ゲマトリア所属の強欲の権化   作:ぬこぱんち

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第二章:蹂躙されるアビドス
もう一度あなたに感謝の言葉を


 

 皆は、複数の戦車に轢かれかけたことがあるだろうか。

 

 何も特別な日じゃない。ただ、肥料を買いに出掛けただけ。それなのに、あんな非常識極まる光景に出くわすなど、普通に生きていて起きることだろうか。

 

「あるわけないだろ、そんなこと……!」

 

 そう、普通はあるわけがないのだ。

 

 僕は独りごちるように呟いた。

 

 乾いた声には、怒りとも呆れともつかぬ色が滲んでいた。

 

 この世界、キヴォトスに来て二年余り。不良に銃口を向けられるだとか、喧嘩腰に絡まれるだとか、そんなことは数知れずあった。

 

 けれど、複数の戦車に同時に轢かれかけるような異常事態は、さすがに初めてだった。

 

 そう、戦車だ。しかも複数だ。

 

 考えてみてほしい。無防備な人間一人に、戦車で轢き倒せと叫ぶ連中がどこに存在するのだろうか。

 

 もう一度、声を大にして言ってやってもいい。

 

 ──あるわけがない。そんな常軌を逸したこと、断じて、絶対に。

 

 僕を助けに来てくれたらしい生徒たちも、結局はあの迫り来る戦車を、僕がほんの少し力を振るってぶっ飛ばしただけで、なぜか一斉に銃口を向けてきた。

 

 意味が分からなかった。

 

 僕を助けるために来てくれたのじゃなかったのか。もしくは、快楽を求めて僕を撃つつもりで来たのか。本当にどっちだったのだろうか。

 

 ──結局、黒服が言っていた『先生』と呼ばれる人物が割って入ってくれたおかげで、どうにかその場から逃げるように僕は去れたわけだが。

 

「僕が一体、何をしたって言うんだ……」

 

 胸の内から漏れるようなその呟きは、自嘲にも似ていた。

 

 最近、こんな言葉を口にする機会が、いやに増えた気がする。

 

 それくらい、理不尽な出来事が立て続けに襲いかかってくる。

 

 ……本気で思う。

 

 このままじゃ、そのうちストレスで禿げ上がってしまうのではないか、と。

 

 あのノミ以下でさえ、せいぜい白髪で済んでいるというのに。

 

 僕だけツルッパゲの青年になるだなんて、そんな滑稽な悲劇が許されるとでも思っているのか。

 

 誰だよ、そんな無様なオチを期待してる奴は。ふざけるな。

 

 そんな内心を抱えながら、僕は今日も花たちに向き合っていた。

 

 美しく咲き誇っている花々が、しおれることなく根付くよう慎重に水を与えていく。

 

「買い出しに行くのも一苦労……やっぱりおかしいぞ、この世界……」

 

 小さく呟きながら、ジョウロを傾ける。

 

 だが、握りしめた手は、かすかに震えていた。

 

 自覚がないわけではない。震えている理由も分かっている。

 

 ──複数の戦車が、轟音とともに迫ってきた、あの光景。

 

 ほんの一瞬だけ、ほんのわずかに、心が凍りついた。

 

 強欲の権能を使ってぶっ飛ばした時でさえ、あの恐怖の痕跡は、微かに胸に残っている。

 

 滑稽だろう。

 

 この僕が、誰よりも絶対で、揺るがぬ存在である僕が。

 

 涼しい顔を取り繕いながら、手だけは震えさせているなんて。

 

 世界中探したって、こんな間抜けな存在はそうそういないはずだ。

 

 ──なら、被害に遭わないためにも、通販を使えばいいのでは?

