ゲマトリア所属の強欲の権化   作:ぬこぱんち

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ロイヤルブラッド

 

 ──今からおよそ二年前のこと。

 

 僕は、決して忘れられない最悪の邂逅を果たした。

 

 まず、レグルス・コルニアスに成り代わるなどという誰一人喜ばない地獄の罰ゲームを強いられ、子供が当然のように銃をぶっ放す、倫理のかけらも存在しない世界へと放り込まれていた。

 

 絶望の只中にあったその日……僕は、黒服と出会った。

 

 ──その出会いこそ、まさしく最悪だった。

 

 興奮した様子で『貴方の持つ神秘は素晴らしい!』などと訳の分からないことを喚き散らし、挙げ句の果てに初対面の相手に向かって銃を発砲された。

 

 今にして思えばとんでもない所業だ。

 

 あの時、もし本当に僕が死んでいたなら一体どう責任を取るつもりだったというのか。

 

 その後、黒服は『安全を確保できる住居を提供する代わりに、ゲマトリアへ所属しろ』といった感じの内容で契約を持ちかけてきた。

 

 どう考えても怪しい話だったが……当時の僕は、とにかく安らげる居場所を切実に求めていた。

 

 だから、その願いに縋るしかなく、結局は契約を受け入れるしかなかった。

 

 ──こうして、ほとんど強制的にゲマトリアの一員となったわけである。

 

 その後は何だかんだと、ゲマトリアの構成員たちと関わりがあったりするのだが──

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「……いつも疑問に思うのです。私たちゲマトリアの定例会議が開かれる度に、なぜ当たり前のように貴方も居るのですか?独自のアプローチで崇高を追求するわけでもなければ、探求心の欠片もない……一体なんのためにここに居るのですか?あなたのゲマトリアとしての存在意義は何なのですか──レグルス・コルニアス」

 

 初めて邂逅した時と同じように、彼女……ベアトリーチェは優雅な所作で口元に扇子を添えた。その瞳は、まるで目障りな害虫でも眺めるかのように冷ややかで、相手へと問いを投げかける。

 

「──はっ」

 

 それを聞いて、今度はこちらが馬鹿にするように小さく嗤う。

 

 同じゲマトリアの構成員でありながら、二年前の初対面以来、互いに嫌悪し合ってきた。顔を合わせれば必ず悪意を含んだ言葉の応酬が始まるのが常で、それはもはや他のゲマトリア構成員にとって日常の光景、恒例行事のようなものになっていた。

 

「いつも疑問に思うのは僕の台詞だ、ベアトリーチェ。毎度毎度、こうした会議の場で君が最初に発するのは崇高な理念でもなければ革新的な知見でもない。ただの僕に対する稚拙な悪口を吐くばかり……そんな低俗な言葉遊びを聞かされるために、この会議を開いているわけじゃないということを理解しているのかな?君のその行為は、僕を含めた黒服たちの貴重な時間を奪い去っている。これは、君以外の全員に対する権利の重篤な侵害だ」

 

 幾度となく耳にしてきたベアトリーチェの言い分に思わず呆れを漏らしつつ、いつも通りの返答を返す。その瞬間、ベアトリーチェの手にある扇子にわずかに力がこもった。

 

 その雰囲気から察するに、苛立っているのだろうか。

 

 器が小さいなあ……

 

「相変わらず不愉快でしかないですね……質問を質問で返さないでください、レグルス・コルニアス。私は、ゲマトリアの一員である貴方の存在意義は何なのですかと聞いているのです」

 

 常日頃から質問を質問で返すのが君の習性でもあるだろうに、それを君が言うのか。

 

 だけど、もしそこを指摘したらまた苛立ちを見せるんだろうな……そんなベアトリーチェに内心で呆れながらも、その問いに答えを返した。

 

