ゲマトリア所属の強欲の権化   作:ぬこぱんち

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選択

 

「──また変なところに迷い込んでしまった」

 

 現実で数多の人々が日々を過ごしている中、ただ一人、明晰夢を彷徨い続ける少女……百合園セイアは、どこか諦めたように呟く。

 

 それがいつものことだと受け入れながら、ふと、ある考えが胸をよぎった。

 

「……しかし、まさか今の私にとって最も安息だと言える瞬間が、彼と共に居る事だとは、誰が予想出来たのだろうか」

 

 ──どんな状況にあっても、無意識のうちに続いてしまう未来予知を強制的に中断させることができる、ただ一つの手段であり、彼……レグルスを夢の世界に招くという意思があれば、その意思に応じるように神秘が働き、夢は形を成す。

 

 そうして生まれるひとときこそが、セイアにとって、最も安心できる束の間の休息であり……言い換えればそれは、今の彼女にとって、唯一の安息の瞬間だった。

 

「生徒という枠組みから外れている彼だからこそ、私の神秘と共鳴してそれを可能にしているのだろうか……いや、それだと先生も同条件に該当する。説明としては不十分だね。となると、やはり神秘の有無そのものが関係しているのか……?だが、あの力を単純に神秘の一言で片付けるには、あまりにも挙動が異質すぎる。レグルスのあの力は本当に神秘由来なのか?仮にそうだとしても、もっと根底にある別の要因……神秘すら媒介に過ぎない何かが作用していると考えた方が、整合性は取れる。あるいは……ゲマトリアという存在自体が、こちらの理屈を無視して一方的に干渉を成立させる例外的な構造を持っているのかもしれない……」

 

 セイアが初めて彼を夢の世界に招いたあの日以来、明晰夢を彷徨う中で、彼女は幾度となくレグルス・コルニアスという存在を理解しようとしてきた。

 

 ……セイアの夢の世界は決して安定したものではない。

 

 たとえ対象を招くことに成功したとしても、短い対話を終えた後には、そのほとんどの記憶が失われてしまうという代償がある。

 

 残るのはただ、何かを話した気がするという曖昧な感覚、記憶だけ。

 

 ……だというのに。

 

「──本当に分からない。彼は、一体何者なんだ?」

 

 レグルスは、常にセイアの予測を大きく逸脱してくる。どれだけ考察を重ねても、その本質に辿り着ける可能性は限りなく低い。

 

 ──セイアは、レグルスを理解することが出来ない。

 

「どちらにせよ、現時点の情報だけでは断定には至らないね。全て、仮説として保留しておこう」

 

 とりあえず、そう結論づける。

 

 ここ最近、セイアは欠かさず彼を夢の世界へと招き、対話を重ねている。

 

 その際に、何度でも何度でも、絡まった糸を一本ずつ解きほぐすように。少しずつ、少しずつ確かめていこう。

 

 ──レグルスという存在を、理解するために。

 

「……さて、ここはどこなのだろうか」

 

 ……まずは、この現状を正確に把握する必要がある。

 

 どこまでも透き通る青空が広がっているわけでもなければ、星々が瞬く夜空に包まれているわけでもない。

 

 かといって、どこかの建造物の室内と、単純に片付けられるような空間でもなかった。

 

「この建築様式から察するに……まさかここは、白洲アズサが所属している……アリウス自治区?」

 

 ──白洲アズサ。

 

 セイアを暗殺した張本人……ではあるが、実際にはそう見せかけることで、彼女を比較的安全な場所へと逃がすことに加担した存在であり、その行為ゆえに、アリウス側においては裏切り者に分類される少女。

 

 すべてが破局へと向かっていると知りながらも、なお抗い続けている。運命を受け入れることを良しとするセイアとは、対照的な在り方。

 

 アリウスの教えにふさわしくない、唯一理不尽に抗い続ける存在。その少女の出身地こそが、アリウス自治区だった。

 

「どうして急に、ここに迷い込んだのだろうか。私の神秘による意図が介在しているのが妥当ではあるが……待て、あれは……?」

 

 いつもの癖で思考の海に沈みかけたセイアの視界に、ある不気味なものを捉える。

 

「──祭壇?」

 

 高くそびえる壁面には、色褪せたはずのないステンドグラスが嵌め込まれている。

 

 だが、そこに描かれているものは、神の加護でも救済でもない。翼を広げた何かが、祈るようにも、嘆くようにも見える姿で、光の中に溶けかけている。

 

 淡い紫と紅が混じり合った光が、床へと滴るように落ちていて……まるで血と祈りが混ざり合ったかのような、不快な色合いだった。

 

