ゲマトリア所属の強欲の権化   作:ぬこぱんち

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権利の侵害を繰り返した者

 

「……おや、もしかして私の夢の世界はお気に召さなかったかい?──ああ、私としたことが、先に紡ぐべき言葉を間違えたね。すまない、今まで成功したことが無かったものだから、柄にもなく少し興奮してしまったみたいだ」

 

 あまりにも非現実的な光景に言葉を失っていると、一方的に話していた少女が、気まずそうに目を伏せながら申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 

「君が安眠しているであろう聖域から、一方的にこちらに招いてしまってすまなかった」

 

 かと思えば、少女は突然目を閉じてこちらに謝罪してきた。

 

 なんとこの間、僕は一言も発していない。一言二言レグルス構文を紡ぐ前に一方的に話し、一方的に謝るその様子に、さすがの僕も面食らった。ここまで黙っている時間が長いのはもしかすると初めてかもしれない。

 

「……私としても、客人を立たせ続けるのは心苦しいんだ。強制するようであまり好ましくないやり方かもしれないが、まずは席についてくれないかい?話はそれからにしようじゃないか」

 

 そう考えている間にも、彼女の声は途切れることなく僕へと届く。瞳に浮かぶのは申し訳なさ、それでいて確固たる意志を秘めた光。柔らかな口調とは裏腹に、己の願いを貫こうとするその姿は、どこぞの強欲の魔女を彷彿とさせた。

 

「──いや、ちょっと待ってくれないかな。君、この流れで僕に座れと強要するのはいささか強引すぎやしないかな?君がどれだけ丁寧な言葉を並べたとしても、招かれた本人が事情を飲み込めていない状態で一方的に話を進めるのは、もはや歓待じゃなくてただの押し付けだ。それに、君は『客人を立たせるのは心苦しい』と言ったけど……それ、逆に言えば自分の都合で客人を動かすってことだろう?本来、迎える側が気を遣うべきなのに、今のやり方は僕の意思を無視しているようにしか見えないんだよね」

 

 ここでようやく、彼女の一方的な言葉に対して口を開くことができた。反論というより訂正に近いかもしれないが、できる限り正論になるよう、言葉は慎重に選んだつもりだ。

 

「……なるほど、ごもっともな言い分だ。返す言葉もないよ」

 

 彼女はどうやら、僕の言葉を理解し納得したようだった。むしろ、そうでなければ困るというものだ。何の説明もなくこの不可解な場所に呼び出され、一方的に話を続けるなど理屈として成り立っていない。少なくとも、僕という存在を置き去りにしたまま会話を進めるのは筋が通らないだろう。

 

「うんうん、分かってくれたのならそれで良い……それで、この場所から出るための出口はどこかな?」

 

 ──それはさておき、建前は建前として、ここを離れることに決めた。

 

 招いた彼女には悪いが、この不可解な場所に留まる理由も意味も見当たらない。ならば、早々に立ち去る方が賢明だ。万が一、僕に何か起きれば後悔してもしきれないのだから。

 

「出口なんてものはないと思うよ」

 

「そうかい、それなら勝手に探させてもらうよ。君のその言い方だと、出口があってもおかしくないということだからね」

 

 そう言い、彼女に背を向けて歩き出すことで距離を置く。

 

 最初に呆然としていた時の記憶を辿ると、彼女は確か「私の神秘が織り上げた、私だけの夢の世界」と語っていた。夢の世界の構造は皆目見当もつかないが、彼女の言葉から考えれば、夢から覚めるための出口が一つくらい存在してもおかしくないだろう。

 

 だから、とりあえず歩き回って、出口らしきものを見つけ出そう……そう思った矢先のことだった。

 

「──君は、凄まじい勢いでトラックに跳ねられた時、どういう感情を抱いたんだい?」

 

「……は?」

 

 その言葉が耳に入った途端、足が止まり、驚きと困惑で素っ頓狂な声を漏らさずにはいられなかった。

 

「爆発に巻き込まれた時、戦車に砲弾を撃ち込まれた時、脳天に銃弾を撃ち込まれた時、ヘリのローターと共に高速回転した時……君は、怒り、憎しみ、悲しみ、苦しみ、不安、困惑……どの負の感情を抱いた?」

