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なるべく無くしていきたいけど、意外と気付かないものですね……
太陽がゆるやかに傾き始め、世界を茜色に染め上げていく。やがてその光も、地平線の向こうへと姿を消すのだろう。
そんな夕暮れの気配に包まれながら、僕は一つのベンチに腰を下ろし、黙って考え事に耽っていた。
──初めての疑似心臓をヒナに捧げてしまった。
……なんて、響きが良いように言ってはみるが、やってる事としては、望んでもいないのに一人の少女を勝手に花嫁として迎え入れている皆もビックリのクズムーブだ。
──小さな王。
強欲の大罪司教、レグルスが持つ権能の一つにして、真に忌まわしき支配の象徴とも言える最凶の権能。
レグルスにとっては、強欲とは欲することが正義であり、仮に自分の心が満たされない場合は、世界が間違っているなどほざきそうな人間。そしてその狂った信念に応えるかのように、『小さな王』は、レグルスの手を通じて相手の人生を己のものに塗り替えていった。
簡単に言ってしまえば、権能を利用して対象と接続することで、相手の核そのものを所有するようなもの。それが小さな王の基本原理だった。レグルスにとっては、意識的に発動させる特別な儀式でもあり、レグルス本人に許された相手だけがその祝福という名の呪詛を受けられる──はずだった。
「そんな呆気なく疑似心臓を寄生できたりするのか……?」
自分で呟いた問いかけは、虚空に投げられた。
だがそれに答えるかのように、自分の胸奥でうんともすんとも動かなくなった鼓動が証拠として残されていた。
──そう。“触れただけ”で発動してしまったのだ。
ヒナに自分の疑似心臓が寄生したのは偶然だった。
意図的とはいえ、握手するために伸ばした手が彼女の手に触れたあの瞬間に、強欲の権能が自分の意思とは無関係に発動したのだ。
ヒナが去った後、強欲ムーブに移行して発動させた
獅子の心臓──その力は、今や制限時間という名のリミッターを失っていた。
五秒間の無敵。あらゆる攻撃、術式、物理法則を遮断する絶対防御。その力は今や永続へと昇華し、自分の意思一つでありとあらゆる物質を止め、凶悪な武器として振るうことが出来てしまう。
「最悪だ……でも、最善でもあるかもしれない」
レグルスの意識が自分に染みついているのか、それとも、自分自身の本音なのか。
ヒナに疑似心臓を寄生させたことが、良かったことに思えてしまった。
──彼女は強い。まだ一年生であるにも関わらず、ゲヘナ学園において風紀委員の名を恐れさせる実力者。その圧倒的な力だけではなく、戦術眼と統率力に優れ、上級生からさえ一目置かれている存在。
だからこそ、後に風紀委員長として活躍していくことになるのだろう。
そんな彼女は、もうただの空崎ヒナではなくなった。僕の一部であり、僕の王国における最初の──妻みたいなものだ。
「うがぁーッ!?」
だから気持ち悪いって言っているだろ僕!?どうして気持ち悪いムーブを自然としてしまう!?これだとレグルスが度々発言する女を敵にする爆弾発言と変わりないだろうが!?