「儀式を執り行うような至聖所といったところだろうか……それにしたって、あの十字架は──」

 

 セイアの目についたのは祭壇やステンドグラスのみではない。一際目立つ、十字架もその一つだ。

 

 本来ならば救いの象徴であるはずのそれは、ここでは異質な存在。

 

 まるで何かを吸い続けるためにあるように見え、鈍く光り、十字に組まれたその形は、もはや神への信仰ではなく、何かを縛り付けるための檻のようにも見える。

 

「……不気味だ。見るからに碌でもない代物に決まっている。これを作成した者は、一体何を考えているんだ?」

 

 こんなものを利用してしまえば、アリウス自治区どころか、キヴォトスの存続だって怪しくなってもおかしくない。何の意図があってわざわざ災渦を招く門を設置するのか、理解することが出来ない。

 

 これならまだレグルスを理解出来る可能性の方がよっぽどあるだろう。

 

「……?あの十字架、作られたばかりの物だと仮定していたが……待て、あれは──」

 

 ──違和感を覚えた。

 

 セイアは勝手ながら、不気味なステンドグラスを門とし、そこに添える形で十字架を設置しただけだと思っていた。

 

 ──だが、設置したというだけなのであれば、なぜ十字架に生け贄を縛り付けたかのような跡が残っているように見えるのだろうか?

 

「まさか、既に儀式は──」

 

「──黒服、一体何のようですか?定例会議以外の要件で、あなた個人がこうして私に連絡してくるなど初めてのことでしょう……何か思惑があるのですか?」

 

「っ!?」

 

 不気味な祭壇を前に分析を進めていたセイアの元に、異質な気配とともに、場にそぐわない声が響く。

 

 続いて、コツ、コツ、と乾いた足音が、ゆっくりと祭壇へ近づいてきた。

 

 セイアは声と足音を捉えた刹那、迷うことなく近くの物陰へと身を滑り込ませ、息を潜め、気配を消すことに全神経を集中させた。

 

 ──こういう時に段ボールがあれば……!

 

 胸中で、そんな場違いな願望が浮かぶ。

 

 だが当然、都合よくそんなものが落ちているはずもなく……ましてや、自ら生み出せるはずもない。

 

 今のセイアにできるのは、ぴょこりと揺れる狐耳を必死に畳み、存在を少しでも小さく見せながら、ただひたすらに身を潜めることだけだ。

 

『ククッ……思惑などありませんよ。ただ、少し心配しているのです。マダム、貴女は最近、我々の定例会議に出席していませんが……何か不都合な事でもありましたか?』

 

「何を言い出すかと思えば……別に、何もありませんよ。以前から計画していた目的を達成するため、私の可愛い生徒たちを総動員し、私自身も奔走しているだけです」

 

 ──彼女は、誰だ?

 

 セイアは物陰に身を潜めたまま、ほんのわずかに顔を覗かせる。

 

 その視線の先にいた存在を捉えた瞬間、思わず息を呑んだ。

 

 ……赤い肌に白いドレスを身に纏った、目のついた翼に埋め尽くされた毛玉のような頭部であり、異形の女。

 

「──まさか……!?」

 

 勘の鋭いセイアは、即座に思い至る。

 

 かつて明晰夢で観測した、黒いスーツの不気味な男。双頭のマネキン人形。コートを纏った首なしの男……この人物たちに共通する特徴は一言で表すなら、異形であること。

 

 そして、彼らは例外なくゲマトリアに属していた。ロボットや動物、生徒という枠組みではない大人……先生という大人を除いた存在が、ゲマトリアに所属しているという事実があった。

 

 ──しかし、この理屈だと、いたって平凡で、どこにでも居そうな人間の姿をした男であるレグルスが、なぜゲマトリアに所属しているのかという話になるが……ひとまず、イレギュラーの枠として切り分けておくべきだろうか。

 

 ……あるいは、あれもまた、別の意味で異形だとするならば、納得はできるのだが。

 

『……なに?最近どこか暴走しがちのベアトリーチェを分からせたいから、どうにかして神秘を利用できないか画策していただって?おいおいそれはどういうつもりなわけ?君たちがそんなことしなくても、僕が常に分からせているのだからそれで満足しておきなよ』

 

 ──話を戻そう。

 

 セイアは、かつて明晰夢で耳にしたレグルスの言葉を思い出す。

 

 その中にあった『ベアトリーチェ』という名を、彼女はしっかり記憶していた。

 

 断定するには情報が足りないが……それでも、おそらくその名が指しているのは、目の前の彼女のことだろう。

 

 セイアはわずかな手がかりを繋ぎ合わせ、ひとつの結論に辿り着く。

 