 

「──」

 

 彼女の質問の意図は、まるで理解できなかった。例えはすべて人を傷つけるような物騒なものばかりで、求められる感情は負のものばかりだった。

 

 そこには、寛容、愛、幸福、安心、信頼、納得といった正の感情は一片たりとも存在していなかった。

 

 だが、それらの感情を抜きにしても、一つだけ確かに言えることがある。彼女が負の感情について問いかける際に示していた背景が、僕がこれまで体験してきた理不尽の一部であることだった。

 

「……なるほど、君は、誰かが経験したことに対して、その時抱いた感情の答えを僕に求めているのかな?だけど、それはずいぶんと酷な質問だと思わない?だって、その痛みも恐怖も、体験した本人にしか分からないものだろう?たとえ君がその光景を目にしたとしても、第三者の僕がこう感じたに違いないなんて軽々しく言えるはずがない……だからこそ、その問いに対して答えるべきは僕じゃない。その感情を抱いた本人に聞くべきだと思うよ」

 

 もしかしたら、僕が理不尽を被るその瞬間を彼女がどこかで見ていた可能性もある。世界は広いのだから、あり得る話だろう。

 

 しかし、だからといって僕がその問いに答える必要はまったくない。それにしても、知りすぎているような気もするが……だが今は、とにかくここを離れるべきだ。こういう展開は、僕にとって好ましいとは言えないから。

 

「誰かの経験なんてものじゃない。正真正銘、君自身が経験してきたんだろう?」

 

 だが彼女は、僕の頭の中の思考を一瞬で打ち砕くかのように、まるで全てを知っているかのように言葉を紡いだ。今は背を向けているため、表情は見えない。そのため、彼女の真意や心の動きを推し量ることはまったくできない。

 

「……キヴォトスという巨大な学園都市には、数え切れないほどの学園が存在すると聞いている。つまり、そこに通う生徒の数だけ個性があり、似たような顔立ちや雰囲気を持つ者だっていくらでもいてもおかしくないと思うんだよね」

 

 苦しい言い分かもしれないが、いち早くこの場所から離れるため、まずは出口を見つけ出さなければ──そう決意したその時だった。

 

「『君たちは他者から当たり前のように搾取し、奪う行為が得意みたいだけど……僕は他者から何も求める事もなく無欲であり、下品な真似が嫌いなだけで、奪うという行為自体は簡単だ。だから──僕と市民たちの権利を奪い返させてもらうよ』」

 

 忘れもしない、忘れようもない。アビドスの市街地に幾多のミサイルが降り注いだあの日、宇宙まで吹き飛ばされないように強欲ムーブを解除し、久しぶりに痛みを感じた瞬間を。

 

 住民のことなど顧みず、小規模な戦争を引き起こした原因たるポンコツロボをこの手で制裁するため、ビルを飛び降りたあの時を。

 

「……正直な話、不意を突かれたよ。理不尽な地獄を味わっていながらも、あんな言葉を紡げるなんてね」

 

 ──ありえない。ありえるはずがない。

 

 あの時、僕は無人のオフィスの一室まで吹き飛ばされたんだ。周囲に人なんて居るはずがない。

 

 それなのに、爆発に巻き込まれた時も、戦車の砲弾を受けた時も、脳天を貫かれた時も、挙げ句ヘリのローターに巻き込まれ高速回転した時までも、彼女は全てを見ていたというのか。

 

 ──相手の奥底に底知れぬものを感じた瞬間、僕は自然と顔を後ろに向け、その瞳で彼女を見据えていた。

 

「──君は一体、僕の権利を何回侵害してきた?」

 

 一体どんな経緯で、どんな手段を用いてそれを成したのか。

冷静に問うべき疑問はいくつもあった。

 

 けれど、理性よりも先に、胸の奥からこぼれた本音が鋭い刃となって彼女へと叩きつけられた。

 

