理事の断末魔のような叫び声が響き渡った後、あたりを覆っていた煙が、次第に晴れていく。
「──どこまでもコケにしやがって……!」
薄れゆく煙の向こうに、睨み付けるような鋭い眼光が浮かび上がる。
現れたのは他でもない、理事自身だった。強欲の権能という理不尽な力を前にして、彼は立っていた。
「……今さらだけどさ、僕の攻撃を受けておきながら無傷で済んでいるなんて、普通に考えればありえないよね。その悪運の強さだけは褒めてあげるよ」
皮肉と共に放たれるレグルスの一言。その裏には、少なからず驚愕が滲んでいた。
『サッカーしようぜ、お前は的な』
そんな発言から始まり、大型トラックを蹴って大量の鉄片を生み出してぶつけるという違法PK。
さらには、空中へとカイザー兵を殴り飛ばし、真下に向かって叩きつけるという『作戦T』をレグルスは実行した。
これだけの暴挙を前にしながら、理事は生き残っていた。
周囲を見渡せば、倒れ伏したカイザー兵の姿が多く、彼がこの状況を免れた数少ない一人だということがはっきり分かる。
「貴様のせいで私の可愛い部下たちがこの有り様だッ!今日予定していた計画も全てが狂ってしまった……レグルス・コルニアス、貴様さえ居なければあッッ!!」
怒りの咆哮を上げる理事。その眼にはもはや常軌を逸した憤怒しか宿っていなかった。
「……あのさあ、君は今まで自分がやってきた所業を振り返ることすら出来ない、そんな社会不適合者なのかな?何故こうなってしまったかを省みること。それは最低限の自己反省であり、社会人としての義務でもあると思うんだよね。君はその基本すら出来ないってわけ?冗談はその無駄に高価で滑稽な義手だけにしてほしいものだよ」
レグルスの口からは、相変わらず皮肉に満ちた毒舌が飛び出す。互いに譲る気配など微塵もない。
──このやり取り自体が、すでに何度目だろうか。
いつもと同じ、平行線のぶつかり合い。それでもなお、二人は止まらない。それぞれが、それぞれの信念を抱えているから。
「ッ!……いつまでもそうやって煽っているといい。そんなことをしている内に貴様はいずれ痛い目に合い、この先だってもがき苦しみ続けるような災難に見舞われるようになるぞ……!」
珍しく、理事の声にあったのは感情の重さ。ただの怒りでは言い表すことができない、どこか警告めいた響き。
「──」
それが、レグルスの胸の奥にわずかな沈黙を生んだ。
「………………君に、僕の何が分かるのかな」
ほんの少し、絞り出すように答えるレグルス。
その声音は、これまでのような皮肉交じりの軽さではなかった。しかし、それに理事が気付くことはない。
「──はっ!貴様の事はよく理解しているとも」
理事は勝ち誇ったように言い放つと、そのまま続けた。
「煽ることしか脳がなく、自分勝手な自論を展開し続け……」
そして、空に向かって腕を高く掲げた。
「──私にとって、どこまでも邪魔な存在だッ!」
怒鳴りながらレグルスを指差す。その合図に呼応するように、周囲で倒れていなかったカイザー兵が、一斉に銃口を構える。
「やれッッ!!」
次の瞬間、無数の弾丸が怒涛の勢いでレグルスに向かって放たれた。
「あのさあ、君たちのお粗末な武器じゃ僕に傷一つ付けられ──」
この時、レグルスは内心で思った。
『ブーメランって知ってる?』と。
そんな言葉を投げかけたくなるほど、相手の言い分と攻撃は滑稽に見えた。今さらそんなお遊びのような弾丸で自分を倒そうというのかと。
未だに理事たちは理解していない。自分という存在を。
いや、理解できるわけがない。彼らには、到底たどり着けない領域にいるのだから。
──この時まで、レグルスは確かにそう信じて疑わなかった。
「やぁーっ!!」
「──は?」
鋭く響く声が、すべての思考を中断させた。
次の瞬間、無数の弾丸が一つの大きな鉄の塊へと叩き込まれ、金属が割れるような甲高い衝撃音が周囲に響き渡る。
レグルスはほんの一瞬、事態を理解できなかった。
──何が起きた?