「あのさあ、いつも言っていると思うんだけど、そもそも僕がゲマトリアに入ったのは寛大で慈悲深かったからなんだ。完璧で、完成された人間であるこの僕を欲しいがために、黒服がどうしてもと言うからこうやってゲマトリアの構成員になってやったに過ぎないんだよね……どうやら君はまだその意味が理解できていないようだけど、いつになったら理解するのかな?まあ、理解できないのも仕方がないことかもしれないよね。僕は君みたいに幼稚で醜い罵詈雑言をぶつけることしかできない存在とは違うからさ」

 

「……相変わらず、無駄なことにはよく口が回りますね。その態度、その言動……全てにおいて癪に触ります。レグルス・コルニアスという存在は不愉快で汚らわしいというのを、貴方は身をもって自覚した方が良いですよ」

 

 一見すると、ベアトリーチェは冷静に反論しているように見える。

 

 だが、その実、内心の苛立ちは隠しきれておらず、他のゲマトリア構成員から見てもそれが明白なほどだった。

 

「君のその物言い、実に滑稽でしかないよね。無駄に威勢だけはいいけど、中身がまるで伴っていないから。君の無駄にあるその目は節穴か何かなのかな?目で見て、この僕という唯一無二の存在を正しく判断できないのであれば……結局、君はその程度の存在ってことだよね。例えるなら……『カビ以下』ってところかな?ああでも、それはそれでカビに失礼だね。カビはカビでも、有機物を分解するという自然界における物質循環の重要な役割を担っている分、君と比べても存在意義があるからね……そんなカビと同列に扱ってすまなかったね。誠心誠意、素直に謝罪するよ」

 

「『カビ以下』……?よくもまあ、私にそんな口を」

 

「『カビ以下』が不満なのであれば、『カビ未満』と呼んでやってもいい。僕はどちらでも構わないよ」

 

「────」

 

 ベアトリーチェが口元に当てていた扇子が、バキリと音を立てて理不尽にも真っ二つに割れてしまった。

 

 何の落ち度もない扇子が割れてしまったことに、思わず可哀想だと胸が痛んだ。

 

「──お二人とも、そこまでにしてください。何故顔を会わせる度に口論に発展するのですか?」

 

「そういうこった!」

 

 扇子が真っ二つになったのを皮切りに、ゴルコンダが間に割って入ってきた。僕とベアトリーチェが言い争うと、決まってこうして彼が止めに入る。もはや日常茶飯事と言ってもいいだろう。

 

「僕もこれが無駄な行為だということは重々承知しているんだけどね……結局のところ、彼女が毎度毎度僕に構ってほしそうにすり寄ってくるから、寛大で慈悲深いこの僕が仕方なく応じてあげているだけなんだ。普通なら相手にすらされない彼女だろうけど、それだとあまりにも可哀想だと思わない?」

 

「──この私を馬鹿にしているのですか?」

 

 真っ二つになった扇子を握りしめるベアトリーチェ。その手には力がこもり、顔には怒りを隠しきれず浮かんだ怒筋が走る。どうやら、随分とご立腹なようだ。

 

「クックックッ……ゴルコンダの言う通り、お二人とも落ち着いてくだ……いえ、レグルスは落ち着いていましたね。ベアトリーチェ、貴女は早く落ち着いてください」

 

「なぜわざわざ私だけを名指し直したのですかッ!」

 

 唐突に黒服が余計な一言を放ち、ベアトリーチェという火種に油を注いでしまった。

 

 その瞬間、怒りは爆発する。

 

 彼女は真っ二つになった扇子を机に叩きつけ、乾いた音を響かせた。この一連の光景も、もはや日常茶飯事のようなものだった。

 

「……ベアトリーチェ。貴下は、ただ扇子を叩きつけるためだけにこの場へ集ったのか?我々ゲマトリアは、それぞれが己の崇高へ至るための道を模索している。ならば、無意味な行為をするのではなく、貴下のアプローチを示すべきではないか?」