 

 そんなふうに思う者もいるかもしれない。

 

 だが、それも叶わないのだ。

 

 通販を使ったところで、荷物を運んでくる連中に、この場所──僕の聖域の存在を知られることになる。

 

 それだけは絶対に避けなければならない。

 

 ゲマトリアメンバーですら、できるだけ遠ざけたいと願っているのだ。

 

 まして、赤の他人に居場所を知られるなど言語道断だ。

 

 だからこそ、僕自身が買い出しに行くしかない。

 

 例え、戦車に轢かれかけようとも。

 

「これだからキヴォトスは……」

 

 乾いた声で吐き捨てるように呟き、僕はジョウロを片付けた。

 

 水滴を跳ねる花々を一瞥し、ふう、と小さく息を吐く。

 

 ……とりあえず、今日はもう疲れた。

 

 せめて一息つこう。

 

 そう思いながら、僕は静かに紅茶を淹れるためにキッチンへと向かった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 ──場所は、連邦捜査部S.C.H.A.L.E。

 

 それは、キヴォトスにおける数ある組織の中でも特殊な立ち位置にあるものだった。生徒たちによる問題を独自に捜査、解決するために設立された機関であり、正式な連邦生徒会直属の組織だ。

 

 かつてはテロによって崩壊寸前でもあったが、ある一人の人物──先生の活躍によってシャーレは立て直され、今は重要な部活として機能している。

 

 そのシャーレの部室。

 

 そこには、積み上がった書類の山が、デスクを白く覆い尽くしていた。

 

「せ、先生! この書類、どう対応すればいいんでしょうか……?」

 

 淡い水色の髪をもつ少女──梔子ユメが、両手に束ねた書類を抱え、困ったように訴えた。

 

 彼女の水色の髪が、部屋の蛍光灯に淡く輝く。制服の袖をめいっぱいまくり、必死に業務に食らいつこうとしている姿が、痛々しいほどだった。

 

 書類を捌いていた先生は顔を上げると、にこりと微笑みながら答えた。

 

「"ああ、その書類はね──"」

 

 手を止め、ユメの元に歩み寄る。

 

 先生の声は優しく、的確に質問内容に答えてくれる。

 

 この場を仕切っているのは彼だ。

 

 キヴォトスの外から呼び出された異邦人にして、今や連邦捜査部の要。ユメにとっても、頼りになる上司であり、時に優しい兄のような存在だった。

 

 二人きりの静かな事務室に、カタカタというタイピング音と、紙の擦れる音だけが響く。

 

 今日は、手伝いにきてくれる生徒が居ない日のため、この場に居るのは先生とユメ、たった二人だけだった。

 

「ひぃん……今日もこんなに仕事があるなんて聞いてないよぉ……」

 

 ユメが半泣きで言う。

 

 彼女は、かつてアビドス高等学校に通っていた生徒。

 

 卒業後は、連邦生徒会の推薦もあり、シャーレに所属することになった。アビドスの借金を返済するのに手伝うためにも、こうして頑張って働いているのだ。

 

「"よし、一旦休憩しようか!"」

 

 先生が明るく提案する。

 

「そ、そうですね! 休憩を挟まないと、こんな仕事やってられないです。先生、コーヒーを所望します!」

 

 ユメはぱっと顔を輝かせ、ピシッと手を挙げた。

 

 先生は苦笑しながら応じる。

 

「"はいはい、ちょっと待っててね"」

 

 彼は軽やかに立ち上がり、キッチンに置かれたコーヒーメーカーに向かった。

 

 その背中を、ユメはぼんやりと見つめる。

 

 ──そして、ふと、思い出す。

 

 あの日のことを。

 

 乾ききった砂漠。どこまでも広がる金色の世界で、彼女は一人、遭難していた。

 

 足はもつれ、喉は乾ききり、意識も朦朧とする中──現れたのだ。

 

 鋼鉄の悪魔。無慈悲な機械の怪物。あれに襲われた瞬間、ユメは命の終わりを覚悟した。

 

 だが──

 

「……そう、こんな私を助けてくれたんだ」

 

 ユメは先生に聞こえない声でそっと呟く。

 

 あのとき現れたのは、眩しいほどに強い存在だった。

 

 何一つ恐れず、鋼の怪物を粉砕した救世主。

 

『ゲマトリア所属強欲の権化、レグルス・コルニアス』

 

 彼はそう名乗った。

 

 凛として、毅然として、けれど何処か哀しげな瞳をしていた。

 

