ゲマトリア所属の強欲の権化   作:ぬこぱんち

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零章:強欲を名乗る王子様
強欲を名乗るゲマトリア


 

「……はぁ、はぁ……!」

 

 足元をふらつかせながら、梔子ユメは砂漠の中を彷徨っていた。手に握られた契約書は、汗と砂で半ばボロボロだ。アビドス復興の希望を託した、未来への切符。──そのはずだった。

 

 ネフティスとの交渉、そのための融資を受けに、遠く離れた銀行へ足を運んだ。だけど、その道のりを阻んだのは激化する砂嵐だった。

 

 アビドスに戻ろうとした判断は正しかった。戻るべきだと判断したのは、生き延びるためだ。なのに──

 

「……また、コンパス……忘れてたんだっけ……」

 

 どこか乾いた笑いが漏れそうになる。あまりにも間抜けで、救いようがない。まるで、コントの主人公か何かみたいじゃないか。

 

 水は尽き、食料もない。太陽は容赦なく肌を焼き、肺に吸い込まれる熱風は喉を焼く。世界の全てが自分に牙を剥いてくるようだった。

 

「……ん、な……に……?地震……?」

 

 突如として、地面が揺れた。しかし、それは自然の震えじゃない。“何か”が、地面の下を這っている。そんな錯覚に襲われる。

 

 いや──錯覚じゃなかった。

 

 砂を巻き上げ、視界を埋め尽くすほど巨大で真っ白な金属の塊。それが現れた瞬間、心臓が凍りついた。

 

『ビナー』

 

 資料でしか知らなかった“それ”は、今、目の前にいる。いや、違う。ただそこに“いる”だけじゃない。──ユメを、狙っていた。

 

「に、逃げなきゃ……っ!」

 

 けれど、逃げられる気がしない。盾がなければとうに潰されていた。だが、時間の問題だ。ユメは戦闘向きではない。ただの、守りの少女だ。

 

 誰かが来てくれることを願いたい。けれど、そんな奇跡は──

 

「……今日に限って……遠出しようとしたのが間違いだった、のかな……」

 

 希望も、助けも、それらは全部ここにはない。痛みと絶望だけが確実に、確かに存在していた。

 

 それでも、信じたかったのだ。自分がやってきたことが、無駄ではなかったと。あの後輩と一緒にいられた日々が、幻じゃなかったと。

 

『奇跡は起きる』──そんな淡い期待に、すがっていたかっただけなんだ。

 

「ははっ……バカみたい……」

 

 顔を上げた先、そこには瓦礫の上からユメを見下ろす“それ”の姿。逃げ場なんて、どこにもなかった。口元に集まり出す光の粒。それが放たれるまで、もう数秒もない。

 

「……ごめん、ホシノちゃん」

 

 心が、ぽきりと折れた音がした。これが最後だ。これが私の終着点だ。そんな言葉が、脳内をゆっくりと満たしていく。

 

 どうせ逃げられない。どうせ間に合わない。どうせ──

 

「……痛いの、やだなぁ……」

 

 ぽつりと呟いた言葉は、あまりにも情けなく、幼い。涙が頬を伝い、心が崩れていく。

 

「もっとアビドスのために、頑張りたかった……」

 

 アビドスの生徒会長として。

 

「ホシノちゃんと一緒に、もっと色々なことをしたかった……」

 

 アビドスの先輩として。

 

「喧嘩したままお別れだなんて、嫌だよ──!」

 

 ここには居ない、かけがえのない存在である少女に向けて。

 

 ユメの叫びは空に吸われていく。誰の耳にも届かず、ただ、孤独だけが返ってくる。それでも──

 

「イヤだ、よ……私は……死にたくない……っ!誰か……」

 

 ──こんな私を、助けて。

 

 届かぬ願いが空に溶け、光が収束してゆく。巨大な白の金属生命体──“ビナー”の口元に集まったそれは、破滅そのものだ。数秒後にはユメの存在ごと、砂漠の大地から塵一つ残さず吹き飛ばされるだろう。

 

 そして、ビナーから光が放たれる。

 

 ──その瞬間だった。

 

「…………ぇ?」

 

 風が鳴いた。

 

 空間が震えたように感じた。

 

 周囲の異常を感じ取ったユメが、その顔を上げた瞬間には、ビナーの装甲の一部が弾け飛んでいた。

 

 視界に映ったのは、崩れ落ちる金属の破片。あの絶望の権化と思えた存在に、確かな損傷が走っていた。

 

