「あのさあ、こうして僕が予定を潰してまでわざわざ足を運んでやったっていうのに、どうして呼び出した当の本人が先にその場に居ないわけ?これって僕の時間の尊厳と誠意への敬意、その両方に対する権利の侵害だと思うんだよね……なんて、ね」
ぼやくように言葉を投げる。
こんな感じで、とりあえず権利の侵害を口にしておけば条件は満たせる。強欲ムーブと判定されれば、強欲の権能は発動する。簡単な話だ。
「簡単な訳がないんだよ……」
口から出た言葉が、自分自身に返ってきた。
レグルス構文だとか強欲ムーブだとか、そんな事をしなければならない時点で、面倒くさいにもほどがある。
これだから嫌なんだよ、レグルス・コルニアスは。
容姿は全く一緒のくせに、どうしてこうも扱いづらい強欲の権能を残したのか。
成り代わりもので、最も成り代わりたくない相手の筆頭だと心底思う。それぐらい、レグルスは嫌われ……いや、正確には嫌われているというより、半ば面白がられているのかもしれない。あの小物感ですら、ある種のキャラクター性として昇華されているあたり、一種の才能なのかもしれないのだから。
「そんな才能微塵もいらないよ……」
歩を進め、目的地の近くに差し掛かったところで、街角に設置されていたベンチに腰を下ろした。周囲には、人の気配は少なく、午後の光が周囲の建物を長く染めていた。
「……」
ふと目を向ければ、少し前までめちゃくちゃだった市街地が、すっかり元通りになっているのが見て取れた。瓦礫の山も、抉れた道路も、今は整然と修復されている。
「……うん、あんなに滅茶苦茶だった市街地も、しっかりと修繕してくれたみたいだね。さすがは業者といったところかな、仕事が早くて感心してしまうよ」
記憶が蘇る。
柴関ラーメン店での爆発で空へ吹き飛ばされた後、落下して道路に叩きつけられた。その衝撃でアスファルトは派手に砕け散った。
「これでは市街地周辺に住む市民達がまともに暮らす事が出来なくなってしまう。そう思った僕は、勢いで道路の修繕費を出し、業者に依頼したというわけだ」
思い切った行動ではあったが、結果としては良かったと思っている。
だからこそ、今では通りを歩く動物の市民たちが談笑しており、ロボットたちも思い思いに買い物を楽しんでいる様子だ。
──こういうのが、僕の求める光景だった。
過剰に何かを求めることなく、争いも起きず、ただ穏やかな日常を送る。それだけで十分だと、心からそう思える。
「──そうだよ、僕が常に求めているのはこんな光景だ。こうしてみんなが穏やかな日常を送れたらそれで良いんだよ。過度になにかを求めなくたって良いし、争う必要なんて毛頭ないんだ」
軽く目を閉じて、耳を澄ませてみる。遠くで小鳥のさえずりが聞こえる。春の風が穏やかに頬を撫でた。
胸の奥がすっと軽くなる感覚があった。こういう静けさを、できれば永遠に味わっていたい。
「……小鳥たちは歌って、花は美しく咲き乱れ──」
「こんなすがすがしい日こそ、のんびりと散歩してみたいものですね」
「そうそう、穏やかに散歩するのがいちばああああああッ!!?」
肩がびくりと跳ね、情けない叫び声が口から漏れる。声の主は、いつの間にか僕の隣に座っていた。
「クックック……良い反応をしますね、レグルス」
──黒服だ。
僕を呼び出した張本人。気づかぬうちに隣へ現れ、平然とベンチに腰を下ろしていた。
「……あのさあ!いつもいつもそうやって、気配もなく僕に近付くのはやめてくれないかなあ!? こっちはせっかく、少しでものどかで平和な時間を楽しんでいたっていうのに……まったく、君の登場ひとつで空気が濁る。どうして僕が不愉快になるために、君に付き合わされなきゃいけないわけ?」
どこにいたのか、どこから現れたのか。黒服の行動はいつだって予測不能だ。部屋にいるときも、外を歩いているときも、そしていまこの時も。
この男は、間違いなくゲマトリアの中でも飛び抜けた変人だと、僕はそう思っている。
「これはこれは、大変失礼しました」
口では謝っていたが、唇の端が笑みに引きつっているのを、僕は見逃さなかった。
──黒服も、僕と同じように宇宙まで吹っ飛ばしてやろうかな。
「──はあ、まあ良いよ。君が変人なのは今に始まったことじゃないからね……それより、さっさと本題に入りなよ。僕の気が変わって、このまま席を立ってしまう前にさ」
面倒くさい相手と付き合うのも慣れてきた。
こうして黒服に呼び出されたということは、何かしら成果があったのだろう。
いつもそうだ。何か得るものがあると、子供のようにはしゃいで僕に自慢したがる。その中身は理解不能な単語の羅列だったり、唐突すぎる発表だったり。
要するに、毎度おなじみのパターンである。
「──そう、そうなんです!今日の成果は一味違いますよ、レグルス!」
ところが、この時の黒服はいつもとどこか違った。
妙にテンションが高すぎる。それが言葉だけではなく、外見にも表れている。顔の亀裂から漏れる白いモヤが、明らかに普段よりも大きく波打っていた。
あれは感情で変わるものだったのか?