 

 自身の身体を軋ませて怒りを露わにするベアトリーチェに、苦言を漏らすのはマエストロ。

 

 芸術を踏みにじり、結果だけを追い求める彼女の姿勢を快く思っていないからか、その口調はいつも以上に辛辣であった。

 

「……ええ、何のアプローチを示すわけでもなく、崇高そのものを目指さない存在を相手している場合じゃありませんでしたね」

 

「勝手に解釈されちゃ困るんだけど。僕は崇高を目指さないのじゃなくて、目指す必要がないんだ。なぜなら僕は既に、完璧で完成された存在だからね。崇高に至っているも同然というわけさ」

 

「ええ、確かにレグルスは既に崇高に至っているかもしれませんね。その神秘、その強欲さ……ああ、やはりレグルスは素晴らしい……!」

 

「………………………」

 

 この時、ベアトリーチェは相手するだけ無駄だと判断したに違いない。

 

 まさか黒服がここまでレグルスを持ち上げるとは思ってもみなかったが……一体、自分の知らぬところで何があったのだろうか。

 

 そう一瞬だけ思考を巡らせはしたものの、結局のところその男のことを考えるだけで癪に障る。ベアトリーチェは、不快な思考を振り払うように考えるのをやめた。

 

「──本題に入りましょうか。私の崇高に至る道筋の根幹でもある……儀式についてです」

 

 そして、ベアトリーチェが密かに裏で動いているという事実が、ゲマトリアの構成員全員の耳に届くことになる。

 

「儀式……ですか?」

 

 黒服がゲマトリアの代表として疑問を口にした。

 

 今までの定例会議の中で、ベアトリーチェがこのような発言するのはこれが初めてだったから。

 

「ええ、まだ準備段階なので詳しいことは省かせてもらいますが……ロイヤルブラッドを利用し、私という存在を高位のものへと昇華しようとしています」

 

 よほど自信があるのか、懐から予備の扇子を取り出し、口元に当ててベアトリーチェはニヤリと笑った。

 

「ロイヤルブラッド……まさか、アリウス自治区の生徒と学園を支配下に置いたのは、それだけが理由なのですか?」

 

 ゴルコンダはベアトリーチェのアプローチに興味を示したのか、問いを投げかけた。

 

 ──他のゲマトリア構成員と違い、ベアトリーチェだけがアリウス自治区という領地を完全に支配している。

 

 だからこそ、それをどう利用し、自らの存在をより高みに昇華させるつもりなのか……その疑問からの質問だったのだろう。

 

「まさか、ロイヤルブラッドは私の目的のために利用する一つの手段に過ぎません。アリウス自治区という秘匿された領地を手に入れ、そこに居た生徒の感情を利用することで、私にとって最良の結果を得る……どれも、崇高に至るために必要なだけです」

 

「──ふむ」

 

「……」

 

「なるほど、マダムにとってはアリウス自治区を手に入れることで手段を確立し、テクストを持ちうる記号そのものを解釈し崇高を目指す……そのような結論に至ったというわけですか」

 

「そういうこった!」

 

 黒服は顎に手を添えて思案する。

 

 マエストロは無言のまま身体を軋ませる。

 

 ゴルコンダは相変わらずよく分からないことを言いながら結論を下す。

 

 そして、デカルコマニーはいつものように『そういうこった!』と声を張り上げた。

 

「──どうせ君がやることは無駄骨にしかならないだろうから、さっさと現実を思い知った方が良いと思うけどね」

 

「は?」

 

 そんな中、ベアトリーチェに喧嘩を売る者がいた。

 

 顔を合わせた瞬間から互いに嫌悪しあい、毒舌をぶつけ合う……そんなことができるのは、たった一人しかいない。

 

 ──僕のことだが。

 

