ゲマトリア所属の強欲の権化   作:ぬこぱんち

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不法侵入

 

 彼女の傍には、襲撃された際に落ちてしまったであろう学生証が転がっていた。

 

 風に吹かれて地面を滑る前に、それを拾い上げて確認したところ……

 

「アビドス高等学校──黒見セリカ?」

 

 僕は呟くようにそう口にしながら、目の前で倒れている少女に視線を落とした。

 

 まさか、柴関ラーメンで働いていた彼女が、アビドスの生徒だったとは。

 

 ──アビドスといえば、真っ先に思い浮かぶのは借金事情だ。

 

 二年前に、黒服から一度だけ詳しい話を聞かされたきり、それ以降は特に耳にしていない。

 

 ……今は、どうなっているのだろうか。

 

 少しだけ気にはなるが、僕が思い悩んだところで現状はどうしようもない。

 

 それより問題は、目の前で気を失っている生徒……セリカをどうするか、だ。

 

 当然だが、彼女の自宅の場所など知る由もないし、仮に知っていたとしても、無断で侵入すれば不法侵入で訴えられてしまう。

 

 僕は何もしていないのに、捕まるなんて冗談じゃない。

 

 ──ならば、行き先は一つしかない。

 

「アビドス高校、だよねえ」

 

 そう小さく呟き、僕はセリカの身体を抱きかかえる。

 

 そして、脚に力を込めて地を蹴った。

 

 その瞬間、風が割れ、視界が一気に開ける。

 

 僕は、空へ、空へと跳躍する。

 

 そうして、どこまでも登っていく。ビルの屋上すらも遠ざかり、街の光が小さくなっていく。そして──

 

「──っと、ここぐらいで充分だよね」

 

 僕は途中でぴたりと動きを止め、その場に着地したかのように空に立った。

 

 ──その場の風も空気も停止させることで、まるで見えない足場があるかのようにして。

 

「あのノミ以下は、せいぜい浮くぐらいしかできなかったかもしれないけど、僕みたいに否応なく権能を馴染ませた存在なら、このような行為ですら造作もないのさ」

 

 口元を歪め、誰に語るともなく呟く。

 

 それは優越でも自慢でもない。ただ、現実として在る力の確認だ。改めて、この権能はチート過ぎると実感する。

 

 セリカをしっかりと抱き直しながら、僕はゆっくりと歩を進めた。空の上を、まるで地上の道を歩くかのように。

 

 ──本当は、いっそこの肉体を世界から切り離して、どこへでも瞬時に飛び回りながら探したいところだ。

 

 けれど、それは制御が難しいし、何より僕自身が怖い。

 

 実際、キヴォトスに来た直後に一度だけその機会があったのだが、廃墟に突っ込んで盛大に粉砕してしまった記憶がある。正直怖かったから、出来れば二度とやりたくない。

 

「さて……出来れば通報される前に、さっさとこの子を手放したいところなんだけど……ん?」

 

 僕の視界の端に明かりが見えた。

 

 そちらの方向を見下ろすと、校舎らしき建物が見えた。 おそらく、あれがアビドス高校だろう。

 

「──やっぱり、地面を這いずり回って探し物をするなんて、実に非効率的だ。僕のように空を優雅に歩きながら探す方が、遥かに理にかなっている行為だと思うんだよね……まあ、地べたに這いつくばって泥にまみれる勢いで時間をかけて探すのも、それはそれで見つけた時の喜びは段違いなんだろうけどさ」

 

 誰に向けて言うのでもなく、嘲笑うように言いながら、僕は足元に集中する。

 

 意を決して、少しずつ下降を始めた。

 

 空を裂いて落ちるその瞬間、俺はそっと足元の空気の時間を止める。

 

 バカみたいな話だが、これをしないと真っ逆さまに落ちる挙げ句、校舎を突き破って地面にめり込む羽目になる。僕の身体は今、あらゆる影響を拒絶する絶対不変の状態。

 

 物理法則を無視して存在し続ける異常性ゆえに、慣性すら暴力に変わる。自由落下などすれば、着地と同時に地面そのものが悲鳴を上げるだろう。

 

 なんなら、精神的に僕の方が悲鳴を上げるかもしれない。

 

「……っと、まあ、僕からすれば何も問題はないんだけどさ」

 

 そんなことを言いながら、校舎の屋上に着地する。

 

 そのまま周囲を見渡すと、校舎の中に続くであろう扉が視界に入った。

 

