トラックの荷台の奥から、激しくぶつかるような鈍い音が響く。
「ちょっと、後ろからすごい音が聞こえたけど、大丈夫……!?」
運転席から飛び出すようにして、カヨコが焦った声を上げながら荷台の扉を乱暴に開けた。砂埃の混じった風がふわりと舞い上がり、彼女の表情を曇らせる。
「それと同時に、すごい声まで聞いちゃった!あのお兄さん、あんな声まで出せるんだね~」
ムツキはなぜか感心したように笑い、彼女の明るい声が妙に場違いに響く。
「ちょ、ちょっと!そんなこと言ってる場合じゃ……!」
アルは目を見開き、慌てて荷台の後方へと駆けていった。その表情は驚愕と困惑に満ちている。
「あばばばばばば……」
その後ろでは、ハルカが意味不明な声を上げながら、すっかり壊れた様子でアル達に着いていく。
「ちょっと、レグルス!だいじょ……ぶ?」
全員が荷台の裏手に回り込むと、そこには砂塵の中で立ち上がるレグルスの姿があった。白い衣服に少しの汚れすらなく、逆光の中でその姿はやけに神々しくさえ見える。
「全くさあ!なんで僕がこんな目に遭わなくちゃならないんだ!僕という法律を遵守した極めて真っ当な市民が轢かれて無様に道路に転がされるなんてどんな笑い話なわけ!?そもそも生徒が運転してるなんて前代未聞にもほどがあるだろ!これって僕が持つ価値観と常識の権利の侵害だと思うんだよね!キヴォトスでそんな法律を制定した愚か者はどこの誰だ!?この僕が直々に──!」
レグルスはまるで機関銃のように怒りをまくし立てていた。その姿からは、数秒前にトラックと衝突したとはとても思えない。
「……あの、大丈夫かしら?」
逆にその元気すぎる様子に呆気を取られたアルが、恐る恐る声をかける。
すると、レグルスの怒声がピタリと止まり、ゆっくりとこちらへと向き直った。その顔には今までの怒りとは別の、どこか訝しげな表情が浮かんでいる。
ムツキが小さく手を振り、カヨコは大きなため息を吐き、ハルカは依然として壊れたまま。
「……トラックに乗っていたのは君たちだったのか。僕としたことが、随分と見苦しい姿を見せてしまったね」
ようやく落ち着きを取り戻したのか、レグルスは衣服の上に乗ったわずかな砂埃を払った。
「私たちの方こそ、急に止まってしまってごめんなさい……あの、レグルス。あなた平気なの?」
アルは眉を寄せ、心配そうに尋ねた。
「何がだい?」
レグルスはきょとんとした様子で返す。
「私たちのせいで、すごい音と声が聞こえたのに……何で無傷なのかが不思議で……」
「……確かに、傷ひとつ付いてるようには見えないね。私たちでさえ多少は傷つくのに」
カヨコもアルに同意するように静かに言った。
「僕ほどになると、ちょっとやそっとの衝撃じゃ服のシワひとつ乱れないんだ。だから君たちは微塵も気にする必要はない」
レグルスはどこか誇らしげに言い切った。
「くふふー!お兄さんすごいんだね!」
ムツキが元気よく笑い、周囲の空気を少し和らげた。
「……ごめんなさい。私たちのせいでレグルスを巻き込んでしまって、良かったら何かお詫びを──」
「あのさあ」
アルが謝罪し話し始めたその瞬間、レグルスが手を前に出して遮った。
レグルスの声が静かに、だが確かな存在感を持って響く。
「僕たちは既に何度も顔を合わせているし、僕が君たちを見たことだってある。銀行で、ラーメン屋で、市街地で……互いの存在は十分に認識しているはずだ。だけどさ、君たちは僕の名前を知っていて、僕は君たちの名前をまるで知らない。これって不公平だと思わない?僕たち人間という生き物は、同じ生き物なだけあって対等な関係でもある。だからこそ、どちらか一方だけが一方的に情報を握っているなんてそれはもう対等な関係とすら呼べない。まるで、透明な檻の中に僕を閉じ込めて、君たちが外から観察していると同じだ。僕の目の前に立つ以上、その名前くらいは名乗るべきだと思うんだよね」
一歩前に出て、落ち着いた様子で静かに言う。
──ラーメン屋?
