「……」
砂を踏みしめる音だけが、広大なアビドスの砂漠に溶けていく。
ホシノが幽閉されていた実験室を出て、どれほど歩いただろうか。体感ではもう二十分近くは経っている気がする。
──まあ、こうしてわざわざ距離を取っているのには理由があるのだが。
「さて、と」
足を止め、周囲を一瞥する。
地平線の先まで見渡し、誰もいないよな……多分。と、適当な確信を得たところで、腰を屈めて砂をひと握りすくい上げた。
指の隙間から零れ落ちる細かな粒子を見つめ、ひとつ息を吐く。そして、おもむろに立ち上がり──
「──僕を上から見下ろすな、黒服」
上空に漂う鉄の塊を睨み上げる。その瞬間、握り締めた砂を勢いよく投げつけた。
ぱらぱらと散るはずの砂が、次の瞬間には弾丸の群れへと変貌する。
凶器となった砂粒が鉄の塊を削り、金属音と共に火花を散らす。鉄の塊はみるみる機動性を失い、重力に引かれて落下していった。
「……」
黙って右手を差し出す。
掌が上を向いた状態で軽く腕を伸ばすと、ボロボロになったそれは衝撃を伴って手中に収まった。
『──クックック……レグルス、何も破壊する必要は無かったと思うのですが』
壊れたドローンから、低い声が聞こえてきた。
──そう、この鉄の塊は黒服が飛ばしていたであろう監視用のドローンだった。
「完膚なきまでに粉々にしてやろうと思ったんだけど……どうやら君は、無駄に悪運だけは強いらしいね」
見たところ、音声モジュールと外殻の一部だけが無傷で、他は完全に大破している。音声モジュールだけ無駄に頑丈なのかと思えば──単に僕がそこだけ外してしまったらしい。
『褒めていただき光栄ですね』
「僕は一ミリも褒めてないんだけど、君の脳みそは味噌でも詰まっているのかな?」
皮肉を投げつけても、黒服はクックックと愉快そうに笑う。本当に味噌を脳みそに詰め込んでやろうかという衝動が胸をよぎった。
『──観測させてもらいましたよ。ここまでに至る過程、そしてその結末をッ!実に素晴らしかったです。ホシノさんを手放す事になったのは非常に残念ですが……ええ、ええ、それも一つの結末として受け入れましょう!』
音声だけでも分かる、過剰なまでの興奮。僕は呆れ混じりにため息を吐いた。
「やっぱり君、僕のことをストーカーしていたよね?か弱い人間である僕がたった一人で野蛮な集団に立ち向かって必死に抵抗している時も、わざわざホシノの元まで足を運んで生産性のない会話をしている時も、遠くから監視し続けていたんだろう?あれ、すごく不愉快だったんだよね。当然、許可なんて一度も出した覚えはないし、そもそもそんなお願いをしたこともない。これはもう、単なる無礼や非常識の域を超えてる。僕が求める平穏を、悪意と執念で踏みにじっているようなものだよね。だからさ、はっきりと言わせてもらうよ──これは、僕が平穏に暮らそうとする権利の侵害だ!」
『そうです!レグルス、貴方はそうでなくては!権利の侵害を訴えるその姿は、まさに強欲そのもの!私にとっても、より貴方の神秘の研究が捗るというわけですね。クックック……!』
……強欲ムーブで文句を言っていたら、研究が捗るなどと言われてしまった。
もしかすると、僕は黒服への文句の付け方を盛大に間違えたのかもしれない。
「……はあ」
額にかかる髪を払いつつ、僕は呆れ混じりに吐き出す。
「僕の神秘ならポンコツロボが率いる……なんだっけカイザー?僕があの野蛮な集団に抵抗している時に観測出来たと思うんだよね。なのに君は、未だ研究研究と狂ったような欲を出す……強欲なのは君の方だと思うんだよね。何度も言っているけど、平々凡々とただただひたすら穏やかで安寧とした日々を享受できればそれで十分、それ以上は何も望まない無欲な人間だよ、僕は」
『──では私も、何度でも言いましょう……レグルス。貴方は間違いなく、このキヴォトスで一番の強欲です。これだけは譲れません』
「はあ?」
どうしてそうなるんだろうか、意味が分からない。
僕は平穏を求めているだけだ。それに対して黒服は、何度も僕を研究対象として迫ってくる。どう考えても、強欲なのは黒服の方だろう。
『そもそもとして、“ゲマトリア所属の強欲の権化、レグルス・コルニアス”と自ら名乗っている時点で、自分は強欲だと宣言しているようなものだと思いますが?』
「……………………………」
……ぐうの音も出ない。
あれは単に響きが格好いいから、そして強欲ムーブの一環としてそう名乗っているだけだ。本気で僕が強欲の権化なわけではない。そこは声を大にして否定したい。
──が、いい感じの言い訳が浮かばなかった。
「──はあああぁぁ……」
返事の代わりに、肺の奥からため息を長く吐き出す。その息に軽く指先を触れておき、何事もなかったかのように再び歩き出す。
