ゲマトリア所属の強欲の権化   作:ぬこぱんち

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契約

 

『──レグルス。君は、キヴォトスの七つの古則をご存じかい?』

 

『存じあげないから、この話はここで終わり。君の質問に対して、こうして即座に回答を与えた僕に、ほんの少しだけでも感謝すると良い』

 

『さすがの私も、ここまで思いきり切り捨てられるとは思わなかったのだが』

 

 ──それは、ある日のことだった。

 

 太陽が地平線の奥へと隠れ、キヴォトスが月明かりに照らされている頃。

 

 多くの生徒や大人たちが穏やかな眠りへ落ちていく一方で、その常識から外れた場所で、当たり前かのように二つの意識だけが覚醒していた。

 

『……その五つ目が、楽園に関することなんだがね』

 

『話は終わりだと言ったよね?何で続けるのかな?』

 

 本来、先生や生徒たちにとって、ゲマトリアとは決して相容れることのなく、交わることなく、理解し合うこともない存在だ。

 

 敵対することこそが当然であるはずの相手……それにもかかわらず、まるで現実という世界から切り離されたかのように、夢の世界で邂逅を繰り返す二人の異質な存在。

 

 ……そんな奇妙な日常は、気付けば長く続いていた。

 

『“楽園に辿り着きし者の真実を、証明することはできるのか”……これは君にとって、欠片も理解することが出来ないだろう。それほど、少々理解に困る言葉の羅列でもあるからね』

 

『欠片も理解出来ないって言った?君、僕に対してだんだん遠慮が無くなってきてるよね?』

 

 ──これは、その積み重ねられた日々の中の、ほんの一幕だ。

 

『しかし私はこれを、楽園の存在証明に対するパラドックスであると見ているんだ……もし、楽園というものが存在するのであれば──』

 

『──くどいね、君は』

 

『……え?』

 

『くどいねと言っているんだよ僕は。そもそも君の言い回しには、相手への思いやりというものが決定的に欠けているんだよね。わざわざ難解な言葉を選んで、小難しく、遠回しに話す。一つ言葉を聞くたびに、その意味を解釈して、前後を繋げて、絡まった紐を一本ずつ解いていかなければならない。そんな会話を毎回やらされる側の負担も少しは考えるべきだと思うんだよね』

 

『え、えぇ……?』

 

 どの口が言っているんだ。ブーメランというのをご存知だろうか?

 

 セイアは不満を漏らすが、確かに、理解されなければ、その先にある答えへ辿り着くこともできない。

 

 人を理解するというのは、存外難しいものだなと思う。特に、レグルスの場合は。

 

 そもそも『レグルス・コルニアス』とは普通の人間と違って精神構造が色々な意味で複雑となっている。真に理解しようとする方が無理があるだろう。

 

 だってレグルスだし。

 

『大方、君は僕から何か答えを得たいんだろう?あるいは聞き出したいことがある。違うかな?まあ、今さら隠したところで無駄だと思うけどね。君との付き合いも、気付けば決して短いとは言えないところまで来てしまった。他ならぬ君のせいでね。だから分かるんだよね。君がどういう人間で、どういう順番で話を進めるのか。そして最終的に何を求めているのかも全てをね。君はいつだってそうだ。回りくどい話をして、意味深な前置きを挟んで、相手に考えさせるような言葉ばかり並べる。そのくせ、本当に知りたいことだけは最後まで隠そうとするんだ。僕からしたら、さっさと本題に入れよとずっと思っているんだよね。よく言うじゃないか、結論から話せってさ。話し手にも聞き手にも優しい、実に良い考え方だ。少なくとも、聞かされる側の時間を不必要に奪わないで済む。だから今こそ、君はそれを実行するべきなんだ』

 

 ……すごい。一言でまとめれば、『結論から話せ』で済むのに、たったそれだけの内容をここまで長々と語れるものなのか。ある意味では、才能と言って差し支えないのかもしれない。

 

 あるいは、セイアと同様、あえて回りくどく話し、相手の反応を見ながら会話を組み立てているのか。

 

 ……その真意だけは、レグルス本人にしか分からない。

 

 セイアは考えるだけ無駄だと結論付け、小さく息をつき、静かにカップを持ち上げ、自ら淹れた紅茶を口へ運ぶ。

 

 ──夢の世界であるにもかかわらず、その温もりは、ほんのわずかに喉を潤したような気がした。

 

『……君がそこまで言うのなら仕方がない、君でも理解が出来るよう、単刀直入に聞かせてもらうよ。』

 

『君はさあッ!一言余計なんだよッ!!』

 

 机をバンバンと叩きながら抗議するレグルスをセイアは華麗に聞き流し、静かにソーサーにカップを置き、真剣な眼差しでレグルスを見据え……口を開いた。

 

『──君は、本当にこの世に楽園なんて存在すると思うかい?』

 

 それは、レグルスと出会う以前に、もう一人の大人……先生へ投げかけた問いと、よく似たものだった。

 

