砕けたコンクリート片が宙を舞い、空気が粉塵に包まれる。その隙間から、乾いた靴の音が複数重なって近づいてくる。複数人が、銀行内へと足を踏み入れたようだ。
続けて、何発かの銃声が銀行内に響き渡る。キヴォトスでは珍しくもないその音。しかし、目の前でそれが鳴り響いた瞬間、客の顔から血の気が引いていく。
直後、停電していた電気がぱちぱちと音を立てながら再起動し、天井の照明がまばゆく灯った。フリッカーを繰り返しながら、ようやく銀行の全貌を再び明らかにする。
そこにいたのは、明らかに只者ではない五人の少女たちだった。
「──全員、武器を捨てて、その場に伏せて!」
水色の覆面を被った少女、シロコがそう命じる。低く、冷静で、それでいて拒否を許さない声音。
「銀行強盗……!?」
「まじか……!?」
あちこちから悲鳴が漏れ始める。恐怖と混乱、そして理解の追いつかない現状への拒絶。治安が悪いとはいえ、この場所が突如として戦場のように変貌するなど、誰も想像していなかった。
「言うこと聞かないと、痛い目にあいますよ☆」
ノノミが笑顔で告げる。明るく無邪気なその言葉は、かえって銀行客の恐怖心を増幅させた。
しかし、彼女が気づくことはない。
すでに、身体の負傷などは一切していないが、精神的に痛い目に遭ってしまっている人物が一人居るという事実に。
「え、えっと……! み、みなさん怪我をされないように、大人しく伏せててくださいね……!」
ヒフミがそうたどたどしく呼びかける。
その声は必死で、彼女なりの配慮が滲んでいる。
──だが、怪我はしていなくとも、大人しく伏せることすらできない人物が一人居ることに、覆面を被った生徒たちは誰一人として気付かない。
「非常事態発生! 非常事態発生!」
カウンターで叫んだのは、銀行捜査官だった。震える手で、非常用の武器へと手を伸ばす。
その動きに反応するように、セリカが構えた銃を一発、静かに放った。
銃弾は正確に狙いを捉え、手元の寸前に着弾。弾かれた武器は床に転がり、届かぬ距離へと遠ざかっていく。
「武器は捨ててって聞こえなかった? 外部に通報される警備システムは、こちらの手によって落としてあるのよ。いいから、大人しくしてなさい!」
冷たく言い放つセリカの声に、捜査官は言葉を失い、その場に崩れ落ち、大人しく伏せることに。
「さ~て、ここまでは計画通り。次のステップに進もうかね!」
ホシノが元気よくそう言った。明るく、屈託のないその調子は、まるでピクニックの続きを宣言するかのようだった。
「さあ、リーダーのファウストさん、指示をよろしくぅ!」
そう言ってホシノが振り返ると、ヒフミは目を丸くして自分を指差した。
「え……ええ!? り、リーダーって私ですか!?」
「もっちろん!」
ホシノはサムズアップで満面の笑みを返す。
「ヒフミさ……いえ、ファウストさんがリーダーです。ボスです!ちなみに私は──」
ノノミはくるりと一回転し、軽やかにポーズを決めた。
「クリスティーナだお♧」
次の瞬間、それに反応するかのように、奥で崩れたままになっていた瓦礫の山が、内部から何かに押し上げられるように爆ぜた。
「うわあー!?」
「今度はなに!?」
──今度は壁ではなく、瓦礫の山が突如として爆ぜたのだ。激しく舞い上がった粉塵が視界を白く覆い、辺りは一瞬にして何も見えなくなった。あまりの轟音に、行員や一般客の中からも悲鳴が漏れる。
「えっ!?な、何でまた爆発したんですかっ!?」
ヒフミが声を張り上げた。目を細めても、前方は白く霞んでいて何も見えない。咄嗟に銃口をそちらに向けながらも、誰もが動けずにいた。
「……ん、私たちの増援?」
シロコが目を凝らしながら、つぶやくように言う。
「そんなわけないでしょ!」
セリカがすかさず突っ込んだ。
「うへ~……目的さえ達成できればそれでいいから、できれば大人しくしててほしいんだけどなぁ」
ホシノは呑気そうに言いながらも、周囲への警戒は解かない。全員がそれぞれ、粉塵が渦巻く先を注視していた。