「おや、私に興味を示してくれたのかな?……こんな回りくどいやり方でしか示せないのは褒められたものじゃないと理解してはいるけどね。でも君は、私がどうやってそのことを知ったのかという過程に疑問を抱き知りたがっている。そして私は、君という存在そのものをもう少し深く知りたい──君がこの席につく理由は、十分にあると思わないかい?」

 

「……」

 

 彼女からは何の返答もなかったが、言葉の意図を自分なりに解釈するなら、席につかなければ何も始まらないということなのだろう。僕の質問の答えも、きっとそこに座った時に初めて得られる……そんな気しかしなかった。

 

「──君、絶対に周囲から性格悪いってよく言われてるよね」

 

「周囲とまではいかないが、特に友人の一人によく言われているとも。おかげさまで嫌われてしまって、一緒にお茶する機会も減ってしまったさ……今は特に、ね」

 

 僕がとるべき選択肢は、彼女が用意したであろう席につくことだった。ため息を吐きながら、彼女が用意した席に腰を下ろす。

 

 ……そして、少し睨み付けるように彼女を見据え、口を開いた。

 

「それで、僕をこんな場所に招いた理由は一体なにかな?まさか、なんとなくという曖昧な理由じゃないだろう?僕を招いたからには、相応の理由があり、説明ぐらいはしてくれると信じているよ」

 

 彼女が、僕の平穏を脅かす存在である可能性は拭いきれない。

 

 いまのところ敵意は感じられないが、油断はできないだろう。だが、たとえ不意を突かれようと対処できる自信はある。

 

 ──彼女に気づかれぬよう、この空間で強欲の権能が発動するか確かめるため、そっと周囲の花弁に触れてみた。すると花弁は、世界から切り離されたかのようにその場で静止し、動きを止めた。

 

 つまり、強欲の権能は問題なく機能するということ。

 

 いざとなれば、この力で蹂躙することも選択肢に入れておこう。ただし、本当に望ましいのは、強欲の権能を使わないことだが。

 

「ああ、信じてくれていい……っと、私がまず何者か話していなかったね──私は百合園セイア。トリニティ総合学園に所属しているティーパーティーの元ホストだ」

 

「……君が、ナギサが言っていた百合園セイアか」

 

「おや、既に私のことを知っていたのかい?……というより、君はいまナギサと言ったね。もしかしてナギサとは既知の仲だったのかい?」

 

「過程は省かせてもらうけどね──つい昨日、成り行きでナギサ本人に招かれ、共にティータイムを過ごしたんだ。何でも、噂になっていた僕がどんな人物なのか、そしてトリニティかゲヘナどちらかに肩入れしているのか……そんなことを根掘り葉掘り聞かれたよ。その時にティーパーティーについても聞かされてね、ナギサの口から君のことを軽く聞いたというわけだ」

 

「ナギサが……なるほど、そういう経緯だったんだね。全く、彼女は相変わらずだ。わずかな不安の芽を摘み取るためなら、わざわざ人を招くことも厭わない。理性と感情の均衡が取れているように見えて、その実どこか脆いのは昔から変わらない──それで、君はそんな彼女に招かれ素直に足を運んだというわけか。こう言うのも何だが、よく着いていこうと思ったね。怪しいとは思わなかったのかい?」

 

「少なくとも君よりは怪しいと思わなかったよ。君よりはね」

 

「手厳しいね、今の状況からすればごもっともだが」

 

 ナギサは実に分かりやすかった。あれほどまでに焦燥感を漂わせていたのだから。あの様子では、きっと僕でなくても気づいていたかもしれない。

 

 それに比べて、いま目の前で小刻みに狐耳を揺らしている彼女はどうだ。ここで思い出すのは、ナギサにロールケーキをぶち込まれたあのミカの言葉だ。

 

 僕の言動が、「セイアちゃんに言われているみたいでほんっとにムカつくんだけどっ!?」と、彼女は言っていた。

 

 もうその時点で十分に怪しいだろう。レグルスという存在そのものが胡散臭いというのに、挙げ句の果てには夢の世界に君を招いたとまで言い放ったのだ。

 