「君がどんなに口を開いて崇高だの目的だのと言ったところでね、結局のところ君のやっていることは僕に言わせれば茶番でしかないんだよね。なぜなら、君の思考は僕たちと比べてもいつだって短絡的で、すぐに手に入るものにすがりつき、あたかもそれが当たり前だと錯覚しているに過ぎないんだからさ」

 

「……何が言いたいのですか?」

 

 あくまで冷静を装っているが、手に持った扇子はぷるぷると震えている。

 

 よく目を凝らせば、再び強く握り締めていることが分かる。

 

 沸点が低いな……

 

「君が殊更に強調するその手段というものは、君自身の無力を覆い隠すための衣に過ぎないと言っているんだ。己の器が足りないから、外部の力を無理やり借りて、さも自分が崇高に至る資格があるかのように装っている……それこそが、君の醜悪さそのものを表しているといえるよね。僕はね、そういう偽装された崇高さが一番気に入らない。だって僕は、僕自身の才覚と存在そのもので、最初から崇高の頂に成っているのだから。君のように場当たり的に借り物の力に縋る必要なんて一切ないんだよね」

 

 ──なんて、構文を多用しつつそれっぽいことを言っておく。

 

 黒服はつい先程、僕は既に崇高に至っているかもしれないと言っていた。

 

 だから、あながち間違いではないだろう。未だその意味は、よく理解できていないが。

 

「──外部の力を無理やり借りているのではありません、こちらが最大限に利用しているのです。勝手な解釈をするのは止めてもらえますか?レグルス・コルニアス」

 

 アリウス自治区とやらを支配しているだとかほざいている時点で、ほぼ外部の力を借りようとしていることに変わりはないだろうに。それを頑なに認めないのは、一体何なんだ。

 

 これだからベアトリーチェは……

 

「よくもまあ言葉をすり替えて、自分を大きく見せようとするものだね。だが残念ながら、君がしていることは利用でも何でもないよ。外部の力にすがり、その庇護なしには一歩も動けない時点で、それは立派な依存だ。しかもそれを誇らしげに口にしているあたり、浅ましさに気付いていないのが哀れでならない。僕に言わせれば、君が掲げるその利用という言葉はただの虚飾でしかない。器の小さな凡人が、借り物の衣を纏って自分を大きく見せているだけの滑稽な姿は、それ以上でもそれ以下でもないと思わない?ベアトリーチェ」

 

「……よくもまあ、幾度となく私に喧嘩を売るような真似をしますね」

 

 ──僕も、ある意味では外部の力……強欲の権能によって、不本意ながらも助けられていることに間違いはない。

 

 獅子の心臓を生徒に寄生させ、その力を利用してここまで生き延びてきたのは、紛れもない事実だ。

 

 ただ、僕はそれを誇らしげに思うことは微塵もない。

 

 それを利用して他人を支配し、頂点に立とうなどという考えも、一度たりとも抱いたことはない。

 

 僕にとって、本当に大切なのは平穏に暮らせることだけだ。それだけで十分なんだ。

 

 それ以上は何も望まない、だって僕は無欲だからね。

 

 ……レグルス風に言えば、こんな感じだろうか。

 

「アリウス自治区だっけ?そこに学園があると聞いてはいたけど……可哀想だよね。君みたいな器の小さい凡人が頂点に立っているだなんて。君が支配するよりも、『先生』が支配した方がよっぽど生徒たちのためになると思うよ」

 

「……『先生』?」

 

 ベアトリーチェは、『先生』という存在がよく分からないのか、その言葉の部分だけを疑問に思いながら、繰り返して口にした。

 

「最近、我々と同じくキヴォトスの外からやってきたシャーレの先生のことですね……まさか、ご存知なかったのですか?」

 

「あの者を知らないとは……貴下はそれでもゲマトリア構成員か?」

 

「私ですら知っていましたよ。彼と会話を交えた事はありませんが……」

 

「君は情弱だね、これだから器の小さい凡人は……」

 