 助けられた直後、彼はすぐに去ってしまった。自分の名前しか言い残さずに、こちらに背を向けて去っていった。ユメはその背中を未だに覚えている。

 

 その後、ホシノ──大切な子であり、後輩である彼女に救助され、無事帰還できた。

 

 ホシノはユメに烈火のごとく怒った。

 

 叱られながらも、心配してくれるホシノが嬉しくて、ユメは涙ぐみながら抱きついた。

 

 そして、助けてくれた人物の名を伝えた時──

 

『ゲマトリア……?』

 

 ホシノは、鋭い目を一瞬だけ光らせた。

 

 けれどユメは、ホシノのその表情に深くは気づかなかった。ただ無事に帰れた安堵でいっぱいだったから。

 

 ──そして今、ユメはこうして働いている。

 

 借金を背負ったアビドスのため、自分を救ってくれた人に恥じぬように。

 

 すべては、あの日の出会いがあったからだ。あの出会いがなければ、ユメはこうしてここには居ない。

 

「"はい、ユメ。お待たせ"」

 

 先生が笑いながら、コーヒーのカップを差し出してきた。ユメはぱっと顔を上げる。

 

「ありがとうございます!」

 

 差し出してくれたそれに手を伸ばし、受け取る。

 

 そして、熱いコーヒーを一口。苦味と香ばしさが広がり、ユメの緊張をほぐしてくれる。

 

「はぁ……」

 

 自然と、ため息が漏れる。

 

 そして、思わずユメは愚痴も零してしまう。

 

「先生がシャーレを奪還してから、こんなに私の仕事が増えるなんて……聞いてませんよぉ……」

 

 ユメは、がっくりとうなだれる。

 

 先生は苦笑しながら、同じくコーヒーを一口含む。

 

 彼の目の下には、深い隈が浮かんでいた。

 

 ──先生も、無理をしているのだろう。それがユメには痛いほど分かる。しっかりと寝れているのだろうか……またベッドに強制連行しないといけないのかもしれない。

 

「"あっ、シャーレ奪還の時といえばね"」

 

 ふと、先生が思い出したように口を開いた。

 

「"その時に私達を助けてくれたすごい人に出会ってさ"」

 

 コーヒーカップをテーブルに置きながら、ぽつりと言う。

 

「すごい人、ですか?」

 

 ユメは首を傾げながら復唱する。

 

 ユメの疑問に、先生は頷きながら答えた。

 

「"うん、複数の戦車を何もしないで一気に吹っ飛ばした人でさ"」

 

「──ほへ?」

 

 それは人ではなくてもはや怪物ではないだろうか。と、ユメは内心で思う。常識の枠組みからはるかに離れた暴挙に、思わず素っ頓狂な声が出てしまう。

 

 そんなユメをおいて、先生は笑いながら続けた。

 

「"確か……"」

 

 そして、ユメにとって、あまりに衝撃的な名前を口にした。

 

『ゲマトリア所属強欲の権化、レグルス・コルニアス』

 

「"って、言ってたかな?"」

 

 先生はコーヒーを啜りながら、何気なく口にした。

 

「──」

 

 ユメは、完全に言葉を失った。

 

 心臓がどくんと大きく跳ねる。

 

 握ったカップから、熱が逃げていくのも忘れ、ただ目を見開いたまま、先生を見つめていた。

 

 そんなユメを見て疑問に思ったのか、先生は少しだけ首をかしげて、優しく声をかけた。

 

「"ユメ?どうかした?"」

 

 柔らかな問いかけに、ユメは一瞬、はっと顔を上げた。

 

 目の奥で揺れる戸惑いを、なんとか振り払うように、慌てて笑顔を作る。

 

「……っ!いえ、何でもありませんよ!?」

 

 言葉が震えそうになるのを、必死に隠しながら。

 

 それから、手にしたカップを持ち上げ、冷めかけたコーヒーを口に含んだ。

 

 ──苦い。

 

 けれど、それが今はありがたかった。

 

 熱でも冷たさでもない、ただ確かな味が、混乱した心に小さな錨を下ろしてくれる。

 

 ふう、と小さく息をつきながら、ユメは目を細めた。

 

