ゲマトリア所属の強欲の権化   作:ぬこぱんち

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夢の世界

 

「……先日の明晰夢は、それはそれはとてもひどいものだった」

 

 独白するように口から漏れたその言葉は、誰に届くこともなく空気に消える。聞く者のいないその独り言には、わずかな寂しさと、何かを手放したような静けさが宿っていた。

 

「高速で横切るトラックに轢かれ、壁の爆発に巻き込まれ、脳天に銃弾を撃ち込まれ、ミサイルに襲撃され──そんな数多の理不尽が降り注いだ」

 

 これは、私が実際に被害に遭ったというわけではない……追憶させられた、とでも言っておこうか。

 

 ──そう、これらの理不尽な被害は私……百合園セイアのものではない。全てはレグルス・コルニアスのものである。

 

 確かに、連邦生徒会長の失踪以降、キヴォトスの犯罪率は増加の一途を辿り、それに伴って違法兵器の流通量も以前とは比べものにならないほど膨れ上がった。いまの学園都市の治安は、正直に言ってしまえばすでに崩壊していると言っても過言ではない。

 

 ──とはいえ、だ。

 

「そんなにも数多の残酷な偶然が織り重なり、ヘイローを持つ私たちですら無事では済まないであろう理不尽が、あろうことか一人の人間へと襲い続けるという寓話めいた構図があっていいのだろうか?」

 

 そんなことはあってはならないだろう。命がいくつあっても足らないというものだ。

 

「……私の人生の中で、史上最悪な上映会だったよ」

 

 思い出すだけでも何だか病みそうになってしまう。別に私自身がそんな理不尽を受けたわけではないというのに。

 

「──もっとも、そんな理不尽を詰め合わせたような地獄の上映会は……」

 

『だぁははああああああああいっっ!!?』

 

 どこからともなく飛来してきた砲弾が地面を抉り、その爆風に巻き込まれたレグルスが盛大に吹き飛ぶ。空中でお手本のような大の字の錐揉み回転を披露しながら、雲ひとつない青空へと吸い込まれていく。その瞬間、彼の絶叫が見事に晴天へと反響した。

 

「いまもこうして続いているんだけどね」

 

 死んだような目をしながら、そう呟く。空を見上げれば、そこには綺麗な放物線を描きながら宙を舞うレグルスの姿。少し視線を横にずらせば、無機質な戦車砲の砲口がこちらを正確に捉えていた。

 

 ──ああ、平常運転だな。

 

 そう現実逃避するには十分な光景だった。

 

『よっしゃ!良い感じに吹っ飛んだ!後は吹っ飛んだあいつを追跡して、身動きとれないところを襲って身ぐるみ剥がせば金銀財宝ザックザクなはずだ!』

 

 ハッチから顔を出し、瞳を輝かせながら絶叫するレグルスを仰ぎ見る不良生徒。

 

 人の心は無いのだろうか。

 

「……」

 

 ──しかし、私は知っている。何度も何度も観測させられ、強制的にその上映会を繰り返し目にした私は、やがて目の前で起こるであろう出来事のすべてを予見してしまっていた。

 

『あ、の、さあっ!!』

 

 その瞬間、怒声と轟音が同時に周囲を震わせる。

 

 宙に舞っていたレグルスが地面に叩きつけられるように着地し、その衝撃でアスファルトが無残に裂け、破片が舞い上がる。立ち上る煙のせいで、視界は一瞬にして白く覆われた。

 

『君たち、卑怯だとか思わないのかな!?か弱くて無防備な一般市民を背中から襲うような真似をするなんて、心が痛まないわけ!?』

 

 怒りを剥き出しにし、不良生徒に向かって怒鳴るレグルス。その言葉はまさしく正論だった。無防備な人間に背後から不意打ちを仕掛けるなど、卑劣そのものだ。人の心があるのかどうか、その真偽を問いただしたい気持ちも理解できる。

 

 ──ただ、レグルスがか弱いかと問われれば、あんな砲弾を受けて傷ひとつない時点で、か弱いとは言えないのでは?と思わず本人に聞きたくなる。

 

 しかし、これは明晰夢であり、過去の事象を観測しているだけなためそれは叶わない。なんとも言えない気持ちが胸に残ってしまう。

 

