ゲマトリア所属の強欲の権化   作:ぬこぱんち

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輪廻に訪れた小さな奇跡

 

「僕の純情な心を弄ぶような真似をしやがって、あの鉄屑め……」

 

 ──僕がこうしてアビドスの砂漠に足を踏み入れたのは、黒服が言っていた『オアシス』の水を手に入れるためだった。

 

 容赦なく吹きつける熱風と、舞い上がる砂粒が視界を奪っていく。だが、僕は迷わなかった。いや、迷っていられなかった。あの花たちを美しく保てるのであれば、利用できるものはとことん利用するまでだ。

 

 そして、この荒れ狂う砂嵐の中、僕はその光景を見て、言葉を失った。

 

 金色の砂の海の真ん中に、ぽっかりと浮かぶように存在していたのは、美しく透き通った水面。その水は青とも緑とも言い難い、まるで宝石のような色彩を湛えていて、まるで夢の中の光景だった。

 

「これが……オアシス……」

 

 ごくり、と喉が鳴った。

 

 僕は持っていた水筒を取り出し、慎重に膝をついて、水面へと差し出す。水が音もなく注がれていく音が、耳に心地よかった。ゆっくりと水筒が満たされていく様子に、思わず笑みを浮かべてしまう。

 

「黒服のいうことが正しいのなら、これで僕の花たちは美しく咲き続ける……フフフッ……」

 

 我ながら随分と気持ち悪い笑い方をしていたと思う。

 

 水筒にオアシスの水を満たし、ちょっと得意げな気分で僕は帰ろうとした

 

 ──そのときだった。

 

「……?」

 

 少し遠くから、爆発したような衝撃音が聞こえてきた。また不良達がどこか爆発しているのかと思っていたが……視線を上げた僕の目に飛び込んできたのは、異様なシルエットだった。

 

「あのウネウネした気持ち悪いシルエットはどこかで見たような……いや待てよおい」

 

 鉄と有機物が融合したような異形の巨体、僕が鉄屑と称した忌まわしい存在。

 

 ──ビナーだった。

 

 そしてそのビナーが、今まさに一人の女子生徒に口を向けて謎の光を放とうとしていた。

 

「僕が本当に何をしたって言うんだよ……!」

 

 僕は泣きそうになりながらも、強欲ムーブに移行し、強欲の権能を発動させた。

 

 僕の中の強欲が、あの鉄屑を跡形も無く消し去れと叫んでいるような気がしたから。

 

 周囲の空気を止め、ビナーの装甲に向けて飛ばしたことがきっかけで、僕とビナーの戦闘が始まった。

 

 僕は心の中で涙を流しながらビナーを粉微塵にするという調理を行い、預言者とかパスとか言われている訳の分からないビナーは、本当に鉄屑そのものとなり、空気の一部となって消え去った。

 

 それによる影響なのか、砂嵐はゆっくりと晴れていき、 まるで重しが取り払われたように、灰色の空が割れ、黄金の太陽が顔を出した。

 

 視界を覆っていた黄砂が音もなく消え、白くまぶしい光が僕を照らしてくれたのだ。

 

 ──襲われていた生徒は、つい先程黒服が解説していた梔子ユメだった。

 

 まさかここで出会うとは思いもしなかったが、一人の生徒を助けれたのなら、強欲ムーブして良かった……と、思いたい。

 

 その後、こちらに迫ってくる一人の影から僕は逃げるように離れ、近くの廃墟に隠れながら溜まっていた不満を爆発させた。

 

 それで落ち着いたのは良いものの……あることに気付いてしまった。

 

「……あ」

 

 ──オアシスの水が入った水筒が、僕の手元に無かった。そう、梔子ユメに水を与えるため、水筒ごと渡してしまったからである。

 

 全身の力が抜ける。

 

 ここまで来て、結局手元には何も残らなかった。あの子を救えた代わりに、僕はまた最初から水を手に入れるというやり直しをしなくてはならない。

 

「本当に……本っ当に、あの鉄屑は余計なことしかしない……!」

 

 そう僕は叫ぶ。

 

 純情を弄ばれ、オアシスの水を奪われ、しかも精神までボロボロ。あの鉄屑への怒りは尽きない。

 

「まあ、健気で尊い存在を救い出せたと思えば……悪くはない、のか……?」

 

 自分を慰めるように呟きながら、僕は再びオアシスへと戻ってきた。砂嵐は幾分か収まり、太陽が照りつける中、目の前に輝く水面が再び視界に映る。

 

 ──だが。

 