 もちろん、それが正しいと証明する術はまだない。しかし、その推測は限りなく正解に近かった。

 

『──クックックッ、そうですか。いえ、レグルスが定例会議に出席する時に限って、マダムが参加されていないようでしたので……レグルスのことを避けていらっしゃるのでは、と気になっていたのですが……杞憂でしたかね』

 

「……言い方に妙な含みを感じますね。言ったでしょう?可愛い生徒たちを総動員し、私自身も奔走しているだけだと。あの男の名前を出さないでください……心底、不愉快な気分になります」

 

『残念ですねえ。実に、実に実に実にもったいない。彼ほどゲマトリアに相応しく、面白い人物は居ないというのに。なぜマダムは毛嫌いするのです?なぜ彼から逃げ続けるのです?なぜ?なぜ?なぜ?なぜなぜなぜ──』

 

「これ以上続けるのであれば、通話を切ります。黒服、貴方の戯言に付き合っているほど、私も暇じゃないのです」

 

『──冗談ですよ。ええ、冗談です。クックックッ……』

 

 彼女……『マダム』と呼ばれた人物は、端末の通話をスピーカー設定にしているらしく、少し離れた物陰に隠れているセイアにも、その声は問題なく聞こえてきていた。

 

 聞こえてくる内容からして、通話相手が黒服であることは間違いないだろう。なにせ、彼女自身がそう呼んでいたのだから。

 

「通話先の相手を含めて、この場にはゲマトリアが二人……」

 

 ──これは、新たな情報を得る好機ではないだろうか。

 

 ここ最近、まともに会話したゲマトリアの人間は、夢の世界へ招くことのできるレグルスだけ。その彼は、所属しているにもかかわらず、その内情をほとんど語ろうとしない。

 

 分かったことと言えば、それぞれが崇高を追い求め、欲望のまま自由に動いていることだけ。

 

 もっとも、レグルス本人は、その在り方すら否定していたが……結局のところ、崇高の先に何を求めているのかは、今なお不明瞭なままだ。

 

 ……だが、もしかしたら、この場でほんの少しでも、その一端を知ることができるかもしれない。

 

 そして、今後その情報を少しでも先生へ伝えられるかもしれない。

 

「……よし」

 

 ──セイアは、この場を去る前に、自らへ残された小さな役目を果たすことを選んだ。

 

『──冗談はこれぐらいにして、本題に入りましょうか。といっても、大層な話をするわけでもありませんが……以前、マダムがアプローチしていた儀式の進捗はいかがですか?滞りなければ良いのですが……なんせ、貴女がレグルスの……おっと失礼。彼の次に崇高に至る事ができるかもしれない候補筆頭ではありますからねえ』

 

 さっそく、セイアが今もっとも気にしている儀式についての話題が出る。

 

 ……どこか煽るような言い回しにも聞こえるが、気のせいだろうか。

 

「だからっ……!はあ、もう良いです。儀式については計画通り、滞りなく準備を進めています……と言いたいところですが、少々想定外のことが起きました。ゆえに、黒服。こちらから貴方に聞きたいことがあります」

 

『……ほう?』

 

 定例会議の際、儀式の準備に問題があるなどという話は一切出ていなかった。

 

 想定外という言葉に、黒服は興味深そうにしながら、静かに続きを促す。

 

 ──その内容は、黒服も予想外のことだった。

 

「──私のロイヤルブラッドに手を出しましたか?黒服」

 

『──ほうほうほう……?』

 

「……ロイヤルブラッド?」

 

 ロイヤルブラッド。

 

 それは、ベアトリーチェが崇高へ至るために必要不可欠な存在。

 

 儀式の生贄として神秘を吸収し、自らをより高位の存在へと昇華させる……それこそが、彼女の目的だ。

 

『質問を質問で返してすみませんが、なぜ私が手を出したと思ったのです?』

 

「以前、貴方はキヴォトス最高峰の神秘を求め、アビドスに存在する暁のホルスを手に入れようとしていたでしょう?」

 

 ベアトリーチェはそこで一度言葉を切り、低く息を吐く。

 

「……ですが、貴方はそれを手に入れられなかった。だからこそ次は、私のロイヤルブラッドが持つ神秘へ目を向け、手を出したのではないか──そう疑っているのです」

 

『……ククッ、なるほど。確かに、私がそのように疑われても仕方がないかもしれませんねえ』

 

 疑問に対して、端末の向こうから愉快に笑う黒服。その態度にベアトリーチェは額に青筋を浮かべながら顔を歪ませるが、黒服からの返答を待つ。

 