やがて、時間とともに舞い上がった白煙は少しずつ晴れていく。薄明かりが差し込み、瓦礫の影がぼんやりと輪郭を取り戻すその瞬間。
ぶわっ、と風が吹いたように、粉塵が一瞬で消え去った。
『っ!?』
全員が思わず身を強張らせ、反射的に銃口を向ける。不可解な現象に、場の空気が一気に張り詰めた。
そこに、ゆっくりと歩を進める一人の人物が現れる。灰をまとった瓦礫の間から、その人物の姿は次第に明確になっていった。
白髪であり、中肉中背の青年。
だが、その表情はひどく不機嫌だった。
確実に苛立っているようで、彼の足取りからも怒りが滲み出ている。
「あのさあ!『クリスティーナだお♧』って、自分の名前をおふざけ気味に名乗るのは自由だし、ポーズ決めるのも勝手にすればいい。それも誰もが持つ一つの権利だからね。でもさあ、その前に一つやるべきことがあると思うんだよね。一人の人間を吹っ飛ばしたことを、どうして謝罪もせずスルーできるのかな?君達の中では、暴力ってそんなに軽いものなのかなあ!?」
彼の声は、どこか芝居がかった調子だったが、その内容は明らかに本気の怒りを孕んでいた。
「えっ!?あの人って……!」
その聞き覚えがある声と容姿に、セリカが驚いたように目を見開いた。
「……もしかして、セリカちゃんのお知り合いですか?」
ノノミがセリカにそっと尋ねる。
「少し前にね、『柴関ラーメン』を食べに来てくれたお客さんよ……話し方がどこか印象的だったから、忘れるはずもないわ……!」
そんな二人の小声でのやり取りをよそに、彼は頭を押さえながら続けて言う。
「僕はただでさえ機嫌が悪かったんだ。それなのに、何の前触れもなく身体ごと吹っ飛ばすなんて、どう責任取るつもりなのかな?まさか、『冗談だった』とか言うんじゃないだろうね?僕はね、自分に向けられた悪意も、軽率な行動も、一つ残らず見逃せない性質なんだよね」
彼はじろりと彼女たちを見回すと、あきれたように肩をすくめた。
「──君たちさ、見たところ銀行強盗ってやつだよね?まあ、それについて僕がとやかく言うつもりはないよ。正直、この銀行は襲われても自業自得って感じだしね。対応は遅いし、設備はガタガタ、おまけに客への態度も最悪。こういう場所って、いつ襲われても不思議じゃないって思ってたし、むしろ『ついに来てしまったか』っていう感想しかないんだよね。だからさ、好きにやれば良い。僕には関係ないし、興味もないからね」
彼はそう言ってため息をつき、だが目だけは鋭く彼女らに向けられていた。
「でもさ。銀行強盗って、僕の考えでは金と達成感を得るためのものだと思っている。そこに『周囲の一般人を巻き込まない』っていう暗黙のルールがあるはずなんだよね。それなのに、僕というか弱い市民を巻き込んで精神的苦痛まで負わさせて……君たち、相応の覚悟は出来ているんだろうね?」
そう言って、彼は両手を軽く前に向けた。
ただそれだけなのに、その怒りに何故かものすごく嫌な予感がしたヒフミが、飛び上がらんばかりに慌てて謝った。
「す、すみません!巻き込んでしまって、ほんとうにすみません!」
彼はヒフミのその姿を見て、前に向けていた両手をおもむろに下げて後ろに組み、満足そうに頷いた。
「──うんうん、そこの君は実に良い子だ。吹っ飛ばした直後に謝罪しなかったとか、周りの彼女らもすぐに謝罪しなかったとか、減点対象は山ほどあるんだけどさ。今回は君に免じて、特別に見逃してあげよう。僕は慈悲深い男だからね」
「え、えーと……ありがとう、ございます?」
ヒフミが戸惑いながらもお礼を述べる。
そんなヒフミを見て彼は微笑んだ。
「自分の非を認めて素直に謝れる人間ってね、実は思いのほか少ないんだよね。そういう点で、指摘してすぐに謝れるってのは、君が立派な人間だという証拠だ。胸を張って誇るといい」
そして彼は、ヒフミ以外のメンバーに軽く視線を走らせ、再び手を後ろに組むと、淡々とした口調で言い放つ。
