ゲマトリア所属の強欲の権化   作:ぬこぱんち

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忘れられない

 

「確かに僕が道路を横断したのが悪かった。それは認めよう。信号も見ていなかったし、ちゃんと左右の確認もしなかった。でもさ、普通はあんなスピードで走らないだろ。止まる素振りも見せずに突っ込んでくるなんて、どういうことなんだよ……」

 

 砂漠の砂を踏みしめながら、思わずそう愚痴をこぼす。

 

 便利屋68とのやり取りを終えて、ようやく自分の目的に取り掛かれると喜んだのも束の間、次の瞬間にはトラックに跳ねられていた。

 

 いや、なんでだよ。僕が一体何をしたっていうんだ。

 

「なぜこんなにも不運が僕に降り注ぐ……?まさか、世界が僕を追放しようとしているのか……?」

 

 空を仰いでぼやく。

 

 まるで誰かが上から見ていて、僕をこの世界から摘み出そうとしているかのようだ。

 

 でもおかしいじゃないか。僕を呼んだのはこの世界の方だろう?なのに今さら出ていけって、それは虫が良すぎる話だ。

 

 それに僕はもう決めたんだ。この世界に来てしまった以上、絶対にここで平穏に暮らしてみせると。目立たず、波風立てず、静かに……誰にも邪魔なんてさせない。

 

 これだけは、この欲だけは、絶対に譲れないんだ。

 

「──さあて、ようやく着いた」

 

 歩き続けた先に、ようやく目的地が見えてくる。ここに来るまでに二回も車に轢かれて、精神は天に召されかけたが……この光景を見れば、そんな事はどうでも良くなってしまう。

 

「僕の、僕だけのオアシス……!」

 

 荒れ果てたアビドスの砂漠。その中で唯一、幻想的な姿を保ち続けるオアシスが、僕の視界に広がった。

 

 何度見ても、どこか夢のようなその光景は、まるでこの世のものではないかのように感じてしまう。

 

 僕がこのオアシスを発見してから、もう二年が経つ。

 

 それでも、オアシスは枯れるどころか、常に一定の美しさを保っている。それだけ見ると、黒服が語っていた噂通りではあるのだが……それ以前に、不思議なことに他の誰かがここを訪れた形跡はまったくない。

 

「誰にも知られず、手も加えられず、ただ静かにそこに在り続ける……僕よりも平穏そのものじゃないか」

 

 そんな独り言を呟きながらまた空を見上げる。

 

 太陽が砂を照らすこともなければ、澄んだ青空が広がることもない。今日の空は、灰色の雲が一面に広がっていた。

 

「──さっさと用事を済ませて、聖域に帰ろうじゃないか。曇り空の下で時間を無駄にするほど、僕は気長でも暇でもないんだよね。僕の花たちが、僕の帰りをずっと待っているんだからさ」

 

 ──強欲ムーブ。

 

 すっかり板についたその動きで、僕は権能を発動させる。水に触れながら持ち上げる用な動作をすると、オアシスの水面がふわりと浮き上がり、僕の意志に応じて安定した形を保ち始める。

 

 水の塊が、まるで生きているかのように手のひらの上でうねり始めた。

 

「さて、今日はどういった形で持ち帰ろうかな。優雅に包んでやるべきか、それとも少し劇的に演出してみるか……」

 

 オアシスの水をただ持ち帰るのでは面白くない。僕はよく、あやとりを編むように水にさまざまな形を作らせながら帰ることにしている。それが、危険が常に潜むこの世界での僕の数少ない楽しみ方の一つだ。

 

「──よし、決めた」

 

 そう言って僕は手を動かす。

 

 無駄に洗練された、無駄のない、無駄な強欲の権能によって水が形を変えていく。

 

 落ちないように慎重に、でも大胆に。うねうねと気持ち悪い動きをしながら、水が姿を変えていく。

 

「うん、良いね」

 

 そして完成したのはクジラ。形だけの、どこかデフォルメされた可愛らしいクジラだ。

 

「これほどまでに精緻で、なおかつ完璧。さすがは僕だ。世界にひとつしかない傑作を、こうも軽やかに生み出せるとはね」

 