思いがけず、黒服の構造に新たな発見をしてしまった。
そんな考えをよそに、黒服は興奮を抑えきれないまま僕に向き直る。
「──ついに、『暁のホルス』……小鳥遊ホシノさんを、私の手中に収めることが出来たのです!」
聞こえてきたのは、一人の少女を確保したという、いかにも危ない内容だった。
「…………君に、そんな趣味があったんだね。理解してあげられなくてすまなかった。同じゲマトリアとして、君のことを止められなかったのは僕にも落ち度がある。この通り、頭を下げるから二度と僕に近づかないでくれるかな」
「何か勘違いしていませんか、レグルス」
こちらとしては本音で言ったが、黒服は少しも動じていない。
……どうやら本気らしい。
言動からして、そう捉えられてもおかしくない内容だったというのに。
「少し前にも言ったでしょう……私は、アビドス最高の神秘を持つ、小鳥遊ホシノさんを実験体として、研究し、分析し、理解すると」
そう言いながら黒服は足を組み、続けた。
「本来であれば『異常』ともいえるレグルスの神秘を研究しようとしましたが、ここ二年、レグルスとこうして関わって気付きました……貴方が持つ神秘は、誰にも扱えない。扱いこなすことが出来ない。隙を見て研究しようとしても、しなくても、何もかも不明のまま。そこでようやく私は気付いたんです、小鳥遊ホシノさんの神秘を研究した上で、貴方の神秘を研究するべきだと」
「人に対して『異常』だなんて、よくもまあそんな無神経な言葉を平然と吐けるね?」
以前、僕が持つ神秘をキヴォトス最高峰だと評価していたのは黒服自身だった。
それが今は、『異常』とまで言い切った。まじで何様なのだろうか。
「だからこそ幸運でした。ちゃんとした契約の元、小鳥遊ホシノさんをこの手で実験できるのですから……ああ、震えが止まりません。長年の想いが溢れて、手が、口が、脳が震えます……!」
どうやら完全にハイになっているらしい。禁断症状すら出ているその様子に、僕は本能的な距離感の維持を意識した。
「へえ、それは良かったじゃないか。君があれほどまでに小鳥遊ホシノに執着していたのは事実だからね……もっとも、僕の趣味には到底合わないし、君の情熱に感化されるなんてこともあり得ないから、祝いの言葉は控えさせてもらうけど。まあ、せいぜい自分にとって良い結果が導き出せるように頑張れば良いんじゃないかな」
話を合わせる気などさらさらなかった。相手の熱量に飲まれるのが嫌だった。
「……おや、意外ですね。何も興味を示さないとは。貴方は定期的にアビドスに関わっていたというのに」
その一言で、僕の中に警戒心が走る。
なぜ彼がそのことを知っている?まさか、どこかで僕の行動を……いや、あり得るか。黒服なら。
「──あくまでそれは僕には関係のないことだからね。小鳥遊ホシノがどんな結末を迎えるかなんて、微塵も興味がない。それぞれの人生は、何があろうと自ら切り開いていくものだからさ」
それに、彼女はあくまでアビドスの生徒だ。
生徒を指導するのは教師の役目であり、ゲマトリアに所属する僕が手出しする理由はない。
彼女が道を誤りそうになった時、先生はきっと動いてくれる。僕が動かずとも、信頼できるであろう存在がそこにはいるのだから。
「──クックック!そうですか……では、私は心置きなく研究できるというわけですね」
「ああ、そうしたら良いんじゃないかな」
僕が知る限り、黒服はこういう場面でよくミスをする。興奮しすぎて詰めが甘くなり、結果として何かを見落とす。今回も例外ではないだろう。
「……レグルス」
「なにかな?」
軽く答えながらも、視線は向けずにいた。深く関わる気はない。いつも通り、適当な返事で流すつもりだった。
「──これから面白くなりますよ」
「は?」
言葉の意味を問い返そうとして、僕はようやく隣に視線を移した。
「……居なくなってるじゃないか。いつも思うけど、どういうカラクリですぐに姿を消しているんだ」
黒服の姿はすでになかった。
まるで最初からそこに居なかったかのように。ほんの一言、言いたいことを言い切った途端に、煙のように消えてしまう。