「そういうこったぁ!!」

 

「…………………………………」

 

 ──先生という存在を知らない。

 

 ベアトリーチェ以外の構成員たちは、まるでそれがゲマトリアとしてありえないかのように、苦言を漏らした。

 

 実際、先生がキヴォトスに現れた際にはかなり有名になっているはずで、知っていてもおかしくはない。しかし、アリウス自治区に籠っていたせいか、ベアトリーチェはその存在を知らなかったらしい。

 

「──それで、そのシャーレの先生という者が、私が支配するよりも生徒たちのためになると……そう言っているのですか?」

 

 自身が情弱であることを誤魔化すかのように、ベアトリーチェは僕たちの苦言を意に介さず、その問いを投げかけてきた。

 

「どうせ君の言う支配なんて、詳しく聞くまでもなくロクでもないやり方だというのが目に見えて分かるんだよね。その点、彼は君のような凡庸で醜い存在とは比べものにならないほど、誠実で、そして真に素晴らしい人間だ。僕はこの目で何度もその行動を見てきたからこそ断言できる──君とは格が違うってことをね」

 

 あの先生は、やろうと思えば僕よりもキヴォトスを支配できる力を秘めている。

 

 だが、その人間性ゆえに、きっとそんなことはしないだろう。何より、黒服から聞いた『大人のカード』と『シッテムの箱』こそが、先生にとっての切り札そのものであるらしい。

 

 具体的に何ができるのかはまだ知らないが、いずれにせよ、先生がアリウス自治区の生徒たちを支配したほうが、よほど事態は良い方向に進むだろう。

 

 あと、単純に敵対したくない。

 

 いつか普通に強欲の権能を破ってきそうで普通に怖い、そんなのは絶対に御免だ。

 

「……つまり、その者は私たちの敵対者になりえるということですね」

 

 お前は何を言っているんだ?

 

「──いいえ、先生が敵対者になりえたとしても、絶対に敵対してはいけません。むしろ、私としてはこちら側に引き入れた方が良いと思っています」

 

 そうそう、どうせならゲマトリアに引き入れた方が何倍も良い……あの先生がこんなイカれた集団に入るわけがないだろ。何を言っているんだ。

 

「先生については陰ながら知っている。あの者は、私の芸術を含め、私たちの理解者になり得る者に違いない」

 

「……なるほど、実に興味深いですね。もしベアトリーチェやレグルスのように私たちの一員になってくれるのなら……」

 

 君たちはそんなに先生のことが気になってるのか。やっぱりここ先生大好きクラブだろ……一人は存在すら知らなかったが。

 

「──愚かで怠惰な思考ですね。計画に支障をきたす存在である可能性があるのであれば、真っ先に排除するべきでしょう」

 

 ……ん?

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「君は何を言っているんだい?ただでさえ足りない脳みそがついに隅々までイカれてしまうほど足りなくなったのかな?」

 

 ベアトリーチェの言葉に、三人──デカルコマニーを含めた四人が少し引きながら見つめる。そんな中、僕だけが口を開いた。

 

「何もおかしなことは言っていません。計画を果たす前に厄介な存在が介入すると、全ては無駄に終わってしまいます……私が持っている全ての意味が変わってしまう可能性があるなら、その存在を消し去ろうとするのは当然でしょう」

 

「……アンタゴニスト(敵対者)になろうと言うのですか」

 

 ゴルコンダがそう呟くが、僕はもう『お前は何を言っているんだ?』という言葉しか出てこなかった。

 

「それに、私たちは各々の目的を追求するだけの存在。あなた方に私を妨害する権利はないでしょう……理解していますか?常に権利を主張するレグルス・コルニアス」

 

「……確かに、誰しも目的を持っている以上、それを無闇に妨害する権利なんて無いのかもしれない。目的や野望を持つのは誰もが持つ当然の権利だからね」

 