『楽園という言葉を聞くたびに不思議に思う。それは存在する場所なのか、それともそうあってほしいと願う理想なのか。誰も傷付かず、誰も失わず、誰も理不尽に晒されない世界。仮にそんな場所があったとして、そこへ辿り着いた人間は、本当に満足できるのか……飢えを知らない者は食事の価値を語れない。暗闇を知らない者は光の意味を理解できない。だとすれば、苦痛も欠落も存在しない楽園というのは、案外、空虚な場所なのかもしれない』

 

 それは興味本位なのか、本気で聞いているのかは分からない。

 

 しかし、他ならぬゲマトリアに所属する男に聞くのは──

 

『強大な神秘をその身に宿しながらも、数え切れないほどの理不尽を経験した君に聞いておきたいんだ。君の目には、その楽園という概念はどんなふうに映っているのか』

 

 ──どういう想いなのだろうか。

 

『──改めて君に、もう一度問おう、レグルス・コルニアス。楽園は本当に存在するのか……“楽園に辿り着きし者の真実を、証明することはできるのか”』

 

 なにはともあれ、セイアは解答を欲した。よりにもよって、建前上は敵であるレグルス・コルニアスという男に。

 

 繰り返すようだが、本来なら、先生とゲマトリアは決して相容れない存在同士。

 

 先生とゲマトリアが対立する以上、それは生徒たちもまた同じこと。本来であれば、交わることすら許されない存在同士なのだ。

 

 ……実際は、約一名は今後本気で敵対しようとしているし、約一名は絶対に変なちょっかいはかけるなと思い続けているし、それ以外の面々はぜひ我々の仲間になってほしいとわりと乗り気なのが実情なのだが。

 

『……』

 

 問いを受けたレグルスは、何も答えない。ただ黙ったまま、セイアを見つめる。

 

 時間が経つにつれ、その眉間には深い皺が刻まれていき──

 

『君は馬鹿なのかな?』

 

 ──無慈悲にも、そう罵倒するのだった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「──……よく知っている空だ」

 

 口から零れたのは、お決まりの文句とは正反対の言葉だった。

 

 目を開いた瞬間、視界に飛び込んできたのは、空を遮るものが何一つ存在しない、どこまでも続く透き通った青空。

 

 ──この光景は、もう見慣れていた。

 

 一度や二度ではない。幾度となく、この夢の世界へ招かれてきたのだから。

 

「……?おいおい、招いておいてこの仕打ちは無いでしょ。こっちは貴重な睡眠時間を侵害されながら、あそこまで来てあげたというのに。それなのに肝心の人物が居ないだなんて、一体どういうつもりなわけ?客人を招いたのなら出迎えるのが礼儀なのにさ……」

 

 身体を起こして周囲を見渡せば、一面の花が広がっている。色鮮やかな花々が辺りを覆い、幻想的な空間が存在している。

 

 ……いつもであれば、席へ優雅に腰掛け、紅茶を嗜むセイアの姿が見えるはずだが。

 

 どういうわけか、その姿が全く見当たらない。

 

 目を細め、視界の届く限り遠方まで見渡してみても、百合園セイアの姿を見ることが出来なかった。

 

「……まっ、彼女にとってもこれは想定外の事態かもしれないよね。本来なら、目を覚ました僕を出迎えて、いつものようによく分からない話でも始めるつもりだったんだろうしさ。少なくとも、自分で招いておいて姿を見せないなんて非効率な真似を、あの百合園セイアが好んでするとは思えない。だからまあ、今回は特別に大目に見てあげようじゃないか。僕は人の心がある善良な人間だから、そんな人物を責めるような真似はしない……そう、なぜなら僕は善良の塊である人間なのだから」

 

 お前が善良の塊である人間な訳がないだろ。

 

 勝手にそう結論付けると、自らを善良な人間だと信じて疑わないレグルスは、招いた張本人であるセイアを探すため、その場から歩き出した。

 

「……」

 

 ──いつものように、権利だの侵害だのと狂ったように文句を垂れ流す……というわけでもなく。

 

 むしろ、その足取りは不気味なほど静かであり、花畑を踏み分けながら、一歩、また一歩と進む。

 

 黙して歩みを進めながらも、強欲の権能を発動するために、心の奥底では常に『レグルス・コルニアス』として振る舞い、自らの安全を確保する。

 

 どれだけ気を取られていようと、それだけは決して忘れない。実に器用な男だ。

 

 ……思えば、時の流れというものは、案外早く感じるものだ。

 

『レグルス・コルニアス』として目覚めたあの日から、気付けば二年もの月日が流れていた。

 

『レグルスさん。貴方は自分が強欲に向いていないと思っているかもしれませんが……私はそうは思いません』

 

「……」

 

 一面に広がる花々を眺めながら歩いていると、不意に彼女の言葉が脳裏によみがえる。

 

