――東京デビルハンター本部、午後。
雨上がりの灰色の空が、ガラス窓越しに滲んで見える。
室内には安酒の匂いと、どこかくたびれた緊張感が漂っていた。
「かくかくしかじか、そういうわけだったんですよ」
鈴木が、やや軽口混じりに事件の経緯を報告する。
三人は椅子に並んで腰掛け、報告を終えたばかりだった。
蓮という名の抜刀の男に襲われたこと。
迎撃し、気絶させた直後、謎の人物――平野源五郎が現れ、蓮を連れ去って姿を消したこと。
「ふむ……つまり、マキマを狙った逆恨みが発端ってわけか」
岸辺は重たげに体をソファに沈めながら、手元のスキットルからウィスキーを喉に流し込む。
口の中を焼くようなアルコールが、彼の頭のネジを一本ずつ緩めていくようだった。
「それにしても残念だったな。勤務時間外の騒動に加えて、犯人の捕縛も失敗……よってノーマネーだ」
乾いた口調で言い放ち、スキットルの蓋を音もなく閉める。
「そこをなんとかなりませんかねェ……」
鈴木が自分の額についた傷を指先でなぞりながら、不満げに唸った。
だが、返ってきたのはあまりに冷たい言葉だった。
「ならない。相手は悪魔じゃない。ただの人間、ただの殺意だ。何度言われても、上から金が出ることはない」
きっぱりとした拒絶。
まるで鋭い剣で切られたかのような切断力のある口調だった。
だが、それで黙る鈴木ではない。
目を見開き、突然何かを閃いたように声を上げた。
「そうだ! マキマはんなら! あの人に事情を説明したら、払ってもらえるかも……!」
希望に満ちた顔で言い放つ鈴木だったが――。
「無理だな」
即座に否定する岸辺。
反射的な速さだった。
鈴木はムッとした顔で睨み返す。
「そう睨むな。マキマは今、京都に出張中だ。お前らの泣き言が、東京からあいつに届くことはない」
「そ、そんな……! じゃあ、今からでも新幹線に乗ってマキマはんのとこに行きます!」
椅子から飛び上がり、急いで扉をあけ外に出ようとする鈴木……だが。
「まあ待て。俺にいい案がある」
岸辺のその一言に、鈴木はぴくりと身体を止めた。
「いい案ってなんすか? まさか……30分で5万! とかはナシですよ」
「……男に興味はねえ。まあいい」
岸辺がソファから身体を起き上がらせると、室内に設置された棚からとある資料を取り出す。
「読んでみろ」
そしてバサリ、と机の上に広げられた。
三人が手分けして資料の内容を見ると――。
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東海道新幹線。
時速270キロメートルで走るそれに、三人は指定席で乗っていた。
「Foo〜^美味しい〜」
幕の内な駅弁当を口に頬張る鈴木、そして木村と三浦。
「京都に行くなんて久しぶりですね、先輩」
「おっ、そうだな」
そんな彼らがどうして京都に出張しているのか。
それは……。
「それにしても岸辺はんも急ですよね〜。俺ら、さっきまで“ノーマネー”って心をへし折られてたのに、即出張って」
「おっ、そうだな。ポッチャマたちだけ京都観光だゾ」
「……仕事ですよ、先輩たち」
車窓に流れる鈍い雲。雨上がりの関東平野が遠ざかっていく。
鈴木は駅弁の箸を止め、胸ポケットから折り畳んだ資料を引っ張り出した。
「で、改めて。今回のターゲット、“アナルアサシン”」
「名称からしてIQが下がるゾ……」
「ふざけた名前ですけど、被害は洒落になっていませんよ」
京都だけで100件以上。
被害者たちは“ケツイキへ誘われた”と証言。
犯人は黒いグローブにセクシャルな姿。
一体、何が起きているのか……。
――するとその時。
三人とも反射的に首を窓へと向ける。
「うわ、デカ……!」
「出たっ、写真撮るゾ! 任務成功祈願……って――あ、指が入った」
「先輩たち、窓に鼻つけないでください。外が見えません」
富士山――。
灰色の幕の裂け目から、巨大な山影がするりと姿を現していた。
濡れた裾野、黒い岩肌。
夏の富士は、薄い雪の名残をほんの少し、天辺に貼りつけている。
「今の角度もう一回! 車掌さん、Uターン!」
「そうだよ(同意)」
「無茶言わないでください」
各席からシャッター音が重なり、富士の尾根は少しずつ右へ滑る。
「なんか、あれ見たらやれる気すんな」
「そうだよ(二回目)」
「まあ、そうですね」
そして窓外は海から田畑へ、田畑から低い山並みへ。
やがて、車窓の向こうに街の密度が増していく。
『まもなく京都、京都です――』
車内アナウンスが流れ、速度がわずかに落ちた。
英語、中国語、韓国語。
車内の空気が、旅の目的地を意識してわずかに落ち着く。