 先ほど強欲の魔女を彷彿とさせると言ったが、本当にこの世界における強欲の魔女じゃないか?頼むから嘘だと言ってくれ。

 

「私が何者か、それがある程度省けただけでも良しとしよう……さて、本題に入ろうか。『ゲマトリア所属の強欲の権化、レグルス・コルニアス』」

 

「……あのさあ、人が名乗る前に了承もなく人の名前を先に告げるなんてどういう神経しているのかな?それって存在そのものに対する冒涜であり、僕の権利の重篤な侵害だと思うんだよね」

 

 ティーパーティーという組織は、どうしてこうも僕のことを一方的に知っている者ばかりなのだろう。

 

 確かに、多少は目立つ行動をしてきた自覚はある。だが、仕掛けてきたのはいつだって向こうのほうだ。人が人を呼び、勝手に噂を膨らませた結果、僕が知られるようになっただけ。

 

 だから、僕は悪くない。何も悪くないはずなんだ。

 

「権利の侵害……良い切り口だね。せっかくだからそこから話を展開するとしよう──レグルス、私は君がしばしば口にする権利の侵害という言葉をこれまで何度も耳にしてきた。それにはある理由がある」

 

 セイアが真剣な眼差しでこちらを見つめてくる。

 

 ……その顔でストーカー宣言とかしないだろうか。そんなこと言われたら、笑うに笑えないんだが。

 

「それは、私が持つ神秘が関係している。君も常日頃振るってきただろう、その規格外とも言える神秘を。理不尽に抗って幾度となく生徒を退けたその神秘と同様に、私も少々特殊な神秘を有しているんだ」

 

「──君、本当にどこまで僕の権利を侵害しているのかな?」

 

 僕が纏う神秘を、どうして彼女は知っている?一体どんな手段で知ったんだ?

 

 その先を知ることが少し怖くて、どうしても聞きたくない気さえした。

 

「……私は明晰夢を通して、未来、過去、そして現在の事象を観測することが出来る。私の意思ではなく、突発的によるものが多いけどね」

 

「──明晰夢だって?いや、それよりも君、いまさらっととんでもないことを言ったよね?」

 

 明晰夢というのは、夢を見ている最中にそれが夢であると自覚する種類の夢のことだ。だが、そんな事は今はどうでもいい。問題は、彼女が口にした『未来も過去も現在も観測できる』という話だ。そんなことが、果たして本当に可能なのか。できてしまってもいいのか。

 

「驚くのも無理はない。言い換えれば、『未来予知』『過去視』『千里眼』みたいなものだからね」

 

 信じられない。そんな能力者が目の前にいるなんて。そんな彼女に比べれば、ノミ以下と言われても仕方がない。

 

 だってそうだろう。時間を止めれば自分が死にかけ、他人の体に疑似心臓を寄生させてようやく生き延びることが出来る。強欲ムーブしなければ発動できない能力よりも、彼女の能力は圧倒的に便利で、目の前にいるだけで恐怖さえ覚えてしまう。

 

「君が言っていることが本当だとすれば、その能力はなかなか興味深い。突発的っていう不安定さを除けば、使いようによってはかなり有用だ。きっと、喉から手が出るほど欲しがる者も居るだろうね」

 

「…………」

 

 能力をそう評した瞬間、セイアの顔には言いようのない微妙な揺らぎが走った。しかしすぐにそれを隠すように表情を戻し、瞼を閉じて小さく息をつく。再び口を開いたとき、その声にはかすかな決意の色が混じっていた。

 

「──66」

 

「……ん?」

 

「66、この数字が何を意味するか分かるかい?」

 

「……は??」

 

 突拍子もない質問に、僕の思考は一瞬停止した。しかしその直後、セイアが口にした言葉は、僕の予想を遥かに超える衝撃を伴っていた。

 

「私が観測した中で、君が死んだであろうその瞬間を捉えた回数だ」

 

「──は???」

 

 彼女が口にした言葉は、僕の理解をはるかに超えていた。

 

 現実的に考えて、人の死の瞬間を何度も観測することなど不可能だろう。しかも66回もだ。あまりにも意味が理解できず、頭が混乱してしまう。

 