「やれやれ、まったく……いきなり吠えて喚いて、勝手に光だの熱だの撒き散らして、君たち預言者というのはどうしてそう自分本位でしか考えられないのかなあ?」

 

 それは、どこまでも穏やかで──同時に、正気を外れた響きを持つ声だった。

 

 音の主は、ユメのすぐそばにいた。

 

 吹き荒ぶ砂嵐の中で、その人物の周囲だけがまるで真空のように風を拒んでいた。砂は、彼を避ける。陽炎は、彼を溶かせないかのように。

 

「……あ……なた、は?」

 

 誰なのか。

 

 どうしてここにいるのか。

 

 それ以前に──なんで、この人は平気で立っていられるのか。呆然とした問いが口から零れ落ちた。

 

「僕かい? まあ、普通は気になるよね、こんな状況でこんなタイミングで現れて、しかも何食わぬ顔で喋ってる人間なんて。でもさ、君には今もっと優先すべきことがあると思うんだよね? たとえば、その震える手とか、泣きはらした目とか、息が詰まるような苦しさとか、口の中に入ってくる砂の味とか、いろいろとほら、実感として来てるんじゃない?」

 

 彼は、ユメに近付いてくる。

 

 その動きには、焦燥も、急ぎもない。ただただ、自分のペースで。

 

「僕はそういうのあんまり好きじゃないんだよね。可哀想な顔、惨めな姿、涙ぐんで何かを求める仕草……全部、見ていて不愉快だ。だって、そういうのって要するに、誰かに“奪われた”ってことだろう?尊厳とか自尊心とか可能性とか。つまりさ、奪った奴がいて、それに黙って泣くという行為に縋って、全てに対して諦めているってことじゃないか」

 

 彼の口調は、どこか諭すようでもあり、罵倒するようでもあり──それでも、その奥底には奇妙な“優しさ”があった。

 

「う……く……」

 

 何か、言わなきゃ。

 

 そう思ったユメは口を開こうとするが──そこで、限界が訪れる。

 

 わずかに侵入を許してしまった喉の奥まで入り込む熱い砂。

 

 周囲を焼かんとばかりの焦げるような空気。

 

 肌を刺す風圧。

 

 ──そして、唇が、もう上手く動かなかった。

 

「ん……なに?なんか言いたげだけど……おやおや、声が出ない?口が回ってない?まったく……それでどうやって、助けを求めようっていうのかな?君は自分自身の状況をよく分かっていないみたいだ」

 

 そう言いながら、彼は肩を竦め、ため息混じりに懐から何かを取り出す。

 

 彼の白い衣の内から現れたのは、小ぶりな金属の水筒だった。

 

「いやホント、信じられないよ。こんな灼熱地獄のような環境で歩いて、砂嵐に晒されて、それでよく平然としていられると思ったね?そんな人間、居るわけないじゃないか。いたら逆にそのほうが怖いし、変態の類だよ」

 

 一度、無駄にキラリと光らせるようにして水筒を見せつけたあと、彼はユメの前に膝をつき、無遠慮に彼女の唇へ水筒の口を近づける。

 

 あくまで自分の理屈と矜持を貫く形で、彼は紳士のごとくそっと水筒を傾け、ユメの乾ききった口の奥に水を流し込んだ。

 

 ひと口、喉に落ちた水が、まるで生き返るような衝撃を与えた。

 

「っ……けほっ、ごほ、ごほっ……」

 

 焼け爛れた喉が、一時の冷却を得たことで驚き、咳き込む。

 

 けれど、それでもユメはさらに水を求め、かすかに唇を動かして喉を鳴らす。

 

 乾ききっていた唇に再び水滴が落ち、砂で濁った世界の中で、それだけがまるで祝福の雫のようだった。

 

「……うん、そうそう。飲むのが下手だなあ、君は。いや、別に責めてるわけじゃないよ?君が悪いわけじゃない、分かってる。誰だって喉がカラカラで、言葉も出ないような状態だったら、水をうまく飲めるわけないし、むせるのは当然だ。だからって、それを指摘せずに黙って見てるっていうのも僕の性には合わないし、結局は“正しさ”と“思いやり”のバランスだと思うんだよね」

 

 口では好き勝手に語りながらも、レグルスの手は細やかだった。水の量を調整し、ユメの負担にならないように、こまめに止めては様子を見る。

 

 まるで、自分がこの場の王であり、誰よりも正しい配慮をしているのだと信じて疑わぬかのように。

 