 ──そういえば、白鶴と名乗っていた連邦生徒会長が失踪してから、『僕』はより一層『レグルス・コルニアス』である必要があったな、と。

 

 あれ以降、キヴォトスは目に見えて騒がしくなったし、平穏などどこ吹く風だ。ただでさえ金を持っていそうだというだけで襲われていたというのに、その頻度は更に増加した。

 

 まるで世界そのものが、平穏を拒絶しているかのようだった。

 

『僕』は『レグルス・コルニアス』でなければならないことを強要されたようなもの。

 

 誰にも侵されない権利を守るために、自分自身の平穏を守るために。

 

『だから、自分を卑下するのは控えてくださいね!私の全部をレグルスさんにあげることは出来ませんが──自分をもっと信じられる勇気をあげます!』

 

「……」

 

 ──だからこそ、知る機会はほぼ失われているだろうし、知られることは今後も無いのかもしれない。

 

 連邦生徒会長はどういうわけか『僕』を認知している例外な存在だった。『レグルス・コルニアス』ではなく。その奥底にいる、『僕』という存在を。

 

 つまり、可能性はあるのだろうか。

 

 キヴォトスの中で、こうして『レグルス・コルニアス』に成り代わった『僕』を知る人物が現れる可能性が。

 

 ──かの英雄のように、強欲の権能を見破ったりする者が現れるのだろうか。

 

「──」

 

 ──何を言っているんだ。そんなことをされてしまったら、自分が求めてやまない平穏がますます遠ざかってしまうじゃないか。

 

 無言のまま首を高速で左右に振り、あり得ないあり得ない、そんな面倒事は御免だと内心で何度も繰り返しながら思考を打ち切り、気を取り直して歩き出す。

 

 既にどれぐらい時間が経ったか分からない。相変わらず、この夢の世界は時間感覚が狂いそうになる。

 

 一分か一時間の感覚も全て同じだと捉えてしまいそうだ。これでよく今まで普通に目覚める事が出来ていたな……と、自画自賛することを忘れない。

 

 自分の優秀さを再確認することもまた、権利の一つなのだから。

 

「……」

 

 そうして、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、ひたすら歩き続けて──

 

「──仮にもティーパーティーの代表である君が、こんなところで大の字で寝転がって何をしてるのかな?」

 

 再び、ようやく見つけた。ずっと探していた人物を。

 

 ──どこまでもレグルスの権利を侵害し続ける、仰向けで大の字になっている少女の姿を。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「……」

 

「いつもの君はどうしたわけ?僕の記憶が間違っていなければ、図々しく紅茶を飲みながら意味深なことを並べ立てて、僕が理解できようができまいがお構いなしに話を進めていく……それが君の十八番だったでしょ?それなのに君は自分から招いておいて出迎えもしない、説明もしない、姿も見せない。普段は散々僕の平穏を乱しておいて、いざ僕が来たら放置するだなんて、あまりにも一貫性が無さすぎるじゃない?これはもう、客人を蔑ろにする行為であり、僕の平穏を侵害し、時間を浪費させ、説明を受ける権利まで奪っている……つまり、僕の権利の侵害だ」

 

 ──何も変わらないな。

 

 君は最初からずっとそうだった。私が『地獄の上映会』と呼んだあの追体験の中でさえ、その軸が揺らぐことは一度もなかった。

 

 君がどこ出身なのかは分からないが、きっとキヴォトスではないどこかなのだろう。先生と同じように、この学園都市の外から辿り着いた存在なのかもしれない。

 

 だとすれば、君がキヴォトスという世界に戸惑いを覚えたのも、不思議な話ではないね。 あるいは、戸惑うという段階すら通り越して……理不尽だと断じたのかもしれない。

 

「権利の侵害……ああ、そうだね。君の言葉を借りるなら、今の私も、この世界そのものも、絶えず誰かの権利を侵害し続けている。それが善悪の問題だと言いたいわけじゃないが、そういう構造なのだと、私は理解している……だからこそ、私の神秘は最初にこの理不尽を君と共有させたかったのかもしれないね。言葉で説明するよりも、一度体験した方が、その輪郭はずっと鮮明になるのだから」

 

「は?」

 

 今、『何を言っているんだこいつは?』……そんな表情をしたね。

 

 君は案外、表情に思考が出やすいタイプらしい。もう少し隠す術を身につけた方がいいだろう。

 

 少なくとも、その点に関しては先生の方が一枚上手だ。あの人は必要なことだけを見せて、それ以外は実に巧妙に伏せている。

 

 ……比較対象が悪いか。

 

 私から見れば、先生は誰もが認める立派な教職者。

 

 ──君は、一般人の皮を被った、一般人なのだから。

 

「良いかいレグルス……まず、世界は理不尽で溢れているんだ」

 

「そんなもので溢れている覚えは無いんだけど?君の尺度で勝手に決めつけるのは止めてもらえるかな?」

 

「──それこそレグルス、君の尺度だろう」

 

 ──君自身は、それを理不尽だとは思わないのか?