カヨコが内心で復唱する。
やっぱり、市街地に居た時に言っていた爆発に巻き込まれたというのは……
カヨコが思考しているそんな中、レグルスの真っ直ぐな視線にアルは一瞬呆ける。だが、すぐにハッとしたように姿勢を正した。
「──そ、そうね!確かにその通りだわ!」
頷くと、彼女は堂々と名乗り始めた。
「私たちは『便利屋68』を運営している何でも屋、立派な企業よ!私が社長の陸八魔アル、そしてこっちが室長の浅黄ムツキ」
「くふふ、ムツキでーす!」
ムツキは陽気に手を振る。
「そしてこっちが課長の鬼方カヨコ」
「……どうも」
カヨコは無愛想に一礼した。
「そしてこっちが、平社員の伊草ハルカよ!」
「あばばばばばば……」
「ねえ、ずっと気になってたんだけどさ。さっきからその子壊れてないかい?」
ようやく誰もがスルーしていた事実に、レグルスが真顔でツッコミを入れた。
「ちょ、ちょっとハルカ! しっかりしなさい!」
アルの声が、焦りを孕んで響いた。
壊れたように立ち尽くすハルカの肩を、両手でがっしと掴んで揺さぶる。
「あばばばば……」
ハルカは目をぐるぐると回しながら間の抜けた声を漏らす。だが、揺さぶられるうちに、やがてその瞳に光が戻った。
「──はっ!?ア、アル様!?」
ようやく正気を取り戻したハルカは、焦点の合った瞳でアルを見つめた。困惑と混乱を湛えた表情で、肩に置かれた手を見つめる。
「……ハルカ」
次に短く名前を呼んだのは、カヨコだった。
その目線が、スッと横へと動く。釣られるように、ハルカもその視線の先を追った。
「ひいぁ!?」
その先にいたのは、悠然と佇むレグルスだった。ハルカは思わず奇妙な声を上げ、後ずさりすらしそうな勢いで身をすくめる。
レグルスは、そんな彼女を見て露骨に溜息をついた。
「……あのさあ。そんなに怖がられても、僕、君に何かした覚えはないんだけど?」
その声音は呆れと、わずかな苦笑を帯びていた。
「僕はただ、対等な関係になるために名前を知りたかっただけなんだよね。それって、そんなに不思議なことかな?もし僕が君に何か無礼なことをしたって言うなら、きちんと謝罪するよ……でも、少なくとも僕の記憶の中には、君に危害を加えたって事実は存在しないし、これから加える予定もない。だから、肩の力を抜くといい」
レグルスの言葉には、押しつけがましさも高圧的な響きもない。ただ理路整然と、筋の通った理屈だけが、淡々と紡がれていた。
その言葉に、ハルカは顔を伏せるように小さく頭を下げ、震える声で答えた。
「す、すみませんすみません……伊草ハルカ、です……」
ようやく名乗ったその声は、蚊の鳴くような細さだったが、確かに届いていた。
それを聞いて、レグルスはふっと頷いた。満足げに、しかしどこか優しさすら感じさせる目で彼女を見つめる。
「そうそうそれで良い。最初の一歩ってやつはいつだって緊張するものだからね。でも、こうして名前を教えてくれたことで、ようやく君と僕は対等になれたわけだ……こういった健全な人間関係も、存外悪くないものだよね」
その様子を見ていたカヨコが、ぽつりと小さく呟いた。
「……何か、想像していた人物像と違うな」
カヨコの脳裏には、銀行で見たときのレグルスの異様な雰囲気が焼き付いており、そして昨日、市街地で風紀委員を圧倒したレグルスの姿も焼き付いている。そんな圧倒的で、理不尽な力を持つレグルスだからこそ、もっと危険な人物だと決めつけていた。
……しかし、よく考えたら、別にこちらに危害を加えてきたわけじゃないし、そんなに悪い人ではないのでは?
