「折り鶴と...... 手紙?」
そう呟いた声が、部屋の中に溶けていく。
僕の目の前にあるのは、窓際の花たちの近くに置かれた水色の折り鶴と、鮮やかな黄色の手紙だった。
──先程、白鶴が嵐のように現れ、嵐のように去っていった。
何とも不思議な子ではあったが、同時に謎が多すぎて頭が混乱していた僕は、心を落ち着けるために花の手入れをしようとした矢先、これらの存在に気づいたのだ。
「いつの間に置いたんだこれ……」
誰が置いたのか、それは十中八九白鶴だろう。
置いた気配は微塵も感じなかったが、それなのに確かにここにある。また頭が混乱しそうだと思いながら、慎重に手紙を手に取り、封を切る。
中には、丁寧な筆致で綴られた一文だけがあった。
『強欲を演じている貴方も良いですが、いつの日か、演じていない素の貴方も見せてくださいね』
「だからどこまで知ってるんだよ……」
思わず目元を押さえて天を仰ぐ。
──この世界に来てから、僕は常に『レグルス・コルニアス』 として振る舞ってきた。強欲の魔女因子……黒服風に言うなら、『強欲の神秘』だろうか。
それを身体に宿し、自己中心的な思想を持つ男を演じる。
それが、 この世界で生き延びるための最善の策だった。
──それなのに、白鶴には見透かされている。 僕自身の隙を見せた覚えはない。なのに、彼女の言葉と視線は、まるで僕の内面を見通しているかのようだった。
「もしかして……監視されているのか?」
そう呟いた瞬間、背筋に冷たいものが走る。
自分の言葉に、自分が怯えてしまう。
だが、すぐに首を振る。そんなはずはないと。
折り鶴を見つめながら、白鶴の言葉を思い出す。
『レグルスさんも、感じているはずです。この世界が、歪んでいると。透き通っているように見えて.......その実、いずれたどり着く終着点は、捻れていると』
『──ですが、どういうわけか、貴方という “変数”が、この物語に加入した。それが誰の手によってなのかは、私にも分かりません』
『だからこそ、貴方にも託したいのです……これは、貴方にとって呪いのようなものかもしれません。でも、貴方にはその資格がある…… その力を、持っている』
彼女の言葉は、僕にとっては謎かけのようだった。
理解しようとしても、意味が掴めない。正直な話、白鶴が言ったことは全てにおいて謎でしかなかった。
──でも、ただ一つだけ確信できることがある。
「この世界にとって、僕は異物でしかないんだろうね......」
この体は、『レグルス・コルニアス』のものだ。 だが、中身は違う。『僕』という、本来ここにいるべきではない存在が乗っ取っている。
友人が語っていた『ブルーアーカイブ』という世界。
『レグルス・コルニアス』というノミ以下の存在。
僕がこの世界に辿り着いて、他人の身体に憑依した時点で、既に何もかもが歪みきってしまっている。
本当にぐちゃぐちゃだ。
──だけど、それがなんだというのだろうか?
「僕はただ、平穏な生活を望んでいる。それだけだ」
強欲ムーブを極め、安定した立場を維持する。
それが、この世界で僕が生き延びるための戦略であり、真理だ。白鶴が何を託そうが、こればかりは譲れないし、優先順位は揺るがない。
この世界は、白鶴にとっては歪んでいるかもしれないが、僕にとっては理不尽だ。
だけど、それに抗う術があるなら、それを使う。白鶴の言葉が呪いであろうとも、僕は僕のままで突き進む。
「さて、明日からも強欲ムーブを極めるとしますか」
そう声を上げ、さっそく花たちの手入れをしようとしたところで──ふと嫌な予感が脳裏をよぎった。
『もしかして……監視されているのか?』
そう自分で言っておいて、いざ気にし始めるとどうも落ち着かない。
「……部屋に監視カメラ無いか、探しておくか」
思い立ったが吉日。
僕の俊敏さと執拗さをフル稼働させて、部屋中をくまなく調べ上げた。家具の隙間、天井の角、窓の外に至るまで──徹底的に。
その結果、何もなかったが。
「……まあ、当然だよね。僕が使う部屋にそんな無礼な真似をする奴がいるわけがないとは思っていたさ。全く、くだらない心配だったよ。まあ、確認しておくのは僕にとって『正当な自己防衛』ってやつだからね。僕は何も間違った事はしていない。平穏を求める事に繋がるこの行動は誰もが持つ当然の権利だ」
いつものように演じて、僕は気を取り直すように花に水をやる。
何が起ころうと、強欲を演じることは忘れない。
今日も今日とて平穏のために、僕は『レグルス』として振る舞い続ける。
◆
──貴方に、お見せしたいものがあります。
僕は黒服にそう言われて、無理やり連れられた。研究室の扉が背後で閉まる音に、僕は肩を竦める。