 

 少なくとも、私が観測した限りでは、そう結論づけるほかなかったのだが。

 

 未だに原理の理解できない仕組みによって、君の身体には傷一つ残らないというその一点だけを見れば、幸運と言えなくもないのだろう。

 

 ……しかし、日常を過ごしていただけで爆発に巻き込まれ、戦車の砲撃を受け、銃弾が脳天を貫き、挙げ句の果てにはヘリコプターのローターと共に空を回転するという、それが一人の人間へ繰り返し降りかかるとなれば──私には、理不尽という言葉以外の表現が見当たらない。

 

「自分の思い通りにならないこと自体は、決して珍しいことじゃない。むしろ、それが世界のあるべき姿なんだろうね。自分という存在を絶対だと信じ続けることも、いずれはどこかで限界を迎える。どれほど揺るがない信念だったとしても、それを試そうとする出来事は、必ず訪れるものだから」

 

 手足をほんの少し動かすと、花々の柔らかな感触が伝わる。

 

 ──虚像だというのに。

 

「……仮に、この世界を一つの物語だとするなら、その結末が都合のいい幸福だけで綴られることはない。不快で、不愉快で、忌まわしくて、思わず眉を顰めてしまうような出来事が積み重なる。疑って、疑われて、また疑って……その果てに辿り着くのは、誰もが救われる結末ではない。誰かが報われる一方で、誰かは報われない……残酷だけれど、それもまた物語というものなんだろうね」

 

「おい、それは僕への当てつけなのかな?」

 

「……そうだと言ったら?」

 

「君をはるか彼方の空まで落下させるよ」

 

「──本気でやりそうなのが怖い」

 

 君の表情を見る限り、私の話は未だに理解の埒外にあるらしいね。『やっぱりこいつは何を言っているんだ』と……そんな困惑が、ずいぶん分かりやすく顔に出ている。

 

「……なぜ私がここまで断言するか、理由は分かるかい?」

 

「知らないよ。君の考えてることなんて、全て理解できるわけがない」

 

 ……まあ、それは、そうだろうね。

 

「──私の明晰夢はよく当たる。もはや、それは覆ることは決してない、既に結末まで記された未来そのものなんだ」

 

 ──当然、君がそうしているように、私も君に全てを明かしているわけではないのだから。

 

 隠し事というのは、誰しも一つや二つは抱えているもの。そして、その中には誰にも語られないまま、墓場まで持ち運ばれるべきものも少なくない。

 

 ……だからこそ、これから私が口にする話は、その例外だと思ってほしい。

 

 本来であれば、誰にも明かすつもりのなかった──私自身の秘密の一つなのだから。

 

「……いずれ、このキヴォトスは赤い終焉に包まれる。それは私の願望でも、悲観でもない。ただ、私が観測した未来の一つなんだ。その過程で何を成し遂げようと、誰が抗おうと……最後に待ち受けている結末は変わらない。すべては虚無へと還るんだ。それが理不尽だからといって、未来が譲歩してくれるわけじゃない。私の明晰夢が示したのは、そういう結末なんだ」

 

「──」

 

 ……ほうほう、どうやら、君でも言葉を失うことはあるらしい。

 

 その反応を見る限り、私の告白はそれなりに効果があったと解釈して良さそうだ。

 

 もっとも、無理もないだろうがね。 これだけ前触れもなく秘密を打ち明けられれば、誰だって思考の整理くらいは必要になるだろう。

 

「驚いたかい?……そう、私が観測した結末を見れば、すべては無意味だと思えてしまう。過程がどれほど違っても、最後には同じ終焉へ辿り着く。そういう未来を見せられ続ければ、抗うことに意味はあるのかと、自問したくもなる……理不尽とは、案外そういうものなんだ。人の意思や願いとは無関係に、ただ一つの結末だけを静かに突きつけてくる……ああ、今なら理解できるよ。私と君がここに来る直前で見たあの恐怖の象徴は、今後の未来を暗示していたのだろうね」

 

 全てを恐怖へと反転させてしまうようなあの光は、将来的にこのキヴォトスを包み込むのだろうか。あの不吉な光の正体は、そういうものなのだろうか……そういうものなのだろう。

 

「──ああ、改めて思うよ。物語というものは、結末が定まった瞬間に、その途中で紡がれた選択や足掻きさえ色褪せて見えてしまう。結局のところ、すべては無意味へと還る」

 

 ──君も理不尽な目に遭ってきただろう。レグルス・コルニアス。キヴォトスとは、こういう世界なんだ……いや、正しくは、こういう世界になってしまったと言うべきなのかな。

 

 善意であれ、悪意であれ、その過程にどれほどの想いが込められていようと……私が観測した未来では、最後には等しく虚無へと還ってしまう。

 

 ──それが私の見た未来なんだ。

 

 そして君は、そんな理不尽が待ち受けるこの地へ、辿り着いてしまった。不幸が、理不尽が、君に降り注いだんだ。

 