 ユメの頬に、少しだけ色が戻る。目の焦点も、わずかにレグルスへと向かい、感謝とも戸惑いともつかない光を湛えていた。

 

 ──しかし、そのわずかな安堵の空気を破るように。

 

「う……し……ろ……っ……!」

 

 掠れた声。

 

 かろうじて絞り出した警告の二音が、風に流される。

 

「ん? 後ろだって? 僕の背後にはなにが──」

 

 その直後だった。

 

「ふゔァッ!?」

 

 突如、背後から迫る影──ビナーの凪払いが、容赦なく彼の身体を薙ぎ払った。

 

 まるで風船のように軽々と宙を舞い、空中で腕と足をばたつかせ、情けない声をあげながら、彼は再びそのまま砂漠へ叩きつけられる。

 

「これだから預言者は──!」

 

 砂煙を巻き上げながら、彼の身体は何度かバウンドし、ようやく地面に伏す。

 

「……ぁ」

 

 私のせいで、私のせいで彼が死んだ。

 

 ──ユメは内心で、そう後悔していた。

 

 あんな凶悪な薙ぎ払いを喰らって、普通の人が生きられる筈が無い。ましてや彼は、ヘイローも持たない普通の人間のように見えたからだ。

 

 ──しかし。

 

「──……ぇ?」

 

 信じられない光景を目にした。

 

 まるで何事も無かったかのように、砂煙の中で転がった身体を起こし、彼はブツブツと文句をこぼしながらゆっくりと立ち上がる。

 

「ったく……!なんだよもうっ!どうして僕がこんな目に遭わなきゃならないのさ?おかしいだろ!?理不尽じゃない?誰が見たって、僕は正しい行いをしていた。少なくとも、君みたいな鉄屑より、ずっと遥かに、圧倒的に!」

 

 肩の砂を払い、服を整えながら、彼は怒気を出しながらどこか演説めいた口調で喋り続ける。

 

「僕はね、彼女に向けたように、助けた相手には礼儀正しく接してるし、さっきだってちゃんと水を渡してあげた。僕に非があるとでも?ないよね?どこにも、これっぽっちも!あるはずがないんだよ!僕を誰だと思ってるんだ!?」

 

 その間にも、空気が再び変わっていく。

 

 ユメの目に映るのは、ビナーの口元に集まる光の粒子。眩い輝きが、空間そのものを巻き込み、熱を孕んで脈動していた。

 

 ──来る、あれが……!

 

 ユメは声を上げようとする。が、喉がまだ言葉を紡ぐには脆すぎた。掠れた音すら、空気に弾かれて溶ける。

 

「……ッ……ッ!!」

 

 指を伸ばす。声にならない声を吐く。けれど、目の前の男には、その危険は届かない。

 

「そう、だからね。僕は思うんだよ。やっぱり、この世界っていうのは不条理で不公平だって。人の善意を踏みにじる連中がのうのうと生きて、僕みたいに誠実で真面目な人間が──」

 

 そして、その瞬間だった。

 

 音すらもかき消すような、白光の奔流。

 

 灼熱の直線が、空間を断ち割り、彼に直撃した。

 

「ぅ゛あああああああああああッッッッ!!?」

 

 情けない悲鳴を上げ、砂漠を跳ね飛ばされ、地面に激突し、煙と砂煙に包まれる男。地響きが二度、三度と続く。

 

 ──静寂。

 

 しかし。

 

「…………やってくれたね、本当に……本当に、やってくれたね……ッ!」

 

 またしても何事も無かったかのように、衝撃によって埋もれた砂の中から、呻くような声が這い上がる。声だけではない。その場の空間が、急激に沈み込むような、異質な圧力を帯びて歪み始める。

 

「僕は今、とても怒っている。ああ、こんなに怒ったのは久しぶりだ!君は、壊すべきだ。滅ぼすべきだ。存在すら──許されない!」

 

 歯を食いしばる音と共に、周囲の空間が崩れ始める。空気が凍り付き、重力が逆転するような違和感が、砂漠全体に広がっていく。

 

 そして、彼の両腕が静かに持ち上がった。

 

 その姿は、神の審判者のようで──同時に、狂気に取り憑かれた獣のようだった。

 

「この僕が認める尊い存在に手を出した。僕の言葉を遮った。僕の秩序を乱した。その代償を、身をもって払ってもらうよ……鉄屑め……!」

 

 言葉の終わりと同時に、両手を軽く払うように上げた。

 

 ──その瞬間、風が止んだ。

 

 いや、それは風が止んだのではない。空気そのものが存在を凍結されたかのように、世界から音も流れも奪い去られたのだ。

 

