ゲマトリア所属の強欲の権化   作:ぬこぱんち

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大人になれた世界線

 

「美しいな」

 

 砂漠の砂を使って、先生やアビドスの生徒たちから煙のように姿を消した翌朝。部屋の窓から外を眺め、心と身体を落ち着かせていたところ、隣から軋むような音と共に低い声が響いた。

 

「そうして見るのは構わないけど、指一本触れないでほしい。断固として禁止だ。これは僕の、僕による、僕だけの愛情が注がれた、極めて純粋で完璧な美しさの象徴そのものなんだ。それが他の手によって崩れ去ってしまう事が起きたら、夢見が悪くなるからさ」

 

 どうやら僕が育てている花を眺めているらしいが、台無しにされては困る。この花は、元を辿れば強欲ムーブに利用する目的で育て始めたものだったが、今では僕の中で欠かせない存在となっていた。

 

 ──まあ、隣にいるのが黒服じゃないだけマシだな、という程度の信頼はあった。

 

「……これは見事なものだ。柔らかな光を集める花弁、秩序と無垢が織り成す色彩の調和。まるで、そなたの魂そのものが咲かせたとでも言うべき……否、それ以上かもしれないな」

 

 隣から、木材が擦れ合うような軋みが響く。

 

 視線を窓の外から室内に戻すと、そこにはゲマトリアの一員であり、芸術に異様な執着を見せる狂人、マエストロが立っていた。

 

「レグルス。この花に指一本触れることなく、ただ『観る』という贅沢を、私に許してくれるのか?」

 

 君はさっきから何を言っているんだ。

 

「君は節度をわきまえているからね。紅茶を当然のように飲み干すような厚かましい真似もしないし、人の好意を当然の権利みたいに貪ることもない。会えば毎回『実験させろ』なんて口にしないし、勝手に僕の部屋に踏み込むような無礼も働かない……本当に、どこぞの黒服とは大違いだ。だからこそ、寛容で慈悲深い僕は、君をこうして許しているんだよ」

 

 一度だけ、本気で八つ裂きにしても許されるのでは?と思ったことがある。

 

 僕が部屋に帰ると、ソファには当然のように黒服が寛いでいて、紅茶を勝手に飲んでいたのだ。軽く手を上げて「お邪魔していますよ」と言われた時には、理性を総動員して権能を抑え込んだのをよく覚えている。

 

 ──まあ、仮にも部屋を借りている立場だからそんなことはしないが。それはそれとして、追い出しはした。

 

「……黒服は、普段からそのような振る舞いを?まるで好奇心の権化にして、礼節の帳を軽々と踏み越える暴風のようだ……だが、レグルス。そのすべては、そなたが『特別』だからこそ向けられるものだ。無礼に見えて、実のところは信頼の証。私から見れば、遠慮なき言動の裏に、情が透けて見えていると感じる」

 

 実験させてくださいって言ってくる存在が信頼しているなんてどんな冗談だ。普通に迷惑だからやめてほしい。

 

「……今は黒服の話なんかどうでもいいさ。それよりも本題に入ろうじゃないか、マエストロ……君は何故、こうしてここに足を運んだのかな?僕は君の行動の動機を、正しく理解しておきたいんだよね」

 

 黒服と違って、マエストロが僕のもとを訪れることは少ない。というより、ゲマトリアの構成員は基本的に自分勝手に動いている。そういう意味では、彼のように律儀に訪れるほうが珍しい……黒服が異常なだけかもしれないが。

 

「──私がここに足を運んだ理由は、ただ一つ。私の最高傑作になりえる存在、『ヒエロニムス』の製造が順調だということを、そなたに伝えに来た」

 

「……それだけかい?」

 

「それだけだ」

 

「それだけなんだね」

 

 ……実物を見せるわけでもなく、進捗報告のためだけにわざわざ僕の部屋までやってきたらしい。本当に、それだけのために。

 

 ──暇なんだろうか。

 

「なんだっけ……ああ、そうだ。太古の教義の元に製造しようとしている化け物、と君は言っていたかな?」

 

 窓辺で風を感じながら、僕は静かに言葉を続けた。

 

「……そういうのは僕の趣味とは正反対だし、どうにも気持ちがざわついてしまうよ。でもさ、だからといって頭ごなしに君の趣味を否定するのも、それはそれでおかしな話だ。だから、応援ぐらいはしておいてあげるよ」

 

 トリニティの地下に封印されていたという、得体の知れない『太古の教義』。それを元に、マエストロは自身の最高傑作を生み出そうとしているらしい。そんな話を聞いたのは、黒服、ゴルコンダ、そして今まさに目の前で木製の身体を軋ませるこの男、マエストロ本人からだ。

 

 ……トリニティの地下に、どうしてそんなものが?

