爆煙の中から、声が響き渡る。
「──あのさあ。君たち、卑怯だと思わないのかな?」
どこか呆れを滲ませたような、しかし凛とした声。炎の揺らぎを背に、レグルスは立っていた。
砂塵にまみれ、火花に囲まれ、それでもなお涼しい顔で言葉を紡ぐ。
「ありとあらゆる兵器を用いて一人を痛ぶるような真似をして、心が痛まないわけ?それって人として大事な部分がどうかしちゃってるんじゃないの?倫理や理性、罪悪感とかさ。そこのところ、君たちの口からちゃんと説明してもらえるかな?言葉にしてこそ、己の愚かさというのは理解できるものだからさ」
状況はあまりにも理不尽だった。
高射砲、戦車、戦闘ヘリ、ドローンに加え、百を超えるカイザー兵たちが一斉にレグルスへと牙を剥く。第三者から見れば、胸糞悪い展開に違いない。勝者の余裕ではなく、単なる暴力の濫用。倫理を捨てたカイザーの獣どもによる狂宴だった。
──だが、その中心にいるレグルスは心身ともに消耗などしていない。
「うわああああああああああッッ!!?」
「もう退職したあああああいッッ!!?」
このように叫ぶのはレグルスではなく、カイザー兵たちの方だった。
「命令を受けてまでも、こうして果敢に立ち向かう君たちには、敬意を払ってやれなくもない。だけどさ、それでも結果的にやってることは、たった一人の人間を無数で寄ってたかって痛ぶってるという、実に陳腐で野蛮な行為でしかないんだよね……」
砂を踏みしめ、レグルスは静かに腕を振り上げた。
「本当に、僕を誰だと思っているのかな。ゲマトリア所属の強欲の権化、レグルス・コルニアスなんだけど」
次の瞬間、前方の戦車が轟音と共に爆発する。
鉄の巨躯が吹き飛び、複数の兵士が爆風に巻き込まれて絶叫を上げる。レグルスは、その爆炎を背にしながらも、なお淡々と歩みを進めていた。
──そう、レグルスは長々と喋りながら、兵器を破壊していた。流れるような自然さで、一つひとつ確実に。
「とにかく今は撃ちまくるんだッ!奴の決定的な弱点を探しだせッ!」
理事が叫ぶ。物量でのゴリ押し、そして弱点の露呈。それがカイザーの作戦らしい。
だが──
「あのさあ、いい加減に認めなよ。君たちじゃお話にならないんだってことをさ……なんだっけ、弱点?そんなもの、僕にあるはずがないじゃないか。だって僕は完璧で、完成された人間なんだからさ」
唯一あげられる弱点としては、『強欲ムーブ』をやめること。そうすればレグルスの権能は失われる。しかし、この二年間、死と隣り合わせのキヴォトスで生き延びるために、ほぼ常に強欲を演じてきた。
──既に強欲は、レグルスの生き様と化していた。
「一回だけじゃ飽き足らず、二度も三度も僕を襲い、無数の兵器による暴力を浴びさせる……君たちがそうするのなら、僕にも同じことをする権利があるということだよね」
そう言うと、レグルスはふと立ち止まり、おもむろに片足を上げた。
「──ッ!総員、警戒しながら攻撃を続けろ!」
理事が警告を飛ばすが、遅い。レグルスの片足が、轟音を立てて砂漠を踏み鳴らした。
「──おわッ!?」
「あいつ、どんな馬鹿力で……!」
地鳴りが響いた。
砂漠が震え、兵器もカイザー兵も揺れに翻弄される。これでは攻撃どころではない。しかも、それはただの地震ではなかった。
「……あ?……ああああ、ああああああああッ!!?」
「おい!情けなく叫ぶ前に奴にこう……げ、きを……」
その時、前線にいたカイザー兵は見た。
砂粒が止まり、浮き上がり、空気のように膨張し……そしてそれは津波のような砂の奔流となり、襲いかかってくる光景を。
「そうはならないだろッ!」
「早く逃げ──ぐぼぉッ!?」