そう思い、警戒心がほんの少しだけ和らいでいくのを、カヨコは自分の中に感じ取った。
──だが、だからこそ。
……柴関ラーメンの爆発事件がバレたら、まずいかもしれない。
カヨコは額に冷や汗を流す。
レグルスが悪人ではないと感じ始めた今、もしあの事件のことが露見したら……何が起こるか、現時点では想像もつかない。
「アル、ムツキ、カヨコ、ハルカ……うん、君たちの名前はばっちり覚えたとも」
レグルスの声が、カヨコの思考を断ち切った。
「──僕はね、一度目にしたこと、耳にしたこと、そして経験したことは絶対に忘れない。思い出さない、思い出したくないことはあってもね。僕の記憶力という名の信頼性では、そこらのコンピューターより上だと自負しているんだ。だから、僕の脳裏に刻まれたことを誇りに思ってくれて構わないよ」
その言葉を最後に、レグルスはくるりと踵を返した。まるで舞台を降りる俳優のように、静かに立ち去ろうとする。
「──待って!」
だが、アルが声を上げた。
その声は、どこか強い意志を帯びていた。
「レグルス、あなたに会ったらどうしても聞きたいことがあったの!」
「──くふふ、アルちゃんだいたーん」
ムツキがくすくすと笑いながら、アルの腕をつんつんと突いた。
レグルスは、面倒くさそうに、それでもどこか興味を惹かれたように振り返った。
「──アル、僕はね、この後に極めて重要な予定が控えているんだ。時間は有限、そして僕のスケジュールは分単位で管理されている。それなのに、そんな僕をわざわざ足止めするなんて……君にはそれ相応の、納得に足る理由があるってことだよね?」
「もちろんよ!そんなに時間はとらせないわ!」
アルはすぐに胸を張って答えた。瞳はまっすぐ、揺らぎのない光を宿している。
「──私が聞きたいことはズバリ……どうして、自分を信じて強くいられるのか、よ!」
それを聞いたレグルスは、一瞬目を見開いた。
その反応は一瞬すぎて、誰も気づかなかったが……レグルスはすぐにいつもの余裕ある顔へと戻す。
「私はハードボイルドでアウトローな存在を目指しているわ。私はあなたに出会った時から、その威厳、佇まい、己が持つ力で周囲を圧倒する様子に感動したの!」
アルは言葉に熱を込める。その瞳は、憧れと敬意に満ちていた。
「何も力が欲しいとは言わないわ。私とは違うアウトローなあなたに……その精神性の秘訣を、参考にしたいの!」
「……アウトローって、君みたいな謝罪できる子が?」
レグルスは、『何を言っているんだこの子は?』と内心で思いながら、そう小さく呟いた。
だが、この際レグルスにとってそれはどうでもいい。
アルの真っ直ぐな眼差しに、真摯に向き直る。
「なるほどなるほど。君が聞きたいことはよく分かったよ」
レグルスは軽く頷き、静かに瞼を閉じた。まるで内なる思考を一瞬で整理し、言葉を選ぶような仕草だった。
「その上で、まず始めに訂正を加えておこう」
瞼がゆっくりと持ち上がり、鋭くも穏やかな金の双眸がアルを真っすぐに見据える。その瞳は、どこか底知れぬ深みを湛えていた。その視線を浴びた瞬間、アルは思考が吸い込まれていくような錯覚に陥る。
「──僕はね、決して社会からはみ出すようなアウトローなんかじゃない」
その一言は、まるで誤解を否定するだけでなく、自らの存在意義を宣言するような重みを持っていた。
「むしろその逆さ。僕は規律を尊び、秩序を重んじている。ただその上で、誰にも踏み荒らされない自分を築いているにすぎないんだよね」
穏やかな口調で語られる言葉の一つ一つが、アルの胸に刺さっていく。レグルスが語る規律と秩序は、単なるルールに従うだけのものではない。それは、己を律し、信念を貫くという内なる覚悟のことだった。
「君が僕の在り方に感動したというのなら、それは君が思うような外れ者の姿じゃなく、自分を律する強さに惹かれたんだよ。当然、そこに力なんてなくたっていい。まずは自分の内側を整えること。誇りを持ち、信念を貫くことだね。僕とは方向性は違うかもしれないけど、それが出来た暁には、僕のような完璧で、完成された人間が構成されるというわけだ……理解出来たかな?」
この時のレグルスの語り口は、どこか教師のようでもあり、あるいは導師のようでもあった。
……もはやレグルスがアルに問いを投げかける必要などなかった。アルの瞳は燦然と輝き、何度も何度も首を縦に振っていたからだ。
「理を持って、己を構築しているわけね……私にはまだまだ足りない要素だわ。さすがね……!」
アルは目を輝かせ、言葉を漏らす。心からの尊敬と感嘆が滲んでいた。
「わあ、アルちゃん、すごいキラキラしてるねー」
ムツキが横でケラケラと笑いながら、そんなアルの様子を面白がるように言った。
それを見ていたレグルスは、ふと小さく息を吐いた。
……本当にアウトローを目指しているのか、この子?
