特異114514課 作:特異ξ紳士
畳の匂い、黄ばんだ欄間、冷蔵庫のモーター音。
それらが止まった時計の1:14をやさしくなぞる。
鈴木は天井を見上げ、息を吐いた。
「……またここかよ」
木村は障子の桟を一本ずつ撫でてから、手を狐に形作ってみせる。
静寂……契約は繋がらない。
鈴木はどこをどうしても外に出られない事を確認してから、虚空に向かって大きな声を出した。
「おーい平野! 平野源五郎‼︎ 俺たちのこと、見てるんだろー⁉︎」
…………。
「先輩、無駄ですって」
「そうだよ(同意)。ポッチャマたちもあらゆる手はすでに試したゾ」
鈴木は畳の端を足で押してみて、すぐ諦める。
「床下めくっても何もねぇ。……三浦はん、どうです?」
三浦は冷蔵庫の前にしゃがみ込み、耳を当てた。
モーター音は正確だ。
次に壁の時計へ視線を移し、止まった針をじっと見つめる。
「1:14のまま動かん。ここは“記憶の再生”で保たれているゾ」
絶体絶命の状況。
――だがそこで、鈴木にとある妙案が浮かぶ。
「あっそうだ(唐突) 風呂入ってさっぱりしましょうよ〜」
鈴木の突然の提案に疑心の目を向ける二人。
しかし、鈴木は構わず大きな声で会話(独り言)を続ける。
「ぬわあああああん疲れたもおおおおおん」
その言葉を聞いた瞬間。
「「――!」」
三浦と木村、二人の脳内に“懐かしの記憶”が浮かぶ。
それは、とある夏の日の思い出。
「いやもうキツかったすね今日はー」
鈴木のあからさまな言動に、三人はそれぞれ目を合わせ、無言で頷いた。
三浦が鈴木に続いて言葉を発する。
「あぁもう今日は……すっげえキツかったゾ~」
木村も先輩たちの行動に合わせて口を開く。
「ホントに……」
「何でこんなキツいんすかねぇ〜辞めたくなりますよぉ〜部活……」
「キツいですね……」
そうまるで、戯曲のように――。
「どうすっかな〜俺もな〜」
「MUR早いっすね」
「シャツがもうビチャビチャだよ……」
「ふふ」
懐かしの記憶を頼りに、三人は“過去を演じる“。
「風呂入ってさっぱりしましょうよ」
「入ろうぜ二人とも」
「そうですね(小声)」
鈴木、三浦、木村。
三人が連携して“過去の記憶の再現”をする。
――止まっていた“時”が動き始めた。
壁の時計――永遠に1:14で止まっていた針が。
チ、チ、チ、と乾いた息を吹き返したのだ――。
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そして時は大きく進むんで5:14。
長風呂に、日常会話に、全てを済ました。
そして鈴木がついに、決定打となる言葉を発する。
「この辺にぃ、美味いラーメン屋の屋台、来てるらしいっすよ」
三人は顔を見合わせて立ち上がった。
そしてそそくさと、部室の扉の前に――立つ。
「い、行きますよ」
「おっ……そうだな」
「…………はい」
鈴木が、開かずの扉のドアノブに手をかけた。
ガチリ。
押し開ける――。
周囲の風景にモヤがかかっていき、部室の世界が霧散していく。
扉を完全に開け切ると、世界が……晴れた。
――竹だ。
竹林があった。
明朝が三人を迎える。
湿った青が視界いっぱいに伸びていた。
竹の節から滴る露が、三人の頬と肩に細かく跳ねる。
土と砂利の冷たさが足裏へ戻り、胸の奥まで“現実”が流れ込む。
「……出た、のか」
鈴木がぽつりと呟く。
背後を振り返れば、さっきまでの“部室”は紙芝居の最後の一枚みたいに薄く震え、音もなく空へ溶けていった。
木村は掌を狐に組む。試すように、低く呼びかけた。
「『狐の悪魔』――」
すぐに返るのは、尾がざわめく確かな手応え。木村の肩がわずかに緩む。
「繋がりました」
「よし。ポッチャマも」
三浦は額に指を当てて囁く。
「『知識の悪魔』……今は“外”だな?」