「もういいかな?今日は散々な目に遭って、心身ともにボロボロなんだ。君みたいにはしゃぎながら話に付き合っている場合じゃないんだよ僕は」
強欲ムーブだけは崩さないよう、会話の終息を急ぐ。これ以上突っ込まれたら、余計なところでボロが出る……いや、すでに半分くらい出ている気もするが。
『…………ふむ。まあ、私も研究の成果を得られましたので充分ですね。感謝しますよ、レグルス』
「微塵もいらない感謝だね。嫌々受け取っておくよ」
研究を続けたとして、黒服は僕の権能を看破できるのだろうか。もちろん、あのノミ以下のような舐めプはするつもりもないから、そう簡単にバレることはないはずだが。
というか、バレたら困る。そうなったら間違いなく僕は死ぬ。
『──そういえば、これは些細な疑問なのですが』
「この流れで質問できる君の神経には称賛に値するよ」
これ以上まだ何か求めるのか黒服は。
皮肉を込めて返すが、どうせ効きやしないだろうと思いながら、黒服の次の言葉を待つ。
『怠惰の魔女因子とは何でしょうか?よければ詳しく説明してほ──』
「おっと、僕としたことが手を滑らせてしまった」
最後まで話を聞かず、僕はそう言って手にしていたドローンを後方へ軽く放り投げた。機体はふわりと弧を描き、先ほど僕が息を吐いた場所へと落ちていく。
『レグルス、私はそれを知りたくてしょうがな──』
──それに触れた瞬間、ドローンは盛大な爆裂音と共に四散した。
砂煙の中、黒服の声はもう聞こえてこなかった。
「──ふう」
静寂が訪れる。
強欲ムーブで塗り固めていた自分を脱ぎ捨てるように、ゆっくりと深呼吸した。
「終わった……これで、終わったんだ」
ここ数週間、理不尽な被害に遭い続けてきた。
──だが、もうあのような理不尽な被害に遭わなくても良いという確信が持てた。
「今回だけは、レグルスに感謝しないといけないな……いや、そもそもレグルスが所有していた物かどうかすら怪しいけど」
ポケットからスマホを取り出し、指で画面を数度タップし、軽くスワイプする。
──画面には、“残高:270,897,653クレジット”と表示されていた。
「これのおかげで、僕はもうひどい目に遭うことはなくなるんだ」
あの日、僕がレグルスに成り代わってしまったその時に見た、約12億のクレジット。
そのうち10億を、今回僕は丸ごとアビドスに譲渡した。
「もともとこれは僕が稼いだ金じゃない。それなら、目的を達成するために使った方がずっとマシだ」
この金は苦労して得たものではない。運良く宝くじを当てたわけでもない。
だからこそ、ずっと胸に引っかかっていた。これは僕の金じゃない、けれど、生きるためにはこの金を使うしかなかった。
「だからこそ都合が良かったんだけどね」
ここ最近、僕が被害に遭い始めた主な原因としては、アビドスが抱えている約9億という借金を理由にアビドスを占領しようとしていたであろうカイザーと、その借金を半分負担すると契約していた黒服。
──そう、カイザーと黒服。こいつらの思惑のせいで、僕はひどい目に遇い続けた。
何度も『死んだ』も同然だし、何度も数多の『死』が僕を襲い続けた。
──それじゃあ、それを避けるためには?
僕が出した結論は単純だった。
「簡単な話だ。原因の根本を無くしてしまえば良い」
つまり、アビドスの借金そのものを消し飛ばせばいい。
これにより、カイザーは借金漬けを理由にアビドスを占領することは出来なくなっただろうし、事前にカイザー兵を率いていた理事の首ははるか彼方に蹴り飛ばしておいたから、今後はロクに動くことも出来ないだろう。
黒服はホシノを手に入れるきっかけを失い、アビドス付近で活動しなくなる。そしてそれは、今まで黒服と関わって、アビドス付近で被害に遭ってきた僕が必然的に被害に遭うことがなくなるというわけだ。
「金で解決したみたいで少し嫌だけど……然るべきところに投資した、ということにしておこう」
小さく息を吐き、うんうんと自分を肯定し納得する。
「ただ、勢いでオアシスの場所を教えたのは失敗だったかな……まあ、彼女たちなら変なことはしないでしょ……しないよね?」
──何はともあれ、これで終わった。終わったんだ。
僕はもう理不尽な目に遇わずに済むんだ。しかもここ最近、不良たちは僕を見て逃げ出すことが非常に多い。数年間返り討ちにし続けた成果がここにきて出ているのだろう。
──つまり、僕がずっと願っている『平穏』の実現は近い。何なら既にほとんど実現できているのではないだろうか。
「帰ろう、僕の聖域に。苦労して手に入れた『平穏』を謳歌するんだ!」
疑問に思うかもしれない。
10億という大金を手放すなんて、正気の沙汰ではないと。
──だが、ここで断言しておこう。
「帰ったら何をしようか。とりあえず花に水を──」