『──残念ですが、私ではありません。確かに彼女は、他の生徒とは一線を画す特別な神秘を宿していますが……暁のホルスとは次元が違うものです。私が求める神秘とは、あまりにもかけ離れています。元より私は、暁のホルスが手に入らなければアヌビスへ切り替えるつもりでした……ですが、その必要はなくなりました。キヴォトスの生徒とは比べものにならないほどの神秘を宿す者が、私たちの前に現れたのですからッ!ああ……こうして考えているだけでも昂りが抑えきれませんッ!今すぐにでも研究し分析しその全てを隅々まで理解したいッ!私がそれを理解するまで、死んでも死にきれませんッ!!』

 

「……頭がイカれているのですか?」

 

 質問に答えるだけでなく、勝手に持論を展開した挙げ句、一人で興奮し始める黒服。

 

 これにはベアトリーチェも、さすがにドン引きしている様子だった。

 

『失礼。少々興奮してしまいましたね』

 

 何事もなかったかのように咳払いを一つしてから、黒服は改めて口を開く。

 

『真面目にお答えしましょう。私は、ロイヤルブラッドに手を出していませんよ』

 

「……では、貴方以外の誰かだと言うのですか?」

 

『残念ながら、私も詳しくは存じ上げませんので、マダムが満足する回答をご用意することはできません。そもそも、計画に支障は出ていないと日頃からおっしゃっていたのはそちらでしょう?……実は、ロイヤルブラッドに何か問題でも起きているのですか?』

 

 暗に、平然としているが、本当は問題だらけなのではないかと探りを入れる。

 

 ベアトリーチェが成功しようと失敗しようと、黒服にとって大した問題ではない。だが、それはそれとして、動向には興味がある。

 

 だからこそ、黒服はベアトリーチェ本人の口から情報を引き出そうとしていた。

 

 ベアトリーチェは、貴方には関係ないと話を濁すものだと思っていたが……予想に反して、彼女はその問題について自ら口を開いた。

 

「──ロイヤルブラッドの神秘に、不純物が混じっているのです」

 

『…………………………』

 

 その言葉を聞いた瞬間、黒服は沈黙した。

 

 いつものように興味深そうに語るわけでもない。嘲るわけでもない。ましてや、茶化すことすらしない。ただ、沈黙していた。

 

「神秘に、不純物……?」

 

 セイアもまた、その言葉に困惑する。

 

 不純物。その単語が意味するものを、すぐには理解できなかった。

 

 端末の向こうで沈黙を続ける黒服は、ゲマトリアがこれまで研究してきた神秘の性質について思考を巡らせる。

 

 そしてセイアもまた、断片的ながら知識として持っている神秘について考察を始めていた。

 

 ──神秘とは、生徒という存在の根幹に深く結び付いた概念。単なる能力や才能ではなく、精神、性質、在り方、その全てを内包した、生徒自身を定義づける核に近いもの。

 

 故に、生徒たちはそれぞれ固有の神秘を宿しているのだ。

 

 天使、悪魔、獣、神話、伝承、あるいは説明すら出来ない超常的概念。その形は多種多様でありながらも、決して同じではなく、一人ひとりが唯一無二の神秘を抱えて存在している。

 

 ……そして、その神秘は極めて排他的だ。

 

 他者の神秘と自然に混ざり合うことはない。少なくとも、現在までに確認されている事例において、生徒一人の内側に全く別物の神秘が共存した例は存在しないはずだ。

 

 しかし、キヴォトスには未だ解明されていない領域が数多く存在し、神秘という概念そのものが、未踏の学問に等しい。

 

 ゆえに、全てを完全否定することは出来ないが……。

 

「つい最近気付きました。気付いた瞬間、最初は気のせいだと思っていましたが……」

 

 ベアトリーチェは、苛立ちを押し殺すように眉を寄せる。

 

「神秘の流れが、妙に淀んでいるのです。本来であれば、一つの神秘は一つの方向へ循環し、まるで血流のように、決して乱れることなく流れ続けるはず……ですが、ロイヤルブラッドの内側では時折、別の脈動が混ざっているのです」

 

『……続けてください』

 

「非常に説明しづらいですが……まず、神秘そのものが変質しているわけではない。ですが、内側に何か異質なものが存在しているかのような、そんな不快な違和感があったのです」

 

『──ふむふむ、なるほどなるほど……!』

 

 ロイヤルブラッド……アツコの身に起きていた、微細でありながら決定的な変化。

 

 ベアトリーチェは、儀式の準備を進める過程で、ようやくその異変に気付いたのだ。

 

 ……もっとも、その変化自体はすでに二年前から起きていた。にもかかわらず、彼女は気付けなかった。

 