「さて、そこの紙袋を被った子に免じて、君たちの非礼も許そう。僕は寛大だからね。一つの出来事にいちいち執着するような脳みそはしていないんだ」
だが、銀行強盗集団──通称『覆面水着団』は困惑していた。なぜなら、彼女らは未だ目的を達成していなかったからだ。
カイザーローン銀行の職員が署名した『集金記録』を回収するという本来のミッションは、まだ果たせていない。だが、この空気の中でそれを再び言い出す勇気は、誰にもなかった。
そんな空気を察したかのように、彼が口を開いた。
「さて……君たちは、何を所望しているのかな?」
「──え?」
その問いに、シロコは戸惑いを隠せずにいた。
静まり返った銀行内に、再び彼の低く穏やかな声が響いた。
「そこの紙袋の子が素直に謝ったのは認めよう。それ自体は評価に値するし、他の愚か者たちよりはずっとマシだ。でもね、勘違いしないでほしいんだ。この僕を吹き飛ばした……その取り返しのつかない事実は、何一つ変わらないんだよね」
彼は佇んだまま淡い微笑を浮かべる。
周囲の空気は張り詰め、先ほどまでの狂騒が嘘のように静まり返っている。
「僕はね、基本的に争いごとは苦手なんだよね。面倒だし、何より僕の美学に合わない。だからさ、君たちにはできれば早々にこの場から立ち去ってほしいって思っている。だけど、君たちにも目的があるんだよね?このどうしようもなく無様な銀行に、わざわざ干渉してまで成し遂げたい理由がさ?」
彼は肩をすくめながら、淡々と語った。
「さあ、もう一度だけ聞くよ。君たちは、いったい何を所望しているのかな?」
その言葉に、シロコは身を強ばらせた。
再度怒らせれば、自分たちも危うい。
彼の放つ威圧に、全身の皮膚が粟立つ。
「え、えっと……」
シロコは意を決し、絞り出すように言った。
「少し前に到着した……現金輸送車の、集金記録を……」
その瞬間、彼は小さく頷き、近くに控えていた銀行捜査官に視線を向けた。
「君、聞いていたよね?あの子が言っていた集金記録とやらを、早く渡してあげなよ」
軽く笑うように言ったその口調には、どこか冷ややかな光があった。
「えっ!?し、しかし……」
捜査官は躊躇いの色を隠せなかった。
当然だ。機密情報を簡単に渡せるはずがない。
だが、その反応を見て彼の声色がわずかに変わった。
「──僕がここまで我慢していたのは、心の広さと余裕のおかげだ。でも、優しい僕にだって限度ってものがあるんだからさあ」
彼は静かに、しかし確実に手をかざした。
「君とこの銀行のすべてを、この手で終わらせてしまうかもしれないね?」
──刹那、空気が震えた。
捜査官はその場に崩れ落ち、絶叫した。
「わ、分かりましたっ!なんでも渡します!集金記録も、現金も、債券も、金塊も!いくらでも持っていってくださいぃぃ!!」
彼は近くにあった金庫から書類や現金を引っ掴み、手当たり次第にシロコのバッグへと詰め込んだ。そして命惜しさに、悲鳴を上げながらその場を逃げるように去っていく。
「……!?これ、集金記録だけじゃない……現金まで──」
バッグの中を覗いたシロコは、目を見開いた。重量感と共に詰め込まれたそれらの価値に、思わず絶句してしまう。
「シロ……い、いや、ブルー先輩!目的のブツは入れられた!?」
突然、横からセリカの声が飛んできた。シロコは一瞬戸惑いながらも、小さく頷いた。
「う、うん……」
「それじゃあ、全員撤収よ!……それと、巻き込んでしまってごめんなさい!」
セリカは、柴関ラーメンを食べてくれた彼に向かって深く頭を下げると、破壊された壁の隙間から素早く姿を消した。
「それではみなさん、アディオ~ス☆……吹き飛ばすような真似してごめんなさ~い!」
ノノミはひらひらと手を振ったかと思うと、勢いよく彼に向かって頭を下げ、セリカに続いて離脱した。
「本当にすみませんでしたっ!さよならっ!!」
「ん……ごめんなさい」
ヒフミとシロコもそれぞれ短く謝罪し、その場を離脱した。
──しかし。