 後はこのまま、部屋にある専用の貯水タンクまで持ち帰るだけだ。

 

「さて、このままお持ち帰りいぃぃッッ!!?」

 

 その瞬間、側頭部にガツンとした衝撃が走る。それと共に、手の中にいたクジラが崩れ去り、水しぶきをあげてオアシスに沈んでいった。

 

「………………」

 

 無言で足元を見ると、砂の上に弾丸が一つ転がっていた。僕はそれを見て、次に弾丸が飛んできたであろう方向へ目を向ける。

 

 砂煙が視界を邪魔していたが……遠くに基地のような建物がうっすらと見える。おそらく、あの場所から弾丸がこちらに飛んできたのだろう。

 

 ──つまり、今この瞬間、僕はまた死んだわけだ。

 

「いやはや、困ったものだよね。基地の中で好きに弾丸を飛ばすのは、訓練や試運転として理解できるよ。誰にだって衝動や実験をしたくなる瞬間はあるしね。でもさ、せめて外には飛ばさないようにするくらいの気配りがあってもいいと思うんだ。こうして僕みたいに、身体があまり頑丈でもなく、ちょっと風が強く吹いただけでよろめいてしまうような、繊細で儚げな存在がうっかりここに居る可能性もあるんだからさ」

 

 それに、今後また同じことが起きないとは限らない。何せこの世界はどこまでも理不尽で、僕の期待に反して都合よくは動いてくれないのだから。

 

「だから、僕が直々に言ってあげよう。とびきり優しく、慎ましく、丁寧に。『危ないから、気をつけようね?』ってさ」

 

 穏やかな笑みを浮かべながら、基地の方向へと歩き出す。

 

 ……しかしその額には、内側に渦巻く怒気を押し殺すかのように、いくつもの血管が浮かび上がっていた。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「い、委員長、その……これは、いつまで書けば良いのでしょうか……?」

 

 ゲヘナ学園のとある部室の一角。机に向かって肩を落としながら、アコが涙目でヒナに訴えるように言った。目の前には、書き連ねた反省文の山。その原稿用紙が、既に二百枚以上は積まれている。

 

 ヒナは手を止めることなく、淡々と手元の資料を処理しながら、アコに視線も向けずに答えた。

 

「……今、二百枚ぐらいでしょう。自分で千枚ぐらい書くって言ってなかった?」

 

 その声色には、軽い睨みすら感じさせるものがあった。アコはたじろぎ、椅子の上で身を縮めるようにしながら答える。

 

「そ、それは、その……それぐらい反省しています、という比喩でして……」

 

 しかし、ヒナはバッサリと切り捨てた。

 

「口より手を動かして」

 

「が、頑張ります……」

 

 アコはしゅんとしながら小さく頷き、ペンを持ち直して、また反省文を書き始めた。

 

 部室の中には、アコの筆の走る音と、ヒナの紙をめくる音だけが静かに響く。そんな沈黙の中、しばらくしてアコがまたそっと声を上げた。

 

「あ、あの、委員長……」

 

 ヒナは手を止めずに、淡々と返す。

 

「……どうしたの?」

 

「その……レグルス・コルニアスとは、どういった関係なのですか?」

 

 アコの恐る恐るとした問いに、ヒナの手がピタリと止まった。数秒の静寂ののち、ヒナは資料から顔を上げ、アコに視線を向ける。

 

「い、いえ、合った時からお互い普通に話していたので……いつから知り合ったのか、お聞き出来たらなと……」

 

 アコはあわてて弁解を重ねたが、ヒナは少し思案するように目を細めた。

 

「……そう、ね」

 

 ヒナは椅子にもたれ、天井を一瞥するようにしてから、静かに答えた。

 

「……確か、レグルスと知り合ったのは、だいたい二年前かしら」

 

「に、二年前……!? おのれレグルス・コルニアス、私よりも先に委員長と会うなんて……!」

 

 アコは悔しそうに唇を噛みしめ、握った拳を小さく震わせていた。

 

 そんなアコをよそに、ヒナは思い出す。二年前、学園の裏路地で起きた出来事。不良たちに絡まれていたレグルスを、偶然通りかかったヒナが助けたのだった。

 