どこまでも勝手な奴だ……これだから黒服は。
「──まあ、騒がしいのがいなくなったおかげで、こうして束の間の休息を取れるってのは、悪くない話だよね。静寂の中で思索にふける行為……それがどれほど貴重な時間か、君たちには想像もつかないだろうけどさ」
隣から消えた黒服の存在感が嘘のように、周囲の空気は静まり返っていた。
背もたれに背中を預け、深く息を吐く。
雲ひとつない快晴の空が頭上に広がり、温かな陽光が肌を撫でていた。こうも穏やかな気候だと、つい日常に浸りそうになる。まるで、いつもどこかで銃撃戦が繰り広げられていることなど忘れてしまいそうだ。
「……」
瞼を閉じる。
耳を澄ませば、住民たちの悲鳴が空気に混ざってこだまし、上空からはヘリの回転翼が唸りを上げていた。咲き乱れていた花々が突風に巻き上げられ、宙で粉々に砕け散っていく。その異変に気付いたのか、小鳥たちが枝から一斉に飛び立ち、空を乱して羽ばたく。
……待て、おかしくないか?
「さっきまで穏やかだったじゃ──」
異常に気付いた僕は目を開け、空を仰いだ。次の瞬間、異様な光景が飛び込んでくる。
「──は?」
──複数のヘリが空中を旋回しながら、次々とミサイルを発射していた。
しかも、そのうちの数発は明らかに僕のいるベンチを目がけて迫ってきている。
「ッッッ!!?権能で破壊す──!」
反射的に空気を止め、ミサイルを迎撃しようとするが──僅かに遅れてしまった。
「ぅ゛あああああああああああッッッッ!!?」
目の前で爆炎が弾け、爆風が容赦なく身体を吹き飛ばしていく。一瞬で空中へと放り出され、意識が揺らぐ。
「ふざけ──ごふあッ!?」
飛ばされた勢いのまま、近くのビルの窓を突き破った。ガラスが盛大に砕け散り、内部へと侵入する。ガラス破片は、太陽の光に反射してきらめきながら宙を舞う。
「──ッ!また、あの時の二の舞になれっていうのかなあああああッ!?」
止まらない勢いで、天井をいくつも突き破りながら上昇する。
以前の柴関ラーメンの爆発の時のように真上に吹き飛ばされたわけではなく、今回は斜め後方。ミサイルの着弾位置のせいだろう。とはいえ、軌道が違えども行き着く先は宇宙かもしれない。
そして、強欲の権能が働いている限り、僕の身体はこのまま留まらない。貫通し、突き進み、破壊を続け、やがて……再び宇宙へと放り出されるのだろう。
──あれだけは、もう御免だ。
となれば、方法は一つしかなかった。
「──本当に、ふざけるなよ」
一瞬だけ、強欲ムーブを止めた。
空間との接続が断たれ、世界が再び僕の存在を重力として認識し始めた。引力が戻り、物理法則が働く。
そのまま、体はビルの壁へ向かって勢いよく飛んで──
「ごばあっ!!?」
背中から衝突。
壁に深くめり込み、クレーターを描くほどの衝撃が背中を走った。
「──ふべッ!」
すぐさま重力に引かれ、今度は顔面から床へ落下。
鼻に鋭い痛みが走り、背中と顔を交互に強打したことになる。痛覚が忙しく点滅する中、僕はひとまず荒れた呼吸を整えようと試みる。
「──なんで」
次の瞬間には、呻くような声が床に響いていた。
ビルの壁に叩きつけられ、鼻を強打したばかりの僕は、ゆっくりと体を起こしながら、感情の底に眠っていた何かを引きずり出していく。
そして再び、僕の中で『レグルス・コルニアス』という存在を組み上げた。
「なんで……なんでなんでなんでなんでなんでッ!?」
強欲ムーブによって肉体の痛みは霧のように消え去る。
それと引き換えに、怒り、混乱、焦燥、恐怖といったあらゆる負の感情が一気に湧き上がる。全身を灼くような衝動が支配し、冷静さを奪っていく。
「何で急に悲鳴が聞こえ始めた。何で急にヘリが空を支配した。何でミサイルが僕に向かって飛んでくるのかなあッ!?」
叫びながら周囲を睨む。
この異常事態に、筋の通った説明は存在しない。しかし、ひとつだけ思い当たることがあった。さっきの黒服の言葉である『これから面白くなりますよ』という発言。
あれが、この異常事態の引き金なのか?
