さっきの出来事で、分かったことが二つある。
一つは、強欲の権能はただ知識として発動方法を覚えているだけじゃ、絶対に使えないということ。
──強欲の権能の一つである『獅子の心臓』
あのとき僕は、確かに獅子の心臓を発動することができたお陰で、間一髪であの場から逃げることができた。けれど、そこに必要だったのは技術でも精神集中でもなかった。
必要なのは、“なりきる”ことだった。
──完全に、『レグルス・コルニアス』という存在になりきること。
彼の思考、彼の価値観、彼の振る舞い。そのすべてを心から肯定し、信じなければならない。どれだけ異常で理不尽であっても、この肉体では“それこそが真実”であると信じ込ませる必要があった。
「つまり……人格依存型の権能になっているのか?」
演じるだけでは、権能は応えてくれない。ただのモノマネでは不十分だ。
本気で、心の底から信じなければならない。
『自分こそが絶対である』という、まさに強欲と呼ばれてもおかしくない当然の信条を。
「勝手に使い勝手を決めるなよ……誰が決めたとかは分からないけどさ」
口から出た呟きは、乾いていた。
この力は、他人のために使うことはできない。誰かを守るためでも、救うためでもない。
ただ──自分という“権利”を守るためだけに存在する力だ。
時間も、空間も、他人の動きすらも遮断するように。
『これは僕のものだ』という、その強欲さ一点だけで、その他のすべての力を否定して。
「強欲の権能をもっと扱いこなすためには、なおのことレグルス・コルニアスになりきらないといけない……この世界はブルーアーカイブという透き通る世界と言わんばかりの銃社会だから」
こうして外に出ている時はレグルス・コルニアスを強要されるということになる。
そのためには、自分の内にレグルスの思想を刻まなければならない。
──それが、この世界で生きるための唯一の条件。
自分こそが中心であり、世界はそのために回っている──そう信じることなのだから。
「僕が何をしたって言うんだよ……」
とまあ、地獄の始まりが確定したことで、もう一つ
分かったことに移る。
「…………」
チラッと視線を横に流した先にあったのは、見るも無残な廃墟の残骸。コンクリートは粉々に砕け、鉄骨は無様に歪んでいる。他の誰かに質問しても、元が何の建物だったのかも答えることが出来ないような有様だ。
僕がさっき、権能を使って逃げ出した場所から数百メートル。獅子の心臓を発動して、空気を蹴り、文字通りの爆速であの場を離脱できたのはいい。そこまではよかった。
──問題は、その後だった。
「時間がないというのは、本当に思考力を削ってくるな……」
約五秒という発動時間の短さに焦りに焦った僕は、とにかく遠くへと距離を稼ぐことしか考えていなかった。で、気づけば勢いそのままに突っ込んだのが、この廃墟というわけだ。
生身でこの破壊力。やってることはまさに怪獣のソレだ。
「この権能を発動すると、物理法則がほとんど意味をなさなくなって、止まりにくくなる事を完全に失念していた……仮に今後吹っ飛ばされる機会があった場合、それに備えて受け身の練習でも……」
無理では?
そもそも、前世の僕自身は運動が得意でもなく、そもそも苦手の部類だった。
「……それでも、やるしかないんだよな」
自分の無様さに吐き捨てるような声が漏れる。頬に残る鈍い痛みが、さっきの衝突が夢や幻ではなかったことを証明していた。だが──奇跡的にそれ以外の傷は無い。ある意味、人間離れを体現したような権能のおかげだ。
「いや、ほんと化け物かよ……レグルスは」
心からの感嘆と嫌悪が入り混じった声だった。自分がなりきろうとしている“それ”に対する嫌悪。それでも、ならなければ生き残れない現実に対する、最悪の妥協。
「……」
ふと、右手に付着してしまった自分の血を見つめる。
──さっきの不良集団との小競り合い。彼女らの持っていた銃とヘルメットだけを木っ端微塵にし、身体だけは少々の傷を負わすだけで済んだ。
「確かに腹が立ったことは否定しないが……」
ほんの一瞬でも力加減を誤っていれば──今ごろ、そこにいた数人の命は、この世からまるごと消えていたかもしれない。
「頑丈とは聞いたことある……でも、それで無事で済むのかは否定することが出来ない」
どこか苦い。言い訳のような、逃避のようなその言葉。だけど、事実として自分の中にある“それ”を否定することはできない。
「僕は、レグルスになりきらなきゃいけない。でも、完全に“彼”にはなりたくない」
──矛盾。
もちろんちゃんと自覚している。でも、それでも構わない。自分で在るために、最低限の線引きは必要だった。
「……どこか、落ち着ける場所を探さないと」
気持ちを整理する必要がある。この平穏な時間を、無駄にするわけにはいかない。
そう自分に言い聞かせるように呟き、すっかり崩れきってしまった廃墟の側から去った。
◆
「──おい、痛い目に遭いたくなけりゃ私達に金をよこしな!」
──なぜ、こうなった?