「レグルス、だから私は──」

 

「──ずっっっっっと黙って聞いていれば、君はさっきから何をくだらないことでその口を動かしているのかなあ?あまりにもベラベラベラベラと喋り続けるものだから、その口にチャックでも付けてあげた方が君にとっても周囲にとっても幸せなんじゃないかって本気で考えたぐらいなんだけど。いっそのこと、もう付けてしまっても構わないよね?」

 

「──────────はっ?」

 

 耳を疑った。

 

 しばらく黙って聞き入っているものだから、真剣に考えてくれているのだと思っていた。

 

 しかし、返ってきた第一声が『くだらない』だったため、脳が理解を拒んだ。

 

「……えっ、君は私が言ったことに言葉を失っていたんじゃ……」

 

「そんなわけないだろ。途中から君に呆れていたんだよ。百合園セイアという権利の侵害しかしない生徒にさ」

 

「えっ」

 

 また彼に権利の侵害と言われるが、私は心外でしかなかった。

 

 私はここまで君に寄り添い、共感しようと努めてきたのに、それどころか、誰にも打ち明けてこなかった秘密ですら明かしたというのに。

 

 それなのに返ってくる第一声が、権利の侵害だなんて。いくらなんでもその言い草は畜生にもほどがあるんじゃなかろうか。

 

「黙って聞いていれば、世界は理不尽で溢れているだの、不快だの不愉快だの忌まわしいだの、虚無へと還るだの色褪せるだの全ては無意味だの……結局は君の身勝手な価値観を全て僕に押し付けているだけ。だから君はこうやって常に僕の権利の侵害をする。それを早く理解した方が良いんじゃないの?」

 

「──」

 

 ──本当に、なぜこの男は何も変わらないのだろうか。

 

 私の話は、決して聞き流していたわけではないはずだ。君の返答を聞く限り、言葉の意味そのものはきちんと理解している。

 

 ……それなのに、君の結論だけは少しも揺らがない。

 

 相変わらず権利の侵害を訴え続け、この世界が理不尽に満ちた物語なのだと伝えても、その価値観は微塵も変化しない。

 

 何一つ受け入れてはいないのだ、この男は。

 

「……別に、君へ私の価値観を押し付けたいわけじゃない。私はただ、私が観測した事実を話しているだけなんだ。明晰夢で映し出した未来予知による観測は、遅かれ早かれ起こり得ることに変わりはない。結局は、私も君も安全なんて保証されるはずもなく、世界は終焉を迎える……そう、そのことに変わりはない。何一つだ」

 

 君は平穏を享受するなど言っていたが、結局は全ては虚無へと還る。そうなれば、享受もへったくれもないだろう。だから君も、この事実を受け入れるべきなんだ。

 

 ──それなのに。

 

「あのさあ、僕は言ってるよね?君が思っている価値観を、そのまま全部僕に押し付けるのは止めろってさ。君がどう思おうと勝手だけど、こうやって人に迷惑をかけるような真似をするのはいただけないよね」

 

 それなのに、それなのに、それなのにそれなのにそれなのに──なぜ君は、何も変わらないんだ?

 

「これは言うつもりは一切無かったんだけどね。君があまりにも見当違いなことばかり言って話が一向に進まないものだから、さすがに訂正させてもらうよ──僕は何も、キヴォトスの在り方そのものに絶望しているわけでも、否定しているわけでもない。そこを勝手に勘違いされるのは、僕としては非常に不本意なんだよね」

 

 ──本当に、意味が分からない。

 

 あれほどまでにキヴォトスから理不尽を突きつけられ続けているというのに……どうして君は、絶望という結論に辿り着かない。

 

 私が観測した限りでも、君の歩んできた道は、思わず目を背けたくなるような出来事ばかりだった。

 

 普通なら、一度や二度では済まない。世界を恨み、自分の不運を嘆き、生きることそのものに意味を見失っても、おかしくはないはずなんだ。

 

 ……それなのに、世界を受け入れるでもなく、世界に屈するでもなく、相変わらず『権利の侵害だ』と声を上げ続ける。

 

 ──絶望という概念そのものが、君には存在していないのか?

 

「一部の人間が、自分勝手な価値観や都合を他人へ押し付け、平穏を乱し、好き勝手に権利を侵害していること。僕の意思を捻じ曲げるという立派な権利の侵害をし続けている相手には、何がなんでも僕は否定し続けるよ──百合園セイア、君みたいにね」

 

 嫌悪を示すような表情を浮かべながら、こちらを見下ろすような視線を向け、そのまま静かに指を差してくる。

 

 ……いや、違う。

 

 嫌悪ではない。どちらかと言えば、呆れに近い感情だ。表情というものは、言葉以上に思考を雄弁に語ることがある。

 

 そう考えると、レグルス・コルニアスという人物も、少しずつ輪郭が見えてきた気がする。

 