「……しまった。あの子に水筒ごと水をあげちゃったから、水を入れる物が無い……」

 

 さらに衝撃が走る。

 

 今さら気付いたその事実に、僕は呆然と立ち尽くす。せっかく戻ってきたのに、肝心の入れ物が無ければ、また無駄足になってしまう。

 

 とはいえ、「水筒を返してくれるかなあ?」と梔子ユメに言いに行くのは、僕の美学に反する。それは強欲の権能を持つ者のやり方じゃない。

 

「どうすれば……どうすればいいんだ……」

 

 ふと、ひとつの記憶が脳裏に蘇る。不良達に囲まれたとき、水を操って奴らを懲らしめた、あの時のことだ。

 

「……あの時と、同じ……そうだ、権能を使って水を……」

 

 欲望は、形を与える。強欲の力は、物質を操るだけじゃない。空間をねじ曲げ、形なきものに形を与えることだって出来てしまう。

 

「──うんうん、やっぱり僕みたいな誠実で真面目な人間が、いちばん正しいって証明になったよね。だってそうだろう?真面目に考えて、真面目に行動して、最終的にちゃんと結果を出す。これこそが、人間はこうであるべきという模範回答でもあるんだよね」

 

 僕はそう呟きながら、手を差し出す。

 

 水面が、ふわりと浮かび上がる。球状の水が空中に現れ、それが僕の意志に応じて安定した形を保ち始める。

 

 その水は、まるで宝石のようにきらめいていた。僕による僕だけの強欲ムーブが、それを完璧な形に保ってくれる。

 

「さあて、お持ち帰りといこうかな」

 

 風が吹き抜ける中、僕は欲望の塊を抱えて、もう一度歩き出す。

 

 水は僕の手の中で、まるで命を得たかのように形を変えていく。

 

 時には、クジラがゆったりと尾を振る。

 

 時には、薔薇がふわりと咲き誇る。

 

 時には、折り鶴が羽ばたくように。

 

 まるで、空中にあやとりを編むかのように。

 

 繊細で、優雅で、幻想的な水の舞いを伴いながら、僕は帰路についた。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 これは、とある車内で幾度となく繰り返された物語。

 

 静かな車内に、ガタンゴトンといった微かな音だけが響いている。

 

 ──車内では、ある彼女が窓辺の席に静かに腰掛けていた。

 

 白い制服に身を包んだその姿は、揺れる電車の振動にも乱れることはない。

 

 窓の外には、どこまでも続く広大な湖が広がっていた。

 

 水面は鏡のように空を映し、朝焼けの茜色をゆるやかに染めている。

 

 彼女は視線を足元に落とし、小さく息を吐いた。

 

「──私のミスでした」

 

 もはやこの言葉を何度紡いだかも分からない。

 

 ただ、そう言わずにはいられなかった。震える指先が、膝の上で重なった手をぎゅっと握る。

 

「私の選択、そしてそれによって招かれたこの全ての状況」

 

 車内の静けさが、彼女の言葉をやさしく包む。だが、その静寂が、逆に彼女の心の奥にあるざわめきを際立たせていた。

 

 過去に選んだ幾つもの分岐点。その一つひとつが今の結末へと繋がっている。そう理解していてもなお、胸の奥に消えない悔恨があった。

 

「結局、この結果にたどり着いて初めて……やっぱり、あなたの方が正しかったことを悟るだなんて……」

 

 窓の外を、白い鳥が一羽、静かに舞っていた。湖の空を切り、遠くへと飛び去っていくその姿を見つめながら、彼女は瞼を伏せる。

 

 その影はまるで、かつて共に歩んだ仲間のようで──もう戻ることは出来ない過去の幻のようなものだった。

 

「……何度も図々しいですが、お願いします」

 

 ゆっくりと視線を前へ戻す。座席の正面にはある人物が眠っていた。

 

「──先生」

 

 穏やかな声音に、わずかな震えが混じる。超人と呼ばれた彼女の印象からは想像もつかないような弱さ。それは、それでも信じられる相手にだけ見せる、最後の本心だった。

 

「きっと私の話は忘れてしまうでしょうが、それでも構いません」

 

 指先がわずかに震えた。制服の袖口をつまんで、そのまま胸元でぎゅっと押さえる。その仕草には、自分を保つための、細やかな強さが込められていた。

 

 そのとき、電車の揺れが一瞬だけ止まり、外の風景が一層くっきりと映りこむ。

 

 湖の彼方、かすかに見える小さな島。かつて何かがあった場所かもしれない。もしくは、これから何かが始まる場所かもしれない。

 