神が仕組んだ悪意か、あるいは世界そのものの悪ふざけか、理由は不明だ。ただひとつ確かなのは──
「おいおいおいおい、またかよッ!」
またしても、僕は囲まれていた。レンガ造りの裏通り、まぶしく照らす太陽や街灯すら届かぬ暗がりの中。前後左右にある集団が立ち塞がる。相手は全員、先程と遭った奴らと同様の雰囲気を醸し出していた。
「おい、聞こえなかったのかそこの兄ちゃん!持ってるもん全部出しな!」
先頭に立つ不良が、あからさまに悪意を口にする。まるで、それが当然だと言わんばかりの口ぶりだった。
──強欲。
それは本来、僕が体現せざるを得なくなった概念のはずだ。けれど、こうして他人の強欲を目の当たりにすると、ただただ吐き気がする。
「せっかくだし、威嚇してみようぜ!ほら、バンッてやるのさ!驚いて腰抜かすとこ見たいしよ!」
不良達はそれを聞くと笑った。その笑い方は、楽しげでさえあった。まるでこれが遊びであるかのように。
……ふぅ──
「あのさあ、すごく良くないことしてるって自覚あるかな?いきなりか弱い人間を囲んでカツアゲなんてさ、人としての在り方を根本から誤ってると思わない?」
僕は、自然と『強欲ムーブ』に移った。
「君たちの気持ちも分からないわけじゃない。現代社会は格差も多いし、ストレスもあるし、他人から奪うことで自分を保とうとする……それもまた、一つの弱さの表れだよね。僕は優しいから、そういう背景も理解してあげられるとも」
一歩、前に足を踏み出す。
「でも、やっぱり良くないと思うんだよね。理由がどうであれ、今君たちはいたって平穏に過ごしたい僕の事を妨害しようとしている。それだけは絶対に許せないなあ。だって普通、わかるよね?他人から奪うって、ダメなことだってさ。誰もが習う常識なことさ」
とにかく必死にペラを回し続ける
「僕は優しい人間だからさ、多少のことは目をつぶってあげるとも。でも……これはそのレベルを越えているよね。今のこれは、僕という存在の権利の侵害だ。存在そのものへの否定だよこれはッ!」
不良たちの笑いが一瞬止まり、次いで弾ける。
「──ははっ、さっきからベラベラと何かを喋っているがいい度胸じゃねえか!長々と喋り終わった間に、撃たれてしまう気分を味わせてやるよッ!!」
不良達大勢の銃口が、こちらに向けられた。
……よし!必死に強欲ムーブしたお陰で獅子の心臓が何か良い感じに鼓動し始めている!さっきと同じように、空気を飛ばして銃をぶっ壊す、そしてそのまま逃走すれば──!
今度はおもむろに右手を上げ、空気を停止させる準備と、威力を調整する準備を行う。
「──お前ら、撃て!」
不良達は引き金を引こうとする。僕は獅子の心臓を発動させ、不良達の銃を木っ端微塵にしようとして──
「そこまでよ」
澄んだ少女の声が、風のように吹き抜けた。
突如として路地の入り口から現れた。
「──なっ!?」
銀の長髪が、路地にわずかに入り込む太陽の光に揺れ、静かに風に揺れる。小柄なその体躯が、ただ立っているだけで場の空気を一変させた。
「あれって……空崎ヒナ!?」
「マジ!?風紀委員会!?なんでこんなとこに──っ!」
少女──空崎ヒナは、無言で前へと歩を進める。感情の読めない赤い瞳が、銃を構えていた不良達を順に見据える。
彼女の手には、大人の背丈ほどもある巨大なマシンガン。だが、小柄なその身体にまるで“定位置”であるかのように馴染んでいた。
「この区域、武器を使った脅迫は禁止されている……ついさっき、他の風紀委員にも通報したわ。これ以上ここで大事を起こすなら、こちらから制裁を加える」
その言葉には怒声も威圧もない。ただの事実の提示。それなのに、女たちは一瞬にして蒼白になる。
「やば、やばいやばい!逃げるぞっ!」
「本物!?無理無理、勝てるわけがない!」
さっきまで僕を囲っていた不良集団は、先ほどの威勢もどこへやら、四方へ蜘蛛の子を散らすように逃げていった。ドタドタと足音が路地に響き渡る。
気づけば僕と──空崎ヒナの二人だけが残されていた。
風が吹き抜ける。ヒナのスカートの裾と銀髪が、静かに揺れた。
ぱちぱちと、小気味よい拍手が路地裏に響いた。
「いやあ、素晴らしいね! 完璧だ、実に見事な動きだったよ。まさか、こんな場所で君のような才媛に出会えるとは思ってもみなかったよ!」
僕は口角を釣り上げ、まるで舞台の観客のように身を乗り出して、ヒナへと歩み寄った。
──そう、僕は強欲ムーブを続けることにした。もうしなくても良いんじゃないかと思うのかもしれない。だが、ここで流れ弾が飛んできたりして死んだ場合は、それこそ『僕の何を見て笑った!?』案件になってしまう。
「……別に、大したことはしていない」
ヒナは、淡々とした声音で返す。感情の起伏が読み取りにくい目が、僕を見上げてくる。
「そう言うところがまた良い。驕らない、誇らない、だけど確実に結果を出す。そう、まさに理想的な行動だ……うん、これは何かの縁だね。君と僕が、こんな形で出会ったのなら、礼節として名を交わすべきだろう?」
「……そういうものかしら?」
「そうだとも」
ヒナはわずかに首を傾げる。何ともまあ可愛らしい……ん? そういえば僕が知ってる空崎ヒナとは少し幼い気が……
「本来なら、僕は相手に先に名乗らせるべきだと思ってるんだ。礼儀ってものは、目上の者が後に名乗ることで品位が保たれるのだからね……だけど、僕は君に助けられた。よって、ここは僕から名乗ることにしよう」
そう言った後、片手を胸に添え、僅かに頭を垂れる。
「僕の名は、レグルス・コルニアス。愛と純粋さを体現し、何よりも他者への敬意を忘れない男さ」
その様子を見たヒナは軽く目を瞑り、おもむろに開けた後、自身の口からその名を告げた。
「ゲヘナ学園一年生の、空崎ヒナよ。部活は風紀委員会に所属しているわ」
ヒナの口から告げられた内容によって、僕は思わず動揺する。
確かヒナは三年生だって聞いてたんだけど……!?