 理不尽に慣れているのではない。 理不尽を受け入れているわけでもない。

 

 ──ただ彼は、自分の価値観だけは決して曲げようとしない。

 

 それが、彼という人間なのか。

 

「しかし、君も私と共に目の当たりにしただろう。あの不吉な光を。そして、私はこれまで何度も君へ話してきたはずだ。私の神秘……明晰夢について。君も、まったく理解していないわけではないだろう」

 

 ──そしてそこが、私と決定的に違うところなのだろう。

 

「私が観測した過去も未来も、これまで現実と大きく食い違ったことはない。観測された事象は、形こそ違えど、遅かれ早かれ現実へと収束していく……『地獄の上映会』も、そうだった。あの観測も、決定的な齟齬は生じなかった。だとすれば、私が見て、君に語ったその赤い空も同じだ──それを終焉以外の何だと解釈すればいい?」

 

「…………」

 

 しかし、私は君よりも多く知っている。誰よりも多く知っている。この物語が積み重ねてきたものも、その果てに待ち受ける結末も。

 

 上映会として誰かに見せたのなら、おそらく大半の人は思わず眉を顰めるだろう。不快で、不愉快で、目を背けたくなるような理不尽ばかりが、そこには積み重なっているのだから。

 

 ……そして、その物語が最後に辿り着く結末までもが終焉なのだとしたら。その過程に、一体どれほどの意味を見出せば──

 

「──君がよく口にする明晰夢っていうのは、あくまで未来予知ではあるからさ、必ずしも当たるわけではないんだよね?」

 

 ──?なぜ今、その質問をする?

 

「……それは、必ず当たるわけではないが……しかし、あくまでほぼ確定事項なわけだから、大した変化は──」

 

「分かった、もう君はそれ以上何も言わなくて良いよ」

 

「──?……えっ、はっ?」

 

 質問に対して答えたら、今度は何も言わなくていい?この男は、一体どこまで身勝手なのだろうか。自分という存在を貫き通しすぎではないだろうか。

 

 そうやって、私が寝ながらレグルスを睨むように見ていると、おもむろにこちらに手を差し出して──

 

「──契約だ、百合園セイア」

 

「……けい、やく?」

 

 ──おかしなことを言い始めた。

 

「……意味が分からないな、レグルス・コルニアス、君が何を前提にその結論へ辿り着いたのか、私には理解ができない」

 

「最初からそうやって話を聞こうともせず、全てを塞ぎ込むような真似をするから、君はいつまでたっても君なんだよ。まずは人の話を聞く、その当たり前すら放棄してしまったら、残るのは自分の価値観だけを押し付ける一方通行の会話でしかない。そんなものは対話でも何でもないし、ただの独り言でしかないと思うんだよね」

 

「……」

 

 レグルスのくせして、わりと正論な事を言われてしまった。今までは、異質な関係ながらも対話は成立していたのが、今はただの独り言か。

 

 ──まるで、今の私自身を表しているようだ。

 

「……何を、契約すると言うんだい?」

 

 ……そんな独りきりの私と。君は、一体何を契約しようというのだろうか。今の私には差し出せるものなど、ほとんど残っていないというのに。

 

「──君の未来予知を、僕自身のために最大限利用させろ。これは、そのための契約だ」

 

「……はっ?」

 

 ──契約の内容は、どこまでも自分のための利益を優先したものだった。

 

 いや、そこまでは良い。契約というものは、まずはどれだけ自分にとって利益を見出せるかを考えた上で相手と結ぼうとするものだ。その考え方自体は、私にも理解できる。

 

 ……だが君は本当に、私の神秘を、明晰夢というものを理解した上で、その契約を持ちかけたのか?

 

「君には一言一句丁寧に説明したはずだよ。レグルス・コルニアス。ここキヴォトスは、その途中で紡がれた選択や足掻きさえ色褪せて見えてしまう。結局のところ、すべては無意味へと還る世界だと……私の明晰夢は本当によく当たるんだ。もはや、それは覆ることは決してない、既に結末まで記された未来そのものだ。君が未来予知に可能性を感じたのかは知らないが、止めておいた方が良い。君自身が、最終的に後悔するだけだよ」

 

 懇切丁寧に、何度でも何度でも説明してやる。無意味だと、虚無に還るんだと、決して覆ることはないんだと。

 

 ──なのに、なのに。

 

「だから、勝手に君の価値観を僕に押し付けるなと言っているのが分からないのかな?」

 

 ──全部、否定される。

 

「君の未来予知は、僕にとっては喉から手が出るほど欲しい力なんだよね。だってそうだろう?未来を事前に知ることができれば、理不尽を避けることも、厄介事から距離を置くこともできる。つまり、今よりもっと平穏な日々を享受できる可能性が高くなるんだからさ。君はよく自分で言っていただろ?『私の明晰夢、未来予知はよく当たる』って。でもさ、その言い方には一つだけ見逃せない点がある」

 

 ──全部、否定されてしまう。

 