「あんなにミサイルを撃ち込まれたら、市街地が、住民たちが……!」
全身に戦慄が走ると同時に、反射的に身体が動いていた。倒れた床から立ち上がり、足元のガラス片を踏みしめながら走る。
ビルの一角、道路側の大きな窓に近づくと、そのガラスに手を添え、外の景色を見下ろした。
「──」
市街地はすでに修羅場と化していた。
建物の壁や地面を抉るミサイル。無数の銃声。阿鼻叫喚の中、命からがら逃げ惑う市民たち……完全に戦場そのものだ。
「ふざっ……けるなっ……!」
思わず口から漏れたその声は、怒りとも悲鳴ともつかない響きを持っていた。
道路を修繕したのは、僕にあるほんの善意からだった。
ただ静かに、皆が平穏に過ごせるようにと。
そんなささやかな願いすら、踏みにじられた。
「これは僕の善意と平穏を望む市民たちの権利の侵害だ!」
怒声をあげながら、狂気を孕んだ視線で地上を見渡す。何か手がかりを見つけようと、目を走らせる。
混乱の中を盾を掲げて走る少女。
それを追う一人の大人と数人の少女たち。
そして……群れを率いるように、無数のロボットたちの後方で高笑いしている、特徴的な姿をしたロボット。
「──あのポンコツロボ……!」
あれはカイザー理事だ。
僕の視線はもう逸らすことはない。今この瞬間、完璧に理解した。あのポンコツロボが全ての元凶だ。市街地を破壊し、住民の平穏を奪った犯人は、他ならぬポンコツロボだ。
「──そうかい、よくわかったよ」
現状を理解した僕は、そう静かに呟いて、窓からゆっくりと背を向けた。
「……」
足音が、均等に鳴り響く。
壊滅してしまったオフィスの中に、乾いた靴音だけが反響する。数歩だけ歩みを進め、僕はそこで止まり、ゆっくりと窓の方へと振り返る。
「君たちは他者から当たり前のように搾取し、奪う行為が得意みたいだけど……僕は他者から何も求める事もなく無欲であり、下品な真似が嫌いなだけで、奪うという行為自体は簡単だ。だから──」
言葉の余韻を引きずったまま、窓に向かって一直線に勢いよく駆け出した。
──また、修繕費は僕が払おう。
だから、こんな野蛮な行為を許してくれ。
「──僕と市民たちの権利を奪い返させてもらうよ」
言葉を口にすると共に、そのまま腕を交差させて窓を突き破った。
厚いガラスは音を立てて砕け散り、破片が眩く光を反射しながら宙を舞い、僕の身体は空へと躍り出た。
◆
「──返して……ホシノちゃんを返してよ!」
ユメの叫びが、市街地の中心に響き渡る。
「"ユメッ!前に出すぎだ!一度私たちの元まで……駄目だ、完全に冷静さを失っている……!"」
『ユメ先輩……!』
「これはもう、余計にぶっ殺さないとだめになったねッ!」
騒然としたアビドスの市街地。そこは、もはや戦場と化していた。
先生と対策委員会、そして便利屋68の面々は、カイザーと激しい交戦を繰り広げている。
最後の生徒会メンバーであるホシノが退学したことを機に、カイザーはアビドスを吸収合併すべく、市街地とアビドス高等学校の侵略を開始したのだ。
「ホシノちゃん……ホシノちゃん……!」
盾を構えたまま、ユメはがむしゃらに突き進んでいく。
どうして退学してしまったのか、なぜ姿を消してしまったのか。考えたいのに、考えがまとまらない。今はただ、前へと突き進む。
「──わっ!?」
だからなのか、勢い余ってユメは転倒してしまった。
地面に崩れ落ちる拍子に、盾が手元から離れてしまう。
「ちょっ、ちょっとー!?ユメさん転けてしまったわよ!?」
「あわわわ……!」
「っ……こいつら邪魔、しつこい……!」
ユメを助けに行きたくても、便利屋68の面々は別の部隊の相手をしていて動けない。
「ん、早くユメ先輩の元に……!」
「行きたいけど、こいつらが邪魔すぎるんだけど!?」
「近寄るともっと蜂の巣にしますよ~?良いんですか~?」
対策委員会のメンバーもまた、状況は似ていた。
先生の指揮もあり戦況は優勢だが、ユメはあまりにも突出してしまっている。
「──残念だったな、梔子ユメ」
カイザー兵たちの後方から、不気味な響きを伴ってカイザー理事の声が届いた。