『お、おい!あの男、何で戦車の砲弾を喰らってあんなにピンピンしてるんだよ!?』

 

『……待て、あの男って最近噂で聞いた歩く厄災と言われてる奴じゃないか……!?』

 

『は!?歩く厄災って……あの白い悪魔とも言われている奴か!?何でそれをもっと早く言ってくれなかったんだよ!』

 

『お前がなりふり構わずいきなり撃つから──!』

 

「……随分とひどい言われようだね」

 

 何度も襲撃を受け、そのすべてを返り討ちにしてきたがゆえに噂は連鎖し、いつしか二つ名として刻まれてしまったのだろう。それは本人にとって耐え難い不名誉であり、あまりにも残酷な運命と言わざるを得ない。

 

『あのさあ!君たち、僕の話を聞いているのかなあ!?僕はこんなことをして心が痛まないのかって聞いてるんだよね。なのに君たちは、僕の言葉をまるで空気みたいに無視して、身内だけで勝手に盛り上がっている。これって、対等に対話しようとする僕に対しての権利の重篤な侵害だと思うんだよね!』

 

 無視されたことに苛立っているのか、それとも不名誉な二つ名に憤っているのか、真実は分からない。しかし確かなのは、レグルスは全力で不良生徒に怒りをぶつけている、という事実だけだ。

 

『──と、とにかくもう一発撃つぞ!気絶さえさせれば私たちの勝ちだ!』

 

『本当にそんなのでいけるのか……!?』

 

 だが、不良生徒はレグルスの言葉をまるで無視する。問いかけにも答えず、戦車砲を再びレグルスに向け、無理やりでも倒そうと狙う。

 

『まったく、いつ如何なる時も君たちみたいな生徒は、人の言葉に耳を傾けることなく、ただ自分たちの欲望や感情だけで動くんだね。その結果、誰かを傷付けることにも何のためらいもない。別に、銃を持つな、戦車を使うな、なんて言うつもりはないけどさ……せめてそれらは、然るべき時に、本当に必要な場面でこそ使ってほしいものだよね。君たちの欲望を満たしたり鬱憤を晴らすための玩具じゃないんだから……そう思うかどうかは人によるかもだけどさ』

 

 ──何とも、耳が痛い話だ。

 

 キヴォトスという学園都市では、生徒が銃を持つのはごく自然なことだ。喧嘩や訓練でそれを振るうのも日常の一部。しかし彼の目には、それが異様に映っているのだろう。外の世界からやってきた彼には、この常識は理解不能であり、受け入れたくもないものなのかもしれない。

 

 とはいえ、その全てを全否定しているわけでもない。あくまでもそれは手段として、然るべき時に使ってほしいと諭すように言う。

 

 ……先生とはまた違った主観を持っているんだね。

 

『──とまあ、ここまで色々と言ったけど、君たちが聞く耳を持たないというのは、もう十分理解している……言葉で届かないのなら、仕方がないよね──少しだけおしおきが必要だ』

 

 レグルスが地面を蹴り、戦車との距離を一気に詰める。驚いた不良生徒は慌てて砲弾を放つが、反応が一歩遅かったようで、砲弾はただ道路のアスファルトを抉るだけに終わった。

 

『さあて、お待ちかねの時間だ。君たちは胸を張って誇るといい。なにせ、これは記念すべき二回目なんだからね。そうそう味わえるものじゃない、とても貴重な体験を……この僕が直々にさせてあげようじゃないか』

 

 レグルスは戦車に近付き、右手だけで不良生徒が乗る戦車を軽々と持ち上げる。その身体のどこにそんな力があるのか、あるいは特別な力を使っているのか……観測を重ねても、未だその謎は解けない。こんな形で知りたくはないのだが。

 

 しかし、彼はゲマトリアだ。世界に終焉をもたらすかもしれない存在を、放っておくわけにはいかない。これはおそらく、私にしかできないことなのだろう。私が明晰夢を通じてレグルスという存在を知り尽くし、場合によっては対抗手段を練らねばならないのだから。

 

『うわっ!?』

 

『こいつ、戦車を持ち上げて──!?』

 

 そうこう考えているうちに、不良生徒は戦車ごと軽々と持ち上げられており、慌てふためきながら脱出を試みていた。

 

『さあて、君たちは……』

 