時系列に違和感を感じた。どうやら、僕がかろうじて知っている知識を行使するのは難しそうだ。そもそも、ヒナ以外はほとんど分からないんだけども!
情報のジェットコースターに振り落とされないように、その感情を表に出すことなく、僕はヒナに笑顔を向ける。
「……さて、ここまで話ができたのなら、記念という意味で──握手でも、どうかな?」
いや、このムーブは絶対気持ち悪がられるだろ。
選択を完璧に誤ったと思ったが、予想していた反応とは違った。
「……まあ、それぐらいなら」
そうしてヒナからおずおずと差し出された右手を、僕は内心で安心しながら、右手を差し出して嬉々として握った。
──そしてその瞬間、何故か心臓の鼓動が一つ、大きく跳ねた。
「──?」
それに違和感を抱き、空いた左手で胸に添えてみる。
──心臓が、動いていなかった。
「ッ!?」
「……どうかした?」
僕を見上げながら、首を傾げるヒナ。
「──いや、君からの握手に感謝していたところさ」
自分でも何を喋っているのか分からないまま、おもむろに差し出した手を引っ込めた。
もう聞こえないはずの鼓動がバクバクと鳴る錯覚に陥るが、極めて冷静になりながら視線をヒナに向け、言葉を紡ぐ。
「ありがとう、実に有意義な時間だったよ。君のような人と出会えて、本当に良かった。機会があれば、またどこかで会うかもしれナファ"イッ!?」
紳士にお礼を言おうとした矢先に、どこか遠くから飛んできた流れ弾が僕の額に直撃した。
「ッ大丈夫!?」
ヒナはモロに喰らったと思い、急いで僕に駆け寄るが、僕に何一つ傷が無いことを確認すると、不思議そうに首を傾げた。
──やはり、外では強欲ムーブをし続けなければならないらしい。
僕のストレスが一気に溜まった瞬間だった。
ヒナは、流れ弾が飛んできた方角に視線を移した。涼やかな眼差しが鋭さを宿し、少女の口元が僅かに引き締まる。
「……少し、風紀が乱れているようね。指導する必要がありそう」
そう言って、彼女はレグルスの顔を見た。淡々とした声音の中にも、どこか使命に忠実な誠実さが垣間見える。けれど、それは同時にどこか一線を引いた冷たさをも含んでいるようにも思えた。
そんな彼女に、僕は頷きながら答える。
「働き者だね、君は。そういうところは素直に感心するよ」
ヒナは少し目を細めて、口元だけで小さく微笑んだ。
「……じゃあ、またどこかで」
それだけを残し、ヒナは疾風の如き勢いで走り去る。流れ弾が飛んできた方向へと、風紀の名のもとにその身を投じた。
──残された僕は、目を細めながらしばらく無言になる。
「……僕は強欲でなくてはならない。与えられなければ、奪うしかない。だってそれが正しい。何故なら、僕は選ばれた存在なんだから」
そう言って、目の前の壁に手を伸ばし、軽く触れる。瞬間、石壁が音もなくヒビを走らせ、バラバラと崩れ落ちる。
壁を、軽く、何度も、何度も。
空気を止めた状態で、獅子の心臓が持つ限界──本来ならば、わずか五秒。だが、とっくにその制限時間を超えていた。
十秒。三十秒。一分。そしてやがて五分が経過し、壁に刻まれた爪痕のような破壊痕が幾重にも重なる。
動きを止めた。
僕は自分の右手の指を見つめ、左手は胸を押さえて呟いた。
「自分の王国に迎え入れてしまったのかよ……」
どうやら僕が持つ小さな疑似心臓は、空崎ヒナの心臓に寄生してしまったらしい。