僕は、誰が何を言おうと『平穏』を手にするためなら、どんな手段でも取ってみせる。
◆
──ある一室。
黒服は、湯気の立ちのぼるティーカップを片手に深くソファへと腰を下ろしていた。その姿はとても静かで、優雅であった。
「──『エデン』というものをご存じですか?」
唐突に口を開き、そのまま語り始める。
「エデン……それは太古の経典に記された楽園の名です。そこでは、誰もが飢えることなく、喉を渇かすこともない。空は常に澄み渡り、地には果実が実り、澄んだ水が絶え間なく流れている。夜になれば満天の星が降るように瞬き、朝になれば黄金の光が地を包む──そういった様々な解釈が存在したりします」
ティーカップを唇へ運び、静かに一口含む。その仕草はどこか緩やかであった。
「ご存じかどうかは分かりませんが、キヴォトスには七つの古則があります。そのうち五つ目は、まさに楽園に関するものです」
紅茶の香りを楽しむかのように目を細め、淡々と続ける。
「『楽園に辿り着きし者の真実を、証明することはできるのか』」
言葉を終えると、黒服はゆっくりとティーカップをソーサーへと戻した。
「この古則を聞いて、私が熟考した末の結論ですが……はっきり言えば、この五つ目の古則は最初から証明不可能であることを問うているのだと、そう結論付けました」
湯気が消えかけた紅茶を見つめながら、淡々と理由を述べる。
「もし楽園というものが本当に至上の満足を与える場所であるなら──辿り着いた者は二度と外に戻らないでしょう。その場で全てが満たされ、外界を顧みる必要などなくなるはずです。そうなれば、外からその存在を証明することは不可能です。つまり、この古則そのものが、永遠に答えに辿り着けない問いだというわけですね」
黒服の口元に、薄い笑みが浮かんだ。
「……さっきから何が言いたいのか分からない、と?……ふむ、そもそも話が脱線してしまいましたね。本題に入りましょうか」
視線をカップから外し、対面のソファーに腰掛ける人物へと向ける。
「まず始めに、トリニティ総合学園とゲヘナ学園には、歴史的にも根深い対立関係があったことをご存じですか?」
──そんなことは微塵も知らなかった。
黒服の問いに対して、そう返答した。
「両自治区はたびたび紛争を引き起こし、長きにわたり憎しみを募らせてきました。端的に言えば、『すこぶる仲が悪い』と理解していただいて構いません」
黒服は足を組み替え、軽く笑みを浮かべながら続ける。
「──そこで、現在失踪している連邦生徒会長が、ある不可侵条約を発案しました。それは、トリニティ総合学園とゲヘナ学園共に構成員を供出し合いある機構を設立し、その同機構によって両自治区の紛争解決を行うことで両学園間の全面戦争を回避する構想……といった感じのものですね。まあ、それだけを理由に発案したのかどうかは定かではありませんが」
紅茶へ視線を落とす。立ちのぼっていた湯気は、ほとんど消えていた。
「要するに、『憎しみ合うのはやめて仲良くしましょう』という平和条約ですね……そして、連邦生徒会長はその条約をこう名付けました」
黒服は肘を膝に置き、ゆっくりと両手を組み合わせ、告げた。
「──『エデン条約』と」
そして、黒服はそのまま問いを投げる。
「私は、エデン条約の調印式が間近に控えていると耳にしました……レグルス。あなたはこのエデン条約についてどう思いますか?」
しばしの沈黙のあと、対面のソファーに腰かけている人物……レグルスは、穏やかに口を開いた。
「いい条約だと思うよ。やっぱり人というのは、どこまでいっても対等であるべきなんだ。立場や力の差で無理やり上下をつけても、いずれはどこかでほころびが出ると思うんだよね。それに、憎しみ合ったところで何が残る?土地でも資源でも、遺恨でもいい……それらは全部、必ず誰かの損失と後悔に置き換わるだけだ。そう考えれば、争いをやめて互いに利益を共有する方が、どう考えても賢いやり方だろうね。まあ、理想論だってあざ笑う人間もいるだろうけどさ。それでも僕は、そういう理想を嗤って切り捨てる人間よりは、信じて行動する人間の方が好ましいね」
右手に持つティーカップを傾け、温かな紅茶を一口含む。
香りが喉を通り抜け、身体の奥へと染み渡っていく。
「僕としては、そのエデン条約によって……」
そっとティーカップをソーサーに戻し、まっすぐに黒服の瞳を見据えた。
「──穏やかで安寧とした平穏な日々を享受できれば、それでいいよ」
誤字脱字報告、感想、お気に入り、評価など、全てに対して最大限の感謝を!
本当にいつもありがとうございます!
これにて、
次回から第三章開始という形になりますね。
ノミ以下さんはこれからどうなっていくのか……
これからも、『ゲマトリア所属の強欲の権化』をお付き合いいただければと思います!
以上、作者でした。