視界の前方には、確かに誰かがいた。自分のすぐ目の前に。
「君、何で僕の……僕の前に立っているのかな?」
淡々と、それでいてどこか戸惑いを孕んだ声でレグルスは問うた。
──そこに立っていたのは、梔子ユメだった。
レグルスがこの場に来る直前に手放してしまった盾。その盾を、彼女は拾い上げていた。そして今、飛来する無数の弾丸を、その身体で真正面から受け止めていた。
盾を掲げ、自らの身体を犠牲にするようにして。
……まるで、レグルスのことを『守る』かのように。
「……確かに、レグルスさんはすごい力を持っています。私が何もしなくたって、あの時に私のことを助けてくれたように、いつものように事態を解決してくれる……それほど、レグルスさんは本当にすごい人で、私がずっと尊敬してきた人なんです」
盾に被弾した衝撃の余韻が、煙となってわずかに漂う中。ユメはレグルスの方を振り返らず、まっすぐ前だけを見据えたまま静かに言葉を紡いでいた。
「それに比べて、私はいつもどんくさくて、何するのも失敗ばかりで、怒られてばかりで、泣き虫で……私が持つ力は、どこまでもちっぽけなんだなって、そう思ったことが何度かあります」
盾を握る手に、彼女は力を込めた。震えるようなその手には、それでも確かな意志が宿っていた。
「──でも、それでも!盾を持つ私が、目の前に危険が迫っている人をこの盾で守ることすら出来ないだなんて、そんなことになるのは嫌なんですっ!」
その言葉に、レグルスの目が見開かれた。
どこか胸の奥を強く打たれるような衝撃を感じた。
「子供で終わるはずだった私を、大人にしてくれたのは紛れもなくレグルスさんです!だから、私はどんな形であっても恩返しがしたい!それが、こうして大人になり、その大人として私のやるべきことなんです!」
彼女の中には、ただ『守られる』だけの少女ではない、確かな覚悟が芽生えていた。
ユメは傍観者で終わるつもりはなかった。
どれほど強大な力を持つ存在の隣にいても、その力に頼るばかりで生きるような生き方は、彼女の望む『大人の姿』ではなかった。
「──だから、レグルスさん」
その言葉と共に、ユメはようやくレグルスの方へと顔を向けた。
「貴方に向かう厄災は、私が全て受け止めます!」
それはまるで、無敵で最強の存在に対して、無謀なまでに正面から立ち向かうという誓いにも聞こえた。
「…………───」
レグルスは何も言わなかった。
ただ、ほんの一瞬だけ視線を逸らし──そっと、天を仰いだ。
「戯れ言を……そんな盾ごときで何が出来る。やれッ!」
次の瞬間、理事が怒号を上げ、すぐさま新たな命令を飛ばす。その指示は、上空で待機していたヘリに乗るカイザー兵に向けてのものだった。
「──了解ッ!」
それに即応した兵士たちが、ヘリのハッチを開き、レグルスとユメに向けて、次なる兵器を解き放った。
「えーっ!?ミサイルは聞いてないよ~!」
放たれたのは、無数のミサイル。
これまでの弾丸やロケットランチャーとは比べ物にならない火力。
まさしく、レグルスとユメを市街地ごと吹き飛ばすような破壊兵器だった。
「……ううん、ミサイルだって、この盾で防いでみせ──わひゃあっ!?」
ユメが盾を構えようとしたその瞬間。
突然、足元の感覚が消えた。
身体が地面から浮き上がり、ふわりとした浮遊感が彼女を包み込む。
「──さすがに、あの数のミサイルを直に喰らうのは、いくら僕でも気が進まないよね。それは君も同じだろう?」
耳元に届いた声に、ユメは硬直した。
「……………………へっ!?」
今の状況を一瞬で理解できず、ユメは上ずった声を漏らす。
気づけば、彼女はレグルスに盾ごと抱えられていた。
「だから……一緒に逃げよう」
「えっ──わああああああああっ!!?」
そのままレグルスは、両足に軽く力を込めて跳躍した。
レグルスとユメの身体は空を翔ける。
凄まじい勢いで接近していたミサイル群は、レグルスの跳躍に一歩遅れて道路へと着弾し、幾つもの爆発音が連なった。
「──くそっ!絶対に逃がすな!常に奴の位置を特定し続けろッ!」
煙と炎が立ち上る中、理事は怒りの声を吐いた。
