ゲマトリア所属の強欲の権化   作:ぬこぱんち

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花を愛する少女

 

「──僕が纏う神秘が、キヴォトス最高峰だって?」 

 

「ええ」

 

 黒服が口にしたその発言は、突拍子のないものだった。

 

 ──あの後、少しだけ一緒にワイワイしていたマエストロ、ゴルコンダ、そしてデカルコマニーと別れた。

 

 誰もが僕に何かを言いたげだったが、元々僕は黒服との契約に応じるために、ゲマトリアメンバーとほぼ強制的に顔合わせをしただけであって、本来の目的はまだ達成していない。

 

 黒服はまたいずれ互いに話し合いましょうと勝手に約束し、僕を連れ出した。

 

 そして今、僕は黒服と並んで歩いていた。月灯りが差し込む静かな廊下。足音が金属質の床を叩きながら、心地よい音を奏でる。

 

 さっきまでいたゲマトリアメンバーの喧騒──そして、少しでも外に出れば銃声が響き、当たり前のように周囲が爆発するイカれた世界は、まるで夢だったかのように遠ざかっていく。

 

 夜のキヴォトスは静かだった。秩序の街の仮面を脱ぎ、秘めたる狂気が、ふとした隙間から顔を覗かせる時間帯だ。

 

「それにしても……ククッ……まさか、あなたに纏う神秘が、キヴォトス最高峰のそれであろうとは」

 

 黒服は先導しながらまた口を開き、先程僕に告げた内容を繰り返す。

 

 僕との邂逅の時にも神秘がどうとか口にしていたが、正直何のことか分からなかった。だって、僕が持つものは『獅子の心臓』と『小さな王』といった強欲の権能だから。神秘を使っている実感なんてまるでない。

 

 僕は片眉を上げ、隣に歩く黒服を盗み見る。

 

 そんな僕の視線に気付いたのか、黒服はまるで独りごとのように、もしくは僕に語るように言葉を紡ぐ。

 

「神秘……それは、この学園都市における理屈を超えた力の総称。科学、魔術、宗教、ありとあらゆる理論の間をすり抜ける、解釈不能な現象。観測しようとすれば姿を変え、分類しようとすれば枠からはみ出す。まさに、世界にとっての未知そのもの……と、私は思っています」

 

 口調は穏やかだが、その語り口には妙な熱があった。

 

 分析者の目、探求者の声音。黒服が語る神秘とは、畏れでも崇敬でもなく──ただの対象なのだ。調べ、解体し、掌に収めるべき謎。

 

 そんな黒服を見て、僕は乾いた笑いを漏らした。

 

「なるほど、つまり僕が身に着けている神秘が、その未知とやらの頂点だってことかな──当然だろう? 完璧で、何ひとつ欠けることのない、完成された存在であるこの僕が纏っているんだから、それは必然であって、道理なんだからさ」

 

 声音は軽く、揶揄するような調子だったが、その裏に潜むものまでは黒服に読み取れなかったか。

 

 強欲──それは、『レグルス・コルニアス』を形作る真の核だった。

 

 得なければ死ぬ。手に入れなければ欠けていく。空白を埋めるために奪い続ける、底なしの欲望。それを神秘と呼ぶのなら、確かに僕はキヴォトスにおいて比類なき存在なのだろう。

 

「正直な話……このキヴォトスにおいて、あなたに勝てる生徒など、私の知る限り、一人も存在しません。それこそ、あの『暁のホルス』でさえも……ククッ」

 

 歩きながら投げかけられたその名に、僕の歩みがわずかに緩む。だが僕はすぐに笑って、興味なさげに鼻を鳴らした。

 

「ふぅん、そんな生徒も居るんだね……で?君の中で、その『暁のホルス』と僕を比べたってことかな?」

 

「ククク……気になられましたか。私が、あなたに出会う前に『キヴォトス最高峰の神秘』と見なしていた生徒が居たのです。あの生徒は──最高傑作そのものでした。すべてを照らし、乱れを許さぬ輝き。しかし……あなたの神秘は、それをも超える歪みを孕んでいる」

 

 黒服は立ち止まり、僕に振り向いた。その不気味な表情の奥に、子供のような好奇心が灯っている。

 

「ですから、私は……あなたの神秘を隅々まで解剖し、探求し、観察し、実験を重ねたいと思っています」

 