その中でただ一人、ホシノだけは動かず、彼をじっと見据えていた。
その視線に気づいた彼が、怪訝な表情をしながら首を傾げる。
「……君は、あの子たちと一緒に行かないのかな?それとも……まだ僕に何か用があるとでも言うのかな?」
問いかけに対して、ホシノはゆっくりと口を開いた。
「あなたは──」
その言葉を最後まで告げることはできなかった。突如、銀行内に怒声が響き渡ったからだ。
「──や、やつらを捕らえろ!!道路を封鎖!マーケットガードに通報だ!絶対に一人も逃すな!まずは、そこのピンクの覆面を被った奴を確保しろ!!」
怒号と共に、再び騒然となる銀行。
ホシノはその声を聞き、一度目を伏せる。
そして、小さく息を吐いた。
「……巻き込んでごめんなさい。それじゃあ、また」
彼女はそれだけを残して、静かに、しかし素早く破壊された壁の向こうへと姿を消した。
◆
──やっと行ったか。
銀行内が再び騒然とし始める中、僕は内心でそう呟き、ふう、と深いため息を吐いた。
さっきまでいた覆面、紙袋を被った少女たちは、まるで嵐のように現れ、嵐のように去っていった。
──まさか、銀行強盗に出くわすとは。
僕の人生にもいろいろあったけれど、この二年間で銀行に足を運ぶ機会なんて数えるほどしかなかった。よりによって、こんなときに、こんな場所で出くわしてしまうとは、もはや神の悪戯としか思えない。
それにしても……あのとき僕が、強欲ムーブをしなければ、どうなっていたのだろうか?
僕が無心で壁に背を預けたまま、壁が爆発し、神秘が応えてくれなかったら……
「……これだから、キヴォトスは」
無意識に、もう一度ため息がこぼれた。頭の中に最悪のシナリオが浮かぶたびに、胃が重くなる。
本当に、この世界はどうかしてる。
「……ん?」
何かの気配を感じて、ふと視線を上げる。
銀行内の片隅──そこに、ひとりの少女がいた。
赤いロングヘアに、キラキラと輝く瞳。まるで宝石を覗き込むようなまなざしで、じっとこちらを見つめていた。
僕が彼女を見つめ返すと、少女はハッとした表情になり、何かを思い出したように踵を返して駆け出した。それに続くように、三人の人物が、僕をチラチラと気にしながらも後を追って銀行を後にする。
「……一体なんなんだ?」
思わず首をかしげる。が、すぐに気を取り直す。
「まあ、僕に被害がないならどうでもいいか」
問題はそこじゃない。僕にはもっと重要な目的があった。そもそもこの銀行に来た理由は、黒服からの依頼を果たすためだ。それがまだ終わっていない。
僕は視線を巡らせて、さっきからブツブツと何かを呟いている銀行員に声をかけた。
「きみ、さっき僕がお願いしたこと、覚えてるよね。もう一度言うけど……代理で引き落としたいんだ。対応してくれるかな?」
しかし、返ってきたのは僕の予想とはまったく違う反応だった。
「いまそれどころじゃないんですよ!大量の資金が盗まれて、集金記録も盗まれて……!対処が終わるまで時間がかかるので、あと十二時間はお待ちください!」
「──は?」
思わず聞き返す。
十二時間?今、なんて言った?
代理での引き落とし程度で、普通そんなに時間がかかるはずがない。ましてやこの混乱の中で、早く済ませてさっさとこの場を離れたいというのに……なぜ僕がこれ以上、待たされなければならない?
──これは、もはや許される範囲を超えている。
我ながら冷静にそう思った。だからこそ、口にする言葉は容赦がなかった。
「あのさあ!十二時間も待たせようとするなんて、よくもまぁ平然としていられるよね!?君のその無神経っぷり、ちょっと常軌を逸してるんじゃないかなあ!?言っておくけどね、僕の手にかかればこの程度の銀行、建物ごとこの世から消し飛ばすなんて朝飯前なんだよ!その第一歩として、君から始めてみようか!?どうかな、光栄だろう!?」
「ひっ!?ご、ごめんなさい!今すぐ対応します!許してくださいっ!!」
涙目になりながら、すぐに端末を操作しはじめる銀行員であった。