カイザー兵は砂の波に飲まれ、悲鳴を上げる間もなく視界から消えていった。金属音を立てながら戦車が傾き、砲身がちぎれ飛び、ミサイルが爆発する。カイザー兵の叫びは砂に吸われていった。
「一定の距離を保ちながら撃てッ!」
そんな中、理事の怒声が飛ぶ。
先程の砂の奔流で半壊した部隊の中から、辛うじて無事だったカイザー兵たちが慌てて後退し、射撃体勢を整える。荒れ果てた砂漠地帯には、未だ砂煙が立ちこめ、視界は最悪だった。
「くそ……視界が悪くて、あいつの居場所が分からないぞッ!」
「落ち着け!とにかく奴の被害に遭わないように気を──ごはぁッ!?」
「は?──ごへぇッ!?」
カイザー兵の声が突如として途切れる。
その次の瞬間、砂煙の向こうから鉄塊が飛来し、カイザー兵の身体を簡単に弾き飛ばした。
「──あのさあ、か弱い僕が必死になっている中、和気あいあいとお喋りしているってどういうこと?常識が欠落しているのにも限度があるでしょ」
皮肉交じりの声とともに、砂煙が四散する。そして、そこに姿を現したのは……
「常識が欠落しているのはお前だろうがッ!!」
──戦車の残骸を片手に振り回しながら、カイザーの元に迫ってくるレグルスの姿だった。その残骸が振り回されるたびに、無数の鉄片となって四方八方へと飛び散り、逃げ惑うカイザー兵たちを容赦なく襲う。
「うわあああああああッ!!?」
パニックに陥った兵士たちが四散する。まるで蟻の群れが巣を突かれたかのような混乱。だがレグルスの目には、それが滑稽なまでに些末で、そして卑小に映った。
「ひどい言い分だなあ……まあ、その言い分こそがカイザーって感じがするけどね。僕には絶対に理解できなあああああああああああッ!!?」
その瞬間だった。
突然、レグルスの足元で閃光が弾け、轟音が響いた。遅れて爆風が巻き起こり、レグルスの身体は文字通り空高く吹き飛ばされた。
「──ッ!?理事、レグルス・コルニアスがミサイルによって吹き飛びました!」
「なんだとッ!?」
その報告に理事は思わず声を荒げる。
今までの一方的な展開とは明らかに異なる。レグルスが吹き飛ばされたという事実は、それだけで価値がある情報だった。
「奴にどうすれば勝てる、どうすれば……!」
理事の視線は、空へと飛んでいくレグルスを追い続けている。その高度は尋常ではない。ミサイルの爆風とはいえ、通常の人間がここまで吹き飛ばされることはまずあり得ない。だからこそ理事は考える。これこそが、奴の攻略の鍵になるのではないか、と。
「ふざっけるなよおッ!!?」
空中から、聞き覚えのある叫び声が響く。レグルスは今、空高く──というより、またもや成層圏に迫る勢いで飛ばされていた。
レグルスにとって今回の状況は前回と違い、明確な敵であるカイザーが存在する。そのため、安易に強欲ムーブを止めることが出来ない。しかし、このままではまた宇宙へと吹き飛ばされかねないという恐怖が全身を支配する。
「とにかく何か掴めるものがあれば──あっ?」
空中で無様にも手足をばたつかせるレグルス。そして、偶然にも右手が何かに触れた。
「ぅ゛ああああああああああああああッッッッ!!?」
それを掴んだ瞬間、身体は信じられないほどの勢いで横回転を始める。
──視界が回る。天地が分からない。内臓が逆流しそうなほどの遠心力。まるで空中ブランコに括り付けられたかのような感覚。
レグルスの情けない悲鳴は、上空から砂漠の戦場へとこだまする。
「おい、奴の叫び声が頭上から聞こえる気がするんだが、気のせいか?」
そんな中、ヘリの内部でカイザー兵の一人が不安げに呟いた。
甲高く、聞き覚えがある声による情けない叫び声。
