──白い陶器のカップに紅茶を注ぐ音が、静かな室内にささやかに響いた。
「──連邦生徒会長が失踪した?」
カップの縁を指でなぞりながら、僕は聞き返す。
「ええ、ここ何週間も見つかっていないらしいです」
対面に座っている黒服が相槌を打つ。
口元がほのかにほころんだかと思えば、次の瞬間には紅茶を一口、静かに口に含んでいた。
──僕がこの世界に来てから、もう約二年近くが経過していた。
レグルスに成り代わって、強欲ムーブを強いられて、疑似心臓を寄生させてしまったり……とにもかくにも生きるだけでも精一杯だった。
ここはキヴォトス、混沌と秩序の狭間に存在する学園都市。最も、現在は混沌の割合が圧倒的に多いが。
「なんだっけ超人? 聞いたことはあるよ。とてつもないカリスマ性とリーダーシップを持った子だってね」
──だって、僕はその子に出会ってるから。ほぼ不法侵入されたという形で。
連邦生徒会長──白鶴とは、あれ以降出会えていない。
別れ際にまた会おうという約束を交わしたわけでもなかったから、自然と疎遠になったのも当然だろう。
一年後ぐらいに白鶴が連邦生徒会長になり、超人と呼ばれるほどの存在となった時、多忙を極めていた。そりゃあ、会えるはずもなかったのだ。
「──連邦生徒会長は、混乱しがちなキヴォトスという巨大な学園都市を統一し、治めるほどのカリスマ性とリーダーシップを持っていました」
黒服がそう言ってから、ふと間を置いて僕を見る。
「レグルス、そんな連邦生徒会長が、何故失踪したか気になりませんか?」
そんな黒服に、僕は眉をひそめていつものように言う。
「あのさあ、誰がどこへ行こうが、そんなこと僕の知ったことではないよね?僕は僕のやるべきこと──そう、例えば花の世話とかで忙しいんだからさ。僕にとって無関係なことに僕の貴重な時間を使わせようなんて、誰もが持つ時間の権利を侵害してるって事に気付きなよ」
──口ではそう言っておきながら、内心では気になって仕方がない。
何故、なにも言わずに失踪してしまったのか。
もし、もし仮に、いずれ姿を消すつもりだったのなら、その前にどうして僕の目の前に現れたのか。
……考えても、答えなんて出るわけがなかった。
「クククッ、そうですか」
黒服が喉を鳴らして笑い、紅茶が入ったカップを静かに傾ける。そして一口飲んで、カップを机の上に置く。
指を組んで顎の下で支えると、静かに言った。
「レグルス、そんな失踪した連邦生徒会長が呼んだとされている不可解な存在をご存じですか?」
不可解な見た目をしているお前がそう言うのか……
思わず内心で突っ込みを入れる僕に構わず、黒服は続けた。
「それは、『先生』と呼ばれる人物らしいです」
「へえ、『先生』……ねぇ」
僕は唇を吊り上げて笑った。
「生徒を導く存在である、あの先生の事を言っているのかな? だったら、ここら一帯を無法地帯に仕立て上げた生徒達を徹底的に指導してほしいものだね。教育の欠如が深刻すぎるからさ」
たたでさえこの世界では、犯罪やテロが当たり前のように起きていたのに、ここ最近は特に犯罪率が増加の一途をたどっていた。
「せっかくですから、会ってみるのはいかがですか?もしかしたら、互いに気が合うかもしれないですよ?」
その『先生』という人物と会うことに、僕にメリットは存在するのだろうか。正直な話、会ったところで何になる、としか思えないのだ。
だから、僕はソファーから立ち上がり、窓際に飾られている花たちの側に移動して、口を開いた。