「はぁ……」
正直、罪悪感はかなりある。
いくら無意識とはいえ、彼女の身体に侵入したものだ。それは紛れもなく侵略行為であり、彼女の尊厳を踏みにじった結果だ。言い訳も、逃げも許されない。
──だが、僕はもう“レグルス”なのだ。
ひたすら強欲を演じるしかない。欲することを止めれば、真っ先に滅ぶのは自分自身。だからこそ仮初の王を名乗り、強欲の旗を掲げ続けなければならない。
「……ヒナには、いつか謝ろう。誠心誠意、頭を下げて……」
けれど、頭を下げたところで許される日が来るかは分からない。それ以前に、これからも獅子の心臓の寄生先は増え続けていく可能性がかなり高い。
「生き残るためには、それしか方法はないのか……」
この一日だけでストレスが溜まりに溜まっていく。
この綺麗で鮮やかな銀髪も、ストレスによってあいつ同様に白髪になっていくのは嫌すぎる。ストレスの要因が違うんだよこっちは。
「……さて、と」
一旦考えるのを止め、腰かけていたベンチから立ち上がった。
体温の残った座面を背に、辺りを見渡す。
「……住む場所が無いんだよな、僕」
異世界転生……いや、異世界転移か?どちらでも良いが、その事実は都合よく僕の居場所を与えてはくれなかった。住む家どころか、安全とも言える場所、身分の保証が一切無い。
そんな中、これからこの世界でどう生きていくか──
「──お困りのようですね」
静寂を破る声が、突如として耳に届いた。
その声音は落ち着いており、どこか余裕すら感じさせるものだった。
僕は警戒心を最大限に抱きながら、おもむろに声のした方向へと視線を向けた。
「……」
そこには、一人の男が立っていた。
全身を黒いスーツで包み、まるで闇そのものが人の形を取ったかのような存在感を放っている。
特に目を引いたのは、右目と口元に走る亀裂。その亀裂からは青白い光が漏れ出し、異様な雰囲気を醸し出していた。
まるで人間の姿をしていながら、人ならざるものを思わせる風貌だった。
「ねえ、君さ……普通、初対面の人に話しかける時って、まず自己紹介から始めるものじゃない?しかも、僕がいつ困っていると言ったのさ?──やっぱりこうやって名前も名乗らずに近づかれると、僕も警戒せざるを得ないと思うんだよね。だから、聞かせてもらってもいいかな──君は、一体どこの誰なのかな?」
──既に強欲ムーブへの移行は完了している。
僕は眉をひそめ、低い声で問いかけた。 この世界に来てから、奇妙な出来事ばかりが続いている。この男も例外ではないだろう。余裕綽々に、かつ警戒心を隠さずに、目の前の男の出方を伺った。
「──クック……これは失礼。あなたの言う通り、今の私は不審そのもの……警戒するのも無理はありませんね」
目の前の男はコホンと軽く咳払いをした後、口元の亀裂から言葉を紡ぎ出す。
「──自己紹介が遅れました。私はゲマトリア所属の……そうですね。『黒服』、と申します。私はこの名前が気に入ってますので、そう呼んでいただければなと」
目の前の男──黒服は一礼し、丁寧な口調で自分の名前を名乗った。
気に入ってるって……誰かに決められたあだ名なのだろうか。確かにそういう見た目はしているが。
……しかし、その態度は礼儀正しいが、どこか底知れぬ不気味さを感じさせる。まるで計算し尽くされたかのような振る舞いに、僕の警戒心はさらに高まっていく。
「──黒服、ねえ……随分と直球な名前じゃないか。でもまぁ、何の文句も言うことなく素直に名乗ってくれたことには感謝するよ。やっぱり対等な関係になるためにはそうでなくっちゃね」
とりあえず、僕がついさっき決めたテンプレのご挨拶でもしておこう。後は流れに身を任せるしかない。
「それじゃあ、次は僕の番だね」
片手を胸に添え、僅かに頭を垂れる。
「僕の名は、レグルス・コルニアス。愛と純粋さを体現し、何よりも他者への敬意を忘れない男さ」
しかし、ヒナに向けた本当の笑顔を黒服に向けることはない。あくまで強欲に取り繕った笑みだけを浮かべる。