 なぜなら、ロイヤルブラッドとして執着する一方で、秤アツコという生徒そのものには、ほとんど関心を向けていなかったからだ。

 

 この女、ゲマトリアの中でも圧倒的に無能である。

 

「ですので、私は儀式の準備の過程で実験を行いました。不純物となっているロイヤルブラッドは、問題なくその役割を果たすのかと」

 

『そうですかそうで──儀式の準備の過程で実験、とは?』

 

 どういうわけか、先ほどよりも昂った様子で話を聞いていた黒服だったが、実験という単語に反応し、不意に冷静さを取り戻す。

 

 準備段階で実験を行う意味が理解できなかった黒服は、ベアトリーチェにそう疑問をぶつけた。

 

「──決まっているでしょう。ロイヤルブラッドを使って、軽く儀式を行ったのですよ」

 

『……なんですって?』

 

「──っ!?」

 

 やっぱり、気のせいじゃなかった……!

 

 セイアは驚愕すると同時に確信する。

 

 十字架に生贄を縛り付けたかのような痕跡。あれは既に、ベアトリーチェが言っていた、ロイヤルブラッドを使っての儀式が行われていた証だったのだ。

 

「不純物が混じっている程度で、その役割を放棄するような真似は許されません。ゆえに、問題なく神秘を吸収し、取り込めるのかを検証しました」

 

『……祭壇の準備が終わっていないのにですか?』

 

「枠組み自体は完成していますよ。もっとも、それゆえに取り込めたのはほんのわずかでしたが……まあ、問題なく取り込めるのであれば、私としては問題ありません。結局、不純物の正体を掴めないのは腹立たしいですが」

 

 例え、祭壇の準備が終わっていない中でも、イレギュラーが発生すれば、それを潰すために実験を行う。それが当然なのかどうかは、ゲマトリア……そして、ベアトリーチェ本人にしか分からないが。

 

『──なるほど、そういうことでしたか』

 

「はい?」

 

『失礼、こちらの話ですよ。クックックッ……!』

 

 ベアトリーチェの話を聞いた黒服は、何かに納得したように笑い始める。

 

 対してベアトリーチェは、何がおかしいのか理解できず、不快そうに眉を顰めた。

 

『──ありがとうございます、マダム。お陰で私はまた一つ、彼についての理解を深めることができました。そして同時に、不明瞭だった疑問についても、納得のいく解を得ることができました。クックッ、クックックックックックッ……!』

 

「何一人で勝手に納得しているのです!理解できるよう、私にもその解を教えなさい!」

 

 黒服が一人だけ理解しているその事実に、ベアトリーチェは苛立ちを露わにする。

 

 しばらくの間、黒服の笑い声だけが、端末のスピーカー越しに響き続けた。

 

『失礼しました。どうにも感情の昂りを抑えきれず……そうですね。ベアトリーチェには、ゲマトリアの仲間として、一つ助言をいたしましょう』

 

「は?」

 

 先ほどまでの狂気じみた昂揚が嘘だったかのように、黒服は静かな声音で告げる。

 

『──選択を間違えないように、ベアトリーチェ。その身が滅ぶことが無いよう、少しだけでも祈っておきますよ』

 

 それだけを言い残し、通話は切断された。

 

「どういう意味です!はっきり答え……チッ!切りやがりましたね、なんて身勝手な……!」

 

 ベアトリーチェの端末には、通話終了の四文字だけが無慈悲に表示されていた。

 

 情報を共有されることもなく、解へ辿り着いた黒服だけが先に去っていった。そう感じたベアトリーチェは、苛立ちを隠せずにいる。

 

「……まあ、良いでしょう。儀式の準備が円滑に進んでいることに変わりはありません。不純物の正体を掴めていなくとも、私が選択を間違える可能性など、一ミリたりとも存在しないのですから」

 

 余計なお世話だとでも言いたげに、黒服の忠告を切り捨てるベアトリーチェ。

 

 手に持つ扇子を広げて口元を隠しながら、彼女は優雅な足取りで祭壇の前から去っていった。

 

「──っ!ふう、行ったか……?」

 

 ベアトリーチェの気配が祭壇付近から消えたことを確認し、セイアは物陰からそっと顔を覗かせる。

 

 そして、ゆっくりとした足取りで、祭壇へ近付いていく。

 

「……彼女は一体、どこへ辿り着こうとしている?『ロイヤルブラッド』という単語の意味も、先ほどの通話だけでは断片的にしか理解できなかった。だが……少なくとも、神秘を吸収するためだけの儀式ではないな。未完成の祭壇であるにもかかわらず、浮上した疑問を埋めるためなら実験すら躊躇わない。そこには、単なる儀式の成功以上の執着があるはず……まるで、神秘そのものではなく、その先にある何かへ到達しようとしているみたいだ」