 彼は当時からどこか演技がかった態度をしていたが、それでもそのとき彼が口にした賞賛の言葉は、本心から出たものだと今でも思っている。

 

『いやあ、素晴らしいね! 完璧だ、実に見事な動きだったよ。まさか、こんな場所で君のような才媛に出会えるとは思ってもみなかったよ!』

 

 そんな言葉を、満面の笑みで向けてきたレグルス。あの時、まだ一年生だったヒナは、淡々と対応しながらも、心の奥で少しだけ嬉しさを覚えていた。

 

 生徒を助けること自体は珍しいことではなかったが、感謝よりもどこか恐れられることも多かった自分にとって、あそこまで素直に褒めてくれる存在は貴重だった。

 

「い、委員長……レ、レグルス・コルニアスとは、どのくらいの頻度で会っていたんですか?まさか、私という存在を置いて、会いに行ってたりなんてしてないですよね……?」

 

 再びアコが、恐る恐る尋ねてきた。ヒナはその問いに、ほんのわずかに眉を上げた後、首を横に振った。

 

「……ううん。二年前に会った以来、直接会ったのは昨日が初めてね」

 

「ほっ……」

 

 アコが胸をなでおろすように息をついた。

 

 しかし、ヒナは続けた。

 

「でも、私からは一方的に何度か見かけたことはあるわ」

 

「おのれレグルス・コルニアス!委員長の視界にまでわざわざ介入してくるなんて、どういうつもりですか!?」

 

 両手で頭を押さえながら叫ぶアコ。その姿はまるで、自分のテリトリーを荒らされた小動物のようだった。

 

 そんな騒がしさをよそに、ヒナは再び過去の記憶に意識を沈めた。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「……はあ、また暴動が起きたのね」

 

 私は制服の裾を軽く払って、ため息をひとつ吐いた。

 

 ──今回の暴動が起きた場所は、河川敷付近のようだ。どうせ、いつものように騒いで暴れているだけなのだろう。そう結論付けて、私は現場へと足を向ける。

 

 一年生でありながら、私はゲヘナ学園の風紀委員の中で最も強い生徒。そう言われつつある立場にあった。

 

 即戦力として上級生たちからも頼られることは、もはや日常の一部だった。

 

 もちろん、それ自体が嫌なわけじゃない。誰かに頼られるのは悪い気分ではないし、なにより風紀を正すのは、私たち風紀委員の役目なのだから。

 

「……さっさと片付けよう」

 

 靴音を軽く響かせ、私は速度を上げて駆ける。河川敷が近づくにつれ、空気に混じってざわつきが肌を撫でた。

 

『お……にげ……!』

 

『こ……いこわ……!』

 

 微かに耳に届いた悲鳴のような声……どうやら目的地に到着したようだ。どこか緊迫した空気に、私は無意識のうちに銃に手をかける。

 

 ──全員大人しくして、じゃないと……

 

 そう、いつものように警告を放ちかけたその瞬間。

 

 目の前に広がった光景に、私は言葉を失った。

 

 白の衣服を着用した青年が、片手で大量の水を持ち上げながら、脅すような形でヘルメットを被った不良生徒たちを圧倒していたのだ。彼女らは、完全に腰が引けていた。

 

「いきなり襲うなんて相変わらずだね君たちは!そんなに叫びながら僕を襲ってきて、ヘルメットも被っていたら喉が乾いて水が欲しくなるだろう?ほら、ここは僕の善意で水をあげるからさ、ありがたく思ってここから引いてくれないかな?」

 

「なにあれ!?どうなってるの!?」

 

「怖い怖い怖い怖い!!」

 

 思わず銃を構えかけた私の手が、ぴたりと止まる。

 

 ──レグルス・コルニアス。

 

 約三ヶ月前に出会った、争いとは無縁に見えた青年。

 

 彼が目の前で、持ち上げている水をうねらせながら、不良生徒たちを追い詰めていた。

 

「……????」

 

 私の思考は、宇宙に放り投げられた。

 

 いや……どうやって川の水を持ち上げ……えっ……?

