特異114514課   作:特異ξ紳士

7 / 10
7話:アナルアサシン(後編)

「いっつつ……何が起きた?」

 

――鈴木は、まず自身の状態を調べた。

 

 視界は赤に寄っている。

 だが血の色そのものではない。

 薄い膜を一枚通して見ているような、鈍い朱。

 

 場所が変わってしまったようだ。

 川音が消え、代わりに自分の鼓動だけが、背骨の中を行って戻ってくる。

 鼻は働く……鉄と薬品、そして湿った匂い。

 

 身体は磔にされたように固定されている。

 首に刺された一点がじんと痺れている。

 指先で触れると、熱が内へ向かって沈んでいく感じがあった。

 

「……ここはどこだ?」

 

 足下は柔い。

 畳ではないが、踏むたびに水気が押し返してくる。

 踏みつけてみると、暗い血管が脈打ち、赤い筋が幾何学模様を成した。

 

「起きたようだな……被験体114番」

 

――すると、正面に男が立っていた。

 

「なっ、いつの間に! お前、俺に一体何をした‼︎」

 

 黒いグローブ。

 股間部だけ硬質のパンツで守られ、他は露出。

 端正に整ったカラメル色の筋肉が、薄い汗の光を宿している。

 

「ふむ……被験体の反応は良好なようだ」

「検体じゃねえ、俺には鈴木って名前がある!」

 

 そしてその奥で、目だけが笑っていた。

 

「そうか……鈴木君には申し訳ない。だが、これから君には実験に付き合ってもらう」

「実験……? 何を言ってるんだ?」

 

 男は手のひらに拳を当てると語った。

 

「そうだな、始める前に説明しよう」

 

――AAC(アナル・アサシン・クリーム)

 それは、お尻から人を快楽によって洗脳する劇薬。

 男は、それによって「世界を平和にするんだ」と言った。

 

「未完成だが、理論は完成している」

「世界平和にケツから入るなってそれ、辞書にも書いてあるから」

「入口は最短が良い」

「出口だって、はっきりわかんだね」

 

 鈴木は軽口を叩きながら、時間を稼ぎ、拘束具の感触をなぞる。

 粗い革、縫い目は二本針。

 金具は押し込み式のバネ舌。

 汗が滲むと摩擦が落ちる。

 肩甲骨の角度が悪い。

 だが、悪い角度は力を集約しやすい。

 なら、ひとつ外せば芋づる式だ。

 

「なあ……そこにいる女の子は一体どうしたんだ?

 

 鈴木がふと、地面に倒れている少女を示す。

 

「ああ、アレか。アレはAACの失敗作だ。まさか死んでしまうとは申し訳ない……。だが、必要な犠牲だった。屍なくして私の研究は完成しない」

「必要な犠牲、ねえ……」

 

 鈴木は低く言い、床の水気を指先で弾いた。

 以前、マキマが自分の目の前で行った事を、まがいなりにも思い出してしまったのだ。

 

 少女の死体は細い。

 冷え切ったような皮膚に、擦り傷ひとつない。

 

「外傷がないな」

「心だけが帰らなかった。負荷が強すぎたのだろう。気の毒だが、成果は残った」

「名前は」

 

 男は首を振る。

 

「番号で扱った。情は邪魔だ。私は、妻で失敗した」

 

 鈴木が顔を上げる。

 

「……妻?」

「“亡き妻”だ。最初の被験体。彼女は静けさを望んだ。世界の騒音を下げる方法を、私に託した。私は途中で涙も捨てた。残ったのは手順と結果だけだ」

 

 男……アナルアサシンのまぶたが一瞬だけ震え、すぐ無表情に戻る。

 

「レイナは……私の妻は……。いや、もう過ぎたことだ」

 

 鈴木は息を短く吐き、手首の金具へ指を滑らせた。

 汗で皮膚が柔くなる。

 爪で押し込み、――カチリ、拘束が外れた。

 

「さて。実験を始めよう」

 

 アナルアサシンがこちらに歩み寄る。

 だが時間は稼いだ、十分だ。

 