 その扉に近づき、ドアノブに手をかける。

 

「開いてる……」

 

 なんと、呆気なく開いてしまった。おそらくだが、ここの生徒が鍵をかけるのを忘れてしまったのかもしれない。

 

「全く、とてもじゃないけど信じられないね。本当に呆れ果てるよ。鍵もかけず、警戒もせず、これじゃあ『どうぞ入ってきてください』って全身で叫んでいるようなものじゃないか……まあ、僕としてはおかげで何の苦労もせずに入れたから、感謝はしてあげるよ。でも、次からは徹底してほしいものだね」

 

 なんてことを言いながら、セリカを抱えたまま、校舎の中へと足を踏み入れる。

 

 こうして僕は、人気のない夜の校舎を歩いていく。

 

 ──真夜中の学校というのは、昼間とはまるで別の顔を見せる。

 

 蛍光灯の光すら届かない廊下には、月明かりが淡く差し込んでいて、まるで幻想の世界にでも迷い込んだような錯覚すら覚えてしまう。

 

 だが、そんな幻想的な雰囲気の中でも、僕の目的は変わらない。

 

 セリカを安全な場所に運ぶこと。ただそれだけだ。

 

 万が一、アビドスの生徒たちがまだ残っていた場合に備えて、僕は足元の空気のそのものを停止させている。

 

 発する音の振動が空気を通して伝わらないように、僕の周囲の空気分子を静止しているのだ。これで僕の足音や衣擦れの音は、誰の耳にも届かない。音という概念が、僕の周囲から消え去っている状態だ。

 

「まあ、別にやましいことはないんだけどさ。あくまで僕は怪我人を運んでいるだけだからね。気を遣って静かに歩いているんだから、僕が校舎を歩き回るのは当然の権利だ」

 

 そう、自分に言い聞かせるように呟いた。

 

 とはいえ、真夜中に女生徒を抱えて廊下を歩くという行動は、傍から見ればあまりにも怪しすぎる。

 

 だが、僕はそれを無視して静かに夜の廊下を進んでいく。

 

 職員室、音楽室、理科室……どこもかつて僕が前世で通っていた雰囲気とほぼ同じだ。

 

 懐かしさが胸を締めつける。どういうわけか、時間の感覚が狂ってしまいそうになる。

 

 そんな中、ふと足を止める。目の前にあった扉の表札に、僕は目を向けた。

 

「……着いた」

 

 小さく呟いた声が、僕自身にも聞こえないほどに抑えられていた。そこには『保健室』と書かれていた。

 

 ──僕が目指していた場所だ。

 

 あの固いアスファルトの上でこの子を寝かせたままにしておくのは、いくらなんでも薄情というものだ。少しでも快適な場所で休ませてあげたい、これは僕による僕だけの、ただそれだけの善意だ。

 

「全く、いったい僕はあと何回善行を積むことになるんだろうね……」

 

 そう呟いて、自分の行動を肯定するようにうんうんと頷く。

 

 誰もいない廊下で、自分を褒めるという行為は滑稽かもしれない。けれど、今の僕に必要なのは、そういったほんの少しの自己肯定だった。

 

 僕は静かに扉を開ける。

 

 保健室特有の薬品の匂いが、鼻をくすぐった。消毒液や湿布、古びた包帯の香りが混ざったあの独特の匂い。誰もいない空間が、ひどく静かで落ち着いている。

 

「──さて、さっさとこの子を解放してあげよう」

 

 電気はつけず、暗がりの中を慎重に歩く。

 

 目が慣れてくると、ベッドの輪郭がはっきりと見えてきた。僕はセリカをそっとそこに寝かせ、近くにあった毛布をかけてやる。彼女は眠っているように静かで、その顔には少し安堵の色すら見えた。

 

「うんうん、これで僕の仕事は終わりだね」

 

 満足げに呟いたが、ふとその動きを止める。

 

 ……本当なら、彼女の傷の手当てまでしてあげたい。でも僕は──ここ数年、自分の身体に傷一つ負ったことがない。

 

 だから、応急処置すら知らないのだ。治療する行為そのものが、夢のまた夢。

 

 だから僕は、医療知識は皆無に等しい。

 

「……でも、僕がここまで運んだんだから、後はここの誰かに任せよう。これこそ、善行の分業ってやつだと思うんだよね」

 

 そう納得して、僕は保健室を後にしようと扉に手をかけた。

 

 ──そのときだった。

 

「──先生、どうやって見つけるの?」

 

 少女の声が、すぐ隣の教室から聞こえてきた。

 

 間もなく、パチンという音とともに明かりが点いた。ドアの隙間から、その光が保健室の中に漏れ込み、僕の視界にも届いた。

 

 ……こんな時間に、まだ誰かいたのか……?