「全く、相変わらず手荒だね君は。そういうところは本当にどうしようもない男だ。僕という存在の貴重な時間を奪ってまで見せたいものがあるだなんて、どれほど傲慢で愚かな発想か理解できているのかな?いや、理解してないからこそこんな真似ができるんだろうけどさ」
ひとつ息を吐くと、研究室の中央に立つ黒服の男を睨むように見据える。
「それで?君は一体何をどう考えて、僕をこんなところまで連れてきたのかな?僕は、他人の勝手で振り回されるような安い存在じゃないんだ。君がもし──本当にもし、僕を退屈させるような真似をしたなら、その責任は、全て君にあるってことをもちろん理解しているんだよね?」
冷ややかな口調で黒服を脅す。
だが、内心はすでにある程度の興味を抱いていた。黒服がこんな手段をとる時は、僕にとって本当に利益があるということだろう。それが何なのかは分からないが……
黒服はわずかに頷き、僕をモニターの前へと促す。
「まあまあ、落ち着いてください。貴方にとっても、きっと興味深い話です……こちらを、ご覧ください」
カチ、と軽い音と共に、研究室の奥に設置された大型モニターに映像が浮かび上がった。そこに現れたのは、二人の少女。
一人は淡い水色のロングヘアの少女。
もう一人は、ピンク色の短髪に、アホ毛がある少女。滅多に見ない左右で色の違うオッドアイという、滅多に見ないものを持っている。
「……この子たちは、一体どこの誰なのかな?君が何故こんなものを見せるのか分からないけど、相応の説明があるんだよね?」
一人はどこか無邪気そうだが、もう一人の目はどこか鋭い。正直な話、ほんの少しだけ怖かったりする。
「水色の髪をした彼女は──梔子ユメ。現在、アビドス高校に所属しています」
黒服の口調は淡々としていたが、その声には一抹の尊敬が滲んでいた。
「レグルスさん、アビドスはご存知でしょうか?かつて砂嵐の影響で壊滅的な打撃を受け、現在も尚、その爪痕は深く残っています。廃校同然の荒れた校舎、機能不全に陥った設備、そして──九億以上にもおよぶ莫大な負債を背負っていることを」
確かにこの世界で暮らしているうちに、アビドス高等学校があるのは知っていたし、砂嵐によって何やらひどい事態に陥っていることも耳にはさんだことはある。が、借金については初耳だ。
宝くじで一等でも当てない限り、途方もない借金を返済しなければならないだろう。
モニターに切り替わる映像には、アビドスの校舎、砂に埋もれてしまった校庭などが映されていた。
黒服は続けて言う。
「そんな中彼女は一人、一生懸命に前を向き続けています。借金返済のために校外でのアルバイトに励む、ボランティア活動を行うなどして、生徒会長として責任を果たすために、アビドスの再生を目指しているのです」
映像の中でユメが、埃まみれの教室の机を雑巾で拭いている姿が映った。
その表情に、曇りはなかった。
「うんうん、この子は誰がどう見ても分かるぐらい良い子だ。普通ならそこで諦めて、挫けて、逃げて、誰かのせいにして、泣いて、騒いで、自己憐憫に浸るっていうのが凡俗の常ってやつだと思うんだよね。なのに彼女は、それをしなかった。立ち上がって、歯を食いしばって、それでも前を見た。こういう存在こそが、健気で尊いんだよね。まさに、僕の理想像だ」
僕はそう言って少し口元を緩めた。
これは皮肉にも聞こえるかもしれないが、確かな賞賛もある。やはり、盗んだバイクで走り出すような不良達と比べても天と地ほどの差がある。
黒服はそれにククッと喉を鳴らす。
「そして、もう一人。こちらの彼女をご覧ください」
黒服が持つリモコンによって画面が切り替わる。
ピンク色の短髪に、愛嬌のあるアホ毛。目付きがどこか恐ろしく、その視線には鋭さがある。
「小鳥遊ホシノ。彼女もまた、アビドスの生徒会に所属しています。先ほどの梔子ユメと並ぶ、唯一の生徒です」
「──唯一の生徒だって?」
二人だけの高校なんて聞いたことがない。比較対象が現状ゲヘナ学園しか思い付かないが、それにしたって少なすぎる。
「はい。そして、この彼女こそが……私が『暁のホルス』と呼んでいる生徒です。私が貴方と出会う前、彼女は『キヴォトス最高の神秘』と称されるほどの存在であり、異常とも言える勘の良さと戦闘能力を有しています」
モニターには小鳥遊ホシノが一人で暴走車両を止める姿、強大な武装集団を煙に巻くように制圧する姿が映る。その姿は、軽薄そうに見えて、どこまでも計算された行動だった。
僕はモニターを眺めながら、目を細める。