 

 ペロロ狂いのヒフミとロールケーキを買う以外に縁がなかった僕としては、いまさらながら学園の裏事情に疑念を抱くしかなかった。

 

「……訂正していただきたい」

 

 ギィ、と関節を鳴らすような軋みを立てながら、マエストロが振り返る。

 

「ヒエロニムスは化け物ではない。人工の天使であり、神性な怪物だ」

 

 化け物とそう変わらない気もするけど。

 

 あえて喉まで出かかったツッコミは呑み込む。彼が不機嫌になったら、それこそ面倒だ。

 

「気分を害したなら悪かったよ。この通り、素直に謝罪するよ」

 

 軽く頭を下げる。

 

 黒服相手なら絶対にしないけど、マエストロなら話は別だ。やっぱり勝手に部屋に上がり込まないって、それだけで信頼の土台になるらしい。

 

「……これは些細な疑問なんだけどさ。君はどうしてそこまでヒエロニムスとやらに執着するようになったのかな?最近だよね、他の作品をそっちのけでそれに没頭し始めたのは」

 

 二年前くらいまでは、小さな彫像一つにも自慢げに語りながら見せびらかしていたのに、最近はそんなことも一切なくなった。……まあ、ゲマトリアなんて元から理解不能な連中ばかりだが。

 

 ギギギ、とまた身体が軋む。

 

 少しの沈黙の後、マエストロが静かに答えた。

 

「私が目指す『崇高』とは違うが、その太古の教義には『神秘』と『恐怖』、それぞれに通じるものがあったからだ……神秘と恐怖は、手に入れることが非常に難しい。とすれば、別のアプローチに手を出すのは、何も不自然なことじゃないだろう」

 

 結局何を言っているのかよく分からない。理解できるように話してほしいと、心の中で静かに念じる。

 

「なるほどなるほど……結局のところ、君はヒエロニムスを製造して何を目指しているのかな?」

 

 そこまで執着するなら、きっと何か目的があるはず。まあ、一つは予想がついている。

 

「己の技術、感性、魂のすべてを注ぎ込み、完璧なる美と恐怖の調和をもって、『最高傑作』としての芸術を完成させる……そして、彼に──あの先生に、私の作品を見届けてもらいたい。異邦の審美眼を持つ彼ならば、私の芸術を真に解してくれる理解者になり得るのだから」

 

「……ん?」

 

 一つ目の理由は、まあ分かる。芸術を志す者として当然の帰結だ。だが……

 

「君、先生のこと知っていたんだね」

 

 名指しで、あの先生に見てもらいたいなんて言うとは思ってなかった。

 

「陰ながら、先生のことは見続けている。彼ならば、私が思う『崇高』を理解してくれるに違いない……ああ、待ち遠しいな」

 

 ……なんだ、ゲマトリアって先生ファンクラブでもあるのか?

 

 黒服にしてもマエストロにしても、異様なまでに先生への評価が高い。先生本人は、そんなことまったく知らないのに。知らない間に熱烈なファンが増殖しているなんて、普通に怖い。

 

「叶うといいね、その願い」

 

 僕はそう言って、深く追及するのをやめた。

 

「……ああ」

 

 マエストロは満足げに頷く。

 

 ──ごめんね先生。こんなどうしようもないぐらいに君を想っている狂人たちの相手は、僕には荷が重すぎる。

 

「……」

 

「……」

 

 ──沈黙が再び部屋を支配する。

 

 マエストロはそれ以上言葉を発さず、ただ僕の育てた花をじっと見つめていた。

 

 ……そんなに気になるのだろうか。

 

 僕から話しかけることもなく、ふと自分も視線を逸らし、窓の外を見やる。外の景色は変わらず穏やかで、流れる雲に心を預けたくなるほどに静かだった。

 

 ……そういえば、もともとは心身を落ち着けるために窓の外を眺めていたんだったな。

 

 とはいえ、マエストロとの会話を経て、もうだいぶ落ち着いている気もする。

 

「……レグルス」

 

 ギギギ……と、またあの独特な身体の軋みと共に、横から声が届いた。

 

「……なにかな?」

 

 また芸術の話か?