まさかとは思いつつも、それは確かにヘリの天井の向こう側から響いてきていた。
「ミサイルで吹き飛ばされたんだから、その叫び声が聞こえてくるだけだろ。早く奴に付いてるGPSから位置を特定して、このまま追撃するぞ!」
もう一人のカイザー兵が気にするなと言わんばかりに手元の端末を操作しながら言う。
ヘリ内部は緊張と期待が入り混じった空気に包まれていた。ついに、あの化け物を仕留められるチャンスが来たのだと。そんなことを思いつつ、レグルスを仕留めるために追尾ミサイルの発射準備をする。
──だが。
「おい、お前ら、これ……」
別のカイザー兵が、震えるような声を発した。その指は、前方のコックピットに設置された戦術状況表示モニターを指していた。
「なんだ、早く奴に追撃を……は?」
全員の視線がそのモニターに集まる。味方を示す青のマーカー、敵を示す赤のマーカーの様子を見ると……
「な、ななななん……」
──その中で、赤色の一つがヘリのマーカーと重なりながら、とんでもない速さでぐるぐると回転していた。
「何だこの動きはッ!?」
常識では説明のつかない表示に、カイザー兵たちは顔を引き攣らせる。誰もが頭の理解を拒みたいと思った。だが、モニターに表示されているものは現実だった。
「おい、ドローンの映像と繋げろッ!」
「──あ、ああ……!」
慌ててドローン映像を接続する。
そして数秒後、モニターに表示されたその映像に、全員が凍り付いた。
『ぅ゛あああああああああああああッッッッ!!?』
モニターの中で、レグルスがヘリのメインローターに片手でしがみつきながら、あり得ない勢いで回転していた。
「そうはならないだろうがッッ!!!」
叫びにも似たツッコミが飛ぶ。
理屈も物理も何も通用しない。回転するローターの一部と化したレグルスを前に、カイザー兵たちはただ呆然とするしかなかった。
「ど、どうする!?このまま機体を揺らして振り落とすか!?」
「馬鹿!そんなことしたら俺らまで危ないだろ!」
焦りと混乱が生じる。
B級ホラー映画さながらの状況に、全員が限界を感じ始めたそのとき──
「うわッ!?」
機体がぐらりと大きく揺れた。
内部のカイザー兵が悲鳴を上げながら尻餅をつき、備え付けの椅子や装備にしがみつく。
「まさか、あいつが──ひっ!?」
揺れの原因を確かめようとしたカイザー兵の視界に、コックピット横のハッチの上縁を掴む白い手袋が映った。
「──どわぁはあぁッッ!!?」
そして次の瞬間、レグルスが機体内部へと滑り込むように転がり込んできた。
レグルスの顔には回転による目まいと怒りが混じった、形容しがたい表情が浮かんでいた。
「はぁ……あ゛ぁ……何で、何で僕がこんな目に遭わなくちゃならないんだよ!?何度も言ってやるけど、僕はか弱い一人の人間に過ぎないんだよ!?それにも関わらず、どうして過剰すぎる戦力をこれでもかと投入するんだ!人の心ってものが一切ないのかなあ!?それに、誰が好き好んでプロペラと一緒に舞わなきゃいけないんだよッ!?これはもう僕の精神と身体に対する権利の重篤なしん……が、い……」
そこまで捲し立ててから、レグルスは気づいた。
目の前に並ぶカイザー兵たちと、ばっちり目と目が合っていることに。
「……」
「……」
「──」
「ひっ!?」
無言の数秒間、沈黙が機内を支配したかと思えば、レグルスは静かに左手を機内の壁に添えた。
「──よくもこの僕をコケにするような真似をしてくれたね。そんな君たちには少し痛い目に遭ってもらおう……僕がこの左手にほんの少しでも力を込めたらどうなるかなあ?」
「──ッ!?早くそいつをここから追い出せッ!」