 無邪気な声音。

 

 けれどその欲望は、僕の強欲と似たものだった。ただし、彼は他者を対象に向けるもの。僕は己を起点とし、世界に干渉するほどのもの。どちらが危険か──答えは言うまでもない。

 

「……あのさあ、危機感が分からない君のために、僕が直々に警告してあげよう。僕が君の実験材料になるなんてことが、もし仮にあったとしても──その時、君の命は粉微塵に吹き飛んで、跡形もないと思うんだよね」

 

 僕の銀髪が風によって靡く。穏やかな語調のまま、それでいて殺しを前提とした圧が、空気に滲む。黒服は肩を揺らし、小さく笑った。

 

「ククッ……それは困ります。命は、さすがに惜しいですから。冗談はこれくらいにしておきましょう」

 

「実に賢明な判断だ。冗談でも、命を賭けるなんて馬鹿げた真似は平穏を好む僕の趣味じゃないからね。だっておかしいだろう? 誰が好き好んで、自分の命を『得体の知れないナニカ』に委ねるっていうのかな?そこのところ僕は他の皆とは違うからね。僕は、僕という命の権利を他人の気まぐれなんかに預けたりはしないからさ」

 

 空気が和んだように見えて、その実、双方は一歩も引いていなかった。互いの線を踏み越えない。今は、それだけで均衡が保たれている。

 

 そうして黒服との会話の応酬を繰り返していると、やがて廊下の突き当たりにたどり着く。

 

 僕の目の前には、先程のゲマトリアのアジト同様の重たそうな鋼の扉が現れる。そして、多数のセキュリティロックと、生体認証の端末。

 

 僕は軽く目を細めた。

 

「ここが……僕の部屋?」

 

「はい。ご自由にお使いください。元は、ある『特別な生徒』のために設けられた実験室でしたが……今は、貴方のために用意された平穏に暮らせる立派な部屋です」

 

 実験室。ようするに、安全に保つための檻。

 

 その言葉に、思わず僕の目が細くなる。

 

「ああ、なるほど。実験室の名残というわけかな?そういうの、君は趣だとか、歴史があるって美談っぽく言うんだろう?分かるよ、分からなくはない。過去のモノを再利用して、価値ある空間に仕立て直した──そんなつもりだったんだろうね」

 

 僕の強欲は、決してここで留まることはない。

 

「だけどね、言わせてもらうけど、それを僕の部屋として提供しようって発想がもう失礼だと思わないかな?見た目は綺麗に整ってるかもしれない、でもさ、君は実験室と言った。普通、そういうのって嘘でも居住空間と言うべきだと思わない? 僕は優しいから、多少の嘘には目を瞑れる。でも、その発言はもう笑えないレベルだ。こんな場所を僕に与えるなんて、僕の尊厳に対する明確な権利の侵害だよ」

 

 皮肉のようでいて、どこか本気の声音を黒服にぶつける。

 

 ──とはいえ、実際は内心で感謝はしている。ここまでペラを回したのは、黒服に隙を見せないため。見せた刹那、僕は実験対象として生涯を終えてしまうかもしれない。そんな結末を避けるためだ。

 

 僕は扉に手をかけながら、ちらりと黒服に視線を向ける。

 

「ま、いいけどさ。君が変な真似さえしなけりゃ、この程度の檻、僕にとっては庭みたいなものだしね。この僕が存分に活用させてもらうとも」

 

 黒服は、微かに口元を緩めると、「気に入っていただけたのなら、何よりです」とだけ言い残し、無駄のない足取りでその場を後にした。

 

 僕は黒服が完全に居なくなった事を確認した後、静かに扉を開けた。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 自分だけの部屋を手に入れてから、早くも一ヶ月が過ぎた。

 

 時間が経つのは早いものだ。レグルス・コルニアスに成り代わったあの騒々しく、息苦しいあの一日が過去のものになっていくのを、どこか他人事のように感じながら、僕はただ静かな時間に身を委ねる事が多くなった。

 

 あの部屋は、僕だけの聖域。誰にも踏み荒らされず、誰にも見咎められない空間。

 

 たったそれだけのことが、これほどまでに心を軽くしてくれるとは、正直思いもしなかった。

 