 

 僕は内心でそう呟いた。

 

 とっくに誰もいないと思っていた。まさか、こんな夜更けに校内をうろついている人物がいるとは。

 

「"私が持ってる権限をフル活用して、連邦生徒会が管理するセントラルネットワークにアクセスした後、そこから特定するのさ"」

 

 今度は男の声だ。

 

 ──その声に、僕は耳を疑った。あの声は……まさか。

 

「何で先生がここに……!?」

 

 彼はシャーレとやらの場所で仕事をしているのじゃなかったのだろうか。まさかアビドスに居るとは……

 

 僕がそう驚愕していると、少女がまた口を開く。

 

「……うへー、それ、バレたら始末書じゃない?」

 

「"大丈夫だよ、セリカの安全のためなら。これぐらい、大人の私がやらないとね"」

 

 先生の声には確かな信念があった。そして、それは同時に僕がここにいる理由と重なっていた。

 

 なるほど、先生も同じように、セリカを気にかけているのか。

 

 さすがは先生。と、納得していると……そこで僕は遅れて気付いた。

 

 ──ちょっと待て。セリカって、まさか……黒見セリカのことを言っているんじゃ……?

 

 思考が追いつく前に、先生の声が重なった。

 

「"えーと、セリカの端末の位置は……隣の保健室!?"」

 

 その瞬間、僕の背中に冷や汗が伝った。

 

 ──君達、僕はいま非常にまずい状況かもしれない。

 

 そう悟った瞬間、即座に行動を切り替える。

 

 僕は身を翻し、廊下ではなく窓の方へと向かった。

 

 個人の家なら、他に人が居ないからすぐに逃げなくても大丈夫かもしれない。

 

 しかし、ここは学校だ。彼ら以外にも複数人がこの学校に居る可能性がある。つまり、不法侵入がバレやすく、バレれば即アウトだ。

 

 ──ただ、今ならまだ逃げ切れるはずだ。

 

「なあに、僕はこういうこともほんの少しだけ視野に入れていたのさ!」

 

 自分にそう言い聞かせながら、窓を音もなく開ける。夜風が、頬を優しく撫でた。

 

 ドタドタと、二人分の足音がこちらに向かってくる。

 

 ──時間がない。

 

 だから僕は、小声で言った。

 

「肉体を一瞬だけ世界から完全に切り離した瞬間、空気を蹴ってこの場から離脱する……!」

 

 その瞬間、世界が歪んだような錯覚に陥った。

 

 一瞬だけ、すべてが静止したように感じられた。

 

 僕は宙を駆ける。風を裂き、空気を蹴り、音速を超える勢いで。

 

「──あああああぁぁぁァァァ!!?」

 

 その瞬間、目の前が真っ白になり、視界がぐるりと回った。あまりの速さに脳が耐えれない錯覚に陥り、意識が遠のきかけているはずなのに、身体は停止させているゆえに気絶することも出来ない。

 

 どこか失神寸前の状態で、僕はアビドス高校から華麗に、そして派手に離脱したのだった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 保健室の扉が勢いよく開かれた。

 

 その先にあったのは、白いカーテンの向こう側にあるベッド。そして、そこで静かに横たわっていたのは、二人にとって大事な後輩であり、大事な生徒である───黒見セリカだった。

 

「"セリカ!"」

 

 先生が駆け寄るように声を上げる。横にいた少女、ホシノもセリカの姿を認めた瞬間、瞳を大きく見開いた。

 

「セリカちゃん!」

 

 ホシノはすぐにセリカのもとへ駆け寄る。セリカの頬には擦り傷があり、血が乾いて小さな痂皮となって残っていた。

 

 ──やっぱり、何かあったんだ。

 

 二人の心に、同じような直感がよぎる。

 

「"私は皆をここに連れてくる。あと、私の万能医療キットも持ってくるよ。ホシノは、セリカのことを見ていてくれるかい?"」

 

 先生が真剣な目でホシノに言った。

 

「もちろんだよー、先生」

 

 いつも通り軽い調子で答えたホシノだが、その声の奥には確かな決意が宿っていた。

 