 そこで一度区切り、ベアトリーチェに向かって断言する。

 

「だけどさ、君は本気で先生に勝てるとでも思っているのかな?君の浅薄な計画や手段、場当たり的な支配ごっこなんて、先生の前には砂上の楼閣にも等しいだろうね。崩れるのに一瞬もかからないだろう。だから、僕にはどうしてもそんな自惚れた思考が一番滑稽に映るんだ。だからこそ、断言させてもらうよ」

 

「──」

 

 ベアトリーチェの身体が震えているのが視界に入る。しかし、そんなことはお構いなしに、瞼を閉じて現実を突きつけるように言い放った。

 

「君は確実に先生に負けるだろぉごおっ!!?」

 

 ──しかし、突如として眉間に衝撃が走り、最後まで言い切ることが出来なかった。

 

「さっきから聞いてみれば、滑稽、醜い存在、脳みそが足りない、イカれているなど……好き放題に言ってくれますね。先生とやらの前に、貴方の存在をここから消し去ってやっても良いのですよ……!」

 

 ついに堪忍袋が切れたのか、先ほど真っ二つになった扇子をこちらの眉間に向かって思い切り投げつけてきた。

 

 ベアトリーチェ自身にそこそこ力があったのか、弾丸ほどではないものの、顔が少し仰け反る程度の威力はあった。

 

 顔を仰け反らしたまま静止する。その表情こそ、ベアトリーチェからは見えないが……

 

「……良い表情をしますねえ、レグルス」

 

 黒服からは、悪そうな表情を浮かばせている横顔が見えたらしく、クックックと小さく笑った。

 

「……僕はね、君の生涯が酷いものにならないようにと、あくまで仲間として説得しているつもりだったんだよ。ゲマトリアの構成員として、君が道を踏み外さないように僕なりの慈悲深い心で言葉を投げかけていたんだ」

 

 仰け反っていた顔をゆっくりと元に戻し、怒りに満ちたベアトリーチェと正面から向き合う。

 

 ──その目元は黒く染まっているように見えるかもしれないが。

 

「だけどさ、そういう相手に対して感謝するどころか、暴力で訴えるなんて……それは大人として、あまりにも野蛮で浅ましい行為じゃないかと──」

 

 そして、側に転がっていた扇子の欠片を拾い上げ、親指を中指に掛けると──

 

「──そんなふうに思わないかな?」

 

 次の瞬間、ぱちんと音を立てて指を弾き、扇子の欠片が鋭い軌跡を描いてベアトリーチェに向かって一直線に飛んだ。

 

「!?ぐっ──あぁぁ!!?」

 

 ベアトリーチェは一直線に飛んでくる扇子を受け止めようと反射的に手を前に出したが、圧倒的な速度と破壊力を持つ欠片を抑え込めるはずもなく、そのまま扇子の破片と共に轟音を立てて壁の中へとめり込んでいった。

 

「ごめんごめん、少し同じ気持ちを味わってもらおうとしたけど、加減を間違えちゃったね。ついうっかりしたよ」

 

 その言葉とは裏腹に、どこか満足そうな表情を浮かべたまま、腰かけていた椅子から立ち上がる。

 

「それじゃあ、僕は用事があるからこれで失礼するよ。壁を破壊して申し訳なかったね、後で僕が責任を持って修繕を依頼しておくよ」

 

 そう言うと、壁にめり込んだベアトリーチェを一瞥し、他のゲマトリア構成員を残したままその場を後にした。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 ──それから数分後、壁にめり込んでいたベアトリーチェが苦しそうに這い出てくると、『あの男は、いつか絶対に殺す……!』と恨み言を吐きながら、レグルスと同じくその場を後にした。

 

 よって、その場に残されているのは、黒服、マエストロ、ゴルコンダとデカルコマニーとなるわけだが──

 

「……黒服に質問がある」

 

 そんな中、マエストロが自身の身体を軋ませながら問いかける。

 