「さて、日々忙しいこの僕に、君は一体どんな用で話しかけてきたのかな?」
僕は腕を組んで、冷静さを装いながら問いかけた。この男の目的が何であれ、自分にとって有益でないならば関わるつもりはない。 しかし、相手の出方次第では、対応を考えなければならない。
「──実は、私はあなたに興味を抱きまして。先ほど、 大勢の不良に二度も襲われていた場面を目撃しました。あなたが不思議な力で立ち向かっていたことも、この目でしっかりと拝見させていただきました」
黒服は微笑を浮かべながら言う。その言葉には、何かを探るような含みが感じられ、まるで僕の力を試すかのような、そんな視線が僕の全身を舐め回す。
……つまり、ただのストーカーじゃないか。
「あのさあ、そういうのって普通、覗き見、もっと悪く言うならストーカーって言うんじゃないかな?もちろん、好奇心は誰にでもあるし、君にも君なりの事情があったのかもしれないけど、いけないことだって分かってやってるよね。それが相手にとっては気持ち悪い行為だっていうことに気付きなよ」
僕は内心で毒づきつつ、自分を監視……ストーカーしていたことに対して苛立ちを覚えた。だが、ここで感情を露わにするのは得策ではない。冷静さを保ちながら、相手の出方を伺うことにした。
「──やはり、あなたは素晴らしい」
「は?」
急に褒められても何も嬉しくないのだが。
褒められるなら、ヒナのような誠実な人物からが良い。
「あなたが持つその神秘、精神性……そして、強欲さ。ええ、あなたには『ゲマトリア』に所属できる素質があると感じています。私達と共に、崇高なる真理を追求しませんか?」
黒服は一歩踏み出し、僕に向かって手を差し伸べた。その姿勢は紳士的だが、どこか押し付けがましい。
まるで既に僕がその誘いを受け入れることが決まっているかのような、自信に満ちた態度だった。
……しかも、『達』?
『ゲマトリア』にはこんな見た目をしている人物が他にも存在するということなのだろうか。
「──まず最初に言わせてもらうけど、その誘い方はあまりにも雑すぎる。気持ちは分かるよ?魅力的な僕に興味を持つのも無理はないし、そういう風に声をかけたくなる気持ちも、理解できないわけじゃない。でもね、僕ってそういう安売りされるような存在じゃないんだ。それなのにメリットも提示しないで、自分が言いたいことだけを紡ぐ……そんなことをするなんて、さすがにこれは僕の自由と尊厳への侵害だよね?」
全て本音ではある。ただ、ここまで口が回るとは思っていなかった。
「それに、僕は今の状況でも充分満たされているんだ。だから、その申し出はお断りさせてもらうよ」
そう言って、僕はきっぱりと断った。黒服の言葉には何か裏があるように感じられる……この男に関われば、取り返しのつかない事態に巻き込まれる可能性が高い。
僕は、平穏に暮らしたいだけなんだ。
「そうですか......」
黒服は一瞬、残念そうな表情を見せたかと思うと、右手をポケットに入れ、何かを取り出した。
──待て、何でそうなる。
「おいおいおいおい、君は何をするつもりなのかな?」
──取り出したそれは、拳銃だった。
銃口は、まっすぐに僕の額を狙っている。その動作は滑らかで、一切の躊躇が感じられない。
「レグルスさん……いや、レグルス。申し訳ありませんが、少々お付き合いいただけますか?」
本気の目だ。
脅しかもしれないが、目の前の男は躊躇なく引き金を引くことができる、そんな男に思えた。
「は、はあ?ちょっと待ってくれよ君。これは、何かの冗談かな?君はいったい何を考えている、まったく意味が分からないよ!僕に銃口を向けて、何がしたいんだ?これは対話じゃない、対話の最低限の姿勢すら保っていない!そうだろう!?」
目を見開き、言葉を滝のように吐き出す僕に対し、黒服の男は寸分の表情も変えずに答えた。
「これは、最初の実験です。そして、あなたをゲマトリアへと誘う──良いきっかけにもなるでしょう。加えて……あなたの存在が、彼女やアレの抑止力として機能するかもしれません」