「貴様は既にアビドスを卒業しており、生徒会所属ではない。卒業したあとも、いつ潰れてもおかしくないアビドス高等学校を支援し続けたらしいが……借金も返済出来ず、一人の後輩からアビドスを見放されるという始末……所詮、貴様は大人になったばかりの未熟な存在だったのだよ、ふはははっ……!」
「ホシノちゃんは見放してなんかいない!あんなに後輩を可愛がって、学校を大事にしていたホシノちゃんが見捨てるような真似をするはずがない!あんなお手紙、私は絶対に信じない!私たちの大切なホシノちゃんを返してよっ!」
ユメの胸中には、怒りだけが燃え上がっていた。
同じ『大人』でありながら、理不尽と暴力で全てを壊そうとするカイザーを、決して許すことはできなかった。
「……やかましい小娘だな。まずは梔子ユメを無力化しろ。見た感じ、あまり戦闘に慣れていないようだが、厄介な盾が手元に無い今が好都合だからな」
「はっ!」
理事の命令を受け、何人かのカイザー兵がユメへと向かって動き出す。
「……あはは」
大切な後輩は居なくなり、大切な居場所まで失おうとしている。
その現実に、ユメはただ立ちすくむしかなかった。自分の無力さを痛感しながら。
「……レグルスさん」
心の底から、彼の名が漏れる。
──どうやら私は、一人の後輩すら守れないみたいです。貴方は軽蔑するか、呆れてしまうのでしょうか。どうか、私のことを嫌わないでください。私にとって、貴方は初めての──
それでも、兵士たちは容赦なく迫ってくる。そしてついに、銃口がユメへと向けられた。
「さあ、さっさと小娘を仕留め──」
──その瞬間だった。
ユメとカイザー兵たちの間に、上空から何かが勢いよく降下し、着地と同時にアスファルトを砕いた。
爆ぜるような衝撃と共に煙が立ち込め、視界が真っ白に染まる。
「うわッ!?いったい何が……ぐわあッ!?」
「ぎゃあッ!?」
突然の衝撃が戦場に走った。
ユメの目前にいたカイザー兵が爆風に巻き上げられたかのように宙を舞い、無様に吹き飛ばされたかと思えば、理事の近くにいた兵士に激突し、派手な音を立てて倒れ込んだ。
「なっ……!?」
「──え?」
理事は目を見開き、ユメは言葉を失った。
視界はなおも立ちこめる煙に包まれ、ユメの目に映るのは、輪郭の曖昧な黒いシルエットだけだった。
──だが。
「──またこうして、自ら道路を抉るような真似をするなんて思わなかったよ。全く、相変わらずこの身体はどこまでも不便だね」
「──っ……!」
その声を聞いた瞬間、ユメの中で何かが決壊した。
震える唇、強ばる頬、潤む目元。
我慢していた感情が堰を切ったようにあふれ出し、熱い涙となって頬を伝っていく。止めようとしても、止められなかった。
「──な、何だ貴様はッ!?突然現れて、私たちカイザーの邪魔をするような真似をしよって……!貴様、どこの誰なんだッ!?何が目的だッ!」
理事の怒鳴り声が響く。その声は明らかに苛立ちを帯びており、煙の向こうのシルエットに対して敵意をむき出しにしていた。
どうやら、先ほどの言葉はユメにしか聞こえなかったらしい。
だからこそ、その問いに黒いシルエットは一歩踏み出し、少しだけ声を張った。
「──僕は、僕自身と住民たちが持つ権利を返してもらいにきたのさ」
『──っ!?!?』
その一言で、場の空気が変わった。
ユメ以外の全員……先生、対策委員会、便利屋68は目を大きく見開き、驚愕に表情を染めた。カイザーの兵士たちは、言葉を失った。
「どこまでも人の善意を踏みにじるような真似をして、権利の侵害しか生まない争いは、必要ないと思うんだよね。だから、こうして僕はここまでやってきたんだ」
その声は穏やかでありながら、どこまでも冷静で、鋭く澄んでいた。
その人物は、ふうっとひとつ、深く息を吐いた。
それだけで、辺りに立ちこめていた煙が風に吹き飛ばされたかのように四散し、真昼の光の中へと消えていく。
──そこに姿を現したのは、レグルス・コルニアス。
その姿が全員の目に映ったとき、レグルスは静かに言い放った。
「──市街地での争いを、終わらせるためにね」