 

 口をパクパクと動かす。だが、声になっているのかどうかは自分でも分からなかった。

 

 ──初めて彼に出会った時のことを思い出す。

 

 優しく微笑んで、私を大げさに褒めてくれた人だ。

 

 けれど、目の前のレグルスは、どう見ても人という生物の常識から逸脱していた。

 

 風紀委員の仕事で精神的に疲れきっていたせいか、私は目の前の光景を理解するのに時間がかかった。

 

「……すごいのね、レグルスは」

 

 私が導き出した結論は、考えるのをやめることだった。

 

 私が呆然と立ち尽くしているうちに、不良生徒たちは逃げ出していた。きっと、レグルスが持つあの水の圧に耐えきれなかったのだろう。あの場に残っていたのはただ一人、レグルスだけだった。

 

「……」

 

 レグルスは、逃げていく不良たちの背中が見えなくなるまでじっと見送っていた。

 

 そしてゆっくりと、水を持ち上げた腕を下ろすと、穏やかな動作で河川敷の川に向かって水を放り投げた。

 

 ──その瞬間だった。

 

「──っ!?」

 

 派手な水飛沫が、空に向かって弾け飛んだ。

 

 空気を裂くように広がった水の粒は、太陽の光を反射して宝石のように煌めき、やがて重力に引かれるようにして一斉に降り注ぐ。

 

「水って、あんなに弾けるものなの……!?」

 

 私は思わず羽を広げて頭を覆った。落ちてくる水滴は冷たく感じたが、痛みは一切なかった。

 

 しばらくして、降り注ぐ水が止んだことを感じ、私はそっと羽をおろす。

 

「……ふう」

 

 わずかに濡れた前髪を払いながら、私は再びレグルスの方へ視線を向けた。彼は相変わらず無言で、川の方を見ていた。

 

「──」

 

 そして、私の目に飛び込んできたのは、先ほどの暴動が嘘と思えるぐらい、とても美しいと感じる光景だった。

 

 ──水飛沫の影響で、河川敷の川に、鮮やかな虹が架かっていたのだ。

 

「──こうして、何気なく静かに虹を眺めている。争いもなく、誰かを押しのけることもなく、些細な美しさに心を寄せる時間。それが続けば、どこまでも平穏で、優雅な世界が成り立つというのにさ……」

 

 レグルスの声が、風を伝って私の耳に届いた。

 

 彼はその場から動かずに、虹を見上げていた。

 

「……まあ、そんな世界を望むなんて、無欲な僕には少しばかり強欲すぎる願いかもしれないけどね」

 

 その言葉には、どこか達観したような響きがあった。

 

 決して投げやりではないけれど、どこか現実の限界を知っているような、静かな諦観。その言葉が、私の胸に何故かやけに深く刺さった。

 

 ──どうしてだろうか。

 

 彼の背中は、誰よりも孤独そうに見えたのに、その顔は、誰よりも穏やかなように見えた。

 

「……」

 

 ──彼は何者なのだろうか。数多の不良生徒に襲われ、脅しという形で返り討ちにしていながらも、なぜそんな顔ができるのか。

 

 私のそんな疑問をよそに、レグルスはふと虹から視線を外し、私の存在に気付くことはなく、踵を返した。

 

 その足取りは軽くも重くもない。ただ、風の流れに沿って歩き出すような、自然な動きだった。

 

「──」

 

 私はその背中を見つめながら、何かを言わなければと口にしようとした。

 

 ──ありがとう、と。

 

 暴動を止めてくれて、間接的に私を助けてくれて、凄いものを見せてもらえて。

 

 けれど、私の喉は何も発せず、胸の奥でかすかに揺れただけだった。

 

 さきほど目にした光景があまりに衝撃的だったと、言い訳しようと思えばできる。さっきのレグルスは、まるでこの世界の理から一歩外れた存在のようだった。あの場において、普通の人とは思えないほど、その圧倒的な存在感を私を含めて不良生徒たちに見せつけたのだから。

 

 ……そんな彼が、『ありがとう』という言葉だけで満足してもらえるのだろうか?