 しかし、レグルスがそれを許すはずがない。どこか悪そうな表情を浮かべながら、そのまま右腕をゆっくりと引く。

 

『自らが星になる気分を、味わったことはあるかなあっ!!』

 

 そして、そのまま青く澄み渡った空に向かって勢いよく振りかぶった。

 

『うわあああああああああああっっ!!?』

 

『ぎゃあああああああああああっっ!!?』

 

 瞬間、不良生徒の絶叫が響き渡り、まるで空を突き裂くかのように青空の彼方へと吸い込まれていった。

 

「……たーまやー」

 

私はそんな様子を見て、それだけを呟いた。

 

「……!?──ああ、終わったのか」

 

 視界が、世界そのものが再び歪みだす。私の歩んできた明晰夢が、崩壊の兆しを見せている。一つの事象が終われば、すぐに別の事象が動き出す。現実ではありえない光景が、夢の中で延々と繰り広げられているのだ。

 

「──これで、66回目だね」

 

 銃弾が脳天を撃ち抜き、砲弾の爆風に吹き飛ばされ、繰り返し絶叫し、返り討ちにされ……何度も、何度も、同じ日々を繰り返したであろう中、ついに66回目の明晰夢が終わりを迎えた。

 

「いつまで続くんだろうか、この地獄は……」

 

 そもそも、私はレグルスという存在を知りたかっただけなんだ。

 

 あの日、覗き見フォックスをしてしまった瞬間から、私はまた自分の神秘を使い、明晰夢を通してレグルスの正体を観測しようとした。

 

 だが、その試みがきっかけで、地獄の上映会が再び幕を開けた。前のように数回で終わるどころか、今度は60回を優に超える悪夢が、私を執拗に飲み込んでいったのだ。

 

「──これ以上、詮索するなとでも言っているのかい?」

 

 だが、レグルスがこちらに気付いた素振りは一切なかった。

 

 ……無意識に私を排除しようとしているのか、それとも逆に私を利用しているのか。考えれば考えるほど、その真相は底知れぬ闇に沈んでいくばかりだった。

 

「……ととっ」

 

 そんなことを考えているうちに、世界は再び構築された。

 

 さすがに67回目ともなると、尻餅をつくこともなく、着地は容易い。微塵も嬉しくはないが、何度も転ぶわけにはいかない。別に醜態を晒しても誰にも気付かれはしないのだが……そう考えると、少しだけ虚しい気持ちになる。

 

「……さて、今度は私は何を見せられるのかな?」

 

 今度の場所は……どうやらどこかのオフィスらしい。いつものように太陽や月の光に晒される外ではなく、今回は屋内だ。考えてみれば、屋内に足を踏み入れるのはこれが初めてかもしれない。そんなことを内心で思った。

 

「彼は……レグルスはどこに……」

 

 そして、いつものように周囲を見渡し、レグルスを探していると──

 

『なんで……なんでなんでなんでなんでなんでッ!?』

 

「──」

 

 怒りか、混乱か、焦燥か、それとも恐怖か。両手で拳を握りしめ、床を叩きつつ叫ぶレグルス。その姿は、まるで感情の嵐そのものだった。

 

『何で急に悲鳴が聞こえ始めた。何で急にヘリが空を支配した。何でミサイルが僕に向かって飛んでくるのかなあッ!?』

 

「……」

 

 ──初めてだ。こんなにも彼がどこか悲惨そうに叫び声を上げているのは。よっぽど、その身に降り注いだ理不尽に堪えてしまったのだろうか。

 

『あんなにミサイルを撃ち込まれたら、市街地が、住民たちが……!』

 

 かと思えば、焦燥感を滲ませた表情のまま、足元に散らばるガラス片をものともせず踏みしめ、近くの窓へと駆け寄るレグルス。

 

「……一体、何をそんなに焦っているんだ……?」

 

 これまでの66回の明晰夢で見たときとは違い、その焦りは尋常ではない。これまでなら、被害を受けたことへの怒りや、反撃の際に浮かべる悪そうな表情程度しか見せなかったのだが……明晰夢に変化が起きたのだろうか?

