こうしてイーブイは正式にウルザのポケモンとなった。
―3階―
あれから遅めの晩ごはんを食べ、臨時雇いの男と妻によって急遽掃除された個室にウルザは通された。
入浴を済ませ、布団もしいてもらった今、ウルザはこの世界にきてようやく落ち着いて1人と、新たに仲間になった一匹と時間を共にすることになった。
ウルザは入浴後に妻より用意されたパジャマに着替えており、イーブイは疲れ切ったのか自らの身を丸めて眠ってしまっていた。元々はあの奥さんのパジャマのため、比較的小柄なウルザには大きめであったが、大は小を兼ねるとばかりにウルザは着こなしている。
寝る前にウルザは用意してあった机に向かって、アイスフレーム時代からずっとつけている日記をつけている。既に時刻は0時を過ぎていたが、あまりにも書くことが多すぎて内容をまとめるのに苦労していると、ノックの音が響いた。
「あの……お姉ちゃん。いい?」
「どうぞ」
一家の子どもが、様子を伺うように入ってきた。ウルザは日記を書く作業を中断し、椅子を回して、少年の方向へ身体を向ける。
「子どもはもう寝てる時間じゃないかしら……?」
「う……うるさいな。ちょっと眠れなかったんだよ」
そう言いながら、少年は横で眠っているイーブイを見る。
少年はじっとそれを見て、様子を伺っていた。安らかに寝息をたてているイーブイを見ている少年の瞳にはどこか羨望のようなものがあった。
「もしかして」
本当は返してほしいのではないか。そう思ったウルザは少年に問いかけようとする。
もし、そうであれば譲ってくれた店主には申し訳ないが、返そうと彼女は心に決めていた。如何に今後の自分にとって利する事であろうと、少年の心を傷つけてまで為すべきではない、と。
「ち、違う。そういうことじゃ……」
意図を察したのか、少年は大きく首を横に振る。
「ごめんなさい。元はあなたのポケモンだったのに、それを横から取るような……」
その事が気がかりだったウルザはようやく言えたとばかりに、深く頭を下げた。
「いや……いーんだよ。あんな奴よりもっとかっちょいいポケモンもらうから」
少年はわざとらしそうな口調で言う。やせ我慢なのか。本気でそう思っているのか、ウルザには判断がつかなかった。
「そう……。今度はもっとあなたに合うポケモンと、巡り会えるといいわね。それで、何の御用?」
ウルザは和やかな表情で少年に尋ねた。
「その……。これ、わたそうと思ってきただけ。それじゃあ、お休みなさい」
そう言って、少年はウルザの返事を聞く間もなく、そそくさと去っていく。少年の居た場所には『イーブイのそだて方』という200ページほどの子供向けの概説書が置かれていた。
乱暴で、ところどころ汚れがあったが、それ以上に読み込んだ跡があり、手垢もついている。それでウルザはイーブイに乱暴しがちだったのも、彼なりの不器用な表現方法だったのかもしれないと思い至った。
「大切に、育てますからね」
ウルザは本を両手で胸に抱き留め、少年の去っていった方向に目をむけ、誓うかのように言った。
――
翌日、朝食を食べたウルザは、借りたポケモンを返却するためそのままタマムシジムに向かった。リーダーが話をしたいというので、再度また応接スペースに通された。服装はアイスフレーム時代の茶色のジャケットに白いロングスカートである。
「そうですか。無事に解決されたのですね。お見事です」
ウルザから受け取ったモンスターボールをしまいながら、エリカは素直に喜んだ。
「エリカさんのポケモンが居なければ、売買が実行されて更に面倒になっていたかもしれません。心から感謝いたします」
「いえいえ……。しかし、転移されて一日足らずでそこまで使いこなすとは、中々な才能の持ち主ですわね。警察長官という肩書きも、真実味がありますわ」
エリカはジムトレーナーに用意させた紅茶を飲みながら評する。
「職業病と言うんですかね……。ただ必死になっていただけです」
「それ自体があなたがとても真摯な方ということの証左ですよ……。あの、私から一つ提案があるのですが」
エリカは数秒ほど考えた後、ウルザの目を見据える。
「何でしょうか?」
「ポケモントレーナーになるというのは、如何でしょうか? ウルザさんでしたら、十分にその資格はあると思います」
「えっ……?」
