明晰夢
「……ふむ」
──またこれか。
「また未来予知……ではないね。これは、過去の事象でも観測しているのかな?」
感覚で何となく分かる。分かってしまう。
過去の事象は、古い映写機が鳴らす乾いた回転音とともに、色褪せた画が絶え間なく流れていく感覚。
現在の事象は、そのままの『今』を切り取るように、鮮やかな映像となって目の前に広がる感覚。
未来の事象は、まるで薄い霧を透かして覗き込むように、わずかにぼやけた映像として揺らいでいるような感覚……と、いったところだろうか。
「もっとも、これはあくまで私の比喩だから、軽く聞き流してくれて構わないのだけどね……私は誰に向かって語っているのだろうか」
語る相手など誰ひとりいないのに──と、軽く自嘲めいた思いを胸に抱きながら、幽霊のようにふよふよと彷徨う。
「……」
私は、いつまでこんなことを続けるのだろう。
過去を、現在を……そして未来も。なぜ私は、数多の事象を観測し続けているのだろうか。
──そう、とくに未来だ。
自慢にはならないが、私の未来予知はあまりにも正確すぎる。だからこそ、感じてしまう。見えてしまう。知ってしまうのだ。
これから始まる物語は、誰もが耳を塞ぎたくなるだろう。
聞けば不快で、不愉快で、忌まわしく、思わず眉をひそめてしまう。疑念が疑念を呼び、真実すら信じられず、ただ胸糞悪い展開ばかりが続いていって──
「……私の悪い癖だね」
気づけばまた、常に悲観的な方へと傾いてしまう。
ミネにもあれほど『一人で抱え込まないでください』と忠告されているというのに。
そう思いながら首を左右に振り、あてもなく彷徨い続ける。
「……先生には伝えることができた。最後の、その時まで見届けてほしいと。であれば後は──うん?」
ふよふよと彷徨うように移動を続け、やがて数分が過ぎた頃だった。
ふと、いつもとは異なる『何か』の気配を捉え、思わずその方向へと視線を向ける。
「……何だろうか、この違和感は」
今までに覚えたことのない感覚が全身を刺激し、抗えぬようにその『何か』へと惹き寄せられていく。
──そして、近くまでたどり着いた。
「ゲヘナの生徒と──」
まず分かったのは、四人の女子生徒がいること。角の生えた子がいるから、ゲヘナの生徒だろうか。それと──
『──そ……あ、最後に僕からも自己紹──をしておこ……。名前はもう知って──ど、僕だけが直接名乗っ……ないとい──のも、ちょっと不公──な気がす……』
中肉中背であり、まるで絵に描いたような体つき。白髪で、白を基調とした服装……といったところだろうか。その身体つきから男性だというのは分かるが──
「──君は……っ!?」
私はその人物を見て思わず目を見開いた。
それは、これまで夢で観測してきた事象のどれとも違う、初めて目にしたものだったからだ。
「──何故、顔がぼやけて見えるのだろうか」
おかしい──何かが、どうにもおかしい。
ゲヘナの生徒と男性が話しているのは分かる。分かるのだが、その男性の顔だけが見ることが出来ない。まるで、こちらに見られることを拒むかのように、その顔は何かに覆われ、塗りつぶされているかのようだった。
「もしや、私の夢に干渉して……いや、これは過去を映しているのだから、そのような事は出来るはずは……でも」
さらに、口から発せられる声はかろうじて聞き取れるものの、まるで壊れたスピーカーから漏れる音のようにノイズが走り、内容を正確に掴むことはできなかった。
「……こんなことは初めてだね」
もっと近づけば、声はよりはっきり聞き取れるだろうか。
初めて目にする事象に戸惑いながら、私は少しずつ彼に近付いていった。
『ゲマトリア所属、強欲の権化──レグルス・コルニアス。無欲……寛大な心……の一般市民さ』
──そして、私は聞いてしまった。
「ゲマトリア……!?」
無欲だとか、寛大な心だとか、一般市民だとか──そんな言葉が聞こえた気はしたが、そんなことよりも彼の口から発せられた『ゲマトリア』という単語に釘付けになる。鼓動が跳ね上がり、驚きのあまり目を大きく見開いていた。