 

 考え込む自分の横で、ビルの窓に手をつき、震えるレグルス。私はその隣に並ぶように足を運んだ。

 

『ふざっ……けるなっ……!』

 

「……これは、なんともひどいものだね」

 

 目に映るのは、建物を粉砕するミサイル、轟く銃声、そして恐怖に震えながら逃げ惑う住民たち。生と死が交錯するこの光景は、もはや戦場以外の何ものでもなかった。

 

『これは僕の善意と平穏を望む市民たちの権利の侵害だ!』

 

「……」

 

 ──権利の侵害。

 

 明晰夢を通して分かったことだが、レグルスが声高に叫ぶのは、いつも権利に関してだ。何か理由を付けて、自分や相手の権利を取り込み、その行為を『権利の侵害だ』と断じるのだ。

 

「権利、か」

 

 レグルスの口から頻繁に零れるその言葉は、主観的なものも混じっているかもしれないが、ある意味ゲマトリアらしいとも言える。

 

 ……しかし、彼にとって権利とは、理屈を飾るための装飾品に過ぎないのかもしれない。自身の正義を正当化し、他者のそれを踏みにじるための都合の良い免罪符かもしれない。それは、私たちのような生徒でもなく、先生のような大人でもなく、悪い大人として、ゲマトリアの頂点に君臨しているのかもしれない。

 

 ……駄目だ。また私の悪い癖が出てしまっている。確証もないというのに、何か裏があるのではないかと最初から疑ってかかっている。こんなのだから、ミカとの関係も上手くいかないというのに。

 

『──あのポンコツロボ……!』

 

 見下ろせば、生徒たちと……あれは、トリニティでも最近ちらほら話題に上っていたPMCの姿だ。互いに市街地の中心でありとあらゆる兵器を駆使し、まるで小規模な戦争の真っ只中にいるかのようだった。

 

「……よく見たら、先生も居るみたいだね」

 

 先生は的確に指示を出し、生徒たちはそれに応え、頷きながらPMCへと立ち向かう。俯瞰して見れば、指揮官たる先生の下、整然と進む生徒たちが善、無秩序に振る舞うPMCが悪といったところだろうか。

 

『──そうかい、よくわかったよ』

 

 何かを悟ったのか、隣にいたレグルスは低く呟き、窓から背を向けて静かにその場を去っていった。その背中には、言葉にできぬ思いが漂っているようだった。

 

「……ああ、なるほど」

 

 その言葉を聞いた瞬間、私はおもむろに目を閉じた。

 

 ……レグルスの言葉、そして背を向けてその場を去ったこと、その意図を理解したからだ。

 

 ──きっと、レグルスにとっては、生徒たちとPMCが争っていても心底どうでも良いということだったんだろう。

 

 それも無理はない。彼が生徒の味方になるはずがないのだ。

 

 ゲマトリアに所属するという理由に加え、金銀財宝を持っていそうだという根拠なき想像で、私たち生徒から幾度も襲撃され、絶叫させられてきたのだから。こうした経緯を思えば、生徒そのものに嫌悪感を抱くのも当然なのだろう。

 

 何せ、明晰夢で目にした最悪の上映会は、これを含めれば67回目にあたる。考えてみれば、彼は100回を超える被害を受け続けている可能性さえあるのだ。そんな現実を思えば、当然の結果だろう。

 

「……それでも」

 

 結局のところ、レグルスという存在を見極めるしかない。世界を終焉に導くかもしれないその存在を、たとえ拒絶されようとも知り尽くさねばならない。それが、私に残された唯一の役割なのだから。

 

『君たちは他者から当たり前のように搾取し、奪う行為が得意みたいだけど……僕は他者から何も求める事もなく無欲であり、下品な真似が嫌いなだけで、奪うという行為自体は簡単だ。だから──』

 

 背後からレグルスの声が聞こえる。

 

 ……ああ、やはり彼は、何度も襲撃された経験から、生徒を率いる先生や生徒たち、印象の悪いPMC、果ては市民にまで恨みを抱いているのだろうか。

 

 もしかして今、復讐めいた狂気で、レグルスがすべてを蹂躙しようとしているのでは──

 

『──僕と市民たちの権利を奪い返させてもらうよ』

 

「……え?」

 

 しかし、私が想像していたのとは裏腹に、レグルスが口にした言葉はまさかの権利の強奪であった。

 