 もちろん、完璧に解放されたわけではない。心のどこかには常に警戒する事を怠っていない。

 

 だがそれでも、日々の息苦しさが緩んでいくのを、僕は確かに感じていた。

 

 常に周囲を威圧し、睨みつけ、ひとつ息を吐くたびに世界を押し潰してしまうような『強欲ムーブ』を演じ続ける必要がない──ただ、それだけのことで、どれだけ心が安らぐか。自分でも驚くほどだった。

 

 他者の視線に縛られないということは、これほどまでに自由なのか。

 

 そうやって、ほんの少しだけ、気が楽になった。

 

 ……とはいえ、それではい終わりという話では無かった。

 

 僕が持つ『強欲の権能』──獅子の心臓によって自分の身体の時間を止める力。

 

 そして『小さな王』による疑似心臓の寄生、支配。

 

 それらは、僕が『強欲』であろうとする時にこそ、その本質を発揮する。

 

 つまり、強欲でなくなった僕は普通の人間と同様に、飢えと乾きは発生する。何も食べなくても良い、飲まなくて良いとはならなかったのだ。

 

「だからこそ、食料の買い出しは度々しないといけないというわけだな……」

 

 思わず、深く息をつく。

 

 白い息が舞うわけでもない、暖かな午後の陽気の中。

 

 あるものを手に抱えて、僕は自分の聖域とも呼べる場所に帰るために足を運んでいた。

 

「相変わらず僕からカツアゲしようとする連中が居るとか……ある意味命知らずだな」

 

 そう言って小さく苦笑を漏らす。

 

 ──油断していれば背後を取られる可能性もあるこの世界で、まだ僕を舐めるような連中がいる。

 

 まあ、最初の頃と比べれば、ずいぶんと減った。

 

 あからさまな襲撃や難癖をつけてくる不良達は、僕の異常な強さに気づいた時点で、次第に距離を取るようになっていった。

 

 一度でも、強欲の権能を振るえば、それだけで決着はつく。

 

 相手がロクに動くことすらできず、瞬く間に敗北する。

 

 それだけの力があることを、彼女らは嫌というほど思い知らされているのだ。

 

 ある意味、威圧などしなくても、今ではただそこに居るだけで、十分な威嚇となる。

 

 そんなことを考えながら、僕はふと、自分の前髪に視線を落とした。

 

「……なんか、白くなってきてないか?」

 

 おかしい、本来、僕の髪はもっと鮮やかな銀色だったはずだ。

 

 月光を反射するような、冷たく澄んだ美しさを持つ色。

 

 それが、ここ最近、微かに変化してきている。色が抜け、白に近づいているように見えた。

 

「まさか……ストレス?」

 

 そんなはずはない。

 

 確かに『強欲ムーブ』を演じ続けるのは、精神的に消耗する行為だ。

 

 だが、そんなことですぐに白髪になるはずがない。

 

 ……いや、なってたまるものか。あってはならない。

 

 首を小さく振って、その思考を振り払った。

 

「……うん、こうしてみると、良い買い物をしたな、僕」

 

 気を取り直すように視線を下ろせば、手の中にあるのは袋に包まれた色とりどりの花々。

 

 そう、手に抱えているあるものというのは、僕が住む部屋の最寄りにある生花店に立ち寄った際に購入した花のことだ。

 

 購入した理由としては、少しでも強欲の権能を物にするために、レグルスがしそうな行動を取ろうと思ったから。

 

『自然の摂理?成長の不確実性?──そんなもの、僕の前では無意味さ。僕の育て方が完璧だったから、僕の愛情が正しかったから、こうして花は美しく咲き続けるんだよ。つまりね、この花の美しさは、僕の完璧さの証明というわけさ』

 

 あのノミ以下が花に向かって言いそうな台詞だ。

 

 そんな妄想じみた自画自賛が、少しでも強欲ムーブに役立てばと思い、勢いで生花店に寄った。

 

 美しいものを育てる。そこに強欲の愛を注ぐ。

 

 そして、その結果が美しさとして咲き誇る。

 

 それは、僕の強欲のあり方そのものを助長する。

 

 いっそのこと本当に自分の趣味にしていいのかもしれない。そんな自分を肯定するように、僕は歩道をゆっくりと進んでいく。

 

 ──その時だった。

 