そう内心で首を傾げながらも、レグルスは頷く。
「理解できたみたいで良かったよ。物分かりの良い子は嫌いじゃない、ここでは実に貴重な存在だからね……さて、僕は君の問いに対して誠意を持って答えた。ということは、当然僕にも問いかける権利があると思うんだ。君に……いや、君たちに対してかな」
レグルスの口調が少しだけ変わる。わずかに間を取りながら、しかし鋭く言う。
「対等な関係を築くには、互いを尊重し合う気持ちが大切だ。だからこそ、是非とも僕の問いにも答えてほしいんだけど……」
「フフフ……それは当然のことね。良いわ、遠慮なく何でも聞いてちょうだい!」
アルは胸を張り、上機嫌で答える。完全に信頼を寄せきったその態度は、見ていて少しばかり不安になるほどだった。
「大丈夫かな……社長」
カヨコが小声で呟く。対するムツキは、華やかに笑った。
「まあまあ、面白そうだからいいじゃん!」
場の空気がわずかに弛緩したその時、レグルスが口を開いた。
「何でも……それじゃあ遠慮なく聞かせてもらうよ」
彼はわずかに身を乗り出し、静かに、しかしはっきりと告げる。
「──柴関ラーメンの店を爆発させたのは、君たちだよね?」
一瞬、場の空気が凍りついた。
「ちょっと、あれほぼ確信を持って聞いてるよ……!」
カヨコがムツキの耳元に顔を寄せ、小声で囁いた。
「うわー、確かにこれはバレたらまずいかもね……」
ムツキも苦笑いを浮かべながら、こめかみに指を当てて考え込む。
「でもまあ、うまく誤魔化せれば……まだ……」
その言葉の先を口にする前に、二人は同時にアルとハルカの方を見る。
「あ、わ、ワァ……」
「────」
アルは奇妙な声を上げて痙攣しており、横ではハルカが無言でショットガンの銃口を自らのこめかみに当てていた。
「いや、隠す気毛頭ないじゃん……」
カヨコが呆れ顔でぽそりとつぶやく。
そして、さすがにこのまま放っておくわけにもいかないと悟ったカヨコは、観念するように小さく息をついた。その心の中では『もう何されても仕方ないかも……』と、ある種の覚悟すら芽生えていた。
──と、その時だった。
「君たちのあまりにも分かりやすすぎる反応で、答えはすぐに聞けたよ」
レグルスがゆっくりと口を開いた。
「だけどね、僕はまずどうしても言っておきたいことがある」
その言葉に一同がはっとするより早く、レグルスの姿がふわりと動いたかと思えば、次の瞬間にはハルカの持つショットガンの銃身を掴み、滑らかにその向きを逸らしていた。
「──はひぇ?」
ハルカが呆然とした声を漏らす。いつの間に近付かれたのか、まるで気付かなかったからだ。
「──ハルカ。君が何を抱えていて、どんな結末を望んでいるのか。それを完全に理解できるとは僕も思っていないけどね。だけどさ、完璧で完成された人間である僕とは違い、君はどこまでも未熟で未完成の人間だ。だからこそ、君の命はひとりだけで完結するものじゃない。どんなに身体が頑丈でも、目の前でそれを放棄するような真似をすることは……僕自身を馬鹿にしているのと同義になるんだよね」
その言葉に、ハルカは言葉を失った。
背後で見ていたカヨコは、その的確すぎる言葉選びに驚きの表情を浮かべる。アルも、ハルカの精神的な構造まで理解しているようなレグルスの姿に目を見開いて感動していた。
一方、ムツキはその様子をどこか微笑ましく眺めており、目を細めてくふふと笑っていた。
「え、えっと……?」
ハルカはまだレグルスの言葉を完全に咀嚼できないまま、困惑した顔でレグルスを見上げる。
その視線を受け止めながら、レグルスは小さくため息を吐いた。
「……今の君に必要なのは、自分を信じられる勇気だと思うんだよね」
「え、ええええと……自分を、信じられる勇気……?」
ハルカが戸惑いながらも、その言葉を繰り返した。
「これは感情論かもしれないけどね。でも、案外バカにできないものなんだ。完璧で完成された人間である僕でさえ、時にはそれに突き動かされる時だってあるんだからさ」
そう言ったあと、レグルスはほんの少しだけ声のトーンを落とし、ハルカにだけ聞こえるくらいの小さな声で付け加えた。