無様とも言えるその叫びの中に、執念だけは確かにあった。
◆
「──とりあえずここで良いよね。ほら、降ろすよ。足元に気を付けるといい、転んでも責任は取れないからね」
そう言いながら、レグルスはふわりとユメの身体を地面へと下ろそうとする。
「──はっ!?は、はい!降ります降りますっ!」
顔を赤らめたユメは、一瞬呆けていた様子から急に我に返り、レグルスの腕から逃げるように降りていった。そして、ようやく自分の足でしっかりと立ち上がる。
──レグルスが跳躍して辿り着いた先は、アビドス市街地にそびえ立つ高層ビルの屋上だった。周囲の建物よりも一際高く、辺りを一望できるその場所に、二人は降り立っていた。
「……レグルスさん?」
様子を伺うように声をかけるユメに、レグルスは背を向けたまま答えた。
「先生たちを心配しているのなら、その必要はないよ。彼、彼女たちは善戦していた。さすがは先生とその生徒たちと言ったところかな。素直に感心したよ」
そう言いながら、彼はビルの端に立ち、遠くの街並みを見下ろす。
レグルスが市街地で暴れていた最中、先生たちはカイザーの別部隊に襲われていた。
だが、先生の指揮は的確で、生徒たちの動きも洗練されていた。彼、彼女たちは確実にカイザー兵を追い詰めていた。あの戦況であれば、勝利は目前だろう。
「はい!さすがは先生と私の後輩たち、私なんかよりも凄くて──って、それも大事ですけどそうじゃなくて!」
勢いよく肯定しておいて、すぐに否定するユメ。両腕をぶんぶんと振り回しながら叫ぶように言った後、ふう、と落ち着いて言葉を続けた。
「──何で、逃げた先がこのビルの屋上なんですか……?」
本気で逃げるなら、市街地の外に行けばよかった。
レグルスほどの力があれば、その程度の移動は容易なはず。
そもそも、彼はアビドスとカイザーの衝突に直接関係しているわけでもない。ここに留まる理由は、どこにもなかった。
「勘違いしないでほしいな。僕は何も考えなしにここに来たわけじゃない。ちゃんと目的があって、この場所まで足を運んだんだ……ただ、たった今、もう一つの理由ができたけどね」
「え?」
レグルスは、街を見下ろすのをやめ、ゆっくりとユメの方へと向き直った。
「──君は、弱くなんかないよ」
不意に放たれたその言葉に、ユメの表情が固まった。
「……え、えっと、言っている意味が──」
戸惑う彼女を前に、レグルスは言葉を遮るように、静かに語り始めた。
「僕は、無欲でありながら常に満たされている存在であり、完璧で、完成された人間だ」
それこそが、レグルス・コルニアス。
そうでなければ、レグルス・コルニアスとして存在する意味はない。
「そんな人間に対して、君はこう言った。僕に向かう厄災は、全て受け止めてみせると」
ユメは言った。自分が盾となり、レグルスを守ると。
それは、無敵で絶対たる彼の存在意義を、否定するに等しい言葉だった。
レグルスにとって当たり前だった日常。
弾丸が飛んでくるのは当然、傷つかないのも当然。
だが、その当然を、ユメはたった一つの盾で覆した。
「そんな君が弱いだって?それこそ戯れ言でしかないよね……誇っていいよ、君は強い。完璧で、完成された人間である僕が保証してあげよう」
優しくもあり、傲慢でもあるその言葉。けれど、レグルスにとってそれは紛れもない真実だった。
あの時、レグルスは人生で初めて『守られる』という体験をした。
キヴォトスに来て以来、何があっても自分一人で対処してきた。
圧倒的な力があればそれは当然のことかもしれない。だが、自身が攻撃されているという中、誰かが自分の前に立つなどということはかつて一度も無かった。
「……私はただ、皆のお荷物になりたくなかっただけで──」
俯いたユメの声は、どこか弱々しい。
一人の大人として、果たして皆の役に立てているのか。自分はただ足を引っ張ってばかりなのではないか──そんな思いに、何度も心を揺らされてきた。
「僕は言ったよね。目的があってこの屋上に来た時、色々な理由がある中で、たった今もう一つ理由が出来たって……それだよ」
レグルスは視線を逸らさず、ユメを見つめる。
「君は思ったよりも自己肯定感が低すぎる。君がそんな子だとは思わなかったよ」