ポケモントレーナーがこの世界において主要な位置を占めていることは、彼女の内心では理解していた。しかし、まさか自分がそうなることまでは考えていない。
「元の世界に帰りたいのですわよね? ウルザさんは」
「ええ。私には為すべき使命がありますから」
たとえこの世界に来ても、ウルザのその決意は微塵も変わってはいない。
「でしたら尚更うってつけだと思いますわ。ジムリーダーの方でしたら多くの情報を持っていますし、この地方を周ることになりますから、帰還への手がかりがつかめるかもしれません」
「なるほど……」
エリカの言葉を聞いてウルザは確かにそれも良いかもしれないと考えている。ポケモンバトルという仕組み自体にも興味があるし、育成や旅を通じて、自分のいた世界とは全く異なるこの世界のことをもっと知りたいという欲求が彼女の心中に沸々と湧き上がっていた。
「トレーナーカードがその資格証になるのですけど、リーグ支部へ伺えばその日のうちに発行していただけると思います」
「それは誰でも頂けるものなのですか?」
「簡単な審査を受ければ、特に身分証などなくても発行されますわ」
そんな適当なとウルザは思ったが、特に口は出さない。
「そうですか……」
ウルザはしばらく考えた後、結論を出す。旅をするうえでそれほど通りの良い身分があるなら、それに越したことはないと考えた。
「分かりました、しかし、しばらくは旅費も稼ぎたいのでこの街に逗留したく思うのですが、もし今後わからないことなどありましたら、訪ねても宜しいでしょうか?」
「もちろんですわ。ウルザさんのような御方でしたらいつでも歓迎いたします」
エリカは一層にこやかな笑顔を浮かべる。新しい友人ができたといわんばかりである。
「ありがとうございます。右も左も本当にわからないのですが、どうか」
「しかし……、旅費を稼ぐと申しますが宛てはあるのですか?」
エリカは少し心配そうな表情を浮かべている。
「この世界に来るまでに色々な事をしてきましたし、なんでもやってみようと思います」
「そうですか……。本当ならばジムトレーナーとしてお雇いしたいのですが、生憎、リーグの規定でバッジ1枚以上が要件になっていまして」
「いえ。そこまでご厄介になろうとは……、それに、色々な職業を通じてこの社会を学びたいですし」
こうして、ウルザとエリカの間で親交がはじまった。
――
ウルザはその日のうちにリーグ支部に行き、トレーナーカードを受け取った。
ずっと側についてきていたイーブイを抱き上げながら、視線を合わせる。
「イーブイ……。進化ポケモンですか」
その吸い込まれるような黒い瞳をじっと見つめながら、昨日少年より受け取った育て方の文言を反芻している。
「頼りにしていますよ。イーブイ。私の……パートナー」
ウルザは店主より譲り受けたイーブイの為のモンスターボールを眼の前に掲げ、ボタンを押して赤い光に包ませて、その中に入れる。トレーナーとして歩みだす決意をした証であった。
「しかし、まずは仕事を探さなきゃね……いつまでも厄介にはなれないし」
そう1人でつぶやきながら、就職情報誌で手近な仕事を探していた。サロンで働くことも考えてはいたが、もっと情報が得れそうな仕事を優先的に求めている。即戦力重視で、それまでの経歴があまり問われないことが彼女にとっては救いであった、
求人雑誌をパラパラ読んでみるとジムトレーナーの待遇について参考程度に書かれていた。
「そういえばエリカさんのジムは……」
ウルザは無意識にその箇所に目をやった。
「あ……。ちょっと惜しいことしたかしらね……。バッジ1枚くらいならば、なんとかなりそうだっだし」
その給料と、様々な破格な待遇を見てウルザは少しだけ悔いつつ、気持ちを切り替えて他の求人欄に目をやった。
それから彼女は臨時雇いの教師や、タマムシデパートの店員などの仕事をこなして一ヶ月で当座の旅費を貯めたり、情報収集を行っていく。
――
「今まで本当にお世話になりました。この御恩は決して忘れません」
一ヶ月が経過し、厄介になっていたサロンより旅立つ日がきた。
「本当に行ってしまうのかい? ウチはいつまででもいたって構わないんだよ?」
「そうそう。ウルザちゃんが来てくれて本当に大助かりなんだから」
ウルザは居候の対価として仕事やトレーナーとしての訓練の片手間にサロンの経理処理や、清掃などをこなしていた。そのため、店主とその妻は大いに残念がっていた。