 そして、静かに思う。

 

 ──そっか。

 

 あなたはこうしてまた、人を助けてくれたんですね。

 

 さりげなく、何気なく。

 

 けれど、誰よりも確かにそう思う。

 

 先生は、いつもの変わらない微笑みをユメに向けている。

 

 それを見たユメは、あの日見た背中の面影を重ねる。

 

 ──二年前。

 

 あの日ユメは、絶望の中で彼と出会った。

 

 でも、そんな絶望の中、彼は荒れ狂った砂漠ごと希望に満ちた色に塗り替えてくれた。

 

 しかしそれ以来、ユメは彼に二度と会うことはなかった。

 

 姿も声も、記憶の中でしか追えない。

 

 けれど、こうして先生が、彼と邂逅を果たしてくれたのなら。

 

 ──きっと、またどこかで必ず会える。

 

 そんな予感が、ユメの胸にそっと灯る。

 

 ふと目を落とすと、カップから立ち上る細い煙が、くるりと空気をなぞっていた。

 

 その柔らかな流れを見つめながら、ユメは誰にも聞こえないように、小さく囁く。

 

「……もしも、またあなたに出会えたのなら……」

 

 言葉に、ほんの少しだけ、祈りを込めて微笑む。

 

 ──もう一度、あなたに。

 

「もう一度あなたに、感謝の言葉を贈らせてください」

 

 煙は、静かに天井へと昇っていく。

 

 ユメの胸に広がる温かな願いを、そっと運ぶかのように。

 

 コーヒーの苦みと、心の中の優しい温度が、静かに溶け合っていった。

 

 

 

 

 

 ◆ 

 

 

 

 

 

「──やっぱり、夜は良いものだよね。何が良いって、まず第一に、朝や昼みたいに無駄に賑やかで騒がしい連中がいないってことが挙げられる。不良たちが徒党を組んで奇声を上げながら走り回っているわけでもないし、戦車が道を踏み潰してる光景もない。つまり、こうして静かに落ち着いて、僕の品位を保ったまま散歩するにはまさしくもってこいだってわけだよね」

 

 戦車轢殺未遂──そんな笑えない事件から、数週間が経った。

 

 僕は今、静かになった夜の街をひとり歩いていた。

 

 ──朝や昼は、そこら中で爆発が起きている。

 

 何がどうなってるんだか、至るところで火花が上がり、煙が立ち、怒号と悲鳴が交錯する。

 

 でも夜になると、それが嘘のように静まり返る。

 

 だからこそ、僕はこうして堂々と、何者にも邪魔されることなく歩くことができる。誰に絡まれることもない、無駄に自己主張してくる輩もいない。

 

 ──だから自然と、僕は夜の方が好きになっていた。

 

 ふと、風が吹き抜ける。

 

 どこか心地良いと感じる夜風に目を細めながら、ふと目の端に、違和感を覚えた。

 

 この静かな夜にはあまりにも似つかわしくない、ぽつんと灯る明かりが、遠くに見えたのだ。

 

 まるで引き寄せられるように、僕はその明かりへと足を向けた。

 

 近付いてみると──そこには、妙に貫禄のある犬の看板が掲げられていた。

 

「……柴関ラーメン?」

 

 看板を見上げながら、僕はぽつりと呟いた。

 

 ──そういえば。

 

 この世界に来てからというもの、ラーメンなんてものを一度も口にしていなかった気がする。

 

 もともと興味はあった。

 

 この世界での本格的なラーメンというやつを、一度は食べてみたいと思っていた。

 

 それが、まさかこんな場末の街角にひっそりと存在しているとは。

 

 ……ふむ。

 

「僕がラーメンを啜ってる姿?──いやいや、そんなの想像できるわけがないよ。そんな俗っぽい真似をする僕なんて、ちょっと見苦しくて冗談にもならないよね──でも、たまには庶民みたいに啜ってみるのも、その連中の気持ちが分かるかもしれないからね。この僕が直々に食べてあげよう」

 

 ラーメンの欲望に抗うことは出来ず。

 

 そう独りごちた僕は、迷うことなく店の戸を開けた。

 

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