「『よく』当たる。つまり裏を返せば、『必ず』ではないということだ。百発百中じゃない。外れる未来も確かに存在している。だったら話は簡単だよね?たとえ君の見た未来が99%の確率で訪れるとしても、残り1%は確かに存在しているということになると思うんだよね──それならば、僕はその1%を何としてでも手に入れてやる。理不尽だから仕方がない?運命だから受け入れろ?冗談じゃない。僕はそんな不合理を受け入れるほど心が狭い人間じゃないんだよ。もし君が見た未来が、僕にも君にも降り注ぐ最悪の結末だというのなら、なおさらだ。運命なんてものが僕の平穏の権利を侵害しようというのなら、その運命の方を覆してやればいいだけの話なんだからさ」

 

「────」

 

 ──彼は、レグルス・コルニアスは、あまりにも考え方が強欲すぎる。

 

「もちろん、契約というのだから、僕だけが得するのはおかしな話だ。契約というものは、互いにどれだけ利益を見出せるかを秤にかけた上で結ばれるもの。つまり、君にも相応のメリットが必要なわけだ。慈悲深くて寛大で、誰よりも誠実なこの僕が、ちゃんと君の利益まで考えた上で話を持ちかけているんだ。僕の人間性そのものに感謝するといい」

 

「……そ、れは……?」

 

 ──君の思考は、本当にどうなっているんだ?

 

「──君が見た明晰夢、その未来予知の中で、僕に不幸や理不尽が降り注ぐ未来を観測したというのなら、その内容を一つ残らず僕へ伝えてもらおうか。それが起きる前に潰せるのなら、徹底的に潰す。自身が享受する平穏の権利を守るためなら、それが最も合理的で、最も平穏な選択だからさ」

 

 ──君の何が、そうさせるんだ?

 

「そして、その理不尽が君にも降り注ぐというのなら──今度はこの僕が、君の安全を保証しよう。例えば、今回みたいにベアトリーチェが余計な真似をして君を酷い目に遭わせるというのなら、その時は僕があの女に相応の責任を取ってもらう。今回は契約前だから無効だけどね……ああそうそう、君が『私を守ってほしい』と望むのなら、それでも構わない。その程度のことなら、僕にとって大した負担じゃないからね──要するに、君は僕へ未来を伝える。僕はその未来を基に、自分の平穏を守る。そして、その過程で君にも降りかかる理不尽があるのなら、ついでに君も守る。これなら君にも利益があるし、もちろん僕にも利益がある。どちらか一方だけが得をするような不公平な関係じゃない。互いが互いを利用し、その見返りとして互いに利益を得る。実に合理的で、実に公平だ。契約というものは、本来こうあるべきなんだよね」

 

 ──これが、『レグルス・コルニアス』なのか?

 

「君は未来を語る。僕はその未来を覆し、君と僕、双方の平穏を守る。互いを最大限利用し合い、互いに最大限利益を得る──それが、今回僕が君に提案する契約だ。百合園セイア」

 

 ──。

 

「……合理的で、公平で、最大限の利益を得ることが出来て……それは、良いことなのかもしれない。しかし、それで本当に、私たちが望む……『楽園』に辿り着けるとはまた別──」

 

「──あのさぁ!?まだ君はそんなことを言うわけ!?少しは自重というものを考えた方が良いんじゃないのかなあッ!?」

 

 ──遮られる。強欲を極めた男に。身勝手にも、遮られてしまう。

 

「──君はしつこく“楽園に辿り着いた者の真実を証明できるのか”を聞いてきたけど、僕にはその問いがそもそも理解できないんだよね。だってそうだろう?仮に楽園が存在して、そこに辿り着いた人間が永遠の幸福と満足を手に入れたとして、その人間が外に出てこないのは何もおかしなことじゃない。むしろ当然だ。満たされている人間が、わざわざ満たされていない場所へ戻る理由なんてないだろうが」

 

 ──そ、れは……私が問いを投げかけた直後、君に罵倒された挙げ句、そのまま夢の世界から帰られてしまったことで、結局うやむやのまま終わってしまった、五つ目の古則についての──

 

「それなのに君を含む古則厨は、『証明しろ』『見せろ』『観測させろ』なんて勝手なことを言い出す。どうして第三者でしかない君たちが、自分の理解できる形で提示されなければ納得できないわけ?本人が幸福ならそれで完結している話でしょ。本人が満足しているなら、それ以上何を求める必要がある?それとも何かな、君たちは楽園に辿り着いた人間にまで、自分たちを納得させる義務を背負わせるつもりなのかな?」

 

 ──その古則すらも、私の考えを遮るように否定してしまう。

 

 彼は、キヴォトスに囚われず、どこまでも『レグルス・コルニアス』で在り続ける。

 