その声は平坦で、どこか人の感情を模倣しただけのようにすら思えた。まるで最初から、これが予定調和だったかのように。
「……やっぱり君はイカれているよ、完全にね!これは人間のやることじゃない!君みたいなやつは、人の皮を被った悪魔だ!心がない、魂がない、ただの殻だけの存在だぶぁッ!?」
怒号と共に一歩踏み出した僕の叫びは、次の瞬間、乾いた銃声と共に放たれた弾丸が額に命中することによって無慈悲に遮られた。
弾丸を喰らっても当然のように効かず、まるで見えない障壁に跳ね返されるように弾かれ、カランと軽い音を立てて地面を転がった。
「──やはり、あなたの持つ神秘は素晴らしい……!」
黒服は神秘とかよく分からない事をほざいて興奮しているようだが、躊躇なく引き金を引く姿勢に、僕は強欲ムーブを止めてしまいそうで焦る。
「君は馬鹿なのかな!?人が話している途中で割り込むなって、人の話は最後まで聞くものだって、そう親から習わなかったのか君は!」
もう完全に怒った。
「君の持っていたその道具によって、僕のか弱い身体も精神も傷付いた。僕という個人への冒涜だよこれは!つまりその拳銃、それが僕に向けられた以上、僕が壊すのは当然の権利だ!」
僕が乱暴に右手を振るった瞬間、黒服の手にあった拳銃は轟音を立てて粉々に砕け散った。
破片が宙を舞い、静かに床に落ちる。黒服はそれを見下ろし、むしろ嬉しそうに目を細めた。
「……やはり素晴らしい。このような力が近くで拝見できて光栄ですよ──あなたこそが、ゲマトリアに相応しい」
「君はあと何度言えば分かるのかな?お断りだよ!僕はね、君たちみたいな連中と関わりたくないんだよ!だいたい僕は──」
そのまま反論をまくし立てる僕の言葉に、黒服は再び静かに割って入る。
「……我々は、あなたに誰にも邪魔されない生活を提供できます」
その一言に、僕の口が止まる。まるで糸によって縫い付けられたかのように。
──僕達の間で、静寂が訪れる。
僕は腰の後ろで手を組んだ後、黒服をじっと見つめた。その視線に応じるように、黒服は淡々と続けた。
「……あなたは、その容姿や言動から偏見を受け、暴力を受け、居場所を失った……いえ、元々無いだけかもしれませんがね」
黒服はクックックと気味悪く笑い、言葉を続ける。
「そんな中、今もこうして彷徨い続けている……確かにあなたには資産があるのかもしれない──しかしそれだけでは、あなたの求める平穏は得られない。妨害され、侵害され、終わりなき煩わしさに囲まれることになるでしょう」
その声は静かだが、確かな現実を突きつけていた。
ただ、どうやって僕の資産の事を知ったのかがすごく聞きたくなった。
「ゲマトリアは、あなたを世間から隔離する場所を提供できます。誰にもバレることなく、干渉もされずにです。我々は各人が目的を持ち、それぞれ自由に動いているので……これ以上、あなたを傷つけようとする者もいません」
──思えば、レグルスの姿になってから今まで間、ロクな連中に会っていないし、ロクな目にしか遭っていない。ここに至るまで味方してくれたのは、ヒナぐらいだったのだ。
「──ふう……」
長い沈黙の後、僕は一つ、深く息を吐いた。
「……君のしつこい勧誘に、ほんの少しだけ譲歩してやるさ。仕方ないから案内してくれよ、君たちゲマトリアの巣窟とやらをさ」
その言葉に、黒服は薄く笑みを浮かべた。
「クックック……我がゲマトリアへようこそ、レグルス・コルニアス。あなたが平穏に過ごせる居場所は、ここにありますよ」
黒服が先を歩き始めた。
「……」
──平穏な生活、そんな甘い言葉に抗えなかったなんて。
僕はどこまでいっても強欲に向いてないんだろうね。
いつの間にか太陽は完全に沈み、世界は夜の帳に包まれていた頃。
僕は無言のまま、ゆっくりと黒服の背を追いかけていく。
やがて、僕と黒服の姿は、深い闇の中へと静かに溶けていった。