「そのお言葉だけで本当に嬉しいです。またタマムシにも寄りますからその際にできる限り恩返しをしたく思います」
「そうかバッジを取るんだってね。よし、また来たらイーブイちゃんでも、最近捕まえたロコンちゃんでもあんたの手持ちなら、タダでキレイにしてやるよ!」
店主はニコニコと頼もしく胸を叩く。ウルザは最近、実戦訓練も兼ねて周囲の道路にでており、先週ロコンに一目惚れして捕まえている。
「まあ……。ふふ、楽しみにしてますね」
ウルザはにこやかに笑みをたたえて店主の言葉を受け入れる。実際にまたエリカ戦の為にタマムシを訪れた際、彼女はここを宿とした。
――
サロンから、ウルザはもう一つ世話になったタマムシのジムへ向かった。これまでに数度質問や相談のために訪れており、顔見知りとなったジムトレーナーの案内に従いすんなりとエリカのところへ通される。
「そうですか……いよいよ本格的にバッジを集められるのですね」
エリカはいつもどおりにこやかだったが、それにはどこか期待をにじませていた。
「ここを最初のジムにしようとも思ったのですが、やはりスタンダードの通り、ここはニビから行こうと思います。考古学の博物館もあるようですし、手がかりもあるかと思い」
ウルザは既に図書館に通い詰めたり、職場での情報交換を通じてある程度この世界の地理を把握しつつある。
「確かにあそこには化石ポケモンをはじめ、この世界にまつわる様々な伝承が集積されていますわ。良い選択だと思います……、しかし、タケシさんは岩タイプのジムで、ロコンとイーブイではかなり厳しいと思いますわよ?」
エリカは紅茶を飲みながら懸念を示す。
「そうですね……。けたぐりなどの搦手の技でどうにか乗り越えられるとは思うのですが」
「物理防御を考えると、少々不安が残りますわね。……。イーブイをシャワーズにしてしまうのが、一番手っ取り早くはあると思いますけれど」
エリカの助言に対し、ウルザは首を横に振る。
「イーブイの進化先は今後の戦略を占う重要な岐路です。如何に有効打とはいえ、そのために進化させるのは正直先急ぎかなと思いまして」
「なるほど……、そこまで考えられるとは、バッジを持っていなくとも、立派なトレーナーですわね、前の世界で、参謀をなさっていたというのも頷けますわ」
エリカは一度深く頷いて、一つのことを提案する。
「ロコンを少しだけこちらにいただけますか?」
「え……。何をなさるのです?」
唐突な提案にウルザは面食らった様子で答える。
「ロコンにエナジーボールを伝授しようと思います」
エリカは懐より、一枚のディスクケースを取り出す。いわゆるわざマシンと呼ばれるもので、ウルザはよく心得ていた。
「え……。しかし、私の知る限りではその技は、わざマシンにはなかったように」
「ふふ。実はジムリーダーにだけ使用が許されるそのタイプに即したわざがいくつかあり、わざマシンとして使用することができるのですわ」
エリカは少しだけ得意になった表情でウルザに言う。
「私の為に、本当に良いのですか」
「良いのです。ウルザさんからもこの一月、そちらの世界のことを色々と教えていただきましたし……、その御礼も兼ねてお教えしたいのです。きっとタケシさんとの戦いにも大いに役立てられると存じますわ」
ウルザは少々感極まった表情で、エリカに黙って深々と頭を下げる。こうして、ロコンにはエナジーボールの技が授けられた。
それからもいくつか旅立つにあたっての色々な情報を教わり、ウルザは退室するため席を立つ。
「エリカさん。本当にありがとうございました」
「ご健闘をお祈り申し上げますわ。いつの日か、ジムにまたいらして、トレーナーとして大きく成長されたウルザさんの力を拝見することを、首を長くして待っていますわ」
エリカの激励を受け、ウルザはジムを去っていった。
―タマムシシティ 東側ゲート―
ウルザはその後もタマムシデパートで旅の用具や、回復道具などを買い揃え、ゲートに立っている。
動きやすい戦闘服に着替えており、つけなれたグローブをまとった自身の掌を見る。
「ゼスに……帰るわ。必ず」
そう言ってウルザは拳を作り、それを握りしめ、自分の中で湧き始めていたこの世界への愛着や、帰属意識を振り切るように一言呟く。
まばらに出入りするトレーナーや民間人たちにまじってウルザはゲートをくぐり抜け、7番道路へ歩みを進めた。
―終―