「ああ、いいぜ。その前にお前をぶん殴るけどなあ――‼︎」

 

――戦いの火蓋は切られた。

 

 

---

 

 鈴木の右ストレートは空を切った。

 

「ほう……その身体能力、やるじゃないか。」

「そうかよッ!」

 

 二撃目のパンチ、またもや避けられた。

 

「……だが、それでは私に届かない」

 アナルアサシンは己の手首をざっくりと裂いた。

 

「なにっ……⁉︎」

「“血の悪魔”よ、私に力を」

 

 噴水のように血が噴き出した。

 そして、ある程度それが続くと。

 

「――『斬っ』‼︎」

 

 赤褐色の斧が血から創り出され、鈴木の鼻を掠める。

 

「っぶねえ!」

「まだだ、まだ終わらない」

 

 さらに二本目の斧がアナルアサシンの手から錬成され、高速で襲いかかってくる。

 

「チイッ‼︎ 早い……!」

 

 風を裂く音――血斧が鈴木の頭上を掠め、その後ろの壁に突き刺さった瞬間、ぬらりとした肉壁が大きく波打つ。

 

「くそっ……!」

 

 鈴木は膝を折り、肩をすぼめると同時に側転する。

 その刹那、鈴木は腰を落としたまま前へ滑り込み、脇腹めがけて拳を突き出す――が、斧の柄が水平に打ち込まれた。

 肋骨が悲鳴を上げるより早く、鈴木は肘を軸に身体を回転させ、斧の軌跡を利用して後方へ跳び退いた。

 

「ちっ……やりますねえ」

「君も、随分とやるじゃないか」

 

 互いの会話は短く。

 鈴木はアナルアサシンの次の動きを予想する。

 

 この人間の胎内のような空間は油断ができない。

 だがアナルアサシンの行動原理はわかった。

 血を武器にしている。

 つまりやつの身体から生み出される武器には限界があるということ。

 なら、敵が貧血になるまで耐えればこっちのものだ。

 

 すると、アナルアサシンがニヤリ笑った。

 

「その私を観察する余裕……君はもしやデビルハンターだね?」

「ああ、そうだ。それがどうした?」

「いやなに、勘違いしているのでは? と思ってね」

「なにを――」

 

 鈴木が言い切るよりも早く、事は動いた。

 

「ぐあっあああああ⁉︎」

 

 鈴木の絶叫が空間に響く。

 それは不意の攻撃……地面から槍が生えたからであった。

 

「私は君に言っただろう? “血域”に誘う、と」

 

 その血でできた槍は鈴木の左足を貫通している。

 

「ここは言わば“血の悪魔”の胎内。全てが、攻撃範囲内なのだよ」

「ぐっ……クソっ!」

 

 アナルアサシンが近寄ってくる。

 優しく、慈悲を浮かべるような哀憫の笑みで。

 

「私の実験に付き合ってくれれば命までは奪わない。約束しよう」

 

 それはディールだった。

 実験にさえ付き合えば、命までは奪わない。

 その言葉に嘘はないのだろう。

 実際、アナルアサシンの攻撃はどれも致命傷を回避したものだった。

 

 ……だが。

 

「なら、そこの女の子はどうして死んでいるか、説明が欲しいネェ」

 

 先ほど見た、冷たく横たわった女性の死体。

 まだ見た目は高校生ほどだろうか、なぜ倒れて……死んでいるのか。

 

「言っただろう。彼女は心が弱かった。だから死んだ」

「納得いかねえなあ、お前の身勝手で殺したの言い間違えだろ?」

 

 鈴木は唇を噛み、槍を貫かれた左足をにらみつけた。

 血がしぶきとなって床に散り――しかし黒ずんだ肉壁が即座に吸い上げる。

 ここでは自分の出血すら敵の武器になりかねない。

 

「身勝手? 違う。私は世界の雑音を消す。ただ、それだけだ」

 

 アナルアサシンの両掌が開く。

 両手に大ぶりの戦斧。

 空気が圧縮される音とともに、鈴木との距離をゼロへ縮める――。

 瞬間移動ではない、純粋な脚力。

 視線を追えただけで奇跡だ。

 

(来る!)