……この子が、黒服の言う『暁のホルス』か。そういえば、僕以外にも研究対象にしたい生徒がいるって……あのときに言っていたか。
──正直な話、出来る限り相手にはしたくないな。あんなショットガンで迫られたら、僕は情けない声しか上げられないと思うから。
そう内心で少し恐怖し、肩を竦めた。
「『暁のホルス』は、私にとっての崇高を目指す別の良いきっかけになるのです。何度も交渉をしているのですが、良い返事は貰えていません。なので、次に交渉する時はアビドスの借金を半分肩代わりすることを持ちかけてみようかと考えるほど、私は彼女をこの手で研究したいのですよ……ククッ」
こいつ、女子生徒に対して人の心が無さすぎる。冗談はその不気味な顔だけにしてほしい。
「あのさあ、君は自覚しているかい?人の心が無いってことをさ」
僕は首を軽く振り、嘲るように笑う。
「僕が見る限り、君の言動はまるで空っぽの器だ。情も慈悲も詰まっていない。なのに自分は満たされていると思っている……君が欠いているのは心そのものじゃない、『他者を測る尺度』ってやつさ。僕にとって心とは所有権と尊厳の総体だけど、君はそれすら理解せずに掻き回す。そこが、人の心がないって思うところだね」
僕は顔をしかめながら、黒服をじっと見つめる。
黒服はそんな僕の反応を楽しむように、口元を緩める。
「貴方を研究させてくれるのであれば……私も、彼女たちへの執着を“諦める”かもしれませんがねぇ」
クックックッと、悪戯っぽく笑う黒服。
「あのさあ、何度も言っていると思うんだよね。僕が君の研究だとか何だとか、そんな下らない企てに首を突っ込む気は一切ないって。なのにどうして、何度も僕にその話を持ち出すのかな?自分の小さな欲望ひとつ抑えられずに、より大きな正しさに逆らうなんて、まるで君は蟻が太陽に噛みつくような真似をしているようなものだよね」
僕の言葉を聞いて、黒服は肩をすくめる。
「そうですか……残念です。ならば注意喚起も兼ねて、こちらをご覧いただきましょう。どちらかといえば、ここからが貴方にとって本命になるでしょう」
黒服の指先がリモコンを操作し、ある映像が映し出された。
「──これは、一体どういう存在なのかな?この見ていて不愉快になる鉄屑は」
視界を埋め尽くすほどの、巨大で真っ白な金属の塊。
僕にはそうにしか見えなかった。
「これは預言者──『ビナー』と呼ばれるデカグラマトンです」
短い一言のあと、黒服は壁際に設置されたパネルを指し示した。そこへ次々と、解析データが投影される。
「これは──」
──対・絶対者自律型分析システムであると。
──ビナーを含めた己の神命を預言する10人の預言者とパスを拓いていると。
──セフィラと呼んで遜色ないと。
などと、はっきりいって意味の分からない単語を羅列され、ビナーの他にも、コクマーやケセドといった預言者と呼ばれる鉄屑の映像を見せられたが……正直な話、吠えて喚いて、光や熱を撒き散らしている印象しかない。
──見ていて不愉快だという感情しか湧かなかった。
「くだらないね」
だから、僕ははっきりと切り捨てる。
「機械に『預言者』なんて大仰な肩書きを付けて悦に浸るなんて、そんなもの、ただの鉄の塊が言葉を並べているだけの代物に過ぎないと思うんだよね。まるで何か重大な意味でもあるかのように振舞っているけれど、そもそも、機械に過ぎないものにそんな崇高な名を持つこと自体が、僕には到底理解が出来ないな」
そう言い切って、僕はため息を吐いた後、黒服を睨み付ける。
「そもそも生徒たちの苦境に話を絡めておいて、最後は鉄屑の上映会?それってどういう冗談なわけ?まさか君の趣味に付き合わされるだけ、なんて言わないだろうね?」
そんな僕の言葉を聞いたのか、黒服はわずかに笑う。
「クックック……まあ、ある程度は伝えれる事が出来ましたし、本当の本命の話をしましょうか」
まだ本命じゃなかったのかよ、回りくどいな……僕も強欲ムーブしている時は特に回りくどいか。
黒服は僕の視線を正面から受け止める。
「アビドスの外れにあると噂されている……オアシスをご存じですか?」
僕はそれを聞いて、鼻を鳴らした。確かに砂漠にオアシスがあったら魅力的だが、そもそも広大な砂漠にオアシスを見つけることが出来るなんて皆無に等しいだろう。
「オアシス?僕はそんなものに興味はないんだけど?」
「おやおや、そうですか──残念ですねえ」
黒服は一拍置き、続ける。
「そのオアシスの水を用いると、植物の寿命が飛躍的に伸び、美しく保つことが出来るという説があります。なんでも、希少なミネラルと何らかの力場が作用しているとか」
──植物の寿命が伸びる、美しくなる。
……そんなものが?
