特異114514課 作:特異ξ紳士
――東京デビルハンター本部、午後。
雨上がりの灰色の空が、ガラス窓越しに滲んで見える。
室内には安酒の匂いと、どこかくたびれた緊張感が漂っていた。
「かくかくしかじか、そういうわけだったんですよ」
鈴木が、やや軽口混じりに事件の経緯を報告する。
三人は椅子に並んで腰掛け、報告を終えたばかりだった。
蓮という名の抜刀の男に襲われたこと。
迎撃し、気絶させた直後、謎の人物――平野源五郎が現れ、蓮を連れ去って姿を消したこと。
「ふむ……つまり、マキマを狙った逆恨みが発端ってわけか」
岸辺は重たげに体をソファに沈めながら、手元のスキットルからウィスキーを喉に流し込む。
口の中を焼くようなアルコールが、彼の頭のネジを一本ずつ緩めていくようだった。
「それにしても残念だったな。勤務時間外の騒動に加えて、犯人の捕縛も失敗……よってノーマネーだ」
乾いた口調で言い放ち、スキットルの蓋を音もなく閉める。
「そこをなんとかなりませんかねェ……」
鈴木が自分の額についた傷を指先でなぞりながら、不満げに唸った。
だが、返ってきたのはあまりに冷たい言葉だった。
「ならない。相手は悪魔じゃない。ただの人間、ただの殺意だ。何度言われても、上から金が出ることはない」
きっぱりとした拒絶。
まるで鋭い剣で切られたかのような切断力のある口調だった。
だが、それで黙る鈴木ではない。
目を見開き、突然何かを閃いたように声を上げた。
「そうだ! マキマはんなら! あの人に事情を説明したら、払ってもらえるかも……!」
希望に満ちた顔で言い放つ鈴木だったが――。
「無理だな」
即座に否定する岸辺。
反射的な速さだった。
鈴木はムッとした顔で睨み返す。
「そう睨むな。マキマは今、京都に出張中だ。お前らの泣き言が、東京からあいつに届くことはない」
「そ、そんな……! じゃあ、今からでも新幹線に乗ってマキマはんのとこに行きます!」
椅子から飛び上がり、急いで扉をあけ外に出ようとする鈴木……だが。
「まあ待て。俺にいい案がある」
岸辺のその一言に、鈴木はぴくりと身体を止めた。
「いい案ってなんすか? まさか……30分で5万! とかはナシですよ」
「……男に興味はねえ。まあいい」
岸辺がソファから身体を起き上がらせると、室内に設置された棚からとある資料を取り出す。
「読んでみろ」
そしてバサリ、と机の上に広げられた。
三人が手分けして資料の内容を見ると――。
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東海道新幹線。
時速270キロメートルで走るそれに、三人は指定席で乗っていた。
「Foo〜^美味しい〜」
幕の内な駅弁当を口に頬張る鈴木、そして木村と三浦。
「京都に行くなんて久しぶりですね、先輩」
「おっ、そうだな」
そんな彼らがどうして京都に出張しているのか。
それは……。
「それにしても岸辺はんも急ですよね〜。俺ら、さっきまで“ノーマネー”って心をへし折られてたのに、即出張って」
「おっ、そうだな。ポッチャマたちだけ京都観光だゾ」
「……仕事ですよ、先輩たち」
車窓に流れる鈍い雲。雨上がりの関東平野が遠ざかっていく。
鈴木は駅弁の箸を止め、胸ポケットから折り畳んだ資料を引っ張り出した。
「で、改めて。今回のターゲット、“アナルアサシン”」
「名称からしてIQが下がるゾ……」
「ふざけた名前ですけど、被害は洒落になっていませんよ」
京都だけで100件以上。
被害者たちは“ケツイキへ誘われた”と証言。
犯人は黒いグローブにセクシャルな姿。
一体、何が起きているのか……。
――するとその時。
三人とも反射的に首を窓へと向ける。
「うわ、デカ……!」
「出たっ、写真撮るゾ! 任務成功祈願……って――あ、指が入った」
「先輩たち、窓に鼻つけないでください。外が見えません」
富士山――。
灰色の幕の裂け目から、巨大な山影がするりと姿を現していた。
濡れた裾野、黒い岩肌。
夏の富士は、薄い雪の名残をほんの少し、天辺に貼りつけている。
「今の角度もう一回! 車掌さん、Uターン!」
「そうだよ(同意)」
「無茶言わないでください」
各席からシャッター音が重なり、富士の尾根は少しずつ右へ滑る。
「なんか、あれ見たらやれる気すんな」
「そうだよ(二回目)」
「まあ、そうですね」
そして窓外は海から田畑へ、田畑から低い山並みへ。
やがて、車窓の向こうに街の密度が増していく。
『まもなく京都、京都です――』
車内アナウンスが流れ、速度がわずかに落ちた。
英語、中国語、韓国語。