 その瞬間、私は瞼をはね上げるように開き、反射的に顔を横へと向けた。そして、そこに広がっていたのは信じがたい光景だった。

 

「──」

 

 私の視界に飛び込んできたのは、腕を交差させ窓ガラスを打ち破るレグルスの姿だった。

 

 そしてその刹那、時間が緩やかに止まったかのように感じた。砕け散るガラスの破片が眩く光を反射し、宙を舞い、彼の身体は力強く空へと飛び出していった。

 

「──君は、なぜ……」

 

 時間の流れが緩慢になった世界の中で、私はレグルスの横顔を捉えた。何度も生徒たちに襲われ、人としての感情を失ってもおかしくないというのに。

 

 ──彼の口角は吊り上がり、笑っていた。

 

 その笑みはまるで、『絶対に引導を渡してやる』と言わんばかりに、市街地へ向けて身体を降下させていく。

 

「生徒そのものが嫌いというわけではない……?でも、あそこまで被害を被っているというのに何で──っ!?」

 

 レグルスの真意を知ろうと、私は必死に彼の後を追おうとし、市街地へ降りようとした。

 

 しかしその瞬間、まるで『もう終わりだ』と告げられたかのように、世界は轟音と共に崩壊し始めた。

 

 今までとは違う展開に心はざわめき、動揺を隠せない。身体は宙に放り出され、ただ次の世界が形作られるのをもどかしくも無力に待つしかなかった。

 

「……さっきのは、67回目に含めても良いのだろうか。それともまた──ぐっ……!?」

 

 先ほどの明晰夢を地獄の上映会に含めるべきか迷っている間に、どうやら世界の構築が完了していたらしい。気づけば私は、久しぶりに勢いよく尻餅をついていた。

 

「──ここは?」

 

 目を巡らせると、そこは再び屋内だった。しかし、先ほどの冷たく静まり返ったビルとは違い、人の息遣いが感じられる生活の匂いが漂う空間であった。

 

「どこかの廃墟……というわけでもなさそうだね。それにしては家具そのものが綺麗すぎる」

 

 目の前にある観葉植物に触れ、その触り心地を確かめていると──

 

「──あのさあ、僕はただ穏やかで安穏とした日々を享受したいだけなんだ。君たちの動きになんて興味は無いんだよ僕は」

 

「!?」

 

 背後から突如響いたレグルスの声に、狐耳が敏感に反応する。思わず身体が跳ね、咄嗟に近くの物陰へと隠れ込んだ。

 

 ──この感じは、現在の事象を観測している……!

 

「ただ僕の神秘を実験に使えるかどうかを試みる行為、それはいただけないな。人の許可も得ず勝手なことして、挙げ句の果てには実質僕であるその神秘を実験に使おうとするなんて……僕の権利の重篤な侵害だ!」

 

 物陰に身を潜め、息を殺しながら声のした方向をそっと覗き込む。背中越しに視線を送ると、レグルスは窓の外を眺めながらスマホで誰かと会話しているらしかった。

 

「覗き見フォックスをしたばかりだというのに……」

 

 とはいえ、これはチャンスだ。いまレグルスが口にした言葉だけでも、十分な情報になる。彼も私たちと同様に神秘を用いており、それを誰かが実験に利用しようとしたらしい。しかし表面上の会話から察するに、どうやら計画は上手くいかなかったようだ。

 

 ……もしかして、世界を終焉に導く準備でもしているのだろうか。

 

「そんなにも失礼な行為をするというのなら、今すぐに君たちの元に足を運んでやってもいい。君たち程度の存在なら、木っ端微塵に吹き飛ばすことも簡単だ」

 

 普通に恐ろしいことを言っている。先ほど口角を吊り上げ笑いながら窓を突き破った彼はどこにいったのだろうか。

 

「……なに?最近どこか暴走しがちのベアトリーチェを分からせたいから、どうにかして神秘を利用できないか画策していただって?おいおいそれはどういうつもりなわけ?君たちがそんなことしなくても、僕が常に分からせているのだからそれで満足しておきなよ」

 

「──ベアトリーチェ?」

 

『分からせたい』、『常に分からせている』。彼が発したその言葉は、少しどころか強烈に耳に残った。

 

 だが、それ以上に私の思考を占めるのは『ベアトリーチェ』という存在だ。

 