「あのさあ、僕は見ての通り花の手入れで忙しいんだよ。それは僕の大切な時間なんだから、他のことよりも優先されるべきだと思うんだよね。だって、自分の時間や興味関心を尊重する権利って誰にだってあるはずなんだからさあ。それを邪魔するような真似するなんて、いくら寛容で理性的な僕でも許せないよ」
「ククッ……相変わらずつれないですねえ……」
黒服が喉を鳴らし、また紅茶を一口、優雅に飲む。
「……さっきから思ってたんだけどさ」
僕は眺めていた花たちから視線を外し、黒服に向き直る。
「君は何故、当たり前かのように僕に紅茶を淹れさせて、それを当たり前かのように飲んで、当たり前かのようにここに居座っているのかなあ?」
何気にここまで見てみぬフリをしていたが、当然のようにここに居座ろうとする黒服には脱帽させられる。僕がこの聖域に誰も入れたがらないのを知ってる上でここに来てるからな……
「ただ遊びに来ているだけじゃないですか。同じゲマトリアとして、親交を深める行為をするのは不自然ではないでしょう?あなたが淹れる紅茶は大変美味ですから、たまにこうして飲みたくなるのですよ……クックックッ……」
そう言いながら、黒服はまたカップを手に取ろうとした。
──その前に、僕は軽く、まるで花の埃を払うかのように、指先で空をはじいた。
その瞬間、黒服の身体が唐突に浮き上がった。
「……ククッ、別に良いではないですか。私はただあなたと親交を深めたいだけで──」
「──僕は寛容だからさ」
僕は、静かに、しかし明確な意思を込めて言葉を重ねる。
「君が押しつけがましい冗談を言っても、当たり前のようにここに現れても、黙って紅茶を飲んでいても、全てを受け入れていた」
黒服の身体は未だに浮いたまま。紅茶の香りだけが取り残される空間で、僕は言い放つ。
「──でも、これ以上はいくら温厚な僕でも見過ごすことは出来ないなあ。これ以上僕の時間を邪魔するなら、それ相応の対価は払ってもらわないとね」
そう言って、僕は花を整えるように指をもう一度、横へ軽く払った。
次の瞬間、黒服は勢いよく、そのまま扉の方へと吹き飛ばされ──
「レグルス、またお邪魔しに来ま──」
開いた扉を通り抜け、無機質な廊下の上へと見事な放物線を描いて着地させた。
そして、黒服がまたこちらに何か言ってくる前に、扉がバタンと音を立てて閉まると同時に、僕の部屋には再び静寂が訪れた。
「……はあ、やっと静かになった」
そんな呟きを、誰にも聞かれないように、小さく口にしながら、僕は一息吐いて花たちに目をやる。
相も変わらず、美しく咲き誇っている。
紅、藍、白、紫──色とりどりの花弁が、春の風に揺られながら柔らかな光をまとっている様子は、何度見ても飽きない光景だった。
こうして眺めてみると、ふと思う。この二年間で、僕はもう生花店の一つや二つならやっていける程度には、花の扱いに慣れ親しんできたな、と。
──さあて、今日もお世話を始めようか。
そう思い立ち、腰を軽く上げたところで、ふと違和感が走った。
「……ん?」
何かが足りない。
目を走らせ、頭の中の在庫と照らし合わせて、ようやく気づく。
「……ああ、肥料が無い」
花を美しく保つための、あの重要なアイテムが、見事になくなっていた。
僕は思わず頭を抱えた。
「……この僕がわざわざ紅茶を飲ませてやったんだから、あいつに買いに行かせればよかったな……」
口の中でぼやくようにそう言うと、後からじわじわと後悔が押し寄せてくる。
あの黒服の図々しさなら、肥料くらい平然と買いに行ってくれただろう。いや、それどころか余計な物まで買ってきて笑いながら渡してきたかもしれない。