車内の空気が、旅の目的地を意識してわずかに落ち着く。
「着いたら――どう回ります?」
鈴木が最年長の先輩、三浦に判断を仰ぐ。
「とっととアサシン倒して、お土産を買うゾ〜これ」
三人は立ち上がり、鞄のファスナーを確かめる。
鈴木が資料を胸ポケットに戻し、三浦は缶を飲み干し、木村は深呼吸を一つ。
扉が開いた。
湿気を含んだ古都の空気、人の流れ。
足元に広がる光沢の床が、行き交う影を薄く映す。
京都駅。
「よし、久しぶりの出張。楽しませてもらいますよ〜」
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京都駅からタクシーを拾い、対魔特異京都分室へ。
硝子張りのビルの一角、白い蛍光灯と乾いた空調の匂い。
受付を抜けると、奥で待っていた女が振り返った。
「来てくれて、ありがとう。岸辺隊長から連絡は来ました」
マキマは、雨上がりの光のように穏やかに微笑む。
「京都では“アナルアサシン”と呼ばれている人物が活動しています。被害は100件以上。死者も出ています。そしていずれも、生き残りたちは皆、“同じ言葉”を聞いたようです」
同じ言葉……とは、三浦が答える。
「“ケツイキへ誘う”……ゾ?」
「そう。被害者の証言は奇妙に一致しています」
マキマは、卓上に写真を三枚並べた。
「どれもこれも、お尻の辺りにクリームが塗られています」
「「「おお」」」
つまるところ、文字通り。
アナルアサシンの餌食になったということ。
「でも一体なんでこんなことを……」
木村が至極当然な疑問を浮かべる。
マキマが微笑んで答える。
「それが分かれば困らないんだけどね。でも、仮説は立ててあります」
「それは?」
アナルアサシンの被害を受けた人物たちは、男女問わず確認されている。
そして、彼らの菊、アスタリスクは縦に割れてしまっている。
しかしながら、どれも怪我の後が残っていない。
ここから導き出される答えは……。
「――敵は、悪魔使いである可能性が高い」
「つまり……?」
アナルアサシンは、何らかの悪魔の力を使って被害者を“出血”をさせずに、お尻にクリームを塗ってくる、愉快犯的な存在である。
「そして人体実験を繰り返す……研究者」
マキマは静かに言った。
「敵の研究が闇の組織に渡ることは防がなければなりません……そこで」
「分かりましたよマキマはん、そいつをぶっ倒して公安に引き渡せばいいんですね?」
「話が早くて助かるよ、鈴木くん」
紅い糸のような髪がこくんと揺れた。
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夜の鴨川は、街より暗い。
水の匂いが濃く、灯りは等間隔に並ぶだけで、間の闇は歩く人の影をすぐに飲み込む。
鈴木はベンチに腰をおろし、缶コーヒーのふたを親指で弾いた。
金属音が川の方へ滑っていく。
「ぷっはあ」
土手の上には三浦の影、下流側のヤナギの陰に木村。
それぞれ三人は遠く離れた場所に配置されている。
アサシンが出没したという最も可能性の高い場所へ。
遠くで誰かが笑った。別の誰かが走る音。
川は変わらず同じ調子で流れている。
「それにしても、本当にこんな場所に現れるのか?」
川風が、缶コーヒーの甘苦さを薄めていく。
等間隔の街灯が鴨川の面に揺れ、鈴木は缶をベンチ脇に置いた。
――その瞬間、視界の端で空気がめくれた。
ぬるり、と闇から抜け出す影、黒いグローブ。
そして股間部だけを硬質なパンツで守った――それ以外は何も纏わぬ、不審者。
全体的に端正に整ったカラメル色の筋肉が特徴的だ。
「なんだこのおっさん⁉︎」
次いで、音より早く匂いが来た。消毒液と鉄の匂い。
黒い手袋が鈴木の首を撫で、もう片方が肩甲骨の裏に圧をかける。
足元で、濡れた石の継ぎ目から赤い円環が滲み出た。
水面の反射が一滴ずつ裏返り、世界の色が薄い朱に傾く。
「くっ……これは、注射⁉︎」
針の冷たさが刺さり、遅れて焼けるような熱。
心拍が一拍、外から抜かれた。
土手上の三浦の影が遠のき、柳の陰にいた木村の気配が“膜”の向こうへ押し出される。
「抵抗しなくていい。すぐ終わる」
「終わってたまるかァ――」
構えに入るより早く、グローブが心拍の拍子を掴む。
拍が外から一つ抜かれ、身体の重さが“こちら側”から剥がれた。
路面に描かれた血の幾何学が、ぱちりと瞬いて口を開く。
「被検体114番、確保完了……」
夜の川音が切断され、赤い風が内へ吹き込んだ。
鈴木の踵が、境界を踏み抜く。
世界が、血の色の室内へと反転した。
「お前を、“血域”へ、誘う。俺が――アナルアサシンだ‼︎」
鈴木は、“ケツイキ”へ誘われた――。