「実際、僕も少なからずそれに救われた身だからね」
その一言を耳にした瞬間、ハルカの中で何かがほんの少しだけ、変わったような気がした。
今までずっと怖くて仕方がなかったレグルスという存在が──ほんの僅かだが、そんな存在とは遠く感じた。
「す、すみません……すみませんっ……!以後、そんな真似しないように気を付けますう……!」
ハルカはレグルスに涙目で謝罪し、それを聞いたレグルスは満足そうに頷き、ようやくショットガンから手を離した。
「そうそう、それで良いんだよ。それ以上醜い真似を続けていたら、その銃を跡形もなく木っ端微塵にしていたからね」
レグルスは、まるで昼下がりに紅茶でも飲むような口調で、ぞっとすることをさらりと言った。ハルカから一定の距離を取って振り返ると、再び便利屋68の全員をその双眸に収める。
「誰がどうやって爆発させたかなんて、つまらない追及はしないよ。僕はね、器の小さな連中みたいに枝葉末節に執着しない主義だからさ」
レグルスは優雅に肩をすくめ、続けざまに言葉を紡ぐ。
「もっともな話をすれば、あくまで僕はもう特に気にしていないよ。だからこそ、君たちは自分たちの悪運の強さと、この慈悲と寛容に満ちた僕の存在に感謝するといい」
「……それはどうして?もうこの際私から言うけど、確かに私たちはあの店を爆発させ、あなたを巻き込んでしまった……なのに、なぜ気にしていないって言えるの?」
カヨコは、そんなレグルスに対して疑問をぶつけた。
それを聞いたレグルスは少し目を細め、まるで過去の映像を眺めるかのように空を見る。
「……皮肉なものだよね。あんな馬鹿げた出来事が、あんな形でありえるはずのない出会いを果たすだなんてさ。脚本家でも、もうちょっとマシな展開を考えると思うよ」
ため息交じりに告げられたその言葉に、便利屋68の面々は内心で首を傾げた。
……いや、アルに関しては実際に首を傾げていたが。
──そもそも、あの大爆発で身体が五体満足だったこと自体、どう考えてもおかしな話だ。
だが、それ以上に異常なのはレグルスの心だろう。
慈悲深すぎるのか、寛大すぎるのか……いや、むしろ何かが欠けているのではないかとすら思わせるその反応。
人は誰しも、心に痛みを抱え、憎しみや怒りに囚われる。だが、この時ばかりのレグルスは違った。
──ある意味、別のベクトルで常軌を逸していた。
「……お兄さん、ちょっと変わってるねー」
ムツキが、誰にも聞こえないほどの小さな声でぽつりと呟く。
「……ごめんなさい。私たちのせいで、あなたまで巻き込んでしまって」
アルが一歩進み、頭を下げる。それに続くように、他の三人も並んで深々と頭を下げた。
その姿を見て、レグルスは内心でまた思う。
──やっぱり、アウトロー向いてないのでは?と。
「もう気にしなくていいよ。僕の慈悲深さと寛大な心で、君たちの行いを許そう……だけど、あの店長は許すかな?」
レグルスも被害を受けたが、店長も被害を受けたことに変わりはない。それとこれとは全くの別問題だ。
「それなら安心して頂戴!まだ謝罪はできてないけど、店を建て直してもらうために一億入ったバッグを店の前に置いて──あっ!?」
しまった、といった表情を浮かべながら、アルは途中で口を押さえた。しかし、時すでに遅し。その言葉は、アル以外の全員の耳にしっかり届いていた。
「……へえ、社長。いつの間にか無くなってると思ってたけど、そんなことしてたんだね」
カヨコがニヤリと笑みを浮かべる。
「やるねー!アルちゃん!」
ムツキがアルの腕をツンツンと突く。
「一日一悪をしたんですね。さすがアル様……!」
ハルカまでもが尊敬の眼差しで見上げてくる。
「うう……誰にも言うつもりなかったのに……!」
どこか悔しそうな顔でうなだれるアル。それを見て、レグルスはふっと鼻で笑った。
「……そうかい。その大金を手に入れた経緯までは聞かないでおこう。僕は特にプライバシーの尊重は大事にしているからさ……だから、僕がこれ以上言い続ける必要もないね。言葉は時に、過ぎれば毒にもなる」
便利屋68の、どこか締まりのないような、それでいて妙に温かい様子を見ながら、レグルスは言葉を紡ぐ。