 

 鈴木は躊躇なく自分の脛を蹴り、槍の穂先を折った。

 残りは肉に刺さったまま。

 しかし、それで足首が自由になる。

 痛みより“動ける”という事実を優先し、右足一本で前転――。

 

ビュンッ。

 

 刃の風圧が後髪をさらい、次の瞬間には背後で爆ぜる血飛沫。

 斧が床を削り、無数の血針が跳弾のように飛び散る。

 鈴木は肘で顔面を覆い、肩口を数本貫かれながらも横滑りで距離を取った。

 

「ふむ、まだ耐えるか」

 

 しかしアナルアサシンが距離を詰めてくる。

 

 一斧目――真上から。

 鈴木は後頭部すれすれで前転し、床を蹴って斧の柄へ肘を叩き込む。

 柄が軋み、血刃がわずかに揺らぐ。

 

 二斧目――横薙ぎ。

 鈴木は槍をへし折った残りの柄を回転させ、刃の側面を受け流した。

 火花と血花が混ざり合い、粘膜の壁へ散る。

 

「君は実に頑丈だ。だが──限界は近い!」

 

 血斧が交差し、X字の衝撃波が奔る。

 鈴木の胸当てが裂け、背中の肉壁までもスパッと切り割かれた。

 滲む血がすぐさま床へ吸い取られ、斧の刃先へと巻き戻っていく。

 

(“取り込む前”に止めさせれば──!)

 

 鈴木は自らの傷口に指を差し込み、血の滴を一拍だけ溜めてから豪快に床へ叩きつけた。

 

「来いッ!『ウンコの悪魔』‼︎ 血を喰え……凝固だ!」

 

 ぐしゃり、赤黒い染みが広がると同時に、ウンコの悪魔の瘴気がそこへ流れ込む。

 濃厚な腐臭とともに、血液と糞塊が即席の “血泥” に変質する。

 

「……っ⁉︎ なにを――」

 

 濃厚な腐臭とともに血と糞が化学反応を起こし、足元が一瞬にして泥沼へ変わった。

 赤黒い“血泥”はみるみる硬化し、アナルアサシンの脛から下をべったりと包み込む。

 

「……っ⁉︎ 貴様、血を……“汚した”のか!」

 

 アナルアサシンは怒りのままに斧を振り上げる。

 しかし、泥が粘着し刃が半分しか形成されない。

 しかも硬化した血泥が貧血のように体内の血液を吸い、心臓の拍動が鈍る。

 

「“血域”が……私の悪魔の力が――ッ!」

 

 がくりと膝を折ったアナルアサシンの首筋に、鈴木の拳が閃く。

 正拳、裏拳、そして肘。

 それらをモロに食らったアナルアサシンは血域の壁にぶち当たる。

 

「くっ……こんなところで終わるわけには……! 『血の悪魔』よ私の全てを捧げ……」

「――させるか! 行けっ『ウンコの悪魔』‼︎ 大放出だ!」

 

 ――鈴木の叫びに応じ、瘴気が絨毯爆撃のように噴き上がった。

 ウンコの悪魔が生成した褐色の奔流は、血域の床・壁・天井を一挙に汚染する。

 血液で練り固められた内臓めいた構造体が、腐敗ガスを吸い込み泡立ち始めた。

 

「何っ⁉︎ まさか汚物で……この血域を……ッ!」

 

 アナルアサシンが絶叫し、残る片手で血斧を無理やり形成する。

 だが――刃の縁からは泡が噴き、すぐにボロボロと崩れ落ちた。

 血泥が血液の凝固因子を根こそぎ奪い、武器の再生機能そのものを“腐らせて”いたのだ。

 

「レ、レイナ……」

 

 アナルアサシンの瞳から光が抜け、膝が折れた。

 赤い世界がガラスのようにひび割れ、現実の闇と交差し始める。

 

「お前の実験はここまでだ。ケツで世界は救えねぇ――それが結論だ!」

 

 

 鈴木は泥まみれの拳を振り下ろし、アナルアサシンの額をぶん殴った――。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。