 両手を軽く上げただけ。たったそれだけで、発生した風圧が、虚空を割り、真空の刃となって走った。

 

『─────!?!?』

 

 逃れようとする間もない。

 

 ビナーの巨体が、何かに削がれ、裂かれ、砕かれていく。

 

 脚が、胴が、頭部が──空気に触れた瞬間に、目に見えぬ刃で細かく切り裂かれていく。まるで時間を止めたままの刃物を、現実という布に押し当てたように、抵抗もなく沈み込み、消え去っていく。

 

 戦いの終焉は、あまりにも唐突で、そして静かだった。

 

 粉々に砕けた魔骸の残骸が風に舞い、つい先ほどまで暴威を振るっていたビナーの存在を嘘のように消し去っていた。

 

 いつの間にかユメの目の前まで来ていた彼は、深く息を吐く。どこか呆れたような、あるいはため息交じりの、それでいて明確に怒りの輪郭はなかった。ただ、その顔には苦みと、少しの疲労と、そして何より“無駄だった”という思いが浮かんでいる。

 

「はあ……まったくさあ、どうしてあいつらみたいなのは、何かに理由をつけて衝突したがるんだろうね?疲れるんだよ、ほんと。僕はただ、静かで穏やかな毎日を望んでるだけなのにさ。ねえ、欲張りすぎるって、結局は自分の首を絞めるってどうして理解できないのかな」

 

 その背後で、砂に倒れ込んだユメが、ゆっくりと上体を起こす。荒い呼吸。焦点の定まらない瞳。冒頭の戦いの疲労と砂嵐による喉の痛みに、言葉も上手く出せない。

 

 彼は視線だけでユメを一瞥し、それから空を見上げた。

 

 砂嵐が、ゆっくりと晴れていく。

 

 まるで重しが取り払われたように、灰色の空が割れ、黄金の太陽が顔を出す。

 

 視界を覆っていた黄砂が音もなく消え、白くまぶしい光が、ユメと彼の全身を照らした。

 

「空が晴れてるのってさ、それだけで十分だと思わない?何の意味もない暴力でそれを乱そうとするなんて、誰の権利でもないと思うんだよね。というより、それって他人の権利を踏みにじってるってことに、どうして気づかないのかな?……ああ、あんな鉄屑に言ってもわからないか。ああいう連中っていうのは、自分自身がやってることに酔ってるからね」

 

 そう呟いて、彼は再びユメの方へと歩を進める。 

 

 彼の動きはどこまでも穏やかで、敵意も好奇心も、誇示もない。ただ、淡々とした歩調で少女の前に膝をついた。

 

「君、大丈夫かい?呼吸が浅いよ。まだ喉が痛むのかい?ああ、無理に答えなくていい。答えようとする権利は君にある。喋るのも喋らないのも、君自身が選んでいいことだ」

 

 彼は、どこか教師めいた穏やかな口調で、しゃがみこんでそう言った。

 

 そんな時、遠くから声が響いてきた。

 

「ユメ先輩──!」

 

 かなり遠くからこちらに向かって走ってくるのは、ピンク髪をした小柄の少女だった。彼女は息を切らし、ピンク髪をばたつかせながら、ユメへと一直線に駆け寄ってきていた。

 

 彼はその姿を見て、ああ、と小さく声を漏らした。

 

「……面倒だよね。この状況だと、誤解されて、勝手に敵視されて、こっちが説明しなきゃならないかもしれないって……それって僕の責任?違うよね?僕はちゃんと理性的に生きてるし、君の事も危害を加えていない。むしろ、こうしてる今だって、君たちの自由を尊重してるつもりなんだよ? それでもなお、僕に絡んでくるなら、それはもう僕の“権利”を侵害してるってことだからね」

 

 そう言ってすっと立ち上がり、僕はこれで、とだけ言い残し、この場を去ろうとする。

 

 その背に、ユメの声がかすかに届いた。

 

「……あ、の!名前……教えて、ください!」

 

 その声にレグルスは足を止め、半ば呆れたように、そして小さくため息を漏らしながら振り返る。

 

「……君さあ、礼儀ってものが分かってないんじゃないの?」

 

 彼の声には皮肉めいた響きがあったが、不機嫌ではない。むしろ、「仕方ないな」とでも言いたげな余裕が滲んでいる。

 