「クックック……なんでしょうか、マエストロ」

 

 ベアトリーチェが壁から這い出る姿がどこか滑稽で、思わず軽く笑みを浮かべていた黒服だったが、マエストロに声をかけられたことで落ち着きを取り戻し、そのままマエストロの質問に応じた。

 

「──貴下は、ベアトリーチェが言っていたロイヤルブラッドが誰であるのか存じているか?」

 

 ベアトリーチェが先程口にした『ロイヤルブラッド』。マエストロはもちろん誰のことか分かっていたが、確認のためあえて黒服にそう問いかけた。

 

「ええ……秤アツコさんのことでしょう?」

 

 ──もちろん、黒服は知っていたわけだが。

 

「私ももちろん知っていましたが……それがどうかしたのですか?」

 

 ゴルコンダは、マエストロがなぜわざわざ黒服に質問したのか意図が分からず、代わりに自ら黒服に疑問をぶつけた。

 

「──彼女は過去にレグルスと邂逅し、そして強固な繋がりを結んでいる……その証は、言葉だけではなく、一輪の花を通じて示されていることを知った」

 

「……!そのようなことが……」

 

 その事実に、ゴルコンダは驚愕した。まさかロイヤルブラッドと繋がりがあったとは、これまで知らなかったのだろう。

 

「ええ、私は実際に彼と彼女の邂逅の瞬間を、この目で見たことがありますからね」

 

 黒服に至っては実際に見たという、それを他人が聞けば『何で知ってるの?』『もしかしてストーカー?』と疑問を抱きそうだが、ここにいるゲマトリア構成員たちは黒服が実際に知っていても不思議ではないと思っていたため、特にその言葉に疑念を抱かなかった。

 

「レグルスは彼女のことをどこか特別視している節がある。そこにどういった経緯があるかまでは分からないが……だからこそ、レグルスと関わりが深い黒服に問いたい」

 

 そして、マエストロは身体を軋ませつつ、自分が問いかけたかったことを黒服に投げかけた。

 

「──ロイヤルブラッドというのは秤アツコという生徒であることを、レグルスに伝えるかどうかだ」

 

「……ふむ」

 

 マエストロの問いに、黒服は顎に手を添えて思考する。数秒ほど沈黙した後、黒服はゆっくりと答えを返した。

 

「──いえ、別に伝える必要はないでしょう」

 

「……何故だ?」

 

「ロイヤルブラッドが彼女であるということが露呈すれば、彼が黙っているはずがないのですが……何か理由でもあるのですか?」

 

 黒服の返答に、マエストロとゴルコンダは疑問を抱いた。

 

 自分たちも同じ情報を知っている以上、レグルスにもその事実ぐらいは共有しておくべきではないかと、同じゲマトリア構成員として思ったのだ。

 

「確かに、レグルスがその事実に気付けば黙っていないかもしれません……ですが、私たちゲマトリアは各々の崇高を追求する存在ですので、ベアトリーチェを妨害するような真似……権利はありませんから」

 

「……ふむ」

 

「なるほど……」

 

 黒服の返答を聞き、なるほど、一理あると考えた。加えて、いずれ知ることになるのなら、わざわざ伝える必要も確かにない。

 

「それに、気になりませんか?」

 

 ──しかし、黒服はまだ何か言いたげにそう告げた。

 

 それに対し、マエストロとゴルコンダが『何が?』と問いかける前に、黒服は言葉を続けた。

 

「彼がその事実を自分で初めて知ったらどう思うのか、ベアトリーチェに対してどんな感情を抱くのか、その強欲さでどこまで掻き乱す変数となるのか……ああ、今から楽しみで仕方がありません!」

 

「……」

 

「……」

 

 ──楽しそうだな。

 

 そう思わずにはいられないマエストロとゴルコンダであった。

 

「そういうこったぁ!!!」

 

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