ものすごく嫌な予感がしたカイザー兵が反射的に叫び、レグルスに向かって銃の引き金を引いた。
──だが、既に遅かった。
「今度は君たちが空を舞え!」
レグルスが左手に力を込めた。
その瞬間、機体全体が突如として震動し、次いで眩い閃光と轟音がヘリ内部を包み込んだ。
衝撃によって金属が裂け飛び、炎が吹き上がる。空中で、ヘリは木っ端微塵に粉砕された。
「ふざけ──!?」
「ああああああッッ!!?」
爆炎と共に空中で粉々になったヘリ。
その破片が飛散し、黒煙と閃光が空を塗り潰す中、乗っていたカイザー兵たちはまさにレグルスの言葉通り空を舞っていた。
「──!?上から来るぞッ!気を付けろおおおおッ!」
そんな中、地上に配置されていた別の部隊のカイザー兵が叫んだ。
──空を見上げると、無数の鉄片が砂漠の空にばら撒かれたように降り注いでくる。爆散した機体の残骸が、凶器と化して襲いかかってきたのだ。
「こんなのどうやって避け──ごほぉ!?」
「化物があああああああッッ!!?」
もはや逃げ場など無い。
鉄片がぶつかり、爆風が吹き荒れ、地上のカイザー兵たちも次々と倒れていく。
空から降るのは死神の鎌としか思えなかった。
レグルスは、触れた物すら兵器に変える厄災そのものの存在に等しい。カイザー兵たちは、その異常な力を前に、人ではなく化け物として認識せざるを得なかった。
「……まだだ、まだ終わっていないぞ、レグルス・コルニアスッ!」
しかし、唯一その事実を認めようとしなかった人物がいた。
──理事である。
この戦場を統括する者であり、何度もレグルスを追い詰めようとしてきた張本人。そんな理事の魂には、未だ炎が宿っていた。
第三者から見れば、狂気じみた執念か、それとも不屈の信念か。どちらにしても、理事の視線はレグルスを捉え続けている。
そんな理事の姿を、レグルスは上空から見下ろしていた。プロペラと共に空を舞っていた彼は、先程の情けなく叫んでいたとは思えないぐらい華麗に着地し、砂漠に立っていた。
「──君はそうやって散々好き放題吠えてくれたけど、こうして周囲を見渡すと呆気ないものだよねえ」
彼の足元には、既に戦闘不能になった兵士たちの姿があった。生き残った者も、恐怖に支配され、動けずにただ見上げている。
「さあ、いい加減に諦めて降伏しなよ。そうすれば見逃してあげるから……僕は慈悲深いんだ」
レグルスは柔らかく、だが決定的な言葉を告げた。その声音に嘘偽りは無く、本心からの提案であった。
──だが。
「ふははッ!舐めるなよ、レグルス・コルニアス!」
理事はその申し出を一蹴した。口元に笑みを刻みながら、彼は最後の賭けに出る。
「貴様のその無敵のカラクリは、最後まで理解することができなかった……だが!衝撃によって吹き飛ばされたその挙動──あれは不自然だった。ならば……ありったけの衝撃を貴様にぶつけ、遥か彼方に吹き飛ばしてしまえばいいッ!」
「──へえ?」
その理事の言葉に、レグルスは微笑みながら目を細めた。
そして、理事の指が空を指し──
「奴をキヴォトスから追放しろッ!!」
理事の叫びと共に、数百発のミサイルが一斉に発射された。熱源追尾も、貫通力も、すべて無視。ただひたすらに爆風で宇宙へと吹き飛ばすことだけを目的とした弾頭群が、地を裂き、空を震わせてレグルスへと殺到する。
「君たちカイザーに対して、心の底から敬意を払おう」
その光景を見て、レグルスはそう静かに呟いた。
執念、執拗、粘着……それが何であれ、ここまで諦めずに食らいついてきた勢力は、これまでにいなかった。
「だけど──残念ながら時間切れだ」