 

 まだまだ疑問は尽きない。

 

 それでも、セイアには一つだけ確信できることがあった。

 

 ──この祭壇は、キヴォトスに存在してはならないものだと。

 

「この情報は絶対に共有しなければならないね。今後、夢から覚めたらすぐに──」

 

「──夢から覚めたら、どうするのですか?」

 

「………………えっ?」

 

 聞き覚えがありすぎる声が響いた瞬間、突如としてセイアの首が絞められた。

 

「──ウッ……ガッ……!?」

 

「驚きました。先ほどからこの至聖所で妙な気配を感じ取ってはいましたが……まさか貴女だったとは、預言の大天使……いえ、百合園セイア」

 

 ──完全に、油断していた……!

 

 ベアトリーチェは、すでにこの場を去ったものだと思い込んでいた。

 

 だが、異様な祭壇を前に思考へ没頭した、その僅かな隙。その瞬間をつけこむように、完全に存在を察知されてしまったのだ。

 

 ──一手、遅れてしまったのである。

 

「アズサは失敗してしまったのですか?百合園セイアを暗殺するよう命じたはずですが……まあ、今となっては些細なことですね。こうして直々に、間抜けにもそちらから近付いてきてくれたのですから」

 

「グッ……!」

 

 ──まさか、レグルスと同様にこちらの存在を感知する事が出来るだなんて、完全に想定外だ……!ゲマトリアとは、ここまで容易く神秘へ干渉できる集団だというのか……!?

 

 首を締め上げられながら、セイアは必死にもがく。足掻き、逃れようとする。

 

 ……実際にセイアの明晰夢へ干渉できる存在は、ゲマトリアの中でも極めて限られており、その存在は、レグルスとベアトリーチェの二人のみ。

 

 不幸にもセイアは、自身だけが持つ特別な神秘へ干渉できてしまう存在と、直接対峙してしまっていたのである。

 

「自分は特別だと思いましたか?何とかできると思いましたか?全てを解決できると思いましたか?……実に愚かで傲慢ですね、百合園セイア。こうなってしまえば、貴女は何の役にも立たない、ただの生徒に過ぎません」

 

「……ウッ…………ガッ……!?」

 

 首へ食い込む指の力が、さらに強まる。

 

 セイアは苦しげに足をばたつかせ、必死に抵抗するが、その程度ではベアトリーチェの拘束から逃れることなど到底できなかった。

 

「……とはいえ、貴女の夢の力が厄介なのは事実。私としても、このまま放置しておくのは適切な選択ではありません……ですので、貴女には当初の計画通り、死んでもらいましょう」

 

 ──っ、私は、選択を誤ったのか……!

 

 ベアトリーチェがこの場を去ったのなら、祭壇へ近付くべきではなかった。

 

 そのまま立ち去っていれば、捕まることもなく、得た情報を持ち帰ることができたはずだったのだ。

 

 ……だが、今さら後悔したところで、もう遅い。

 

「しかし、私も馬鹿ではありません。この場で貴女を殺したところで、現実で目を覚ますだけでしょう。私の考えでは、今の貴女は深い眠りについていながらも、こうして夢を鮮明に認識できる状態……つまり、『レム睡眠』状態にあると、そう判断しています。ならば、貴女が本格的に目覚めることのないよう、その意識を深淵の底へ突き落とし、『ノンレム睡眠』……いえ、それ以上の、より深い眠りへ沈めて差し上げましょう。永遠に目覚めることのないように」

 

 ベアトリーチェは、セイアが目覚めることを許さない。これ以上計画を邪魔されないよう、ここで徹底的に叩き潰すことを選択する。

 

「いずれ現実で貴女の居場所を特定した暁には、再びこの手で始末してみせましょう──まあ、貴女はもう夢から目覚めることすらなくなるので、実質的には死んだも同然ですが」

 

「は……なぜぇ……!」

 

「フフッ……貴女は本当に愚かですねえ、百合園セイア。こうして神秘に干渉できる存在へ自ら近付いてしまったことを、深淵の底で、たった一人寂しく後悔してください。貴女には今回を含め、二度の死を味わってもらいましょう」

 

 踠く。足掻く。踠く。足掻く。

 

 踠く足掻く踠く足掻く踠く足掻く──逃れようと、必死に抵抗する。

 

 だが、逃げられない。

 

「──それではさようなら。百合園セイア」

 

「……っ!!──ぁ」

 