紙の擦れる音が頭の内側でめくれ、素っ気ない肯定が落ちる。
「みんな……気をつけろ」
鈴木は警戒を崩さず、周囲へ視線を巡らせる……とその時。
「お早い“脱出”。感心感心」
やつが――平野源五郎が。
俺たちを記憶の世界に閉じ込めた張本人が、竹の影から滑り出てきた。
「ふぉっふぉっふぉっ」
鈴木が一歩前へ出て、肩をぐるりと回す。
木村は半歩斜め後ろ、指先は狐の形に。
三浦は顎を引き、額へ軽く指を当てる。
「よくもまあ“記憶の牢獄”から帰ってきたのう。――だが、帰らせんよ?」
平野が指を鳴らす。
竹の影が障子の枠に伸び、足元に畳の目がにじむ。
「くるゾ」
「わかってる」
木村が一歩前に出て、右手を狐に組む。
「『狐の悪魔』」
白い尻尾が地面から噴き出し、盛り上がる畳を横薙ぎに押し潰す。
見えない扉の縁が露出した。
「ほう……開口を嗅ぎ分けるか。けれど――」
平野が口角を上げ、和室の風をもう一度吹かせる。
竹の皮が紙に変わり、三人を包むように閉じてくる。
「鈴木!」
「おっす了解」
鈴木は鼻息を荒くして足を広げた。
「来い――『ウンコの悪魔』。腐らせろッ!」
瘴気が爆ぜ、湿った竹の青が一斉に茶色へ転ぶ。
紙の繊維がどろりと溶け、畳の目は泡を吹いて潰れた。
押し寄せていた“部室”の膜が、臭気を吸って後退する。
「っ、げほ……っ」
初めて平野が咳をした。笑みの眼が細くなる。
「三浦」
「任せるゾ。『知識の悪魔』――この場での最短手を」
頭の内側でページがぱさりとめくれた。
『檻は“記録の再生”。当時なかった出来事は保持できない。未記録を起こせ』
「未記録……“初めて”をぶつけろってことだゾ」
「じゃあ見せますよ――今の俺たちを」
鈴木が一歩踏み出す。
「『ウンコの悪魔』――凝固(ギア)、拡張(ブースト)」
茶色い瘴気がいつになく硬質に唸り、地表を装甲の泥へ変える。
部室の畳は見たこともない粘壁に歪み、“あの日”の匂いではない未知が満ちる。
「木村!」
「はい! 『狐の悪魔』――顔、固定噛み!」
巨大な狐の顔が肩越しに現れた。
顔は辺縁に開きかけた部室の扉をがぶり、そのまま固定する。
狐の牙が軋む。
噛み止められた“扉”は、紙の層をめくるみたいにバリバリと音を立てて崩れた。
平野の袖がひるがえり、影がこちらへ伸びる。
畳の目がまたにじみ出る――押し返すように、鈴木が前に出た。
「詰めるぞ!」
「了解」
「任せろゾ」
鈴木は一気に距離を詰め、拳を胸郭へ――ごつ、と手応えが。
しかし紙の壁が割り込んで拳を逸らす。
ならば、と足で踏みつけ、瘴気を叩き込む。
「喰らえッ――ッ!」
鼻を焼くような悪臭と熱が、紙と竹と朝の湿り気を一気に染め替える。
白かった障子がみるみる茶色く曇り、足首に絡みつこうとしていた畳の目が干からびて砕けた。
「っ……」
初めて平野の喉が鳴る。
笑みがわずかに揺れた。
「木村!」
「はい! ――『狐の悪魔』全身‼︎」
木村の周囲に白い風が巻き、狐が頭から爪先まですべてを現した。
九つの尾が同時にしなり、竹の葉が逆立つ。
一の尾が平野の右足首を絡め、二の尾が右肘を外へ弾く。
残りの尾は地面を掃き、浮き出しかけた畳の目を順に踏み潰す。
「逃がさない」
木村の合図で、狐の前肢が平野の左肩と鎖骨の境に楔のように差し入った。
左肩が地面へ固定され、腕が振れなくなる。
平野は笑みを保ったまま袖を払う。
払った袖から竹影がのび、頭上の空気が障子へ変わり、天井に1:14がじわりと滲む。
「戻すな!」
「任せろゾ」
三浦が額へ指を当てて短く告げる。
「半歩左、二拍後。そこが穴だゾ」
鈴木は砂利を半歩左へ蹴り、二拍数えてから肩で平野の胸を押し上げ、続けて膝を鳩尾へ入れる。
呼気が抜け、笑みがわずかに崩れた。
「喰らえ――『ウンコの悪魔』、固めろ!」