ミサイルが殺到する中、レグルスは一歩、前へ。
おもむろに目を閉じた後、足を思い切り、砂漠の砂に叩きつけた。
「──ぁ?」
理事の口から、低く短い声が漏れる。ほんの一瞬、風が全身を包んだ。
──世界が止まった気がした。
錯覚か、それとも現実か。風が止まり、音が消え、視界の端から何かが崩れ始める。
レグルスの口元が、ゆっくりと笑みを形作る。
そして──
「──」
砂漠が、崩壊した。
轟音が地の底から這い上がる。地面が裂け、砂が宙を舞い、重火器ごとカイザー兵を呑み込む。
兵器は悲鳴を上げるように軋み、カイザー兵は叫ぶ間もなく空へと跳ね上げられ、吹き飛ぶ。何もかもが、レグルスの一撃によって呑まれていく。
破壊、崩壊、混乱、恐怖。
一瞬で戦場の景色が地獄へと塗り替えられた。
──カイザーは、レグルスの寛大な心と慈悲深さによって、今日まで生き延びていたに過ぎなかったのだ。
◆
「……君、今回は運が良くなかったみたいだね」
感情のこもらない声でそう告げると、首だけとなったロボット──理事の音声モジュールが、かすれたノイズ混じりの音を発した。
「貴様……!腕だけじゃなく、私の身体まで破壊しやがって……ッ!」
「でも、君が率いる部下たちは気絶しているか、その場で震えて僕を見ている連中ばかりだ。それなのに、肝心の君はどうかといえば……無様に首だけになっちゃって。滑稽すぎてつい笑っちゃうよ」
そう言いながらも、レグルスは笑わなかった。目を細めたまま、ただ軽く溜息をついただけだった。
「黙れッ!……貴様は、とことん私の計画を妨げるように現れ、私を含めた社員たちも何度も何度も妨害され続けてきた。貴様のせいで……貴様のせいで、私の計画があああああッ!」
「僕のせいだなんて心外だね。冗談はその醜い首だけにしてくれよ」
「黙れッ!」
声を荒げることしかできない理事。身体と首が分断されてしまったため、今や声だけが唯一の抵抗手段だった。
「──私はこれで諦めるつもりはない。目的を達成するまで、どこまでも足掻いてやる。貴様がアビドスの連中に加担し続けるのであれば、奴ら同様、とことん苦しめて追い詰めてやる……!」
「……?」
その言葉に、レグルスは小さく首を傾げた。
内心で呆れを浮かべながらも、レグルスは冷静に言葉を返す。
「本当に、君は勘違いしすぎているね」
その瞳には怒りではなく、ただ理解されないことへの呆れがあった。
「僕はアビドスの生徒たちに直接手を貸したつもりはないし、今後もするつもりはない。君らがアビドス高校に手を出したければ出せばいいし、それを僕は止めるつもりもないよ。選択をする自由と、その結果を受け止める責任の権利は、誰にだってあるのだからさ」
そこでレグルスは一息つき、言葉の調子を僅かに落とす。
「──だけどさ、僕自身に被害が及ぶのであれば話は別だ。ましてや穏やかに暮らそうとしている市民たちや、その居場所を荒らすのであれば、同じ市民として見過ごすつもりはないよ……だから僕は、僕自身のための私財を保有し、築き上げたその場所を誰にも荒らされないよう、邪魔な存在は徹底的に排除するだろうね」
レグルスにとって、それは正義でも理念でもない。ただの自己防衛にすぎなかった。
「諦めてアビドスから去りなよ。どうせ君の立場は、そう長くないんだからさ」
「ぐッ……くそがッ……!」
怒りと悔しさが幾重にも重なる呻き。しかし、もはや理事にはレグルスに一矢報いる手段も力もなかった。動かぬ身体で、もがくことすらできず、ただその場に転がる金属の塊にすぎない。