だからこそ、レグルスはもう一度言葉を重ねた。
今度は、ユメ自身のその否定的な感情に対して、レグルスが真っ向から否を突きつける番だ。
「──君は強い。たとえ誰も認めようとしなくても、僕が直々に認めてあげよう。もっとも、君がさっきみたいな戯れ言を口にするたび、何度でも容赦なく否定してあげるつもりだけどね。ありがたく思うといい。僕が寛大で、慈悲深い人格者で本当に良かった、とね」
その口調は、いつもと変わらない調子だった。
けれど、それこそがレグルスだった。
「──……っ」
ユメの肩が小刻みに震える。胸の奥に押し込めていた何かが、じわりと溢れ出してきた。
さっきまでしっかりと握っていた盾を、その手からぽとりと落としてしまう。
金属音が、屋上のコンクリートに鈍く響いた。
「貴方は、私を何度泣かせれば気が済むのですか……!」
感情の波が抑えきれず、ユメの目尻から大粒の涙が零れ落ちる。
ビナーの時も、再会を果たした時も、市街地での戦闘の中でも……何度、彼の言葉や行動に涙させられてきただろう。
「──寛大すぎて、慈悲深すぎますよ……!」
必死で言葉を絞り出すユメの顔を見て、レグルスは少しだけ口角を上げる。
「実際、その通りだからね」
当たり前だと言わんばかりに、そう返した。
「奴らの反応が近い!もしかして……このビルの屋上か!?」
「なんだってこんなところに……とにかく、奴らを仕留めて理事の元に行くぞ!」
その瞬間、カイザー兵たちの声が聞こえてきた。
理事のしぶとさが伝染っているのか、カイザー兵たちもまた異様にしぶとかった。高層ビルの屋上まで逃げたというのに、追撃を諦めず、ついにはヘリまで飛ばしてこの場所にまでやってきたのだ。
「もうここまで来て……!?ごめんなさいレグルスさんっ!私を抱えてここまで逃げてきたばかりに……!」
申し訳なさそうに謝るユメ。
やっぱり私を置いて逃げた方がよかったのではないか──そんな内省が渦巻く中、レグルスは不意に言葉を落とす。
「──とんでもない、待ってたんだ」
「へ?」
ユメは、またしても困惑する。どれだけレグルスの意図を汲み取ることが難しいか、既に数度「へ?」と声に出してしまっている。
レグルスは微笑を浮かべたまま、ユメのその問いに応えるように言った。
「僕たちがこうして話している間、彼らはここまでやってきて──」
「おい!見つけたぞ、奴らだ!」
「やっぱりここに居たか……ミサイルとランチャーを構えろ!爆風とかで吹き飛ばせば勝機はあるかもしれないぞ!」
上空のヘリから、二人を視認したカイザー兵たちが次々と武装を構える。その狙いは、屋上ごと二人を殲滅すること。
──レグルスと違って、無慈悲そのものだ。
だが、レグルスが何もしていないはずがなかった。
「よし!撃──」
その瞬間だった。
「うわあああああッッ!!?」
「おい、何が起き──何でプロペラが爆発してるんだッ!!?奴は何もしていないはずだぞ!?」
突如として、ヘリのプロペラが爆発。火花と煙を撒き散らしながら、機体は回転を始め、制御不能に陥った。
「……ああ、俺、今この時だけは理事を恨むわ……」
「このまま落ちたらまず──うわああっ!?」
重力に逆らえず、ヘリは斜めに傾きながら、そのまま真下へと墜落していく。操縦不能となった機体は、哀れにも回転しながら急降下し、地上へと飲み込まれていった。
「──こうやって、たった一つの息だけで墜落していく末路をたどるのだから。本当に、呆気ないものだよね」
レグルスは、どこか退屈そうにそう呟いた。
──レグルスが仕掛けたのは、設置型爆弾。
ビルの屋上に着地する寸前に、レグルスはわずかに吐息を吹きかけながら、見えない爆弾として時間ごと停止させて配置していた。それは、敵が触れた瞬間に即座に爆砕する、避けるのが無理ゲーである、時を封じた地雷だった。
「──それじゃあ、ユメ」
未だに口を開けたまま、爆発の余韻に呑まれているユメに、レグルスはゆっくりと手を差し伸べる。
「僕と共に、ここから降りようじゃないか」
その直後、下から凄まじい爆音が天地を揺らし、爆炎と絶叫が四方に吹き荒れた。