 ……いや、待て。まさか──

 

「察してくれたみたいだね。そう、そこで私の神秘が関係してくる……明晰夢。それが私の見てきた事象であり、私と君が繋がってしまった瞬間でもある。君の過去を通して、トラックに跳ねられ、爆発に巻き込まれ、何度も何度も絶叫し……そんな瞬間を私は66回も観測してしまったんだ。私が君のことを知りたいと望んだばかりにね」

 

 その言葉で、僕の予想が現実となってしまった。

 

 明晰夢を通して未来や過去、そして現在を観測できると聞いた時点で、百合園セイアが僕の行動を逐一見ていた可能性を疑うべきだったのだ。

 

「私はそれを『地獄の上映会』と名付けた」

 

「人の惨劇を幾度となく覗き見しておいてその言い草は失礼すぎると思わないのかなあ!?」

 

 あの英雄の人生上映会みたいに勝手に名付けないでほしい。本人は死んでいるわけでもないのに、勝手に地獄の舞台に立たされているようなものだ。当の本人からしたら不名誉極まりない悪趣味な上映会でしかない。

 

「こればかりは私に非があると言わざるを得ない。逃げようとしても明晰夢が私を逃がしてはくれなかったんだ。まるで、君という存在を知ること自体を禁ずるかのように、夢そのものが制裁を加えると言わんばかりに私を縛りつけていたんだ。まったく、皮肉な話だと思わないかい?」

 

 そう言ったセイアの目には、まるで光が宿っていないかのようなハイライトの消えた表情が浮かんでいた。

 

 その様子に、思わず僕はドン引きする。確かに人に見せられるものではないかもしれないが、死んでいるわけでもないのだから、そこまで絶望する必要はないだろう。

 

 ……まあ、それはそれとして、僕の権利を侵害した時点でアウトだ。自業自得ってやつだろう。どうやら自分の能力を制御できないらしいし、今回はそれが仇となったというところだろうか。

 

「──僕の権利を侵害した。それだけで、君の罪は決して軽くない。だからこそ夢が君に制裁を加えたのかもしれないね。それは因果応報ってやつだ。そして、本来ならそこで話は終わりだ。君の行為は自業自得、ただそれだけの話だ……けどさ、今の君を見ているとさすがに哀れで見ていられないよね。自分の行いに押し潰されている君を前にして、僕まで後味が悪くなっている。少なくとも、見ていて気分がいいものじゃないからね」

 

 とはいえだ。そう告げると、僕はテーブルに肘をつき、両手を口元に寄せながら静かに言葉を紡ぎ続けた。

 

「どうも君は、その便利すぎる能力をまるで扱いこなせていないみたいだからね。全てがわざとじゃないということくらいは理解できたよ。だからといって、君の罪が帳消しになるわけじゃない。それでもね、ここで『はい終わり』と突き放すのはさすがに酷だ。僕は根が優しいから、今この時だけは一つだけ君の要求に応えてやれなくもない。それが僕なりのせめてもの情けってやつさ、ありがたく思うといい」

 

 むしろ僕がセイアに要求したいぐらいだ。そのチートめいた能力を僕にくれと。

 

 過去視とか千里眼は正直いらないが、未来予知だけは別格だ。是非とも欲しい。それさえあれば、不良生徒の襲撃なんて余裕で避けられるし、未来の理不尽を先回りして叩き潰せるかもしれないのだから。

 

 ──ただ、一つ気になるのは、僕が「喉から手が出るほど欲しがる者も居るだろうね」と言った瞬間、セイアが少し微妙な表情を浮かべていたことだ。やはり、あの能力を上手く扱えないせいで困っているのだろうか。

 

「っ!?今なんでもするって──!?」

 

「人の話聞いてた?」

 

 ──そう考えた刹那、セイアは勢いよく前に乗り出し、袖に隠していた両手を机に叩きつけながらそう言った。

 

 何でもとは言っていない。決して言っていない。

 

「──あ、ああ、すまない。正直、ゲマトリアである君がそんなことを言うとは思わなくてね」

 