 

 そう思いながら、少しだけ呆れを含ませた表情で、彼の方を見やる。

 

「このスミレは、そなたにとってどういうものなんだ」

 

「──」

 

 ……スミレ?

 

 なぜその花を、ピンポイントで?

 

「無論、そなたが手ずから育てた花々は、どれも丁寧に世話され、愛情を注がれている。だが、このスミレだけは……他と比べ、ひと際、想いが深いように見える」

 

 ……そうか、そう見えるのか。

 

 マエストロの中で、花は芸術に近しいものとして位置づけられているのだろう。美しいものを見つけては、それを芸術に昇華しようとするのが彼の悪癖……いや、信条なのだろう。

 

 まぁ、語っても問題はない話だ。

 

 僕は小さく息を吸い、素直に口を開いた。

 

「……ああ、これはね。僕が育てたことに間違いはないけど……違いがあるとしたら、買ったものではなく、貰い物だということだね」

 

 ──この世界に来てから、僕はずっと演じることを強いられてきた。

 

 ノミ以下に成り代わり、他人の目を気にし、思考を気にし、外では自我を閉じ込めて生きる毎日。そんな中で、自分の意志をはっきり持つ彼女に、僕は確かに尊敬を抱いていた。

 

「失礼を承知に聞くが、誰から貰ったものか聞いても?」

 

「……何故それを君に言う必要があるのかな?」

 

 スミレから芸術的な何かを感じたのかもしれないが……マエストロには関係のない話だろう。

 

「もちろん、無関係なのは承知の上だ……だが、私はこのスミレから、ただの『美』ではなく、『意志』を感じ取ったのだ。創作物であれ、贈り物であれ、そこに宿る魂が何に由来するかを知ることは、芸術を解する者にとって重要な行為だ。ゆえに私は問いたい。この花をそなたに託した者の名を、ただ知識として、記憶に刻みたいのだ」

 

 ……また難しいことを言う。

 

 だが、ただの興味本位という訳でもなさそうだ。彼なりの真摯さは伝わってきた。

 

 ──まあ、名前くらいなら。

 

 僕は一つ小さく息をつき、少しだけ彼女に申し訳ない気持ちを覚えながら、口を開いた。

 

「──アツコ。スミレを貰ったのは、秤アツコという少女からだよ」

 

 その名を口にした途端、胸の奥に少し冷たい風が吹いた気がした。

 

 もう二年以上会っていない彼女は、どこで何をしているのだろうか。

 

「……………………そうか。感謝する、レグルス」

 

 ……その沈黙、なんだ?

 

 一瞬、妙な間があった気がする。問い返す前に、マエストロの身体が再び軋み、部屋中をこだました。

 

「──さて、そろそろ私はヒエロニムスの製造に取りかかる。そなたのおかげでインスピレーションが湧いた。これでより良い作品が作れそうだ」

 

 満足げな声と共に、マエストロは部屋の出口へと向かう。どうやら帰るようだ。

 

「……それは良かった。君がそこまで情熱を注げるものがあるってことは、素晴らしいことだよね。完成するのを心待ちにしているよ」

 

 去りゆく彼の背中に向けて、僕は適当にそれっぽい言葉をかけた。僕もこれから出かける予定があるから、このまま帰ってくれるのは正直助かる。

 

 マエストロは何も言わず、無言のままドアに手をかける。

 

 ……が、その手がドアノブにかかったまま、またあの軋む音を立てながら、ゆっくりと僕の方へと身体をひねった。

 

「……?」

 

 まさか、まだ何か言うつもりなのだろうか。

 

 そう思った次の瞬間、彼の口から声が漏れる。

 

「そのスミレ、大切に育てておくといい。それは単なる植物ではなく、想いの器だ。そなたが込めた感情も、贈り手の意志も、きっとその花は受け止めているだろう」

 