「普通ね、名乗ってくれってお願いするなら、まずは自分が名乗るのが筋ってものだと思うんだよ。ほら、人間関係の基礎って、相互理解と対等な立場から始まるべきじゃない? でないと、名前を明かす側だけが一方的にリスクを背負うことになる。それってフェアじゃないよね。フェアじゃないことは、基本的に僕の“生きる権利”と相容れないってことだよ」

 

 ぽかんと見上げるユメに、彼は少しだけ口元を緩めた。

 

「ぁ、すみ、ません。私は、ユメです。梔子ユメです……!」

 

 彼女の名前を聞いた彼は、満足そうに頷く。

 

「良い子だ……名前を名乗るというのは、対等な関係を築くための最初の一歩だからね。自分という存在を明かすこと、それは相手に敬意を払うという意思表示でもあるんだ。だから君は、僕に敬意を払ってくれた。それだけで、君は他の人間よりよほどまともだとわかるよ」

 

 彼はそう言ってから、一瞬だけ表情を和らげた。

 

 まるで講義を終えた教師のように、あるいは、筋道立てて話が通じたことに安堵する哲学者のように。

 

 彼にとって「理解されること」は、勝利ではなく

「納得」なのだろう。

 

「それじゃ、次は僕の番だね」

 

 彼は片手を胸に添え、僅かに頭を垂れる。それはどこか、優雅で穏やかな所作だった。

 

「ゲマトリア所属強欲の権化、レグルス・コルニアス」

 

 彼──レグルスは短く、その名を告げた。

 

「とはいえ、誤解はしないでほしいんだ。強欲って言っても、金とか名誉とか、そういう俗っぽいものにはまったく興味がない。僕は無欲だからね。僕が求めるのはただひとつ、自分の権利を静かに、平穏に満たすための

“最低限の余白”だけさ」

 

 近づいてくるピンク髪の少女の足音が、もうすぐそこまで迫っている。

 

「さて、自己紹介も終わったし、僕の役目は果たした。もうここに居る義務は無いしね」

 

 靴音も立てず、砂の上を歩き出すレグルスの背に、ユメは思わず声をかけた。

 

「……あ、の!助けて、くれて、ありがとうございます!」

 

 その言葉に、レグルスの歩みが一瞬だけ緩んだ。

 

 だが振り返ることはない。ただ、ほんの僅かに肩が上がる。

 

「僕はごく当たり前のことをしただけだ。まあ、感謝の言葉は素直に貰っておくよ」

 

 そう呟くと、再び淡々とした足取りで砂の向こうへと消えていった。

 

 そこへ、風を切るような勢いで駆けてくる人影があった。

 

「ユメ先輩っ!大丈夫ですかっ!?」

 

 ピンク髪を揺らしながら現れたのは、ユメの大事でかけがえのない後輩──小鳥遊ホシノ。

 

「こんなところで何やってるんですか!?いきなりあんな手紙を残して……!って、何ですかこの残骸?ユメ先輩、これは何なんですか!?」

 

 矢継ぎ早にまくしたてるホシノに、ユメは思わずふっと笑みをこぼす。

 

「うん、大丈夫。心配かけちゃってごめんね、ホシノちゃん」

 

 そして、少しだけ空を見上げて目を細めると、静かに言った。

 

「……王子様みたいな人が、助けてくれたの!」

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 ゆっくりと歩いていると、視界の端に朽ちた石の影が見えた。砂嵐、風雨にさらされて崩れかけた建物の残骸。

 

 廃墟だろうか。元は何だったのかもわからない、今はただの瓦礫の山。だが今の自分には、隠れる場所として充分すぎるほどだった。

 

 中へ足を踏み入れる。石くれを軽く払い、影の深い場所を選んで腰を下ろした。

 

 背を壁に預けて、身体から力が抜けていく。

 

「はぁー……」

 

 長い吐息がひとつ、喉奥から漏れた。

 

「怖かったあ!!」

 

 何で砂漠から去ろうとしたらビナーが梔子ユメを襲っているんだよ!?咄嗟に強欲ムーブすることになってしまったじゃないか!本当に僕が何をしたって言うんだよ!?

 

「権能を発動するのに、ペラを必死に回さないといけないのはしんどすぎる。精神が疲れる……」

 

 どうにか僕が持つ神秘が応えてくれて良かった。応えてくれなかったらと思ったら……そんなIFの結末を想像すると、ゾッとしてしまう。

 

「ストレスが貯まる……こんなこと続けたら禿げそうだ……」

 

 すっかり白くなってしまった自分の髪を弄ると、またため息を吐いた。

 




強欲ムーブってどうすれば良いんだ……
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