 次の瞬間、セイアの意識は、ベアトリーチェによって深淵の底へと突き落とされた。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「一方的に権利の侵害をし続けている人物がさ、毎回毎回また明日も話そうだなんて勝手に約束を取り付けてきた挙げ句、自分から言い出しておいて突然音沙汰無しになった場合、僕は一体どうすればいいわけ?振り回されている側としては堪ったものじゃないんだけど。そういう身勝手な真似をしておきながら、実は平然としていられるなんて僕には到底思えない。それって、細やかで平凡で穏やかな生活だけが望みの、無欲の僕に対する権利の侵害だ。君たちも、少しは僕の気持ちに同感してくれるはずだよね?」

 

 こっちに語りかけてくるな。あっち向いてなさい。

 

 レグルスは開幕早々、誰も求めていない長々とした詠唱を、一人勝手に始めていた。

 

 ……そんなレグルスは今、月明かりだけが街を照らす夜道を、一人で歩いている。

 

 空はすでに闇に染まり切り、辺りからは銃声も、人の喧騒も聞こえない。ただ静寂だけが、その場を支配していた。

 

「……はあ」

 

 もう、何度目かも分からないため息を吐く。

 

 ──強欲の権能は、睡眠そのものを必要としていない。

 

 まず前提として、権能の発動条件である強欲ムーブを、レグルスはほぼ日常的に行っている。

 

 それに加え、『レグルス・コルニアス』として活動している時間自体が比較的短いという事情もあるが……一度権能を発動してしまえば、身体は世界から切り離され、その間の活動時間は実質無かったことになる。

 

 ……つまり、強烈な眠気を感じていようと、その状態で強欲ムーブを行えば、眠気そのものが消失するのだ。

 

 だからといって、眠れないのかと言われれば、そういうわけではない。必要性が無いだけであり、こちらがある程度眠ろうと意識すれば、自然と眠りにつくこと自体はできる。

 

 ──しかし、そんな歪な眠り方のせいなのか。あるいは、強欲の権能そのものが影響しているのか……レグルスは、夢を見ることが一切できなかった。

 

「……」

 

 そんな中、強制的に夢を見せ、権利を侵害しながらレグルスの前へ現れた人物がいる。

 

 ──その生徒の名は、百合園セイア。

 

 どこまでも身勝手で、言ってしまえば勝手に覗き見をしてくる不届き者。レグルスにとって、到底許容できる相手ではない生徒。

 

 毎日毎日、明晰夢で見た話をしてきたかと思えば、身内の話を持ち出し、隙あらばゲマトリアについて聞き出そうとしてくる、権利の侵害者。

 

「……本当にさあ」

 

 しかし、強欲の権能によってほとんど睡眠を必要とせず。眠ったとしても、夢を見ることすらできなかったレグルスにとって。ふて寝だろうと、事務的な睡眠だろうと、眠るという行為そのものに意味を見出せるようになったのは──

 

「──いくらなんでも、勝手すぎる」

 

 ──間違いなく、セイアの存在によるものだった。

 

「……まっ、これ以上、外出していても仕方がないよね」

 

 いくら考えたとしても、答えは得られない。気にし続けても仕方がない。

 

 レグルスはそう結論付けると、一人芝居のように大袈裟に肩を竦め、やれやれと言いたげに首を振り、そのまま帰路へ足を向けた──その瞬間だった。

 

「さっさと帰ってぼぶぁッ!?」

 

 突如として、鼻へ衝撃が走る。

 

「おいおい!?気持ち良く散歩していた僕を邪魔する不届き者はどこの誰な──はっ?」

 

 またいつも通りに弾丸が飛んできたのか、こんな夜中だというのに。これ以上僕のことを襲うのであれば、容赦はしない。

 

 ……そう思っていたのだが。

 

「……シマエナガ?」

 

 なんと、レグルスの鼻へ突撃してきたのは、一羽のシマエナガだった。

 

「──」

 

 ──雪玉のように丸い小さな身体。

 

 その羽をぱたぱたと動かしながら、何故かじっとレグルスを見つめている。

 

「……待て待て、こんな夜中にこうしてシマエナガが活動しているわけがないだろ。見たことも聞いたこともない。これは幻覚か何かの類い……いやいや、そもそも僕が幻覚を見るわけがないよね。馬鹿じゃないの?」

 

 目の前の光景が、幻覚でも錯覚でもなく、現実であることを認識する。キヴォトスでは、こうした事象すら日常茶飯事なのだろうか。

 

 ……いや、それ以前に──

 

「──君、もしかしてあの時のシマエナガだったりするかな?」

 