 黒いスーツの不気味な男、双頭のマネキン人形、そしてコートを纏った首なし男……そのどれも知ってはいるが、ベアトリーチェの正体となると見当がつかない。あるいは、まだ私の観測範囲にすら現れていない未知の人物なのかもしれない。

 

 ……情報があまりに欠けている今、これ以上考えても意味はないね。

 

「──話はこれで終わりかな?僕はたった今ほんの少しだけ気になることが出来たんだ。だから悪いけど、これで失礼させてもらうよ」

 

 どうやらレグルスは通話を終えたらしい。

 

 耳からスマホを離し、目の前に持ってきたその瞬間、ピッと通話終了の音が部屋に軽やかに響く。その音を聞き届けると、彼は迷いなくスマホをポケットに滑り込ませた。

 

「さあて、と……」

 

 これからレグルスは、きっと自分のプライベートな時間へ戻っていくのだろう。生徒たちから幾度となく襲撃を受けてきた彼にとって、その時間は何よりも貴重なものに違いない。

 

 それに、ここに居続けても、もう新しい情報は得られそうにない。それどころか、このままでは私は再び覗き見フォックスとなってしまう。

 

 地獄の上映会が再開する気配が無い今こそ、早くここから立ち去らなければ──

 

「──!!?」

 

 しかし次の瞬間、耳元でガラスが砕けるような音が弾けた。

 

 あまりにも至近距離で鳴り響いたその音に、心臓が跳ねる。思考よりも先に、私は反射的に音のした方向へ顔を向けた。

 

「……何で、私の足元に破片が──!?」

 

 すぐ側でティーカップが音を立てて割れ、破片は無造作に床へと飛び散っていた。その光景が、私の視線を釘付けにする。

 

「──あのさあ、そこに居るのはどこの誰なのかなあ?」

 

「!?気付いて……!?」

 

 ──まさか、レグルスが私の夢に干渉してきたのでもいうのか!?

 

「勝手に人の部屋に侵入して、聞き耳を立てて、挙げ句の果てには僕が通話を終えた後でもそこから立ち去ろうとしない」

 

 レグルスがこちらに近付いていく。一歩一歩、死を宣告するかのようにその足を確実に前に進めていく。

 

「君がそうやって、いくつもの権利を侵害しているってことに気付かないのであれば──」

 

「っっ!!!」

 

 再び、ティーカップが私の傍らで粉砕され、飛び散った破片が頬を掠めんばかりに迫り──

 

「──今すぐにでも再起不能にしてやってもいい」

 

「!!はぁっ、はぁっ!に、逃げ──!」

 

 そのレグルスの言葉に底知れない恐怖を抱き、私はがむしゃらにそこから逃げた。ここに居れば本当に殺されてしまうかもしれない、そんなことを考えながら。

 

「…………」

 

 そして、レグルスはその逃げていった気配を、確かに感じ取っていたのだ。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「──っ!?!?はぁっ、はぁっ、はぁっ……!ごほっ!ごほっ……!!」

 

 目覚めと同時に身体が起き上がり、あの明晰夢で感じた恐怖をまるで体内から追い出すかのように、何度も何度も咳き込む。

 

「……はぁ、は──」

 

 ──久しぶりかもしれない、ここまで恐怖に押し潰されそうになったのは。未来予知の時よりも、過去や現在を観測していた時よりも、底知れぬ恐怖を初めて実感した瞬間だった。

 

「……ふう」

 

 数分間、呼吸を整えながら何度も深呼吸を繰り返すことで、ようやく心のざわめきが収まった。

 

 落ち着きを取り戻した私は、ゆっくりと視線を巡らせ、周囲を見渡す。

 

「……戻ってきたのか」

 

 世間に知られることのない私の隠れ家……救護騎士団を離れ、付き添ってくれているミネだけが知る場所に戻ってきた。恐怖のあまり、夢の中を彷徨い続けていた私の意識は、どうやら現実へと浮かび上がってしまったらしい。

 

 なるほど、そういうこともあるのか──

 

「──戻ってきた!?」

 

 私は遅ればせながら、その事実に気付く。長い間、昏睡のように眠り続けていた自分が、今、目覚めたということに。あの時、レグルスに抱いた恐怖が、深く眠っていた本能を叩き起こしたのか……そんなことが現実に起こるはずがあるだろうか。