ゲマトリア──それは、キヴォトスの外からやってきたであろう存在。いずれはこの世界を終焉へと導くかもしれない『悪い大人』として、私たちの前に立ちはだかるだろう。
……これは観測に基づく、私なりの主観にすぎないのかもしれない。だが少なくとも──好ましき存在でないことだけは確かだった。
「しかし、ゲマトリアにこんな人物は居ただろうか……?」
少なくとも、彼を見たのはこの夢が初めてだ。
──だからこそチャンスかもしれない。
『それじゃ──』
「……今のうちに、見極めさせてもらおうか」
ゲマトリアの彼が、いったいどういう人物なのか……それを理解できれば、後に引き起こされ、訪れるかもしれない悲劇に備えて、わずかでも対策を練ることができるだろう。
そう考えた私は、彼の一挙手一投足を見逃すまいと、瞬きすら惜しみながらその姿を追った。
『ごへええええええええええええええッッッ!!?』
だが次の瞬間、彼はトラックに跳ねられていた。
「────え?」
あまりにも無残な轢き逃げを、私は目の前で目撃してしまった。血の気が引くような衝撃に、思考が追いつかず、ただ呆然と立ち尽くす。
──い、今、すさまじい勢いで彼が轢かれて……
『えええええぇぇぇぇッッ!!?』
「っ!?」
……その時、私と同じく轢き逃げの現場を目撃していたゲヘナの生徒が、張り裂けるような悲鳴を上げた。
その声に胸を揺さぶられ、呆然と凍りついていた私もハッと我に返る。そして反射的に、彼が吹き飛ばされたであろう方向へと視線を走らせた。
「──一体なんだいあれは、物理法則はどうなってる……!?」
我に返った──そう思ったのは錯覚にすぎなかった。実際には微塵も冷静さを取り戻せておらず、むしろ先程以上に動揺していたのだ。
それも当然だろう。
空を仰いだ瞬間、視界に飛び込んできたのは、あまりにも見事な大の字の錐揉み回転。
車に轢かれて吹き飛んだにしては、あまりにも綺麗に吹き飛びすぎている。そんな綺麗な軌道などあり得るのかと……私は思わず、物理法則そのものを疑わずにはいられなかった。
──ほら、それを証拠にゲヘナ生徒も白目を剥いて絶叫しているじゃないか。
「そんなこと言ってる場合じゃないだろう!?早く、早く彼を追わなければ──ぐぅ……!?」
吹き飛ばされた彼を追いかけようとした刹那、視界が、世界が歪み出す。
「夢から醒めるのか……!?いや、違う!この感覚は──!」
現実の私は、目覚める気配をまるで感じられなかった。
それはつまり、私の夢……この明晰夢がなおも続いていることを意味している。いったい、私の身に何が起きているというのだろうか──
「──!?」
──そう思った次の瞬間、夢は再び構築されていた。
その衝撃は稲妻のように意識を揺さぶり、一瞬の立ち眩みを引き起こす。足元の感覚が失われ、身体はふらつき、結局は尻餅をつくように地面へと崩れ落ちてしまった。
「痛くは……ないね。それよりもここは……?」
尻餅をついたまま、私はしばし動けずにいた。
……だが、どうせこの姿を誰にも見られることはない。そう自分に言い聞かせながら、ゆっくりと周囲へ視線を巡らせた。
「……ATMがあるということは、ここは銀行みたいだね」
従業員らしきロボットが客と話している様子からして、ここが銀行であることに疑いはなかった。
だが、問題は別にある。それは、なぜ私はこの場所に飛ばされたのか。そして、どうしてその場所が銀行なのか。
考えれば考えるほど答えは遠のき、導き出すことが出来ない。自分の夢であるはずなのに、ただただ不思議で仕方がなかった。
「さて、どうしたものか……うん?あれは……」
視界の中に、ある人物が壁に背を預けている姿が入る。その姿は、中肉中背を絵に描いた様な身体つきに、白髪で……って。
「また彼か……ふむ、彼と言い続けるのはあれだね。ここからはレグルスと呼ばせてもらおうか」
というか、君はついさっき車に轢かれて大の字錐揉み回転しながら吹き飛ばされていなかったか?
……いや、この感覚は、先程の夢よりも過去の夢のものだろうか。
そうだとしても、たとえ過去の夢だとして、レグルスはいずれ車に轢かれる運命にあることは変わらないのか……?