「着いたら――どう回ります?」
鈴木が最年長の先輩、三浦に判断を仰ぐ。
「とっととアサシン倒して、お土産を買うゾ〜これ」
三人は立ち上がり、鞄のファスナーを確かめる。
鈴木が資料を胸ポケットに戻し、三浦は缶を飲み干し、木村は深呼吸を一つ。
扉が開いた。
湿気を含んだ古都の空気、人の流れ。
足元に広がる光沢の床が、行き交う影を薄く映す。
京都駅。
「よし、久しぶりの出張。楽しませてもらいますよ〜」
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京都駅からタクシーを拾い、対魔特異京都分室へ。
硝子張りのビルの一角、白い蛍光灯と乾いた空調の匂い。
受付を抜けると、奥で待っていた女が振り返った。
「来てくれて、ありがとう。岸辺隊長から連絡は来ました」
マキマは、雨上がりの光のように穏やかに微笑む。
「京都では“アナルアサシン”と呼ばれている人物が活動しています。被害は100件以上。死者も出ています。そしていずれも、生き残りたちは皆、“同じ言葉”を聞いたようです」
同じ言葉……とは、三浦が答える。
「“ケツイキへ誘う”……ゾ?」
「そう。被害者の証言は奇妙に一致しています」
マキマは、卓上に写真を三枚並べた。
「どれもこれも、お尻の辺りにクリームが塗られています」
「「「おお」」」
つまるところ、文字通り。
アナルアサシンの餌食になったということ。
「でも一体なんでこんなことを……」
木村が至極当然な疑問を浮かべる。
マキマが微笑んで答える。
「それが分かれば困らないんだけどね。でも、仮説は立ててあります」
「それは?」
アナルアサシンの被害を受けた人物たちは、男女問わず確認されている。
そして、彼らの菊、アスタリスクは縦に割れてしまっている。
しかしながら、どれも怪我の後が残っていない。
ここから導き出される答えは……。
「――敵は、悪魔使いである可能性が高い」
「つまり……?」
アナルアサシンは、何らかの悪魔の力を使って被害者を“出血”をさせずに、お尻にクリームを塗ってくる、愉快犯的な存在である。
「そして人体実験を繰り返す……研究者」
マキマは静かに言った。
「敵の研究が闇の組織に渡ることは防がなければなりません……そこで」
「分かりましたよマキマはん、そいつをぶっ倒して公安に引き渡せばいいんですね?」
「話が早くて助かるよ、鈴木くん」
紅い糸のような髪がこくんと揺れた。
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夜の鴨川は、街より暗い。
水の匂いが濃く、灯りは等間隔に並ぶだけで、間の闇は歩く人の影をすぐに飲み込む。
鈴木はベンチに腰をおろし、缶コーヒーのふたを親指で弾いた。
金属音が川の方へ滑っていく。
「ぷっはあ」
土手の上には三浦の影、下流側のヤナギの陰に木村。
それぞれ三人は遠く離れた場所に配置されている。
アサシンが出没したという最も可能性の高い場所へ。
遠くで誰かが笑った。別の誰かが走る音。
川は変わらず同じ調子で流れている。
「それにしても、本当にこんな場所に現れるのか?」
川風が、缶コーヒーの甘苦さを薄めていく。
等間隔の街灯が鴨川の面に揺れ、鈴木は缶をベンチ脇に置いた。
――その瞬間、視界の端で空気がめくれた。
ぬるり、と闇から抜け出す影、黒いグローブ。
そして股間部だけを硬質なパンツで守った――それ以外は何も纏わぬ、不審者。
全体的に端正に整ったカラメル色の筋肉が特徴的だ。
「なんだこのおっさん⁉︎」
次いで、音より早く匂いが来た。消毒液と鉄の匂い。
黒い手袋が鈴木の首を撫で、もう片方が肩甲骨の裏に圧をかける。
足元で、濡れた石の継ぎ目から赤い円環が滲み出た。
水面の反射が一滴ずつ裏返り、世界の色が薄い朱に傾く。
「くっ……これは、注射⁉︎」
針の冷たさが刺さり、遅れて焼けるような熱。
心拍が一拍、外から抜かれた。
土手上の三浦の影が遠のき、柳の陰にいた木村の気配が“膜”の向こうへ押し出される。
「抵抗しなくていい。すぐ終わる」
「終わってたまるかァ――」
構えに入るより早く、グローブが心拍の拍子を掴む。
拍が外から一つ抜かれ、身体の重さが“こちら側”から剥がれた。
路面に描かれた血の幾何学が、ぱちりと瞬いて口を開く。
「被検体114番、確保完了……」
夜の川音が切断され、赤い風が内へ吹き込んだ。
鈴木の踵が、境界を踏み抜く。
世界が、血の色の室内へと反転した。
「お前を、“血域”へ、誘う。俺が――アナルアサシンだ‼︎」
鈴木は、“ケツイキ”へ誘われた――。