だけど、もう遅い。
ドアの外に放り出した黒服は、少しだけ不貞腐れて帰ってしまっただろうから。
「……まあ、自分で買った方が確実か」
軽く肩を竦め、黒服を追い出した扉へと向かう。
キィ、と音を立てて扉を開けば、外の風が一気に吹き込んできた。
空は青く、陽射しは柔らかい。
どうやら、今日は穏やかな買い物日和になりそうだ。
◆
「"──みんな、もうすぐでシャーレに着くよ!"」
道には瓦礫が散らばり、路地裏には煙の尾を引く爆破跡が残っている。
先生たちは、不良たちの襲撃を退けながら、シャーレへ向けて慎重に歩を進めていた。
場に一瞬の安堵が走る。そのタイミングで、ユウカが嬉しそうに口を開いた。
「ようやくですね!このままシャーレの建物の中に──」
その瞬間だった。
「……?なに、この地鳴りは……」
甲高く不快な金属音が耳を裂いた。地面が微かに揺れる。ユウカは驚いて言葉を詰まらせ、道の向こうへと視線を走らせる。
「き、気をつけてください!あれは……巡航戦車です……!」
チナツの声に、皆の視線がある一点に集中する。
見えたのは、迷彩柄の装甲を持つ鋼鉄の塊。重厚な履帯の音が地面を震わせながら、ゆっくりと、だが確実にこちらへ向かって進んできていた。
「巡航戦車クルセイダー一型!?トリニティの正式採用戦車と同じ型です!なぜ彼女たちが……!」
ハスミの困惑の声が重なる。だが、それだけでは終わらなかった。
一台、二台……それどころではない。
次々と同じ型の戦車が通りの向こうから姿を現し、まるでこちらを一方的に殲滅するかのように並びながら向かってきていた。
「"みんな、一度後退だ!あの量の戦車はさすがに相手しきれない!"」
先生が叫ぶと、全員が即座に動き出した。
それぞれ武器を構えながら後方へと距離を取る。
だが──
「皆さん、待ってください!」
スズミが、何かに気づいたように声を上げた。
彼女が指差す方向には──
「……あそこに……人が居ます!」
道のど真ん中に、白を基調とした服を身に纏った男が、こちらに背を向けて静かに佇んでいた。
「"生徒でもない一般人……!?まずい、このままじゃあの戦車の餌食になる!"」
先生の焦りが爆発する。
武装も、ヘイローもないその姿。戦車の進行を前に、まるで抵抗する術もない。
助けに行かなければ……でも、このままじゃこっちも巻き込まれる……!
そんな判断を迫られ、先生は思わず一歩踏み出す。
「先生、待ってください!」
スズミがその腕を掴み、制止する。
「いま飛び出したら先生まで危険です!」
「"でもこのままじゃあの人が危ない!"」
焦燥と衝動の狭間で、先生の声が震える。
その隣に、ユウカがきっぱりと言い放つ。
「先生はここで待っていてください!私たちが助けて、戦線離脱します!」
しかし、続けた言葉には焦りが滲んでいた。
「でも計算上では、ここからあの人のところまで距離が遠い……これじゃあ、間に合うか分からない……!」
「とにかく急ぎましょう!」
チナツが叫び、ユウカ、ハスミ、スズミ、チナツの四人が一斉に駆け出す。
その先で、戦車に乗った不良たちの怒鳴り声が響いた。
「おい!あんなところで立ってる変なやつがいるぞ!」
「構うな構うな!私たちは突き進むのみ!そんな奴はこのまま轢き倒せ!」
先生の心臓が跳ね上がった。
一般人──ヘイローの無い存在は、自分たちと同じく脆い。あのまま戦車に接触すれば、ひとたまりもない。
間に合わないかもしれない……このままじゃ──!