「──とまあ、色々言ったけど、このまま何もせずお咎め無しというのもおかしい話だよね。だって君は、僕と市民たちが穏やかに暮らしたいという当たり前の権利を、見事に踏み躙ったわけだから……うん、決めたよ。後で部下たちに探してもらってね」
レグルスは穏やかに頷きながら、自身の服にいつの間にか仕掛けられていたひとつの小型装置を取る。
それは、指先ほどの大きさのGPSトラッカーだった。そしてそれを、理事の頭の上に仕掛ける。
「……何を──」
理事が問いかけるも、ある光景を視界に捉えた次の瞬間、言葉を失った。
──レグルスの姿勢が変わっていた。
ゆっくりと、そして美しく、片脚をやや後方に引き、もう一方の脚を前へ構える。砂の上に乗った足先が、わずかに沈む。
まるで『蹴る』ことそのものを洗練した芸術のような、その構え。
「──ッ待て!落ち着け、レグルス・コルニアス!今後、貴様の邪魔は一切しない!必要であれば援助だって惜しまない!だからそれだけは、それだけはやめろ!誰も……誰も幸せにならないぞッ!!」
必死にすがるような声。尊厳も威厳も放り投げ、命乞いをするような声が、砂漠に無様に響き渡る。
その懇願にレグルスはただ、穏やかに微笑んだ後──
「サッカーしようか。君、ボールね」
「待っ──」
次の瞬間、理事は星となった。
◆
『私ね、ホシノちゃんと初めて出会った時、これは夢なんじゃないかって、何度も頬をつねったの。ホシノちゃんみたいな、可愛くて強くて、頼れる後輩がそばにいてくれるなんて夢みたいなことが、本当に嬉しくて……』
──記憶の中で、ユメ先輩の声が微かに響いた。
「……私は強くもないですし、頼れない後輩ですよ。ユメ先輩」
誰に聞かせるでもなく、ホシノはぽつりと呟いた。静まり返った実験室には、機械の低い動作音だけが残響のように鳴っている。
「……シロコちゃん、ノノミちゃん、セリカちゃん、アヤネちゃん、先生……ユメ、先輩……ユメせんぱ……」
言葉が震える。胸の奥から溢れ出す涙を止めることはできなかった。もっといい方法があったはずだ。皆が傷つかずに済む道が、どこかにあったのではないかと、自問する。
「でも、これしか……!」
必死だった。借金が少しでも減れば、後輩たちが苦しまなくて済む。ユメ先輩も、いつまでもアビドスのことを気にせずに前へ進める。だからこそ、あいつと契約した……そのはずだった。
──だというのに、すべては欺瞞だった。
「……っ!」
ホシノは唇を噛みしめて俯いた。どうしようもない後悔だけが、胸の奥を締め付ける。
もう、全てが終わりなのかもしれない。このまま、あいつに好きなようにされてしまうんだ。
──と、そう思った時だった。
「……?」
ホシノは微かな違和感を感じ、顔を上げた。
──実験室の扉が、さっきから小刻みに揺れているように見える。けれど、誰の気配もしな……いや、気配はある。ただ、尋常ではない圧力が、それを感じ取らせていた。
そして、次の瞬間──
「──ああもうめんどくさいなあ!」
怒鳴り声が炸裂し、直後に扉が爆風のような衝撃と共に四方へ吹き飛んだ。破片が火花を散らしながら床を跳ね、壁に突き刺さる。
「はへえッ!?」
あまりの衝撃に、ホシノはとっさに身体を引こうとする……が、手首の拘束に引き戻され、背中が壁に打ちつけられた。痛みを感じるより早く、煙が室内に充満して視界を奪っていく。
「こっちはさっさと終わらせたいのに、無駄に頑丈な扉まで作っちゃってさあ!少しは開ける人の気持ちを考えた方が良いと思うんだよね!」
「──ぇ……」
その声に、ホシノは凍りついた。
そして、立ち込めた煙の中から一人の人物が現れる。
「……って、ああ。こうして直接話すのは初めてだよね、小鳥遊ホシノ」
「──何で……!?」