「はあ?なんでそこでゲマトリアが関係する……いや、そういえば僕がゲマトリアに所属していることを君は知っていたのか。まあ、だからなんだって話だ。そもそも何でもするとは言ってないけどね」

 

 本気で勘違いされたら困るので、一応釘を刺しておく。そんな僕に、セイアは「分かっている」とだけ答え、少しだけ動揺した表情を浮かべた後、すっと椅子に腰を下ろした。

 

「……それじゃあ、お言葉に甘えて、いま私が一番聞きたいことをはっきり聞かせてもらおうか」

 

 ──セイアの視線が、一気に真剣なものへと変化した。どこかふざけた雰囲気は消え去り、わずかに敵意を帯びた瞳で僕を見据えている。

 

 なんだなんだと内心で思う僕をよそに、セイアは躊躇なく、今最も知りたいことをそのまま口にした。

 

「──ゲマトリアは、キヴォトスを終焉に導こうとしているのかい?」

 

 ──

 

 ──?

 

 ──???

 

「…………………………は?」

 

 理解の範囲を超えた質問に、僕の心は宇宙猫の状態のように混乱した。

 

 確かに以前、文字通り宇宙まで吹き飛ばされた経験はあるが、今回はそれとは違う衝撃が全身を襲ったのだ。

 

「……いや、意味が分からないんだけど。君は一体何を言っているんだ?」

 

 意味がまったく理解できず、自然と僕の口はセイアに向かって問いかけていた。まるで答えを強制的に引き出そうとするかのように、無意識に質問の形を取ってしまう。

 

「生徒を実験しようと画策する黒いスーツの男、トリニティの地下で何かを企む双頭のマネキン人形、恐ろしい兵器を作ろうとしているコートを纏った首なしの男……私は、意図しない明晰夢によって彼らを観測したことがあった」

 

「僕以外にも権利の侵害をしているじゃないか。君のその明晰夢はポンコツか何かなのかな?」

 

 さらりと黒服たちの様子まで覗き見し、権利を侵害していたことに逆に感心してしまう。何をどう過ごしたらそんなことが可能になるのだろうか。

 

「──レグルス。君の件について私が把握しているのは、生徒たちから数多の襲撃を受けていたという事実だけだ。だが、この学園都市の未来に歪みをもたらす可能性があると判断した場合、私はただ沈黙をするという選択を選ぶわけにはいかない」

 

 まさか、ここまで堂々と聞いてくるとは。覚悟が決まりすぎていないかこの子。これ、僕が成り代わりじゃなく本物のレグルスなら、彼女はもうここには居ないんじゃないか。

 

「はあ……君のことは勝手に、僕と同じで深慮深くて聡明な人間だと思っていたんだけどね。どうやら僕の買いかぶりだったみたいだ。君はただの大馬鹿だったんだね」

 

「んなっ!?」

 

 突然の罵倒がセイアを襲う!

 

「確かに失礼な質問かもしれないが、私はいたって真剣に──!」

 

「──そもそも、キヴォトスを滅ぼして、ゲマトリアの僕たちに何かメリットがあると思っているのかな?」

 

「──っ……」

 

 心底呆れてしまう。誰がそんな馬鹿みたいな真似をするのだろうか。

 

「ゲマトリアという組織は、崇高とやらを求めるという訳の分からない組織だ。僕以外の構成員はひたすら崇高とやらを追い求め、欲望のままに動いているとも言えるだろうね」

 

 だが、キヴォトスを終焉に導く……?黒服たちがそんな真似をするわけがない。何故なら──

 

「──だけどさ、それをするにはキヴォトスという舞台が必要不可欠なわけだ。冷静に考えてみなよ。崇高とやらを追い求めているのに、その舞台を終焉に導くとんでもない大馬鹿な真似をする人物が居るはずがないと」

 

 舞台が無くなれば黒服たちは崇高を追い求めることが出来なくなる。そして僕は平穏に過ごすことが出来なくなる。普通に考えれば分かることだ。まさかそんな愚かな真似をする奴が居るはずがない、居てたまるかって話だ。

 

「……私の、思い違いだって言うのかい?」

 