「──ふざけないでほしいな。それは幸福に対する権利の侵害だッ!自分たちが確認できないから存在しない。自分たちが理解できないから価値がない。そんな独善的で傲慢な考え方を押し付けておいて、まるで自分たちが正しいみたいな顔をしているんだから呆れるよね。浅はかでしかない。証明できない?……違うでしょ?違うよね?」

 

 ──常識を重んじてそうな人物が解答するのではなく、常識に囚われない回答をする。

 

「──例えそこまで歩んで、勝手にゴールに辿り着いたとしても、証明する必要が無いに決まってるでしょ?楽園に辿り着いた者の真実は、その人間の中で既に完結している。他人の承認も、観測も、証明も必要ない。それを求めること自体が間違っているんだよ。これは、誰が何を言おうと、考え方を変えるつもりはない」

 

 ──本当に、見誤りすぎたと思う。

 

「……全ての考えが滅茶苦茶だ。レグルス」

 

「知らないよ。少なくとも僕は、何も滅茶苦茶だと思っていないからね」

 

 ──『レグルス・コルニアス』を、欠片も理解できていなかったのだと、痛感する。

 

「──今から僕は、君の腕を掴む。契約を不成立にしたいのであれば、全力で振りほどくと良い」

 

「……そうは言いつつ、既に掴んでるのはいかがだと思うのだが。これでも私は、華奢なレディーなのだがね」

 

 ──既に、右腕は掴まれていた。

 

 このまま彼がちょっとでも引っ張れば、私は空の彼方まで落ちていくのだろうか。こんな時に、そんなヘンテコな考えが思い浮かんでしまう。

 

「……」

 

「……君が振りほどかないのであれば──」

 

「レグルス」

 

「──あ?」

 

 ──一つだけ、私はどうしても確認したいことがあった。

 

「──私の、身の安全まで保証したのは、一体どういう意図なんだい?」

 

 ──君は、ゲマトリアの一員だろう。生徒を最大限利用して、絞り尽くすのが芸当なのではないか?

 

「?おかしな事を聞くな、君は」

 

 ……?何も、おかしなことは聞いて──

 

「利益を得るためには、君が必要なんだよ。だから君自身の全てを保証する──契約なんて、それが全てでしょ?」

 

 ──ぁ。

 

「──ぁ」

 

「──腕を振りほどかないのであれば、契約は成立ということで良いよね?」

 

 ──最初から、契約を成立させるつもりだったじゃないか。だから、だから──あぁ、もう、無理だ。思考が何一つまとまらない。

 

「だとしたら、君はこんなところで大の字で寝ている場合じゃないということぐらい、もう分かるよね?状況を整理して、未来を見据えて、それでもなおここに留まり続ける理由なんて、僕には一つも見当たらないんだからさあ。君がすることは、たった一つ、君はいい加減に──」

 

 ──彼と、話していたら。

 

「──夢から醒めなよ、百合園セイア」

 

『──夢から醒めなよ、百合園セイア』

 

 ──レグルスと、話していたら。

 

「──僕には、君が必要だ」

 

 ──頭が、おかしくなりそうだ。

 

 刹那、腕が強く引き上げられ、身体が宙へと浮くような感覚が全身を駆け抜けたかと思えば、世界そのものが霞むようにぼやけていき──気が付けば、夢の中で意識を失っていた。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「───────んぅ……?」

 

 意識が覚醒し、僅かに目を開けた。

 

「────…………」

 

 ──いつものように明晰夢に放り込まれるのような感覚ではなく、全身を包み込むのは、穏やかな温もりで。

 

 そんな中、ゆっくりと意識が浮かび上がり、閉ざされていた瞼が静かに開かれ……視界の先に広がっていたのは、久しく目にしていなかった、見覚えのある天井だった。

 

「──おいおい、やっと起きたわけ?僕はとっくの昔に起きていたというのにさ。君はいい加減、寝すぎだという事を自覚した方が良いんじゃないの?」

 

 声が聞こえた。

 

『地獄の上映会』でもなければ、夢の世界でもなく、どこか遠くから響くような曖昧なものではなく……確かにこちらに届いた、聞き覚えがありすぎる声が。

 

「──」

 

 ゆっくりと身体を起こす。

 

 まだ霞の残る視界を声のした方へ向けると、そこにはレグルスの姿があった。

 

 窓際に立ち、腰の辺りへ軽く両手を添えながら、昇り始めた朝日を静かに眺めていた。

 

「あのさあ、この際、僕に謝るところまでは求めないよ。僕は、そこまで器の小さい人間じゃないからね。だけどさ、仮にも起こしてもらった相手に対して、一言も無いっていうのはどうなの?まず最初に口にするべき言葉があると思うんだけど」

 

 そして、レグルスがこちらに向きながら、夢の世界で幾度となく耳にしてきた、聞き慣れた声を部屋中に響かせる。

 

 その言葉に対し、セイアはしばらくぼんやりとレグルスを眺め──

 

「──おぁ、よぅ……」

 

 一つ欠伸を零しながら、どこか気の抜けた声で挨拶を返すのだった。

 

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