なんだ、その理不尽な運命は。
「いや、落ち着くんだ。彼はゲマトリアなんだ……今後私の、私たちの敵になりえる存在なんだ」
まず、私がすべきことは、とにかくレグルスに近づき、何でもいいから、何か一つでも掴み取ることが今の私にとって最も重要なことだ。
「……よし」
レグルスの視界には入っていないにも関わらず、私はこそこそと忍び足で近づいていく。
その様子は、かの有名な蛇にも匹敵するほどの見事なスニーキングスキルを発揮していた。段ボール箱が欲しくなるところだ。
『──全く本当に──。電……理すらも──できな……冗談──?それで銀行……な掲げてるん──もう滑稽を……哀れってレベ──ね。こんな体たらくで──』
やはり、彼の言葉にはノイズが入り、うまく聞き取ることができない。
むしろ、先程トラックに轢かれた際に上げていた悲鳴の方が、はっきりと聞き取れたことが私にはよほど意味が分からなかった。
「何か一つでも掴みとれ……!」
──とはいえ、今は情報収集が先だ。近付くことで、何でもいいから感じとれ。
『僕には到底理解できなあああああああああああああいッッッッ!!?』
「──は?」
──しかし、悲しいかな。
レグルスに接触しようとしたその瞬間、壁が突如爆発した。
背に預けていた彼が、無情にも吹き飛ばされ、悲鳴を上げながら反対側の壁に激突するところを目の当たりにしてしまう。
「……何でそうなる?」
あまりにも衝撃的な光景に、私は再び言葉を失った。
どうやら、壁を爆発させたのは覆面を被った銀行強盗の仕業らしい。
その衝撃で、レグルスも無情に巻き込まれ、悲鳴を上げながら吹き飛ばされてしまったようだった。
「いや、とにかくレグルスの安否確認を──!?また世界が歪んでいく!?私の夢でいったい何が起きて……!?」
そうして、再び夢は構築されていく。
──ここから先の夢は、私にとってもレグルスにとっても地獄だった。
『んなぁぁぁああああああああごへぇぇッッッ!!?』
『武器なんて持たない方が良いとおもおおおおおおおおおおおッッッ!!?』
『このままお持ち帰りいぃぃッッ!!?』
『権能で破壊すぅ゛あああああああああああッッッッ!!?』
『僕を倒せるとでもおもおおおおおおッッ!!?』
『ぅ゛ああああああああああああああッッッッ!!?』
夢は構築されては、また歪んで崩壊する……その繰り返しだった。
その間も、レグルスは理不尽に何度も吹き飛ばされ、悲鳴が夢の世界にこだまのように響き渡る。
「私は一体何を見せられているんだ……!?」
誰が好き好んで人が爆発で吹き飛ばされる光景や、脳天に銃弾が撃ち込まれる様子、ヘリのローターとともに高速回転する場面などを見なくてはならないというのだろうか。
そもそも、私の夢は一体どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
「ぐっ……また……!?」
そして、夢は再び歪み、世界は崩壊していく。
……もう、これで七度目だ。
能力を完璧にコントロールできないにしても、限度というものはある。まさか、ここまで夢に弄ばれることになるとは思わなかった。
「──もう良いだろう!?私に何を見せたいと言うんだ!……まさかレグルス、君の仕業なのかい!?」
数多の厄災が、レグルスの身に降り注ぐ。
痛ましすぎる絶叫や悲鳴ばかりが、私の耳に容赦なく流れ込む最悪の上映会は、一体、いつまで続くのだろうか。
レグルスが口にする言葉の大半はノイズにまみれて聞き取れないというのに、絶叫や悲鳴に関してははっきりと聞き取れてしまうというのが余計に意味不明だった。
──このまま観測し続けていたら、私の精神にまで悪影響が及んでしまう……!