僕は無関心だったが、わずかに揺らいでしまう。
「アビドス砂漠のどこかに存在し、周囲だけは砂嵐が鎮まり、色鮮やかな花が咲き乱れている──という噂があるようです。水質は極めて安定し、枯渇の兆候もない。ビナーによる地形変動を受けずに残っているとも言われますが、確証はありません」
もしそれが本当にあるなら……僕が買った花たちも、アツコから貰ったあのスミレも、もっと美しくなるかもしれない。
──僕はこの時点で、黒服の説明は半分ほどしか耳に入っていなかった。僕の頭の中は、色鮮やかな美しい花たちによって埋められていた。
これぞまさに、頭お花畑というやつだ。
「今のところ砂嵐もありませんし、ビナーは活動しておらず、砂漠のどこかで眠っているらしいので、興味があるなら一度探してみても良いと思いますよ……クックック」
黒服の勧めに、僕は答えない。
──時間は有限だ。
身を翻して、研究室の扉へ一直線──!
「……ですが、ご注意を。砂漠が荒れ始めたときは、ビナーが地上に出ている可能性が高いのです。まあ、貴方なら──」
そこで黒服はやっと気づく。
──レグルスの姿は、もうそこにはなかった。
残された黒服は、静粛が戻った部屋で小さく肩を揺らす。
「クックック……もしもレグルスがビナーと遭遇するのだとしたら──」
言葉を一度切り、口角を吊り上げた。
「存在の痕跡を消し去り、パスという繋がりでさえも、虚無の中へと消え失せる事になるのでしょうね」
◆
──空を舞う砂の粒が、視界を茶色に染めていく。
「……砂嵐が強くなってきたな」
思わず洩れた独り言が、風に飲まれて消えていく。
……その水があれば、僕の花たち、特に……あの小さなスミレを、美しくすることができる。
そう思ったその瞬間、僕の体はもう動いていた。誰に止められることもなく、黒服の研究室を飛び出し、砂漠の熱気の中へ踏み出していた。目的はただ一つ、オアシスの水を手に入れること。
「今は砂嵐は出ていないって……言ってたじゃないか。黒服の奴……まあ砂漠だし、こういうのもありえるのか?」
呟いた言葉は、言い訳にもならなかった。まるで自分を納得させるための自己弁護。そんなことをしている暇があったら、足を前に進めるべきなんだ。
「……例え遭難しかけたとしても、僕の場合は強欲ムーブで、どうにでもなる」
執着は、力になる。
欲望は、道を拓く。
誰がどう言おうと、僕はそうしてここまで来たし、これからだってそうだ。
──だから。
「さあ、待ってろよ──僕のオアシス……!」
砂嵐の中に叫ぶ。誰に届くでもないこの叫びは、ただ、自分を鼓舞するためのものだ。
だが。
このときの僕は、まだ知らなかった。
この選択の先に、自分がこれまで関わってきた不良たちとは比べものにならないほど、ひどい目に遭うことになるなんて。
人の話を最後まで聞かないレグルス、可愛いですね(?)
この話を読んで、レグ虐に興味がある人は
零章の『強欲を名乗るゲマトリア』からご覧ください。
いつでもお待ちしています。