 遠くから見つめる視線は、まるでスミレに祈りを捧げるかのようだった。

 

「──言われなくてもそうするつもりだけど」

 

 お前は何を言っているんだ、とでも言いたげに、僕は素っ気なく返す。

 

 マエストロはその言葉に対して何も反応を見せず、ただ短く一言だけ残した。

 

「良い時間だった。それでは、失礼する」

 

 そして、今度こそドアを開け、その身体をすべて廊下の向こう側へと滑らせた。静かに、しかしどこか満足気な足取りで。

 

「……何が言いたかったんだ?」

 

 相変わらず、マエストロの言葉は難解すぎる。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「ひぃん……ようやくシャーレの仕事が一通り片付いたよお……」

 

 重いバッグの紐が肩に食い込む。けれど、今の私はどこか浮き足立っていて、その重さすら心地よく感じる。先生がアビドスに向かってから、もう数日……ようやく、私も後を追うようにアビドスへと向かっていた。

 

「ふふん、ホシノちゃん。私がいなくて寂しがってないかな。でも大丈夫、すぐに向かうからね!」

 

 胸を張って、歩調を少し速める。そんな私の脳裏には、ずっと大切に思ってきた後輩たちの顔が浮かんでいた。

 

 ……最近は忙しくて、なかなかアビドスに顔を出せなかった。だけどようやく会いに行ける。

 

 ──ホシノちゃん、シロコちゃん、ノノミちゃん、セリカちゃん、アヤネちゃん。

 

 どの子も、私にとってはかけがえのない大事な後輩たち。たとえアビドスが借金を抱えていても、彼女たちが笑って元気でいてくれるなら、それでいい。先輩として、大人として……それが、私の一番の願いだった。

 

「楽しみだな~」

 

 顔を上げると、抜けるような青空が広がっていた。

 

 その空を見上げながら歩いていたら、ふと数日前に先生が口にしていた言葉を思い出した。

 

『うん、複数の戦車を何もしないで一気に吹っ飛ばした人でさ』

 

 ……最初は、そんなの人じゃない、怪物の類だって思った。

 

 だけど、その直後に耳にした名を聞いた瞬間、私の心臓は、まるで弓を引かれたように跳ね上がった。

 

『ゲマトリア所属強欲の権化、レグルス・コルニアス』

 

「また、会えないかな……」

 

 小さく呟く。思い出すのは、絶望に染まったあの日。

 

 あの人は、私をビナーの恐怖から救ってくれた。

 

 荒れ狂う世界の中、絶望に沈んでいた私を、あの人はまるで光のように、そこから引き上げてくれた。

 

 未だに、まだちゃんとお礼が出来ていない。苦しみながら助けてくれてありがとうと言っただけ。

 

 もう遅いのかもしれないけど……でも、私の中ではあの日の出来事は、まだ終わっていないのだ。

 

「……」

 

 また会えるだなんて、都合の良い期待かもしれない。

 

 だけど、もし叶うのなら……せめてもう一度、ありがとうと伝えたくて。

 

 そんなふうに想いを馳せながら、私は少し俯いて歩いていた。だから──

 

「──ひゃっ!?」

 

 前を見ていなかった私は、不意に何かとぶつかってしまい、そのまま地面に尻餅をついてしまった。

 

「ご、ごめんなさい!前を見てなく──」

 

 いけないな、私。こんな調子じゃ、後輩たちや先生に顔向けできな──

 

「──気にしなくて良い、僕も不注意だった。考え事をしながら、歩いていたせいだね」

 

 私の中の時間が、止まったような感覚がした。

 

 胸の奥が強く締めつけられるような、そして溢れ出しそうなほどの温かさが、込み上げてくる。

 

 ……間違えようがない。たとえ二年の月日が流れていても。

 

 たとえ、その姿が少し変わっていたとしても。

 

 私にとって、自身を救ってくれた、世界でただ一人しかいない存在。

 

 だって私は、貴方のおかげで──

 

「立てるかい?どこか怪我は……ん?きみ、どこかで見たことあ──」

 

「レグルスさんッ!!」

 

「ぐぼわァ!?」

 

 ──貴方のおかげで、こうして大人になれたんです!

 

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