「私が信じられるもう一人の大人である、あなたになら、この捻れて歪んだ先の終着点とは、また別の結果を……」

 

 その想いは祈りだった。過去の自分が選べなかった答えを、未来に託す願い。

 

 そして、その願いを委ねるに足る存在──それは、対面で眠っている先生のことである。

 

 たった一つの希望を、託すことができる人。

 

「そこへ繋がる選択肢は……きっと見つかるはずです。だから先生、どうか──」

 

 そこで、彼女は紡いでいた口を閉じる。

 

 ──まばゆい光が、対面の座席を満たしていく。

 

 静かに、確かに、その光の中へと先生は消えていった。

 

 彼女は、何も言わずに、何も告げずに。ただ、穏やかに微笑んで。

 

 ──その姿を、彼女は最後まで見届けていた。

 

「……行きましたね」

 

 ぽつりと零れた言葉が、車内に落ちる。

 

 静けさだけが戻った座席。窓の外では、湖面がやわらかく光を反射し、電車はその世界の上を滑るように進み続けている。

 

 ──いったいあと何回、先生を送り出すことになるのだろう。

 

 そもそも、今は何回目なのだろうか。

 

 三桁を超えてからは、もう数えることすらやめてしまっていた。

 

 この終わらない箱庭の輪廻で、彼女は幾度となく時を巻き戻し、何度も世界を再構築してきた。選択肢を変え、介入の方法を変え、時には誰かを見捨て、時には自らの身を差し出して。

 

 そのたびに、痛みを負ってきた。

 

 己のヘイローを喪った回数など、とうに覚えていない。再生と崩壊を繰り返すうちに、神秘はひび割れ、傷つき、擦り切れていく。かつての輝きは、記憶の彼方に霞んでしまった。

 

 常識を超えた理、そのすべてを酷使してきた。身体に無理を強い、心を削ってきた。

 

 痛い思いなんて、もう何度も経験している。

 

 それでも止まることはできなかった。

 

 箱庭が崩壊し、終焉を迎える瞬間。希望が潰え、絶望だけが世界を支配するその光景を、彼女はこの目で、何度も、何度も、何度も見てきた。

 

 ──それでも、いつも思ってしまう。

 

 終わりが見えない。

 

 そもそも、本当に終わりなどあるのだろうか。

 

 この果てしない繰り返しに、出口は存在するのだろうか。

 

 そんな疑問が、ふと心をよぎってしまうのだ。

 

 ──だけど。

 

「……私が諦めたら、全てが終わってしまう」

 

 その言葉を、何度繰り返しただろう。

 

 何十、何百という可能性の中からたった一つの救済を見つけるために、彼女は全てを捧げると誓った。

 

 己の命が尽きようとも構わない。魂が砕けようとも、神秘が燃え尽きようとも、私は託す。私の全てを賭けて、救ってみせると。

 

 ──そう奮い立たせても、現実は容赦がなかった。

 

 思い通りにいった試しなんて、一度もない。

 

 何度も絶望を味わい、目の前で大切な人が壊れていく姿を見てきた。思い描いた希望が潰える瞬間の、あの鮮烈な光景を、幾度となく目に焼きつけてきた。

 

 まるで、終わりのないバッドエンドスチルを延々と観続ける悪夢の中にいるようだった。

 

 ──けれど。

 

 この箱庭に、ひとつの変数が現れた。

 

 それは、不思議な存在だった。

 

 常に周囲には強欲を演じ、利己的に振る舞い、強欲そのものの仮面を被った、本当はどこか臆病な人物。だが、その仮面の奥にある素顔を、彼女はその目で一度も見たことがない。

 

 でも、演じるあなたの言葉の端々に、滲んでいるものがある。

 

 その語り口、その沈黙、その矛盾。

 

 根はとても優しいのだろうなと、そう思った。

 

 彼女は、静かに胸元へと手を添えた。

 

 ──感じる。

 

 ひとつは、自分自身の規則正しい鼓動。

 

 ──もうひとつは、不規則に鳴る、どこか遠くの、けれど確かに繋がった誰かの鼓動。

 

 ふふっと、小さく笑みがこぼれる。

 

「電車を汚さなかったのは、今回が初めてだったなあ」

 

 ぽつりと呟くその声は、少しだけ安堵を含んでいた。

 

 ──頬に赤い血が滲むこともなく。

 

 頭上には、崩れかけたことなど無かったかのように、美しく整ったヘイローが、静かに輝いていた。

 

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