「──さて、僕もこのあと色々と予定があるし、君たちにもそれなりの段取りってやつがあるんでしょ?これ以上言葉を重ねても、互いに時間の無駄だよね」
そして、最後にもう一度、レグルスは言った。
「だから、最後に何か言いたいことがあるなら、今のうちに済ませるといい。僕は寛大だからね。そういった気遣いも、このように当たり前に出来るのさ」
そう言いながら、レグルスは肩をすくめ、片手を軽く広げてみせた。
「私からはもう何もないわ!あなたの精神性の秘訣も聞けたし、これでハードボイルドなアウトローに一歩近づける……うふふ」
アルは口元に手を当て笑った。それを聞いたレグルスはひとつため息を吐く。
「君が本当にアウトローになれるのかは、正直甚だ疑問だけどね。まあ、どんな人物になるかなんて結局は個人の自由だ。僕はそれを尊重しよう」
「わ、わわ私からも特には……こ、こんな私を気遣ってくれてありがとうございましゅ……!」
次はハルカが何度も頭を下げながら、緊張と感謝が入り混じった声を震わせる。
「気にしなくて良いさ。僕はただ、君の行為が気に入らなかっただけだからね」
レグルスはさらりと返す。それが慰めなのか皮肉なのか、判断はつきづらい。
「……私からは何もないかな」
カヨコはそっけなく言ったが、それに対してもレグルスは反応を返す。
「カヨコ、君のそれは無欲すぎるくらいだね。まあ、どこまでも欲まみれの連中よりは、よほど僕の好みに合っているけどさ」
「じゃあ私からは一つ!お兄さんのこと『レグ兄』って呼んでいい?」
人差し指を立ててニコッと笑うムツキに、レグルスはやや顔を引きつらせた。
「君は逆に欲深すぎじゃないかなあ!?いきなりそんな馴れ馴れしく呼ぶなんて、僕のパーソナルスペースの侵害だと思うんだよね!」
そう言いながらも、どこか諦めたように肩をすくめる。
「……まあ、別になんでもいいか。好きに呼ぶと良い」
「はーい!レグ兄!」
ムツキは両手を大きく振って笑う。レグルスはそれを苦笑のような表情で受け止めると、軽く頷いた。
そして、もう特にないことが分かったレグルスは、ゆっくりと一歩を踏み出す。
「──それじゃあ、最後に僕からも自己紹介をしておこうか。名前はもう知ってるかもしれないけど、僕だけが直接名乗っていないというのもちょっと不公平な気がするからね」
彼は胸元に右手を当て、いつものように軽やかな仕草で名乗った。
「ゲマトリア所属強欲の権化、レグルス・コルニアス。どこまでも無欲で、寛大な心を持つただの一般市民さ」
それだけ言うと、レグルスはくるりと踵を返し、便利屋68に背を向けた。
「──それじゃあね」
そう一言残して歩き出す彼の背中に、ムツキが元気よく手を振る。
「またねー!レグ兄!」
そんな中、アルは無言でその後ろ姿を見送っていた。
──己を貫くその精神。飄々とした態度の裏にある不屈の信念。そのすべてが、アルの目に深く焼き付いていた。
……私はアウトローとしてまだまだ未熟だわ。
アルは心の中で、静かにそう認める。
……私も、いつかあの背に追いついて、立派なハードボイルドでアウトローな存在を築き上げて、それからそれから──
そんなことを考えていた時だった。
「ごへええええええええええええええッッッ!!?」
──突如、耳をつんざく絶叫が辺りに響き渡った。驚いて視線を上げると、レグルスの姿が消えていた。
「「「「──え?」」」」
便利屋68全員が、ぽかんと口を開けて声を重ねる。
──状況を簡単に説明しよう。
レグルスは悠々と道路を横切ろうとし、反対車線に差し掛かった。だがその瞬間、別方向からとんでもない速度で走ってきたトラックがレグルスに向かって突っ込んできたのである。
そして、衝突音が響き、レグルスは見事に吹き飛ばされた。
空へと放物線を描いて舞い上がるその姿を、便利屋68は呆然とした目で追い続ける。
──なぜあんなに吹き飛ぶのか。
──なぜ轢かれたのに叫ぶほどの元気があるのか。
常識を超えた光景に、彼女らの脳が追いつくまで数秒を要した。
「「「「えええええぇぇぇぇッッ!!?」」」」
──ようやく理解が追いついた瞬間、便利屋68の全員が白目を剥いて絶叫したのだった。