 ──レグルスは何となく、このシマエナガがセイアの夢の中にいた個体ではないかと思った。

 

 当然、根拠など何一つない。だが、妙にそんな気がしたのだ。

 

「──」

 

「……はいか、いいえぐらいの返事があっても良いと思うんだけど」

 

 無茶を言うな。相手はシマエナガだぞ。

 

「……?」

 

 レグルスが無茶苦茶な要求をしていると、不意にシマエナガが身を翻し、そのままぱたぱたと少しだけ離れていく。

 

「──」

 

 ……そして、再びレグルスの方を振り返り、じっと見つめてきた。

 

 まるで、レグルスの視界からちゃんと見える位置を調整しているかのように。

 

「……着いてこい。と、君はこの僕に命令しているのかな?」

 

 おそらく、着いていかない限り、このシマエナガはレグルスの前から消えないのだろう。

 

 実際、少し視線を外すだけで、再び視界へ入るよう位置を変えてくるのだから。

 

「……」

 

 ──このまま全速力で帰ってやろうかな。

 

 一瞬そんな考えが脳裏をよぎるが、帰ったところで、この時間帯では寝る以外やることがない。そして今は、なおさら眠る必要がない。

 

 ──寝たところで、夢を見ることはできないのだから。

 

「──」

 

 ……もしかしたら、このシマエナガについていけば、何か縁起の良いことが起こるかもしれない。

 

 レグルスは、ふとそんなことを思った。

 

 ──キヴォトスに来る前の故郷でも、そもそもとして、シマエナガと出会える地域はごく僅かしか存在しない。

 

 その小さな白い鳥を偶然目にすることは、まるで奇跡に巡り合ったかのように語られていて……古くから鳥は幸せを運ぶ存在として考えられており、その姿を見ること自体が吉兆であるとされてきているのだ。

 

 シマエナガもまた、そうした文化的背景と結び付き、いつしか幸運を運ぶ鳥として人々に語られるようになり……今では、幸運の象徴として知られている。

 

 ──つまり、故郷の縁起に従うのであれば、シマエナガに着いていくことによって、レグルスは小さな幸せを一つでも掴みとれる可能性があるというわけだ。

 

「……まっ、こんなにもか弱くて、儚げな鳥を相手に、僕が意地を張る必要なんて無いよね。時には相手の要求を受け入れることも、大切な行いだ。一方的に拒絶するばかりじゃ、対等な関係なんて築けないからね。人だろうが動物だろうが、互いに歩み寄ってこそ平穏は成立する。そうやって少しずつ関係性を積み重ねていくことで、世の中というものは今よりもっと穏やかで、生きやすい場所になっていくんだからさ……だから、特別に許可してあげよう。僕という存在を、一時的に君が使用する権利をね。本来なら簡単に認めるようなものじゃないけど、今回は特例だ。無欲で寛大なこの僕に、しっかり感謝するといい」

 

「──」

 

「──たった一羽の鳥に対して、何を言っているんだ僕は……」

 

 ぶつぶつと独り言を零し続ける一人の男と、幸せを運ぶとされる一羽の小さな白い鳥が、静かな夜の中をゆっくりと移動し始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どういうつもりなのかな?」

 

 ──レグルスは、着いていったことを後悔した。

 

「どういうつもりだと聞いているんだよ僕は」

 

 細やかな平凡な幸福を甘受するだけが望みだったというのに。

 

 権利の侵害さえされなければ、どれほど物騒な世界だろうと、平穏に過ごせればそれでいい。ずっと、ずっとそう思っているというのに。

 

「──」

 

 ──その小さな身体で、小さな幸せを運んできてくれるのだと思った。

 

 だからこそ、シマエナガに導かれるまま、ここまで着いてきた。

 

 しかし、今思えば、最初から違和感しかなかった。

 

 アビドス、トリニティ、ゲヘナなど、どの自治区からも離れた、人の気配すら存在しない森の奥……世界そのものから切り離されたかのような場所を、シマエナガは迷いなく進み続けて。

 

 ──そして、その先で見つけたのは、隠れ家のように佇む小さな建物で。どういうわけか、扉は開いていて。

 

『は?』と口にした刹那、いつの間にか背後に回っていたシマエナガによって、背中に熱烈なタックルを何度も受け、流れるように建物の中へ押し込まれ、自身が不法侵入をしてしまうという相手にとっては権利の侵害でしかない行為をしてしまって。

 

「……僕に」

 

 ──そして、見つけてしまった。

 

「──僕に、どうしろってんだよ……」

 

 世界そのものから切り離され、ただ独り、終わりの見えない夢の中へ取り残されてしまっている──預言の大天使を。

 

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