「──いや、やはり彼は私の事を認識していない。出来ていない。だとすると、おかしいのはやはり私の夢──」
夢の世界が、再び構築されていく。
今度は何を見せられるのか。またレグルスの痛ましい姿や、絶叫と悲鳴の数々を目にし、耳にすることになるのだろうか。
そう内心で思いながら、警戒して身構えていると──
「……?」
夢の世界は、再び構築された。
しかし同時に、その新たに構築された夢に、私は違和感を覚える。
今までは過去の夢の世界を渡り歩いていたが、この感覚は──
「……未来予知だね」
過去でも現在でもなく、未来を観測しているのだ。
「……しかし、この場所は私の──」
視界に入ったのは、白く透き通ったテーブルクロスの上に整然と並べられたティーセット……ケーキスタンドやティーポット、カップやソーサーが配置されている。
その周囲には、咲き誇る花々が一面に広がり、まるでこの空間を柔らかく包み込むように彩っていた。
「──私だけが持つ、夢の世界」
私が先生をこの夢の世界に招き、これから起こる物語について語ったことは、まだ記憶に新しい。
ここは間違いなく、私が紡ぎ出した夢の世界だ。
ただ……
「だとしたら、なぜこの場所で未来予知が発動しているのだろうか」
このような現象は本来ありえないのだ。それゆえに、少し唸りながら頭を悩ませていると──
『──』
隣から、壊れたスピーカーのようにノイズが混ざったあの声が聞こえてきた瞬間、心臓が跳ね上がり、肩まで強く震えた。
「!?なんで君がここに……!?」
声の聞こえた方向に視線を向けると、そこには、顔がぼやけて判別できないレグルスが静かに佇んでいた。
「──君は、私のことを認識しているのかい?……反応がない、やはりレグルスは私のことを認識していない。だとしたら、この夢は一体……」
『──』
「……?今の君は、私に向かって話しているのかい?」
『──考え……浅……───……』
ぼやけたレグルスの顔は、明らかにこちらを見据えていた。
しかし、口から発せられる言葉には先ほど以上にひどくノイズが混ざり、ほとんど聞き取ることができない。
『歩んで───………証明───』
「……何を言っているのかほぼ分からないね」
顔は依然としてぼやけたままで、声にはノイズが混ざり続けている。
いくら聞き取ろうとしても、どうすることもできそうにない。
「さて、どうしたものか──」
いったい、この夢はいつまで続くのだろうか。どうにかして終わらせる方法でも探したほうがいいのだろうか……そう考えていると──
『──夢から醒めなよ、百合園セイア』
レグルスは私に、はっきりとそう告げた。
「──!?君──っ!?」
刹那、私の夢の世界は歪み、崩壊が始まる。
「今のは、明らかに私に向けての言葉だった!なぜ最後ははっきりと聞き取れた!?──レグルス、君は本当に何者なんだい!?」
夢の世界から放り出され、何も見えない暗闇の中で叫ぶように問いかける。
──しかし、その問いに応える者は誰もいない。
それでも、世界は容赦なく再び構築されていく。
「……こうなったら、とことんやってやろうじゃないか」
ここまで私の夢を荒らしたのは、レグルスが初めてだった。
顔はほとんど見せず、それでいて幾度も絶叫や悲鳴を私に聞かせてきたのは罪深い。
……そんな彼を、悪夢だと断定して見なかったことにするなど、到底無理な話だ。
「いつでも来るといい、相手になってやるとも……!」
こうなったら、とことん観測してレグルスという存在を知り尽くす。
──そう意気込んだ瞬間、世界は再び構築された。
「……?これは……現在の事象を観測している?……いや、それよりも煙がすごくて視界が悪いね……ここは、一体どこなのだろうか」
先ほどは、過去や未来の事象を観測していたが、今になって、現在の事象が夢として目の前に現れた。
なぜ突然そんなことが起きたのか、理解は及ばないが……それにしても、立ち込める煙のせいで何も見えない。
「……お、ようやく見えてきたかな?」
少し時間が経つと、立ち込めていた煙は徐々に晴れ、視界が次第に良くなっていく。
「レグルスはまたどこかに居るのだろうか。早く探して──」
そしてついに、煙が全て晴れたところで……
「────へ?」
──湯船に浸かっているレグルスの姿が、私の視界に映った。
「な、何で浴室なんだい……!?」