茶黒い瘴気が地面を輪状に走り、平野の裾と踵を殻で包む。
殻の縁が砂利に溶着し、引き剝がせない足枷になる。
臭気が記憶の空気を押し流し、障子の輪郭が色褪せて剥がれる。
「っ……不作法じゃのう」
平野の声は涼しいが、体軸は斜めのまま起き上がれない。
「木村!」
「はい――『狐の悪魔』、締め!」
尾が一拍ごとに部位を絞る。
手首 → 上腕 → 肩甲骨 → 骨盤。要を順に縛り、最後の尾が喉元へ影を落とした瞬間、周囲の紙肌がしゅうとしぼんで消えた。
「三拍で詰めるゾ」
三浦がカウントする。
「いち」――鈴木の肘が顎を跳ね上げる。
「に」――木村の尾が膝裏を払って体幹を折る。
「さん」――三浦の裏拳が首の根を正確に叩く。
平野の視線が泳ぎ、竹影がもう一度広がろうとする――。
「拡張!」
鈴木の瘴気殻が足場ごと厚みを増し、芽吹きかけた障子を内側から粉砕する。
木村の狐が砕片を噛み千切り、白い牙の間で紙屑が塵になった。
「……なるほど。三人で来るか」
平野の瞳に一瞬だけ怒りが灯る。
狐の前肢が固定点をわずかに押し増し、平野の重心がさらに沈む。
支点はもうこちらにある――。
「終いだゾ」
三浦の掌底が胸骨中央に入る。
反動で頭が落ち、そこへ鈴木の拳。
ドンと乾いた音が鳴った。
平野の上体が前へ崩れ、笑みが消える。
木村の尾が両手首を背中で束ね、別の尾が肘を絞って肩を止める。
鈴木は足元に掌を当て、薄く凝固を塗布し、逃げ足を根こそぎ封じる。
「……参った、とは言わんよ」
かすれ声だけが残り、視線はもう上がってこない。
「みな、戻りたがるのだよ。“一度だけ正しかった時間”へ」
「……そうかよ」
鈴木が瘴気を引く。
臭気が朝風にほどけ、竹の緑が鮮明に戻った――。
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「よくやってくれました、三人とも」
デビルハンター京都分室にて。
三人は、マキマから誉められていた。
「尋問の結果、彼がSMバー平野を経営する、昨今の京都を騒がせる真犯人であったと確認できました。また、彼の契約する悪魔……牢獄の悪魔も、収容が完了しました」
鈴木が椅子にもたれ、肩を鳴らす。
「じゃ、今回の件……報酬は」
「手取りで45。急襲・拘束・回収、全部乗せてね」
「いいゾ〜これ」
「やりますねぇ」
「……ありがとうございます」
マキマはわずかに口角を上げ、視線だけで三人の包帯を指した。
「処置が済んだら今日は解散。――それと」
廊下の窓から、京都の朝が白く差し始める。
「帰りに美味いラーメン屋、行こっか」
鈴木が即答する。
「行きます」
「そうだよ(同意)」
「……はい」
分室を出る。
外気は冷たく、ビルの影が長い。
自販機の前で缶コーヒーを三本、プシ、と同時に開けた。
「結局、“部室”ってなんだったんすかね」
「過去は居心地がいい。だから牢獄になる――ってことだゾ」
「もう戻りません。今の匂いで上書きしましたから」
軽い足音が先に立つ。三人は肩を並べてついていく。
「ところで店、コッテリですか? アッサリですか?」
「濃いめのつけ麺」
「粋すぎい!」
笑いが一度、朝の空気にほどけた。
竹の青も、畳の匂いも、もう追ってこない。
――公安最恐のデビルハンター。
時計は二度と過去には戻らないまま、三人の前で進み続けていた――。
ー完ケツー
ここまで読んでくださった読者の皆々様には感謝を。
長編小説を書く練習に頑張ってみましたが、元のプロットからは大きく離れた位置に着陸してしまいました。
とはいえ走り切ったのでセーフ。
感想・評価には全て目を通させて頂きました、創作の燃料として重宝です。
最後に、またいつの日か、別の作品で出会えることを祈ります。
それでは、さらばじゃ〜
ノシ