 

「ミネは!?……周囲には居ない、か」

 

 息をゆっくり吐き出し、わずかに安堵する。

 

 さすがに急に目覚めたら、誰かに驚かれるかもしれない……だが、いまこの事実をミネに知られるわけにはいかない。彼女ならきっと、目覚めた私を心配して徹底的に救護してくれるだろうから。

 

 ──でも、これから私がすることにそれは不要だ。

 

「これは、ある意味賭けになるかもしれないが──」

 

 そこで一度、言葉を止めて軽く息をつく。心の中で覚悟を固めた私は、ついに言葉を紡ぎ出す。

 

「──レグルス・コルニアスと、夢を通して接触を試みる」

 

 夢を介して私が干渉していたことを、彼はいとも容易く逆干渉という形で、確実に私という存在を掴んでいた。そんなこと、これまで一度としてなかった。あの先生ですら、私の存在に気づくことはなかったというのに……。

 

「……」

 

 私は、未来予知によって繰り返し悲劇を見てきた。エデン条約のもとで避けられない出来事、外的な要因が引き起こす恐怖。それを何度も、何度も観測してきた。

 

 ゲマトリアもそのひとつだ。ベアトリーチェ以外の面々は、夢を通してしか知ることができなかったが、生徒を実験しようと画策する黒いスーツの男、トリニティの地下で何かを企む双頭のマネキン人形、恐ろしい兵器を作ろうとしているコートを纏った首なしの男……彼らと対話しようと試みたことはあったが、それは叶わなかった。

 

 ──しかし。

 

『──僕と市民たちの権利を奪い返させてもらうよ』

 

 あの時の横顔が脳裏に浮かぶ。世界を終焉へ導く者にふさわしい表情だったのは間違いない。

 

 けれど、ゲマトリアの中で彼は明らかに異質だ。私の夢にまで手を伸ばせる存在……つまり、彼はゲマトリアの中でも──

 

「もっとも対話が出来る存在かも知れない……!」

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「──ん……?」

 

 もう朝日が昇ったのだろうか。意識がゆっくりと浮上していくのを感じるが、妙に眠った感覚がない、と胸の奥でつぶやく。まだ起き上がる前に、閉じていたまぶたを静かに開いた。

 

「知らない天井だ……はあっ!?」

 

 目を開けた途端、部屋の天井は消え去り、代わりに澄み切った青空が視界いっぱいに広がっていた。こんな光景、現実ではありえないだろう。外で寝ているわけがないのだから。

 

「ここは一体どこ──」

 

 明らかにおかしいと思い、急いで起き上がり周囲を見渡した。

 

「──」

 

 目の前には、一面の花が広がっていた。色鮮やかな花々が辺りを覆い、息をのむほどに幻想的な空間がそこに存在していた。

 

「……この感覚、この場所、現実にあるような所じゃない。だとしたら、これは一体──」

 

「──ああ、こうして成功したということは、やっぱり君は他とはどこかかけ離れている存在なんだね」

 

 声が聞こえた。その声はどこか落ち着いていて、儚さが感じる声だった。

 

「ずっと不思議だったんだ。どうして明晰夢という曖昧な舞台を通して君を観測する筋書きになったのか。こうして考えると、あの地獄のような時間は、ただの前奏曲にすぎなかったのかもしれないね。最後のあの瞬間を見せるためだけに運命が敷いた橋だったとするなら、ずいぶんと凝った脚本だと思わないかい?」

 

 その場で立ち上がり、声のした方向を見やると、優雅にティーカップを傾けながら紅茶を楽しむ一人の少女の姿があった。

 

「──」

 

 その周囲には花弁がそっと宙を舞い、視界の彼方まで続く花畑が広がっていた。現実とは別世界のような光景に、唖然とし、言葉が出なかった。

 

「私の神秘が織り上げた、私だけの夢の世界。ここに招かれたのは、君が初めてだ。彼でさえ、ここに辿り着くことは叶わなかった。せいぜい夢を通じて招待できたのは、トリニティを模した影の空間に過ぎなかったからね」

 

 紅茶が入ったティーカップをそっとソーサーに置き、彼女は視線をこちらに向けながらゆっくりと口を開いた。

 

「──お気に召してくれたかな?」

 

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