──そう。周囲に立ち込めていた煙の正体は、浴室に漂う湯気だった。そして、その中心には湯船に身を沈めているレグルスの姿がある。しかも問題なのが、この夢は過去でも未来でもなく、紛れもなく現在進行形の出来事だということ。
つまり今の私は、レグルスのお風呂を覗いていることになる。
「……っ」
つい先程まで『いつでも来い、相手になってやる……!』と息巻いていたはずなのに、今の私はただ一方的にレグルスが入浴しているところを覗き見ているだけ。もしこの光景を第三者が見たなら、一体どんな目で私を評するのだろうか。
「……今回は、ここまでにしておこうじゃないか」
そこまで考えると、居心地の悪さに私はそっと視線を逸らし、レグルスに背を向け──
「……覗き見フォックスですまないっ……!」
覗いてしまった羞恥に耐えきれず、狐耳をしゅんと垂らし、頬を真っ赤に染めたまま、百合園セイアは壁をすり抜けて浴室を後にした。
◆
「今すごい視線を感じた気がするんだけど、気のせいだよね?」
突然、誰かに覗き見されているかのような視線を肌に感じ、眉をひそめて上半身を起こした。湯気の向こうをぐるりと見回してみるが……奇妙なことに、つい先程まで刺さっていたはずの視線は、跡形もなく消え失せていた。
「……気のせいか」
人が気持ち良く湯船に浸かっているというのに、どうしてこの時まで周囲の視線を気にしなくちゃならないんだ。
内心でそう愚痴りながら、再び湯船に身を沈めた。
「……あれから、アビドスに近付く事はすっかり無くなったなあ」
ポンコツロボの首を彼方まで蹴り飛ばし、ホシノとなんやかんやあってその場を後にしたあの日から、数日が経過していた。
僕は一度としてアビドスに足を運んではいなかった。
理由は単純だ。アビドス方面に赴く必要がなくなったからだ。僕の身に迫り続けていた理不尽が、嘘のように影を潜めたのだから。
「まあ、僕が気にすることでもなんでもないか。あっちには先生という存在が居るわけだし、そもそもアビドスの生徒とあまり親しくないし……」
意外なことに、アビドスの生徒とは会話を交わす機会そのものがほとんどなかった。知っているとすれば、せいぜい名前程度のもの。
思い返してみても、真正面から対面して言葉を交わしたのはユメとホシノ、その二人くらいのものだった。
……ユメはともかく、ホシノには嫌われているだろうな。
無理やり話を進めるためにレグルス構文を振りかざし、一方的に捲し立ててしまったのだから、相手が良い気分でいられるはずがない。むしろ逆だろう、心の内では確実に不快感を募らせ、何なら殺意すら抱いていたと思う。
「まあ、こちらからもう会うことはないから別にいいか」
そう結論づけると、静かに目を閉じ、再び湯船の温もりに身を委ねた。
このひとときは、僕にとって何よりも貴重で代えがたい時間だ。余計なことは考えず、ただ湯の心地よさに身を浸し、心を解きほぐしていく。今はただリラックスして、穏やかな時間を過ごそう。
「……風呂といえば、レグルスはちゃんと風呂に入っていたのかな?」
ふと、どうでもいいことを考えてしまう。
強欲ムーブをしていない時の僕はただの一人の人間だ。空腹を覚えれば食事をしなければ生きられないし、身体を清潔に保とうと思えば風呂に入る必要もある。
けれど、魔女教大罪司教・強欲担当のレグルスは違う。
『獅子の心臓』と『小さな王』の権能が常に発動し続け、肉体の時間は停止したまま。ありとあらゆるものを拒絶する、絶対不変の存在。
そうであるなら、そもそも汚れるという概念すらレグルスには通用しないのかもしれない。
……汚れるという概念すらない?
「……えっ、レグルスって本当にちゃんと風呂に入っていたよな?入っていないとかないよな……?」
とんでもない疑問を抱いてしまう。
権能のおかげで汚れることがない……そうだとしても、仮に本当に数百年間、一度たりとも風呂に入っていないのだとしたらどうだろう。
それはつまり……レグルスの妻たちは、何年もの間、『風呂キャンノミ以下』と一緒に生活し、行動を共にさせられていたことになる。
「いや、さすがにそれは……」
実際のところは分からない。レグルスのことだから
『僕の身体が穢れに覆われているなんて想像しただけで反吐が出るうッ!!』
……などと大声で喚き散らしながら、妻たちに着替えを用意させ、風呂に入っているのかもしれない。
ただ、もしもそうじゃないのであれば──
「……」
まじかよレグルス最低だな。