 

 ──いや、違う。

 

 結局は全部、私の逃げだった。

 

 本当は、私はただ──

 

「……写真、撮っておこうかしら」

 

 あまりに綺麗な虹に、心を奪われていたのだ。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 河川敷で見かけたあの日以降も、私は何度か、レグルスの姿を目にする機会があった。

 

 ある時は、発砲された弾丸をまるでお手玉でもするかのように受け止めて、不良生徒たちを怯えさせていた。

 

 またある時は、放たれた無数の弾丸を全て空中で静止させ、それを一本一本、指先で弾いて一掃してしまう光景にも遭遇した。

 

 ……そして、ある日また『暴動が発生した』と連絡が入った。

 

 私は「ああ、またいつものか」と半ば慣れた様子で現場へと向かったが……すでに騒ぎは完全に鎮圧されていた。

 

 ──そのようなことが、何度か続いた。

 

 倒れている生徒たちに事情を聞いてみると、決まって同じことを言うのだ。

 

『一切攻撃が効かず、むしろこちらに迫ってきて長々と喋り続ける白い男にやられた』

 

 それを聞いて、私はすぐに悟った。レグルスのことだと。

 

 どうやら、彼は不良生徒たちにターゲットにされやすい存在だったらしい。だが彼は、来る者すべてを返り討ちにしていた。私が力を振るうまでもなく事件が解決していたのは、きっとそのおかげだったのだ。

 

 彼にそのつもりがあったかは分からない。だが、私は間接的に──いや、確実にレグルスに助けられていた。

 

「……ふふっ」

 

 自然と笑みがこぼれた。

 

 不思議なことに、レグルスと出会ってからというもの、私の体調はずっとベストコンディションだった。風紀委員の仕事がいくら舞い込んでも、驚くほど捗って、ほとんど即座に片づいてしまう。

 

 約二年間、ずっとそんな日々が続いている。

 

 ……そういえば、彼と初めて出会った時は、髪は銀色だったはず。

 

 でも、しばらくして再び見かけた時には、すっかり白くなっていた。もしかして、染めたのだろうか?

 

 私としては、白髪の人なんて身近にいなかったから、少しだけ親近感を覚えたのを、今でも覚えている。

 

 なにはともあれ……私の中では、レグルス・コルニアスは、常に陰で私を助けてくれた存在なのだ。

 

「……あ、あの、委員長……」

 

 ふと、何故か髪がぼさぼさになったアコが、おずおずと私に話しかけてきた。

 

「──委員長にとって、レグルス・コルニアスとは……どういう人だと思っていますか?」

 

 彼女の問いに、私はそのまま心に浮かんだ言葉を口にした。

 

「常に陰で私を助けてくれた人よ」

 

 その瞬間だった。

 

「んなっ!?陰で支え……!?あの男が、委員長に何をしたと言うんですか!?まさか……いやいやそんなはずは……っ!う、うう……ゆ、許さない……絶対に許しませんよ!レグルス・コルニアスううううッッッ!!!」

 

 なぜかアコは絶叫し、部屋にカウベルがガランガランと激しく鳴り響いた。

 

 ……反省文を倍ぐらい増やした方がいいかしら?

 

 内心でそんな鬼畜なことを思いつつ、私はスマートフォンを取り出し、保存されている一枚の写真を開いた。

 

 今から約一年半ほど前、河川敷の川に架かる虹を撮影したものだ。

 

「……」

 

 その写真を、私は無言でじっと見つめた。

 

 ふとした時に見返したくなるこの虹は、きっと、あの日の出来事が深く心に残っているからなのだろう。  

 

 忘れようとしても忘れられない。そんな記憶が、確かにそこにあった。

 

「そういえば……」

 

 忘れられないことといえば、もう一つある。

 

 レグルスと初めて邂逅を果たし、握手を交わした時のことだ。

 

 今でこそ彼は白い手袋を常に身につけているが、出会った当初は素手だった。私は、彼の手を実際に握った。

 

 「……」

 

 私は、自分の右手を見つめた。

 

 確か、彼の手に触れた瞬間、暖かいと感じた。そして同時に、彼の表情が一瞬で消えたのを覚えている。ほんの刹那だったが、ひどく焦ったように、彼は左手を胸に添えていた。

 

 ──でも、レグルスが動揺したと思ったら……

 

 「……不思議だったわね」

 

 どうして、急に何も感じなくなったのだろう?

 

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