 先生はその言葉に頷き、速い足取りで保健室を後にする。彼がいなくなった静かな室内に、かすかな唸り声が響いた。

 

「う……うーん……」

 

 セリカが目を覚ました。

 

 うっすらと瞼を開き、周囲をぼんやりと見渡す彼女は、まるで夢の中にいるように目を瞬かせた。

 

「あれ、ここは……?」

 

「──セリカちゃん、大丈夫?」

 

 ホシノがそっとベッドの傍にしゃがみ込み、優しい声をかける。セリカはその声に反応し、ぼんやりとホシノの顔を見つめる。

 

「あ、あれ……ホシノ先輩……?」

 

 セリカの声はか細く、震えていた。

 

 ホシノはその様子に胸を締めつけられるような感覚を覚えたが、それを顔に出すことはしなかった。

 

「セリカちゃん、一体何があったのか、言えるかな?」

 

 慎重に、だが真剣な声音で問いかけるホシノ。その口調には気遣いと、怒りを抑えるような気配が滲んでいた。

 

「……えっと、確か、柴関ラーメンのバイトを終えて……その帰り道で……そ、そう!私、カタカタヘルメット団に襲われたの!」

 

 思い出したようにセリカが叫ぶと同時に、勢いよく上体を起こした。その瞬間、彼女の顔が苦痛に歪む。

 

「っ……!」

 

「セリカちゃん、落ち着いて。興奮したら痛んじゃうよ~?」

 

 ホシノが穏やかに制止すると、セリカは小さく頷いた。

 

「う、うん……」

 

 ホシノの視線は、セリカの傷へと向けられた。その奥で、怒りの感情が静かに燃えている。

 

 ──また、カタカタヘルメット団……

 

 拳を握りしめたホシノだったが、それはセリカには見えなかった。

 

「……にしても、おじさん驚いちゃったよー。セリカちゃんの帰りが遅いから、先生が持つ権限を使って居場所を特定したら、保健室で寝てるなんてね~」

 

「……え!?居場所を特定!?やっぱり先生ってストーカーだったの!?」

 

 セリカが驚きの声を上げるが、ホシノはそれには応えず、真剣な顔に戻った。

 

「……でもさ、セリカちゃん。こんなに傷を負わされて、よくここまで帰ってこれたね。いったいどうやって帰ってきたのかなー?」

 

 その一言に、セリカは首を傾げた。

 

「……それがね、ホシノ先輩。私、どうやってここまで来たか覚えてないのよ」

 

「……まさか、無意識でここまで逃げてきたってことかな?」

 

 冗談のように言いつつも、ホシノの声はわずかに揺れていた。

 

「それが、カタカタヘルメット団に襲われた時に気絶させられちゃって……その場所も、学校からかなり遠かったはずだから、それはあり得ない……あっ、でも」

 

 セリカは言葉を止め、少しだけ目を細めた。

 

「私が一瞬だけ目を覚ました時があって……その時に、誰かが私のことを抱えていた気がしたの」

 

「誰かが……?」

 

「──うん。まあ、はっきりと覚えてないけどね」

 

「…………そっか」

 

 ホシノはうなずきつつも、内心では考えていた。

 

 ──うちのセリカちゃんを助けてくれたってこと……?でも、それは一体誰が……?

 

 その時、ふと視線の端に違和感を覚える。

 

 いつもと変わらないはずの保健室のはずだ。

 

 だが、そこにある異常が彼女の目に飛び込んできた。

 

 ──窓が、開いていたのだ。

 

「──」

 

 ありえない。

 

 特に、窓が開いていることは絶対にありえない。

 

 ホシノたちは、日頃から戸締まりを徹底している。特にカタカタヘルメット団の襲撃が始まってからは、校舎内のあらゆる出入口を見直し、窓も常に施錠していたはずだ。

 

 それなのに今、そこにある窓は無防備に外気を取り入れていた。

 

「……」

 

 ホシノは黙ってその窓を見つめる。吹き込んでくる風が、白いカーテンをひらりと揺らす。

 

 一方、セリカは気付かないまま、まだ首を傾げていた。

 

 そんなセリカをよそに、ホシノは瞳を細めたまま、訝しげに開いた窓を見つめていた。

 




いつもご愛読ありがとうございます!
また、誤字報告等も非常に助かっています!
未だに誤字、脱字があることに恥ずかしさを覚えます……
無くしていきたいですが、中々気付かないものですね……
絶対に許さないぞレグルス・コルニアス。
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