「"一般人を巻き込むわけにはいかない!こうなったら……!"」
懐に手を差し入れる。震える指先が、一枚のカードに触れた。自分の信念、その象徴──『大人のカード』を、覚悟を胸に引き抜こうとした、その瞬間だった。
「"──えっ"」
先生の口から、か細い声が漏れた。
空気が破裂するような轟音。
続けざまに、爆音が連鎖した。
辺り一面に土煙と衝撃波が走り、まるで大地そのものが怒り狂ったかのように、戦車が次々と火柱を上げて爆発した。
火に包まれた戦車の一つが、まるで何かに弾き飛ばされるかのように横転し、砕けた装甲の隙間から、煙にまみれた不良たちが這い出してきた。
「な、何が起きた……!?」
「撤退だ!撤退ーッ!!」
パニックに陥った彼女らは、隊列も秩序もなく、我先にと逃げ出していく。戦意はもはや残っていなかった。炎と煙の向こう側で、それを黙って見送っていた男は、かすかに笑みを浮かべた。
「──全く、止めてほしいなあ」
男は、まるで風が吹いた程度の出来事のように、柔らかい声で言う。
「僕は何もしていないのに、いきなり轢き倒せだなんて。とてもじゃないけど、真っ当な子供達がすることとは思えないよ」
その瞬間、背後でカチリと金属音が響いた。
男がゆっくりと振り返ると、そこには四人の女子生徒。
冷たい眼差しを向けながら、それぞれが構えた銃口を男の眉間にぴたりと合わせていた。
ユウカが一歩前に出る。青い瞳が、男を射抜く。
「あなたを助けに行こうとした、その瞬間よ。すべての戦車が……いきなり爆発した。ねぇ、あなた、一体何者かしら?」
男は目を細め、まるで驚いたように見せかけながら肩をすくめる。
「もしかして……君たち、僕を助けようとしてくれたのかい?それは素直に感謝しておくよ」
軽やかに言葉を紡ぎながら、男の声にはどこか諧謔が滲んでいた。
「でも僕は、ただ平穏を求める一人の男に過ぎなくてさ。それなのに初対面の人間に銃口を向けるなんて、一体どんな教育を受けてきたら、そんな短絡的な思考に陥るのかな?」
「それは……」
ハスミが、慎重な口調で応じる。
「目の前で、あんな光景を見せられたら……私たちも警戒してしまいます。あなたが何者なのか。それを見極めるためにも──この後、詳しく話を聞かせてもらいます」
その言葉に、ユウカたちが男を取り囲もうと動いた──が。
「"──皆! 銃を下ろして!"」
割って入るように先生が走り込んできた。肩で息をしながら、必死の声を張り上げる。
「しかし、先生……!」
スズミが反論しかけたが、先生は手を振って制した。言葉の代わりに、静かなジェスチャー。四人の銃口が、渋々ではあったがゆっくりと下げられていく。
男の前まで来ると、先生は頭を下げた。
「"……私の生徒たちがごめんなさい。悪気があったわけじゃないんだ"」
「──なるほどなるほど、君が噂の先生なんだね」
男は興味深げに目を細める。
「僕は君のこと、よく知っているよ。今やキヴォトス中では、君の事が話題に上がってる。何せ、あの連邦生徒会長が直々に呼び出したとされる人物だ。それがどれだけすごいことか……世間に疎い僕にでも想像がつくさ」
先生は少し面食らいながらも、ぎこちなく笑った。
「"とにかく……無事で良かった。にしても、どうやってあの数の戦車を退けたの?"」
「ん?ああ、あれぐらい僕にとっては些細にもならない。そもそも、僕がやることにすごいとか、大したことないとか、そんな評価は不要だからね。だって僕は、完璧で、完成された、常に正しい存在なんだからさ」
男はさらりと答え、視線を流すように空へと逸らした。
「もういいかな?僕は今、気分があまりよろしくないんだ。僕の心はとても繊細だからさ。今は少しでも早く帰って、平穏な空気の中で紅茶でも飲みたい気分なんだ」
そう言って男が踵を返そうとした、そのときだった。
「"ちょっと待って!"」
先生が思わず声を上げると、男はふと立ち止まり、ちらりと振り返った。
「──ただ、そうだね」
その目が、先生をじっと捉える。
「僕が一方的に君のことを知っているって、それはそれで不公平な話だ。ねえ、君もそう思うだろ?君も……僕のことを知りたがってる、そういう目をしてる。僕達人間は常に対等な関係じゃないといけない。だったら、ちゃんと知ってもらわないといけないね。僕という、唯一無二の存在をさ」
男はそう言って軽く頷くと、ゆっくりと右手を胸に当て、薄い笑みを浮かべながら宣言する。
「僕は、ゲマトリア所属強欲の権化──」
そこで言葉を一度区切り、風に乗るように名乗った。
「──レグルス・コルニアス」