「仮に君の言う通り、本当にキヴォトスを終焉に導く存在が現れたとしよう。だけど、その時は……」

 

 今度はこちらがセイアを見据え、言葉をはっきりと叩きつける。

 

「──僕がその存在を徹底的に蹂躙する。完膚なきまでにね。何故なら僕にはそれが可能だからだ」

 

「──」

 

 どんな存在であろうと関係ない。先生であれ生徒であれ、ゲマトリアの構成員であれ、悪意を以てそんなことをするならば容赦はしない。平穏を奪うような真似をするのであれば、僕が徹底的に蹂躙する。それだけだ。

 

「……そう、か。少なくとも君はそう考えているのか」

 

 私が一方的に敵視しすぎただけなのか……と、セイアはティーカップの紅茶をじっと見つめ、静かに呟く。沈黙の時間が続いた後、ふうっと息を吐き、おもむろに顔を上げこちらを見据えた。

 

「──君だけでもそれが聞けて良かった。それだけでも十分価値があった。やっぱり、君をここに招いた判断は間違っていなかった。私が『地獄の上映会』を観測したのは無駄にならなかったというわけだね」

 

「あのさあ!その言い草は失礼すぎるってさっき僕が言ったばかりだよね!?それをわざわざもう一度口にするなんて、君は鬼畜の化身か何かなのかなあ!?」

 

「ふふっ、冗談さ」

 

 袖ごと手を口元に当て、小さく含み笑いを浮かべるセイア。その様子に、本当にこの狐は鬼畜かもしれないと呆れていると──

 

「……ん?ちょっと君、僕の身体に何をした?」

 

「──おや、もう時間が来てしまったか」

 

 突然、身体が光に覆われ小さな粒子となってあちこちへ散っていく。訳が分からず困惑しながら両手を見つめると、粒子の放出に合わせて自分の身体が少しずつ透けていくのが見て取れた。

 

「現実の君が覚めようとしている証拠だ。きっと、現実では朝日が昇っているということだろうね」

 

 もしここが夢の世界だというのなら、現実の僕が目を覚ました時、この場所から僕の存在は掻き消える……そういうことなのだろうか。

 

「……なるほどなるほど。となれば、現実の君もそろそろ目覚めるといったところかな?規則正しい生活を送っているのであればね」

 

「……いや、私はまたこのまま──」

 

 そう言い終えると、セイアは静かに口を閉じた。次の瞬間、眉を下げ、少し肩を落とすようにして諦めを帯びた表情をこちらに向ける。

 

「……何でもない、気にしないでくれ」

 

「?」

 

 しかし、それは一瞬のことだったため、僕はさほど気に留めなかった。むしろ意識の大半を占めていたのは、身体から粒子が放たれていく何とも言えない感覚の方だった。

 

「──ああ、君に言い忘れていたことがあった。現実の君が目覚めれば、この夢で私と会話したことは忘れてしまうんだ。残念なことにね」

 

「……はあ!?ここまで話をしたっていうのに、現実に戻ったら全部なかったことになるなんて、あまりにも理不尽すぎるんじゃないかなあ!?」

 

「心配はいらないよ。何もすべてを忘れるわけじゃない。ただ私と何か話をした気がする程度の曖昧な記憶として残るだけさ……もっとも、私はそのすべてを鮮明に覚えることが出来るけどね」

 

 大丈夫なはずがない。あまりにも一方的すぎる。そんな理不尽が存在していいはずがない。

 

「君は何回僕の権利を侵害すれば気がすむのかなあ!?そんなことが許されると思って──」

 

「──レグルス」

 

 セイアは僕の不満を遮るようにして、真剣な眼差しのまま言葉を紡いだ。

 

「覗き見フォックスをしてすまなかった」

 

「はあ!?君は何を言ってるん──」

 

 次の瞬間、僕の身体は粒子へと分解され、セイアが作り出した夢の世界の中からふわりと消えていった。

 

「……」

 

 こうして、少し騒がしかった夢の世界に静寂が訪れ、その場に一人残されたセイアは、粒子となって消え去ったレグルスを見つめたのだった。

 

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