 視線の先、歩道の端。

 

 小さな公園の前に、一人の少女がしゃがみ込んでいた。

 

 彼女は、周囲の喧騒をまるで気にも留めず、野生で咲き誇っている一輪の花を見つめていた。

 

 その表情は、静かで、真剣で、そしてどこか……楽しげでもあった。

 

 まるで、世界の全てをその一輪に投影しているかのように。

 

 ──だが、その穏やかな時間は、突然に乱される。

 

 数人の不良達が、どこからともなく現れ、少女の周囲を囲むようにして立ち塞がった。

 

 怒号が飛び交い、銃口が少女へと向けられる。

 

 威圧し、怯ませ、力で捩じ伏せようとする、いつもの愚かしいパターン。

 

「……なにやってんだあいつら」

 

 呆れたように息を吐き、僕はゆっくりと歩を進めた。

 

 その一歩一歩が、重く響かせるように。そして、いつものように強欲ムーブに切り替え、不良達に強欲をぶつける。

 

「相変わらずあちこちで駆け回っていて元気そうだね──さて、どうして君たちは、こんなところで無防備な少女を囲んでいるのかな?」

 

 静かな声。それでいて、どこか底知れぬ圧を含んだ声音。

 

「あのさあ、相変わらず相手の事情を無視して、数で圧倒しようとするその態度、感心しないね……けど、分かるよ。君たちも不安だったんだよね。自分よりも弱いものに当たらなきゃ、自分の価値を感じられない。悲しいことだけど、それが現実だ」

 

 不良達が、僕の声が聞こえた瞬間、一瞬たじろいだ。一部は僕を視界に収めた瞬間に口をパクパクさせている不良も居た。

 

 だが、僕は言葉を続けた。

 

「でもね、僕は優しいから、そこまでは理解してあげよう。だけど──いつまでも、こんなやり方が許されると、本気で思ってるのかい?だとしたら君達は滑稽でしかない」

 

 淡く笑みを浮かべながら、じり、と一歩。

 

「野良で駆け回る猿以上の常識は持ち合わせているはずだと思うんだけど。いや、僕は優しいから、少しくらいの無礼には目を瞑ろうとも。だけど、君たちのそれは……そこの少女が花を眺める権利を邪魔しているんだよね──だから」

 

 その瞬間、不良の一人が目を見開き、声を上げかける。

 

「あっ!? お前は──」

 

 その言葉の続きが放たれる前に、足の爪先にアスファルトを軽く叩いた。

 

「──あああああぁぁぁぁっ!?」

 

「相変わらずの化け物が──ッ!?」

 

 刹那、不良たちは、まるで弾かれたように空へと舞い上がる。

 

 軽やかに、鮮やかに。そして、空の彼方、ゲヘナ学園の方角へと吹き飛ばされていった。

 

「──あそこに着く頃には、ヒナによる指導が待ってるだろうね。うんうん、これで一安心だ」

 

 そう呟き、小さく頷く。

 

 哀れみのような、あるいは憐憫とも呼べぬ視線を、吹き飛んだ影たちに投げかける。

 

 だが、騒ぎの中心にいたはずの少女は──

 

「……」

 

 その間も、何ひとつ気にする様子もなく、ただひたすらに、花を見つめていた。

 

「──」

 

 僕はそんな少女に、目を奪われてしまった。

 

 己の身体を守るためを起点に、強欲の権能の発動させるため、強欲ムーブを続け、他人の視線、思考を気にし続ければならない僕とは、この瞬間だけ正反対の存在だと思ったからだ。

 

「──君は、花が好きなのかな?」

 

 だから、思わずそう声をかけてしまった。

 

 僕の問いが、ゆるやかに空気を揺らし、少女の耳へと届いた。

 

 少女は、ゆっくりと顔を上げる。

 

 明らかに高校生ではないだろう。だけど、ある程度成長している子供が見せる幼い仕草。

 

 そこで、ひとひらの風が吹き抜ける。

 

 淡紫色の髪が、ふわりと舞い上がる。どこか整えられている前髪も、耳元のリボンも、風の戯れに誘われるように揺れた。

 

 そして、少女が持つ大きな赤みがかった瞳が、驚きながら僕を見つめていた。

 

──こうして、僕は花を愛する少女と出会った。

 

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